「私の国には人を食う鬼がいるんだって。その鬼の血を取り入れると、自分も鬼になってしまうんだ」
極東の島国から来たという人間が暇潰しにと語らっている内容は少女にとって実に興味深いものだった。
純白の日傘の下で、少女がにこにこと微笑んでいれば気を良くしたであろう人間は次へ次へと聞いてもいない鬼の話から、隣の通りにできた新しい店のおすすめ商品まですべて語ってくれる。
「ね、鬼の話をもっと聞きたいわ」
「お、鬼?」
「ええ、とっても面白かったから」
「あ、ウン。えっと、人を食う鬼がいて、その鬼を退治する人間がいるんだ。鬼は太陽の光と藤っていう花が苦手で、鬼を退治する人は特別な刀……剣で、鬼の首を刎ねるんだよ」
「フジにカタナ……へぇ」
「あ、でも」
「うん?」
「鬼に退治と言えば、こっちの国でもあったよね。ヴァンパイアとヴァンパイアハンタぐぎゅえ?」
「あ、」
楽しげに頬を赤らめながら話をしていた人間が突然「潰れた」
首より上が何かに潰されるようにしてくしゃりと無くなり、残された体が重力によってぐらりと倒れ、首からぷしぷしと情けなく血が噴き出している。
「やってしまったわ」
それを見て嘆いたのは、日傘の下の少女である。
視線の先は潰れた人間──ではなく、その人間の返り血がほんの少し着いてしまったワンピースを見ての発言だった。
「いくらこの人間が失礼だったとしてもちゃんと考えるんだった……全部これがいけないんだけど」
つんつんと残った体を足先で蹴り、ふぅと溜息をつく。
人間から聞いた鬼の話。
陽光が苦手で人を食う化け物の話など全国各地にあるものだ。
その殆どが子供を夜に出歩かせないための童謡に過ぎないが、フジという花が苦手だというそれや倒す人間の話までセットになっているというのは少女の記憶の限りこれが初めてである。
つまり、信憑性の高い話だ。
少女の胸の内は今過去類を見ないほどに高鳴っている。見たい、話してみたい。その鬼とやらと、会いたい。
「……これ、生かしておくんだった」
極東の島国──日本とやらの言語を知らぬ少女はまた少しだけ眉を顰めて溜息を吐く。
短絡的な行動はだめ。いくら、自分が「誇り高い吸血鬼」で下等な鬼という存在と同じにされたからと言っても、だ。
「ま、おべんとうくらいにはなるわよね」
眩いプラチナブロンドがさらりと肩口からこぼれ、細められた目が赤く光る。
開いた口からはきらりと白い牙が除き、顔のない人間の死体が軽々と持ち上げられてつぷりとその小さな牙が埋められた。
「まっずーい」
けらけらと笑った少女は、一等美しかった。
▼
「……みつけたっ」
人間から極東の島国に棲む鬼の話を聞いて2年。
旅の資金や準備に手間取られながらようやく着いたその国に辿り着いて数ヶ月と経たずに鬼と呼ばれる存在に出会えたのは幸運と言って差し支えのない事だった。
まさか、市中で鬼と鬼狩りの戦いが行われるだなんて!
