日付変わって出勤二日目。
私、ユリは大変に居心地悪く着替えをしていた。
「昨日の 」
「新人」
「放送で 」
「11分」
ひそひそと聞こえる話し声。他職員さん達の視線が刺さって痛い。
「
「っ!?」
誰!?今イレブンさんって言ったの!?
思わず声の方に振り返るが、私が着いた途端皆目を合わせないよう逸らす。
そして何事も無かったかのように着替えを始めるが、今のは絶対に聞き間違えじゃあない。いや、聞き間違いであって欲しいけれど。
11分・11・Eleven・イレブン・イレブンさん。
二日目にして都市伝説みたいなあだ名をつけないで欲しい。悲しい。
こんなんじゃあこれから先やって行けるの不安だ。
友達を作りに来ている訳では無いけど、人間関係ってとても大事なのに。しょんぼりと肩を落として、一人でもたもたと制服に着替えていく。
悲しいのはそれだけじゃあない。挨拶は大事だと思って、ちゃんとすれ違う人達に「おはようございます」って言ってるのに。皆軽い会釈だけで何も言わずスルー。
知らない人に挨拶するだけでも私としては結構勇気がいることなのに。それをこうもスルーされると心が折れてしまいそう……。
「おはよう!ユリさん!」
「ア……アネッサさんんんんんんっ!!」
「わっ!?ど、どうしたの……?」
「なん、なんでもないです!!おはようございます!」
唯一、アネッサさんは眩しい笑顔で挨拶をしてくれた。救世主だと思った。
思わず大きな声で叫んでしまった。あまりに大きい私のおはようございますが更衣室中に響く。
注目は当たり前に集まるのだが、アネッサさんは気にせずニコニコと笑顔を向けてくれて。本当に天使様みたいだ。その笑顔を見ていると、心のモヤが晴れていく気がした。
……大丈夫。
大丈夫。アネッサさんがいるんだから。きっと上手くやっていける。
落ち込んでても仕方が無いし。頑張るって決めたんだからちゃんとやろう。
「ああそうだ、ユリさんにこれを渡さないとね。」
そう渡されたのはタブレット端末とインカム。ダニーさんが使ってたのと同じ。
「私たちは基本これを使って指示を貰ったり、アブノーマリティを確認したりするのよ。本当は初日の昨日渡すはずだったんだけど……遅くなっちゃってごめんなさいね。」
「いえ!全然ですっ!」
「ユリさんのエージェント情報も登録してあるから、社員番号間違ってないか一応確認しておいて。……あ、渡せなかった間はちゃんと会社に預けて管理してもらってたから、安心してね。」
「ありがとうございます!!」
真新しいタブレット。まだ傷一つなくツヤツヤしている新品。仕事用だとしても、新しい端末は少しワクワクしてしまう。
試しに電源をつけてみるとロボトミーコーポレーションのロゴ、Lの文字がでかでかと表示された。
端末に入っているアプリケーションは三つ。
一つは吹き出しマークのアプリ。吹き出しの中にはXの文字が書かれている。
もうひとつはロボトミーコーポレーションのロゴ、Lのアプリ。
もう一つは文書を作成できるワードアプリ。
ワードアプリはわかるけれど、他のはなんなんだろう。
「アプリについてはまた後で教えてもらうといいわ。」
「え?」
教えてもらう?アネッサさんは教えてくれないのだろうか。
「あ……でもそうね、一つだけ。この吹き出しマークは管理人からの指示を貰えるの。」
そう言ってアネッサさんは私のタブレットをタップする。
Xの文字が書かれた吹き出しマークが反応し、展開する。
そして出てくる、よく見るチャット式トーク画面。もう既に何か文章が送られてきていて。なんだろうと読んでみると。
{エージェント・ユリ }
{本日付で中央本部チーム2への移動を命ずる。}
「は?」
「……配属チーム、異動になったんですってね。教育係も変わるみたい。せっかくかわいい後輩ができると思ってたのに、残念だわ。」
「………………。」
いや。いやいやいや。
嘘でしょ?アネッサさんと離れるの?
だってまだ一日……というか、11分しか一緒に仕事してなくて。私、アネッサさんみたいになれるよう頑張ろうって決意したばかりで……。
早すぎない?絶対早すぎる。まだ何も教えてもらっていない。これからだったのに?
