世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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挿話・15 誘惑と誘拐(後)

「大丈夫だ、クララ。すぐに助けが来る」

せめて彼女の事は元気づけようと話しかけると、クララは不安そうに潤んだ目でこちらを見上げた。

こんな時に不謹慎だと思うが色っぽい。しかも豊満な胸の谷間がもろに目に入ってくる。

「…あなたのお家、お金持ちなの?」

ちゃんと身代金が払えるか心配なのだろうか。貧乏だったり借金を抱えている貴族というのもそこそこいるのは確かだ。

「まあ、それなりに有名な家だ。金もある」

家名を出す訳にもいかないのでぼかしつつ答える。

別に嘘は言っていない。助けに来るのは実家ではなく王宮の騎士だろうが。

 

「それ、本当…?」

身を乗り出してきた彼女の手が身体に触れてくる。上目遣いのまま、クララは言葉を続けた。

「どこのお家なの?」

「あー…いや…」

言葉を濁しながら目を逸らす。

手どころか胸がこちらの腕に当たりそうなのが気になって仕方ない。

 

 

 

彼女には答えてもいいかと思った時、ゆっくりと馬車が停まった。

外で人が歩き回る気配がする。よく聞き取れないが、話し声もする。アジトに着いたのだろうか。

外門を通った様子はないし、きっと人気のない王都の外れの辺りだろう。

やがて荷台の幌が開いた。いかつい髭面の男が顔を覗かせる。

かなり上背があるらしく屈み込んでいる男の腰には2本の剣が下がっていて、そのうちの片方は自分の剣だと気付きスピネルは舌打ちをしたくなった。

あれは父から贈られた業物だ。誘拐犯ごときに触れられたくはない。

 

「降りろ。女が先だ」

「はい…」

クララは一瞬すがるようにスピネルの目を見つめると、大人しく男の指示に従い荷台から出ていった。

「次はお前だ」

「……」

スピネルは無言で腰を上げた。

荷台の幌の隙間から外を窺うと、クララの他に髭面の男を含めて男が3人。後ろには粗末な小屋が見える。

男のうち1人は魔術師のようだ。自分が出てきたらすぐに眠らせる気なのか、杖を持って待ち構えている。

やはり、逃げるチャンスはなさそうだ。

 

「おい、早くしろ」

髭面の男に急かされ、仕方なく荷台から降りようとした所で、遠くから何か聞こえてくる事に気付いて動きを止める。

…馬の蹄の音だ。

男たちもそれに気付いたらしく音の方向を振り向き、「誰か来るぞ!」と色めき立って剣を抜いた。

近付いて来る馬を睨み、それから驚きと困惑の混じった声を漏らす。

「…ガキだと?」

「でっ…!?」

殿下、と叫びそうになるのを必死でこらえた。

馬上にいるのは小さな人影。遠目にも分かる淡い金髪をなびかせた少年。

王子だ。

 

魔術師の注意も馬へと向いていると分かった瞬間、咄嗟に身体が動いた。荷台の床を強く蹴り、外へ飛び出す。

無我夢中で体当たりをした魔術師ごと、スピネルは地面に転がった。

「ぐはっ!?」

みぞおちに頭突きを食らった魔術師が腹を抑えて悶絶する。

「てめえっ…」

「バカ、それより馬が来る!!」

髭面の男がスピネルに剣を向けようとするが、もう一人に注意されて慌ててまた振り返る。

激しい蹄の音と共に、王子を乗せた馬がすぐそこまで迫っていた。

 

 

男たちがどれほど手練だったとしても、走る馬の勢いに人間が敵うはずがない。

両側に跳んで避けた男たちの間を駆け抜けながら、王子が名前を呼んだ。

「…スピネル!!」

急いで集中して火の魔術を使い、腕を縛っているロープを燃やす。

「ぐっ…!!」

ロープが燃え落ちるのと同時に皮膚が焼け、激しい苦痛が走るのを歯を食いしばって耐えた。

 

