ダンまち短編   作:サリエリキキ

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 ダンまち7巻で春姫と出会った日のベルくんの行動。
 歓楽街で色々あった後、娼館内の娼婦(春姫)の部屋で一晩過ごしてからお見送りまでして貰って朝帰り。

 客じゃん。完璧な客じゃん。
 なのに金払ってない(笑)


 なので、ちょっと書いてみました。
 よろしければご覧ください。


苦界に生きること

「姐さん、まただよ」

「そうかい」

 

 諦観を含んだ妹分の声に、豪奢な部屋にいた一人の金髪の女が立ち上がる。

 美女である。そうとしか表すことのできない美女。この界隈では珍しい清楚で控えめな藤色のドレスが、細い首から始まり肢体の全てを覆い、手先しか肌の色を露わにしていないが、その様が男にドレスの下を妄想させざるを得ないそんな美女。

 主神から区画一つを預けられた太夫は、周りが厚く塗りたくるがゆえに際立つ仄かな香りを振りまきながら目的の部屋へ向かう。

 

「旦那さん、少しお待ちを」

 

 部屋に入ると同時、意識を失った春姫と事に及ぼうとする獣人の男の背中を、優しく艷やかになで上げた。

 金を払ったのだからその分楽しませろ。って気持ちはわかるけどねえ。意識のない相手に躊躇なしは野暮天に過ぎるでしょう。先ずは店に文句言いなさいな。

 徒然と並び立てる思考の前半部分そのままの言葉を並び立てる男の息が途切れた時に言葉を差し込む。

 

「なら、あちきでいかがでしょうか。勿論お代を重ねるなどと野暮なことは申しません。一夜、同じ褥で良き夢を見る相手としてあちきはいかが」

 

 姐さん、そんなっ。手筈通りに周りの娼婦たちが出す悲鳴な声を聞きながら嫣然とした笑みを浮かべる。

 

「あんたを、でも、その、あんたは、ここらで一番の」

 

 男の視線に迷いが走る。意識を失ったままの春姫を犯すか。オラリオ有数の高級娼婦に相手してもらうか。

 男の声が興奮にかすれていることを見て取った太夫は、どうやらこの人は清純下手で攻めたほうがいいなと即断した。

 

「そんなに、見つめないでくださいな。旦那さんのお目が綺麗で、はしたないこの身が火照ります。さ、一献いかが」

 

 豊満な肢体をさりげなく強調しながらあどけない童女の笑みを浮かべる太夫に誘われ座り込み、何杯か杯を空けていくうちに男の呂律が回らなくなってきた。

 頃よしと見た太夫は後手で指示し、春姫を部屋から下がらせながら男を床に連れて行った。

 

「待てよ。まだ愛してるも言ってないぞ」

「先ずは肌を重ねて。言葉は、今宵何度も聞かせてくださいな」

 

 かすれた声でいい、太夫にしがみつくようにかき抱く男。男の熱情を露わにするために、その耳元で熱を囁いた。

 

 

 

 

「……なんと言うか、春姫が」

「いつものことだろうに、わざわざ言いに来るなんてあんたも野暮だねえ。ま、飲みな飲みな」

 

 昨夜の事を人聞きに聞いてきたアイシャがバツの悪そうな顔をするのを留める。

 美人が悄気げてはならない、周りが暗くなってしまうから。これは太夫の人生哲学だ。

 

「そう言ってくれるのはありがたいんだけどねえ。あんたがいなきゃ、春姫はとうのまえに無理矢理で輿入れになってたこと考えるとね」

 

 ここでいう輿入れとは、処女喪失のことだ。

 娼婦である以上、処女という状態は商品価値となる。端的に高値で売るのだ。

 だからこそ、太夫は明快に答える。

 

