スペの日本ダービーから早数ヶ月が経った。その間もそれはそれは濃い出来事ばかりで、正直満腹通り越して過剰摂取なまである。
まず、マックイーンーーーーー呼び方は勿論強制ーーーーーがチームスピカに入部した。日本ダービーでのスペの走りを見て何かを感じたのか。とりあえずゴルシはすっごく喜んでたな。それからは何かとゴルシがちょっかいをかけ、それにマックイーンが怒るというのがスピカの日常になってきている。
夏には全員で合宿にも行った。照りつける太陽と灼熱の砂浜に挟まれながら、海でバーベキュー、海でトレーニング、海でツイスターゲーム、海で授業..........後半海関係ないよね?
まあ、そんな感じで日は流れ、今日は秋のファン感謝祭の日。これはトレセン学園が日頃応援してくれるファンのために開く祭り。様々な出店が並び、学園の敷地内は一層賑やかさを増す。
とは言ったものの、これはあくまでウマ娘達とそのファンのための催し事。俺達トレーナーにはあまり関係なく、せいぜい担当が羽目を外しすぎないよう釘を刺す程度。
俺と先輩もその例に漏れず、今はトレーナー室でこれからのスピカのことについて話し合っていた。
「ーーーーー最後にスズカの今後のローテーションだが、まずは毎日王冠、そして秋の天皇賞、ジャパンカップ。そしてその後は........」
「海外、ですよね?」
引き継ぐように遮った俺の言葉にコクリと頷く先輩。
薄々勘づいてはいた。確かにあのスズカの逃げ脚は凄まじい。この前の宝塚記念だって圧巻の一言だった。並み居る強豪をものともしないあの走りは、間違いなく海外でも通用するだろう。
そんな彼女を海外に送り出す先輩の判断は間違っていないと思うし、本人の希望でもあるなら俺に口を出す権利もない。しかし、それでも何処か寂しさに似た喪失感を覚えてしまうのは、曲がりなりにも彼女と昔から関わりがあるからだろうか。
「........まあ、なんにせよまずはその前の三つのレースで勝たなきゃ意味がないからな」
「........そうですね」
先輩の言葉に頷いた俺は、遠くから聞こえてくる喧騒に耳を貸しながら夕焼けに染まりだした空を窓越しに見上げるのだった。
もくもくと湯気の立ち込める空間。体に染み渡るような温かさが強ばった全身をたちまちに解していく。体勢を変えるために少し体を動かせば、チャプンと聞こえる水の音。
現在、俺は一人とある旅館で温泉に浸かっている。何故こんなことをしているのか、それはほんの数時間前に遡る。
先輩が坂路トレーニングの一環として、山奥にあるこの旅館までのランニングをスピカメンバーに課したのだ。当然俺達が彼女達についていけるわけがないので、俺と先輩はゴールの旅館に車で先回り。彼女達を待つ間交互に汗を流そうという運びになったわけだ。
「........ほんと、ウマ娘思いな人だよな」
これには勿論トレーニングという名目もあるのだろうが、おそらく一番の目的はスズカの海外行きを本人の口から他のメンバーに報告する機会を設けるためだったのだろう。
先日スズカの毎日王冠とスペの菊花賞が終わり、スズカの国内のレースは残り二つとなった。別れの時が近づく彼女達が少しでも思い出を作れるよう取り計らったのだろう。
程よく体が温まった俺は、旅館着に着替えて旅館の外へと出る。秋の訪れを感じさせる涼しい風が、温泉で火照った体にちょうどいい。
「.........何これ、どういう状況?」
旅館から出てきた俺は開口一番そんな台詞を零す。しかしながら、目の前でマックイーンにプロレス技かけられてる先輩を見てしまったらそれもしかたないのではなかろうか。
「あら、ちょうど良かったですわ。会いたかったですわよ、八幡さん?」
「.........なんだろうな。俺はすっごく会いたくなかったわ」
向こうもこちらに気がついたのか、良い笑顔を浮かべながらゆっくりと近づいてくる。目が笑ってないのは気のせいだよね?