「大人しくしてろ!!」

両手が自由になったスピネルに気付き、体勢を立て直した髭面の男が斬りかかろうとするが、そこに馬首を返した王子の馬が再び迫ってきた。

焦った男がそれを避けようと動く。スピネルは迷わず前に踏み出した。

王子の馬が駆け抜けた、その風圧すら感じるほどの間髪入れぬ刹那を狙って男に走り寄る。

そして、電撃の如き速さで男の腰に差された自らの愛剣を抜き取った。

走る勢いを利用して身体を大きく回転させ、男の方へと向き直る。

 

剣さえあれば。

剣がこの手にありさえすれば、相手が自分よりもはるかに体格のいい凶漢だろうと、そうそう負けるつもりはない。

驚いた男が体勢を立て直すその前にと考える間もなく、身体が動く。

逆手に持ったままの剣を斜め上へと振り抜いて男の剣を弾き飛ばし、さらに振り向きざまに男の背を斬り付けた。

 

 

「ぐおっ…」

くぐもった悲鳴を上げながら髭面の男が倒れ込む。

その向こうで、ようやく起き上がった魔術師の男が魔術を使おうとしているのが見えた。視線の先にいるのは馬に乗った王子だ。

まずい、と焦りが浮かぶが、男はいきなり大きな火球を食らって吹き飛んだ。

馬に乗った護衛の騎士が、王子を追ってすぐ近くまで来ていたのだ。その後ろには護衛の魔術師も乗っているので、火球はそちらが放ったものだろう。

 

誘拐犯の3人のうち、残った最後の男はその場から逃げ出そうとしていたが、護衛の騎士が馬を走らせ馬上から剣を振るった。

男は何とかそれを避けようとするが、そこに雷の魔術を食らってあっさりと倒れる。

王子の護衛は手練揃いで、しかも騎士と魔術師の両方が揃っているのだ。勝てるはずもない。

 

 

急いで馬を止めて降りた騎士は、同じく馬から降りた王子へと駆け寄った。

「殿下!!ご無事ですか!!」

「何ともない」

王子は軽く答えると、スピネルの方を振り返る。

「それよりスピネル、大丈夫か」

「あ、ああ…」

今更ながら呆然としつつ、スピネルは答えた。

助けが来るとは思っていたが、あまりに早すぎる。それに。

「…なんで殿下が来るんだ?」

自分の救助に、王子自ら先陣を切ってやって来るのはおかしい。危険すぎる。

 

「お前、カフスボタンを落として行っただろう」

「ああ…うん」

意識を失う直前、咄嗟に左手首のボタンを千切って落とした。両手で対になっているこのボタンがあれば、探索の魔術を使って居場所を見つけやすくなるはずだからだ。

気付くかどうかは分からなかったが、気付いてくれたらしい。

 

横の護衛の騎士が顔をしかめる。

「スピネル殿の姿が見えないと気付いたすぐ後、殿下が近くでそのボタンを見つけたのです。それで魔術師殿に探索魔術を使ってもらったのですが、大まかな方角を聞いた途端、殿下が近くの馬に乗って走り出してしまって…」

「繋いであったのを勝手に借りてしまったな。後で謝罪をしなければ」

「そういう問題ではありませんよ!お一人で先に行かれるなど、なんて事を」

騎士と魔術師も慌てて後を追ったが、他に馬は一頭しかなかった。大人の二人乗りは重いので、子供一人しか乗っていない王子の馬にはとても追いつけず、それで到着がやや遅れたのだ。

 

 

「…何て無茶しやがんだよ…」

何とも表現し難い複雑な気持ちで、スピネルは呟いた。

嬉しいやら呆れたやら情けないやらが入り混じり、これ以上何を言って良いのか分からない。

王子が誰かの危機を見過ごせるような人間ではない事は知っている。

しかし相手が3人しかいなかったから良かったようなものの、もっと大人数だったり、罠が張ってあったらどうなっていた事か。

 

「俺も、最初は近くまで来たら身を潜めて機を窺うつもりだったんだ。しかし、馬車の中からお前が顔を出しているのを見たら、今が好機だという気がして」

「いやいやいや…」

思わず頭を抱えてしまうが、実際見事なタイミングだったのだ。

男たちは馬車から降りようとしているスピネルの方に気を取られていたし、特に魔術師は眠りの魔術の準備をしている所だった。

だから馬で近付いてくる王子への対処が一瞬遅れたし、続いて自分が飛び出し体当たりした事で結局魔術師は何も魔術を使えないままで終わった。

ほんの少しタイミングがずれていたら、こう上手くは行かなかっただろう。

 

