薔薇は青いままでいい   作:敷き布団

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第16話 黙認の業を背負って

僕が密かに抱いてた

昏い地底に咲く花に

咽び嘆いた思い出を

君はいつしか知っていた

 

 

 

 

 

柳の部屋を出た私は、ついさっき言われたばっかりの柳の言葉を何度も何度もなぞり続けていた。決して先の見えない、歌を、音楽を失うことに向き合った柳からの言葉。他でもない私だけの役目があるということ。

 

『リサしかいないんだよ。友希那のことは……リサにしか分かんない』

 

幼い頃から、ずっと一緒だった。勿論すれ違うこともあったし、距離を置くこともあった。でも、きっと根本のところはずっと変わらないはずだから。

だから柳にそんな懇願を受けたアタシが向かうところはただ一つだった。柳の家の前に、因縁のように聳え立つ、湊家の家屋。普段なら幼馴染の住んでいるところとして、とても近しい場所に見えていたのに、最近はずっと、魔窟のようにすら感じていた。

 

「よっし……」

 

柳と約束したのである。友希那の声、取り返してみせるって。Roseliaでまた、歌えるようにしてみせると。そしていつか柳にわかってもらいたい。好きになってもらいたい。Roseliaが創る音楽を、心の底から。

 

いつも以上に暗く見えるドアをノックすると、中からは小さい返事が聞こえてくる。アタシはそっと、軋む音すら立たないほどに静かに、ドアを開けた。

 

「友希那、今、時間いいかな?」

 

「……どうしたの?」

 

友希那はいつも通りと言えば、いつも通りベッドに倒れ込んで顔を伏せている。ここからではその表情を読み取ることは出来ないけど、その表情はきっといつも通りではなかった。

 

「んー。……友希那と話したいなって、思ったから」

 

「……そう」

 

アタシがベッドの方に歩み寄っても、何も文句を言うことなく、体勢を変えることもなく、友希那はこちらを見ようとしなかった。顔が見れないのは、ある意味でありがたく、ある意味で辛かった。思えば、つい半日前ほどに、アタシは友希那に思い上がりの同情を加え、当然のこととして怒らせてしまったのだから。

とにかく気まずかった。きっとこのままアタシが無言で待っていたとしても、友希那は自分からは話さないだろうし、それならばアタシが話始めるしかないわけだけど。そもそも話がしたいと言ってここに来ているのに、アタシから話を振らないのは訳がわからないのだが、それでもスッと言葉が出てくるまでには長い時間がかかった。

 

「……話の前に、私からも話があるわ」

 

「……え?」

 

ようやく決心をつけて、口を開こうとした瞬間、友希那に先を越される。アタシは一体何を言われるのだろうか。ほんの少し前までのアタシなら、もしかしたらアタシにRoseliaを辞めろって言われるのじゃないかと恐れていたのかもしれない。そんな蓋をしてきた臆病さに打ち震えていただろう。

 

「さっきは、その……CiRCLEで、リサに酷いことを言って……ごめんなさい」

 

「……ううん。良いんだよ、友希那」

 

「……え?」

 

「え?」

 

友希那の素直な言葉に安心してそう返したら、どういう訳だか友希那は驚きの目でこちらに振り向いた。

 

「どうしてそんなに……。私はあなたに……酷い言葉を」

 

「友希那が言ってくれたことは間違ってないし、その言葉を聞いたらもっと頑張らなきゃって思ったから! ……だから。良いんだよ、友希那」

 

「……」

 

アタシの言葉に、友希那の目は泳いでいた。もしかしたら友希那はアタシがもっと激昂してもおかしくないとか、そんな風にでも思っていたのだろうか? アタシがそんな、友希那に怒るなんて、ないだろうに。

 

「リサは……。いえ……なんでもないわ」

 

「そ、そう? とにかく、友希那も歌えなかったりして、気が動転してたこともあるだろうし、アタシは気にしてないから、ね?」

 

「……ありがとう」

 

言いたいことはあらかたそれだけであったようで、アタシはそろそろ本題に入ろうかと思い、もう一歩友希那の側によって、腰を下ろした。

 

「……リサの話したいことって何かしら」

 

