気がついたら家についていた。
ぼんやりと帰路について、どこによるでもなくただ歩いていたら、ついた。
なれないアパートの自室。その廊下に、私は何も考えずばたんと倒れ込んでしまう。
日本の家と違いこのアパートは土足で中に入る様式だ。私はスリッパを使うとはいえ、引越し業者や前の人は汚い靴で入ったのだろう。
そんな床は倒れる私の頬にくっついている訳だが。もう別にどうでもよかった。
「疲れた……。」
大変だと覚悟はしていたけれど、今日のことはさすがに堪えた。身体も心もダメージ受けまくり。
もうこのまま寝てしまいたい。何もしたくない。明日も仕事だからそういうわけにもいかないけれど、これ以上動けなかった。
「…………。」
休みたい。それなのに色んな考えと言葉が、私の頭の中でごちゃごちゃ暴れている。
ここ数日で、色んな人に色んなことを言われた。
『恐怖に直面し、未来を作る。』
『私たちの仲間っていう証』
『仲良くなりたくないんです。』
『エージェント・ダニーをあまり信じないでください。』
『なんかそれ、会社に脅されてるみたいに聞こえるけど。』
『会社をあまり信じない方がいい。』
私……、私は……。
「あ……手紙。」
そういえば。
ポストに手紙が入っていたことを思い出す。
少しザラつきのある封筒。これは和紙。日本からのエアメール。差出人の名前は母からだった。
中身を確認する。
〝百合ちゃんへ〟
〝この手紙を読んでいるということは、もうアメリカについているんですね。
突然のことで、きっと驚いているし不安もあるでしょう。ごめんね。
それでも、今貴女が生きていてくれることにお母さん達は本当に安心しています。
百合ちゃん、大変な中でこんなことを言うのは申し訳ないけど、しばらくは日本との通信や、ネット注文など、そういったものも避けてください。
必要そうなもの、考えて仕送りします。手紙も書きます。
でも私達がいいと言うまで、ユリちゃんは日本に何か反応を示さないで欲しいの。
力を込めた便箋と封筒を二組同封します。どうしても何か急用がある場合、この手紙に書いてこれを燃やしてください。そうすれば私達は直ぐに気がつけるから。〟
確かに封筒の中には、未使用のレターセットが二組折って同封されている。
〝こちらも落ち着いたら必ず会いに行きます。貴方を狙う怪異のことは気にしないでいいから。
どうか元気に、幸せに暮らしてください。私達家族は離れていてもずっと百合ちゃんの事を思っています。それを忘れないでね。大好きよ。〟
〝お母さんより〟
「…………お母さん……。」
到着したのが今日とすると、私が出国する前に出された手紙だろう。
私が知らないところで、本当に色々動いてくれていたのだと実感する。
海外移住の話をされた時は突然過ぎて困ったけれど……、きっと最後まで私の為に足掻いてくれたんだ。
職業柄、私の家族は色んな人を助けてきた。そして感謝されてきた。勿論理不尽なことも沢山あったけど、家族皆敬われていた。
私も、そうなりたいと思った。
〝未来を作る仕事〟その話をされた時に、私もそうなれるかもしれないと思った。ワクワクした。
そして逆に、これは最後のチャンスのようにも思った。これを逃したら、選ばなかったら、私は永遠に役立たずのままだと。そう思えてならなかった。
『辞めたいなら早めに辞めた方がいいと思うよ。』
「…………。」
考えすぎて頭は痛くなってくる。
自然と目が閉じて、遠くなっていく意識。このまま寝てしまうのは明日に響くとわかっているが、結局私は気絶するように寝てしまうのだった。
それでも次の日はやってくるから。
くぁ、とあくびをする。これで何回目だと自分を叱咤するも止まらない。
もうすぐ業務開始時間だ。シャキッとしないと。
結局私は昨日は床で寝てしまい、起きたのは今日の深夜の四時。
硬い床で寝たせいで身体はバキバキ。しかも服も着替えていない。
新人だし、数日間は様子見でスーツ着ていこうと思っていたけど、もういいやと半ばヤケになり乱雑にジャケットとシャツを脱いで洗濯機につっこんで。シャワーだけ浴びて家を出た。
そのせいで業務開始後からずっとあくびが止まらない。新人のくせにこの態度はいけないとわかっていても、眠気とだるさがどうしても引いてくれなかった。
