僕がずっと夢に見ていたあの日の歌
それは全てがマボロシで
いつしか聴こえなくなっていた
幼い頃から浴び続けていた
陽だまりにさよならを告げた
CiRCLEのスタジオの雰囲気は重苦しかった。勿論その最たる原因は私がまともに歌えていないことにあるのだけれど、それでも普段に増して雰囲気がより苦々しいのは、数日前、私がリサに心ない言葉を、鬱憤をぶつけてしまったからなのであろう。私とて、そのことは大いに反省しているわけだけれども、今のリサに改めてもう一度その話を振ろうという勇気は、私にはまるでなかった。普段ステージの上では歌姫と評されるほどには臆さない私が、なんたる有様であろうか。
「……湊さん。少しいいですか?」
「紗夜? どうかした?」
「いえ……。……今井さんとは、話がついたのでしょうか?」
紗夜は他の3人には聞こえないよう小声で、伏し目がちに話しかけてくる。話がついた……かと問われれば、結局のところ解決したというわけではないのだが、それでも特に問題がない程度には話し終えたはずだ。柳のことにまで踏み込むことが出来なかったとは言っても、十分及第点には達しているだろう。
「紗夜がどのようなことを期待しているかは分からないけど、もう、何もないわ」
「……そうですか」
それだけを確認すると、紗夜はみんなの集まるテーブルの方へとスタスタと踵を返した。私もそろそろ気持ちを落ち着けようとしたところで、どういうわけだが突然スタジオのドアがガチャリと開いた。
「……あら、貴女は」
「こんにちは。Roseliaのみなさん、調子はどうですか?」
そのプロデューサーは、あの日、CiRCLEで私たちにコンテストへの出場を打診した時と同じようなスーツを着こなして、こちらに近づいてきた。コンテストの話を持ちかけてきたきり、連絡先だとかなんだと交換させられたにも関わらず、特に何の連絡だとか、面談の場を持たなかったのに、今になって調子の確認に来たらしい。スタジオの空気は一際冷たくなる。
「……別に、いつも通りだけれど。何の用かしら?」
コンテスト前に何かボロが出るのは不味いとは思いつつも、邪険に追い返すというわけにもいかず、ここに赴いた動機を探る。今の私はまず間違いなく、ベストコンディションではないから。
「直前に迫ってきましたから、視察でもと思いまして」
「視察したところで、何も面白いようなものは見れないと思うわよ」
私は不躾だとは自省しつつも、キッと鋭く睨みつけた。リサたちも不意な訪問に張り詰めた空気を持っているようだから、それだけを考えるならいっそのこと追い返したいという思いすらあった。
「まぁまぁ、そう仰られずに。湊さんの幼馴染とお聞きした、Ryuさんにも我々はずっと出場を打診しているんです。面白いお話をRyuさんにもお土産として持っていきたいんですよ」
「……え。……柳が?」
「えぇ。……まぁ、今のところ芳しくはないですが、それでも彼のボーカルとしての才能は我々としても目を見張るものがありますから」
「……まるで交渉材料みたいね」
「そう聞こえてしまったならすみません。それで、折角の機会なので、一曲お聴きしても?」
バレないように小さなため息をついて、後ろを振り返った。あこや燐子がピクリと反応したが、紗夜は別段変わらずに澄ました顔をしている。リサは私が振り向くと、さっと目線を逸らしていた。
「湊さんがいいので有れば、私は構いませんが」
「……無理はしないでいいよ? 友希那」
「……あこ、燐子。いけるわね」
「は、はい!」
「わたしも……いけます」
「少し準備をするわ」
「ありがとうございます」
ここまで盛大にふっかけられておいて、おめおめと今は無理などと宣うことはできない。喩え本調子でなかったとしても、今私の出来る最上のパフォーマンスを見せつけるだけである。
「いくわよ」
私は確認の意味も込めて、後ろに並んだ4人の表情を見た。目の前のことにただ只管に、精神を統一させる紗夜。少し気弱だけど、勇気を持って鍵盤に指をかける燐子、元気を失わずに、直向きにドラムに向き合うあこ。
そして、私の横でベースを携えているリサ。……リサの話は覚えている。私の吐いた心ない言葉にも真剣に向き合い、私を信じてくれるリサ。喩えリサの技術が本当に劣っていたとしても、きっと私はリサを見捨てようとはならないのだろう。
リサの目には覚悟が宿っている。もう後には退けないって、背水の陣。私がRoselia結成からずっと言っていた言葉を思い出す。
『Roseliaに全てを賭ける覚悟はある?』
その言葉を体現せんという瞳。Roseliaの一員としてやっていくんだって、覚悟の宿った瞳。とても、心強かった。
……けど、けれど。リサは私と目を合わせてはくれなかった。
視界は、どういうわけだか滲んでいた。
