世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
王城に行ってから2週間後、殿下はスピネルと護衛を連れて再びジャローシス侯爵屋敷を訪れた。
殿下とスピネルと3人で庭を歩き、カエルや虫、周りの植物などを眺める。
「こちらはマツカサアヤメといいます。名前の通り、松笠みたいな形の花でしょう?冬には花を落としますが、領内だと特に暖かい場所に限って一年中咲く場合もあります」
「ほう」
「変わった形だが、一年中咲くというのはいいな。女性に喜ばれそうだ」
スピネルらしい感想だ。まだ12歳だろうにこいつ…。
「こっちはコガネランソウですね。切り傷や裂傷によいので、騎士には薬草として重宝されています。私も修行の際にはお世話になりました」
「修行?剣の修行をしているのか?」
殿下がきょとんとしてこちらを見た。
しまった!うっかり前世の話をしてしまった。
騎士の家系ならば剣術をやる貴族令嬢はたまにいるが、我が家ははっきりと魔術師系だ。
実際リナーリアは、兄たちに子供用のおもちゃみたいな剣で少々遊んでもらった程度しか剣を持ったことはない。
「いえその…遊びのようなものです」
笑って誤魔化す。お父様やお母様が聞いてなくて良かった。突っ込まれたら困る。
「魔術が苦手なのか?」
そうスピネルが尋ねてきたのは、魔術が苦手な場合は護身のために剣術を習わせることもあるからだろう。だが私は「いいえ」と首を振る。
両親譲りの高魔力があることは家庭教師である魔術の先生から認められているし、前世でも私は魔術が得意だった。
剣術はせいぜい人並み程度の腕前だが、魔術なら王宮魔術師ともいい勝負ができる自信があった。…まあ、それでも殿下のことを守れなかったのだが…。
リナライトの知識と経験があるので、今の10歳の私でもすでに一人前の魔術師として認められるくらいの魔術は使えると思う。いつ何があってもいいように、隠れてこっそり修練を積んでもいる。
年齢を考慮し、家庭教師からの魔術の授業の際にはだいぶ手加減しているが、それでも先生からは急激な成長を驚かれてしまった。
「ジャローシス侯爵家は水の魔術が得意なんだったな」
「はい。幸い、私もその才能を受け継いだようです。母も水魔術が得意なピアース家の出身ですし」
高魔力者同士なら高い確率で高魔力の子供が生まれる。貴族が貴族同士でしか結婚したがらないのはこれが最も大きな理由だ。
魔獣の多いこの国では、魔力の有無は生死に直結する。
「兄二人も、優れた魔術の才能があると家庭教師から太鼓判をいただいています」
「なるほど。ならばジャローシス侯爵家は安泰だな」
その時、庭先にお母様の姿が見えた。きっとお茶に誘いに来たのだろう。
「お二人共、そろそろ休憩しませんか。お茶にいたしましょう」
思った通り、テラスにはすでにお茶の用意がされていた。お茶うけは数種類のクッキーだ。
殿下の好物はドライフルーツの入ったケーキだが、それが知られているせいでどこに行ってもフルーツケーキを出されることが多い。
我が家も前回の訪問ではフルーツケーキを出したそうだが、「今回は違うお菓子の方が良い。バターたっぷりのクッキーとか」と私が言ったので、今日は料理人が朝から焼いて用意してくれた。
思った通り、殿下はバタークッキーをよく食べている。バターをふんだんに使ったシンプルなクッキーも、実は結構好きなのである。
ちなみにスピネルはそれほど甘いものが好きではないのか、甘さ控えめなチーズクッキーを少しだけつまんでいたが、まあどうでもいい。
お母様も交えて、お茶を飲みながら4人でしばし雑談をした。
殿下はカエル以外の事に関しては言葉少なになりがちなので、どちらかと言うとスピネルやお母様の方と話す形になっていたが、それでもだいぶ打ち解けられたんじゃないかと思う。