「こと輿入れや身請けは、娼婦の意思が最優先。いくら店にヴァリスを積まれても本人が嫌と言えば駄目なんだよ。これは主神様の了承済みの掟さね。他はともかく、ここでは従って貰うよ。意識のない春姫を犯そうとしたあの掟破りのケツ蹴り飛ばしてやりたかったくらいだよ。まったく、承知の上で入店したくせにさ。他にもいきなり脱がせた奴とかも居て、先ずは会話と酌を楽しみなよ。粋ってもんを分かってない奴が生娘を指名しやがって……まったく、金払えば何しても良いってわけじゃないんだからね──」

「やりゃあ良かったじゃないか。あんたなら簡単だろ」

 

 ブツクサ言う以前自分をあしらってのけたほどの腕を持つ太夫にアイシャは呆れたように言う。

 そんなアイシャにジロリと流し目をくれる。

 

「そのアマゾネス解決法やめな。いつもいつも色んなもの壊しやがって、誰が直してると思ってるんだい。ケンカや戦いも皆を陽気にしてくれるけど、向いてない子もいるんだからさぁ。ここは女と酒と音楽で陽気にする場所何だからね。まずは穏便にだよ」

「荒くれ者ばかりの冒険者相手に、それで巧くやってるんだから大したもんだねえ」

「筋を通してるからね。主神に、イシュタル様に了承して貰ってから仕組みを組み立てる筋をね。あの方は洒落っ気を好むのさぁ」

 

 あのイシュタルにさえも己を貫いてのける太夫。太夫は、アイシャから見ても化け物の一種だ。頭がよく度胸があり機を見るに敏で引き際を心得ている。

 だからこそ

 

「ま、店の経営に関することだけだけどね。戦向きでないうちの子を戦場に連れて行く訳は聞き出せなかった」

 

 春姫関連ではこれ以上は頼れない。春姫を連れて行くのに抗議してくれただけでも有り難い。彼女には守らなければならない店の従業員達がいる。

 苛立ちながらも、太夫は流麗かつ完璧に酒膳を手づから整えてアイシャに手渡す。

 

「うまっ」

「はいよ。たんと食べな」

 

 あまりの旨さに、一箸つけてから一服するまで太夫の言葉に返す事さえ忘れて全て平らげたアイシャは誤魔化すように口にする。

 

「でも、本当に助かるよ。ぶっちゃけ、春姫って自分の食い扶持さえ稼げてないからね。あんたじゃなきゃ、とうに下の格の店に追い出されるか、無理矢理にでも輿入れさせてただろうし」

「そんなことはしないさ。一度うちの子になったんだからねえ。あの子が誰かに身請けされて、うちの子じゃ無くなるまでは護るさぁ」

 

 春姫に身請けを。春姫の幸せを考えてくれる太夫にアイシャの胸が傷んだ。

 痛みを誤魔化すように口を開く。

 

「身請けか……春姫が、ねえ」

「ん。寂しいかい」

「まさか」

「任せとき、あんたが何時でも会いにいけるような相手に身請けして貰うよ。姉貴分に会わせようともしない奴には身請けさせないし、輿入れもさせないさぁ」

 

 ドンッと胸を叩く太夫。

 事情を知らないがゆえにそんなことを言えるんだ。魅了された身を呪いながらアイシャは八つ当たりだと承知の上で口を開く。

 

「輿入れねえ。生娘なのがそんなに大切かい」

「何いってんだい。大切だよ、春姫はもちろん店にとってもね」

「店にも?」

 

 ああ、と瞳と同じ翡翠色の煙管を手を取り一服する太夫。そんな何気ない所作にさえも匂い立つような清楚に裏付けされた高貴さが醸し出される。

 それ一つで、自分の八つ当たりの感情が霧散させられたことを実感したアイシャは感嘆しながら言葉を待つ。

 

「春姫みたいな不特定多数の男に身を預けられない子は、利益だけ見る店の視点だと身請けされて捌けたほうが良いのさぁ。で、大抵の男はね、自分が初めての相手なら身請けしようって考えるのが多いんだよ」