「ユリさん?大丈夫……?」
「あっ、だ、大丈夫ですっ。」
いけない。一瞬固まってた。
悲しくても受け入れないとダメだと首を振る。
仕事なのだから仕方ない。アネッサさんと働きたかったし、教えてもらいたかったけど。そんなわがままは社会では通用しないのだから。
ここで反抗してもなにも変わらない。アネッサさんが困るだけ。それだけは避けたいから。
「私……アネッサさんが教育係で、すごく嬉しくて。」
「ユリさん……、」
「だから変わってしまうの、本当に残念です。あの……部署が変わっても、仲良くして下さいませんか……?」
「そんなの当たり前じゃない!」
そう言ってくれるアネッサさんは、やっぱり優しい人だ。
アネッサさんと離れるのは悲しいけれど。
考え方を変えれば一瞬でも教育係になって貰えたからこそ知り合えた人。出会いの機会を貰えた、と前向きに捉えるようにしよう。
それに教育係が変わる、ということはそれもまた新しい出会いなのだから。
またアネッサさんのように優しい人がいいな。そうでなくても、上手くやっていける人だったらいいな。
着替え終わった私達は二人で更衣室を出る。
部署が違えど、向かう場所は同じ地下。そこまで一緒に行こうという話になったのだが。
「おはようございます。」
「ダニーさん……?」
更衣室を出た先に、ダニーさんがいた。
壁によりかかり、腕を組んでいた彼は私とアネッサさんを見て姿勢を正す。
なんでダニーさん?ここ女子更衣室前だけど。そんな所に男性がいるのはあまりいい印象をもたない。
「ダニーさん、どうかされたの?」
「ユリさんを待っていたんですよ。」
「私?」
アネッサさんと一緒に首を傾げる。会社説明に不備でもあったのだろうか。
「ユリさん、昨日はお疲れ様でした。おかげでほぼ一日休みになって、満喫させて貰いましたよ。」
「そんな。本当に私のおかげかなんて確証ないですし……。」
お礼言いに来てくれたの?
わざわざ?
こんな、男性が気まずい女子更衣室の前で待って?確かにここにいれば確実に会えるだろうけど。
割と律儀な人なんだなぁ、印象が変わる。
昨日と一昨日は全然良いイメージはなかったけれど。本当は少し強引なだけで、いい人なのかもしれない。
「お礼を言うのは私もです。ダニーさんとは色々ありましたが、ここで働けるきっかけをいただけて感謝しています。」
だから私も感謝を返したのだ。
かなり強引だったし無理矢理だったけれど、結局今ここにいるのはダニーさんのおかげだ。
と、せっかく素直になったのになんですかその表情失礼だな。
眉をひそめて、目は細めて、少し身体が後ろに引いて残念なものを見るような目をされる。変な顔しないで欲しい。
しかしダニーさんは直ぐにその表情をやめて、無理矢理に口角を上げる。あまりに歪な作り笑いに私は何だか嫌な予感がして。
そして、その嫌な予感は当たったのである。
「では改めまして、今日から教育係を務めますダニーです。よろしくお願いいたします。」
「へぁ?」
思わず変な声が出た。
「は、え?教育?」
「はい。教育係です。」
「ダニーさんが?」
「はい。」
……嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
教育係?ダニーさんが?教育係!?
嫌だよ!!この人に教えられるなんて絶ッ対嫌だ!!地獄だよ!!
無茶ばかりさせるダニーさんが教育係なんて、苦労するのが目に見ているし。ストレスもすごい溜まりそう。
なんで数いる職員の中からダニーさんなのか。
何を基準に決めたの?まさか偶然?偶然なら私本当に運が悪すぎる。悪すぎて、その反動で宝くじでも当たりそうである。
もう本当に宝くじ買おうかな?いや、そんな現実逃避をしている場合ではなくて。あれそもそも宝くじってアメリカにもあるの?
