地獄の中でそれでも生きろ   作:夕藤

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本当に書きたいシーンだけ。


あなたの命を救います(2)

【炎柱救済編】

 

「まったくもって、実に不快です。片目は潰れ、肋も折れている。折れた骨や打撃によって受けた内臓へのダメージ。無数の裂傷、失血多量。ああ、ああ!! 今すぐに処置を始めなくては!!」

「……なんだ、お前は」

「……ふちょう、さん?」

 

 それは炎柱である煉獄杏寿郎と猗窩座の前に突如として現れた。

 振り上げられた拳は彼女を認識するや否や直前でぴたりと止まり、そして女は煉獄を見てひとりごとのように叫ぶ。

 

「……処置の前に、あなたも治療が必要なようですね」

 

 ぐるりと目を向ける女性に、その場にいた隊士──炭治郎と伊之助が大きく目を見開いた。

 彼女は鬼殺隊の隊士じゃない。戦闘技術を持ちえない。それなのに彼女は今、鬼の前にいる!

 

「(立て!動け!婦長さんは戦えない。俺らが、俺が何とかしないと──)」

「そこのあなた、腹部を刺されていますね。獣頭のあなたも動かないでください。ここからは私が受け持ちます」

「……なんだ、貴様は。俺と杏寿郎の邪魔をするな!」

「あなたは病気です。病気であるなら、私はあなたを治療します」

 

 ──清潔ッ!

 

 次の瞬間、彼女は瞬きの間に鬼との距離を詰め、一撃を放った。

 それは女性がするにはあまりにも荒々しい拳の振り下ろし方で、

 

「グッ、ゥ……!」

 

 地面が、割れるほどに重い拳。

 

「消毒!」

 

 くるりと身をひるがえして放たれる蹴り技──サマーソルト。

 

「殺菌!」

 

 鞄から取り出された爆薬──対戦車手榴弾なのだが──の安全ピンを躊躇なく抜き、ハンマーのように殴って爆発した。

 

「……は?」

「ふむ。やはり鬼と言うだけあってすぐに回復されますね。回復するのは良いことですが、病気の進行と捉えればあまり思わしくはありませんか」

 

 なんで、この人、爆発したのに無傷なんだ?

 

「緊急治療ッ!」

 

 ゴトリ、と彼女が抱えたのは蝶屋敷にあるような白いベッドだった。

 どこからともなく現れたそれで殴りかかるという、誰もがぎょっと目を見開くほどの意味の分からない攻撃に猗窩座は受け身もなくダメージを負う。

 

「な、なんなんだお前は!」

 

 下手な日輪刀の攻撃よりダメージが深い、けれどすぐに回復するその攻撃に猗窩座は吠える。

 その様子を見てナイチンゲールはふむと唸り、口を開いた。

 

「どうやらこれでは足りない様子。しかし後ろの彼らの処置もせねばなりません。では、マスターには負担をかけますが止むをえません」

 

 ────私は、あなたの命を救いたい。あなたの命を奪ってでも。

 

「全ての毒あるもの、害あるものを絶ち、我が力の限り、人々の幸福を導かん!」

 

 ────我はすべて毒あるもの、害あるものを絶つ(ナイチンゲール・プレッジ)

 

 

 

 

 

【胡蝶しのぶは恐れていた】

 

 鬼と呼ばれる存在が陽光を苦手とし、藤の花を恐れることは聞いていた。

 だから彼ら鬼殺隊は陽の光をめいっぱいに吸い込んだ特別な玉鋼で作った日輪刀を使い、鬼の首を撥ねるのだとも。

 

 けれど、目の前にいる自身のマスターは何をしている?

 

「私は鬼殺隊の中で唯一、鬼の首が斬れない隊士。だから毒を使って鬼を殺します」

「……存じています」

「ええ、話しましたものね。几帳面で真面目なあなたが忘れるはずありませんし」

「説明を求めます、マスター。十二分に、納得のいく説明を」

 

 それは、鬼殺隊では珍しくもなんともない話だった。

 自身の最愛の家族を、姉を殺した鬼がいる。その鬼は上弦で、血を被ったような髪をした意地汚い鬼で。どうにも女を、特に強い柱の女を好んで食う。

 

「首の斬れない私では、きっと上弦の鬼には敵わない。そうであるならば、この私自身が毒となって鬼を討つ……いえ、弱らせる。必ず」

 

 しのぶの口から語られるのは、自身の手で殺すだのそういったことではない。

 自身の命と引き換えに鬼を弱らせる。ただそれだけで、鬼を殺すのは……おそらくは他に託すつもりなのだろう。

 

「……藤毒はいつから」

「もうずいぶん」

「私はそのようなこと認められません」

「認めてもらう気はありません。私は、姉を殺した鬼を殺せればそれでいい」

「……解毒して、ベッドに縛り付けた方が良さそうですね? マスター。死を前提にした作戦など馬鹿げている。あなたは病気です。今すぐ治療を──」

「──フローレンス・ナイチンゲール。令呪を持って命じます」

「っ! マスター!」

 

