世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第37話 男装の麗人

「うーん…寒いなあ…」

冷える手をこすり合わせながら、私は一人女子寮の廊下を歩いていた。

年末年始の女子寮の見回り。これは生徒会役員としての仕事である。

この時期は寮の職員もそれぞれ交替で休暇を取っているので、普段の半分以下の人数しかいない。そのため、いつもは教師や職員がやっている寮内の見回りを生徒会の方で手伝っているのだ。

役員がいなければ居残っている生徒のうち信頼できる者に頼む事になるが、今年は私がいるので私が担当している。

見回りは午前に一回、就寝前に一回。今は午前の見回りだ。

 

人が少ないせいか、寮内はいつもより寒い。そして静かだ。

実家に帰らず寮に残っている生徒も、昼の間はアルバイトに行ったり図書館に行って勉強したりとほとんどが出払っているようだ。

上の階から下の階まで一応ちゃんと見て回ったが、人の姿自体ほとんど見かけない。ただ私一人が歩き回っているだけである。

でもまあ、こういうのは普段から繰り返して行うことに意味があるのだ。異状がないというのはいい事なのだ、うん。

 

私も午後からは図書館に行こうかなと考えつつ1階のロビーに戻ってくると、そこには意外な人物がいた。

黄緑色の特徴的な髪は見間違えようがない。スフェン様だ。

この人も寮に居残っている口だったらしい。

フリルのたっぷりついたゆったりとした白いシャツに、すらりとした黒いズボン。シンプルな装いだが、立っているだけで絵になっている。どうやら制服だけじゃなく私服も男装らしい。

「やあ、リナーリア君」

「こんにちは、スフェン様」

ぺこりと頭を下げる私に、スフェン様は優雅に微笑んだ。

「実は君を待っていたんだよ。良かったら、僕と一緒にランチに行かないかい?」

 

 

 

食堂には案の定ほとんど人がいなかった。

壁に貼られたメニューを見ながら、スフェン様が顎に手をかける。

「僕は豚肉のソテーにしようかな。君はどうする?」

「私はチキンのフリカッセにします」

今は生徒が少ないので、いつものビュッフェ形式ではなくいくつかのメニューから選ぶ方式だ。パンとスープのみがお代わり自由となっている。

今日は少し寒いので、鶏肉をミルクで煮込んだ優しい味のフリカッセはきっと体が暖まるだろう。

 

フリカッセから鶏肉をスプーンですくい上げながら、私は正面のスフェン様をちらりと見た。

彼女はいつも取り巻きのご令嬢達に囲まれているので、こうして一人で私の前に座っているのはなんだか不思議な感じだ。

「どうかしたかい?」

「いえ…あの、私を待っていたというのはどうしてですか?」

「そりゃもちろん、君と話したかったからさ。寒中水泳訓練の時の君は実に興味深かったからね」

「うっ…そ、その節は、大変ご迷惑をおかけしました…」

恥ずかしい記憶を掘り起こされ、私は恐縮する。あの時はスフェン様にもとてもお世話になった。

「ああ、ごめん、そういう意味じゃないよ。僕はとても感心したんだ。泳げないのに魔術なしであの水泳訓練をやるのはとても勇気がいっただろうに、君はよく頑張ったよ」

「…でも結局、救助訓練には参加できませんでした…」

しょんぼりしつつそう言うと、「そういう所もだよ」と優しい声がかけられた。

顔を上げると、スフェン様は暖かい目をして言う。

「君はあんなにフラフラだったのに、救助訓練はやめて帰れと言われた時、すごく悔しそうだった。普通ならこれで帰れると安心する所だよ。…君はとても意地っ張りで、そして気高いんだね。尊敬に値するよ」

「…そ、そんな事は…」

真正面から褒められ、私はつい赤面してしまった。悪い気分ではないが、とても恥ずかしい。

 

