世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「リナーリア、ご挨拶なさい。こちらが第一王子のエスメラルド殿下だ」
そう言って父から紹介されたのは、淡い色の金髪に翠の瞳をした同い年くらいの少年だった。
自分よりもわずかに高い目線。表情には乏しいけれど、凛と整った顔つき。
その顔を見た瞬間、胸いっぱいに熱いものが広がるのが分かった。
切ないような温かいような、痛いほどに胸を締め付けるその感覚に私は戸惑い、だけどすぐに理解した。
懐かしい。…とても、とても懐かしい。
少年がぎょっとしたように目を丸くした。その様子を見たお母様が、どうしたの?と私の顔を覗き込み、驚いて口元に手を当てる。
私の両目からは、ぼろぼろと涙が溢れていたのだ。
「あっ…」
慌てて顔に手をやるが、涙は止まらない。
「うぐっ…ふっ…」
懐かしさと悲しさと、何だか分からない感情がごちゃごちゃになり、波のように押し寄せてくる。
「リナーリア」
お母様がおろおろとしながら抱きしめてきて、私はたまらず、大声で泣き出した。
慌てたお母様の腕に抱かれた私はその場から連れ出され、自分の部屋に放り込まれて、ベッドの中でめちゃくちゃに泣いた。
泣いて泣きまくって、泣き疲れた私はそのままぐっすりと眠った。
そして翌朝、不思議なほどにすっきりと爽快に目覚め…全て思い出した。
私はリナーリア・ジャローシス。
このヘリオドール王国に数ある貴族家の一つ、ジャローシス侯爵家の当主・アタカマスとその妻ベルチェの長女。
だけど私はかつて、全く違う名前で呼ばれていた。
リナライト・ジャローシス。
ジャローシス侯爵家の三男坊として生まれ、第一王子エスメラルド殿下の従者として幼い頃から王子と共に育った、その記憶が確かに私の中にあったのだ。
もぞもぞとベッドから起き上がった私は、部屋に置かれた姿見の前に立った。
そこに映っているのは、銀色の髪を長く伸ばした青い瞳の10歳の少女だ。
「…一体どうしてこうなった…」
私にはこの10年間、リナーリアという少女として生きてきた記憶がちゃんとある。もちろんあまり幼い時のことはほとんど覚えていないが、物心ついてからの記憶はしっかり残っている。
だけど私は、20歳の青年であった時の自分のことも確かに覚えている。
自分の両手のひらを見つめる。見慣れた、傷一つない小さな少女の手だ。
だけど私は昔、これよりずっと大きな手をしていた。もっと指の長い、ペンだこと剣だこのある男の手。
「死んで生まれ変わった…の?」
鏡の中の自分に問いかけてみるけれど、返事などある訳がない。
しかし、状況から考えて浮かんでくるのはそんな可能性くらいだった。
あまりにバカバカしい話ではある。人が生まれ変わる話は読んだことがあるが、あくまで神話や物語の中のこと、創作でしかない。
そうしてしばらく悩んでみたが、やはりこの結論に達する。
…死んだリナライトはなぜか時を戻り、女のリナーリアとして生まれ変わってそれを思い出すことなく10年間生きてきた。
どうやら20歳だった記憶までしかないようなので、あの時私は死んでしまったのだろう。その瞬間の事は、曖昧でどうにもはっきり思い出せないけれど。
もしかしたら私は頭がおかしくなっていて、全てが私の妄想という可能性も少しだけ考えたが、その考えはすぐにどうでも良くなった。
だって本当に生まれ変われたのなら、私には絶対にやらなければならないことがある。
あの日、殿下は私の目の前で命を落とした。
生々しく思い出せる。真っ青になった唇も、こぼれ落ちた血も、冷たくなっていくその手も。
もう二度と、失われてなるものか。
エスメラルド殿下の命を絶対に救うのだ。