地獄の中でそれでも生きろ   作:夕藤

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狐の恩返し(1)

 それは街中で行われた上弦の鬼と、鬼殺隊花柱の戦いの最中に現れた。

 黒い洋装──スーツに身を包んだ、白銀の髪の少女。

 怪我を負い、ごぷりと血を吐いた女を背に守るようにして立ちはだかる彼女の背に、鬼殺隊の背負う「滅」の文字はない。

 

「──誰だい、君は。そこをどいてくれないか? その子は俺が救うんだ」

「ああ……大変申し訳ありませんが、そればかりは」

 

 少女はヒュンっと男の前に飛び、腰に携えていた刀を振り下ろす。

 鬼──童磨はそれを鉄扇で受け止め、氷を繰り出す。

 

「おっと」

 

 二撃目を繰り出そうとした少女はくるりと身を翻してその攻撃を避ける。

 氷と鉄扇の斬撃の猛攻をするりと避ける少女に、鬼はひどく楽し気な表情を浮かべていく。

 

「君本当に人間かい? すごいすごい! これも避ける!」

「技を出すばかりで変化球のない人……いえ、鬼でしたか。人しか食えない欠落品。鬼の名前、本当の鬼に返してみてはいかがです?」

「あはは、ひどいなぁ。傷ついちゃうぜ?」

「傷つく心も持っていないでしょうに」

 

 ──まあでも、今日はここまで。

 

 童磨の放った氷が女の足を凍らせ、鉄扇が彼女の肉と骨を断ち切った──その瞬間だった。

 

 ゆらり

 

 まるで手ごたえがない。

 蜃気楼でも切ったように、女や周りの風景が揺らめいて、

 

「……は?」

 

 童磨は街中に一人。

 まるでそこに、元から何もなかったかのように呆然と立ち尽くしていた。

 山の向こうが薄らと明らんできたのを見て焦って反対の方角へと駆ける。

 

 なんだ? 今のはなんだった。

 いつの間に俺はあんなところで、いや、あの女を斬ったと思った。殺したはずだった。

 

「まるで化かされているようだ」

 

 

 

 

 

 上弦の鬼から花柱──カナエを抱えて逃げた女は、カナエの言葉を頼りにまず藤の家紋を掲げた屋敷へ逃げ込んだ。

 

「とにかくお湯を。あと、熱いお茶を桶一杯」

 

 にこやかに指示を出した女は、藤の家紋の家の風呂を借りて「立入禁止」と告げるやいなや、カナエの服を脱がして肌襦袢だけ着せると、傷を無視して湯の中へと投げ入れた。

 いくつかの草花を懐から取り出して湯船へ投げ入れ、桶一杯の茶を薬を間に挟みながら、カナエに文字通り吐くまで飲ませ続けた。

 

「もう一杯」

「ごほ、げほっ」

「ほら、飲んでください」

「……も、もう、やだ、やです、げほっ、」

「だめですよ。ほーらもう一杯」

 

 三時間もの間湯に浸けられて、泣きながらも茶を飲みほしたカナエは息も絶え絶えに治療を受ける。

 湯から上げられ布団に横にされ、痛みに喘ぎながら彼女に体を触られて。

 

「あら腕の骨が折れてます。わ、肋は五本も。脚は……ひび入ってますね! うんうんなるほど……内臓まで傷ついて、筋も……」

 

 あらあら、あらら~

 ほけほけと笑いながら「重症!」と口にした。

 よく日の当たる部屋の布団の上で、カナエは絶対安静を言い渡してきた少女を見て、ぽそりとつぶやくように問うた。

 

「……あなたは、なんで、どうして、わたしをたすけてくれたの?」

 

 それを彼女は聞き逃さない。

 少女は笑って、その問いに返す。

 

「それはもちろん、恩返しの一環ですので!」

 

 

 

 

 

 

 

 蝶屋敷には狐がいる。

 狐面を持った洋装の麗人は、人の命を救うために忙しなく動く屋敷の中で唯一働かない者だった。

 鬼殺隊の字を背負わず「こんこん」なんて冗談めいて笑って見せる。

 長い髪を一括りにし、屋根の上で日向ぼっこをしていたりふらふらとどこかへ行ったり。

 そんな彼女は、

 

「恩返しをするために参りました。こんこん」

 

 ある日そう言って、行方知れずだったカナエを連れて蝶屋敷へとやってきた。

 

 それからは阿鼻叫喚の絵にかいたような慌てふためきようだった。

 しのぶはカナエの胸に飛び込んで声をあげて泣き、アオイやなほ、きよ、すみは洗濯物や食器を落としてその背に続いた。

 一人目を見開いて飛び込めていなかった少女はしのぶたちに招かれてカナエに抱き着き、一通り納まった後にカナエを連れてやってきた洋装の少女は事情を説明し始めた。

 

