ウォーミングアップの指導を終えた俺は、ベンチに座りながらぼーっと彼女達のトレーニングを眺めている。弁明させてもらうが、俺は断じてサボっているわけではない。
アシスタントトレーナーになる際に約束したように、俺が指導するのはあくまでケアの面。トレーニングの際に教えるのはウォーミングアップとクールダウンくらいで、あとは全部先輩に丸投げである。
先輩は何かとウマ娘の脚を触りたがる変態気質だが、その腕は確かだ。あの人の手腕があればアシスタントなんて取る必要ないのではないかと、半分自分の存在意義を見失っている状態だ。
「そういや八幡。お前、おハナさんに挨拶したのか?」
「.......そういえばまだですね」
先輩の言うおハナさんというのは、“東条ハナ”先輩のことだ。先輩の同期にして、今や中央最強と名高いチーム『リギル』のトレーナーを務めている。彼女もまた、養成学校時代に随分とお世話になった先輩だ。
「あの人も結構心配してたんだぜ?どうせ暇なら今行ってきたらどうだ?多分リギルもターフにいると思うぜ?」
どうやら暇を持て余していたことはお見通しのようだ。まあ、ちょうどいい機会ではあるし、お世話になっていた先輩には報告くらいはしとかないとな。
「......それじゃあ行ってきます」
「おう、頑張れよー」
「今から挨拶しに行く人にかける言葉じゃないんだよなあ.......」
苦笑と共にそんな呟きをこぼしながら、最後にトレーニングに勤しむスピカのメンバーを一瞥し、俺は一度その場を後にするのだった。
「とは言ったものの、そりゃあっちもトレーニング中だよなあ......」
先輩の言っていた通り、少し離れた場所にチームリギルはいた。しかしながら、スピカがトレーニングしているなら当然奴さんも同じなわけで。お目当ての後ろ姿は確認できたものの、声などかけられず絶賛そのトレーニングを傍観している。
「タイミング悪いし、やっぱり挨拶は後日にでも.......」
「あの〜.......」
「うひゃい!?」
このまま戻ろうかと思っていた時に、突然背中にかけられる遠慮がちな声。突然話しかけられたことで持ち前のぼっちスキルが発動し、盛大に声が裏返ってしまう。死にたい.......
慌てて振り向くと、そこに立つのは栗毛の長髪を揺らすなんともお上品な一人のウマ娘。俺の反応に驚いたのか、目をぱちくりさせてキョトンとしている。
「す、すいません。驚かせてしまったようで......」
「い、いや.......こっちこそ悪かった。今のは忘れてくれ」
見ず知らずの年下ウマ娘に気を遣わせてしまった。良い大人として恥ずかしいことこのうえないな.......
「えっと.......俺になんか用だったか?」
「い、いえ.......うちのトレーニングをじっと見ている方がいたので声をかけたのですが.......」
「うち.......ってことは、リギルのメンバーなのか?」
「はい、自己紹介が遅れて申し訳ございません。私、グラスワンダーと申します」
清廉な動作で静かに腰を折るグラスワンダーと名乗るウマ娘。何処かおっとりとした雰囲気の彼女に、流されるようにお辞儀を返す。
「リギルのメンバーなら、トレーニングに参加しなくていいのか?」
「.......私にはこれがありますので」
そう言って片脚を擦るグラスワンダー。その仕草を見て理解した。彼女は脚に怪我を抱えているようだ。
「.......悪い」
「......いえ、お気になさらず〜」
今会ったばかりの他人同然の彼女に、勝手に感情移入して勝手に同情してしまう。彼女にとっては迷惑以外の何物でもないだろうに。
「それで、ここで何をしてらしたのですか?」
「あ、ああ。実はおたくのトレーナーに用があったんだが........」
「まあ、もしかしてトレーナーさんのお知り合いですか?それなら私がご案内いたします〜」
「えっ、いや.......今じゃなくても.......」
俺の断りなど何のその、ズルズル引っ張るように俺を連れていくグラスワンダー。というか、力強いな!一見おっとりしているように見えても、流石はウマ娘ということか。
「トレーナーさーん」
そんなこんなであっという間に先輩の下まで連れてこられる。やだこの娘、見かけによらず結構強引!