「単純だねえ」

「それを言うと女もさ。男も女も初めての相手ってのはよぉく覚えてるだろ。何年経ってもね」

「たしかにねえ」

「そうだろぅ。だから、生娘なのは大事さぁ。ま、それを最初に捧げる旦那さんのほうが大事だけどねぇ」

「たしかに、相手見ないと意味ないね」

「そう、そう。それなりの甲斐性は欲しいもんさぁ。中も外もね……ま、生娘だと病気もちで無いから財布も緩むって世知辛い面もあるけどねえ」

「確かにねえ……生娘だと、しっかりした店で無くとも病気の心配はないからね」

「そうさぁ。前も、調教とか訳分からないこと娘を売りに来たとか言ってきた馬鹿叩きだしたからねぇ」

「女を調教して売りさばくような奴らが好き放題した娘。どんな病気をうつされたかわからない娘を大枚はたいて買う店が果たして居るのか。そんな単純な理屈が分からない馬鹿がまだいるもんだね」

「高レベルなら買うの要るだけどねぇ。娘さんはディアンケヒトファミリアに行かせたけど、道理の分からない奴ってのはいるもんさ……てなわけで生娘ってのは大事なわけだよ。春姫みたいな子の場合は特に、ね」

「そうさね」

 

 陰湿になった空気を振り払うようにコロコロとアイシャと笑いあった太夫は、ふっと物憂げな吐息を煙とともに吐き出した。

 

「ま、そこんところ春姫がちゃあんと聞いてたかは怪しいけどね。塞ぎ込んでて心の耳が閉じちまってるからね。指名されても気に入った客じゃなきゃ床に入るなって何度言っても心に届いてないよ」

 

 分かるだろうと、はんなりとした眼差しで見つめてくる太夫にアイシャ頷く。

 

「ああ、春姫はもう色んな男に抱かれてると思ってるよ。自分は、体を売って生きてるってね」

「体売るだけが私らの仕事じゃないんだけどね……やっぱりヤケ起こしてるねぇ。私の目で見て、色んな子から聞いた通りさぁ」

「へえ、あたしだけじゃなくて、色んな子から聞いてるんだね。あたしの話は信用ならないのかい」

「拗ねなさんなよ。あんたのことは信用してる。団長はもとより主神様よりもね。ただ、一方から聞いただけで判断するのは危ういってだけさ。話ってのは色んな相手から聞かなきゃね。そんで、自分の頭で判断するのさ」

 

 にんまりと太夫は笑った。笑み崩れているのに嫋やかと思わせるのはズルいなあ。女としての自分に誇りを持つアイシャをして、自分に無いものをもつ太夫は羨ましい。

 

「だから、任せときな。あの子が、ヤケになったあの子が、好きでもない男に身を任せるなんてさせないよ。惚れた男に輿入れする。苦界に落ちた女に許された唯一の我儘は叶えさせてみせるさ」

 

 そして、惚れそうになる。

 

「春姫に、そこまでしてくれるなんて」

「ん〜?」

 

 あまりの男前っぷりに、姉貴分ではなく女へとフラつきそうな自分を叱咤しながらのアイシャの言葉に、太夫は嫣然と童女のように笑った。

 

「別に春姫だけじゃないよ。苦界に落ちて悲嘆にくれてヤケ起こす子は珍しいもんじゃないさ。割とよくあるんだよ。そういう子に芸妓含めた生きる術叩き込んでから気の利いた輿入先を探すのは、あたしの楽しみのひとつなだけさね。特別扱いはしてないさぁ」

「そうなのかい」

 

 あまりの器にアイシャの口から呆然とした言葉が出る。

 

「ん。証にうちの子たちの中で春姫は孤立してないだろ。苛められたとか聞いたかい」

「いや、ぜんぜん。仕事してないって罵られたこともない、ね」

「そうだろうさ。うちでは当たり前の事してるだけなんだからさぁ。孤立なんてするわけないのさ。他のヤケになった子をあんたが見てないのは、春姫ほど手ぇ掛からないからトットと身請けされてるだけだよ。なんたって、あの子ったら男の鎖骨みて気絶するんだもんねえ。真面目で硬そうなのを選んでも、話も盛り上がずに時間切れだし。そもそも、春姫が好ましいと思えるような相手は、娼館に近寄らないような男だし。こりゃあ、ちょっとばかり骨が折れるねぇ」

