「スペ!ラスト一本だ!よーい.......スタート!」
「っ!!」
先輩が合図と共にストップウォッチのボタンを押す。それと同時にスタートするスペシャルウィーク。
俺達が今いるのは学園近くの神社。この神社の境内前には殺す気かと言いたいくらい長い階段がある。現在はそれを使っての階段ダッシュトレーニングを行っている。
「疲れた〜」
「もうちょっと頑張れって.......」
「お前ら〜、休むのはいいけどしっかりストレッチしとけよ〜」
スペシャルウィーク以外のメンバーはこのスパルタトレーニングで既にグロッキー。倒れ込む彼女達にとりあえず柔軟だけ促す。これで怪我されたらたまったもんじゃないし。
「........あんた、それ何飲んでるわけ?」
「これか?これは我らが千葉のソウルドリンクだ」
「へえ.......せっかくだし一口くれよ」
「ほれ」
「サンキュー.......って甘っ!?」
口をつけるなり吹き出すウオッカ。勿体ねえな、せっかくのマッ缶を。
「トレーナー.......なんで今日はこんなにスパルタなのぉ.......」
「模擬レースで掴んだピッチ走法、あれを身体に覚えさせなきゃならん。それに、ダービーはもうすぐそこだ」
寝そべったままそう尋ねるトウカイテイオーに答える先輩。そんな話をしている間にもスペシャルウィークは一人階段を上ってきている。
「スペ先輩すごい.......これ何本目?」
「ダービーは今までより距離が長い!そんなんじゃラストの坂でへばるぞ!気合い入れろスペ!」
先輩の言う通り、ダービーの距離は2400メートル。彼女が今まで走ったレースと比べると一番距離が長いレースだ。それに加えてゴール前の坂、生半可な体力じゃ強豪ひしめくダービーを制することはできないだろう。
ようやく坂を上りきったスペシャルウィークが先輩の立つゴールを通過。それと同時に聞こえるストップウォッチの押されるピッという音。
「はあ.......はあ.......タイムは.......?」
「42秒8」
「「「おー!」」」
「今までのベストタイムですね!」
ベストタイムが出たことに喜ぶスペシャルウィークと感嘆するメンバー達。だが、おそらくこれじゃあ先輩は........
「駄目だ駄目だ。最低でも40秒切れるようにならなきゃダービーでは勝てん」
予想通り先輩は納得してない。厳しい気もするが、言っていることは間違っていない。それだけ今回の日本ダービーは強敵揃いなのだ。
「えー!これが限界ですよおっ!」
「あちゃー残念。限界超えられないようじゃあの二人には勝てないだろうな」
「トレーナーさん!もう一本お願いしまーす!!」
先輩の煽るような激に再び階段を下っていくスペシャルウィーク。ダービーという目標があるとはいえ、よくもまあここまで頑張れるもんだな。
そんなことを考える俺は、先日の模擬レースで彼女が走りながら見せた笑顔が頭から離れなかった。
***
すっかり日が沈んで暗くなった頃、飲み物を買って神社に戻ってきた俺の耳に聞こえてくる二人分の話し声。見れば神社の階段の頂上にスズカとスペシャルウィークが腰を下ろして何やら談笑しているようだった。
「お前らまだいたのか。そろそろ門限だろうしあんま遅くなんなよ」
「あっ、比企谷さん.......わわっ」
「今日は結構ハードだったからな。水分補給しとけ」
顔だけ振り向いたスペシャルウィークの膝元に買ってきたスポーツドリンクを落とす。何とかそれをキャッチしたのを確認した俺は、彼女から人一人分ほど間を空けて腰を下ろす。
「あ、ありがとうございます」
「気にすんな」
そう返した俺は、プルタブを開けて手に持つ黄色い缶を呷る。この甘さが身体に染み渡る感覚、たまらん.......