「ユリさん!」
「あ……リナリアさん?」
そんな私に声をかけてきたのはリナリアさん。
彼女の眉間にはしわがよっており険しい表情で。この態度を怒られるのかと一瞬思ったが、様子を見るにそういうわけでもなさそうだ。
むしろ心配しているような、焦っているようなリナリアさん。どうしたのだろうと私は首を傾げる。
「昨日大丈夫だった!? 」
「昨日?昨日は……ええと、大丈夫ではなかったです……けど。何とか生きてますよ。」
「そ、そうだよね。今ここにいるし……。怪我とかは?何か後遺症とかは……。」
「足はちょっと痛いけど、すぐ治りますよ。心配して下さってありがとうございます。」
「そっか、よかった……。」
後遺症は私より、アネッサさんやコントロールチームの人達の方が心配である。昨日のあの様子とアネッサさんの血の色を思い出して私は顔を顰めた。
リナリアさんは私の答えを聞くと、ほっと息を着く。
心配してくれていたことに感動をしていると、リナリアさんはそれ以上何も言わず私とは離れたところにいってしまった。
もう少し談笑したかった私としては残念で。それでも昨日よりは普通に接してくれた事が嬉しいと思った。
「良い奴でしょうリナリア。」
「っ、うわぁぁぁっ、だ、ダニーさんっ……!?急に真後ろ立たないでください!?」
びっくりした!?
急に耳元で聞こえたダニーさんの声。この人いつの間に後ろにいたんだ。全く気配がなかった。
ぼんやりとしていた頭にそれは宜しくない。心臓がビクッと反応して、今もドキドキしている。
胸を抑える私にダニーさんは謝ることはなく、平然と話を続けた。
「リナリアですよ。ユリさんを助けてって俺に言ってきたの。」
「え……?」
「赤い靴の収容室に入っていくのを見て、俺のとこに報告しに来たんです。〝女の自分は赤い靴に近づけないから助けてあげられない、どうしよう〟って。あの時のリナリア、ユリさんのことすごい心配してましたよ。」
「リナリアさんが…………。」
「言ったでしょう。赤い靴の作業は女性エージェントがしてはいけない。それは皆知っていると。リナリアだって知っていることを会社はさせてたんですよ、貴女に。」
ダニーさんはどうしても話をそこに持って行きたいらしい。
それについて私は何も言えず、ダニーさんから顔を背ける。そして離れてしまったリナリアさんの姿を見た。
「…………リナリアさんに、お礼しないと。」
しかしその時ちょうど、業務開始時間になってしまって。
「あっ……。」
リナリアさんはそれと同時にタブレットを見ながら移動してしまう。
その時私のタブレットからも通知音がして。彼女を追いかけることも出来ないまま、仕事ははじまってしまったのだった。
※※※
私のタブレットに届いた通知は、オーケストラさんへの作業だった。
内容は再び〝清掃〟。昨日だってあんなに綺麗だったけれど、今日もまた掃除とは。
しかしこの仕事、同じ作業を連続で指示されることはザラらしい。酷い時は一日中〝栄養〟作業を同じアブノーマリティにさせられるのだとダニーさんに教えてもらった。でもそれ、アブノーマリティのお腹パンパンにならないのだろうか?
「こんにちは……、オーケストラさん?」
色々考えているうちに収容室に着いた。
昨日よりほどではないが、やはり緊張してしまう。恐る恐る中に入ると、やはり昨日と同じくマネキンが部屋に立っていた。
──ユリさん、来てくださったんですね。
──お会いできて嬉しいです。今日もまたお美しい。
「あ、ありがとうございます……。」
このアブノーマリティは恥ずかしいことばかり言うなぁ。
言われ慣れていない褒め言葉に顔を赤くしながらお礼を言う。オーケストラさんにとっては挨拶のようなものかもしれないが、照れるものは照れるのだから仕方がない。
「今日もお掃除しに来ました。とりあえず軽く床拭きますね。気になる事あったら言ってください。」
エージェントバックから掃除用のウェットティッシュを取り出す。
一枚とって、端の方から拭くことにした。
昨日は適当にやってしまったし、今日は他の作業通知が来るまではとりあえずオーケストラさんのお部屋の掃除をしていよう。
──ユリさん、何かありましたか?