帰り際、殿下は少しだけ二人で話をしたいと言い、私を伴ってまた庭に出た。
二人と言っても少し離れたところにはスピネルや護衛が控えているのだが。
草木の生い茂る池を眺めながら、殿下は言った。
「今日はありがとう。どうやら父君より君の方が生き物には詳しいようだな。とても楽しかった」
「それは良かったです。私も、とても楽しかったです」
そう笑うと、殿下はこちらを振り返った。
懐かしい翠の瞳が、傾きかけた太陽に照らされながらじっと私を見つめる。
「今日、君は僕とスピネル以外の前ではカエルの話をしなかったな」
「…はい。殿下は、ご趣味のことをあまり周囲に知られたくなさそうだったので」
殿下はごく小さく苦笑すると、ちらりと池の方を見る。
「あまり理解されないんだ。これは」
私は無言でうなずいた。
カエルに興味を持つ人というのは滅多にいない。女性など、気持ち悪がって近付かない人も多い。前世でも私が出会った時にはすでに、殿下はこの趣味を隠そうとしていたように思う。
「…良かったら、これからも時々話し相手になってくれないか?」
私は少し驚いた。
打ち解けられたとは感じていたが、これほど真っ直ぐに友誼を求められるとは思わなかったのだ。
前世の記憶をひっくり返してみても、殿下が誰かにこのような申し出をしていたことはほとんどなかったはずだ。
じわじわと、純粋な嬉しさが胸に広がる。
殿下は生まれ変わっても、私が女になっていても、こうして友人になってくださるのだ。
カエルという共通の話題を利用してのことではあるのだが、前世でも仲良くなったきっかけはカエルだった。
懐かしいその記憶を思い出し、私はたまらずにいっぱいの笑顔を浮かべる。
「…はい!喜んで…!」
私があまりに嬉しそうだからか、つられて殿下も笑顔になった。いつも無表情なのでなかなかレアである。
「ありがとう、リナーリア。…だけど、僕は頻繁に城を出る訳には行かないんだ。すまないが、時々城に来てくれると嬉しい」
殿下は、基本ずっと城にいる。
実際には王都内に限りまあまあ外出もできるしするのだが、第一王子ともあろう者が一つの貴族の屋敷に通い続けるというのはまずい。
私は殿下を守るためできるだけ殿下に近しい友人になりたいだけなのだが、殿下の周囲はそうは見ない。
ジャローシス侯爵は娘を使って王子に取り入ろうとしている、そう解釈する者がほとんどだろう。
もしそうなったら、お父様を排斥しようとする者、あるいは自分の派閥に取り入れようとする者などがどんどん出てくる事は想像に難くない。
お父様もお母様も、野心からは遠い方だ。お祖父様あたりはどうか分からないが、家族に迷惑を掛ける訳にはいかない。
私がたびたび城に行くと言うのもそれはそれで人目につくだろうし、いずれは噂になるかもしれないが、お父様やお母様を連れずに私だけで行けばそれほど問題にならないだろう。なんと言ってもまだ10歳の子供なのだ。
だから私は「承知いたしました」と答えたのだが。
「あっ…でも私、再来月には領に戻らなければならないのです」
その頃には夏が終わり、秋が来る。それは社交シーズンの終わりを意味していて、一部の者を除きたいていの貴族は領地に戻る。
「ああ…そうか」
殿下は残念そうな表情になった。領地に戻れば、およそ半年は王都には来られない。
お父様は冠婚葬祭など何かの行事の折には来ることもあるが、10歳の娘がそれについていくという事はあまりない。
「大丈夫です。手紙を書きます。領地で観察したカエルのことも、たくさん書きます」
「本当か」
殿下の顔が明るくなる。
「約束です」
私は笑って、右手の小指を持ち上げた。
少しだけ照れくさそうな顔で、殿下はそこに自分の小指を絡めた。