歌い終わって、私の心に1番に思い浮かんだのは、漸く終わったという解放感だった。額にはきっと、ものすごい量の汗が出ているに違いない。一つのステージざ終わっても、ここまで疲弊していることなんて今まであったであろうか。
「……お疲れ様でした」
先程と変わらぬ冷たい声を発しながら、こちらへと姿勢良く歩くその女性が、私にはどこか異世界に住む悪魔にすら見えた。
結果的に言えば、満足のいくような歌ではなかった。それは一曲を終えた私たちの、歌を聴いていたプロデューサーの表情を見れば一目瞭然だった。
いや、……それも当たり前か。あんな不完全燃焼なリサとの話の決着ぐらいでそう簡単に歌の調子を取り戻せているので有れば、私とてこんな風には悩んだりはしていない。
「湊さんの調子が悪いんですかね? ずっと聴いていたわけではないので詳しくは分かりませんが」
「……それは。その通りよ」
「……湊さんの目指す場所はどこですか?」
「それは……FWFに出て」
「出て、それから?」
詰問された私は、頭の中で言葉がまとまらずうまく伝えることができない。本当なら、わかっている。お父さんの音楽を認めさせるのだと、そう伝えたいはずなのに。
「友希那は……! ……友希那のお父さんの音楽を、Roseliaの音楽を世に認めさせるために歌ってるんです!」
「リサ……」
「確かに、湊さんのお父様はFWFを機に解散されていたわね」
何か考え込む仕草を見せてから、またその冷たい声を発し始めた。
「FWFが多くのバンドにとって夢の舞台であることに違いはありません。例えば多くの高校球児の夢は甲子園で野球をすることでしょうし、彼らはどんな辛い練習にも野球が好きだからこそ自分の学校でその夢の舞台を目指すことができる。そういうものだと思います」
「……えぇ」
「あなた方、Roseliaのバンドとしての絆も認めましょう。結成の経緯だとかは一通り調べましたが、それにしては完成度も高い。きっとそれなりの山を越えたのでしょう」
「……勿論よ」
「ですが、湊さん。貴女が歌を始めた動機がそれにしろ、Roseliaで活動するにしろ、貴女には決定的なものが足りていません」
突然の曖昧模糊とした物言いに私は困惑した。
「……え? ……どういう意味よ」
「極端な話、Roseliaに居続けることであれば誰だって出来るのです。Roseliaで続けることと、歌を歌い続けることは似て非なるものです。貴女からは音楽を続けたいという気持ちが感じられない」
「……?! 何を知った口を! 私は……!」
この人は、一体私の何を知っているというのか。私がRoseliaとしてFWFを目指す覚悟の何を知っているというのだろうか。
「貴女自身に音楽を楽しみたい、続けたいという気持ちがなければ、貴女はRoseliaをダメにする。貴女は音楽が嫌いになっているのではないですか?」
「そんなこと……! そんなこと……」
「無理に好きでいろなんて言うつもりはありません。ですが、貴女の動機がそれだけなのであれば、それは貴女が苦しむだけですから、音楽なんて辞めてしまいなさい」
「……あ……あ」
頭が、真っ白になった。だって……、……それは、その通りだったから。私はずっと、少し前から感じていた『歌いたくない』という気持ちを、『お父さんの音楽を認めさせる』という信念と、『Roseliaのボーカルとしてその信念を貫く』という誇りでずっと、覆い隠してきていたから。勿論、Roseliaで音楽をしたいという気持ちは嘘ではない。
……でも、歌は。こんななんの価値も感じられない歌なんて……歌いたく、ない……。
「……ちょっと! 黙って聞いていれば、ふざけないでください!!」
「……ふざけてなどいません。我々も中途半端なグループに出てもらっては困りますから。これだけ厳しく言うのは、これから上を目指せる余地があるからこそです」
「何を……」
「Roseliaが悪いとは何も言っていません。これは恐らく湊さん自身の問題でしょう。私から言えることはそれだけです」
やけに甲高い音を響かせながら、こちらに背を向けて去っていく。しかしその姿は朧気だ。
「ここにコンテスト当日の動きを書いたものを置いておきます。……コンテストのステージで待っています」
途端にスタジオは静かになった。
ガラスの扉を押し開けて、夕暮れの中心に佇む沈みかけの夕陽に目を瞑る。もうすでに外は薄暗い。
「それじゃあ、リサ、紗夜、燐子、あこ。また明日」
私はもうなんだか、何も見たくなくなって、すぐに帰ろうとした。まるで今までの自分の全てを否定されてしまったかのような、これまで自分が立っていた地面が本当は幻覚であったことを認知してしまったような、途方もない闇が私を包んでいた。
紗夜たちの姿が遠くなっていく。曲がり角でそう思った、その時だった。
