気がついたら、収容室の外にいた。
記憶が飛んでいる。どうやって外に出たか全く覚えていない。タブレットで時間を確認すると、収容室に入った時からもう三十分は経っていた。
いけない。仕事中なのに。私は次の作業をしなければと指示を確認する。
しかしそこで私はタブレットを落としてしまった。ゴトン、と嫌な音をたてて床にぶつかるタブレット。私は拾おうと、しゃがむ。
ポタッ
「……ぁ、」
その時私の額から汗が垂れた。ポタッポタッ、汗が止まらない。流れては床に落ちて、雨のようにタブレットを濡らしていく。
よく見ると、私の手も汗でぐっしょりと濡れていて。
「ぁ……はぁっ……はぁっ……!!」
その汗に続いて、麻痺していた感覚が、思考が。遅れてついてきて。
思い出す。何があったか。そのままその場で、うずくまってしまう。
────人が、人でなくなってしまった。
ボキボキと簡単に骨が折れていた。音ともに体は動き、変色していった。
顔面がボコボコと沸騰したように皮膚がもちあがり、破裂し、その中からいくつもの目玉が飛び出してきた。
「ぅ…………っ、ゲェェ……っ、」
鮮明に焼き付いた光景が衝撃的すぎて。酷い頭痛と、込み上げてくる嘔吐感。びちゃびちゃとスーツを汚していく。
怖い。怖くて、堪らない。
記憶の中の美女と野獣は、人とかけはなれた姿だったのに。
私の背中、この扉の向こうに今いる美女と野獣は、元々…………人、だったのだ。
「し…………らせ、ないと、」
Xさんに、皆に、知らせないと。この中にいるのはアブノーマリティなんかじゃない。ついさっきまで一緒に働いていた、仲間なんだって教えないと。
「だれかっ……!! 」
吐き疲れる喉、無理をして叫ぶ。
誰か近くにいないか。誰か、誰か。
助けないと。美女と野獣は、アブノーマリティじゃあない。今ならまだ、間に合うかもしれない。
助けて、誰か。早く来て。早く……っ!!
「Xさん……っ!Xさん……っ!!」
私は必死に声を出す。嘔吐したばかりの喉は声を出すと痛みが走るが。それでも出さずにはいられない。
天を仰ぐ。目に入るのは天井のみだが、どうか管理人室のあの人に届いていて欲しい。懇願の意を込めて、私は手を組む。祈りのポーズをする。どうか、どうか気がついてと。
「Xさん……っ!! 」
[──────ユリさん、]
「っ……!!」
気がついてくれた……っ!!
「え、えっくす、Xさん……っ!!よかった、あの、あの。えっと、たすけてほしいの、」
[ユリさん、]
インカムから聞こえたXさんの声に、私は何とか状況を伝えようとする。
しかし上手く頭が回らない。何から話せばいいのか判らない。それでもとにかく口を動かして、緊急性をXさんに伝えようとした。
「美女と野獣、アブノーマリティじゃなくて。人で。だから早くたすけないと、えっと、よくわからないけど、人がアブノーマリティで、」
[ユリさん、]
「多分、コントロールチームの。ダニーさんに聞けば、わかるはずです。だから早く、」
[そのエージェントのことは諦めて。]
「…………え?」
今、なんて。え?
諦めてって、聞こえた。諦めるって、どういうこと?このままってこと?
振り返る。閉じられた収容室の扉。
この中にいるのは、美女と野獣。でも先程まで私と同じ人間だった人。
諦める。つまりこのままにする。でもそれって。
「……いつまで?」
[ユリさん……、]
「中の人、いつまでこのままなんですか?」
[…………。]
Xさんにそう聞いても、かえってくるのは無言で。
それが、答えだった。
「ずっと……?ずっと、このままなの?」
[……仕方ないんだよ。現時点で元に戻す方法は分かっていないんだ。]
「…………そん…………な、」
ずっとこのまま、あの姿で閉じ込められるなんて。
想像する。一歩間違えれば自分だったかもしれない未来を。
人でなくなってしまった体。部屋に閉じ込められて、なにかしたくても出来ない不自由な生活を、終わりもわからないまま過ごすなんて。
そんなの、私だったら。
「いっそ……殺してほしい、」
[それは出来ないよ。]
「え、」
零れた呟きが即座に否定される。
それは誰かに向けたものでは無いのだけれど、勘違いしたXさんはそのまま私に話を続けた。
[このアブノーマリティは傷つけられることで能力を発動する。殺そうとしたらやった人間がまた美女と野獣になるだけだ。繰り返しだよ。]
「繰り返し、」
[だから指示にもあったよね。何があっても傷つけないようにって。]
タブレットに来た、指示のメッセージを思い出す。
{決して対象アブノーマリティを傷つけないよう細心の注意をはらえ。}確かにそうあった。
[繰り返しの、呪い。]
でもそれって。
「……Xさん、知ってたんですか。」
[え、 ]
「知ってたんですよね……!?美女と野獣が元々人間ってこと。それなのになんで教えてくれなかったんですか!?」
信じられない!!
