光が、私の目に入ってくる。ぼんやりとした頭が、少しずつ鮮明になっていく。
目の前には白い天井と蛍光灯。白い光の眩しさに顔を顰めた。避けようと首を動かすと、少し揺れた私の身体、腰部分が痛い。思わず顔をしかめ、唸ってしまうほど。
背中に感じるマットの感覚。ここはベットの上か。腕に何か引っかかる違和感があり、見れば左腕に点滴の針が刺してある。針から延びるチューブの先には透明な液の入ったパック。そしてその近くの椅子に……。
「ダニーさん……?」
丸椅子に腰かけ、器用に腕を組み背中を丸めている。俯いたまま動かない。眠っているのだろうか。
どうして?仕事は?そもそも今何時?
状況を理解するために、最後の記憶を辿る。確か私、オーケストラさんと会って、そしたら収容違反のメッセージがきて。それで……?
「アイ、は。」
そうだ。アイが、収容違反して。
とにかく会いに行ったんだ。けれどその先にいたのは青い大蛇で。それで……どうしたんだっけ。
頭がうまく働かない。なんだか重くて、頭痛もする。私、どれくらい眠っていたのだろう。
そもそもなんでこんなところで寝ているのか?私は慎重に上半身を起こす。ずきん、ずきん。身体が痛い。
この痛みは何なのか。布団をめくり確認する。誰が着替えさせてくれたのか、スーツではなく薄緑のパジャマを着ている。
その裾をそっとめくると、ぐるぐるに巻かれた包帯。えっ?これ何?こんな大掛かりな手当されているとは思わなかった。
「……目が、覚めたんですね。良かった。」
「ダニーさん、」
困惑していると、声をかけられる。
聞きなれた声に顔を上げたのだが、ぎょっとしてしまった。ダニーさんの顔はひどくむくんで真っ青だったからである。
明らかに体調の悪そうな。しかしダニーさんは、なんと笑った。それもふんわりと、初めて見る優しい笑顔だった。
「あの……、」
「具合はどうですか?」
「腰が何故か痛くて……。それ以外は大丈夫そうです。」
「え、まさか覚えてないのか……!?」
「あ、あの。すみません。記憶が曖昧で。何があったんですか?アイ……魔法少女の彼女は、どうなりました?」
「……どこまで、覚えてますか?」
「えっと、」
記憶をたどりながら、自分でも思い出しながらダニーさんに伝えていく。大蛇の姿は覚えていて、何か、話したような。でもそこから記憶がない。
「……ユリさんは、レナードに放りだされてその蛇の目の前に来たんです。そして交信を試みた。」
「あ、なんとなく、思い出してきました……。」
確かそう。レナードさんを怒らせてしまったんだ。それで腕を掴まれて、引っ張られて。
「……そこで、レナードの誤射により、腰を撃たれたんです。」
「えっ、」
予想もしなかった言葉に驚いた。撃たれた……?レナードさんに?え?嫌われたとしてもそこまで??