「それに、君のことは前から気になっていたんだよね」

「私がですか?」

「うん。君は新入生の中ではかなりの有名人だし」

「あはは…」

苦笑いするしかない。無駄に目立ってしまっている自覚はある。王子の友人と言うだけでもそれなりに注目されるのに、それ以外でも色々やらかしている気がするしな…。

でも、スフェン様ほどの有名人には言われたくない。

「もしかして今、僕には言われたくないと思ったかな?」

「えっ」

鋭い。

びっくりして顔を上げると、スフェン様はこちらを見透かすように私を見ている。

…やはり、なかなか一筋縄ではいかない人物のようだな。

 

「まあ、僕も結構な有名人なのは確かだけどね。僕の噂は知っているんだろう?」

「…ええ、まあ」

同性愛者であるとか、それは昔愛した少年が死んだ反動であるとか、不特定多数の貴族のパトロンがいるとか、実は御母上とある俳優との不義の子であるとか、いやいや王家の血筋であるとか、スフェン様を取り合って上級生のご令嬢達が殺し合いを繰り広げたとか、明らかにそれは嘘だろうというものも含めて物凄く色んな噂がある。

本人はその全て、否定もしなければ肯定もしないという話も聞いている。あまり快いものではないだろうに。

 

 

「…先程、スフェン様は私を気高いと褒めましたけれど。私は、スフェン様の方がずっと気高いと思いますよ」

「うん?」

スフェン様は不思議そうに首を傾げた。

「そのように自分を貫かれるのは、とても辛くて大変なことだと思います。なのに貴女は自分を曲げず、笑みを絶やさず、周りの者に優しくていらっしゃいます。…それこそ、尊敬に値する事です」

 

…彼女は学院入学前からずっと男装をしていると聞いている。この貴族の世界で、女性が男装を続けるのは私が想像する以上に大変なことのはずだ。

男は男らしく、強くて逞しく勇ましくあるべき。女は女らしく、優しくたおやかで美しくあるべき。実際はさておき、それが貴族の間で尊ばれる理想像なのだ。

魔術師がその役割の重要さに反して騎士よりも軽んじられる風潮があるのも、この古臭い価値観のせいだと私は思っている。

 

しかし、彼女が受ける偏見や差別は魔術師の比ではあるまい。

ただ男の服を着ていると言うだけで、嘲笑され侮蔑されるのは日常茶飯事だろう。

女性騎士が身に着ける正式な礼服ですら「女性なのにズボンである」というだけで馬鹿にする人間もいるのだ。髪を短くしているのも当然批判の対象である。

実際、学院でもそうやってスフェン様に対し「女のくせにみっともない」という類の陰口を叩いている生徒を私も見た事がある。

こうして今、年末だというのに実家に帰らず寮にいるのも、きっとそれと無関係ではないのだろう。

彼女の実家のゲータイト領は有名な塩の産地の一つで、伯爵家の中でも特に由緒正しく裕福な家だ。爵位こそうちが上だが、新参侯爵家のうちよりもよほど権力があると思う。

その実家で彼女は疎んじられているらしいという噂を耳に挟んだ事があるが、恐らく事実ではなかろうか。

貴族の娘にこのような振る舞いが許されるはずがない。それが古い家なら尚更だ。

 

だが、それでも彼女は男装をやめない。

何故、何のためにそれを貫きたいのかは知らないが、少なくとも強い意志がなければできないことだ。並大抵の覚悟ではないと思う。

前世の私は彼女にもその生き方にも興味はなかったが、今世の私には、彼女の孤独さが少しだけ分かる気がする。私もまた、前世の記憶を持つという意味で周囲とは異質な人間だからだ。

しかも周囲に隠している私とは違い、彼女は堂々とその生き方を貫いている。

それは尊敬すべき事だと、私は思うのだ。

 

 

尊敬の気持ちを素直に口にすると、スフェン様はしばらく黙り込んだ。

じっと私の顔を見つめ、それから嬉しそうに微笑む。

「…そうか。君はそういう考え方をする人なんだね。…それは、とても嬉しいな」

ふふっと笑うその顔は、それまでの優しく包み込むような笑みとは違い、年相応の少女のもののように見えた。

 

