止まっていた時が動き出す
街の向こうから陽が昇り
かつて芽吹いた薔薇の香が
風に流され揺れている
CiRCLEの重たいガラス戸を押し開ける。先日のライブが無事に終わってから、こうしてRoseliaで集まるのは初めてだ。アタシはきっと今日も練習があるのだろうと、家でクッキーを焼いてから、こうしてスタジオの方に出向いたのだった。けれど、アタシが少しだけ遅れて予約していたスタジオに向かおうとしたら、フロントでアタシを呼び止める声がした。
「リサ、こっちよ」
「あれ、友希那と、……えっと」
そこでは丸テーブルを囲うように、Roseliaのみんなと、あと1人、見知らぬスーツを着こなす女性が座っていた。まりなさんよりもう一回りぐらい歳上の、気品と風格を備えた女性だった。
「お待たせしました。これで私たち5人全員揃いました」
「それでは、ここでもなんですから、スタジオの方でお話ししましょうか」
アタシが椅子に腰掛けるよりも前に、みんなが立ち上がりスタスタとスタジオのある廊下へと歩いていく。いつになく緊張感の漂う、糸が張り詰めたような空気感の中、みんなの背中をつい見送っていた。
「……リサ? 行くわよ」
「あ、ごめんごめん!」
どういうわけだかぼうっとしてしまったアタシの耳に、友希那の澄んだ声が通り抜けていったのだった。
いつも使用しているスタジオがなんだかまたいつもとは別の、それこそオーディションの会場かなにかのような錯覚に囚われる。音楽業界のとあるプロデューサーであることを明かしたその女性の言葉に、Roseliaのみんなは釘付けになっているからだ。
「先日のライブ、拝見しました。間違いなくこの分野のバンドとしてはトップレベルのスキル、パフォーマンスを持っていると、私、確信いたしました」
「ありがとう。そう言ってもらえると、嬉しいわ」
「喜んでもらえて何より。特に湊さん、貴女の才覚はメジャーデビューしても通用するでしょう。……潜在能力だけで言えば、貴女のお父様を凌駕すると、私は考えています」
「……! ……そう」
褒められているというのに、友希那の表情が綻ぶことはない。けれど、一瞬だけ友希那は表情を崩した。それは勿論、お父さんの話が出てしまったから。けれど、そこには自分自身の音楽なるものに愚直に向かい合う友希那の姿があった。
「……今度、とあるコンテストが行われます。準備期間はそれほどないですが、トップレベルのアーティストだけが、推薦により参加するものです」
その女性の話を聞いて、アタシたちの空気はピリついた。だってそれは、いつぞやのファーストライブを終えて、Roseliaがバラバラになりかけたその時をなぞっているようだったから。1番早く、反応をしたのは、紗夜だった。
「お話はありがたいですが、ヘッドハンティングであれば」
「いえ」
「え?」
紗夜が釘を刺そうとしたら、それはすぐさま否定される。
「今回私がお願いしにきたのは、Roseliaとしての出場です。そもそも湊さんを引き抜こうとして、失敗した話は私どもの間でも一時期噂にはなりましたから。私たちはそんな頓珍漢なマネは致しません」
「そ、それじゃあ」
「Roseliaとして、出てみませんか。勿論日程の都合なんかもあると思いますから、無理強いは致しません」
その言葉にどうしようかと、見合わせるアタシたち。けれど、次の言葉がもう一度アタシたちをそのコンテストへと食い付かせた。
「……詳しくは話せませんが、FWFの枠が、1つ空きました」
「……え?」
「コンテストの優勝グループには、FWFへの推挙状を授与します。詰まるところ、ダークホースとして、FWFの舞台に推薦いたします。他でもない、この私が」
みんなの目の色が変わった。それは友希那だけではない、紗夜も、あこも、燐子も、そしてアタシも。ちょっと前、頂点になり得なかったからこそ逃した、FWFへの切符。狭き門だ。けれど、今度こそ頂点に立てば、ようやくその舞台に食らいつくことができる。
「やります」
答えは明白だった。友希那の声は鋭く響いた。
「……この紙に、要項は全て書いてあります。期待しています」
その女性は分厚いファイルから1枚の用紙を取り出すと、テーブルのど真ん中に広げ、立ち上がった。そして深々と頭を下げると、スタジオを後にした。ドアが閉まる音がした。
「……やるわよ」
「……はい!」
友希那の声はいつにも増して、力がこもっていた。諦めかけていたFWFのチケットが、もう一度手に入れられるかもしれなくなったのだから、当然と言えば当然であった。その日の練習がいつにも増して、厳しいものだったことは言うまでもない。
「友希那、もう一度チャンスが回ってきて、良かったね」
「……えぇ。けれど、手放しに喜んでいる状況ではないわ。私たちはもっと、更なるレベルアップをしないと、勝てない」
「……うん。そう、だよね」
「もっと、もっと、歌を磨かなくちゃ。……お父さんを、越えないと」
