歌を失った歌姫の
傍に跪いていた
あの頃の遠い日を懐かしむ
儚い声を響かせていたあの頃を
照らし続けてた陽光が
分厚い雲に覆われて
僕は見えない陽光に祈りを捧げた
僕は外の真っ暗な夜空を覗き見ながら、ついこの間、リサに送ったばっかりのメッセージを幾度となく読み返していた。友希那の歌を取り戻すためには、リサしかいないんだよって励まして送り出した、あの夜。どうにもこうにも結果が気になってしまって仕方がなかった僕はリサに、どうだったのかを聞くメッセージを送ったのだけれど、まるで返信はなかった。
ダメだったのかな、なんていう思いもあるし、正直、友希那の歌声なんて全くどうなっているかなんて分からないし、話し合いの内容も何も推測がつかない。なんだか嫌な予感がして、これ以上の催促も送れないでいた。それはきっと、しつこくなって嫌われたくなかったから。あの時友希那に距離を置かれてしまった時のように、しつこい自分になりたくなかったから。
「……はぁ。……えっ?」
今日何度目かすら分からない大きなため息を吐いた瞬間、右手に持っていたスマートフォンの画面がポッと明るくなる。それは紛れもなく、リサからの待ち侘びていた、しかし来て欲しくもなかった、返信であった。
『中々返事返せなくてごめん。大事な話があるんだけど、今日部屋に行ってもいいかな?』
僕の全身に冷や汗が噴き出した。だって、リサが部屋に来る時なんて大抵、僕に確認を取ることなんてなしに来る。アポイントメントなんてクソ喰らえとばかりに、下手をしたら僕が部屋に居ない時に来たりしてることすらあるかもしれない、それぐらいフランクにいつもリサは僕の部屋に来ているのに、今日に限って、そんな重々しい確認をわざわざとってきたから。
大事な話、なんて銘打たれているぐらいだから、まず間違いなく友希那に関することに違いがないのだけれど、僕は激しく脈打つ心臓にせき立てられるように震えながら、承諾のメッセージを送った。
10分ぐらい経っただろうか。寒いわけでもなかったのに震えの止まらない僕の部屋にノックの音が響いた。僕はその音がリサだと確信して、返事をする。
「……ごめんね。メッセージ貰ってたのに、中々返せなくて」
「いいんだよ全然。それにしても、確認取るなんて珍しいね。いつでも来ても良いのに」
「……うん。ちょっと、色々あってさ」
僕から投げかけた言葉は前提のすり合わせの意図でしかなかったのに、もはやただの社交辞令にまで意味を失ってしまっていた。リサの雰囲気はメッセージの文面同様、ひたすらに重苦しい。僕の息は詰まり、さっき食べたばかりのご飯を戻してしまいそうなほどに僕の喉が痙攣を繰り返していた。
「Roseliaの調子はどう?」
「え? あ……うん。Roseliaは、大丈夫だよ。コンテストもあるし、準備バッチリって、感じかな……」
「友希那との、……話し合いは?」
「うん。まぁ……それは。上手くいったといえば……いったの、かな」
Roseliaがなんとか上手く行っていると聞いて、僕は取り敢えずと安心した。以前こそRoselia自体が嫌だったけど、リサのいるRoseliaは、好きということには違いなかったから。それに、Roseliaの友希那が嫌いなだけであって、Roselia自体に怨みを持っているとか、そういうわけではないから。複雑な思いを持っているだけなのだ。
……でも、リサの返答はどれもどこか曖昧で、気丈に振る舞おうとしているのは分かるけど、リサが本題の話を持ち出すのに相当苦慮していることは容易に察することができた。
「……何か、話があるんだよね?」
「……! ……うん」
いつになく力が変に籠ったリサの声。僕の息はそれを聞いて、さらに一段と荒さを増した。
絶対に触れてはいけないと、僕の無力な本能が叫んでいる。それはタブーなのだと、触れたら壊れてしまうのだと。……でも、でも。聞かずにはいられなかった。
「……そのアタシたちさ、この間ライブがあってから、色んなことがあったよね」
「え? まぁ……。……一緒に歌ったりもそうだし、Roseliaも僕も、オファーを貰ったりとか。言われてみれば、そうだね」
「……柳も、歌えるようになったもんね」
「……うん。それに関しては、本当に、リサにありがとうって言いたいよ」
「あはは……。アタシで、力になれたのか分かんないけど。うん」
リサの表情はまだずっと、暗いままだ。凝り固まっている。いつもなら、それこそ僕の歌を静かに聞いてくれる時なんて、あんなに穏やかに笑顔を返してくれるのに。
「……アタシたちの、関係って、何かな?」
「え……」
リサの口から飛び出してきた言葉。それは僕の思考を一瞬で停止させた。
関係? それって、どういう意味って聞きたかった。けど、聞いたら愈々終わってしまう気がして。自分でも遠ざけていたから。考えないようにしていた。よく言えば、割り切っていたのだ、僕が歌を取り戻すために、リサが手伝ってくれてるって、そんな上辺だけを。
