西暦737年 相模国 男土
身体中がじっとりとした不快感と強烈な眠気を感じながら、一人の男が目を覚ます。
「…くあぁ、ハラ、減ったなあ」
(ハラがぐうぐう鳴っとる。そいやぁ昨日からなんも食っとらんかったなあ。ゴボウの根っこでもその辺で取ってきた山菜でも何でもいい、なんやないもんか)
そう思いながら、男は気だるさと不快感、これまでに感じたことがないほどのハラの減りを感じ、のっそりと起き上がる。
すると目についたのは囲炉裏を囲んで並べられたご馳走と、にっこりと笑顔を浮かべた妻に、普段は食べられないご馳走を前にはしゃいでいる小さな子二人の姿があった。
「おー、思い出したわ。昨日おっきな魚とれて、帰ってからそのまま寝ちまったんか、先全部食べといてよかったんに」
「いいえ、あなたがこんなにも大きな魚を取ってきてくださったのだから、あなたが食べなくてどうするのですか。それに皆で一緒に食べた方が美味しいでしょう?」
「父ちゃん!はよう食べよ!もう我慢できん!」
「うん、たべたい」
妻と数えで6つになる息子、4つになる娘が各々嬉しそうに話す。
(ああ、嬉しいなぁ。かかあと子らには日頃あんまり食べさせられとらんけど、魚がとれた日にゃこうやって喜んでくれるんが嬉しくてたまらんなあ)
早速囲炉裏の前に座って…と思ったが、ふと自身の服を見ると、昨日漁から帰ってきてそのまま寝てしまったためか、かなり汚れてしまっている。男を急いでそれらを脱いで別のぼろに着替える。
「よっしゃ!それじゃあ、かかあが作ってくれた飯いただこか!」
そうして、囲炉裏を4人で囲んだ家族は口を揃えて一言。
「「「「いただきます!」」」」
「ハァッ、ハァッ、何なんだ、こいつらっ」
屍の群れが男を追いかける。青年の男には剣の腕に覚えがある上、彼らの動きは特段速くもないため殺すだけならば男にも容易かった。それにも関わらず、男は消耗しきっている。
「数が多すぎる!フゥ、フゥ……ん?」
がむしゃらに屍を切り捨てていく中、男は眼前にある小高い丘の上にいくつかの小屋が目につき、何人かの人がこちらを見ていることに気が付く。体力の限界が近かった男は瞬時に判断し、斜面を駆け上る。すると屍の群れは動きを止め、呻くばかりとなった。どうやら彼らは登れないようだ。
そのまま男は斜面を登りきり、地面に倒れ込む。すると何人かの者が遠巻きに見つめる中、年老いた男が青年に近付く。
「だ、大丈夫ですか?旅のお方…お怪我は?」
「はぁ、はぁ…ああ、何とかな…。怪我もない」
「それは、なによりです。ワシはこの村の長でございます。少ないですがこちらを…」
老人は水が入った杯を男に差し出し、男は杯を受け取ると一気に飲み込み、息を落ち着かせ、周囲の人間に尋ねる。
「…あいつらは一体何なんだ?まるで屍が生きているみたいだったが…」
「…はい。旅のお方が仰る通り、彼の者等は死んでいながら、生きておるのです。屍の呪いに侵されて…」
「…屍の呪い?なんだそりゃあ」
「そう思われるのも無理はありません。この村の言い伝えによれば、遥か昔、かの日本武尊様 ¹ が聖なる剣 ² でもって大蛇が打ち倒された際、大蛇が死ぬ間際に遺した呪いとされております。その呪いにひとたび浴びてしまえば、あのように人を食い殺す屍の悪鬼となってしまうのです。」
「そんな呪いが…しかしそれだけ危ねぇもんがあるのに、なんでこの村はまだ続いてんだ?とっくの昔に潰れてたっておかしくはねぇだろ」
「そうですね。…詳しく言うならば、その呪いはこの近くある沼から現れるとされておりまして、普段は禁則地として足を踏み入れてはならぬと、この村では古くから言い伝えられておるのです…」
「もしや、その沼に誰かが?」
「ええ、あの沼では魚がよう取れるとのことで時たま、足を踏み入れる者がおるのです。あくまで言い伝えだ、そんなものを信じるなど馬鹿らしい、と…。」
「それで入ってしまったのか…」
「はい。二日ほど前にこの村の十兵衛が沼から出てくるのを見たという者がおりましてな…。掟を破った者にはたとえ信じられぬような言い伝えであったとしても罰を与えねばなりません。それでワシは昨日使いの者を出し、男を呼ばせたのですが…」
「あいつらのようになっておった、と?」
「そうです。どうやら沼の魚を食べてしまったようで…家族諸共祟られてしまったのです。」
「…しかし、そうなるとおかしくはないか?なぜ、村の者らの多くはあのような悪鬼になってしまっておる?」
「…呪いは流行り病と同じく、他の者にうつるのでございます。気付いた時には他の者らも屍になってしまっておりましてな。やつらは高い所に上ることができぬらしいので、生き残った我らはここまで逃げてきたのです。ですが村の男たちは女、子供や年寄りを先に逃がしてやつらと戦ったせいで、村の男の多くが呪いを浴びてしまったのです。」
「それで、年若い男がほとんどおらぬのだな…。それで、長よ。これから先はどうするのだ。他のところに行ったとて、今は呪いとは別に死の流行り病 ³ が溢れておるぞ。」
「はい、それは他の村からの知らせで承知しております。幸いにもここは七つもの丘に囲まれておる故、人の出入りが少なく流行り病が回ることがございませんでしたが…今となってはここも同じようなものですな…」
「……」
「……旅のお方。あなたはさきほど多くの悪鬼に囲まれた際も、その刀と膂力でもってやつらを断ち切っておりました。どうか、どうかこの村に蔓延るあの者らを全て死なせてやってはくれませぬか?」
「…死なせてやってはくれぬか、とは。これまた卑怯な願い方をするもんだな。」
「申し訳ありませぬ。ですが……あの者は皆正しく生きてきた者ばかりなのでございます。皆よう働き、助け合い、笑い合って生きてきた者達なのです…!」
「……はぁ。普段ならばこんな安請け合いはしないもんなんだがな。仕方ねえ、仏様もあんたらを助けりゃ極楽浄土に連れてってくれるか。」
「「「ありがとうございます。ありがとうございます……」」」
そうして男は七つの丘に囲まれた村中を巡り、七日七夜の間、屍の群れを打ち倒して回った。
いつしかその村は巡ヶ丘という名で呼ばれるようになり、巡ヶ丘の民は数多の悪鬼をたった一人で討伐した男を称え、いつしか歌として人々に広まった。