 マスターの腕を捕まえようとした手は、彼女によってひらりと躱される。

 きらりと右手に刻まれた彼女の蝶のような令呪が赤く光る。

 その言葉を紡がせまいとナイチンゲールが詰め寄り、

 

「──私を止めないでください」

「っ……!」

 

 ガヂンッ

 

 赤い光が、ナイチンゲールを縛った。

 

「ごめんなさい、ナイチンゲールさん」

「……あなたは、病気です。止められないことが殺したいほどに口惜しい」

 

 しのぶは、ごめんなさいとにこやかに笑うだけだった。

 

 

 

【柱合会議に呼ばれていた婦長の話】

 

「さて、炭治郎の件はこれでいいとして、次はしのぶだね」

「……はい」

 

 鬼を連れた隊士を下がらせた後、輝哉はしのぶへと体を向けた。

 その言葉を聞いてほかの柱は疑問符を浮かべ、しのぶはどうしたものかと頭を抱えている。

 

「蝶屋敷に人が増えたと聞いている。鬼殺隊の隊服にも似た洋装を纏っている、風変わりな女性だと」

「……はい。しかし私は彼女のことをうまく説明することができません」

「うん。私も、しのぶからではなく本人から意見を聞きたいな」

「……お館様、お気づきなのですか?」

「私はあまりわからないんだけどね、あまねはわかるようだから」

 

 お館様の後ろの襖があいて、あまね様が私の後ろへと目を向けた。

 他の柱にはわからないようだけれど、あまね様の目は、確実に──

 

「隠れる必要はないようですね、マスター」

 

 ──ふわり、金の粒子が人の形を取る。

 白いブーツ、日本人にはない白い肌、結わえられた髪。赤い洋装に、きゅっと手袋を直す姿は、もう見慣れた光景で。

 

「……君は、」

「テメェ、どこから現れやがった! 鬼か?!」

「──私は人の命を救う者です。看護と治療と衛生管理が私の役目。鬼の知人はいますが、私はれっきとした人間です」

「この方のいう通り、彼女は鬼ではありません。ただ、人間でもないわけなんですが……」

「……説明を頼むよ」

「説明? その前に処置が必要でしょう。あなた、病気ですね? すぐに消毒を、殺菌を。すぐに切除し、適切な処置を」

 

 あ。まずい。

 そう思ったしのぶの判断は早かった。

 われらが敬愛するお館様の体を蝕む呪い。それによって爛れてしまった顔の症状を、ナイチンゲールは見過ごさない。

 彼女の治療は、看護は、どうにも過激なのだ。悪いところを「すべて取って」あとは消毒、殺菌、衛生を徹底する。それは戦場治療法としてはあながち間違いではないけれど、ここは戦場ではない。

 

「止まってください、婦長さん」

「……なぜです、マスター」

「まずは処置内容の検討をするところから始めましょう。何もわからないまま処置に当たっては最適な治療とは呼べないのではないですか?」

「……」

 

 ナイチンゲールはぴたりと止まる。

 マスターの言葉をかみ砕き、その浸された狂気の中でマスターのいう通りだと納得した。

 

「であれば清潔なベッドを用意しましょう。ひとまずは検温とカルテの作成を」

 

 ゴトリ、どこからともなく蝶屋敷にあるようなベッドを取り出し、ナイチンゲールは産屋敷をベッドに埋めた。鞄の中から体温計を取り出し、脈をはかって手元の用紙に書き込んでいく。

 

「……で、君は一体何者なのかな?」

「言ったでしょう。私は人の命を救う者です」

「名前ですよ……」

「名前は治療に不要です」

 

 柱たちの視線がしのぶへと向く。

 こんなに鬼殺隊には話の通じない人間が多くいるが、ここまで話を聞かない人もそういないのだから。

 

「ナイチンゲールさん、また聖杯についてお話していただけませんか?」

「それも治療には不要でしょう」

「いえ、今は必要です。今後も看護をするのであれば」

「……わかりました」

 

 

 

【無限城編】

 

「しのぶ、あの日あなたは『止めるな』と私に命じた。だから私は、藤毒を食むことを止められませんでした。しかし、今日この場で私に『止めるな』とは命じないでしょう。安心してください。私は、あなたの命を救います」

 

 たとえそれが、あなたの命(覚悟)を殺すことになったとしても。

 

「病気をなくしましょう」

「はは、君面白いね。それにとても強い。大丈夫、俺が救ってあげるからね」

 

 

 

 

【無惨討伐後】

 

「何をしているのです! 喜んでいる暇はありません! 今すぐトリアージを! 重傷者から順番にそこへ並べなさい!」

 

 ──私たちの戦場はここからですよ!