 

 楽しげに笑う太夫に、思わずアイシャは甘えてしまった。

 

 

 

「春姫は訳アリだよ。イシュタル様は手放さない。あの子に身請けは無理だよ」

 

 暗に無駄な労力を使うのかと聞いてくるアイシャ。心に秘していた事を漏らしたとはいえ、美人さんが後悔に染まった暗い顔をするのは頂けないねえ。

 

「それが?」

「それがって」

「身請けが無理だろうが主神様の訳アリだろうが何だろうが、女の幸せを諦めることにはなりはしないさぁ。あの子は惚れた男に輿入させてやらないと壊れてしまうよ」

 

 春姫も、だけど。

 だから、もう一度宣言する。

 

「だから、任せときな。あの子が、ヤケになったあの子が、好きでもない男に身を任せるなんてさせないよ。惚れた男に輿入れする。苦界に落ちた女に許された唯一の我儘は叶えさせてみせるさ」

「でも、イシュタル様は」

「イシュタル様はそんな洒落っ気に面白味を感じてくださる方さ。話の持って行き方さえ間違わなければね。だから任せときな。

 さ、杯が空きましたよ」

 

 言い募ろうとするアイシャに注いでやる。何かを堪えるかのように、ぐっと飲み干すアイシャ。

 

「何で、そこまで、して」

「意地だよ」

「意地?」

 

 魅了に染まった瞳を揺らすアイシャ。

 アイシャみたいな闊達が似合う子にこんなことするなんて、イシュタル様は洒落っ気を楽しむ粋が有るイイ女だけど品性がないねぇ。

 ま、神だからって自分ではない相手に何もかも求めるなんて野暮な我儘は口にはしないけど。

 

「苦界を生きるモンの意地。娼館の意地さぁ」

 

 心の黒手帳にはしっかり記しながら、限りない誇りを込めて言った。

 目の前のアイシャが目を白黒させると一瞬泣き笑いの表情を浮べ

 

「……女の」

「ん?」

「それを言うなら、女の意地、さ」

 

 だろう。と振り切った明るい笑みを浮かべて酌をしてくれた。

 

「これはあちきとしたことが一本取られたましたねえ……女の意地に」

「ああ、乾杯」

 

 ああ、ここで娼婦ではなく女と訂正してくれるアイシャの酒は旨いねえ。

 

「しっかし」

「なにさ」

「まぁるい目をしたあんたは可愛いねえ。そういう顔して男を誘ったらどうだい。いつもと毛並が違うのが釣れるよ」

「冗談だろ? あたしはありのままの自分が好きなんだよ。アンタみたいに自然と切り替えるなんて無理さ。そうやって釣った相手とよろしくやれはしないよ」

「残念。ま、冗談だけどね。私もありのままのあんたが好きさぁ」

 

 ありがとよ。と笑うアイシャ。うん、やっぱり美人さんは前向いて笑ってないとねえ。

 春姫も前向いて笑ってほしいんだけどねえ。

 殺生石をどうにかしても、それだけじゃ前向いて笑ってくれないからねえ。

 恋焦がれてくれれば変わってくれるんだろうけどねえ。

 

 

 

 

 

 笑いあって心の淀みが薄れて帰ろうとする時に、ふと、アイシャの心に興味がわいた。

 

「そういや」

「ん?」

「あんたが輿入れした男に興味あるね。どんな男だったんだい」

「ん、いい奴だったよ。女好きで恐ろしく頭がよくて活動的で努力家で大胆で人に好かれる術を心得てた奴さぁ。何よりも機を見るのに敏でねえ。その気質のせいで生き急いだ奴だよ」

「……わるいこと聞いたね」

「ん。そんなことないさぁ。惚れた男を思い出すことが悪いことなわけないよぉ」

 