ショックに言葉を失っていると、ダニーさんが強い声で「誤射です。」と言ってくる。あ。あぁ誤射、誤射ね。わかりやすく安心してしまう。大蛇と対面していたあの時、私に流れ弾があたってしまったというのならわかる。
幸いなことにあまり覚えてもないから、なーんだ程度に私は考えていた。しかしダニーさんは真顔で暗い表情をしている。どうしたのだろう。
「ユリさん。誤射だったんです。」
「え?はい。疑ってませんよ。」
「……レナードは、人を撃つような人間じゃないんだ。温厚ではないが、馬鹿みたいに真面目なやつだった。不器用で、でも一生懸命で。あんな奴がここに来るべきじゃあなかったんだ。」
「え?あの、ダニーさん……?」
「あいつは、俺を追ってこの会社に来たんです。今回のことは俺に責任がある。」
「そ、そんな大げさです。ほら、私生きてますし!」
「…………。」
私は必死にダニーさんを擁護するが、本人は納得しようとしない。
どうしてそんなに思い詰めているのか、私はよくわからなかった。別に本人がいいと言っているのだからそれじゃダメなのだろうか。
「……ダニーさんとレナードさんは、仲がいいんですね。」
そう言うと、ダニーさんは顔を上げた。
見開いた目に私を映す。その少し間抜けな表情に笑ってしまう。
私が笑うのを見て、ダニーさん笑ったようだった。しかしそれは苦しげな、引きつったもので。
「仲良くは……なかったかもしれません。でも、ちゃんと話せば仲良くなれたかもしれない。」
そしてまた下を向いてしまう。
しかしそのまま間をあけることなく、ダニーさんは話し始める。何かにせかされているような、早口で淡々と話し始めた。
「……貴女をこの会社に連れていたこと、ここで働いていること。俺は間違ってないと思ってる。そのおかげでこの研究所は以前よりもとても安全になった。」
「そ、そんな。私何も……。」
「いいや、充分だ。充分してもらってる。貴女がいてくれて良かったと思ってる。」
「そ、そうですか。それなら良かったです。」
「……けど、今こうして倒れた貴女を見て、俺は後悔した。」
「あの、ダニーさん大丈夫ですか?」
様子がおかしい。何かあったのか。どうしてそんなに思い詰めているのか。
私の問いにダニーさんは答えずに、深く深く頭を下げて。
「ここに連れてきてしまったこと、巻き込んでしまったこと。貴女が恨むべきは俺だ。本当に、本当に……申し訳ない。」
「え……。」
ダニーさんの声が震えている。
その下がった頭を見て、私はやはり困惑していた。なんでそんな急に弱気なのか。この間まであんなに辛辣だったのに。
彼の手は強く握られていて、そのこぶしは汗ばんでいる。
「働くって決めたのは私自身で、ダニーさんに責任なんてないです。」
「ここに連れてきたのは俺だろ。」
「ダニーさん……。」
なんで……、そんなこと……。
「……もう、いいです。」
私がそう言うと、ダニーさんは顔を上げる。
本当に今日の彼は彼らしくない。なんだろう、その泣きそうな、情けない顔は。
彼を安心させたくて、私は笑った。怒ってないから、大丈夫だからって。
「謝ってくれたから、許します。」
別に誰のことも恨んでなんてない。だって最終的にここで働くと決めたのは私だ。
けれど謝ってくれるなら、受け入れよう。謝罪を受け入れるのは、ダニーさんのためになると思う。少しでも彼が楽になってくれるなら、こんな一言いくらでも。
そしたらダニーさんは、眉間にしわを寄せて、眉を下げて。泣きそうな顔をする。
「……お前マジで馬鹿じゃねぇの。」
「ひっど!?」
「考えなく、簡単に人を許すことは賢いとは言えませんよ。意味が分からないなら保留にして、勝手に負い目を感じさせておくのがいい。相手の弱みに付け込めますから。」
「いや性格悪くないですか!?」
しおらしいと思ったら突然いつも通りの辛辣さ。嫌そうに顔を歪め、私を信じられないという目で見てくる。
しかし少しだけ、彼の頬が緩んだのを私は見逃さなかった。肩の力が抜けたというのか、緊張がほぐれたというか。
「俺もリナリアのこと言えませんね。」
「え?リナリアさん?」
「最初に言ったでしょう。この会社には、仲間と親しくなりたくないという人は多い。」
その理由は、わかりましたか?
