万葉集、「万葉集」は、奈良時代末期に成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集である。万葉集の和歌はすべて漢字で書かれている(万葉仮名を含む)。全20巻4,500首以上の和歌が収められており、「雑歌(ぞうか)」宴や旅行での歌、「相聞歌(そうもんか)」男女の恋の歌、「挽歌(ばんか)」人の死に関する歌の3つのジャンルに分けられる。和歌の表現技法には、枕詞、序詞、反復、対句などが用いられている。天皇、貴族から下級官人、防人(防人の歌)、大道芸人、農民、東国民謡(東歌)など、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められており、作者不詳の和歌も2,100首以上ある。7世紀前半から759年(天平宝字3年)までの約130年間の歌が収録されており、成立は759年から780年(宝亀11年)ごろにかけてとみられ、編纂には大伴家持が何らかの形で関わったとされる。原本は存在せず、現存する最古の写本は11世紀後半ごろの桂本万葉集(巻4の一部のみ)、完本では鎌倉時代後期と推定される西本願寺本万葉集がもっとも古い。
和歌の原点である万葉集は、時代を超えて読み継がれながら後世の作品にも影響を与えており(一例「菟原処女の伝説」)、日本文学における第一級の史料であるが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにその中には詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても重要な史料である。
日本の元号「令和」は、この万葉集の「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」の一節を典拠とし、記録が明確なものとしては日本史上初めて元号の出典が漢籍でなく日本の古典となった。
その中で一番有名なのは歌人の大伴 家持だ。
大伴 家持(おおとも の やかもち)は、奈良時代の公卿・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。
『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残し、延暦年間には中納言にまで昇った。長歌・短歌など合計473首が『万葉集』に収められており、『万葉集』全体の1割を超えている。このことから家持が『万葉集』の編纂に拘わったと考えられている。『万葉集』卷十七~二十は、私家集の観もある。なお、473首のうち223種が越中国在住中の歌である。
『万葉集』の最後は、天平宝字3年(759年)正月の「新しき年の始の初春の 今日降る雪のいや重け吉事(よごと)」(卷二十-4516)である。時に、従五位上因幡守大伴家持は42歳。正五位下になるのは、11年後のことである。『百人一首』の歌(かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける)は、『万葉集』には入集していない。
勅撰歌人として、『拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に60首が採られている。
太平洋戦争中に玉砕を報せる大本営発表の前奏曲として流れた「海ゆかば」(作曲:信時潔)は、家持の「賀陸奥国出金詔書歌」(『万葉集』巻十八)に拠る。
この日、鉄道公安隊の南と高山は休暇を利用して北陸へ旅行する事にした。
北陸にはいろんな特急が走っている。
京都・新大阪へ 湖西線を通って、北陸本線へ
雷鳥・スーパー雷鳥
名古屋から
しらさぎ
米原から
加越・きらめき
東京方面から
長岡・新潟へ 上越新幹線から
かがやき・北越
上野から
白山・寝台特急「北陸」
「雷鳥とかがやきと北陸も好きだけど、急行「能登」も好きだな。」
北陸には温泉や観光名所もいろいろあるのだ。
宇奈月温泉
加賀温泉郷
和倉温泉
芦原温泉
東尋坊
輪島朝市
立山連峰
黒部峡谷
「いろいろあるな、東尋坊と加賀温泉や能登半島もいいな。」
と、言って高山は荷物をまとめた。
次の日、南と高山は7時07分発の東海道新幹線「ひかり3号」に乗って名古屋へ向かった。
東京駅
「久しぶりの休暇だね。」
「うん。」
「ここしばらく、仕事ばかりだったな。」
「うん。」
そこへ、歩夢と侑がやって来た。
「あっ、南さんと高山さんだ。」
「おう、歩夢ちゃん。」
「どうして、ここに。」
「うん、実は果林先輩が卒業する事になったから私たちも一緒に卒業旅行へ行く事になったの。」
「どこへ旅行するんだ。」
と、高山は歩夢に言った。
「そうだね、旅行先はね加賀温泉と高岡をね。」
「ああ、気が合いますね、実は僕らもなんです。」
「まぁ、そうなんですか。」
「後の、みんなは。」
「後の方は、7時39分発の東海道新幹線「ひかり205号」に乗って米原から来るって。」
「そうか、他のみんなは米原から乗るのか。」
「うん。」
そう言って、南と高山と歩夢と侑は7時03分発の「ひかり3号」に乗って名古屋へ向かった。
だが、南と歩夢達の旅行が連続殺人が起きることは誰も予想はしなかった。
そして、事件は起きた。