 

「マスター、オーダーを」

「……っ、わかりました。最後の令呪を持って命じます。フローレンス・ナイチンゲール、どうか、私たちの命を救ってください。私たちを、帰してください」

 

 ぶわり、最後の令呪がしのぶの手から掻き消える。

 それを受けてナイチンゲールの霊基がぶわりと変わり、黒いコートを羽織った彼女は右目を包帯で隠しながら見たこともないほど綺麗にほほ笑んだ。

 

「ええ、ええ。おまかせくださいマスター」

 

 全ての毒あるもの、害あるものを絶ち、我が力の限り、人々の幸福を導かん。

  ────我はすべて毒あるもの、害あるものを絶つ(ナイチンゲール・プレッジ)

 

 

 

 

 

【そうして彼女は聖杯とともに還った】

 

「もし、聖杯を手に入れたらあなたは何を願うのですか?」

「聖杯? 何を馬鹿げたことを……医療にオカルトは必要ありません」

「ふふ、もしもの話ですよ。答えてください、ナイチンゲール」

「……私に、聖杯にかける願いはありませんよ」

 

 その言葉にしのぶは思わず手を止めて振り向いた。

 顔色も表情も変わらない、いつものナイチンゲールがそこにいる。メモを取りすぎてほんの少しだけペンだこのできた手で備品を数え、またメモをするその姿にしのぶは「意外ですね」と思わず漏らした。

 

「何がですか?」

「いえ、てっきり病気や菌の根絶を願うものだと思っていましたから」

「なるほど……では、何度でも言いましょう。医療行為にオカルトなど必要ありません。聖杯は……そうですね、見たことはありませんが、手を洗う洗面器くらいには使えるでしょう」

「ば、万能の器を洗面器扱いですか」

「ええ。怪我も病も、人類がいつか確実に果たす現実です。未来です。それを信じ、私はここにいる。私の願いは……いえ、見たい未来は、聖杯ではなく私たち人類の手で勝ち取られる」

 

 

 だから、

 

 

「……これが、聖杯ですか」

 

 両手に収まる小さな器だった。

 これは洗面器には使えない。せいぜいが水差しくらいだろうかとナイチンゲールはぼんやりと思う。

 器が満たされていないから、きっと叶えられる願いは微々たるものですよと伝えれば、マスターは「私の分まであなたにあげます」と言ってほほ笑んだ。

 

「……」

 

 あの時しのぶへ告げた言葉は本心だった。

 フローレンス・ナイチンゲールには聖杯にかける願いなどない。自分の願いや想いは誰かが引き継いで、未来で必ず実現させる決定事項であると信じているからだ。

 聖杯に願いをかけず、飾ることも考えてみるが、この器をめぐってさらに争いが起これば怪我人が増えるだろう。ともすれば、この器には願いをかけてその効果をなくさなければならない。

 

 ちらりと横目に見れば、蝶屋敷の縁側でしのぶをはじめ、カナヲや炭治郎、他の柱や隠までがにこにことこちらを見てきている。

 重症だった彼らが治ってここにいることはとても喜ばしいことではあったが、包帯はもう変えただろうか。薬は、体温は上がっていないか。そんなことまで気になって、結局フローレンスは、心の中でぼんやりと残っていた、幼い頃にもらった暖かな言葉を聖杯へ願うことにした。

 

「──聖杯よ、」

 

 その言葉に、手元にあった聖杯がまばゆい光を放って宙へ浮かぶ。

 願いを叶えるために、地脈や霊脈が吸い上げられ、ぶわりと幻想的な景色がそこに広がった。

 

「我が願いを叶えたまえ」

 

 そうして彼女は願う。

 

「我が主と、大きな呪いのように広がる病と闘った彼らに、幸福が訪れることを願いましょう」

 

 それは数字と理論で固められた彼女が語る、あまりにもぼんやりとした幼子のような願いだった。

 しかし、万能の器はその願いを聞き届ける。

 願われた彼らを優しい黄金の粒子が包み込み、そうして──

 

「それでは、時間のようですね」

 

 サーヴァントであるフローレンス・ナイチンゲールにかけられた術式がほどけていく。

 

「ナイチンゲール!」

「ご安心を。私はもとよりもう死んでいる身。これより座に還るだけです」

「そんな、こんな急に、」

「……マスター」

「……、」

「もとより私はこういう存在だと言ったでしょう。泣かないでください、我がマスター」

 

 しのぶは、泣いてはいなかった。

 もう涙は枯れ果てた。泣き方も忘れてしまっていたのに、ナイチンゲールはほのかに消毒液のかおるその手袋を外して、しのぶの目元を拭ってくれる。

 

「……行ってしまうんですか」

「ええ、残念ながら」

「どうしても」

「ええ。そしてもう二度とお会いすることはないでしょう」

 

 だから、

 

「マスター……しのぶ、最後に……フローレンス、と呼んでいただいても」

「っ……フローレンス」

「あなたがマスターで良かった」

「……私も、あなたに会えてよかった」

 

 

 

 

 

「なんだ、案外私たちは近い時代で生きてきたんですね」

 

 数か月後、しのぶの手元に届いたのは英語で綴られた「看護学」の洋書だった。

 すべては命を繋げるために。そんな想いの下で集められた数字や考えられた文の最後には、著者の名前とともにこう締めくくられている。

 

 

『すべての怪我と、病の根絶を未来に託す。

       フローレンス・ナイチンゲール』

 




ナイチンゲールめちゃ好きです。
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