「んー。友希那がなんか……歌うことで悩んでたみたいだから、ね?」

 

悩んでた、なんてものでは済まないほどに、友希那の歌の調子は悪かった。少なくとも、歌おうとしても歌えなくなってしまったぐらいには。歌えなくなったと言っても、それはまた柳とは別のようにも感じられたし、友希那は歌いたくても歌う瞬間になると声が出せなくなってしまうような、そんな感じだったから。

 

「……自分でも、よく分からないの」

 

「わからない?」

 

てっきりアタシは友希那自身に悩み事だとか、そういうことがあったから、調子が悪くなっているのだとばかり思っていたから、友希那本人がその自覚がないという想定はしていなかったのだ。

 

「どうして、歌う時になると声が出ないのか、分からない」

 

「普段話してる時は、普通に話せてるもんね」

 

「……声も出る。Roseliaとして高みに行きたいとも思っているし、FWFにも出たいと思っているわ。……けれど、歌おうとした瞬間に、歌いたくないと思って、喉を閉じてしまうの」

 

「歌いたく、ない……?」

 

「……歌うことが虚に感じられて、なんだか嫌に、なってしまって」

 

友希那はそこまで話し合えると、ノロノロと立ち上がって、窓際に立って外を見下ろしていた。……なんだか、少しだけ心がちくりと痛んで、思わず声が出そうになった。

 

「……だから、ごめんなさい。リサに来てもらって悪いのだけれど、どうしようも出来そうにないわ」

 

「ど、どうしようもないって……。でも、コンテストも迫ってるし……」

 

アタシの頭の中には、ついさっき約束したばかりの、友希那の声を取り戻すという言葉が幾度となく反芻していた。迫るコンテストへの焦燥感と、アタシがなんとかするんだという、ちっぽけな自負、責任感がアタシを包む。

 

「どうしたら歌えるようになるかなんて、私自身も分からないもの」

 

友希那は外から目線を外すことなく、虚ろな目をしている。私が腰を下ろしているところから外を見ても、アタシの家の屋根ぐらいしか見えなくて、アタシは立ち上がって友希那の隣に寄った。CiRCLEの時は肩に手を置いたら撥ね除けられて、ただただ悔しさと哀しさが募ったけど、今度は距離を取られたりはしなかった。

 

「歌おうとすれば歌おうとするほど……。お父さんの音楽を認めさせたいって、思えば思うほど苦しくなって、何も考えられなくなる……」

 

友希那は近づいたアタシに視線を向けることもなく、ずっと外の一点を力なく見つめているようだったから、その視線を少しだけ追ってみた。斜め下の方を向いたその視線の先にはせいぜいアタシの家の玄関ぐらいしかなかった。

 

「……歌を取り戻した、……柳は、一体、……どうしていたのかしら」

 

「……え?」

 

「……いえ、……何でもないわ」

 

突然友希那の口から発された柳の声。アタシは思わずハッとした。途端になんだか息が苦しくなって、喉の奥が締め付けられるような気がした。

 

「柳が歌えなくなってたこと……知ってたの?」

 

「……本当に歌えなくなっていたかどうかは、知らなかったけれど、柳がそう歌っていたから」

 

「……そっか。柳の歌、聴いてたんだ」

 

アタシは全身から汗が噴き出すような。ずっと自分がこれまで長い間、見ないフリをしてきたそれに、向き合わなければいけないような感覚に陥った。……柳は友希那が柳の歌を求めなくなったって言ってたから、ずっとアタシは、友希那は柳の歌を最近は聞いていないものだと思っていたし、友希那自身が柳のことを切り捨てたんだって、内心思っていた。

 

「……一時期聴いていなかったけれど、少し前に、聴いたのよ」

 

……アタシはあのライブの夜。ボロボロに崩れていく柳がとうとう見ていられなくなって、不憫に思って、ずっと昔に抱いていた密かな、叶わなかった想いを静かに満たせたらいいな、なんて。後先顧みずに軽率にその再燃に踊ってしまっていたから。

 

「ごめんなさい。忘れて」

 

「う、うん……」

 

アタシはそう返すのがやっとだった。その瞬間アタシは自分が何をしていたかということを否応なしに考えざるを得なかったから。友希那は無慈悲に柳を切り捨てたとはいえ、アタシはその幼馴染の元恋人は懐に入り込んだゲスであることには違いなかったから。

