汚れを知らない薔薇の花弁
理想と現実に阻まれて
濁った色に変わりゆく
嗚呼あの時はあんなに色鮮やかだったのに
歌わなきゃ。歌わなきゃいけないのに。こんなところで立ち止まっていたら、私はいつまで経ってもお父さんの音楽を認めさせることなんてできないのに。お父さんを越えるどころか、同じ土俵にすら立つことは出来ないのに。
「もう……時間」
私はRoseliaのみんなに厳しい練習を課している。それはFWFの舞台にRoseliaとして立つため。今のままじゃ、今のRoseliaじゃまだそこには辿り着けないって思っているから。だから私はもっともっと、歌い続けなければいけない。
……なのに、私はこうして、CiRCLEのスタジオに行かないといけない時間が迫っているのに、未だに自室でクッションと戯れて、無心でいようとしている。
昨日の練習。歌っている最中。どうして自分が歌っているのか、ふと一瞬分からなくなって、サビに入った途端に声が出なくなってしまった。当然、何が起きたのか心配してくれたみんなは演奏を止めて、リサなんかは物凄く心配そうな表情で顔を覗き込んでくれる。
けど。
分からない。自分でも分からない。なんだか突然、歌っている自分の声が嫌になって。そもそも歌っていること自体の目的を見失って。頭には迫ったコンテストのことも、お父さんの音楽を認めさせたいって気持ちもあるはずなのに。ふと、なんだか歌えなくなった。
頭の中では『歌わなきゃ』って分かっているのに、ほんの、ほんの一瞬だけ『歌いたくない』と、そう思ってしまったのだ。
『一旦休憩をしましょう。ここのところ練習が続いていましたから、湊さんも疲れが溜まっているのだと思います』
『そうだよ友希那。休もう?』
『……えぇ』
それから、一度休憩して。またマイクを握って歌い始める。喉の調子が悪いというわけではなく、ただどういうわけだか歌に対する拒絶反応というか。歌っている自分が滑稽に見えて、数曲歌ったらまた同じことが起きた。
『友希那さん……大丈夫……ですか?』
『……大丈夫よ』
何度か休み休み、歌ったのだけど、それからも度々そんなことが起きて。結局、時間一杯スタジオを借りていたのに、私のせいで曲は4度ほど止まることになってしまったのである。
ただ単に喉の調子が悪いだとか、疲労だとか、それだけなら良かったのに。迫るコンテスト。伸びきらない自分の歌声。不安を覚えたまま、私は自室に閉じ籠った。
バタンとドアを閉じた瞬間、1ヶ月ほど前のあの時、この部屋から柳が出ていく瞬間のことを思い出した。帰ってきたばっかりなのに、柳が最後に姿を消したドアを見るのが辛くなって、私はベッドに倒れ込んだ。
私がRoseliaに集中したいからって、だから暫く距離を置こうって。特段別れたいとか、そういうのではなくって。
でも、柳は私が柳の歌を聴かなくなった、構ってくれなくなったと、そう詰る。正直、柳にそんな我儘言って欲しくなかった。けど、けれども、それは、それよりももっと酷い我儘を尤もらしい口上で覆い隠してしまった自分が居たからだった。
そんな中、ふと、何を思ったのか、カーテンを開けてしまった。きっとこの思い出が締め切られたこの部屋で、閉じ籠っていると、自分がさらに情けなくなりそうだと思ったからだろう。Roseliaのことを考えるために、この部屋に閉じ籠っているのに、昼の練習でRoseliaの歌を歌えなかった自分に嫌気がさしたからだろう。
それは、結果論だが、考えられる中で最も悪手だった。
『——』
『——』
窓の外、リサの家の前で2人の幼馴染が話していた。
『……リサ。柳』
それを見た瞬間、腹の底からドス黒い気持ちが吹き出した。それは嫉妬だとか、そんな感情ではなかった。けれど、本当ならあそこに私も居れたはずなのにっていう後悔と、かつての自分への怨念だった。
少し前ぐらいから、気になってはいた。リサの部屋から時折、2人が歌っているような声が聞こえていることがあったから。それが顕在化したのだ。
でも、それを咎めるような真似は私には出来ない。その資格はない。私は彼を、自ら切り捨てたのだから。私には優しくなんて、なれないから。
『——』
『——』
流石に会話は聞こえない。けれど、こんな夜遅くなのに、リサは薄着で門扉を開けて、外へと繰り出していった。ブロック塀の上から、2人が並んで歩く頭だけがひょこひょこと動いていた。
何が何だか分からなくて、私は結局さっきのようにベッドの中へと潜り込む。自分がなんで今そんな感情に苛まれているかも分からなくて、私は頭を抱え込んだ。
ずっと外を監視していた私は、帰ってくるリサと柳を認めてカーテンを閉める。これ以上はいけないって。
