アネッサさんの虚ろな瞳に、私が映る。
彼女は腰からするりと何かを抜いた。銀に光る長い棒。違う。それは刀剣。
自分の体から血の気が引くのを感じた。かちゃん、と金属の音がやけにはっきりと響く。
「……あれは仲間?」
「え、」
「殺っていいやつ?」
いつの間にか傭兵さんも武器を持っている。マントに隠れて見えてなかったが、それは斧だ。
斧を片手に、そしてもう片方になんと拳銃を持っている。
ひゅっ、と私の喉が音を立てた。
「だ、ダメ!!仲間なの!!」
「なら怪我ぐらいは覚悟して。」
私の横を、強い風が通りすぎる。その次の瞬間には傭兵さんとの距離が空いていて。
ガンッ、と音がした。一瞬の間に傭兵さんは前に出て、アネッサさんを押し出したのだ。
すごい。あまりの早さで目の前にいたのに動きが見えなかった。
しかしアネッサさんも強い。彼女は傭兵さんの振りかざした斧を刀剣で受け止めている。
ゴッ!
「くっ、」
「どきな。あんたに私は止められない。」
鈍い音がエレベーターにまで響く。傭兵さんは銃を持った手で、アネッサさんの腹を殴った。
本来の使い方では無いにせよ、重い音をたててアネッサさんにぶつかった拳銃は痛そうで。
仕方ないこととはいえ見てる私はハラハラしてしまう。二人とも怪我しないでほしい。そんなの無理だとわかっていても、願わずにはいられなかった。
その時、だった。
「しまっ……、逃げろユリ!!」
「えっ……!?」
何が、と考えた時には既に目の前にアネッサさんがいて。
焦った傭兵さんの声が聞こえる。私は恐怖に叫びそうになったが出来なかった。
がっ、とアネッサさんに首を掴まれたのである。締まる首に、咳のような呼吸をしてしまう。
苦しみを感じた時、強い打撃音とともにエレベーターがしまった。扉の向こうに手を伸ばしてくる傭兵さんの姿。
しかし、間に合わない。
「私の靴。赤い靴。私の。私ね、」
「ぐっ……うっ……、」
「私ね、ずっと思ってたのよ。どうしてみんなこんな思いをしているのかって。」
「……っ、?」
「あぁあ赤い靴。私の。そう、私のだった。私のだったのよ私の後輩だったの。それなのにね皆、苦しんで悲しんで辛そうで。」
「私の………私の赤い靴。私の。私の手でもう終わらせた方がいいような気がする時があるの、そうでしょうそれは私の赤い靴でしょう? 」
薄れる思考の中。アネッサさんの声がするけれど。
苦しみに溺れる私には言葉を聞き取れるほどの思考能力がなくて。
必死に藻掻く。何とか逃げたくて足を、手を見苦しく動かす。しかし全然敵わない。
「私だって彼がいなければとっくに辞めてる。どうしてよユージーン。私の、私の靴なのに。どうして。」
「はっ……、はっ…………ぁっ、」
「あぁああぁあああもう嫌もう嫌もう嫌、赤いの赤くなるのユージーン私あなたがあなたがユージーン!赤く赤く赤い靴よ赤い靴よもう全部全部無くなってしまえ!!」
「ぁ、」
息が。
もう、駄目。
その時、右足が強く引っ張られた。
ぐんっ、と。本当に強く。そのせいで私よ足は勢いよく真っ直ぐと前に持ち上がる。
ガンッ!!
