世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「お嬢様。起きていらしたんですね」
後ろから声をかけられ、私は我に返った。
いつの間にか部屋に入ってきていたのは、使用人のコーネルだ。私よりも2つ年上の12歳。
物静かだがよく気の付く少女で、普段から主に私の世話をやってくれている。
「呼んでも返事がなかったので、まだ眠っていらしたのかと思いました」
「ごめんなさい。少しぼーっとしていました」
「そうですね…。大丈夫ですか?」
気遣わしげに言われて、私は昨日ずっと盛大に泣いていた事を思い出した。その間コーネルはずっと私についていてくれたのだが…
「ああああああっ!!!」
突然叫んだ私に、コーネルがびくりとする。
「で、殿下!!殿下はどうした!?」
そうだ、私は殿下の前で泣き出してしまったのだ。よりによって殿下の前で!
「数時間ほど滞在されたあと、予定通りお帰りになりました。お嬢様の事を心配なさっていたそうです」
「あああああああ~~~~~…」
私はがっくりと床に崩れ落ちた。私は…私は何ということを…!
「穴があったら入りたいっ…!!」
いっそ床に頭を打ち付けてしまいたかったが、さすがに自重した。だが全身から火を噴きそうなくらい恥ずかしい。
「あの…お嬢様、元気を出してください。体調が悪いのでなければ、朝食に行きましょう。ご主人さま方がお呼びです」
ああ…当然だ。お父様とお母様もきっと、一体なぜ私があんな無様を晒したのか疑問に思っているだろう。
「……、わかりました…」
私はよろよろと立ち上がり、コーネルに手伝ってもらいながら着替えを始めた。
「本っ当に!!申し訳ありませんでした!!!」
開口一番、私はそう言って頭を下げた。
昨日はエスメラルド殿下がジャローシス侯爵家の屋敷を訪れるという、記念すべき日だったのだ。
それを私はぶち壊してしまった。
この国のそれなりの爵位を持つ貴族は、いくつかの例外を除き、爵位に見合った広さの領地を持っている。当然その領地に城や屋敷を持っているのだが、それとは別に王都にも屋敷を持つのが通例だ。
社交シーズンにだけ王都にやって来る者がほとんどだが、領地は部下に任せ普段ずっと王都にいる者などもたまにいる。
我が家の場合は王都にいる期間と領地にいる期間と半々くらいで、今はその王都にいる期間にあたる。
貴族屋敷は城の周辺に固まって建てられているので、王子が住む城からはすぐ近くなのだが、まだ10歳の第一王子がわざわざ侯爵家を訪れることなどあまりない。
ならなぜそんな機会が巡って来たかと言うと、この屋敷には少々珍しい庭があるからである。
なぜうちの屋敷の庭が珍しいのか。
まずジャローシス侯爵家は王国内では新参に当たる家だ。元は領地や屋敷を持たない爵位だけの貴族だったが、百年ほど前の魔獣災害の際に手柄を立てて陞爵し領地をもらった。
王都は古い貴族家から順に王城に近い場所に屋敷を建てていったため、新参になるほど城からは遠くなる。だがその代わり、少しだけ広い場所を割り当ててもらえる事になっている。
なので、うちはそこそこ広い土地をもらった。しかし、土地が広いからと言って大きい屋敷を建てられる訳ではない。
貴族社会は家格が物を言う。そして、魔術師系貴族は騎士系貴族に比べて権力が弱い。
侯爵家とは言え、新参の魔術師貴族なんぞが広くて豪奢な屋敷を建てたりしたら、古参貴族たちから「あれ?新参が調子乗ってます?」みたいなことを遠回しに言われ目をつけられてしまう。それはあんまりよろしくない。
そこで頭を捻った当時のジャローシス侯爵は、屋敷は小ぢんまりと建て、代わりにちょっと変わった庭を作ろうと思った。
ジャローシス侯爵領は広く温泉が分布しており、この国の他の土地に比べて温暖だ。そのため、植物や生き物もよそでは見かけない種類のものが多い。
わざわざ領地から草木を運んできて植え、池を掘って水を引くと、同じく運んできた魚やカエルなどの小さな生き物をそこに放った。運搬には結構苦労したとかなんとか。
結果できあがったのが、貴族の屋敷らしくない野性味あふれる庭なのだ。
…前置きが長くなってしまったが、要するに王子の訪問のお目当ては、その王都ではあまり見かけない生物が住んでいる庭なのだ。
リナーリアには「殿下は植物や生き物が随分とお好きらしくて、我が家の庭に興味を持たれたのだ」とお父様は言っていた。
だが、リナライトの記憶がある私には分かる。
殿下が見たいのは、我が領地に住む固有種のカエル、ミナミアカシアガエルなのだと!