あの人だって私だって知ってたらこんな事にならなかったかもしれないのに!!
「ありえない、なんなんですか!?教えるくらい出来ましたよね!?」
[ユリさん落ち着いて、]
「私たちエージェントのことなんだと思ってるんですか!!」
Xさんの言葉にカッと身体が熱くなった。
怒り、悔しさ、悲しみ。それらが込み上げてきて、喉から言葉となって出てくる。
ありえない。私達はXさんを信じて指示に従っていて。怖くても頑張って仕事をしているのに。
こんなの、こんなのっ!!裏切りだっ……!!
「私皆にこのこと言いますからっ!!」
[話を聞けって言ってるだろ!!]
「っ……、」
キーン、と、向こう側から飛んできた大声にインカムがハウリングする。
急に怒鳴られて怯んだ私は、情けなく黙ってしまって。
はぁ、と耳元に聞こえるため息。Xさんはそのまま淡々と言葉を続ける。
[今回のことは、知らない方がいいこともあると判断して言ってなかった。]
「なんでっ」
[じゃあユリさんは、〝これは元々一緒に働いてた仲間です〟って言われても普通に作業出来る?]
「それ、は。」
美女と野獣の姿を思い出す。ただでさえ、理解のできない姿形をしていたアブノーマリティ。
それが、ついこの間まで一緒に働いていた仲間なんて言われて。その時私は……。
……わからない。大丈夫だなんて嘘すら、口から出てこない。
[この情報を今後広めていくつもりは無いし、ユリさんも口外しないで欲しい。]
「っ、また同じことが起こるかもしれないんですよ!?」
確かに美女と野獣になってしまった職員のことは残念だ。なんて伝えればいいかわからない。
それでも全て秘密だなんて。それこそ〝繰り返し〟の危険が高くなるだけだ。
[じゃあユリさんは、皆が知った後のことを責任取れるの?]
「え……。」
知った後の、責任。
[作業できないという職員が出てくるだけならいいが、それだけじゃない可能性もある。狂ったやつが検証しようとするかもしれない、アブノーマリティを恨んで攻撃しに来るやつもいるかもしれない。]
「あ、」
美女と野獣を恨んでた女性のことを思い出す。
[あの子にも言ってたんだよ。美女と野獣に近寄らないようにって。でも聞かなかった。]
「だ、だから言えばよかったんじゃ。危ないって。」
[…………彼女さ、自分の先輩が美女と野獣に殺されたと思ってたんだよ。それを否定しても信じなかった。]
[それなのに、信じると思う?〝君が慕ってた先輩は、その美女と野獣だよ〟なんて。]
Xさんの言葉にハッとする。そうか。今の状況からして彼女が刺したのは元々人間だった美女と野獣で。
そして……その人間は、恐らく。
「………………。」
[ユリさん。今回のことは誰にも言わないで欲しい。]
「で……でも……。」
[俺は、責任を持つよ。誰にも知らせなかった責任を。]
ユリさんは?
ユリさんは、とれるの?
