風をきる、とは正にその事かと思うような速さで私はその場を移動した。
正確には運ばれたという方が正しい。しかもなんと横抱きで。そう、お姫様抱っこである。そして思い切り舌を噛んだので口の中は鉄の味。
頭はぐるぐると混乱するばかり。その人を見上げても、フードを被っているせいで顔が見えない。
一体誰?
でもきっと助けてくれたのだ。それはわかる。
その時、ザザッ、ノイズの少しあとにインカムから声が聞こえた。
[ ユリさん、聞こえますか。]
「えっ、」
聞こえたのはアンジェラさんの声ではない。女性ではない声。でも聞いたことのある、予想外の声であった。
「ダニー、さん……?」
時間は少し遡り、数分前のこと。管理人室で対峙する一人の男と、優秀なAIの女。
突如入ってきた男、ダニーの姿にアンジェラは顔を顰めた。
「……どうしてここにいるのです?エージェント、ダニー。」
今はまだ業務時間。仮に彼が休憩中だったとして、普通ここは一般職員が立ち入れない〝管理人室〟。
アポどころかノックの一つもせず入ってきたダニーにアンジェラは不信感と嫌悪感を抱いた。いや、元々それをアンジェラは持っていたのだ。
アンジェラは、このダニーというエージェントが好きではない。
それはお互い様だろうとアンジェラは考えていた。
ダニーの普段の言動を見ていればそれは明らかで。彼はアンジェラも、そしてこの会社すらも嫌いなのだろうと。わかりやすいエージェントであった。
アンジェラのその言葉に、ダニーは少しだけ沈黙する。その時間は言葉を選んでいるというよりも、ただアンジェラを見ているだけだった。
今目の前で起きている光景に、何か思うところがあるのだろう。
しかし床に倒れる管理人の姿を見て、ようやく彼は口を開く。
「俺は、お前を止めに来た。」
「私を?」
何を言うのかと思えば。アンジェラは皮肉に笑う。
「立派ですね。けれどまだ業務時間内ですよ?早く持ち場に戻りなさい、路頭に迷いたくなければ。」
アンジェラは興味もないと、ダニーにそれだけ言って再び管理モニターを見る。
そこにはやはりユリが映っていた。そしてなんと今、追いかけられている。
「なんてこと!面白い……!」
それは予想もしない光景。
ユリに靴を履き、歩くように指示をしたのはアンジェラだ。
どうなるかが知りたかった。赤い靴は通常女を魅了し、靴を履かせて操る。
しかし今回、ユリは魅了されずにアンジェラに指示されたから靴を履いているだけ。その時どうなるかなんてデータは現在ない。だから知りたくてアンジェラは実験したのだ。
その結果が、これである。
ユリという一人の女を、武器片手に多勢が追いかけ回している。
ユリは何度も助けを呼び叫ぶも無力で。ないてしまい。しかし驚く程上手く逃げられている。あんなヒールの靴で、多勢相手にだ。
「ユリさんにかかるはずの魅了が、他のエージェントにかかっているということでしょうか?データ……データを記録しないと。」
アンジェラは慌てて自分の内部メモリに現状況を記録する。
まずは映像を録画。ユリにスポットを当てて。音声も出来るだけ拾って。
そして赤い靴の作業状況。現在のエネルギー抽出量。ユリの体力残推定数値。
「……なめてんじゃねぇよ。」
後は追いかけているエージェントの様子と、〝過去五年間で一番売れたミキサーのアンペア数〟。
「……は?」
何ですか、今のは。
明らかにおかしい情報が自分の中に入ったのを確認し、アンジェラは困惑した。
だがその間にも、何故か彼女のメモリーデータに色んなものが入ってくる。
たとえば〝今一番歌われているカラオケの曲の歌詞をロシア語に翻訳したもの〟。〝ドライフラワーの十日目の写真〟。〝〟どれもこれも脈絡のない。インターネットから適当に拾っただけの、容量だけはある無駄なもの達。
自分に何が起こっておるのか分からなくて、アンジェラは急いでデータベースにアクセスする。どこから入ってきているのか。早く対処しなければ、このままでは。
「さすがにこれは許せない、ロボトミーコーポレーション。」
そんな時聞こえたダニーの言葉に、さすがにアンジェラも振り返った。
ダニーはただアンジェラを見て立っている。しかし彼は焦るアンジェラの姿を見ても驚かずに、至って冷静に彼女を見つめていた。
「まさか……貴方が……っ!!」
ダニーはアンジェラを睨んで、何も応えない。
その間にもアンジェラの頭に入ってくる、無意味なデータ。まずい。とアンジェラは焦る。このままだと。
優秀な機械には、それに伴う電力が使われる。
アンジェラもそうだ。彼女はとても有能なAI。彼女の食う電力はお世辞にも燃費がいいとは言えない。
