「のど、が……かわいた…………」
何日経っただろうか。
幸いなことに魔物とは何故か出会わず命の危険こそなかったものの、マナは水分補給をずっと出来ないでいた。
『マナよ、大丈夫か?』
「だい、じょうぶ……」
視界がぼやけ、ふらふらになりながらも黒い大太刀だけは手放さずにいた。
それでももう、限界かもしれない──
マナの脳裏によぎるのは、自分を愛し、色々な話をしてくれた母の顔だった。
『──マナ。王都にはね、素敵な王子様がいて、煌びやかな街並みが広がっているのよ』
『ここから少し離れた中立都市には、世界最大規模の迷宮が広がっているんですって。勇者様が挑んでいるらしいのよ。いつか私も行ってみたいわ。もちろんマナも一緒にね』
『お父様にもマナを紹介したいの。きっと、きっと受け入れてくれるわ。もしダメだったら、どこかへ旅に出ましょう。……今度は、彼はついてきてくれるかな』
『マナ。マナ。マナ。マナ』
母の声が木霊する。
もう何も考えられないくらい追い詰められたマナは──
『──マナ、あそこを見ろ!』
黒い大太刀の声で現実に引き戻された。
「…………ぁ」
どういう訳か、その空間の周辺には木が生えていなかった。そして、岩肌が剝き出しになっている高い崖に沿うように、大きな湖が広がっていた。
「みず!」
水がある。それを認識した瞬間、マナは湖に向かって走っていた。
『待て! 何かいるぞ!』
静止の声も虚しく、マナは湖に走る。
肌で感じる水気。それだけでも生き返るようだと人参に釣られる馬のように走る。そして──
『やいやいやい! なんだお前たちは!』
ザバァ! と湖の中央から水の柱が浮かび上がった。
『ここが水精霊であるわたし。ヴェッタさまの領域であると知っての狼藉か!』
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「水を飲ませてください」
『だめだ!』
「水を飲ませてください。お願いします」
『だめったらだめだ!』
「土下座します」
『なんだそれは!? だめって言ってるだろ!』
湖の傍らでマナは土下座していた。
湖に浮かぶ、マナと同じくらいの女の子に向かって。
『っていうか、な、なんだんだお前たちは! はやくどっかいけぇ!』
水精霊ヴェッタと名乗ったのは青い髪、薄水色の肌に何故かスケスケの扇情的な衣服を身に纏った女の子。
「……風邪引くよ?」
『引かないし!』
少し吊り上がった勝気な目はマナと横に置いた大太刀へ向いている。
『……水精霊と言ったか』
『ひぃ!』
大太刀がヴェッタへ声を掛けると、ヴェッタはびくっ! として身を縮こまらせる。
『マナは水を欲しておる。さっさとその水を寄こせ』
『う、うぅ……』
ヴェッタは何故かこの大太刀に怯えているようで、まるで両親に怒られた子供のように涙目になってしまった。
「いじめちゃだめでしょ!?」
『なんだと!?』
ヴェッタはマナと同じくらいの女の子だ。対して大太刀から聞こえてくるのは大人の女性の声。
マナジャッジの結果、悪いのは大太刀になったので、とりあえずマナは大太刀を っておいた。
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(なんだんだ、こいつら……!)
下級水精霊ヴェッタは新たに自分の湖に現れた侵入者を見る。
今回現れた侵入者は、いつも水を求めてやって来る魔物たちとは次元が違っていた。
その気配を、ヴェッタは侵入者たちが湖に現れる前から察知していた。
精霊とは人や魔物とは異なる、特定の肉体を持たない存在だ。
人や動物とは違う、魔力生命体。
ヴェッタは水の精霊で、この湖の水から生まれた存在。
この湖は森にある貴重な水源だ。そしてそれを欲する魔物たちを追い払うのがヴェッタの日常。だからこそ侵入者には敏感だった。
故に察知した。
こちらに向かってくる、巨大な気配を。
感じるだけで悪寒が止まらないような威圧感。精霊という、そこら辺の魔物より断然に上位の存在である自分よりも、明らかに格がいくつも上の存在の気配。
それが、周囲を睨むように己の存在感をまき散らしてながら向かってくる。この時点でヴェッタは泣いていた。
そして現れたのは自分くらいの小さな女の子。肩透かしをくらったようなヴェッタは、その女の子が持っている漆黒の大太刀から先ほどから感じていた威圧感を見つける。
『やいやいやい! なんだお前たちは!』
それでも自分はこの湖を守らなくてはいけない。
勇気を振り絞ってヴェッタは女の子の前に姿を現した。
額から二本の角が生える鬼のような女の子。
それと目が合った瞬間、ヴェッタはその瞳の中の深淵に、決して自分程度の存在が触れてはいけない“ナニカ”を見た。
ヴェッタは確信する。