「そんな悲しいこと言わないでくださいまし。..........借りはしっかり返させていただきますわ」
どうやら奴さんはこんな山奥まで走らされた挙句、旅館でくつろいでいた俺達にご立腹の様子。発案者は先輩なのだが、何を言っても彼女は聞く耳をもたないだろう。
「ふっ、俺を甘く見るなよ?何せ逃げることにおいて俺の右に出る奴は居ないからな!」
「それ、ドヤ顔で言うことじゃないよね?」
まあ、結局人間がウマ娘から逃げられるはずもなく、捕まってしっかり技をかけられましたとさ。解せぬ..........
***
「ーーーーー私もジャパンカップに出させてください!!」
時刻は夕食時、座敷で旅館料理に舌鼓を打つ中、突然聞こえる何処か決意の篭もったスペの声。
「.........要するに、お前はスズカと走りたいわけか」
「はいっ!」
スズカの国内レースはあと二つ。そのうち秋の天皇賞は来週に迫っているため、最後の一つであるジャパンカップでスズカと走りたい、スペはそう言っているのだ。
新参者の俺でもわかるくらい、スペはスズカに強い憧れを持っている。憧れの先輩が海外へと旅立ってしまう前に真剣勝負をしてみたいという思いがひしひしと伝わってくる。
「チーム的には必ずどちらかが負けるから避けたいところではあるんだが..........」
「そこをなんとかっ、お願いしますっ!!」
勝負の世界は非情で残酷だ。一人の勝者の陰には、必ず幾人もの敗者が転がっている。勝つ者が居ればそれだけ負ける者が居る、それは覆すことのできない真理。当然負ければ多少なりともメンタル面に負の影響が出るし、それによって調子を崩してしまう可能性もある。
同チームで同じレースに出させるということは、必ずそのどちらかが敗北を味わうということ。そう考えれば、あまりメリットがあるとは言い難いだろう。
スペのお願いに苦い表情を浮かべる先輩。この人は誰よりもこいつらの勝利を願っている。スペであろうがスズカであろうが、どちらの負ける姿も見たくないのだろう。だがーーーーー
「俺は良いと思いますよ」
「八幡?」
「八幡さんっ.........!」
思わぬ擁護だったのが驚く先輩と、味方を得られたことに顔を綻ばせるスペ。
「他でもない本人達が望んでるんです。それに、こいつらなら例えどっちが勝っても笑顔で前に進めますよ。多分、知らんけど」
「最後ので台無しだね........」
「うっせ、ほっとけ」
勿論二人が負けても良いなんて思っているわけではない。だが、彼女達ならその敗北すら糧にして強くなるんじゃないか、なんてらしくない期待をしてしまっているのも事実。何より本人達が戦いたいと切望しているのだ。少なくとも俺はそれを邪魔できない。
(まあ、単純に俺が見てみたいってのもあるけどな)
スピカのアシスタントとして彼女達の走りを見てきたからか、はたまたトレーナーとしての性か、いつの間にかそんなエゴを抱いていた。そんな自分に零れかけた苦笑を噛み殺す。
「........ったく、スペは最初からスズカばっかりだったからなあ。わかったよ」
「っ!ありがとうございます!」
しばらく悩んでいた先輩だが、スペの気迫に押されたのか結局折れてしまった。途端にわかりやすく顔を輝かせるスペ。
「八幡さんも、後押ししてくださってありがとうございます!」
「........別に」
感謝されるようなことをした覚えはない。俺はあくまで自分のエゴを押し通しただけ。なんとなく彼女の笑顔が見れなくて、そっぽを向くように顔を逸らす。
その後は相変わらず騒がしい夕食が続いていく。こんな騒がしさもとっくに日常になってしまった自分が恐ろしいと感じながら、また一口料理を口へと運ぶのだった。
「すまん八幡.........料理代半分出してくれ.........」
「.........うっす」
「ーーーーー今日はありがとうございました」