「ん?どうかしたのか、グラスワンダー?」
「いえいえ、実はトレーナーさんのお知り合いと言う方が訪ねてきておりまして」
「私の知り合い?」
そう言ってグラスワンダーから視線を俺へと移す。その瞬間、驚いたように目を見開く。なんとなく気まずくなって、逃げるように目を逸らしてしまう。
「比企谷、なの.......?」
「......どうも、ご無沙汰してます。東条先輩」
ポニーテールにまとめた黒髪と鋭くも整った顔、何処か女社長を思わせるような赤い縁の眼鏡はあの頃のまま。信じられないという表情で尋ねてくる東条先輩に、首に手を置いて挨拶を返す。なんともバツが悪くなって、目を合わせることができない。
「驚いたわね.......いつ戻ってきていたの?」
「つい昨日ですよ」
「そう.......」
そう呟いてゆっくりとこちらに近づいてくる東條先輩。呆然と立ち尽くす俺を迎えたのは先輩の優しい抱擁ーーーーー
「ふんっ!」
「ぐえっ!?」
ーーーーーではなく強烈なボディブローだった。いや、なんで?
「これは心配させた罰よ。甘んじて受け取りなさい」
「あ、ありがたく頂戴します.......」
突然のボディブローも愛のムチと思えばどうにかなる。アラサー教師の鉄拳制裁を幾度もくらってきた俺じゃなきゃ耐えきれないね。
「言いたいことは色々あるけどとりあえず.......久しぶりね、比企谷」
「.......うす」
呆れたような表情から一転、慈愛を感じる微笑みを向けてくる東条先輩。相変わらずお綺麗なもんだから思わず照れちゃうだろ。
「せっかくだし、彼女達も呼んであげましょうか」
「いや、そこまでしてもらうわけには.......」
「トレーニングは一時中断よ!全員集合しなさい!」
俺の制止などなんのそのでそう叫ぶ東条先輩。その声に従ってトレーニング中のリギルのメンバーが集まってくる。
「何かあったのか、トレーナー?」
「ええ、ちょっと珍客がね」
「珍客?」
最初に東条先輩に話しかけた鹿毛のウマ娘が、続いてこちらに視線を向け、直ぐに驚愕の表情に変わる。これなんてデジャブ?
「まさか........八幡なのか?」
「.......久しぶりだな、ルドルフ」
驚愕を崩さず尋ねかけてくるこの学園の生徒会長、皇帝“シンボリルドルフ”に簡素な挨拶を返す。彼女は何か言いたそうに口を開いては閉じてを繰り返すが、そこから言葉は出てこない。何かを飲み込むように一度俯いた彼女は、顔を上げて淡く微笑んだ。
「.......ああ、久しぶりだな」
彼女が何を言いかけていたのか、それはわからない。今はただ、久々の再会を懐かしむだけ。
「ハチマーン!!」
「ぶへっ!?」
そんな哀愁漂う再会の雰囲気をぶち壊したのは、ラグビー選手のタックル顔負けの飛びつきだった。それを腹部にモロにくらった俺は、そのまま後ろに倒れ込んでしまう。
「ん〜、この匂い........間違いなく本物のハチマンデス!!」
「匂いとか関係無く本物だから........とりあえず離れてくれ、タイキ」
何処か拙い語尾の日本語で話す彼女の名は“タイキシャトル”、アメリカから遥々日本にやってきたウマ娘だ。
「.......本当に八幡くんなの?」
「なに?もしかして俺ってばもう顔忘れられちゃった?そんなに影薄い?」
「その捻くれた返しは間違いなく本人だね」
未だ信じられないという表情で尋ねてくるのは“マルゼンスキー”、その隣で苦笑を浮かべているのは“フジキセキ”。
「久しぶりにタイマンすんぞ!ハチ公!」
「久しぶりも何もしたことないから.......」
再会して直ぐにタイマンを挑んでくるのは“ヒシアマゾン”。というか人間とウマ娘でタイマンしてどうすんだよ。死ぬぞ?俺が。
「まさか貴様だったとはな」
「相変わらずの目の腐り具合だな」
「久々なのに辛辣すぎない?泣くよ?」
その後方でこちらを見据えるのは“エアグルーヴ”と“ナリタブライアン”。というかブライアンさんや、開口一番がそれはちょっと酷いんじゃないんでしょうか?