「僕の目に狂いはなかったみたいだね。いや、予想以上かな。本当に嬉しいよ。…良かったら、もう少し僕の話を聞いてくれるかな」

スフェン様の目は真剣だった。私は無言のままでうなずく。

「ありがとう。…実はね、君は僕と同じなんじゃないかと思っていたんだ」

「同じ?」

「うん。君、僕が同性愛者だって噂も当然知っているよね?」

「…はい、一応…」

少々警戒しつつうなずく。だが、スフェン様はあっさりとこう言った。

「それは嘘なんだ。いや、真実じゃないって言うのが正しいかな」

 

「…?」

どういう意味だろう。首をかしげる私に、スフェン様は少しだけ苦笑する。

「僕は確かに、女の子が好きだ。女の子は可愛くて見ていると楽しいし、心が和む。…でもだからと言って、彼女たちに恋愛的だとか性的な興味がある訳じゃないんだよね。少なくとも、生まれてこの方女の子にそういう感情を抱いた事はない。かと言って、男性にも興味がない。理由は色々あるけれど、男性相手に恋愛感情を抱く事はないだろうね」

「それでは…」

「うん。つまり僕は、恋愛というものに縁がない人間なんだと思う」

 

 

「なるほど…」

私はひっそりと納得した。

前世でも今世でも、彼女が同性愛者だという噂を聞きはしても、実際に彼女と交際しているという女性の話は全く聞かなかったのだ。

彼女を取り合って勝手に争ったご令嬢の話は聞いたが、結局そのどちらとも深い関係はなかったという話だった。

「では、男装しているのは…?」

「これは僕の意思表示なのさ。『普通の令嬢として生きるつもりはない』っていうね。…あとはまあ、ただの趣味かな。ドレスは性に合わなくてね」

さらりと言っているが、かなり大変なことを聞かされている気がする。家族や先生に聞かれたら大問題になるだろう。もうなっているのかも知れないが。

 

思わず無言になった私の様子を見ながら、スフェン様は言う。

「そこで、君の話になる訳だが。…君の周囲には、僕の目から見ても魅力的な殿方がたくさんいるよね?舞踏会デビューの時もずいぶんと人気だったと聞いたよ」

「ああ…、それは…まあ」

私の周囲と言えば殿下と、スピネルと…アーゲンとかか。勝手に絡んできてるだけだが、一応オットレもか?性格は最悪だが顔は悪くないし王位継承権も高いからなあいつ。

皆、世間一般から見て魅力的な男性なのは間違いないだろう。

 

「でも僕には、君は恋する乙女のようには見えない。王子殿下とはずいぶんと仲が良さそうだけど、正直に言ってこう…」

スフェン様は言葉を切って少し迷う。ちょっぴり嫌な予感がしつつ、私は「どうぞ」と先を促す。

「…なんというか、懐いている子犬のようだ」

「……」

それは前世でわりと言われた。『王子の忠犬』というやつだ。

今世ではさすがに言われてなかったが…やっぱりそう見えるのか…。

「…気を悪くしたならすまない」

「いえ…」

ちょっとへこむけど自覚は一応ある。

悪意つきで言われたのなら絶対に許さないが、スフェン様は悪気があって言っているのではないとわかる。へこむけど…。

 

スフェン様は一つ咳払いをした。

「まあ、それでだ。だからって君が同性に興味があるようには見えないんだ。僕の周りにはそういう子が結構いるからね、それだったら雰囲気ですぐに分かる」

それはその通りだ。今の私は特に女性に興味はない。

前世では一応興味があったし人並みに恋をしたりもしたが、肉体が女性になったからか、はたまたトラウマのせいか、そういう関心が全く失せてしまった。

そして私は男性にも興味がない。

今では女である自分にすっかり慣れてはいるが、男だった頃の記憶もしっかりと残っているので、男をそういう対象だと考えることはできそうにない。

 