「中学の時に、柳と友希那が付き合い始めて……。でも、Roseliaができて、柳と友希那が別れちゃって、柳が歌えなくなって……」
あまりにも聞くに堪えない過去と現実の乖離に直面して、僕はリサの言葉に何も返すことができない。うんともすんとも返すことすら出来ない。
「柳の、歌う意味になりたいなんて、アタシはそんな綺麗な言い訳だけして、ずっと柳の傍に居ようとしてた」
リサの声が真っ暗な闇に吸い込まれていく。
「でも、こんなの、こんな関係、良くないよ」
「……」
「アタシが傍にいても、それは友希那の替わりでしかないのに、まるで友希那から、柳のことを奪ったみたいな……」
そんなことないって、叫ぼうとしたのに、とてもじゃないが、言い出せなかった。リサは必死に葛藤を繰り返して、この結論に至ったはずだ。あのライブの日の夜、Roseliaに手の届かない思いを味わって、リサの涙を見た夜。あの時と、同じ顔をしている。
「……アタシから柳の歌う意味になるって、言い出した癖に、こんなこと言い出して、……本当に、ごめん」
もう僕の頭の中から、友希那が歌えなくなったことだとか、そんなのはすっ飛んでいた。ただもうひたすらに、リサのことを失うという恐怖と、今までの自らの矛盾への悔恨だけが燻っている。友希那に愛を歌うことを求め続けていたのに、それをリサで代わりに済ませて、それでもなお友希那の声を聞きたいと思ってしまう自分の愚かな矛盾。そんな僕の我儘で振りまわし続けたリサに、僕は今まで何か一つでも返したことがあるだろうか。
「……だからさ、アタシたち。元の、何もなかった幼馴染に、戻ろう?」
「……元に」
幼馴染。
そうだ、僕とリサはあくまでも、小さい頃からずっと、それ以上でもそれ以下でもなくて。今が、ねじ曲がってこんな歪な関係になってしまっているだけだから。なら、元に戻れば良いだけじゃないか。
嫌だって、心のどこかでは僕の本心が呟いている。見捨てないでって、嘆き続けている。でも。
……でも。今のこんな、泣きそうになりながら、そんな言葉を振り絞ったリサに、そんなこと、言えるわけないよ。
「……そうだよね。元々が……おかしかっただけだよね」
僕の自嘲じみた呟きにも、リサは顔を上げることはない。リサが大きく振るわせている、両の膝に置かれた手の甲が、僅かに光を反射していた。
「ねぇ。リサ。僕からも……言いたいことがあるんだ」
「……柳?」
「歌う意味とかがもう分かんなくなった時、本当に苦しかった。もう歌に関連するものだとか全てが目障りで、機材も、マイクも、ギターですらもなんだか憎かったんだ」
「……あの日の、ライブの夜、かな」
「うん。……でも今は、リサのお陰で歌う意味、取り戻せた、ありがとう。……僕の歌を聴いてくれる人は、案外いっぱいいるんだって」
「……うん」
違うんだ。そうじゃないって。僕は、リサに助けを求めたいんだろう? これからもリサにずっと傍で僕の歌を聴いていて欲しいって。そう言わなきゃ、ダメだろ? そんな惨めで甘ったれた欲望を必死に水底に沈めた。
「だから……。元の、幼馴染に戻ろっか。歪な関係じゃない、普通の、幼馴染に」
僕の声は虚に響いた。僕はもう、あの時みたいに、誰かの垂らしてくれる一本の細い細い蜘蛛の糸を握り続けるだけではいけないんだって。分かっているから、そう叫んだ。
「……うん。そうっ、……だよね」
僕は、決して弱い心の部分が見えないように、あの日手に入れた偽りの笑顔で着飾った。これが最後の役目だ。例えその笑顔の衣が濡れていたとしても、きっと何にも変わらないから。ずっと前から濡れていたならば、今濡れたのだとは、バレはしないから。ずっとずっと、歌う意味を取り戻すという大層な名分で、名ばかりの依存で押し通してきたのだ。……それならば、今僕はもう、歌えるんだから、この衣を纏うのは最後だ。
「僕もFWFのコンテストに再三呼ばれるぐらいには……、僕の歌も輝けるようになったから、リサのおかげで」
「……うん」
「だから、もう大丈夫、だよ。……僕の歌、取り戻してくれて、ありがとう、リサ」
「……うんっ」
徐に顔を上げたリサ。さっきまで僕はフラフラと立っていたはずなのに、その時になって急に意識がはっきりとして、リサの輪郭がくっきりと見えた。
倒れ込むようにこちらの胸に飛び込んできたリサをもう一度だけ、力強く抱きしめ返した。何も言わない。触れたら、壊れてしまうのならば、何の声も発してはならない。ただ、その抱擁はどうしようもないほどに温かくて、どうしようもないほどに虚になっていた。ゆっくりと、体が離れていくにつれて、また寒い空気が僕の周りを纏った。
「……柳。ありがとう。これからは、元の幼馴染だから」
「こちらこそ、ありがとう。……これからは、元の、ね」