本当なら昼間の不調を取り返せるぐらい家でも声出しに取り組んだ方が良いだろうに、私はなんだか怖くなって、眠りについた。
そして目が覚めて、今に至るというのに。私の脳裏には昨日のあの光景がベッタリとこびりついている。それこそ、丁度、柳が以前に歌っていた、未練がましい恋を蝋に溶けて喩えた蝋燭のような。……柳のことを未だに思い出してしまう私はきっと、馬鹿か何かなのだろう。
「……行きたくない。えっ」
ベッドサイドに腰掛けていた私は、ふとそんな言葉を吐き出した。自分自身が1番驚いた。だって、今からCiRCLEで、夢に向かって近づく時間なのに。歌を磨いて、あの舞台に立つための時間なのに。私は今CiRCLEに、「
「どう、したら」
その時、外から声が聞こえてきた。私の名前を呼ぶ声。立ち上がって、ドアを開ける。廊下を歩く。階段を降りる。
震えている。足が震えている。
ドアが開いて、リサが顔を出した。その表情には私を心配する優しい気持ちが滲み出ていた。
「友希那? CiRCLE行こ?」
「……ごめんなさい。今、準備してくるわね」
「もぉー。やっぱり友希那は朝弱いもんね。アタシも手伝うよ」
「あっ……」
リサは優しいからこうやって、私の朝の準備を手伝ってくれる。喩え私が、どうしようもなく音楽以外が盲目で、音楽ですらも自分勝手で、Roseliaを振り回した私にも、どこまでも優しく居てくれた。
分からない。私にはそんなリサが。……我儘なんて、言ってられない。
「準備できた? 行くよ?」
「……えぇ」
私がテキパキと行動できなかったから、CiRCLEに着いたのは時間ギリギリだった。みんなからの私に対する目線は、一様ではなかったけど、そんなことを気にしている余裕すらなかった。
「……いくわよ」
私は歌い始める。けれど、その日も調子は芳しくない。声は安定しないし、歌詞が飛ぶことすらあった。悩みながら歌っているものだから、感情は乗らないし、散々であった。
「友希那さん、大丈夫ですか……?」
「……えぇ」
「全然大丈夫じゃないでしょ? 友希那」
リサの声が私の耳を通り抜けていった。リサの言う通り、全然私は大丈夫じゃなかった。
「……ごめんなさい」
「湊さん、もっと集中してください。刻一刻と、コンテストは迫っているんですよ」
「……えぇ、そうね。ごめんなさい」
「ちょ、紗夜もそんな厳しく言わなくても」
「喉の調子が悪いことに関しては、それほど強く言えませんが、歌詞を間違えるのは集中に欠けているからでしょう。不安な気持ちは分かりますが……、悩んでも仕方がありません」
「紗夜さんの言うことも分かるけど……」
「……いいえ。私の集中力不足よ、何度も止めてごめんなさい」
「友希那……」
結局、根気で一度は持ち直したものの、昨日と同じような歌を歌う自分への悩み、そして柳とリサの逢瀬を目撃してしまったことに心を掻き乱され、練習はうまくいくことがなかったまま、帰途に着いた。
今日は気分を変えたいからと、リサや紗夜、あこ、燐子たちに言って、1人で帰ってみる。夕焼けに染まり始めた街並みは少しばかり物寂しい。
「……柳の歌」
どういうわけだろうか。去るものを追うなんて、などと言っていた私は自分から手放したものをもう一度確かめようと、その人の歌声を探していたのだ。帰り道、川沿いの道の柵に凭れ掛かり、スマートフォンを取り出した。
Ryuの歌は暫く聴いていない。自分から拒絶した癖に、今となっては何か手がかりを求めて、私は無様に柳の歌を聴こうとしているのだ。
「……あった」
私が柳と別れる直前の歌。あまり聞きたくないのだけど、私は意を決して再生ボタンを押した。
懐かしい柳の声。本当は大好きな柳の声が聞こえてくる。率直に私への恋焦がれる想いを歌っているその曲。端的に言えばラブソング。思えば私はこんな曲を聴いて安心していたのかもしれない。
思いの外短かった曲を聴き終わり、私は画面をスワイプして、最近上がった曲を見る。暫く投稿の期間が空いていたが、最近は徐々にcoverの楽曲も、オリジナルの曲も上がっている。
「すぅ……はぁ……」
珍しく呼吸が荒くなった。私は指の震えを抑えながら、画面の中央をタップした。
薔薇を愛でたら傷つくからと
優しく僕を受け入れる君
陽だまりのような安らぎを
静かに注いでくれる君
慈愛に満ちた君の声で
闇に堕ちてた僕の心は
素朴な愛を知ったんだ
☆9をくださった、kelpコンブ様、ヴィラン・シラユキ様、風山さんっ!様、しばのすけ様、チョーク様。
☆8をくださった、Shun1114様。
高評価していただき、ありがとうございました。