友希那は空高くを見上げていた。隣を歩くアタシは、それを横目で見ることしかできない。やがて、数分もしないうちに、家へとたどり着く。
「それじゃあリサ。また明日」
「うん。友希那も早く寝なよ?」
あのプロデューサーの女性が言うように、友希那はRoseliaの、謂ば最大の武器のようなものだ。きっと友希那は、力みすぎて、また新しく徹夜で曲を作り始めたり、闇雲にボイトレを始めたりで睡眠時間を削りそうだから、アタシは釘を刺しておいた。発破をかけられた友希那のことだから、みんなで止めなければ盲信的に喉が潰れるほどまで自分を追い込むだろう。何より、友希那が無理をするのが怖かったし、……少しだけ、後ろめたい気持ちもあった。
「えぇ。分かっているわ。おやすみ」
友希那の姿を見送ったアタシは、さっきまで友希那が見上げていた、夜空を見上げる。満点の星が浮かんでいて、そこそこ都会だと言うのにこれだけ綺麗に見えると言うのは、今日の空気が凛と澄んでいるからなのだろうか。淀みのない夜の空が、無性にも羨ましく感じられた。
「……リサ」
「あれ、柳?」
アタシがいつのまにか夜空に気を取られていると、アタシの名前を呼ぶ声がした。予想していなかった人物の登場に、少しだけ心がざわついた。
「ちょっとだけ、上がって話してもいい?」
「あ、うん。じゃあアタシ、ちょっとだけやることあるから、先に上がって待ってて?」
柳には2階に昇っていって、先にアタシの部屋の中で待ってもらおう。ざわついた心を少しだけ落ち着かなきゃいけないし、手を洗ったりもしなきゃだし。洗面台で顔を洗って、鏡の中や自分を見る。半分は部屋の光が当たって明るいのに、もう半分は夜闇のように真っ暗だった。アタシは顔をぶんぶんと振って、待たせている柳の元へと向かう。きっと、わざわざ家まで来てだったから、何か話でもあるのだろう。
「お待たせ、柳」
「リサ。いいんだよ、帰ってきてバタバタしてるのに、上がり込んでごめんね?」
「んーん。何かあったの?」
「……そんなに大したことじゃないんだけどね」
どうやら様子を見る限り、柳は話しづらそうにしていた。なら、先にアタシから色々話を振った方が良いのかもと思って、口を開いた。
「……そういえばね、今日。新しいコンテストの推薦を貰ったんだ」
「……へぇ。もしかして、FWFの?」
「え、なんで分かったの?」
「……僕にもちょっと、その話が来たから」
「え、えぇっ?!」
あまりに突然の告白にアタシは相当大きな反応をしてしまう。そもそも柳はネットで活動しているし、かなり知名度もある。けれど、ソロでしか活動をしていなければ、所謂ロック系を歌うわけでもない。
「……Roseliaにも、来たんだ。その話」
「え、う、うん」
「勿論受けるんでしょ?」
「それは、勿論そうなんだけど。柳は?」
「……僕も流石にこんな状態だし、ジャンルもそぐわないって思ってるから断ったんだけど、また今度赴くから、その時までにでも気が変わったら教えてくださいなんて言われちゃった」
「そ、そっか。……すごいね、柳」
「……ありがと。こうして考えたら、僕の歌って、意外と色んな人に聞いてもらえてるんだなって、ちょっとだけ実感した」
「ほ、ほんと?!」
それはアタシにとって、少し寂しいことだけど、嬉しかった。あれだけ自分の音楽を否定してしまっていた柳が、求められるRyuとの乖離にも苦しんでいた柳が、少しでも前向きになれたということだったから。
「……そうだ。僕、ちょっとずつ、歌のこと、ちゃんと考えられるようになったよ」
「本当に?!」
「わわ……」
「あ、ご、ごめん。それで?」
「……なんとなくだけど、歌いたいって、こんな歌が良いって、そう思えるようになった。歌詞に乗せる言葉が思い浮かぶようになった。……ありがとう、リサ」
「アタシは……お礼言われるほどのこと、してないよ」
「ううん。リサのお陰だよ……」
「……そっか。苦しくない? 歌ってて、辛くなったりしたら、無理しなくてもいいんだからね」
柳を心配する自分と、友希那に嘘をついてるみたいな自分が混ざり合って、心のざわつきがより大きさを増した。
「うん、大丈夫だよ。今は……なんだか、歌えていなくても、良い気持ちなんだ」
「あはは……。そっか」
柳はアタシの隣に腰掛ける。友希那の顔が一瞬だけ、頭の片隅に浮かんだけど、それを掻き消したのは、こちらを向いて、戯けて笑ってみせた柳だった。
「……うん、いつか、リサにも、聴いて欲しいからさ」
夜の静かな部屋の中で、優しい声が響いていた。柳の声を聴いているだけで、アタシの心は少しずつ安らかになっていた。
あの日姿を眩ませた
亡霊の住処が顔を出す
闇に震えて目を瞑り
火影の下に駆けてゆく
☆9をくださった、睦月稲荷様、MIC Drop様、原始人様。
☆8をくださった、北の大地よ様。
高評価していただきありがとうございました。