広く大きな海を飛び越えてやってきた甲斐があった。
ようやく私は、この目に鬼という存在を映すことができた。
……できた、けど。
「あはは、逃げないでおくれよ。ちゃぁんと救ってやるんだから」
「っ!」
「……うーん、思った以上にときめかない」
蝶のようなハオリを着た女の子が、血を被ったような髪をした男と戦う姿はあまり面白くない。
少女は吸血鬼で、女の血を──それも美女の血を一番好んでいたからだった。
あんなにも美味しそうで綺麗な子なんだから、優しく抱きしめて、抱きしめられて、溶けるみたいに愛を注いで食べるのが作法というもの。あの首筋につぷりと牙を突き立てたらどんな艶やかな声を上げてくれるんだろう。
血を少し貰った後はベッドの上で微睡んでもいい。お友達になったっていいのに、どうしてあんなに痛めつけて全部食べようとするんだろう。
意地汚い、最低、もったいない。
そんな感情がぐるりと渦巻いて、その瞬間に女の子がげほごほと苦しそうに血を吐くのを見て、少女は月を見上げた。
「……きめた!」
今日は満月。満月だもの。いい月夜だからね。
2年も血を吸ってないから、おなかも空いてるし。
洋装の少女はうーんとゆったり伸びを一つしてから、軽やかに踏み出して鬼の鉄扇と羽織の少女の間に身を滑らせた。
突如として現れた少女に目を見開く両者に、鉄扇がキィンと甲高い音を鳴らして止められる。
押し出されるように倒れた羽織の少女は、げほごほとまた血を吐き出すと、朦朧とする意識の中で彼女を見上げた。
「だ、れ……?」
「んん? 君、誰だい? 外つ国の子……? 君、かわいいね。やあ、俺は幸運だなぁ。こんなかわいい子に一日で二人も会えるなんて!」
「……」
実を言うと少女は日本語を理解しきれていなかった。
持ち合わせた知識で断片的にわかる言葉と、目の前にいる男から発せられる人間とは違う独特の気配に目玉に浮かぶ奇妙な模様を見て、ぞわりと走った悪寒に任せて腕を振って男を跳ね除ける。
『気持ち悪い……触らなきゃよかった』
口から洩れる言葉は紛れもない外国の言葉。
日本とは文法も発音も違う言葉を耳にした羽織の少女は痛みを抑えながら立ち上がろうとするものの、鬼から受けた一撃の重さや失血から来る眩暈に耐え切れずその場に伏せるままだった。
「い、ってて……君、人間かい? それとも外国の子はこんなに力が強いのか……うーん、日本人以外に会ったことないからなぁ」
『うわ、立った。再生能力は私と同等かな……いや、それ以下かも。服に空いた穴直せてないし』
「わあ、なんて言ってるんだい? ぜひ知りたいなぁ!」
『このまま太陽の光に当てて焼き殺そうかな。私もきついけど』
互いに言葉が通じない者同士の会話は奇妙で歪だった。
一方は相手を知りたい、知ってから殺し己と一つにしたいと思い、
一方は知る必要もないと殺そうとする。
お互いの命を己の手で終わらせようと脚を踏み込もうとして、
「……いや、辞めておこう。もうすぐ朝だ」
血を被った鬼はしかして冷静に踵を返した。
「惜しいなぁ、食べてあげられなくてごめんね。君、今度会った時は必ず名前を聞くよ! じゃあね、また会おうね」
その見事なまでの逃げ足に少女は何一つとしてついていけなかった。
一拍、二拍置いて「逃げられた!」と理解して溜息を吐く。
鬼だってそれは死にたくないわけだし、敵前逃亡をするかと理解はするけれども、納得はできない。
『……あ。お姉さん!』
しかし結果として言うならそれはこちらにも好都合なことだった。
か細い息を吐くばかりのハオリの少女に駆け寄って抱き上げるようにして上半身を起こせば、ゴロゴロと肺のあたりから液体──血の溜まった音がする。
『……おいしそ』
くぅ、と小さくお腹が鳴る。
この島国の話を聞いた日から少女は──吸血鬼は準備に勤しむあまり人間の血を吸わなかった。
最後に口に含んだのはあの不味い人間の血だけ。だからどうしても喉が渇く。
『……すこし、だけ』
牙を埋めることはしない。
ただ、口から溢れた血を吸血鬼がその小さな舌でぺろりと舐めて、
『っ!』
そのまま目を輝かせた。
(美味しい、おいしい、おいしい! 甘くて、とろけるみたい。美味しい、おいしい! この子、欲しい!)
吸血鬼の乾いた喉を潤し、脳髄を痺れさせる少女の血は十二分過ぎるほどだった。
「ひゅ、ひゅ……」
『ああ……大丈夫。や、えっと……』
こほん。
口の周りを少女の血で濡らした吸血鬼──吸血姫は、にこりと微笑む。
それはまるで美しい天使が如く、この場に似合わぬ絵画のように。
「だい、じょうぶ。たすけて、あげる」
つづくかな?