「ぐぁっ!?」
「っ、ごほっ………げほっ、………っ、!?」
足が何かにぶつかったのはわかった。
それと同時に急な開放感。支えの無くなった体はよろけて後ろに倒れてしまう。
一気に入ってくる酸素に私はむせてしまった。胸をさすってどうにか肺を落ち着かせるが、それでも暫くは上手く呼吸が出来なくて。
やっと落ち着いた時、顔を上げると。
「…………えっ。」
アネッサさんが、真っ赤に。
アネッサさんはぐったりと倒れていて。しかもその床が赤く染まっているのだから私は声にならない悲鳴をあげる。
私は情けないことに腰が抜けてしまって。しかし放っておくなんて出来ないから四つん這いのままアネッサさんに近付く。
「だ、だ、だ、大丈夫です、か、か、アネ、アネッサさん。」
なんて頼りない声だと言ってて悲しくなる。けれどもう私もいっぱいいっぱいだ。
倒れるアネッサさんをゆさゆさと揺する。しかし起きてくれない。
彼女の顎は何がぶつかったように赤くなっていて、鼻からダラダラと血を流していた。
ぶつかった〝何か〟なんて、直ぐ想像がつく。
[……ユリさん、もうすぐ業務終了出来ます。そしたら俺もすぐそっちに行きますから。]
「ダニー、さん、」
インカムから聞こえるダニーさんの声。
私の心とは裏腹に淡々と落ち着いたその声に、目尻が熱くなっていくのがわかった。
[大丈夫です。今空いてるエージェントが迎えに行くので、アネッサも手当します。]
「…………、」
[お疲れ様でした。…………よく頑張りましたね。]
私は泣いた。比喩でも冗談でもなく本気で涙を流した。
泣きながら足元を見ると、いつの間に脱げたのか、きっと私の足を持ち上げた時だろうけれど。赤い靴が近くに転がっていて。
この靴のせいで。
それを投げ捨ててやりたい気持ちが込み上げてくる。けど相手はアブノーマリティ。
私は何も出来ないまま、ただエレベーターの隅にうずくまるしか出来ないのであった。
※※※
暫くすると、業務終了のアナウンスが施設に響いた。
それとほぼ同時か。エレベーターの扉が開く。おもわず私はビクッと肩を震わせた。
「うわ、久々にこんな怪我したアネッサ見たわ。」
「っ、あ、あの。」
「君大丈夫?大丈夫じゃあないか。うーん、どうしようかな。言われたのはアネッサの回収だけなんだけど……。」
扉を開けたのは見知らぬ男性であった。服装からして私と同じエージェントか、アネッサさんと同じオフィサーだろうか。
エレベーターの中、倒れているアネッサさんとうずくまる私。しかも床は血に濡れていて。
結構悲惨なことになっているのに、その人は全く気にする様子もない。
「君、新人さん?」
「あ、は、はい。新人の、エージェントの。ユリ、です。」
「そっか。大変だったね。お疲れ様。俺はユージーン。この会社ではかなり古参に入るかな。もう数年はいる古株だよ。」
「古株…………。」
その言葉を聞いて、私は自然に口を開いていた。
「こういうことって、よくあるんですか。」
私の言葉にユージーンさんはキョトンとした顔になる。
それはそうだ。こんなこと急に聞かれて、困ってしまうだろう。
それでも聞かずにはいられなかった。危険な仕事とわかっていたけど、あまりに色んなことがありすぎて。
「こういうことってどういう……、まぁ、多種多様に危険なことはあるよ。」
「そう、なんですか……。 」
「アネッサも古株だから、色々経験してると思うよ?聞いてみたら?君が想像するよりずっと危険なこともあると思う。」
「もっと、危険なこと……。」
今日起こったことよりももっと危険なことって。
想像がつかない。色んな職員さんに殺されそうになった今日よりも危険なこと?
そんなこと、私これから耐えられるのだろうか。
「ユリさんは仕事辞めたいの?」
「え、」
「辞めたいなら早めに辞めた方がいいと思うよ。給与はとんでもなくいいけど、命よりも価値があるとは言えないし。」
「や、辞めたいわけじゃないです。」
「なんで?」
「だって……、」
その時過ぎったのは、アンジェラさんのあの時の言葉。
「……恐怖に立ち向かい、未来を作る。」
「それは……会社の理念だよね?」
「はい。それを聞いた時私、すごい感動して。」
そう、あの時私はすごくワクワクしたんだ。
素晴らしい理念だと思った。私がいる今は、誰かが恐怖に立ち向かうことで出来たもので。
そして今度は私が、未来を作る立場になることに憧れて。
「私……ずっと自分に自信がなくて。だから会社が私を必要って言ってくれたのがすごい嬉しくて。」
「でもそんなの、どんな企業でも社員に言わない?常套文句だよね? 」
「そうかもしれないけど……。」
そんなこと、わかってた。私以外の人にも言ってるのかもしれないなんて容易に想像出来た。
「ここで断ったら後悔するって思った。逃げたらいけないって。逃げたら絶対に駄目だって。なんでかわからないけど……。」