そう、殿下は無類のカエル好きなのだ。
理由はわからない。とにかくあのフォルム、あの跳ねる動き、鳴き声、全てに心惹かれるらしい。
文武両道で容姿端麗、少々寡黙だが寛大で優しい性格と非の打ち所がない完璧な王子であるエスメラルド殿下の趣味としてはいささか不思議な感じだが、リナライトが初めて会った時も、殿下はじっとカエルを観察していたのだ。
私がそのミナミアカシアガエルという少々珍しいカエルのことを知っているのも、前世で殿下が教えてくれたからに他ならない。
…その殿下のささやかな趣味の時間を、私は台無しにしてしまったのではないだろうか。
そして、お父様とお母様には大恥をかかせてしまった。
お父様はあまり野心のあるタイプではないが、せっかく訪れた機会なのだ。未来の王である第一王子と親しくなっておいて損はない。
それなのに…。
恥ずかしさと罪悪感とで消えてしまいたくなりながら大きく頭を下げた私に、お父様が苦笑する気配が伝わる。
「もういいよ、リナーリア。座りなさい。食事にしよう」
「そうよ。ほら、せっかくの朝食が冷めてしまうわ」
お母様も、すでに落ち着いた様子の私にほっと安心したようだった。
昨日泣いていた時は随分心配していたようで、殿下への応対のため私の側を離れる事をずいぶんと気にしていたので申し訳なく思う。
テーブルの上にはスープにパン、スクランブルエッグにちょっとした付け合せの野菜。
ジャローシス侯爵家は特に貧乏ではないが、無駄な贅沢はお母様が禁じているので貴族としては質素な朝食だ。
「あの…殿下のご様子は…。気を悪くされていませんでしたか?」
パンをちぎりながら、私はどうしても気になっていたことを口にする。
お父様は少し笑うと、「大丈夫だよ」とうなずいた。
「少しお話をした後、熱心に庭を見てから帰られた。…殿下はお優しい方だな。お前のことを心配していたよ」
私はほっと息をつく。良かった…。
コーネルからも同じことを言われていたが、どうしても不安だったのだ。
殿下が優しい方なのは私もよく知っているが、あれほどの失礼を働いてはさすがに気を悪くしたのではないかと。
だけど、屋敷の主人としてずっと殿下に応対していたお父様が言うならば間違いないだろう。
「…しかし、お前は一体どうしてあんなに泣いてしまったんだい?」
お父様が怪訝そうに言う。お母様も心配そうな顔だ。
「それは…、その…」
「言ってごらん。怒らないから」
「つ、つまり…その」
「うん」
「か、感極まってしまったのです…!!」
お父様とお母様がぽかんと口を開けた。
羞恥で顔が真っ赤に染まるのが分かる。くっ、恥ずかしい…!!
でも、まさか「前世の記憶が蘇って懐かしさのあまり泣きました」とは言えない。あまりに突拍子がなさすぎる。私自身、今の自分の境遇がまだ飲み込みきれていないのだ。
ならば「あれは感涙でした」と言うしかない。それであんな泣く子供がいるか?という話だが。
「うーん…それって、殿下にお会いできて嬉しすぎて泣いてしまった、ということ?」
お母様がよく分からないというように首をかしげる。
「お前、そんなに殿下のことが好きだったのか?」
お父様も不思議そうだ。
当然だろう、あの時記憶が蘇るまで、リナーリアは第一王子にそれほど興味を持っていなかった。まあ10歳の少女としてごく当たり前に、ほんの少しの憧れを持っていた程度だ。明らかに不自然と言える。
でもここはもう、この設定で押し切るしかない。
恥ずかしさをこらえて断言する。
「そうです…!私はずっと殿下に憧れていたのです!だから!嬉しくてつい泣いてしまったのです!!」
「……」
沈黙が落ちた。
…だめだ。消えてしまいたい。
するとなぜか、お母様の顔がみるみると明るくなっていった。
「まあ…!まあまあまあ!そうなのね!そうだったのね…!!」
え、なんでそんな嬉しそうなんですか…?
戸惑う私をよそに、お母様はうきうきと横のお父様に話しかける。
「あなた、早速殿下に手紙を送りましょう。先日のお詫びをしたいって。またいらして頂くのは難しいだろうから、お城に伺ってお会いできないか尋ねましょう」
「え?いや…詫びの手紙はもちろん送るつもりだが、お会いするのはもう少しほとぼりが冷めてからの方が良くないか…?」
「ああ、それもそうね…ではまずお詫びの手紙を送ってから…」
なぜだかやる気に満ちている様子のお母様を止めるべきか少し迷ったが、結局私は口をつぐんだ。
殿下に直接お詫びをしたいのも確かだし、何より少しでも殿下に近づけるならどんな口実でも利用しなければならない。
下っ端侯爵家程度の貴族令嬢は、本来ならば殿下に会う機会があるのはもっとずっと後なのだ。
「…リナーリアも、それでいいかい?」
物思いにふけっているところに急に呼ばれ、私は顔を上げた。
半分も話を聞いていなかったが、どうやらとりあえずお詫びの手紙を送り、様子を見てから会っていただけないか頼むという流れで話がまとまったらしい。
否やもなく、私はうなずいた。
「はい!よろしくお願いします、父上、母上…!」
力を込めてそう言うと、二人はきょとんとした。
…あれ?
「…リナーリア。どこで覚えたのか分からないけれど、おかしな言葉遣いをしてはいけないよ。いつも通り、お父様やお母様と呼んでくれ」
「あっ!!」
しまった!つい、前世のような呼び方になってしまっていた。殿下のことばかり考えていたからだろうか。
「す、すみません…お父様、お母様…」
肩を縮こまらせた私に、二人は「わかればいい」と笑ってくれた。