以下は横読みです。
これは私が生きたという事実を残すために書く。あちらの部活動日誌とは別だ。あれは言うなれば遺書だ。こちらは私が生きた証として、書き残す。
そして私の死後、誰か一人の目にでも留まって記憶の片隅にでも残るなら…いや、残ってほしい。そう願いながら書くことにする。
私はきっと異常者であるのだろう。
私はずっと平凡で、普通であった。今までそうであったし、これからもそう在るのだろう。
しかし、私自身がそう信じているにも関わらず、私の中でしこりと言うべきか、つっかえと言うべきか……何か「ずれ」が存在しているように感じていた。
感じ続けていた。
「ずれ」…小難しい言い回しをするなら、自身と他者における自己の機能様態の差違、とでも言えばいいか。要するに心の働き方が他者と違っているということだ。
私は小さい頃からなんとなくそれを感じていたのだが、はっきりその「ずれ」を自覚したのは高校2年生の頃だった。病気で入院していた母が亡くなった時だ。
父はひたすらに泣いていた。普段から厳格であった父の泣く姿はその時に初めて見た。
大学生の兄も泣いていた。常に明るく振る舞い、どんなことにもめげない兄ですら、かなり堪えていた。
中学生の妹も泣いていた。いつもは泣き虫でわんわんと泣く妹であったが、その日ばかりは声一つ上げず、下唇を血が出そうなほど噛みながら静かに泣いていた。
私は…私だけは泣いていなかった。……いや、それは正確ではない。本当は泣くフリをしていた。家族の顔色を見て泣いたフリをした方が良いと感じたからだ。
母が亡くなったというのに何故か、あまり悲しくなかった。ベッドで穏やかに眠る母の顔を見て、「ああ、この人の笑顔は二度と見れないんだ」とは思ったが、心の中に浮かんだことといえばそれぐらいで…。
その時は母が死んだという実感が湧かないために涙が出てこないのだろうと思っていた。
しかし、いくら時間が経とうとも一向に悲しくならない。それどころか、私は母のことをこう思い始めたのだ。
「ああ、羨ましい」と。
何故羨ましいと思い始めたのか、その時の私には分からなかった。しかし、この感情は決して適切なものではないだろうと考え、このことは誰にも話さなかった。
時が経ち、私は教師になった。何故教師になったのかといえば、単純に人を教え導くという職業に憧れたからだ。もちろん教師がとても大変できつい仕事であるのは十分承知していた。それでもその憧れは決して揺れるものではなかった。
幸い、私は他人が望むことをする、望む答えを出す、あるいは他人に好かれるような性格を演じるということは得意であった。
生徒からの評判もまあまあ良いと思う。実際私が受け持つクラスのテスト平均点はそこそこ高いし、授業でもきちんと内容を聞いてくれているようである。
中には私を「めぐねぇ」と呼び、慕ってくれる生徒もいる。教師をあだ名で呼ぶのはいただけないが。
…そう、丈槍由紀さん。彼女はとても純粋で良い子だ。私が担任を務めるクラスの子ではないものの、世界がこうなる前より距離感が近く、可愛い教え子であるが少しばかり問題児でもあった。
実際、私の国語のテストでは毎回の様に最下位だ。これでよく高校に入学し、3年生まで上がれたものだと感心したこともある。
……彼女はどうやら発達に問題があると、以前の学年の担任から聞いたことがある。とはいっても又聞きであるので、どのような問題があるのかは詳しく知らない。彼女の担任から聞かされていたことといえば、どうやら読字に困難があるということくらい。
彼女の制服が他と違うのもそれが理由だ。我が校には着用する制服について、他の学校とは異なる制度がある。何らかの配慮が必要である女子生徒は、通常の若草色の制服と異なり、青色の制服を着用する、男子生徒であればネクタイをするという決まりになっているのだ。
本校ではそのような生徒に対して出来る限りの配慮を行っている。もちろん特別支援学級ではなく通常学級であるため限界はあるが、保護者の中には通常学級に通わせたいと希望される方もいるので、そのニーズに合わせた形になっている。
この決まりは表面的に見れば差別的なものと捉えられるかもしれない。しかし、実際には全く違う。この高校ではどういうわけか他校と比較して非常に多様性のことを重視しており、海外からの留学生を他校よりも多く招待していたり、人種やジェンダー、障害に関することを学ぶ機会が多い。加えていじめなどに関する指導は時間を多めにとり、回数が繰り返される。