この鬼の子は、そこにある大太刀よりも断然に“やばい”──
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『じゃ、じゃあ、他の侵入者を蹴散らしてくれたら特別に! 特別に! ここの水を使わせてあげるわ。本当に特別なんだからね!?』
水をください。
無理。
水をください。
だめ。
という押し問答は続いたが、最終的に水精霊ヴェッタが折れ、条件付きだがマナは水を入手した。ゴネ勝ちである。
「──ぷはぁ! うまあ!」
湖に顔を突っ込んで、数日ぶりの水分補給を行う。
お腹が膨れてしまうのではないかという程に水を飲んだマナはその場で大の字に寝転がった。
『ちょっと! ちゃんと侵入者から守ってよね!』
「わかった~」
むくり、と起き上がって周囲を索敵する。
「大丈夫」
『え!?』
辺りに大きな生物の反応は無い。
というかマナはここに来るまで他の生物とは出会っておらず、この森にはあまり動物がいないのではないかと思っていた。
もちろんそんなことはなく。マナが他の魔物に襲われなかった理由は、大太刀が周囲を威圧し他の生物を寄せ付けていなかったからなのだが。
しかし、水源は貴重なものである。
どんなに危険な気配を感じようとも、水が無ければ生きてはいけない。だからこそ、侵入者はやってきた。
「ボルゥゥ!」
それは全長3メートルはあろうかという巨大な猪のような魔物。
興奮したような荒い鼻息と反り返った大きな牙、こちらを睨みつける鋭い眼光。
「……!」
湖から少し離れた場所の木に体を預けていたマナはごくりと唾を飲んで、どうすればいいかと考えるが──
「ブルルゥゥゥ!!!」
相手は待ってくれない。
こちらへ向かって突進してくる猪。それを横に飛ぶようにしてなんとか回避すると、猪はマナの背後にあった木に追突する。
「ど、どうしよう!?」
侵入者から湖を守ると言っても、マナに戦闘能力はほとんど無い。
マナの持てる手段と言えば、その身を使っての殴る蹴る。そして前世からの“
ゴブリンの巣で人間に襲われたときのように、亡失状態にしてしまえばいい──
ふとそんな手段も脳裏によぎるが、基本的に“
本能で生きる野生動物や虫などの思考を操作することは不可能だ。怒っている、腹が減っている、などの簡単な思考を読むことは出来るがそんなの見ればわかる。
つまり──
「……詰んだ?」
『ちょっとー! しっかりしてよー!』
湖に浮かぶヴェッタから飛ばされるヤジ。
それを聞き流しながらどうすればこの猪を倒せるか考える。
『マナ! 我を忘れるな!』
聞こえてくるのは、女性の声。漆黒の大太刀がそう叫んでいた。
マナはハッとして大太刀を探すと、大太刀はマナと猪を結んでちょうど三角形になるような位置に落ちていた。
「ブロォォォォ!!!」
猪が突進してくる。マナはそれをギリギリまで引き付けてから回避すると、大太刀の元へと走った。
「ブルルゥ!」
猪止まらず、大きなカーブを描くようにしてこちらを追ってくる。
『抜け!』
何とか追いつかれずに大太刀を手に取ったマナは両手を使って鞘から刀身を抜く。
大太刀は、柄、鞘ときて刀身までもが漆黒だった。
向こう側が少し透き通って見える美しい刀身を流れる波紋。こんな状況で、マナは少し見惚れてしまった。
『突進の勢いに合わせろ!』
その声でマナの意識は現実に戻る。猪は既に目と鼻の先に来ており、あと数秒後にはマナの元へその巨体を今度こそ押し付けてくるはずだ。
「もう逃げない」
マナは猪を引き付け、ステップを踏むように左側へ体を躍らせる。
『だめ!』
もう三度目だ。それは通用しないと猪はまたもや避けようとするマナへ方向を調整する。
「フェイントだよ!」
ステップを踏むように左へ移動したマナは、着地の瞬間に右へ全力で跳ぶ。
「────!」
そのまま回転して勢いをつけると、猪とすれ違う瞬間にその足元を薙いだ。
「ブゴォォォォ!!!」
大太刀はまるで豆腐でも切るかのように、なんの抵抗力もなく猪の足を切断した。
「これで終わりだね」
大上段に構えた大太刀を首元目がけて振り下ろす。
こうしてマナの初めての戦闘は、なんとか勝利という形で終わった。
『まあまあ? 先ほどの獣如きなら我の前では紙切れ同然よ!
存在としての格が違いすぎるからなあ何せ我は──』
「はいはい。ありがとね」
少し褒めたら嬉しそうに早口で喋り出したので、軽くスルーする。
「よし、食べよう」
視線の先にある首のない猪。
だらだらと血を流すそれを見てマナは決心する。
大丈夫、ゴブリンは雑食だ。巣では焼かれたものが出されていたが、ほとんどのゴブリンは基本生で食べていた。
『なに!? お主、我でその肉を切り分けるつもりか!? 流石に抗議するぞ! 我はもっと──』
初めて生で食べた肉は、意外と美味しかった。