期待する反面で生まれたのは、そんな思いだった。
アンジェラさんの笑顔を観てると、何故か不安になって。この人を怒らせたくない、嫌われたくない。そんなことを思った。
この素晴らしい会社の力になりたくて。
「それをしたら、きっと私大変なことになる。人生全部……上手くいかなくなると思うんです。」
なんでだろう。言ってて震えが止まらないのは。
口は自然に動くのに、私の頭の中で別の考えもあるような気がする。その考えが、外に出たいのに上手くいかなくて。体が痙攣しているような。
「それって強迫観念ってやつじゃあなくて?」
「きょう……はく……。」
「すごく強い不安感や恐怖感ってやつ?俺もよく知らないけどさ。なんかそれ、会社に脅されてるみたいに聞こえるけど。」
「そんなことないです!!」
「あ、そうなんだ?まぁ考え方はそれぞれだし。ユリさんがそうしたいならいいと思うよ。」
「…………。」
そんなこと、ない。そんなことないのに。
なんでこんなに、苦しいんだろう。
「色んな理由で皆ここにいるから。俺はさ、アブノーマリティも結構好きなやついるし。」
「アブノーマリティが好き……っ!?」
「うん。危ないヤツばっかりだし死にたくもないけど。愛着っていうのかな?見てていいなーって思うことも多いんだよね。面白いなーって。」
「えぇ……。」
「ユリさんもギフト貰ったんだし、ちょっとはいい事あったんじゃない?」
「ギフト?」
ユージーンさんはそう言うと、私のズボンのポケットを指さす。
それに従い目線をやれば、何か布がはみ出ていた。物を入れた覚えはないのになんだろうかと引っ張り出してみる。と。
「これ……、傭兵さんの。」
それはマスクだった。硬い黒い布でできていて、牙の並ぶ口が模様になっている。
こんな特徴的なの、間違えるわけもない。傭兵さんが着けていたものと酷似しているマスク。
「それはね、〝ギフト〟。アブノーマリティが気まぐれな好意でくれるんだよ。特別なプレゼントってやつだね。いい事あったりするし、持ってたら?」
「アブノーマリティ……?」
「え?それアブノーマリティ、〝赤ずきんの傭兵〟のギフトだよね?」
アブノーマリティ?傭兵さんが?
〝赤ずきんの傭兵〟?確かに、赤いマントはつけていたけれど。
「助けて、くれたんです。傭兵さん。」
「へー!良かったじゃん。赤ずきんかっこいいよね。」
「……アブノーマリティなの?」
なんで?
それならなんで、助けてくれたの?
助けてくれたのは、アブノーマリティ?でも、危険な目にあったそもそもの原因もアブノーマリティで。
「いいアブノーマリティもいるかもしれないってことだよ。……あ、ほらお迎え。」
「ユリさん、すみません遅れました。大丈夫ですか?」
「ダニーさん……。」
駆けつけたダニーさんを見て、ユージーンさんは「じゃあね。」と踵を返す。
彼はアネッサさんを雑に、米俵のように持ち上げて去っていった。すれ違い際にダニーさんが止まって会釈をするが、ユージーンさんは立ち止まることなく笑顔で手を振りすぐに行ってしまう。
「ユリさん、怪我はありませんか?足は?」
「え、っと、ちょっとだけ、足が痛くて。赤い靴のせいだと思うんですけど。……あっ、赤い靴、赤い靴を早く部屋に戻さないと。」
「それなら大丈夫ですよ。業務終了と同時に部屋に戻ってます。ちゃんと確認してきました。」
「え、あ、そう……なんですね。」
確かにエレベーターに転がっていた赤い靴はいつの間にか無くなっていた。
不思議なことだが、戻ってくれたなら安心だ。
ほっと息を吐くつもりだったのに思ったよりも長くなってしまい、はぁー、とため息のようになってしまう。
「ユリさんの靴持ってきたんですけど……。」
「へっ……?なんですかこれ。」
そう言ってダニーさんに渡されたのは先程まで履いてた靴。会社からの支給品のそれは、赤い靴の部屋に置いてきてしまったものだ。
だが何だかおかしい。確かに私のものだけど、一足であったそれは何故か四つに別れている。
「なんで、真っ二つに。」
「……アブノーマリティ赤い靴は、本来斧とセットなんですよ。」
「斧?部屋にそんなの無かったですけど……。」
「気が付かなかっただけでしょう。赤い靴は女性を魅了する。魅了された職員は攻撃的になり傍にある斧を手に持つ。そして人を攻撃する。」
「攻撃的に……、私が追いかけられたのはそういう事だったんですね。」
「おそらくそうでしょう。そしてこの斧はユリさんの靴に刺さっていました。」
「私の靴に!?」
再度靴を見る。真ん中でぱっくりと割れた靴。
けれど確かあの時、靴は部屋の端に転がってしまったはずだ。赤い靴を履いた私の足が急に動いて蹴り飛ばしたはず。
あんな部屋の隅にあったものに、ピンポイントで斧が当たって?