急に言われて、とっさに答えは出なかった。少しは働き始めた頭で私は考える。……その時思い出したのは美女と野獣によって姿を変えた女性。
「直ぐに答えられないなら、ユリさんはまだ大丈夫ですね。何よりです。」
「え、」
「でもわかってはいるでしょう。ここは簡単に人が死ぬ。別れが悲しいから、皆距離を置きたいんです。」
「あ……えっと。」
そうじゃないのかとは、少し考えた。
私の目の前で人が死んだあの日。いなくなった彼女のことが騒がられずにいつも通り進む業務に異常を感じた。別のチームだからって、一つの会社で人が死んだのに噂にもならないのは。
そしてダニーさんが言ってたことを、私は忘れられない。『ここにいるほとんどが、そんな経験してる。』。私が考えている以上にここでは人が死んでいるのかもしれない。
チームの皆は、私に関わろうとしてはこないけど。嫌なことをされることはレナードさん以外はなかった。むしろ道を譲ってくれたり、エレベーターで私が乗るのを待ってくれていたり、親切なこともあった。
だから、本当は優しい人なのかなって思ってて。たまに目が合う時逸らされるのは悲しかったけど、何か事情があるのかなって。何より会話をしないのは私だけじゃなく、ほかのエージェント同士の会話自体、チーム内で見ることがなかったから。
『リナリアのあれは自衛ですよ。』その、理由は。
「……俺も結局、割り切れてないって気が付きました。」
「割り切るなんて……。簡単にできないし、そんな必要ないですよ。」
「ユリさん、」
「悲しいことは、悲しいことだから。……無理に割り切る必要なんてないと思います。」
それは本心だったのだけれど、私の言葉にダニーさんは大きく目を見開き、また俯いてしまった。
「え、ダ、ダニーさん……?」
「……レナードが、死にました。」
「えっ、!?」
「死んでしまった。……あの化け物に、殺された。」
「化け物って……。」
それって、まさか、アイのこと……?
何があったのか聞きたいけれど、ダニーさんの姿を見ると私は声が出ない。
……レナードさんが、死んだ?もう、いない?
現実味のない言葉はその場に重い空気を作る。
私はダニーさんの丸まった背中を、ただ見つめるしかできなくて。
ダニーさんの言う、『割り切れてない』というのは。彼がこんなにも弱弱しいのは。
……。
何を言えばいいのか、何か言えることはあるのか。
わからなくて、私はただ苦しそうに俯くその姿を見つめる。たった今自分で言った『割り切らなくていい』という言葉が、あまりにも無責任で。
どうし、よう……。どうすれば、いいんだろう。
いや、わかっている。私に今できることなんてない。何を言っても、この背中を撫でてもなんの意味もない。今ここでダニーさんを励ませるのは……レナードさんだけなんだろう。
静かな部屋に、点滴の雫が落ちる音。私はもう一度ベットに横になって、目をつむる。寝たふりをしたほうがいいような気がしたから。
※※※
どうやらあのまま眠ってしまったらしい。目を覚ましたら、もうダニーさんはいなかった。
時間を確認したくて起き上がる。腰の痛みに顔をひきつらせた。少し寝たくらいで良くならないのはわかっているけれど、これだと仕事に支障をきたしそう。
でも出来れば休みたくなかった。というより、すぐにでもアイの様子を確認したかった。
レナードさんが死んだ。……アイが、殺した?本当に?そもそもあの蛇は本当にアイだったの?
「う……っ、た、確かめないと……。」
痛みを我慢して、私はベットを出ようとする。時計が見当たらないから、部屋を出て確認しないといけない。
しかしそこで、サイドテーブルに置かれたものたちに気が付く。私の制服のスーツ。……と、蓋のあいている、缶ジュース?
一緒にメモが置かれている。うわ、筆記体だ。しかも達筆。私これ読むの苦手なんだよな……。
「えっと……、I‘m…going to……、」
〝私は先に仕事に行きます。申し訳ありません、ユリさんも起きたら出社してください。ぶどう味の薬を用意したので、それを飲んでから来てください。今日はできる限りチーム本部にいます。何かあったら声をかけてください。幸運を。 ダニー〟
「ぶどう味の薬……?」
まさか、このジュースのことだろうか。いやいや、まさか。だって濃い紫のパッケージに、かわいい船のイラストと〝
ダニーさんこれに薬溶かしてるとか言わないよね!?
そ、そんなことある!?小さい子が薬飲めるようにゼリーで包むみたいな発想で!?私大人なのに!?からかってる!?それとも本気!?どっち!?