「ねぇ、友希那……」
「……? 何、リサ」
「今日は、一緒に帰ろう?」
「……別にいいけれど」
どのみち帰り道は一緒だからと、そう言ってくれるリサの表情は読めない。というより、今だけはもう何も考えたくなかった。
いつも一緒に帰っているものだから、別段話題があるというわけでもなく、いつもと比べるとずっと静かな帰り道だった。リサは何かを言おうとしているけれど、それが私への慰めであっても、批判であっても、全部が全部、今は何も欲しくなかった。
「……アタシ、友希那に言いたいことが」
でも、リサの表情は葛藤に苛まれながらも、何かを言おうとしていた。
「……何?」
私が聞き返しても、リサは話すかどうか、迷っているみたいだった。……まず間違いなく、柳のことなのだろう。きっと、リサはこの間私の部屋で話した時から……ずっと、言いづらそうにしていたから。
「……その、柳のことなんだけどね」
やっぱりそうだった。なら、私の答えは。
「アタシ、友希那に」
「待ってリサ」
「……え?」
「……何も、言わなくていいわ」
「……え」
リサの口からは、聞きたくなかった。本音を言えば、気になることは間違いない。今でさえ、私の見間違いだとか思い込みだったら良いなんて、そんな頓珍漢な願望を持ってはいる。本人の口から確認したわけじゃないだろうと諭す自分がいる。
……でも、柳のあの歌を聴けば、すぐ分かるじゃないか。だって、私はずっとずっと、柳の歌を聴いていたんだから。柳の歌さえ聴けば、私は柳のことなんて、なんだって分かる、そんな傲りすら持っている。
今、リサは必死にRoseliaに全てを賭けようとしているのだ。あの日リサと話してから、今日までに、その覚悟はずっと伝わってきた。
だからこそ、リサの口からは聞きたくなかった。況してや今、この状況で有れば尚のこと。
「……そっか」
「えぇ」
リサの表情は昏い。だから。
「リサのRoseliaに賭ける覚悟は、伝わっているわ」
「……友希那?」
「……FWFに行くわよ」
「……うん」
それだけで私の言いたいこと全てを分かってくれるその幼馴染は、これ以上ないほどに残酷に優しかった。
家に帰ってきて部屋に籠る。音楽を想起する何ものからも自分を遠ざけたかったが、この家に音楽と無関係なところなんてない。かといってすでに夜の時間になった外に出る気にはならないし、皮肉にも私は歌詞を考える時のように顔をクッションにうつ伏せて、何も見ないようにするほかなかった。けれど、そうすると今度は自分が考えたくもない歌詞ばかり思い浮かんで、苦しくなって結局顔を上げて、とそんなことを繰り返していた。
「……埒があかないわね。……はぁ」
らしくもないため息に導かれて、私はスマートフォンであの人の声を捜していた。この間からずっと、暇があればこうしている気がする。
「柳……」
あの時は、あんなにも冷たく距離を取ろうとした私が今更になって縋るとは烏滸がましいのかもしれないけど、そうせざるを得なかったのだ。
一昨日ぐらいに上がっていた最新の歌の動画を流し始める。いつもの優しい持ち味の音は変わっていない。私が一時期嫌っていたような雰囲気もない。けれど、ただひたすらに切ない歌だった。
「……そう。リサと、別れたのね」
やっぱり私は、柳の歌を聞くだけで、柳の考えていることが手にとるようにわかる。というより、柳が分かりやすすぎるだけなのだ。だからこそあんな……。今だってそんなご丁寧に、別れの歌なんて自己紹介しているようなものじゃないか。
『幼い頃から浴び続けていた陽だまりにさよならを告げた』って。そんなこと、知っている人が聴けば、すぐに分かるだろう。
なんだか分からないけれど、聴いていられなくなって、ずっと前の柳の歌の動画に切り替える。
……落ち着く。なによりも、どんな優しい子守唄よりも、柳のこの歌声を聴いている時が、何よりも。今自分が紡ぎ出す音楽は嫌いで嫌いで、仕方ないのに。あの、中学生やもっと幼い頃。その時奏でた音の数々を思い出せるだけで、私は——。……お父さんのあの時の曲にさえ、なっていなかったら私は……。
「……えっ?」
私はふと画面の方を見てびっくりした。つい30分近く前に柳の歌の動画が更新されたのだ。過去の動画を聴き漁っていたものだから気が付かなかった。私は引き寄せられるように、その歌声に耳を傾けることにした。
確証はないけれど、嫌な予感がしたのだ。私の直感が、これが最後なのだと叫んでいた。心臓が煩いほどに脈打っていた。そして私は、焦燥に駆られて飛び出したのだ。
僕がずっと遠く見ていたあの日の歌
僕がいる限り輝けなくて
最後に託した祈りは潰えた
もう君の邪魔はしたくない
何も言わずに僕は消えるんだ
さよなら 愛しい人よ
さよなら 青の薔薇