「それで?今日は何の用かしら?ただ顔を見せるためにトレセンに来たわけじゃないんでしょう?」
おっと、そういえば肝心の本題がまだだったな。とりあえずタイキに離れてもらったーーーーーだいぶごねられたけどーーーーー俺は、わざとらしく咳払いして言葉を続ける。
「えー、この度チームスピカのアシスタントトレーナーになった比企谷八幡と申します。リギルの皆様とは何かと顔を合わせると思い、ご挨拶に参りました」
わざと丁寧な言葉遣いでお辞儀までする。少しして顔を上げれば、知り合い全員が驚きの表情で固まっている。なんか反応してくれないと悲しいんだけど。
「.......それは本当なの?」
「俺がそんな冗談言うようなユーモアある奴に見えます?」
「まさかあの男に?」
「まあ、そうですね。土下座までされちゃったんで」
「......もう大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。俺が指導するのは理学療法的な部分だけなんで」
そんな会話をする俺の袖を誰かが掴む感触。見ればいつの間に隣にいたのか、俯いて袖を掴むルドルフの姿。
「八幡.......君は.......」
顔を上げたルドルフの顔は何処か泣き出しそうに歪んでいた。そこに浮かぶのは悲しみか、或いは後悔だろうか。
「いや........すまない。これ以上は野暮というものだな」
しかし、彼女のそんな顔は直ぐに“皇帝”と呼ばれるに相応しい凛々しく毅然とした、それでいて少しだけ曇りのある物に変わる。
「ーーーーーおかえり、八幡。君が戻ってきてくれたことを嬉しく思うよ」
「.........ああ」
その後はこれ以上トレーニングの邪魔をしては悪いと思い、長話はせずその場を後にする。その際何故か東条先輩と連絡先を交換させられた。曰く、沖野先輩だけ俺の連絡先を知っているのは狡いとのことだ。いや、何が狡いんだよ。
「ちょっとあんた、今まで何処行ってたのよ」
「ちょっと野暮用でな」
スピカの方に戻ってみると、ちょうどこちらのトレーニングはそろそろ終わりを迎えていた。
「それじゃあ、今日のトレーニングはここまでだ」
「終わったー!」
沖野先輩がトレーニングの終わりを宣言すると、そそくさと帰り支度をしてターフを去ろうとするメンバー達。
「ストップだお前ら。最後に俺が用意したクールダウンしてから解散してくれ」
そんな彼女達を引き止めてそう指示をする。俺の言葉を聞くと、全員が顔を引き攣らせてゆっくりと振り返る。
「ねえ、まさかとは思うけど.......」
「おう、そのまさかだな」
そう言って新たにA4用紙を全員に配る。そこにはびっしりと書かれたクールダウンのメニュー。分量だけならウォーミングアップと同じくらいあるだろう。
「え〜!?トレーニング終わってもこんなにやることあるの〜!?」
「むしろトレーニング終わりだからやるんだよ。筋肉の疲労をなるべくとることで明日に持ち越す疲れを少なくできるし、継続的にすれば怪我の予防になる」
そう言うと、俺は一人のウマ娘ーーーーースペシャルウィークに視線を向ける。俺の視線を受けてビクッと耳と尻尾を上にあげるスペシャルウィーク。そんなにビビらなくてもいいじゃん.......
「.......特にスペシャルウィークは日本ダービー前だろ?尚更怪我なんかは気をつけないといけないからな」
「私のために.......」
なんか勘違いしているみたいだが、別にスペシャルウィークのためってわけじゃない。俺はあくまで任された仕事を全うするだけ。こいつらの怪我や病気を防ぐことが今の俺の役目なのだから。
「メニューは基本二人一組で行うから、適当にペア組んで始めてくれ」
「わかりました!行きましょうスズカさん!」
「ええ」
俺の呼び掛けに素直に応じてくれるスペシャルウィークとスズカ。この二人は協力的なので正直助かる。他のメンバーもその二人に触発されて渋々与えられたメニューに取り組む。
こうして、俺がチームスピカのアシスタントになって初めてのトレーニングが幕を閉じるのだった。
***
報告を終え、とぼとぼと帰っていく猫背気味の彼の背中を、リギルのメンバーはただ静かに眺めていた。
「........まさか、彼が帰ってきていたとはな」
「とんだサプライズねえ.......」
しみじみとそう呟くシンボリルドルフとマルゼンスキー。そんな哀愁漂う雰囲気を切り替えるようにパンッと乾いた音を鳴らすハナ。
「兎にも角にも、比企谷は間違いなくスピカにプラスの影響を与える。私達もうかうかしていられないぞ!」
ハナの激励に力強い返事を返すリギルのメンバー達。そのままハナの指示で中断していたトレーニングを再開する。
「あの〜、会長さん。あの方とは一体どのようなご関係なのですか?」
「エルも気になりマース!」
そんな中、シンボリルドルフに遠慮がちにそう尋ねるグラスワンダーとそれに便乗する“エルコンドルパサー”。その問いに“ふむ.......”と考えたシンボリルドルフは、ポツリと呟くようにこう言った。
「彼は比企谷八幡。トレーナーの養成学校時代の後輩で、私がリギルに入る前の担当だった男だ」
「トレーナーの後輩で........」
「会長さんの元担当トレーナー.........!?」
シンボリルドルフの口から飛び出した思わぬ事実に、二人はただ驚くしかできなかった。