これらの効果によるものか、はたまたそういう生徒が校内に多いためか、健常である生徒たちがいじめをしていたり険悪な雰囲気になっていたりというのは実際に体感したことはない。
何故このような制度があるのかは分からない。県立・公立高校とは異なり、私立の高校だからと言われればそれまでだ。なんにせよ、配慮が必要な生徒にとってはこの高校は通いやすいだろう。かっただろう。
私が大学の頃、教育心理学や限局性学習症総論などの授業で学んだ記憶と図書室の本で調べた限りから判断するならば、彼女は識字障害であるのだろうと思われる。通常高校生であれば読めるレベルの漢字が読めないこと、話し方が子どもっぽい所、学習全般に苦手意識(苦手ではあるが嫌いではないらしい。事実数学のテストでは平均点以上を取ったこともあるようだ)を持っていることなどからそう判断した。
しかし、私は精神科医でも臨床心理士でもない。それに彼女の家庭環境・生育歴・医学的所見・知能検査の結果など何も知らない。上記のことが全くの見当違いである可能性は大いにある。
彼女のクラスの担任であれば何か知っていたと思うが、もう大人は私だけだ。
…とにもかくにも、彼女の存在は現在とても助かっている。前までは問題児であったが、今は違う。
彼女はとても明るい。勿論パンデミック当初は彼女も落ち込んでいた。しかし時間が経つにつれ、彼女は回復していった。
彼女の天真爛漫さは私達に活力をくれ、同時に精神的不和を取り除く。この役割は現在のような非常事態…いや、極限状態において、食料や水と同等以上に不可欠なものであると痛感させられている。
それこそ本来であれば大人であり教師である私が3人を導いていかなければならないのに……。その点において、彼女はとても優秀だ。
そういえば以前、何かの記事で学習障害の人が教師として働いているというのを読んだ気がする。もしこの世界が平穏であったなら、その人と同様にハンディキャップがあったとしても、彼女は教師を志していたかもしれないと思わざるを得ない。
ただ…、最近はいや、これはもう日誌に書いたことだ。
後は若狭悠里さんと恵飛須沢胡桃さん、彼女らも私を助けてくれる。性格の違いから多少反りが合わないようではあるが丈槍さんが上手く纏めている。
私の生徒は上記の3人だ。このような状況になった今では、私の最後の生徒は3人だけだ。
いや、最後と言うべきではないだろうが…。
最近身体の様子がおかしい。あの資料を読んでから悪い方にばかり考える。だから私は後のためにこれを書いた。
今更ながらではあるが、ようやく分かったのだ。何故私が母を羨ましいと思ったのか。結局のところ、それはただの承認欲求だった。人に認められたい、誰かの記憶に残りたいという、誰もが持つ当たり前の欲求でしかなかったのだ。
…私が彼らと同じになってしまう前に、彼女たち3人を必ずこの学校から卒業させる。
そして、もしこれを読んでいる人がいるならば、彼女達(丈槍由紀、恵飛須沢胡桃、若狭悠里)を探して尋ねてほしい。「今は幸せですか」と。
そして今読んでいるのが貴方達ならば、どうか教えてほしい。
もし「幸せだ」と言ってくれるのなら
私も幸せだ。
「やっほー、ユキ。教員採用試験の勉強頑張ってる?」
「トーコ!…うーん、中々難しくて大変だよ~。それでどうしたの?」
「りーさんからユキにこのノートを渡してほしいって言われてね。持ってきたんだ」
「りーさんが?なんだろ…」
「巡ヶ丘学院高校の職員室で見つかったもの、だって。その職員室にあったデスクの中に鍵付きの引き出しがあって、そこから見つけたらしいよ?」
「!……もしかしてそのデスクってめぐねぇの?」
「あ、そうそう。りーさんがその人のって言ってた。ほらこれ」
そういって丸眼鏡が特徴の彼女はノートを取り出し、ユキに手渡す。
「…読んで、いい?」
「うん」
ユキはノートを開く。そしてページを捲り、文章が目に入ってゆく。それをじっくりと時間をかけて読んでいく。
「…………ぐすっ」
「!?…ユキ。大丈夫?」
「……うん、ダイジョーブ。ありがとう、トーコ」
そういってユキは目に涙を貯めながらも笑顔を浮かべる。
「…そっか……。じゃ、確かに渡したからね!また時間できたら一緒に遊ぼうねー!」
「…うん!」
やがて、ユキはノートを閉じ、目を瞑って静かに呟く。
「めぐねぇ……私、幸せだよ」