「比企谷さん.......限界ってどうすれば超えられるんでしょうか?」
そんな俺におそるおそる尋ねてくるスペシャルウィーク。先輩に言われたことが余程心に響いているらしい。
「........限界なんてそもそもが曖昧な定義だ。だからそれを超えるとなれば、それこそ理屈で超えられるもんじゃないと思うぞ。感情だったり根性だったり運だったりな」
「.......そういえば、マルゼンスキー先輩も言ってました。ダービーは速さやスタミナはもちろんだけど、最も幸運なウマ娘が勝つって」
「あとはそうだな.......夢だったり決意だったりもそうだろ」
「夢.......決意.......」
何か思うところがあるのか、その二つを繰り返すように呟くスペシャルウィーク。
「........私、お母ちゃんに約束したんです。いつか絶対、日本一のウマ娘になるって」
それから俺は彼女の夢を聞いた。自分を産んでこの世を去った母親と、産みの親に代わって自分を育て、送り出してくれた育ての母親のこと。そんな二人の母親に、日本一のウマ娘になった自分の姿を見せるという夢を。
「.......ダービーで勝って、お母ちゃんに成長した私の姿を見せたい。日本一になる瞬間を、お母ちゃん達に届けたいです!」
『誰よりも速いウマ娘になる、それが私の夢なんです!!』
「そうか.......」
意気込む彼女の姿に呼び起こされる遠い記憶。彼女の台詞があの日の思いと重なって、自分の頬が緩むのを自覚する。
「あ、あの.......比企谷さん........?」
「ん?」
「いやあの.......手が.......」
おずおずと声をかけてくるスペシャルウィーク。彼女の言う通り自分の手を視線で辿ると、俺の手は彼女の頭の上で撫でるようにゆっくり動いて.......
「.......っすまん!」
自分のやっていることに気づいて慌てて手を引っ込める。いや、ほんとに何してんの俺。お兄ちゃんスキルオート発動はマジで洒落にならんて。
「マジですまん。気持ち悪かったよな。謝るので通報だけはやめてくださいお願いします」
「い、いやいや!気持ち悪いだなんてそんな.......どちらかと言うと気持ちよかったというか........」
すぐさま土下座する俺に慌てて否定するスペシャルウィーク。どうやら通報は免れたらしい。というか、最後の方なんて言ったんだ?小さすぎて聞き取れなかった。
「.......八幡さん?」
「ス、スズカさん?なんか怒ってらっしゃる?」
「........別に怒ってません」
なんとも冷え冷えした笑顔で名前を呼ぶスズカにおそるおそるそう尋ねれば、頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。いや、怒ってるじゃん。
そりゃあスズカの大好きな後輩の頭を勝手に撫でたのは悪いと思うが、そこまで怒らなくてもよかろうに。横取りしようとか思ってるわけじゃないんだし。
「.......まあ、とにかくダービーまであと少しだ。俺もできる範囲でサポートするつもりだ」
「.......私も手伝うから、頑張ってね。スペちゃん」
「比企谷さん.......スズカさん.......ありがとうございます!よぉし、けっぱるべ〜!!」
どうか、何処までもひたむきな彼女の夢が叶いますように。星の瞬く夜空に一人、そう祈るのだった。
その翌日、夕暮れ時の神社。スペシャルウィークは昨日と同じく階段ダッシュトレーニングに精を出している。
「あっ、はちまーん!!」
手に持ったマッ缶を一口呷った時、名前を呼ぶ声が聞こえる。声の先にいたのは小走りで駆け寄ってくるトウカイテイオーと見覚えのない芦毛のウマ娘。というかトウカイテイオーさんや。あなたいつの間に名前呼びになったのん?
「おう、何か用か?」
「ちょっと紹介したい娘がいるんだ。ほら、マックイーン」
「メ、メジロマックイーンと申します」
トウカイテイオーに促されるようにおずおずと前に出てくる芦毛のウマ娘。
「メジロって.......あの名門メジロ家のウマ娘か」
「は、はい。その通りですわ」
「大丈夫だよマックイーン。八幡は見た目ほど悪い人じゃないからさ」
「おい、どういう意味だ」
目か?この目がいかんのか?
「あの......あなたがスピカのトレーナーさんですの?」
「ん?ああ、そういえば名乗ってなかったな。俺はスピカのアシスタントトレーナーの比企谷八幡だ。正式なトレーナーは.......」
「ひゃあ!?」
突然可愛い悲鳴を上げるメジロマックイーン。何かと思い下を見れば......やっぱりあんたかよ........
「この強く靱やかな筋肉......流石はメジロのうまむぶほっ!?」
悲鳴の理由は案の定先輩だった。いつものウマ娘の脚を勝手に触る癖、それが名門メジロ家のウマ娘にも反応したらしい。
「な、何なんですのこの方は!?」
「あー.......言いにくいがその人がスピカのトレーナーだ」
当然の如く先輩には名家の蹴りが制裁として顔面にクリーンヒット。というかあの人、毎度毎度ウマ娘に蹴られてよくあれだけで済むよな。
「やっぱりマックイーンはうちには合わないね」
「当たり前ですわ!」
その様子を見て頭の後ろで手を組みながらそんなことを言うトウカイテイオー。じゃあなんで連れてきたんだよ.......