「どういうことっ!?」
「っ!?ア、アネッサさん……?」
現実逃避した私の意識は、アネッサさんの言葉によって引き戻された。
「彼女昨日来たばかりの新人よ!?なんで中央本部チームに教育係がいるのよ!?」
「そんなの、ユリさんが今日から中央本部チーム2のエージェントだからですよ。」
「だからそれがありえないって言ってるの!!新人が行くようなところじゃないでしょ!?」
ダニーさんがアネッサさんを冷たい目で見下ろす。
彼はわざと聞こえるように大きくため息をついた。はぁぁ、と。それでもアネッサさんはダニーさんを強く睨んで食い下がる。
バチバチ、音が聞こえそうな空気が二人の間にながれた。
そして間の私はというと。自分の話なのに全然理解が出来ない。
アネッサさんが何故こんなにも怒っているのか。確実に私の為に怒ってくれているのだろうけど。その理由が分からない。
もしかして中央本部チーム2って、危ないところ?
「あの、中央本部チームってどんなところなんですか……?」
「行けば分かります。それにオフィサーと違ってエージェントの仕事内容は変わりませんから安心してください。」
「そうなんですか……?」
確かに、アネッサさんもオフィサーとエージェントは仕事内容が違うと言っていた。
「ちょっとダニーさんっ!!」
「アネッサさん。新人を脅かして楽しいですか?」
「なっ、」
ダニーさんがそう言うと、アネッサさんが言葉を詰まらせる。
「わかってるんですよね?これは決定事項。決定を下したのは管理人。貴女が何を言おうと……、例え、俺が教育係を断っていたとしても。変わらないんですよ。」
「それは……、そう、だけど……。」
「昨日のこともあって、コントロールチームのままであることの方が私は不自然だと思いますけどね。」
「…………。」
変わらずダニーさんは冷たい目でアネッサさんを見る。
アネッサさんは言葉を失い、俯いてしまった。
その様子にダニーさんはやれやれと首を振り、「行きましょう。」と私の手を掴んで引く。
「でも、アネッサさんが、」
「彼女は別の部署です。中央本部チーム2はより地下の配属なので先に行きましょう。大丈夫ですよ。さっきも言った通りやることは変わりませんから。」
「…………、」
「不安ですか?最初は誰でも不安なものです。」
いやさっきのやり取りがあったから不安なんだよ!!!
なんか!!シリアスな雰囲気出してるけど!!
アネッサさんは放っておいてみたいなことダニーさんは言うけど!!
この場合放って置かれて困るのは私なんですよ!!
……そう言えたらいいのに。
「はぃ……。」
ずるずると引きずられるようにして私はダニーさんについて行くことになったのだった。
引っ張られながらも振り返れば、アネッサさんはまだ俯いていて。その姿が切なくてより不安になって。
その時私は生まれて初めて、出荷される牛の気分を知ったのであった。ひぃん……。
※※※
中央本部チーム2というのは、ダニーさんの言う通りコントロールルームよりずっと地下だった。
「広っ、ここ本当に地下ですか?広すぎません?」
それなのにオフィスが広い。広すぎる。
コントロールチームのオフィスだって十分な広さだった。が、その非でない広さである。
これじゃあコンサートホールだ。こんなに場所をとる仕事なのだろうか。集まってくる人の数と明らかに合っていない広さだけれど。
天井もすごく高い。見上げると強いライトに目が眩む。そのせいでドンッ、と通りすがりの人にぶつかってしまった。
慌てて謝る。が、その姿を見て驚いた。
「リナリアさんっ!?」
「え……?ユリ……さん?」
なんとそこに、一昨日車で送ってくれたリナリアさんがいるでは無いか!
あまりの嬉しさに私は大きな声を出してしまう。まさかこんなにすぐ会えるなんて!!