「あの日、私は上弦の鬼と遭遇し瀕死の状態に陥った。そこを助けてくれたのが、こちらの淡雪さんなの。淡雪さんは私のことをその……治療してくれたんだけど、」

「カナエの状態は、思っていた以上に最悪でして。私の隠れ家へお招きしてしばらくの間お預かりしました。今ではこれこの通り完治です」

「本当はすぐに連絡が取れれば良かったんだけど、鎹烏もいない上に身動きも取れなくて。だから、淡雪さんの判断に従って、今日やっと帰ってこれたの」

 

 そう微笑むカナエの姿を見て、またしのぶ達はじわりと泣きそうになる。

 何度もおかえりとただいまを繰り返す面々を見て「あらら…」と淡雪は苦笑する。この様子じゃしばらくの間、カナエの妹だというしのぶは離れないだろうな。この数年の間にカナエから散々聞かされた妹自慢を思い出していた。

 

「……で、あなたは」

「あら、もうよろしいので?」

「……ええ」

「うふふ、ありがとう淡雪さん」

「もうお礼は聞き飽きましたよ。私も打算があっての行為でしたので、どうぞお気になさらず」

「打算、ですか?」

「ええ。お伝えしましたでしょう?」

 

 淡雪は姉妹の後ろに座る一人の少女へ目をやる。

 その視線はまるで……まるで──?

 

「この淡雪、あなた様のために参りました」

 

 深々と少女が頭を下げたのは、しのぶでもカナエ相手でもない。

 数年前家族に迎え入れた──栗花落カナヲである。

 

「か、カナヲ……? あなた淡雪さんとお知り合いだったの?」

「……っ?」

「カナヲ! カナヲ様と言うのですね。ようやくお名前を拝聴できました……」

「ん? んん?」

「え、っと……だれ?」

「「え?」」

 

 しかし、カナヲはそれを否定する。カナヲの記憶には淡雪の姿などどこにもない。一目見れば忘れそうもない、しのぶに負けずとも劣らない麗人だ。

 自分がしのぶ姉さんとカナエ姉さんに拾われる前にも、彼女と出会った記憶はこれっぽちも見当たらなかった。

 

「そ、そんな……!」

 

 しかしそれに対してショックを受けたのは淡雪だった。

 浮かべていた笑みは消え、この世の終わりのような表情を浮かべ、

 

「私はあなたに命を救われたのに……」

「え、」

「か、カナヲ? 本当に淡雪さんのこと覚えていないの? ほら、任務とかで……」

「わ、わかりません……」

「はぅあ!?」

 

 淡雪はうぐぐとうずくまる。

 覚えてない、覚えられていない!?

 そんな、私は今まであなた様のためだけに尽力してきたのに。カナエを助けたのだって、あなたにただ「ありがとう」と言われるために、あなたの役に立てるようにこんな姿になっているのに!

 

「あんまりにございます……!」

「ま、まあまあ……ん?」

 

 およよよと泣く淡雪の頭を撫でようとしてカナエはぴたりと止まる。

 あれ、なんか……あれ?

 

「……あ、わゆき、さん?」

 

 頭の上に、ふさふさした何かが見える。

 手で触れると何とも触り心地の良い三角形。

 

 何かの見間違いかとも思って目を擦っても、周りの姉妹を見てもやっぱり同じ反応で。

 

「それ……」

「あ、あなた、人間じゃ……」

「え? ああ、まあ。あれ、言っておりませんでしたか?」

 

 古来より、日本にはいろいろな伝承や物語がある。

 山ほどあるうちの一つにはこのようなお話が。

 

「わたくし、人間の姿をしておりますが人間ではありません。元は狐でございますので」

 

 こんこん、とこのように。

 

 古来より、狐も狸も人を化かすとされている。

 あるいは絶世の美女であったり、あるいは武将であったり、もののけの類であったり。

 そうして目の前にいる少女も、その伝承の通りに。

 

 頭の頂点には、髪と同じ白銀色の毛並みの耳。腰を見やれば同じ毛色の尾が「5本」

 

「鈴鹿御前様より許可を頂きまして恩返しに参りました、ただの狐にございます」




 きゅーん、と小さく狐が鳴いた。
 罠にかかり捕まえられた、白銀の毛並みが美しい狐だった。

 それがあんまりにも美しいものだから、捉えた人間は捌いて肉を食べるか、このまま商人へ売り払うかを下種な笑いを浮かべながら話していた。


「にげて……っ」


 それは、あんまりだと幼子は縄を切った。

 事情も知らない狐は野を駆けて逃げ、数日後に礼をしようとその少女のもとへ捉えたネズミを咥えてやってきた。

 けれど、少女は大きな大人に殴られて顔を腫らし、寒空の下に放り出されていた。
 金になる狐を逃がした罰として。

 狐は少女のそばにネズミを、戸口に他の動物へ糞尿を垂らすように言ってその場を去った。

 この身では命の恩人を助けられない。
 矮小な狐の身体では、できることが限られすぎている。


 ──コーン!


 狐の鳴き声が野に響く。
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