世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
しばらく走ると、前方が明るく開けているのが見えてきた。
森の北端まで来たのだろう。この先は崖になっているはずだ。
「いたぞ!魔獣だ!」
先頭の殿下が叫び、走りながら剣を抜き払った。
他の者もそれぞれ剣を抜き、私とペタラ様はいつでも魔術を使えるように集中して魔力を練っておく。
木々の間を抜けると、青黒い大きな蛇が見えた。
鎌首をもたげた状態でも高さ2メートル以上あるだろう。背中には、体長に比べると小さめの翼がついている。飛行能力は低そうだ。
蛇に対して長い剣を向けているのはストレングだ。もう一人剣を持った男子生徒がいるが、負傷しているようで膝をついている。
蛇の後ろ、崖の近くに座り込んでいるのはアラゴナ様のようだ。あちこち汚れているが、それほど大きな負傷はなさそうで少し安心する。
「助けに来たぞ!!」
大声でそう呼びかけた殿下に、膝をついていた生徒とアラゴナ様がこちらを振り向く。ストレングは蛇の相手でそれどころではなさそうだ。
「アーゲン様が!」
アラゴナ様が叫んだ。
「アーゲン様が、崖下に…!このままでは流されてしまいます!」
川に落ちたのか。まずいな、急いだ方が良さそうだ。
だが、まずはアラゴナ様の安全を確保だ。
「魔獣を手前に引き寄せます!間合いに注意してください!」
「ああ!」
「おう!」
それぞれから返事が返るのを待たずに、私は大量の水を呼び出した。ここは森があり川も近いので水気が多く、水を呼びやすい。
アラゴナ様と蛇の間を狙い、壁を作るような形で水を落とす。
アラゴナ様の悲鳴が聴こえた気がするが、多少の水しぶきは我慢して欲しい。
蛇の魔獣が背後の水を避けて身を捩る。振り回された尻尾を叩きつけられ、ストレングが吹き飛んだ。
「ぐっ…!」
うめき声が上がるが、ストレングもまた優れた騎士だ。辛うじて受け身を取ったようだ。しかし恐らく、すぐには動けないだろう。
蛇が鋭い牙の生えた口を大きく開けて雄叫びを上げ、こちらに向かってきた。それに正面から向かい合い、殿下が指示を出す。
「俺が注意を惹き付ける!スピネル、ニッケル!」
「わかった!」
「はい!」
私もまた、たくさんの水球を呼び出しながら叫ぶ。
「私は足止めをします!ペタラ様は目を狙ってください!」
「はい!」
「貴方は下がってください!」
私の叫びを受け、膝をついていた男子生徒がよろめきながら後ろに下がる。やや傷が深そうだが、治癒は後回しにするしかない。
あえて蛇本体には当てないようにしていくつもの水球を細かく操り、蛇が進もうとした先に回り込むように動かす。
上空にも水球を複数浮かべているので、空を飛んで逃げるのは難しいはずだ。水球に囲まれその場に釘付けとなった蛇が、苛立ったように身体をくねらせる。
蛇の巨体に、スピネルとニッケルが素早く幾度も切りつけていく。
やはり防御力はそれほど高くないようだ。徐々に傷が増えていく。
殿下は常に左右に動き、襲いかかる牙を避けたり弾いたりしつつ蛇の正面の位置を維持して注意を惹き続けている。相当なプレッシャーだろうに、素晴らしい胆力だ。
少しずつ確実に、蛇にダメージが蓄積していく。本当ならこのまま削り殺したい所だが、急がなければいけない。
起き上がったストレングが再び蛇に向かっていこうとするのを見て、私は決断をする。
「スピネル、蛇の動きを止めます!アラゴナ様を連れて脱出できますか」
「ああ。やってみる」
スピネルは間髪入れずにうなずいた。
「ニッケル様、ストレング様、スピネルがアラゴナ様を助けるまで蛇の注意を引いてください!特に尻尾を!」
「はい!」
「承知した」
ニッケルとストレングが返事をする。
「ペタラ様、防御魔術の準備を。私が合図をしたら、ニッケル様とストレング様に結界をお願いします!」
「わかりました!」
そして、最後に殿下へと呼びかける。
「殿下!!」
蛇の攻撃を受けて大きく飛び退った殿下は一瞬だけ私を振り返った。
「殿下は蛇の頭をお願いします!…どうか、私を」
「わかった。君を信じる」
…信じてくださいと、そう言おうと思ったのに。
それよりも先に殿下が答えてしまった。どうして私の言いたいことがわかったのか。
思わず湧き上がりそうになる感傷を無理矢理抑え込む。
水球を撃ち出しながら、私は叫んだ。
「今です!行ってください!」
いくつかの水球の直撃を受けた蛇が吠えた。
すかさず駆け出したスピネルが、蛇の背後に回り込もうとする。
蛇はスピネルを止めるために動こうとしたが、私は周囲の蔦を操り蛇の身体を拘束した。もがくその尻尾をストレングとニッケルが、鎌首を殿下が攻撃する。
蛇が大きく暴れ、蔦が何本か引きちぎられた。
走るスピネルがアラゴナ様を抱え上げ、そのまま脱出する。十分に距離を取ったのを見てすぐに指示を飛ばす。
「ニッケル様、ストレング様、下がって!ペタラ様、結界を!」
「はい!」
背後に跳んだニッケルとストレングを光の壁が包む。
「殿下、頭を!」
「ああ!」
殿下が大きく前へと踏み込む。
私は精神を集中させ、蛇を睨みつけた。
『炎よ、天を衝く柱よ!』
轟、と蛇の巨体が大きな炎の柱に包まれる。
それと同時に、高く跳んだ殿下の身体が淡く輝いた。
「…はあっ!!」
横薙ぎの一閃を受けた蛇が、その動きをぴたりと止める。
数秒の空白の後、蛇の首がずるりとずれ落ち…地面に転がり、大きく燃え上がった。