「嬉しいです!リナリアさんもこのチームなんですかっ?」
「そうだけど……な、なんで……?ここ、中央本部チームだよ……?」
「はいっ!今日からこのチームになったんです!リナリアさんと一緒なんて嬉し、」
「っ、ごめん、先に行くね。」
「えっ、」
私の声は最後まで届かず、リナリアさんはさっさと行ってしまった。
遠のく背中を見て、私は混乱する。なんで?車の中ではあんなに笑顔で話してくれたのに。なんであんなに素っ気ない態度なんだろう。私なにかしてしまっただろうか。
ぐるぐると頭を回る嫌な考え。ショックが大きくて少しよろけてしまう。するとダニーさんが支えてくれた。
「あ……、」
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫、です。」
「リナリアと知り合いだったんですね?」
「一昨日……車で送ってくれて。その時お話したんですけど……。」
「あぁ、罰鳥の時の帰りですか。」
「リナリアさん、私に仕事仲間が増えて嬉しいって、言ってくれて。」
そう、言ってくれた。驚きながらも、嬉しいって。笑ってくれたんだ。
歓迎してくれて。それがすごく嬉しくて。
「でもさっきの……。私……なにか失礼なこと、したんでしょうか……。」
せっかく、知り合いができたと思ったのに。
もしかしたらこのままお友達になれるかもしれないって思ったのに。
「……新人がこのチームに来ることはまず無いですからね。話してた時は、ユリさんとあまり関わらないと思っていたんじゃないですか?」
「それはどういう……。」
「上っ面だけ仲良くしとくなんてよくある事ですよ。
いるでしょう?その場のノリで連絡先交換してもその後一度も連絡取らない人。それ位の関係だったんじゃないですか。」
ぐさッ!と、その言葉は私の胸を貫いた気がした。
的確な例え話である。確かにそういうことはある。あるけど。そうかもしれないけれど。だとしても。
ここは嘘でもいいから、慰めの言葉が欲しかった……。
ショックが隠せない。肩を落として下を向いて。わかりやすく落ち込んでしまう。
唇を噛み締めるのは、そうしないとちょっと泣いてしまいそうだったからだ。
私の様子を見てダニーさんはため息を吐く。酷い。この人よくため息吐くなぁ。こういう時は特に傷付くからやめて欲しい。
ダニーさんの声が聞こえる。「あのですね。」。なんだ、今更慰めるつもりだろうか。
もう遅いです。これは立ち直るのに時間がかかると思う。だいぶ心に来た。辛い。三割はあなたのせいですけどねダニーさん。
だから何を言われても、「自衛。」。
「え?」
「自衛ですよ。リナリアのあれは。」
しかし、出てきた言葉は予想外のもので。
「ああいう態度をとるのは、リナリアだけじゃない。今から貴女を皆に紹介しますが、きっといい反応は貰えません。」
ぐさっ。また言葉が刺さる。
やめて欲しい、立て続けに酷いこと言うの。
「でもそれは、歓迎していないとかの理由じゃありません。仲良くなりたくないんです。」
「……?」
「仲を深めることが辛いという人は、この施設に五万といます。このチームにはそういう人が多い。それだけの事です。」
仲を深めることが、辛い?
ダニーさんの言葉通りなら、それは私が相手だからとかではなく、人といい関係を紡ぐことが嫌だということになるけれど。
そんな人、いるのだろうか?仲良くなりたいとまでいかなくとも、仕事仲間とは良い関係でいたいものじゃないのか。
「ちょっと、よく分からないです。」
「そのうち嫌でもわかります。わからなくても、わからないままの方がいい。」
「……。」
ダニーさんの言うことが、どういう意味なのかわからない。
でも彼はそれ以上詳しく教えてはくれそうもなかった。
ダニーさんは相変わらず冷たい目をして私に言うけれど。その様子に嘘も悪意も感じない。
意地悪で言っている訳では無いのだろう。だとしたら……深い事情があるのかもしれない。
ダニーさんの顔を見ながら、私は一昨日のリナリアさんを思い出す。
私のことを気遣ってくれたリナリアさん。優しくしてくれたリナリアさん。
アメリカに来たばかりで、色んなことに巻き込まれて。不安な中、良くしてくれて本当に嬉しかった。
あれが社交辞令だったとしても。あの態度の変わり様はおかしいと思う。それなら、リナリアさんにもなにか事情があるのかもしれない。
「リナリアは優しいですからね。良い奴だったでしょう?」
「はい……、私にも優しくしてくれました。」
「もしあいつと仲良くなりたいなら……、とりあえず仕事が出来るようになればいい。」
「仕事?」
いや、なんでここで仕事の話?
確かにここには仕事をするために来ているし、真面目にやろうとは思っているけど。
仕事の話とリナリアさんの態度が変わったこと。なにか関係あるのだろうか?