「…スフェン様のおっしゃる通りです。私は男性にも女性にも、恋愛的な興味はありません。生まれてから一度もそういう気持ちを持ったことがありませんし、持ちたいとも思いません」

そう口に出すと、自分でも驚くくらい胸がすっとした。

本当は今までずっとそう言いたかったのだ。

でも信じてもらえるとは思えなかったし、おかしな目で見られては困ると思って曖昧にごまかしたり遠慮した振りをしてやり過ごしてきた。

 

 

私は少しの決意と共に、スフェン様の目をまっすぐに見る。

「…周囲の方々は、皆私に言うのです。一体誰が好きなのかと」

「うん。そうだろうね」

「でも違うんです。私は殿下が好きですけど、恋愛感情ではないですし、別に王子妃になりたいなんて思ってないんです。ただお役に立ち、忠誠を尽くしたいだけです。愛されたい訳ではありません」

「うん」

「スピネルだって、まあ嫌いではないですけど、ただの友達です。なんでそんな風に思われるんでしょうか。絶対にごめんですし、全然意味が分かりません」

「うん」

「他の殿方もそんな対象と思いません。友人にはなれても恋人や結婚相手にはなりたくありません。困ります。やめてほしいです」

「うん、よく分かるよ」

スフェン様は深々とうなずいた。

 

「僕の場合、相手は殿方じゃなくてご令嬢だけどね…僕の恋人になりたいという子が跡を絶たない。そうじゃなくても、あれこれ邪推してくる者ばかりだ。どうして皆、ああも色恋沙汰が好きなんだろうね?そういう関係なしに仲良くするのはいけないことなのかなと思うよ」

その通りだ。どうして特定の誰かを選ばせ、特別な仲になることを期待するんだろう。

恋だとか愛だとかそんなに大事なものだろうか。男だろうが女だろうが、ただ友人として、臣下として近くにいてはいけないのか。

「分かります。すごく分かります…!!」

思わず拳を握りしめ、身を乗り出す。

私とスフェン様は静かに見つめ合った。

それからどちらともなく手を差し出し、ガッチリと握手をした。

 

 

「…今日、君と話せて良かったよ。今までずっと、僕の気持ちを分かってくれる人はいなかったからね」

「私もです。こんな事、誰もまともに聞いてくれないと思っていましたから…」

食後の紅茶を飲みながら、私はほうっと息をついた。

前世は男だったのに、なぜか女として生まれ直した。こんな私の気持ちを理解できる人などいる訳ないと思っていたのだが、思わぬ方向から理解者が現れて驚きだ。

彼女は私の事情など何も知らないし、私もまた彼女の事情など知らない。

お互いまるで違う事情なのだろうが、それでも確かに分かり合える部分がある。何だかとても不思議な気分だ。

 

「良かったら、これからもこうして話をさせて欲しい。お互い、他の者には話せない事も沢山あるだろうし」

「はい!もちろんです!いつでも歓迎させていだたきます」

「君も、いつでも僕を訪ねてきてくれ。何か困った事があったら言って欲しい。必ず力になるよ」

「ありがとうございます…!」

これは正直色々な意味で有り難い。何しろ彼女は女子生徒に多大な影響力を持つのだ。いざという時きっと頼りになるだろう。

 

「どうぞよろしくお願いします、スフェン様」

頭を下げた私に、スフェン様が爽やかに笑う。

「様はいらないよ。スフェンで良い」

「で、でも上級生ですし…。…では、スフェン先輩…でいかかでしょう?」

「先輩…。なるほど、それはなかなか悪くない響きだね」

どうやら気に入ったらしい。私とスフェン先輩は笑い合うと、もう一度しっかり握手をした。

「よろしくお願いします、スフェン先輩!」

「ああ、リナーリア君!」

 

…こうして、私は新たな友情を得る事となったのだった。

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