もう何も言わないでって。そう願った。折角誓った決心が鈍ってしまうから。隠し通せた薄い薄い、青の衣が破れてしまうから。リサのそんな哀しそうな顔はもう、見たくなかったから。
「……Roselia、がんばってね」
ならばせめて、精一杯の笑顔で送り出そう。リサが、陽だまりで笑えるように。
歌の意味を取り戻すって、上辺だけを取り繕って築き上げてきたこの関係を壊すのであれば、せめて、Roseliaが頂点を取るという僕の上辺の願いだけでも、どうか叶ってくれ。
「……うん。任せてよ。FWFへの切符、獲ってくるから」
「……信じてる」
「……アタシ、頑張るから」
それは、きっと最後の、最後の小さな約束。リサの顔は、凛々しかった。
「さよなら、リサ」
「……うん。さよなら」
ドアがバタンと閉じる。僕は魂が抜けてしまったように、くたりとその場にへたり込んだ。
あれから、数日が経った。あいも変わらず外は真っ暗だけど、それは時間を考えれば当然だろうか。向かいの家を見ても、ただ寂しい光が漏れているばかりである。
僕の心にずっと残っているのは、1人になったことの実感。ただただ、『絶望』に襲われていた。
「あぁ……」
ベッドに倒れ込むと、一気に僕の頭の中に、リサの顔が流れ込んでくる。夜の公園で見た、ドロドロに甘くて、切ない表情が、浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。
僅かながらに落ち着くと、そういえばリサが友希那と話し合ったのは、上手くいってたのかな、なんてどうでもいいことが、僕の頭にふと浮かんでくる。今となっては聞くことも叶わないが。でも、それはどうしようもなく辛い自分の心をどうにか紛らわせる最後の手段だった。
この想いを歌にすることなんて、僕には出来ない。何を考えているのかすら分からない僕には、歌なんて書けない。
僕に最後に残されたのは、せめてリサと友希那が本気を懸けるRoseliaが上手くいくことのみだったんだ。
「……って、うわっ」
完全に気が抜けてしまっていた僕のポケットにいつのまにか入っていたスマートフォンが音を立てて振動した。今の僕はきっと、何があっても驚きを隠せないだろう。それぐらい、自分の心は冷淡かつ落ち着きがなかった。
「この番号……」
それは、ずっと僕をFWFのコンテストに出ないかと言ってくれるプロデューサーさん。今は音楽のことなんて考えたくないのにって思ったけれど、電話を掛けてもらっている以上、出ないというのも忍びなくて、僕は画面をスライドする。
「……もしもし」
『あっ。菅原さんの番号でお間違いなかったでしょうか?』
やっぱりその電話の相手は間違いなかったようで、冷たく鋭い声が電話口から聞こえてきた。その内容はやはり、僕をそのコンテストに勧誘するという、至極どうでもよい内容。……だけど、その言葉はどれもが、今までと違って聞こえてきた。
『湊さんや、今井さんのいるRoseliaも出るということは、何度も申し上げた通りです』
友希那とリサの名前が出て来るたびに僕の中に燃え盛ってくる自分への激しい後悔。感情は表現できないほどに乱れて、まともに文章を紡ぎ出すことすら出来そうにない。普通の人間がこの僕の電話口の会話を聞いて、まともな会話として成り立っていると思ってくれるだろうか。
「それは、何回も聞いたので。互いの成長が促されるとかって」
『そうですよね。まぁ今のままだと、RoseliaがFWFに行くのは厳しいかもしれませんが』
「……え?」
僕は僅かに働く脳の部分でRoseliaをダシにして僕を持ち上げることを呆れながら待とうとしていたから、完全に意表を突かれた。今までだったら、ずっとこの人は、『RoseliaがFWFに行く』だろうから、そのレベルをさらに底上げしろなんて論調を繰り返してきたのに、途端にRoseliaを下げ始めたから。僕は困惑した。
気にならないと言えば嘘だった。Roseliaのことを聞くなら、友希那やリサに聞けばいいのだろうが、そんなこと、今の僕には出来なかった。リサと関係を清算したばかりで、精神が大きく疲弊している僕の心は、さらにもう一度大きく揺さぶられた。
……リサは、Roseliaは上手くいってるって言ってたじゃないか。任せて、なんて言ってたじゃないか。僕の元から離れていくってことは、Roseliaで頂点を獲りに、行くんだろ?
「……Roselia、何があったんですか?」
『今日、少し練習を見させていただきましたが……』
話は何も入ってこなかった。
けれど、僕は理解した。
そっか、僕ってずっと、最後の最後まできっとリサに気を遣わせてたんだ。僕は歌えるって強がって、やっぱり歌えなくて、頼らないって誓ったのに。それならせめてRoseliaだけでもって。リサと友希那の居場所だけでもって。……僕がRoseliaを、ダメにしたんだ。
僕はやっぱり、Roseliaを壊してしまうんだ。
外はただもう真っ暗だった。