最低なやつだ。柳の歌う意味を取り戻してあげたいなんて大義名分を掲げて、弱みに漬け込んだクズ。今までずっと、無意識のうちに考えないことにしていた。そこを考えた瞬間、柳が壊れちゃうんじゃないかって、怖かったから。

友希那は小さく謝ってから、物静かな外を、一瞬だけアタシの部屋を見て、それからさっきからずっと見つめていたアタシの家の玄関を見ていた。アタシと柳がいつも、背徳を重ねていた場所。

そっか。……そうだったんだ。友希那が歌えなくなった原因って。原因って。アタシと柳なんだ。アタシは悟った。

 

「……どうしたの? リサ」

 

「ううん……なんでも」

 

アタシはクズだった。幼馴染を裏切ったんだから。

それなのに友希那は何も言わずに、ただ音楽に向き合い続けていた。

でも……それならばアタシは、一体どうすれば良いんだろうか。アタシは歌を失った柳を助けるために柳と親しくなって、そんな柳に友希那の声を取り戻してと、取り戻すのはアタシしかいないって託されて。……でも、きっと友希那が声を取り戻すには、アタシと柳の関係をなんとかしないとダメなのだろう。

 

何も間違ったことではないではないかと、アタシの中の良心が囁く。元より叶わなかった関係なのだから、潔く精算すべき関係じゃないかと。

今更何をしたってもう遅くて手遅れだと、アタシの中の悪心が嘯く。お前はずっと恋焦がれていた相手と結ばれたのだから、それで良いじゃないかと。やっと手に入れた宝物を捨てるのは惜しいだろうと。

 

柳とこういう関係になったことに後悔はしていないのに、軽率な自分を恥じて、愚かな自分に後悔をしていた。無茶苦茶だった。

 

「リサ。明日も練習があるでしょう? そろそろ帰って寝なくてもいいの?」

 

「え?」

 

放心状態だったアタシの耳に届いたそんな声。

 

「だから、明日もCiRCLEの予約、取っていたでしょう? 早く寝ないと起きれないわよ」

 

「……あ」

 

違う。ダメなんだ。アタシは、友希那に謝んなくちゃ……。友希那に、ごめんって、謝んなくちゃ……。黙っててごめんって。言わなくちゃ……いけないのに……。

 

……謝ってどうするの?

どう謝るつもり?

友希那の元カレと付き合っちゃったって?

どの面を下げて、今貴女は友希那の幼馴染のフリをしてるの?

謝ったって許してくれるの?

謝っても許されることではないよね?

 

ダメだ。……ダメだ。

ダメだダメだダメだダメだダメだ。

 

脳の神経が灼き切れる。心臓が握り潰されて苦しい。漸く振り絞った言葉は、皮肉にもついさっき柳に吐き出してしまった、嘆きだった。

 

「……アタシ、Roseliaに居ちゃ、ダメだよ」

 

アタシは、友希那を裏切ったのに。

 

「……リサは、Roseliaの大切なベースよ。昼間のことを気にしているならごめんなさい。……あなたがいなければ、絶対にRoseliaはバラバラになる」

 

「……うん」

 

違うよ。違うよ。

言いたかったけど、声が出なかった。言わなきゃって分かってたのに、言えなかった。

 

「だから、これからもよろしく。リサ」

 

「……うん」

 

遂に最後まで、声に出すことは出来なかった。アタシは、Roseliaを選ばなくちゃいけないから。Roseliaを選ぶために、この場では何もなかったフリをして、柳を捨てなくちゃって。どっちを選んでもクズには変わりがないけど。

アタシは結局、怖くて何も言えないままに、友希那の部屋を後にするしかなかった。そして、この陋劣で姑息な関係に終止符を打とうと、心を鬼にしながら床に就いたのだった。しとどに枕を濡らしながら。

 

 

 

 

 

君は知ってたその嘆き

僕は気づかぬフリをして

空虚で明るい陽だまりに

今でもずっと追い縋る

何にも見えない道の先

僕はそれでも構わない

喩え歪んだ道だって

明るいならば怖くないから

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