Xさんの言葉が、何度も何度も、頭に響いて。
答えはハッキリしているのに、返事ができない。責任が取れるか、なんて。
「…………。」
[今日のことは、俺が全て悪い。本当は彼女引き継ぎ業務だけさせたら謹慎予定だったんだ。それなのに俺が目を離したのが悪かった。だから、この責任を俺は取るよ。……できる限りの、何らかの形で。]
[ユリさん]。Xさんがやけにハッキリとした口調で、私の名前を呼ぶ。
[お願い…………今回のこと、誰にも言わないでくれ……。]
そう言われて、私は何も言えなくなってしまう。
心が揺れる。目眩がする。Xさんの言葉に、先程まで皆に知らせようとしていた思いが大きく大きく揺らいでしまう。
それはXさんのことを信じるとか、今回のことに納得出来たとかでない。
そうだったら、どんなに良かったのだろう。
責任なんて、とれない。
私そんなこと、出来ない。
怖いんだ。私は。怖くて、仕方がなかった。
私が皆にこの事実を伝えた時に、何が起こるか。どういう結果になるか。
もしも、〝お前があんなこと言わなければ〟なんて言われたら、私は。
「……わ、かり、ました……。」
自分の考える正義より、自衛を選んだ私。
酷く情けなくて、悲しくて、苦しくて。
耳元で聴こえる感謝の声、安堵の声。何もかも遠くて、ただ喪失感だけがはっきりとそこにあった。
「私に出来ることをしようって……決めたばかりなのに。」
「…………ねぇ、」
「…………。」
「ねぇってば!」
「っ、えっ、あっ、」
「ねぇユリ、変よ?何かあったの?」
「え……、ア、アイ?」
大きな星の瞳、キラキラのブルーのロングヘア。
目の前に整ったアイの顔があって。私はビクッと大袈裟に驚いてしまった。
キョロキョロと辺りを見渡す。ここは、収容室?え?なんで?なんで私、ここにいるの?
額に手を当てて、思い出す。何が、あったんだっけ?
Xさんと話して、しばらく動けなくて。その後……?
「あ……、そっか……。」
Xさんから新しい指示が送られてきたんだ。
タブレットに送られた次の仕事は、〝憎しみの女王への交信作業〟。アイへの作業指示だった。
それで私はそのまま、足を動かして。でもいつの間に私収容室に入っていたのか。
「……ごめんね、ボーッとしてた……。」
私がそう言うと、アイは困ったように眉を八の字に曲げる。心配してくれているのだろう。申し訳ない。
しっかりしないと。わかっているのに、上手く集中出来無い。
相手がアイだったから良かったが……いや、それも良くないけれど。もしも危険なアブノーマリティだったら、また大変な結果になってたかもしれないのに。
これではダメだ。思うところは沢山あるけれど、目の前の仕事をちゃんとしないと。
ふぅ、と息を吐いて、気を取り直す。抜けている身体の力をしっかりと入れ直す。
笑顔を作って。目の前のアイをしっかり見据えて。いつも通り作業をしようとした。
しかしやはり、違和感は隠せないようで。
「ユリ、何かあったのなら話して欲しいわ。」
「……なにも、ないよ。」
アイにそんなことを言われてしまって。
私が何も言えないでいると、彼女の手が私に伸びてくる。しなやかに、ゆっくりとした美しい動作で頬に触れる。細く綺麗なアイの手。
「嘘。そんな顔して何も無いなんてことないでょ?ねぇ、言ってみて。私きっと力になれるわ。」
「アイ…………。」
アイは笑う。私を安心させるような、カラッとした笑顔。
綺麗な笑顔。真っ直ぐで明るくて強い人の笑顔。それを見ていると、体の内で何かが熱くなってきて。
「言ったでしょ?助けるって!」
「…………っ、」
「えっ!?ユリ!?」
決壊する。何とか押さえ込んでいたものが。
涙と言葉に形を変えて、ボロボロと溢れて。
「人が、死んじゃった。」
「え?」
胸に詰め込まれた、色々な思いが。止まらない。
「しん、死んじゃった、の、目の前で……っ、」
「!、もしかして怪物!?教えて、どこにいるの?私すぐに倒しに行くから、」
「違うの!!」
「じゃあなんで、」
「違うの、この前の、アイが助けてくれた、呪いの……。」
蘇る記憶。
バキバキ、ゲラゲラ。
床に倒れた人の体。骨が折れる音。狂った笑い声。
ゲラゲラ、バキバキ。
変わっていく姿。昆虫の足、茶色の毛皮、肥大する体。人が、人で無くなっていく。
これが、アブノーマリティだと。
私が知らなかったものを、思い知らされた。
「〝お気楽〟って、言われた。私はお気楽だって。」
『皆、命懸けで仕事をしてるんだ。』
同じチームのあの男性の言葉が、記憶に重なる。
『君みたいに安全じゃあないんだよ俺たちは。』