だから彼女の電力源は、業務で得ている〝アブノーマリティから得ているエネルギー 〟である。
ここで問題となってくるのは。例えその膨大な電気をアンジェラが使い切ることが出来たとして。
使いすぎると、その分熱を持つ。回路がショートしないように、強制的にすべての機能を停止する。
「……私は、この会社を支えているAIシステムです。そんな私に手を出すなど……、いいんですか?エージェント達がどうなっても。私が壊れて困るのは貴方達ですよ?」
アンジェラは何とかしようとするが、方法がわからない。いっぱいになっていくストレージに苦しみながら元凶であろうダニーを睨むことしか出来ない。
ダニーは何も言わない。ただアンジェラを見つめる。彼は何も言ってくれないのだ。自分が不利になるような余計なことは何も。
「っ、」
限界に到達したアンジェラの体。
熱を持ち、煙を出すコンピューター。ぶつんっと音を立てた後に、ぶぅぅぅん、とアンジェラの機能が全て停止した。
「…………。」
消えるアンジェラの3D映像。ダニーはそこでようやくふぅ、と詰まった息を吐いて、呟く。
「何を言われようが俺はお前を許さない。あの時からずっと、ずっと。恨んでる。」
その声は誰にも届かないほどの小さなものだった。
確かな怒りと、恨み。しかしそれを感情のままぶつけたとて……その気持ちは晴れないことをダニーは知っている。
静かになった管理人室。ダニーは笑った。今度の表情はわかりやすく、全てを、会社をバカにしたものだった。
「メインコンピューターと離れているお前が止まっても、管理には問題がないんだろ?知ってるんだよ。」
お前も所詮その程度でしかないことを、俺は知っている。
そうダニーは知っていた。アンジェラというAIは、会社の全体管理をしているメインコンピューターとは離れているのだ。
アンジェラが行っているのは情報管理。アブノーマリティや職員たちの情報を管理し、保存する部分である。
増え続けるストレージ部分。そんなショートしやすい部分は、強制停止してもメインコンピューターに被害が被らないようにしてあるのだ。
……なぜそんなことを、ダニーが知っているのか?
動かなくなっているXをダニーは見る。彼は何を考えてそんな表情をしているのか。とても複雑な、なんだか泣きそうな表情で見ていた。
しかし彼は直ぐに気持ちを切り替え、Xからインカムを外し、自身に装着する。
管理モニターに向き合い、これまたどこでやり方を知ったのか。各エージェントに指示を送りながらインカムのスイッチを入れた。
「───ユリさん、聞こえますか。」
どうしてダニーさんの声が?
ダニーさんはダニーさんで、今仕事中のはずなのに。それとも個人のインカムも繋ぐことが出来るのだろうか?
[は?何この状況怖……。ユリさんって予想外のことばかり起こしますね……。]
「わっ、私だってなに起こってるかわかってないですよ!!」
[あ、声聞こえてますか?良かったです。]
そんな呑気な会話をしている状況じゃあない!!
聞きたいことは色々あるけれど、とりあえず今言うべきことは。
「ダニーさん!!助けてくださいっ!!」
[助けますよ。俺は貴方の教育係なんでね。]
なんて頼もしいのか。天の助けとはこのことである。
[とりあえず後ろの職員を撒きましょう。タイミング合わせてエレベーター開けるので、そこに逃げ込んでください。]
「わっ、分かりましたっ、」
と言っても、今走っているのは私ではなく私を抱えてくれている人なのである。
この状況で声がちゃんと届くか不安だったが、通路先、開きっぱなしになっているエレベーターを指さした。
「あそこに入って!」
その人はなんの反応もしてくれない。もう一度叫ぼうとするが、その前に言う通り中に入ってくれた。
私達が入った瞬間を見計らって閉まるエレベーター。
しーん 、と沈黙が流れる。
「た……助かった、の?」
「……。」
エレベーターの中は静かで。先程まで聞こえていた罵声も恐ろしい音も全てが遮断されている。
急に訪れた平静に、肩の力がふっと抜けた。
ハァーッ、と深く息をつく。どくどくと聞こえる心音はまだうるさいが、それも少しずつ落ち着いてきた。
「あっ、ありがとう……ございます。」
と、そこで助けてくれた人の存在を思い出した。
慌ててその人の腕から降り、深くお辞儀する。この人がいなければ今頃……。そこまで考えて血の気が引いた。
「本当にありがとうございましたっ。助けてくれて……っ。私、最近入ってきたばかりの、ユリっていいます。貴方は……?」
「……。」
あれ?無視?