 そう言ってひらひらと手を振る太夫に、躱されたかとアイシャは心地よい余韻を引く朗らかな笑みを浮かべて立ち去った。

 

 

 

 

 

「あんのボケナスどもっ!! 誰の店だと……おもっ、て」

 

 逃げ出した少年を追いかけるアマゾネス達が起こした大騒ぎにより、自分の店を破壊され怒り心頭になった太夫だったが、少年が潜んだと当たりをつけた春姫の部屋から笑い声が聞こえて、その怒りを引っ込めた。

 春姫の部屋から笑い声が聞こえる。

 あの、春姫の部屋から、春姫と男の楽しそうな笑い声が。

 春姫が客を陽気に楽しませる苦界の女の勤めを果たしている。

 

 初客! 

 

「姐さん、春姫が」

「落ち着きな。邪魔しないようにそっと離れるんだよ。そんで、輿入れの膳の準備してきな」 

 

 ついに春姫に客が。感動に目を潤ませ歓声をあげようとする妹分を嗜め、膳を準備させる。

 今夜ことに及ばなくとも構わないさ。食事は無駄にはなりはしないからねぇ。

 思考を回転させながら春姫の部屋の前で控えていた遣手婆に目をやると、彼女は心得たように頷いた。

 

「今宵、春姫を指名した方ではありません。その方は今は別の娘を宛てがいました。今部屋に居るのは騒動から逃げていた方です。逃げてるうちに春姫の部屋へと入ったようで。姿形は残念ながら見ておりません。しかし──」

 

 言葉を切り目に力をいれる遣手婆に、手を回していた判断に対する称賛を込めて力強く頷いてやる。

 

「アマゾネスたちが追いかけまわすほどの男で、春姫と笑い合える男。春姫の客だよ。良い旦那さんじゃないかぁ」

 

 春姫と春姫と笑いあっている少年が知ったならばビビるほど速く太夫は即断した。

 

「承知しました」

 

 春姫の客でありアマゾネスたちには譲らない。太夫の意に同意してこちらも力強く頷く遣手婆は、言葉を区切り懸案を口にする。

 

「帳簿にはそう記しておきます。ただ、酒も膳も前の客のもので、春姫の初客に相応しいものではありませんが」

 

 今夜も気絶する前提で、後で自分たちが食べる用のそこまで豪勢でない膳を出してしまったことを悔いる遣手婆。

 膳を変えるかとこちらを伺う彼女に、責任を負わせることはない。

 

「気にしなさんな。初会で盛り上がっている時に水を差すなんて野暮さぁ。ほら、聞きなよ……酒や膳のことなんか気にさえしてないじゃないか」

 

 漏れ聞こえる声に目を細ませて太夫は頷いた。

 同じく目を細ませながら遣手婆は確認すべきことを確認する。

 

「ありがとうございます……輿入れの気配が見えたらどうしますか?」

 

 輿入れの床前には、「うちの子をよろしくお願いします」と太夫が楼主として挨拶するのが通例だ。

 そして、その挨拶を太夫は楽しみにしている。自分の色香に惑わされない男が真剣な顔をして「こちらこそ」と言ってくれるのがたまらないのだ。

 色香に惑わされる男の場合はそれなりに手を打つが。

 そして、今回は後者の心配はないから遣手婆は確認した。

 

「中に居られる旦那さまは間違われないと思われます」

 

 幾千万の男を見聞きしてきた遣手婆の判断は太夫と同じだ。漏れ聞こえる声だけでわかる。今部屋に居るのは自分の色香などで惑わされない本物の男だ。

 今宵手を出すかどうかはわからないが、太夫と遣手婆が求めるものかそれ以上の態度を取れる男だ。

 だからこそ遣手婆も太夫も迷うのだ。

 

「ああ、間違いないねぇ」

 

 春姫のような手のかかった善良な娘が輿入れする相手の顔を見たいという欲に駆られる。

 だが、そんな欲は直ぐに投げ棄てた。

 