えぇ……?と納得はいかないが、真偽を聞ける相手もおらず。仕方ないので口をつける。
そしたらなんとこれ、ソーダである。開封済みだが全然炭酸の生きているフレッシュなソーダ。急に喉を通るシュワシュワにごほっとむせてしまう。むせた反動で腰の傷にダメージ。うっ、と思わずうずくまってしまう。
え?これ本当に嫌がらせじゃないよね?これ親切ですよねダニーさん!?
「うぅ……。」
一度口を離して落ち着いてからもう一度飲む。最初から炭酸とわかっていればむせることはない。飲み込むとお腹が動くせいで、やはり腰にダメージ。飲食だけでこんな痛いなんて、本当に仕事ができるのか不安になってしまう。でもいかないわけにはいかないし……。
「……あれ?」
え?あれ?
……痛くない!?
飲んでいくうちに、なぜかどんどん痛みが引いていく。最初は気のせいと思ったのだけれど、半分ほど飲んだところでそうではないとわかる。
包帯越しに腰に触れると、やはりズキっと痛みが。けれど触れれば、だ。先ほどまで何もしてなくても痛みはあったのに、それが全くなくなっている。
試しに、もう少し飲み進めてみる。人口甘味料の、少しくどいくらいの甘さ。ぶどうの匂いはわざとらしいほど濃いのに、肝心の果実の甘さはあまり感じない。この安っぽい味はむしろ好きだった。妙に癖になるというか、また飲みたくなる中毒性のある味。
「…………。」
気が付くと一気に最後まで飲み干していた。元々喉が渇いていたからかもしれない。……飲んだ後のほうが喉が渇いている感じはきっと気のせいだ。
そんなことは置いておいて。私はこの状況にちょっと、いやだいぶ引いてしまう。なんだか肌寒くもなった。
傷、全然痛くない。え?なんで?怖っ。
体を軽くひねってみる。全然痛くない。触ってみる。と、さすがに痛い。でも動く分には全く問題ない。いや怖いって。なにこの効果。
空になった缶を観察するも、成分表示などはない。そこで気が付いたのが、これ生産場所も発売元も書いてないし賞味期限もない。
一体これ、何が入っていたのか。合法のもの、だよね?違法の鎮痛剤とかじゃないよね?体に後遺症とかないよね?
不安の中、とりあえず私は制服に着替えることにする。シャツに腕を通したところで、ゲフッとげっぷが出てしまった。汚い音に誰も聞いてないとはいえ恥ずかしくなってしまう。炭酸一気飲みなんかするからだよ私……。
※※※
着替えた後に気が付いたのが、制服と一緒にサイドバックが置いてあった。
タブレットを取り出し、電源をつける。メッセージアプリの新着を確認すると、{意識が戻り次第ここに報告を入れること}とあり、メッセージをうっていたのだが、送る前に作業指示が来た。
タイミングが良すぎるそれに驚く。もしかして既読になるかずっと監視されていた?いやいや、ほかにもエージェントがいるんだからそんなまさか。でもそうでもしないとこんなタイミングよく指示できる?
