暖かい目でご覧下さい。
「採用!スピカのアシスタントトレーナーの件、確かに受理させてもらう!」
「.......うす」
翌日、俺は再び理事長室へと足を踏み入れていた。要件はもちろん、スピカのアシスタントトレーナーの件について許可をもらうこと。それに関してはまあ、あっさりと事が進んだんだけど。
「感激!君が再びトレーナーとして戻ってきてくれたことを心からうれしく思う!」
「あくまでアシスタントトレーナーですけどね」
「私もたづなも、“あの事件”で君には多大なる恩と借りがある!私達にできることは何でもするつもりだ!」
そこまで言うと秋川理事長と秘書のたづなさん共々、俺に深く頭を下げる。突然の出来事に俺は状況を理解できず、その姿を呆然と眺めるしかなかった。
「陳謝!あの時は本当に申し訳なかった!私達は我が身可愛さで、君のことを守ることができなかった!」
「......理事長は何も間違っていません。あれがあの時の最善手だっただけです。それに、あれは俺の受けるべき罰でしたから」
理事長が謝る必要も理由も何一つない。俺が勝手にやって、勝手に終わらせただけなのだから。罪には罰を、それはどの世でも変わらない因果なのだ。
「君はまだあのことを.......いや、これ以上はやめておこう。改めて、これからは我が学園のトレーナーとして尽力してほしい」
「まあ、ぼちぼちやっていきますよ」
俺の返答に呼応するように、左胸に付けたトレーナーバッチが淡く光っていた。
***
「────さて、今日から八幡を交えてトレーニングしていくわけだが、始める前に八幡から渡すもんがあるらしい」
「お前ら、早速で悪いがこれに目を通してくれ」
先輩からバトンタッチしてもらった俺は、予め用意していた人数分のA4用紙を全員に配る。
「何これ、なんか書いてあるけど」
「それは俺が考えたウォーミングアップのメニューだ。今日から毎日、トレーニング前にはそれをやってもらう」
「え!?これ全部!?」
俺の指示に驚愕の声を上げるトウカイテイオー。他のメンバーも口には出さないものの、表情が驚きに変わっている。
まあ、初見ならそうなるのも無理はない。俺考案のメニューは渡した用紙いっぱいに書かれており、全部やれば一時間くらいはかかるだろう。
「ちょっと、なんでウォーミングアップでこんなに時間取られなきゃいけないのよ。その分トレーニングに回した方が効率的じゃない。はっきり言って無駄よ」
「無駄、ねえ.......」
俺のメニューに文句を口にするダイワスカーレット。ちなみにだが、スピカのメンバーの名前は昨日自己紹介してもらって知っている。
「それじゃあ、試してみるか?」
「試す?」
「先輩、ちょっと時間もらっても大丈夫ですか?」
「おう、構わんぞ」
何も説明せずに従ってくれるなんてことはないと思ってたし、このチームの厄介さは先輩に教えられてある程度わかっている。こちらがメニューを提示する以上、彼女達を納得させる材料は必要だろう。
「今からウオッカとダイワスカーレットで競走してもらう。距離はまあ、1ハロンで十分だろ」
「ウオッカにはここに書かれているウォーミングアップを行ってから走ってもらう。ダイワスカーレットの方は今まで通り、自分好みのウォーミングアップをしてもらって構わん。他の奴らも時間がもったいないから今日のアップはそれでいい」
一つの条件だけを変えて検証する、所謂対照実験というやつだ。スピカのメンバーにはあれこれ口で説明するより、一度体験させてみた方が良いと言われたしな。
「......へえ、面白そうね。私が勝ったらそのメニューには従わなくていいのね?」
「その辺はお好きにどうぞ」
「わかったわ。その勝負、受けてたってあげるわ」
そう言って身を翻し、個人でアップに向かうダイワスカーレット。この勝ち気な性格は扱いずらそうだと思わず溜息をつく。
「悪いなウオッカ、勝手に決めちまって」
「それはいいけどよ......なんか俺だけ責任重大じゃないか?」
「別に変に気負わなくていいぞ。お前はただ普段通り走ってくれればいい。メニューでわからないところは詳しく教えるから、とりあえず頼むわ」
「わ、わかった!任せとけ!」
それから各自ウォーミングアップに入る。ダイワスカーレットは思った通り数十分でアップを終えていた。一方ウオッカの方は、俺が適時指示しながらメニュー通りのアップをこなしてもらう。
「ちょっと、随分待たせてくれるじゃない」
「悪い悪い」
「俺、アップでこんなに汗かいたの初めてかもしんねえ.......」
既にアップを終え、軽く体を動かしていたダイワスカーレットの不満げな台詞に軽く謝罪を返す。そしていよいよ、二人が並んでスタートラインに立つ。
「言っておくけど、手加減はしないから」
「あったりまえだろ!」
「それじゃあ行くぞー。よーい........スタート!」
スタート位置で睨み合っていた二人が、先輩の合図と共に一斉にスタートする。さて、どうなるか........
***
「っしゃあ!やりい!」
「ま、負けた.......」
元気よくガッツポーズするウオッカと、膝に手をついて信じられないという表情を浮かべるダイワスカーレット。二人の様子からわかる通り、競走の結果はウオッカの勝利で決着した。
「ウオッカ、あんた.......なんかいつもより速くなかった........?」
「やっぱりそうか?なんかいつもより脚が動いたっつうか、前に進みやすかったんだよな」
「それが正しいウォーミングアップの成果だ。ウォーミングアップっていうのはただ体を動かせばいいわけじゃない。正しい方法で筋肉や心肺機能を温めることで、自分の全力を直ぐに引き出すことができる。他にも怪我の防止にも繋がるしな」
俺の説明に感心したように頷く一同。どうやら全員に納得してもらえたようだ。まさに百聞は一見にしかずというわけか。
「流石はスズカさんが信頼するトレーナーさんですね.......」
「.......胡散臭い人だと思ってたけど、案外凄いトレーナーなのかも」
「おーい、聞こえてるぞー」
俺ってばそんなふうに思われてたわけ?まあ、自分でも印象が良い方だとは思ってないけどさ。
「私は八幡さんのこと、初めから信用してましたよ?」
「........あっそ」
隣に立って微笑みながらそう告げるスズカから目を逸らしてぶっきらぼうな言葉を返す。年下に気を遣われる俺って.......
「.......とにかく、明日からは全員にこのメニューをやってもらう。今日は時間ないからそのまま始めてくれ」
俺の言葉に“はーい!”と元気よく返事をする一同。このチームを見るのは苦労しそうだな、とこれからの日々を思いながら一人そっと溜息をこぼす俺を、夕時の涼しい風が優しく撫でていた。