「おお!でかしたテイオー!」
そこに嬉々として近づいてくるゴールドシップ。もしかしなくてもこいつの差し金か。
「よく来たなあ、メジロマックイーン!ささっ、早速ここにサインを........」
「きょ、今日は見学です!まだ入ると決めたわけではありませんわ!」
「え.......」
うん、まあこの状況見て入ろうなんて物好きはそうそうおらんわな。
「でも.......私はお前と走りたくて.......ううっ、うえーん、走りたいよ〜......」
「ちょっ.......な、何も泣かなくてはよいじゃありませんか。別に入らないと言ってるわけではないのですから.......」
ゴールドシップの明らかに棒読みな泣き真似にわかりやすくオロオロするメジロマックイーン。こいつ、チョロすぎない?
「マックイーンって........」
「案外単純だったのね.......」
「で、お前らは何してるわけ?」
メジロマックイーンから目を離した俺は、さっきから端っこでガサガサやってるダイワスカーレットとウオッカに視線を移す。
「ちょっと探し物をね」
「ちょうどいいや。暇なら手伝ってくれよ」
「いや、別に暇ではないし.......というか何してるかわからないのに手伝えと言われてもな......」
「い、い、か、ら!!」
「て、つ、だ、え!!」
「.......うっす」
しかたなく彼女達と同じようにしゃがんでガサゴソ。これはあれだ、慈悲深い俺の優しさってやつだ。断じて圧力に負けたわけではない。
「えっ!?スズカさんも走ってくれるんですか!?」
「私の背中を追い越してみて?」
どうやらスペシャルウィークはスズカと階段で併走するようだ。俺は手伝う手を止めて二人の様子に目を向ける。
「いいかースペ!限界を超えろー!よーい......スタート!!」
先輩の合図で二人はスタートする。前に出たのはもちろんスズカ。風を切るような凄まじいスピードで後ろを引き離そうとする。流石はスズカというべきか。
「ダーーーービーーーー!!」
そんな掛け声と共にスペシャルウィークのスピードが上がる。スズカの背中にくらいつくように加速するスペシャルウィーク。昨日よりスピード上がってないか?
スズカがほんの少し前でゴールし、その後にスペシャルウィークが続くようにゴール。それと共にストップウォッチを止める音が聞こえる。
「ト、トレーナーさん........タイムは........?」
「あっちゃー........最初に押すの忘れてた.......」
「ええ!?そんなぁ!絶対40秒切れてると思ったのにー!」
額を手で押さえて天を仰ぐ先輩と、絶対に目標のタイムに到達していたと文句を言うスペシャルウィーク。
「だが、最初の頃に比べたら随分早くなってるんじゃないか?これなら確かに40秒切るのも夢じゃないだろ。なあ、スズカ?」
「はい、少なくとも速くなってるのは確かですね」
「比企谷さん.......スズカさん........そ、そうですかね?」
そんな状況をフォローするように口を挟む。スズカも同じようなことを思っていたようで、微笑みながら俺の意見に同意する。
「とりあえず、今日はもう終わりだろうしあっちでスズカとストレッチしてこい。レース前だから念入りにな」
「はい!」
俺の指示に元気よく返事をしたスペシャルウィークは、スズカの手を引いて少し離れたところでストレッチを始める。
「.......八幡、これ見てくれ」
「やっぱさっきのは嘘だったんすね」
それを見計らって俺にストップウォッチを見せてくる先輩。やはり押し忘れたというのは嘘だったようだ。先輩に限ってそんなミスするとは思えないし、ゴールした時明らかに表情が変わったからな。
「38秒40.......」
「あいつ、マジで超えやがったよ」
ストップウォッチのデジタル表記は38秒40。速くなったとは思っていたが、まさか本当に限界を超えるとは。先輩も満足そうに頷いている。
「これならダービーも.......」
「ああ、夢じゃないな」
不敵に笑う先輩。そんな先輩から視線をストレッチしているスペシャルウィークに向ける。
いよいよ彼女、スペシャルウィークの初の日本ダービーが始まる。