しかも転がった靴は決して綺麗に揃ったわけじゃない。それなのに斧は左右どちらも綺麗に切断している。
「赤い靴のせい、ですか?」
「……わかりませんよ。偶然かもしれないですし。」
「いや、いやいやいや。」
そんなことありえないだろう。あったとしてどんな奇跡だ。
とりあえず靴は受け取るけれど、履けるわけが無い。
となると、ロッカールームまで裸足決定。自然と深いため息が出た。
「とりあえず、着替えましょう。もう他のエージェント達もロッカールームに行ってますよ。」
「え、でも誰もエレベーター入ってきてないですよ。」
「このエレベーターは使わないように連絡してあります。それともこの状況、誰かに見られたかったんですか?」
「あ、いや……。」
ここは地下。ロッカールームのある地上階にいくのならエレベーターで行くのが一番だ。
それなのに他の人にこの状況を見られなかったのは、ダニーさんが配慮してくれたからだったのか。
エレベーターは施設に複数あるけれど。それでもその内一つを使えなくするなんて簡単なことじゃあないだろうに。
「……ダニーさんって、何者なんですか?」
さっきのインカムといい。他の職員への指示といい。このエレベーターのことも。どうしてこんなに、色々な権限を持っているのか。
私がそう聞くと、ダニーさんは少し間をあける。その間じっと私を見て、何を言おうか考えているようだった。
「……俺はユリさんの教育係ですよ?」
「そういうことじゃあなくて、」
それなのにダニーさんが言ったのはそんな事で。
そういうことを聞きたいんじゃあない。ダニーさんもわかっていながらわざと的はずれな事を言っているのだ。
「俺はそれしか言えません。ほら、行きましょう。」
ダニーさんはさっさと歩き始めてしまう。
私も慌ててその背中を追いかける。ぺたぺた。裸足で歩くのは変な気分だ。
「でもこれでわかったでしょう?」
ダニーさんが歩きながら何かを話しはじめる。ぺたぺた。床の冷たさが直接足裏に響いてあまりいい気分ではない。
「会社をあまり信じない方がいい。」
ぺたぺた、ぺた……、
「それ、どういうことですか。」
その言葉には、さすがに立ち止まった。
私の問いかけにダニーさんも立ち止まり、振り返る。そして真っ直ぐに私を見てきた。
「赤い靴は本来女性エージェントに作業を行かせない。それなのに今回ユリさんが選ばれた。」
「それは……、知らなかっただけじゃ。」
「そんなわけない。新人以外はみんな知ってる事実だ。」
ダニーさんの目線が私の足にいく。傷のついた、裸の私の足。
「こういうことを会社はやる。理由さえあればなんでもやっていいと思うようなところですここは。だからあまり信じない方がいい。」
ダニーさんの声があまりに冷たくて。
彼の目線は相変わらず私の足。それは鋭く、睨まれているような感覚になる。
けれどきっと彼が睨んでいる相手は、私ではないのだ。
「ダニーさんは、なんでこの会社で働いてるんですか。」
わからなかった。
私をロボトミーコーポレーションに連れてきたのはダニーさんで。ダニーさんは一緒に働いている仲間で。
でもアンジェラさんが言っていた。『数年前、彼の友人がアブノーマリティによって殺されました。』。だから会社を恨んでいるのだと。
もしそれが本当なら、どうしてダニーさんはここで働き続けるの?
「…………やることがあるんだ。俺には。」
「やること?」
「そのためなら俺は死んでもいい。」
「えっ、」
それだけ言うと、ダニーさんは再び歩き始める。
その言葉に私はなんて言っていいかわからなくて。でもこのままでいいはずはなくて。彼をまた追いかけようと足を踏み込むのだけれど。
「痛っ……、」
足裏に刺さる痛み。踏み込んだ足を反射的に浮かせて裏を見る。
そこには小さなゴミが。黒くて、硬いなにかの破片のようなもの。裸足の足は無防備に傷つき、破片をとっても少し跡が残っている。