「事後でいいよぉ。挨拶なんてしたら、春姫がガチガチに固まって気絶してしまうからねぇ。お邪魔になるだけさぁ」

「はい、承知しました」

「もし、今宵輿入れ出来なかったら、明日皆で膳囲もうじゃないか。悪いけど、こっちを手伝っておくれ」

「ええ、ええ」

 

 春姫ちゃんがねえ。そう独り言ちながら、にこやかに頬を緩ませる遣手婆とともに太夫は去った。

 この部屋にアマゾネスたちを近づかせないようにするのと店の修理の手筈を整えるために。

 

 

 

 

 

「リトルルーキーとは良いの捕まえたねえ」

 

 予想通り、不要となった輿入れ膳を店員達と片付けながら大夫は言葉を出した。

 贅を凝らした輿入れ膳は最高だ。旨いし、食事を通して品性を育んでくれる。

 あぁ、春姫は無しだ。

 そもそも今寝込んでることもあるが。

 そもそも春姫用の輿入れ膳なのだからお相手と食べなくてどうする! 

 

「でもさあ、姐さん」

「ん?」

「ヘスティアファミリアってさあ、有名な借金ファミリアじゃない。春姫の輿入れ代払えんのかなあ」

 

 大借金持ちは客としては最悪だ。ようやく客が取れた春姫の身を案じて不安げな顔をする娼婦に太夫は微笑んだ。

 

「何の問題もないさぁ。あれ、利子無しのお代は主神労働ってやつだからね。神ヘスティアの我を、神ヘファイストスが受け入れるための条件なんだよ。何百年かかっても働いて返せっていうね。今まで、借金返済の督促も何もないってのはそういうことさぁ」

「へえ、姐さんが言うならそうかあ。ふうん、なら、支払いは、問題ないか。春姫って、その……ぶっちゃけ、安いし」

「つらと体と品がよくてもねえ。男の裸見て気絶する娼婦って客の噂になるような子に高値は付けられないよ」

「床入りしなくても、酌するなり唄歌うなり物語を語るなりして客を楽しませてこそ私たちの仕事なんですけどねえ」

「昨日は仕事したから良いじゃないの」

「批判してるいるのではないですよ。嘆いていたのです。あの子は芸字に通じて物覚えが良くて心映えの優しい幾らでも稼げる子なのに、と。まあ、それも過去のことですけど」

「ようやく、初めて、一人の相手だけどね」

「評判の良い最速のレベル3。上客も上客。あれほどの客なら一人で十分すぎます。それに、そもそもあの子が他の殿方の相手をするのは無理でしょう。ここは、ようやく捕まえた客が、上客であることを祝いましょう」

「だね。まあ、これからが稼ぐときか。十中八九このまま身請けだろうけど」

「そうなるだろうね。そのほうが春姫には良いよ。春姫ってば、何だかんだ言って身請けされても店の恥にならないだけのモン身につけてるから遠慮なく『送れる』しさあ……そういや、稼ぎで思い出しだんだけどさあ、姐さん」

「ん?」

「最近、姐さん目当てで春姫を指名する奴がいるって本当?」

 

 品を保ちながらワイワイと騒ぐ娼婦たち。その話を聞きながら煙管をくゆらせる太夫に、覚悟を目に宿した先輩娼婦がジト目で見る。春姫のことは気に入っているが、楼主を兼務している太夫の負担になるようならば追放なりそれなりのことをしなければならない。

 不良債権と化しているあの子を引き取ってくれるような店は少なく格が落ちるし、意識を失い犯されかけるあの子を助けてくれるような店となると寡聞にして知らないが。

 

「ああ、居るよ。そういう奴はアイシャとかに頼んで叩き出してもらっているから何の問題もないさぁ」

「そっか」

 

 ほう、と安堵の吐息が満座の中に漏れる。

 基本的に心映えの優しい春姫を嫌っているものはいない。いい加減にしろと苛立つものはあっても。

 