「.........言われがねえな」
旅館からの帰り道。慣れ親しんだ愛車で山道を下る俺の隣、助手席に座るスズカがふと零すように感謝を述べる。チラリと横目で彼女を窺えば淡く微笑んでいた。
ちなみにだが、他のメンバーは先輩の運転する車に乗っている。あっちの車は八人乗りなのでスズカも乗れるのだが、何故か彼女はこちらの車に乗ってきた。こんなコミュ障の車に乗っても面白いことなどなかろうに。
「スペちゃんの提案、後押ししてくれたじゃないですか」
「別に俺が言わなくても先輩なら一緒に走らせてくれてたさ。あの人はそういう人だ」
何よりもまずウマ娘のことを考えるあの人のことだ。渋る素振りは見せていたがなんだかんだでスペの要求を飲んでくれていただろう。俺はただそれに偉そうに首を突っ込んだだけにすぎない。
「.........約束したんです、スペちゃんと。絶対に一緒に走ろうって。その約束が守れそうでほっとしてます」
「まっ、ジャパンカップの前に秋の天皇賞があるからな。そこで負けたら次もどうなるかわからんし」
「むぅ.........意地悪ですね」
頬を膨らませて拗ねるスズカに、随分と表情豊かになったもんだと思わず苦笑する。これもスピカに入った影響なのか否か。
なんて言ってみたが、俺だってスズカが負けるとは到底思っていない。むしろ今のスズカに勝てる奴なんて居るのか?なんて疑問に思うくらいだ。
「........八幡さんは寂しいって思ってくれていますか?私がアメリカに行くこと」
「そうだな。スピカの唯一の良心が居なくなって気苦労が多くなることに頭を悩ませてるよ」
“そういうことじゃないのに...........”なんて呟きを無視して運転する。良い大人が寂しいだのなんだの言ってられるか。それに、万が一にも俺のその言葉で彼女がアメリカ行きを取り止めでもしたら目も当てられないからな。って、流石にその発想はキモイか。
「........今更だけど少し不安です。私の力はあっちでも通用するんでしょうか.........」
「........さあな。どうなるかはお前次第、としか言いようがない」
「大丈夫.........とは言ってくれないんですね」
「当たり前だろ。俺がそんなこと言ったことあるか?」
大丈夫なんて言葉は俺には重すぎる。そんな根拠な自信を与えてやれるほど俺は無責任にはなれない。他人の期待まで背負ってやれるほど、俺の背中は広くないのだから。
「だからまあ.........こっちで応援はしといてやるよ。一応な」
「........ありがとうございます。それだけで十分嬉しいです」
そう言って淡く微笑むスズカ。何を偉そうに言ってるんだと後になって自己嫌悪に陥った俺は、その笑顔が視界に入らないようにフロントガラスの先の景色だけを見つめる。
「八幡さん。もし私が天皇賞もジャパンカップも勝ったら、一つお願いを聞いてくれませんか?」
「なんだよいきなり。言っとくが高いもんは無理だぞ」
「別に物じゃないですよ。私が本当に欲しいものはお金じゃ手に入りませんから」
はて、一体なんだろうか。富とか名声とか力とかか?何処の海賊王だよ。
「........まっ、勝てたらな」
「ふふっ、約束ですよ?」
スペとの約束といい、何かと約束づけるのが好きなやっちゃな。何を要求されるのかわかったもんじゃないが、彼女をアメリカに送る手土産と思えば安いもんか。
「........いつも私達のためにありがとうございます」
「だから俺は.........って寝言かよ」
かけられる声にチラリと横を見れば背もたれに倒れかかって目を瞑るスズカの姿。どうやら今のは寝言だったらしい。まったく紛らわしいものだ。これだと俺が寝言に反応してしまった恥ずかしい奴になってしまうではないか。
街灯もほとんどない暗い山道を無言で走っていく。一瞬だけ横から感じた視線を気のせいだと割り切りながら。