「あ……、仕事を覚えて役に立てれば認めてもらえるということですか?」
「……ほら、もう十時になります。皆のところに行きますよ。」
「ちょっと!待ってください!」
私の言葉に、ダニーさんはちゃんと答えてくれなかった。
彼は再び歩きだす。コンパスの違いがあって、一歩一歩が私よりも早い。置いていかれないように早足で追いかける。
そしてオフィスの中心着くと、集まる人達に私を紹介してくれた。
ダニーさんはそこで私を新しいチームメンバーと言ってくれたが、彼の言うとおりあまりいい反応はもらえない。
皆どうでもいい事のように、黙ったままであった。
その中にはリナリアさんもいて。彼女と目があったが逸らされてしまって。
先程のようなショックはないけれど、やっぱり私は悲しく思ってしまうのであった。
やってくる十時。始業の時間。
始業の途端、皆タブレットを確認しながら移動を始めてしまう。それぞれバラバラに動いていて、あっという間に残ったのはダニーさんと私の二人。
「……まず、中央本部チームについて説明しましょうか。」
ダニーさんは面倒くさそうに話し始める。
「名前の通りここは施設の中で中心に位置するチーム。施設の中で一番広いオフィスを持っています。チームは上下二つに別れていて、中央本部チーム1と2がありますね。」
ダニーさんの言葉にメモを取ろうとするも、彼にしなくていいと止められる。
「別に覚えることでもないので、メモはしなくていいです。」
「でも、」
「言ったでしょう。エージェントのすることはどこでも変わらないと。貴女はアブノーマリティの管理をしてればいいんです。今してる説明も一応してるだけですよ。」
「…………。」
覚える覚えないは別にしても、念の為教えてもらったことはメモしておきたいのだけど。
私が白いメモを見つめてしまわずにいると、ダニーさんはまたため息をついた。
「日本人は真面目ですよね。その中でも貴方はくそ真面目だ。」。わかりやすい嫌味。
「まぁメモは好きにしてください。で、中央本部チームの仕事は〝上層と下層の綱渡し〟。簡単に言えば〝上の階と下の階の便利屋〟です。」
「便利屋?」
「何でもするんですよ。中央本部チーム1は上の階のヘルプや、上の階で用意された下の階への書類の搬送。中央本部チーム2はそれが下層相手になっただけです。
会社は
「ダ、ダニーさん?」
急に崩れた口調。それには彼の怒りが含まれているような気がして戸惑ってしまう。
「……失礼、失言でした。説明は以上です。質問ありますか?」
「……大丈夫です。」
直ぐにダニーさんの口調は戻り、何事も無かったかのように会話に戻る。
今の、なんだったんだろう。聞いてはいけないような気がするから、黙っておいた。
「ではここからはユリさんのエージェントとしての仕事です。タブレットはありますね?」
「あります!!」
いよいよだ。いよいよ私の本格的なロボトミーコーポレーションでの仕事がはじまるんだ。
緊張はするけど、やっぱり私はワクワクもしていた。早く役に立てるようになりたい。そしたらダニーさんの言う通り、会社の人達とも打ち解けられるかもしれない!
「管理人からメッセージは来てますか?」
「メッセージ……通知来てます!!」
「ひらいてください。」
「はい!!」
{対象:静かなオーケストラ 作業内容:清掃}
「こんなのでした!」
「よしさっさと行け。」
「えっ」
びしっ、と扉を指さされる。
行けって、言われても。どうすればいいかわからない。教えてもらわないと。
助けを求めてダニーさんを見つめる。すると彼は頭を抱えだした。
「くっそ、なんで初っ端クソ指揮者なんだよ……っ!!」
「指揮者……あっ、一昨日のお人形さんですか?」
なんだ、知ってるアブノーマリティならちょっと安心。それにあの人形、けっこう優しかったし。
あの時は大変なことになっていたけど、私としては何も知らない未知の生物よりは少しでも知っている方がありがたい。それを考慮してXさんは指示してくれたのだろうか。
安心している私に反して、ダニーさんはすごく嫌そうに、今日一番のため息をついた。
それを見て私は思う。ダニーさん、本当によくため息つくなぁ。と。
幸せ逃げちゃいますよ、とか言いたいけど言ったら怒られそうなのでやめておいた。空気を読むのは大事である。
「……とり、あえず。説明します。ここからは今後も大切なことなのでちゃんと覚えてください。」
「はい!」
移動しながら説明しましょう、とダニーさんは足を動かす。その後ろを私もついていく。
「アブノーマリティの管理にはいくつかの項目が決まっています。〝清掃〟〝栄養〟〝娯楽〟〝交信〟〝暴力〟。エージェントは管理人の指示に従ってそれらをこなします。」
「暴力!?」
暴力って、攻撃するってことだろうか。それとも言葉の暴力ってこと?