「それよりも、春姫だよ春姫。あんたらの目から見てどうだい、今?」

「もう、あの人の事しか考えられない状態」

「あれは間違いなく恋焦がれてるわぁ」

「恋をすると、女は変わりますからねえ。殿方は何でか気付いてくれないのですけれど、同じ女にはすぐ分かります」

「ため息ついてばかりでねえ」

「自分から鏡見て化粧するようになってねえ。今日も寝込んでますし」

「恋煩いで寝込むかぁ。春姫がねぇ」

「男を怖がってたあの子がさあ」

「てか、男だけじゃなく娼館ごと恐がってるよね、あの子」

「育ちがいい子なんだよ。あの子の世界に、娼館なんてものは関わるどころか、本来は視界に入らない存在なくらいに育ちがいい子なんだ。ましてやそこで自分が働くなんてさ。自暴自棄になるだけで、心が病まなかっただけあの子は偉いんだ。最近は、表情が柔らかくなってることを喜びなよ。まだまだ影があるのが頂けないけどね」

「私は春姫のそういうとこ嫌いだよ。格子にまでなったくせに、ぜんっぜん金稼がない娼婦をあれだけ長いこと置くなんて。アイシャがバックにいるからって姐さんくらいしか許さないよそんなの。ま、ようやく金稼ぎそうだけど……てか、あの子自分から輿入れ誘えんの?」

「「「無理でしょ」」」

「リトルルーキーも遊び慣れて無さそうだしねえ。男側からガバっとは無理だろうね。いっそ盛る?」

「酒と薬頼り何て無粋にすぎるよ。輿入れまでの時間を楽しむのが粋でしょうが」

「あの二人だと、輿入れまでしばらくかかるだろうしねえ。しばらくは『会』にして、二人きりで茶と膳を楽しませたらどう?」

「『会』だと花代は三分かあ。ま、今まで、張見世で呼ばれて気絶して稼ぎゼロよりは全然マシかなあ」

「それでいいじゃないか。しばらくは『会』ってことにしようよ……姐さん、いかがでしょうか」

 

 喧々囂々とした意見。手のかかる妹分がようやく前を向いたことを歓迎する意見。それらの意見に太夫はこくりと大きく頷く。

 

「よし……取り敢えず、春姫はリトルルーキーの馴染みってことにするよ。これから春姫を指名する他の客がいたら、先客の相手してるっていいな」

「「「あいあいさー」」」

 

 満面の笑みで敬礼する娼婦たち。

 客の男神から聞いた言葉で合わせてのける彼女たちに太夫は苦笑する。

 

「で、支払いは? 見送りまでするくらい相手に夢中だったんなら春姫にはカネ取れなかっただろ。誰か、リトルルーキーからカネ受け取ったのかい」

「「「あ……」」」

 

 春姫が客を取れたことに盛り上がっていた娼婦たちが青ざめる。

 見送りまでしたのに金を取れなかった春姫に責任はない。客に夢中になった娼婦が金を要求する事に後ろめたくなるのは自然なことだ。

 だから、こういう時には店の誰かがそれとなくカネを請求するのだが、遣手婆を含めた従業員は破壊された店の修理や怪我人の治療でてんてこ舞いになってしまっていた。

 なので、先輩娼婦たちがするべきなのだが

「いやあ、春姫の初客の前に別の女が顔を出すのはさ。なんか違うよね(意訳)」そんな後輩の初客を奪うことに通じる真似をするような、太夫から言わせれば品のない娼婦がいないことが仇となった。

 だからこそ太夫は嫣然と笑う。娼館の掟が守られていることの満足の笑みを。

 

「仕方ないね。ツケにしとくから、帳簿はコレで埋めときな」

 

 後日纏めて請求するのがこの娼館の掟であり、そういう時に穴を埋めるのは楼主でもある太夫の仕事でもある。

 かくて、自身が借金を背負ったと自覚がないベルを置いて、何気ない苦界の一日は始まるのである。

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