「それに、馬に乗ったままならそうそう剣や魔術が当たる事はない。引っ掻き回しさえすれば、お前は自分で何とかするだろうと思った。護衛たちもすぐ追いついてくるだろうし。ちゃんと勝算があったからやったんだ」

「そんな勝算があるか!俺が何とかできてなかったらどうすんだよ!!」

「お前は何とかする。この通り、できただろう?」

 

「………」

スピネルは絶句し、何か反論しようとして、結局何も言えずに口を閉じた。

王子の言う通りだ。自分は必ず何とかする。

何故なら、()()()()()()()()()()だ。

王子が自分の身を危険に晒して助けに来ているのに、そこで何もできずに見ているなど有り得ない。そんな事は自分自身が許さない。

…絶対に何とかしてみせる。何があろうとだ。

そう迷いなく思えるくらいにはこの従者という仕事に誇りを持っていて、この王子の事が気に入っているのだと、今更ながらに分かってしまった。

 

 

無言になったスピネルに、男たちを縛り上げていた護衛の騎士が話しかけてくる。

「それでスピネル殿、一体何があったのか説明してもらえますか。…こちらの少女は?」

視線で示されたのは、安心したような困ったような表情で立ち尽くしているクララだ。

あまりの急展開に存在を忘れかけていたが、無事なようで良かった。

「クララと言う名前で、王都に来ていた商人の娘だそうだ。こいつらに攫われてきたらしい」

「なんと」

騎士が驚く。

「ではスピネル殿は、この少女を助けようとしてこやつらに捕まってしまったのですか」

「……まあ、そうだ」

微妙に事実がねじ曲がって受け取られている気もしたが、とりあえずうなずいておいた。

「そういう時はせめて一言告げてから動いていただきたい」

「すまない…」

「助けてくださって、本当にありがとうございます…!」

クララが涙混じりに頭を下げた。その様子を見て、王子が少しだけ首を捻る。

 

 

幸いと言っていいのか、誘拐犯の男たちが使っていた馬車は無傷で残っているので、これを使って男たちを衛兵の元に届ける事になった。

気絶したまま縛られている男たちを荷台に乗せ、見張りとして護衛の魔術師もそこに乗る。御者は騎士だ。

王子は帰りも借りてきた馬だ。なかなか毛艶が良いので、どこかの騎士のものかもしれない。急いで返した方がいいだろう。

スピネルは腕の火傷を治癒してもらってから、クララを後ろに乗せ騎士と魔術師が乗ってきた馬で帰ることになった。

 

 

馬上で揺れる王子の後ろ姿を眺めながら、ややゆっくりめに馬を歩かせる。

王子の背中は自分よりずっと小さく、この年下の主に助けられたことが本当に情けなかった。

まだ12歳だというのに、勇気も判断力も大人顔負けだ。それに引き換え自分と来たら。

治癒されたばかりの腕は痛むし、とにかく情けないし、帰ったらどんな叱責を受けるかと思うと憂鬱極まりない。

 

だが、とスピネルはちらりと後ろのクララを振り返る。

この少女を助けられたのだから、それだけでも良しとすべきだろう。

誘拐犯も捕まえられたし。慣れた様子だったので、恐らく初犯ではない。余罪がたくさん出てきそうだ。

それにしても、ぎゅっとしがみつかれているせいで背中には柔らかい感触が当たりっぱなしだ。

助けられたのは王子や護衛のお陰であって自分はあまり良い所を見せられたとは言えないが、これがきっかけで仲良くなれるかもしれないな、とちょっと思った。

 

 

 

その翌日。

教育係にさんざん説教を受けたスピネルは、訪ねてきた護衛騎士の話を聞いてぽかんと口を開けた。

「…消えた?」

「はい。あのクララと名乗っていた少女は、男たちから事情聴取をしている間に忽然と姿を消してしまったと衛兵から連絡が」

クララは衛兵の所に預けられ、どこかに監禁されているという父親を探す手筈になっていたはずだが、気が付いた時にはどこにも姿が見当たらなかったらしい。

「誘拐犯の男たちが言うには、彼女は最初から自分たちの仲間で、獲物を釣り上げるための餌役だったと…」

 