「え?」
──なんだか、元気がないように見えますが。
しかしはじめようとした途端、そんなことを言われて驚いてしまう。
まさかアブノーマリティに気が付かれてしまうとは。きっとまだ顔のむくみもとれていないから不健康にみえたのだろう。
「あはは……、実は昨日ちゃんと寝れなくて。」
──大丈夫ですか?
「はい!大丈夫です。心配かけちゃってごめんなさい。」
笑顔を作ってオーケストラさんに応える。できるだけ大きな声で、少し語尾を上げて。分かりやすく元気を伝えるように。
昨日の疲れはあるけれど、別に大きな怪我をしている訳でもない。病気でもないし、ただの寝不足である。
社会人は体調管理も仕事の内というのに、新人でありながらこれはちゃんと反省しなければ。
──もう一度聞きます。
「オ、オーケストラさん?」
──ユリさん。大丈夫ですか。
「大丈夫ですって!」
オーケストラさんは結構心配性なようだ。
大丈夫だと言っているのに。うん。私は大丈夫。
大丈夫?
「うん。大丈夫、大丈夫……。」
大丈夫。大丈夫だよ。ね?大丈夫だよね?
「大丈夫。」
本当に?
昨日と同じ。色んな人が頭に思い浮かぶ。
アンジェラさんの顔。ダニーさんの視線。アネッサさんの笑顔。リナリアさんの態度。ユージーンさんの言葉。
それら全てが私の頭の中で暴れて、色んな感情を湧きあがらせる。大丈夫?
大丈夫だよね?
「だいじょ……ぶ、じゃない……っ。」
大丈夫じゃない。大丈夫なわけがない。
「なんでこんな、不安になることばっか……っ。」
心にあった色んなものが。それを塞き止めていた何かが崩壊して、溢れだしてくる。
大丈夫じゃない。大丈夫じゃなかった。
日本を出ないといけないなんて急に言われて。
そうでないと殺されるだなんてことも言われて。
不安で怖かったけど、でも仕方ないことだから。そう自分に言い聞かせて。
でも気がついていた。私は怪異によって日本から追い出されたって事だ。
悲しかった。
力のない私は、それに抗うことも出来ない。情けなくて悔しかった。
それでも生きないといけない。
生きていかないと、頑張らないといけないから。
ここ、ロボトミーコーポレーションで何か力になれるなら、前向きに働こうって決めて。
私も誰かの力になれるかもって。嬉しくて。
それなのに。
ダニーさんを信じるな。
会社を信じるな。
辞めるなら早く辞めた方がいい?
なんでそんな事言うの?
「私……っ、もう、帰れないのに。」
ボロボロと涙が溢れてくる。胸が痛くて、体が熱くて。苦しくて仕方がない。
助けて欲しい。誰か、助けて欲しかった。でもそう思うことすら自分の無力を感じて辛いのだから、もうどうすればいいかわからない。
「何を信じればいいの?」
わからない。どうすればいいのだろう。
何を信じて生きれば、いい方向に進むの?どうするのが一番いいの?
お母さん、私日本に帰りたいよ。
帰っちゃダメなの?もう二度と帰れないの?
わからなかった。あれもダメ、これもダメ。
移住のこと、仕事のこと、ダニーさんとのこと、リナリアさんとのこと、エージェントさんとのこと。頑張っているつもりなのに、どうしてこんなに辛いの?
──────私を信じてください。
「え……?」
──私は絶対に貴女を裏切りません。ユリさん。
──だから私を信じればいい。
それはあまりに予想外の言葉。
流れていた涙がピタッと止まった。頭に響く声は真っ直ぐで真剣で。
信じる?オーケストラさんを?だってアブノーマリティなのに。
──ユリさん、貴女は一人じゃあない。
……どうして。
──私がいます。貴女のそばにずっといる。
「…………ふふ、」
その言葉に思わず笑ってしまったのは。
「どうして貴方は、欲しい言葉をくれるんだろう……。」
初めてあった時もそう。貴方は私に〝会いたかった〟と言ってくれた。
今もだ。みんなが信じるなという中、貴方だけが〝信じてほしい〟と言ってくれる。
どうして、そんなことを言ってくれるの。どうして貴方が言ってくれるの?