「わ、私できるかな……!?」
未知の生物目の前に、暴言を吐いたり攻撃したり。あまりに命知らずである。
そんなの怒らせちゃわないだろうか。それとも怒らせ無い程度に加減するのだろうか。
上手くできる気がしない。私口喧嘩すら苦手だったのに、暴力って。
「大丈夫ですよ。〝交信〟以外は道具が必要なので、エージェントは基本作業というのが決まってます。ユリさんの場合は〝栄養〟〝清掃〟〝交信〟ですね。」
「良かった……、暴力は無いんですね。」
「ユリさんは出来ないでしょう。」
「ダニーさん馬鹿にしてますよね?」
確かに暴力は嫌いだし、出来ないけど。ダニーさんの言い方は癪に障る。
だから言い返したが、ダニーさんは無視。言うだけ言って無視である。
それにまたイラッとした私は更に言い返そうとするも、その前に何か顔に押し付けられて出来なかった。
「なっ……、なんですか、これ。」
「ユリさんのエージェントバッグです。中に作業に必要な道具が入ってますので使ってください。」
渡されたのは肩掛けのバッグだった。中身は掃除用具とよく分からないペレット。……ペットフード?
「じゃあ掃除してきてください。」
「え?」
「ここですよ、あのクソ指揮者の部屋。」
ダニーさんの言葉に横を見れば一つの扉。
壁に設置されている電子パネルが緑色に光っていて、そこに書かれている文字〝
いつの間にかついていたようで。どうやらこの中に入って掃除すればいいらしいけれど。
一応やり方があっているか見ていて欲しいので、ダニーさんに一緒に中に入って欲しいと頼んだ。しかし彼は首を横に振る。
「貴女なら一人で大丈夫でしょう。一昨日手懐けてたじゃないですか。」
「そんなことしてませんよ!?」
私の事なんだと思っているのこの人。
ダニーさんは頑なに中に入ろうとはせず。私は結局一人で中に入ることとなったのであった。
感情には波がある。人は勿論、アブノーマリティもである。
感情が昂ると、〝興奮〟状態になる。それは一種の暴走状態と言えるであろう。感情の元が良いものでも悪いものでも、〝制御できない〟状況であることに変わりない。
アブノーマリティは興奮状態になると、脱走・もしくはある行動を起こす。
それは各アブノーマリティにより個性があるが、〝人にとって害となる〟ことが大抵だ。
その為アブノーマリティの感情を視覚化したものがある。管理人室の大画面モニターに映し出される一部、メーターグラフはそれである。
それはゲームでよくあるHPグラフのような。縦に伸びるそのグラフが減っていくほど、アブノーマリティは不安定になっているのだ。
それをクリフォトカウンターと、管理人とアンジェラは呼んでいる。
「おかしいですね……?」
アンジェラは各アブノーマリティのクリフォトカウンターを見ながら呟いた。
「どうして……こんなに。」
一体のアブノーマリティのクリフォトカウンターがどんどん減っているのだ。特別なことは何もしていないのに、どんどん、どんどん。
こんなことは今まで無かった。そのアブノーマリティの管理はだいぶ慣れていて、機嫌を損ねるようなことは何も無いのに。
減れば減るほど、そのアブノーマリティが危険な状態に近付いている証拠である。
しかもそのアブノーマリティは脱走するタイプの物なので、きっと被害が出るだろう。
「あぁ……もうすぐ0になってしまう。」
アンジェラはそう言った。────嬉しそうに。
普段とは違う、感情の変化。それは彼女にとって〝イベント〟のような感覚であった。
これから何が起こるのだろうと、アンジェラは期待をしている。無いはずの心臓がドクドクと音を立てている。それは所詮、機械が動くモーター音なのだけれど。
「お前は何に興奮しているんです?大鳥。」
問いかける。真っ黒な巨体にいくつもの黄色い目を持つ、鳥なのに飛ぶことも出来ない、人を殺すことだけは得意な化け物に。
アンジェラは赤ちゃんに話しかけるように、優しく優しく問いかけるのであった。
これは余談だが。
彼女は実体を持たないので、管理モニターの機械は動かせない。
しかし管理モニターと彼女は繋がっている。即ち、彼女にとってこのモニターは体の一部である。
だから彼女は困らない。彼女の背後で、本来指示を出すはずの管理人が倒れていたって。
何も、困らない。彼女は優秀なAIだから。