「私そんなことないって思ってた。私だって頑張ってるって。」
「ユリ、」
「でも違った……!私は、この仕事のこと何もちゃんと分かってなくてっ、」
そう、何も分かってなかった。
私なりに頑張れば、大丈夫だって。努力すれば、なにか役に立てるかもって。
この会社に、アブノーマリティに、何か出来るかもなんて。
「何も、出来ない。今も、私……っ、怖くてっ、怖くて……!!」
私は。
まだ怖くて仕方がない。
アブノーマリティが、怖くて。
それなのに人に責められるのも怖くて。
「…………結局私、何も出来ない……。」
情けない。何もわかってなかった。それなのに偉そうに、『私に出来ること、何か無いかなって』なんて。
色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざって、苦しい。
はっ、はっ、と呼吸すら上手くできない。目の奥が熱くて、次から次へと涙が出てくる。
胸の辺りがぎゅぅっと締め付けられて、まるで心臓を圧迫されてるような痛みが。
家族みたいになりたかったのに。
オーケストラさんに相応しくなりたかったのに。
アイが憧れだったのに。
何も出来ない私。強くもない、勇気もない。怖がりで、誰かを止めることも出来なくて。
なんて、無力で、ちっぽけで、頼りないんだろう。
拭っても拭っても涙は出てくる。鼻水まで出てきて、その汚さが自分を物語っているようで余計に苦しい。
ごめんなさい。
頭で繰り返されるその言葉は。
ごめんなさい。
何に対して謝っているかもわからない。
「ねぇ、ユリ。呪いに一番遠いものって、何か知ってる?」
「え……?」
そんな私に突然アイがそんなことを言う。
急な質問に、頭が回らず「えっと、」「えっと……」なんて、口ごもって。
そんな私をアイはあきれることも無く、柔らかく笑った。さっきの明るい笑顔とはまた違う、とても優しく穏やかな笑顔。
それに私は、釘付けになる。まるで女神のような笑顔だから。
「答えはね、〝思いやり〟よ。」
「思い、やり……?」
「そう。誰かを想う気持ち。」
思いやり。
「呪いは結局自分の為にしかならないの。代行で呪いをする人も、最後には自分の為になるでしょ?誰かの為になんて本当に思ってたら、呪いはかけられないの。」
その言葉に、ピタッと涙が止まった。
ぱちぱち、数回の瞬き。思いやり。
呪いの反対は、思いやり。
「あ…………、」
パチン、と。かけた記憶にパズルのピースがハマる。
それだ、と思い出す。それだ。お兄ちゃんが言っていたこと。
昔、お兄ちゃんが呪いについて話してくれた時、アイと同じことを聞かれた。
『この世界で一つだけ、決して呪いにならないものがあるんだ。なんだかわかる?』
私はその時、わからなかった。でも思い出した。
『それはさ、人を思う気持ちだよ。』
兄は、私にそう教えたのだ。
その時の兄の表情は、今のアイと似た表情をしていた気が。
「ユリが、本当に優しい子だから。きっと呪いの影響を受けなかったのね。」
「そんな、」
そんなこと、ない。ないけど。
「私ね、そんなユリが大好きよ。」
「…………。」
なんでそんなこと、言ってくれるの。
「ユリ、大丈夫。大丈夫だから。」
わからない。わからないよ。
私、そんなこといってもらえるような人間ではないのに。
呪いがかからなかったのは、きっとたまたまで。
私は、そんな立派な人間では無い。けど。
……けど。
「…………っ、」
それでも今、私はアイに救われていた。
どん底まで落ちていた自分への評価を、そっと掬いあげられたような。
私の事、私の代わりに認めてくれたような。
「ずっとずっと、そのままのユリでいてね。」
優しくて、暖かい言葉。私を救う、ヒーローの言葉。
頬に触れてるアイの手に、私のを重ねて。
綺麗なその手が私の涙で濡れてしまった事が、申し訳なくて。
それでも、離したくなくて。
「ありがとう……………っ。」
言葉足らずな私はそんなことしか言えない。そんな言葉では足りなくらいのものをアイはくれたのに。
繰り返し同じ言葉で感謝を伝える以外できない私はやはり無力だ。無力で、ちっぽけで。
でも、貴女が認めてくれた私を、救ってくれた私を。それがどんなに情けないものでも。自己嫌悪するものでも。
否定せずに、進もうと思った。
絶望しても、起き上がって。
止まらないで、進もう。向き合おう。
誰かの役に立ちたいというこの気持ちは、本物だったから。
テレビ越し、貴女達魔法少女を応援していたあの頃からずっと変わっていないから。
近づけるよう、今から頑張るしか、ないんだ。