胸の辺りを、ぎゅっと掴まれた感覚。でも嫌じゃない。むしろ暖かくて、優しくて。
「…………ありがとう。」
その言葉一つで私がどれだけ救われるか。貴方はわかって言っているのだろうか。
だとしたらとんでもないアブノーマリティである。
それでもいい。わかっていて言われた言葉だとしても。オーケストラさんが私を信用させるために言った、意図的に作られた言葉だったとしても。
それでもよかった。
我ながらなあまりにちょろいけれど、……私もう、このアブノーマリティを、オーケストラさんのこと好きになってしまった。
インカムを外す。アンジェラさんにもXさんにもダニーさんにも聞かれないように。
その時私は昨日のユージーンさんの言葉を思い出した。『いいアブノーマリティもいるかもしれないってことだよ。』。
そうですね。そうかもしれない。少なくともオーケストラさんはいいアブノーマリティだと思ってしまう。
「貴方を信じます。オーケストラさん。」
信じよう。真っ直ぐな言葉をくれる貴方を。
前のことを考えれば。オーケストラさんは危険なアブノーマリティかもしれないけど。
こんなの、他の人に言ったら馬鹿だと怒られるかもしれないけど。
信じたかった。
だって唯一貴方だけが、〝私を独りにしない〟と言ってくれたから。
それがあまりに、泣いてしまうくらい嬉しかったから。
──そうしてください。
私の言葉にオーケストラさんは満足したように、大きくタクトを振り始める。
きらきらと光の粒が立ち込めて、宙に音符が舞う。それに合わせてどこからか美しい音色が。
「綺麗……。」
──貴女だけの為のコンサートです。
「私だけの……。あはは、すごい贅沢ですね。」
音符は部屋の中に充満するが、外に出る様子はない。
それを見ると本当にこの音楽は私にだけしか聞こえてないのだろう。
──貴女には笑っていて欲しいんです。ユリさん。
──だから、貴女の心を護るおまじないをした。
「おまじない……。」
そういえば気になっていたことがある。
〝赤い靴〟は女性をターゲットに魅了するアブノーマリティなのに、私は何故大丈夫だったのか。
家族と違って私にはなんの力もない。勿論たまたま、なにかの偶然で難を逃れた可能性もあるけれど──────、
「私に……なにかしたの?」
──ちょっとした魔法です。
──けれど、少し弱かったみたいですね。
「え?」
──貴方の体が慣れるか心配だったのですが……、
──もう少し強くしましょう。
オーケストラさんの手が指揮棒を振る。その先からはキラキラ、光の粒と音符が出てきて。初めてあった時と同じ。私の項にまた吸い込まれていった。
「あ、熱っ……。」
しかしあの時とは違う。じわじわとした熱さが内側に広がり、どんどん強くなっていく。
なんだか心地悪い。内側を炙られているような。変に熱をもったそこを思わず抑えた。
────忘れないでください。
「オーケストラさん……?」
──私はいつでも貴女の味方。
──何があっても。貴女が何を望んでも。
──貴女の味方でありましょう。
──だからユリさん。私を、信じてくださいね。
そう言ったオーケストラさんの声は優しいのになんだか怖くて。
私はその言葉の意味を聞いていいのか分からない。
【あとがき】
やっとここまで書けました。今のところは修正問題なく出来てると信じたい。
あとチラシの裏お借りして前作期間限定でパスなし公開しております。お読みになるかはお任せします。読まなくても全然大丈夫です。むしろ恥ずかしい部分たくさんある……。
そして!!!!
ありがたすぎることに〝味谷様〟よりファンアート頂きました(´;ω;`)
ご本人の許可を頂いたのでここに掲載させていだきます。
【挿絵表示】
【挿絵表示】
えーーーかわいいーーーー、
なにこのときめきメモリアル。桜の木の下で永遠の愛誓うんかしら。
この後ユリちゃん
「あは……、なれないことするもんじゃないですね……」
とか言ってて欲しいしオーケストラさんが喜びで張り切りすぎな脱走して欲しい。
そしてみんなから飛んでくる野次「マジユリさん今度は何したんだ!?」。なお脳みそはポップコーン。
あ〜、イッチャイッチャさせたくなる。うずうずしてしまう。
こうやって欲って満たされていくんだなって……。そして新たな欲が生まれるんだなって……。
てかすみません私興奮すると変になるんよな気をつけます。真面目にお礼しないと。正座正座。
この度はありがとうございました!コメントもとても嬉しいです(´;ω;`)頑張りますのでどうかこれからもよろしくお願いいたします!