正確にはクララは餌役であり、聴取役であり、見張り役でもあった。

上手く貴族の子供を誘拐できても、どこの家の子供か素直に白状するとは限らない。

しかし誘拐犯としては子供に傷を付けて貴族の恨みを買いたくないので、なるべく穏便に素早く聞き出したい。

犯人たちを警戒している子供でも、相手が同じく攫われてきた被害者、それも年若い少女だったら油断する。上手く口車に乗せて聞き出す事は簡単だ。

しかも一緒にいてわざと足手まといになる事で行動を縛り付けられる。騎士の子供なら、か弱い少女を置いて逃げようとはあまり思わないだろう。

 

つまり、彼女こそが誘拐犯たちの要の存在だった。

そして捕まった仲間を見捨てて、隙を見てあっさりと逃げ出したのだ。

 

 

「…衛兵たちに、彼女の動向に注意するよう言っておけば良かったな」

隣で話を聞いていた王子が呟いて、スピネルは驚いてそちらを振り向く。

「まさか気付いてたのか?」

「はっきりとは分からないが、何となく様子がおかしい気はした」

「…マジかよ…」

言われてみればクララは自分や父のことについてあまり詳しく語ろうとしなかった。ボロを出したくなかったのだろう。

更にスピネルの家名を聞き出そうとしたり、あと妙に距離が近かったりした。

怪しいと言えば十分怪しかったのだ。

 

「……」

騎士が去った後、ショックを受けてしゃがみ込んだスピネルの肩に王子が手を乗せる。

「元気を出せ。…困っている女性を助けようと考えるのは、騎士なら当然だ」

遠慮がちな慰めが辛い。

ただ善意を裏切られただけならまだ恨みようもあるが、こちらにも微妙に下心があったのがあまりに痛い。

穴があったら入りたいとはこの事だ。

 

 

さらにスピネルにとどめを刺したのが、仲が良かったメイドのアンヌがいつの間にか辞めてしまっていた事だ。

何でも前から結婚が決まっていて、メイドは辞める予定になっていたらしい。

だがスピネルはそれを全く聞かされていなかった。

恋人がいるかと尋ねた時だって、笑いながら「いない」と答えていたのだ。

 

 

 

「女って怖えなあ…」

木陰に座り、ぽつぽつと雲の浮かぶ青空を見上げながら、スピネルはぼんやり呟いた。

クララもアンヌも、嘘をついているなんて全く思わなかった。

可愛らしく、なよやかで、その色っぽい視線はこちらに好意的だとしか思えなかった。

彼女たちの嘘が上手かったのか、自分に隙があったのか、両方か。

 

事件のことは表向き伏せられたが、耳聡い次兄には伝わってしまったらしい。

スピネルの部屋を訪ねてきて、「男ってのはな、女に騙されてやっと一人前になるんだよ」とかしたり顔で語って帰っていった。励ましてくれたのだろうが、ちょっと泣きたくなった。

父親からは近々屋敷に来いとの呼び出しがかかっている。かなり泣きたい。

 

 

視線を下ろした先では、池の畔にしゃがみ込んだ王子とリナーリアが熱心に話し込んでいる。

銀の髪が揺れるリナーリアの横顔は楽しそうで、王子への親愛が溢れている。

そこには何の表裏もなさそうに見えるが、彼女もまた何か嘘をついたりしているのだろうか。

 

…いや、あいつに限ってそれはないだろうな。

スピネルはすぐにそう思い直した。

あの勘の鋭い王子も彼女にはずっと気を許しているし、もしあれが演技だったら、自分は今度こそどんな女も信じられなくなるだろう。

いつもよりも少し弾んだ表情の王子を眺めつつ、しかしもう不公平だとは思わなかった。

王子の人を見る目は自分よりもずっと確かだ。

 

自分はしばらく女は懲り懲りだが、王子には上手く行って欲しいものだ。

「…やっぱ、羨ましいとは思わないけどな」

手のひらにカエルを乗せて笑う少女を見ながら、スピネルは呟いた。

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