すごい会社だな……、と、とりあえず深くは考えないことにしておいた。自動メッセージとかかもしれないし。そんな機能あるかもわからないけど。考えている暇はないからだ。
送られてきた指示は、アイへの交信作業。彼女には聞きたいことが山ほどある。
急ぎ足で収容室に向かった。そういえばタブレットで見た日付は次の日の昼だった。一日寝ていたことになる。どうりでお腹が減っているわけだ。
アイの収容室の中に入った時、私は少し緊張していた。
脳裏に浮かぶのは青い大蛇の姿。今思い出しても恐ろしい。長い体に、真っ黒に穴の開いた目に、開いた口から除く牙に、蛇の体に似合わない、大きな翼に。
もしこの中にあの蛇がいたらどうしよう。いや、もしそうだとしても、私はアイと向き合わなければいけない。姿が変わってもアイはアイだと、友達である私が信じなくてどうするのだ。
深呼吸を一つ。タッチパネルを操作して、収容室の扉を開いた。すると。
「アイ……?」
真っ白の広い部屋に、小柄なかわいい女の子がたっている。
私は拍子抜けしてしまった。蛇なんてどこにもおらず、そこには私の知るアイの姿だけだったからだ。
力の抜けた声で彼女の名前を呼ぶと、アイはこちらを見る。
相変わらずきれいな、宝石の瞳。空洞ではないそれに安心したのもつかの間、その目がゆらゆらと揺れて涙を零したから私はぎょっと目を見開いた。
「えっ、ア、アイ!?」
慌ててアイに駆け寄ると、彼女は泣いたまま私に飛びついてくる。
けっこうな勢いに反動によろけるもなんとかバランスをとる。強く抱きしめられて少し痛い。
「ユリ……よかった。よかった……。」
「アイ……?」
「怪我……、守れなくて、ごめんなさい……。」
「あ……、全然大丈夫。ごめん、心配かけちゃったんだね。」
切ない声に、胸が締め付けられる。怪我のこと、アイは知っていたのか。それでずっと心配してくれていたのか。
細い背中をさすると、アイは一度体を離して私の顔を見つめてきた。
可愛い彼女の顔がぬれる。次々と溢れてくる涙が可哀想で、思わず指でぬぐうと擽ったそうに身をよじり、ふにゃりと笑った。
私を心配し涙して、それでもこうして微笑んでくれる彼女はやはり可愛らしく美しい少女で。
……やっぱり、あの蛇はアイではなかったんじゃないかな。
私が都合よく彼女を捉えているだけ。それはわかっている。
でもやっぱり信じられない。信じられるわけがない。だって私の知るアイはこんなにも優しい。誰かを心配して泣くような子なのに、人を殺すなんてどうして思えるのだろう。
「ねぇ……アイ。」
「なぁに?」
アイは……あの蛇なの?
レナードさんを……人を殺した?
なんて……聞いてもいいのだろうか。
「ユリ?」
「その……、昨日って、何かしてた?」
「昨日?」
直接的なことはやはり言えない。
だから昨日のことを聞いたけれど、アイは少し困った顔をする。眉を下げて、考えるように上に下に視線をさ迷わせて。けれどすぐ、諦めたように首を振った。
「ごめんなさい、実は記憶が曖昧なの。」
「え、そうなの……?」
「えぇ。昨日だけじゃなくて、ここ数日の記憶が途切れ途切れというか……、苦しかったことしか、覚えてなくて。」
「あ……。」
ここ数日。その言葉に私ははっとする。私が休んでいた数日前から、アイの体調は思わしくなかった。
床に倒れる程の体調不良。思い詰めてふさぎ込んでいたアイの姿。あの様子なら記憶が混濁していてもしかたない。
だとしたら、よけいに私はアイになんて言えばいいのだろう。
記憶にないことを聞くことに、意味はあるのだろうか。それにもし、やっぱりアイが何もしてなかったら?そもそも、あの蛇がアイだなんて確証ないのに。
「ユリ、私ね……いろんなことを考えたの。」
「え?いろんなこと?」
「そう。ここは平和で、穏やかで。私なんて、必要ないかもしれないって。」
「そんなこと……!」
私が否定しようとするのに、アイは首を振る。「実際、私が何もしなくても世界は平和だったから。」。そんな寂しいことを言う。
「でもね!わかったの!私、平和なんてどうでもいいって!」
「え、」
「私ね……ずっと苦しくて仕方なかった中で、ユリだけが心地よかった。ユリこそが、私の存在意義だったの!」
「ア、アイ……?」
「ユリがいれば、あとは別にいいの。私にはユリが必要なの。」
アイに手を握られる。無理やり持ち上げられた私の手は、彼女の綺麗な両手に包まれて。
優しく、美しくアイは微笑んだ。
「ユリも、私が必要よね?」
どうしてだろう。とても優しい声なのに、圧を感じる。手を振り払いたくなる。
アイが、必要?そんなの、私だけじゃないのに。だってアイは世界を救う魔法少女で、ヒーローで。
……魔法少女って、本当にこの世にいるんだよね?