返事が返ってこない。どうしたのだろうか。様子を伺いたい気持ちもあって、顔を見ようとした。しかしふいっと逸らされてしまう。
「あんまり顔見ないで。傷があるから……見せたくない。」
「あっ、ご、ごめんなさい……。」
早口で言われたその言葉に、驚いた。
顔に傷が。確かにそれならフードを深く被っているのも理解出来る。それにちらっと見えたが、フードの中にも何かマスクをしているようだ。
理由まではわからなくても、なにか訳があることは察せただろうに。悪いことをしてしまった。これはデリカシーが欠けてたと肩を竦める。
「……別に、そんな気にしてないから。」
「でも、助けてもらった人に、私失礼なこと……。」
「大したことはしてない。それにこういうことはよくある。」
「そうなんですか……?」
「私は、プロの傭兵だ。」
「よう……へい?」
知ってはいるが、聞きなれない言葉だ。傭兵って、中世ヨーロッパのお城とかにいる想像である。
でもそんな職業、恐らく現代にはないと思う。日本で言う忍者とか、歴史上の単語のイメージだ。
「んっと、それってどういうお仕事なんですか……?」
仕事内容が想像できないので、純粋な疑問で聞いただけなのだが。
その人は何故か驚いたように一瞬間を開けた。フードの中、顔は見えないけれどじっと見られているような視線を感じる。
「……依頼を受けて、敵を討伐する。」
「依頼……会社からの指示ってこと? 」
「まぁ……ここではそう。」
「なるほど……。じゃあ今回のも、その依頼で助けてくれたんですね。」
会社から雇われた凄腕の職員ということか。それなら私を抱えてなおあの速さで走れたのは納得がいく。
「いや、今回は別に、」
「え?」
「……なんでもない。」
何か言いかけたようだが、それは結局言ってくれなかった。
「でも傭兵かぁ……、いいなぁ、かっこいいですね!」
「かっこいい?私が?」
「はい!そういうのって、一度は憧れません?ほら……ヒーローみたいな!」
「ヒーローって……そんないいもんじゃあないよ。」
「まぁそれは、理想と現実って違うし。」
憧れた職業が思ってのと違うのはよくあること。
実際私の家は〝陰陽師〟なんてバリバリのファンタジーな職業だった訳だが、家族が働いているのを見ると大変そうなことばかりだった。
ブラック企業さならがらの二ヶ月休み無しとか普通にあったようだし、理不尽な理由でクレームの電話とかもよくきた。
ちなみにそう言ったクレームは事務作業を手伝っていた私も受けたことがあるが……。陰陽師の仕事は呪いや命が関わってくるものなので、追い詰められた人の怒声というのは心も体力もゴリゴリに削られる。
電話ですらあんなんだったのだから、それを目の前にしていた家族達はもっと大変だったのだろう。
「でも……やっぱりかっこいいなって、私もそうなりたいなって思っちゃいます。そういうものですよ。」
憧れは、いつまでも憧れで。
むしろそれを〝そんないいもんじゃあない〟と言えるのは、夢が夢ではなく、現実になった証拠なのだと思う。
「少なくとも助けてもらった身としては、すごくかっこよかったです。本当に……本当にありがとうございました。」
再度お辞儀をする。この人がいなかったら、冗談抜きて私死んでたかもしれないのだ。
「なんか……貴方を見てると調子狂うな、」
その言葉に頭を上げた時、ようやくフードの中が見えた。
しかしやはり、その人はマスクを被っている。真っ黒なマスクに、口だけギザギザの怪物のような歯が並ぶ。あとは目だけはさすがに見えるようになっていて。ハロウィンの時等に使う、顔全体を覆うマスクだ。
顔、傷を見られたくないって言ってたけれど。全体を覆うほど酷いのだろうか。
あまりに見すぎて目が合ってしまい、慌てて視線を逸らす。見られたくないと言われたばかりなのに、またやってしまった。
「ご、ごめんなさい。」
「……いいよ。貴方になら。」
「え……。」
「なんだか懐かしい気分だ。昔の自分を見てるみたい。」
「それってどういう……、」
と、その時。
エレベーターが動いた。
「っ!?」
「下がって。」
エレベーターが、下っている。突然のことに私の体はまた強ばってしまった。
傭兵さんは私の体を後ろに押しのけて、扉の前に立ちはだかった。
インカムからダニーさんの声が聞こえる。[靴を隠せ!]と。パニックになる私は何とか靴を脱げないか足から引っ張るも上手くいかない。
「脱げない……っ、」
脱ごうとすると、足に痛みがはしる。何かくい込んでいるみたいに。
でもそんなこと言っている間にも、インカムから叫ぶようなダニーさんの声が。
「えっ、何っ……!?」
「あ……、あねっささん……っ!?」
開いた扉、その先にいたのは。
アネッサさん。恐らくアブノーマリティへの作業を終え、コントロールルームに戻るところだったのだろう。彼女は数回瞬きをしたが、すぐうつろな瞳になってしまって。
こちらに向かってくる。傭兵さんは私の盾になってくれる。でもこの状況、一体どうすればいいんだ。
なんでこんなことに、なんて考えてる暇はないのだけれど思わずにはいられない。本当、なんでこんなことになってるのか。
【おしらせ】
いくつかお問い合わせを頂いておりまして、6月に改正前の作品を限定公開する予定です。
もし気になるという方はよければよろしくお願いいたします。