世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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挿話・6 従者と王妃

「スピネル・ブーランジェ、参りました」

扉の脇に立つ衛兵に剣を預け、そう声をかけると、中から「入りなさい」という静かな声が聴こえた。

「失礼します」

銀で彫刻がされた分厚い扉の向こうには、豪奢だが品の良い調度品の並んだ応接間がある。

毛足の長い柔らかな絨毯の上に膝をつく。

「王妃殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」

「そなたも元気そうで何よりです。座りなさい」

「はっ」

いささか緊張しながら、細かな刺繍が全面に施された柔らかなソファに座る。

正面に座るのは、淡い金髪を結い上げた美しい妙齢の女性。

この国の王妃で、スピネルの主である第一王子エスメラルドの母だ。

時折顔を合わせる事はあるものの、こうして二人で話すのは滅多にあることではない。

改めて見ても、一児の母であるとは思えないほど若々しく美しい。髪の色と表情に乏しい整った顔立ちが、エスメラルドとよく似ている。

王妃付きのメイドが音も立てずに紅茶のカップを置き、一礼して下がっていった。

喉の乾きを覚え紅茶に口をつける。その良い香りに、スピネルは少しだけ肩の力を抜く。

さすが、茶葉も淹れる人間の腕前も一級品だ。

 

「エスメラルドの様子はどうですか?」

「学院への入学を控え、特に勉学に力を入れていらっしゃいます。殿下は暗記が苦手なので、歴史に少し不安があるようですが、問題ないでしょう」

「剣術と魔術は?」

「大変優秀です。学院で学ぶために必要な技術はすでに十分修めていると、教師からのお墨付きです」

「そうですか」

こんな事くらいとっくに把握しているのだろうが、あえて尋ねるのは確認のようなものだろう。

あるいは、本題に入るための前置き。

 

「もうすぐパーティーです。ダンスはしっかり覚えているようですか?」

「はい。完璧かと」

王子は運動神経が良く、体幹も強いのでダンスは得意だ。

反射神経も良いので、仮に相手がダンスの下手な女性だったとしてもしっかりカバーできるくらいの技量がある。

「お相手は?」

「……。ブロシャン公爵夫人にお願いすることになるかと」

ブロシャン公爵夫人は国王陛下の妹、つまり王子にとっては叔母に当たる方だ。最初のダンスに誘う相手としては無難な相手だろう。

「あら…」

王妃は頬に手を当てた。表情からは読み取りづらいが、意外に思っているようだ。

「…では、私が祝いを言うべきご令嬢はいないのかしら?」

 

そう、これが今日の本題だ。

入学祝いのパーティーで王子にファーストダンスを踊りたい相手がいて、さらにその相手が王子にふさわしいと王妃が判断した場合。王妃はダンスの後二人に声をかけ、二人のことを祝う習わしだ。

王妃が声をかけ祝うことで、そのご令嬢は国王夫妻からも認められている婚約者候補だと周囲に示す。

入学祝いの言葉そのものはその日出席した全員にかけられるものだが、王妃が自ら近くに寄り声をかけるということに意味があるのだ。

それを行うためには、事前に王子から王妃へと声がけを頼む必要がある。そして、それとは別に従者から王妃への報告がされるのが通例だ。

相手の令嬢の人となりや、本人や家に何か問題はないかを独自に調べ報告するのである。

 

王妃が言っているのは、間違いなくリナーリアのことだろう。他に王子に特に親しい異性はいない。

実際スピネルもそれを考え、ジャローシス侯爵家やその領について密かに調査を行ったりもしていたのだが、結局「ファーストダンスの相手には選ばない方が良い」という結論に達した。

何しろ、肝心のリナーリアに全くその気がないのだ。

一応王子にも確認してみたが、特にリナーリアを誘うつもりはないとの事だった。

 

「あの子が何も言ってこないからそうかとは思っていましたが。…あなたも同意見なのですね?」

「はい。…あの」

「何?」

これは言うべきかどうか迷ったが、やはり言うことにした。

国王夫妻には、今の状況について知っておいてもらった方が良いと思ったのだ。

「…あのお二人には、まだ早いかと思っております」

「……。二人とも?」

「はい。二人とも」

「まあ…」

王妃は少し困ったような顔になった。

 

困っているのはスピネルも同じだ。

二人はあれほど仲が良いのに、その間には男女としての空気がまるでないのだ。

これは主にリナーリアに問題があるとスピネルは思っている。

彼女は王子に対して一切気のある素振りを見せない。年頃の少女らしい憧れどころか、異性に対する照れ、遠慮などが全く感じられない。

リナーリアは良い娘だ。色々と変わったところはあるし困った部分も多いが、本人の資質的にも、条件的にも、未来の王妃たり得る素質は十分に持っている。

…なのに、本人のその気だけがない。

 

王子の事を心から敬愛しているのは見れば分かる。

本人もそれを口にしてはばからないが、それがどうも忠誠心、あるいは家族や友人に対する親愛の域を出ていない。もう15歳になり、大人の女性として美しく成長しつつあるというのにだ。

王子の方はだいぶリナーリアを意識し始めていると思うのだが、彼女があの調子なのでわざとあまり考えないようにしているフシがある。それが王子の良いところでもあり、もどかしいところでもある。

せめてどちらかが積極的ならば、スピネルとしても背中を押すのはやぶさかではないのだが…。

先日ファーストダンスの相手について話した件では、王子が可哀想ですらあった。

仮にリナーリアをなんとも思ってなかったとしても、あそこまで言われれば誰でも落ち込む。

 

見ていてやきもきする事この上ない二人だが、しかしスピネルはもう少し見守るべきだと思っている。

その手の事柄に対しては進み方に個人差があるし、まだ二人には学院に入学し卒業するまでの3年間が残っている。

それで結論が出なければ従者としての立場を超えてでも物申さなければならなくなるが、今はまだそこまで考えなくていいだろう。

 

「…とりあえず、分かりました。でも残念ね…未来のお嫁さんに挨拶できるかと思ったのに…」

王妃は小さくため息をついた。

リナーリアとは通りすがり程度ではあるが城内で面識があり、挨拶もしているはずだ。

なのでこの場合の挨拶というのは、パーティーで婚約者候補に声をかけるというシチュエーションをやってみたかったという意味だろう。

「…きっとそのうち、機会がありますよ」

スピネルは王妃を慰めた。自分としても、そうなってくれればいいと思っていたのだ。

「…そうね。ありがとう、スピネル。これからもあの子をよろしく」

王妃の静かな微笑みは、確かに母親としてのそれだった。

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