なんて、私は考えてしまった。そんなこと考えちゃいけない。だって今こうして目の前にいるのに。
アイは、魔法少女。愛と正義の魔法少女。でもよく考えたら私……本人からそう言われたわけじゃなくて。アイは……自分のこと、魔女って言っていて……。
「ユリ?どうしたの?……ねぇ、なんで黙るの?」
「い、痛……っ、」
より強く手を握られると、ぎりっと圧迫される音がして。
痛みに顔を歪めるけれど、アイは離してくれない。ただ私を見つめて、私の返事を待っている。
「…………う、ん。」
私が答えると、アイは満足したのか手を離してくれる。強く握られた手は少ししびれているような。
そこで私の頭によぎる、一つの言葉。作業指示で知ったけれど、実はアイの正式な名前が決まったらしいのだ。
施設の誰が決めているのかまで私は知らないけれど、その名前を私はアイに教えられないだろう。
〝憎しみの女王〟
……アイが、何を憎んでいるというのだろう。その名前を見たときに生じた疑問。そこに今は困惑があった。
私はアイを、勇敢で立派な魔法少女だと思っていた。平和を思い、悪を憎む魔法少女。
でもアイはたった今、容易に平和を切り捨てて。
その理由を……ロボトミーコーポレーションは、何か知っているのだろうか。
それをあえて、私たちに言ってないのだろうか。知ることが悪いことだから、言ってないのだろうか。
知らずにこれからも……私たちは命をかけて働いていくのだろうか。
そこまで考えたところで、私はアイを思わず抱きしめる。
するとアイは嬉しそうに、鈴を転がすように綺麗な声で笑った。クスクスと耳元で聞こえる声に私は腕の力を強くする。……顔を、見られないように。
抱きしめたのは親愛故ではない。感謝でもなければ戯れですらなかった。
ただ、ただ……、目の前のアイとこの会社を、私は少し怖くなってしまった。アイはもういつも通り優しく、可愛らしい女の子なのに。どうしてかとても危ないものに見えてしまったのだ。
この恐怖と怯みを、彼女に見せてはいけないような気がして私はアイを抱きしめた。私の中にある、本能的なこの警告を隠すために、咄嗟の自己防衛だった。
アイの腕が、私の背中に回る。反射的に体がビクッと震えてしまう。どくどくと流れる血液と、うるさい心臓の音の中で、きっとアイにも聞こえているだろうに、それでも彼女はまた笑った。
「ユリだけが、大切よ。」
それはまるで、聖母のような美しい言葉。
……考えてはいけない。なにも。
疑うな。
でも私、いったい誰を、何を疑ってるんだろう……。
————かわいいかわいい魔法少女は、世界を愛し、平和を憎みました。
平和な世界は自分を淘汰する。だから悪を求めた魔法少女。
悪と戦うことでしか、存在意義を見つけられない可哀想な魔法少女。
そんな彼女を救ったのは、美しい真実の愛でした。
【あとがき】
答えはきっとありません。
その愛が世界を救うのかなんて、何を救いとするかなんてその人次第だから。
【謝罪】
アイの大蛇の姿に一部訂正を入れました。
黒い目はありません。目はなく空洞です。
翼があります。
頭に角のような耳のようなものが付いており、その先は人の手のようになっています。
こっわ。かわいいね!
【どうでもいい設定】
ユリ→田舎の金持ちの次女(しっかり者で優しい姉と兄がいる)
ダニー→田舎の金持ち次男(優しい兄がいる)
リナリア→都会の金持ち長女(だらしない兄がいる)
アネッサ→一般家庭の長女(弟と妹がいる)
レナード→一般家庭だが裕福な方の一人っ子
ユージーン→母子家庭の一人っ子(遺産は多め)