この先の展開についてまとめるため、一度前話を見返していました。
お詫びと言ってはなんですが、この閑話ですが三部といたしまして、この10時…20時、そして21時にそれぞれ続きを投稿させていただいています。
「真実とは虚偽をもって伝えられる。 よって人は嘘と真を読み解く力をつけなければならない」
もう、だめかもしれない。
以前は強豪を自負し、風雲児として各国を騒がせていた戦闘力も、補助程度に持っていた私の体を表した能力でさえ、今の私には満足に使うことが出来ない。
それは昔から徐々に現れていた事だった、私だけでなく他の者達もまた時を同じくして私と同じ現象に会い、力を削られていく。
ほんの少しずつ、分からない程度に削られていくので、体感的にはそれ程力が衰えたことは感じられない。
だが、少しずつ、確実に私の力は無くなっていっているのだ。
試す方法ならある、それは分かりやすく不動な自然そのものに、変化なき無機質に喧嘩を売ってみるのが効率がいい。
力を上げたり、落としたりといった、力の変動がそもそも根本から存在しえないものを定規に、己の力を測ってみれば、さながら握力系のように自分の力の全貌が理解できた。
人間でいう老化現象と似ている、緩やかに身体能力の全てが衰えていき、最後に死に至るのだ。
私の場合は自信の身体に留まらず、その場に居たという存在さえも、軌跡さえ完全に消えてしまうのかもしれない、誰も私の事を覚えてくれないのは、辛い。
これは別に呪いをかけられたとか、病気にかかったとかではない、原因はもうわかっているし、それが分かった所で、私にどうすることも出来ないことなのは知っている。
あの「胡散臭い女」が防ごうとして、防げなかったものなのだ。
「月の医者」や「動かない大図書館」でさえ、その対処方法を発見することが出来なかったものに、戦いしかしてこなかった私が知恵を貸せるはずもない。
能力面においても、悔しいが私にあの女以上の事が出来るとは思えないし、出来たとしても、それを維持するだけの力がもう残っていない。
友人も、好敵手もぱらぱらとドミノ倒しのように、私の前から一人一人いなくなっていく、いつか私の番が来ると思っていた、それが少し早くなっただけだ。
でも、自分の立場になって初めて気が付いたけれど、消えるのは怖い。
人知れず、誰からも忘れ去られて存在が消えてしまうのは、何よりも恐ろしいものだと知った。
猫は自分の死期を悟ったとき、それとなく飼い主の元を去ってしまうという。
それは自分の死に体を愛する家族に見せたくないというものの現れなのか。
いずれにしても、死というものに覚悟を持っていなければできない行動だろう。
私にはそんな死に迫った覚悟でさえ、猫以下になってしまっている。
いけない、力が無くなった所為で弱気になっている。
昔の私はもっと威圧的で、どんなに強い奴にも意気揚々と立ち向かっていくような、 むしろそんな強者と戦うことに喜びを覚えていたはずだ。
それが今では手間暇かけて育てた我が子のようなひまわりを含めた花々を見る事が、いつまで出来るのかとそれだけを考えて溜息をついしてしまう。
最近、私のひまわり畑の近くに汽車という物が通るようになった。
草原を切り開き線路が敷かれ、鉄の蛇が毎日往復し、耳障りな騒音が響くようになった、あの煙突から出る黒煙はどうにも好かない、花が汚れてしまう。
しかし今の私には、そんな騒音を甘んじて受け入れるしかない、真っ黒に染まった花たちの姿を黙って見ているしかない、抵抗出来る力などもうすでに残されてはいないのだから。
毎日、眼を閉じれば昔の夢を見る、数多の強者と闘い「地獄の鬼」を「魔界の神」を打ち破り、「泥棒さん」や「脇」のような友と拳を交わし会ったあの頃に戻れるものなら戻りたい……と。
私と対等に渡り合う人妖が沢山いた、魑魅魍魎跋扈する退屈しない昔の記憶。
叶うことのない願いだとは分かっていても、矢張りどうしょうもなく、思い出してしまうのだ。
今日も日課の水やりにひまわり畑に出掛けると、丁度汽車が騒音と黒煙を巻き上げて走っていくところだった。
何十人もの人間を一緒くたに収容して走る鉄の蛇は、敷かれた線路と呼ばれる道の上に従って忠実に真っ直ぐ進んでいく。
自然が失われ、人間が我が物顔で支配していく世界は、昔なら腹が立っただろうが、今はただただ悲しさしか感じない。
自然が失われていく進行の速度はあの大戦を契機として随分抑えられたのだが、まだまだそれでも毎日何万もの森林が消えて行っている。悲鳴が聞こえるようだ。
植林は偽善行為でしかない、しないよりはましだという考えがそもそも気に食わないのだ。
いわゆる森林伐採の罪悪感にとりつかれたのなら、木の悲鳴、叫びを聞いたのなら後始末ではなく現在進行形で切られていく木を助けろという話だろう。
切られた木の後に苗木を植えて、はい終わり……では、「殺人をした人間の数だけこの世に生んだから減ってない、大丈夫」などとのたまうのと同じではないのか。
地球温暖化、温室効果ガス、二酸化炭素、昔から騒がれていた話題ではあるものの、まだどこの国もこのもの全ての根絶に成功したところはない。
全ての国が「減らす」と曖昧に言葉を濁し、最後には「出来なかった」とヘラヘラ笑って済まそうとするのだ。
人間の小難しい事情など、私は知らない。
軍事力や私欲に染まった政治、そんな欲望にまみれた愚かな奴らのために、花々が犠牲になっていいわけがない。
能力の恩恵か、花の気持ちがある程度わかる私には、彼らの苦痛が、虐げられてきた気持ちが嫌というほど、理解できるのだ……
だから、いつも汽車の姿を見る私は、せめてもの人間たちへの当てつけに、微々たる量だが殺気を放ってやるのだった。
無機質で黒々とした光沢を放つ汽車が、長い箱を引き連れて走っていく光景を感傷的な気分で眺めていると、ふと妙な違和感がしたのだ。
誰かに見られた。
例え力が衰えようとも、昔から鍛え上げられた、戦いの中で身につけた第五感はまだ私の中に残っている。
その勘が言っていた、あの電車の中に私殺気に気が付き、何かを感じ姿を捉えなおかつ私の存在に意識を移した者がいると。
人間は私達の存在を、無意識的にも故意的にも概念から消した、だから私達は人間の中にいなくなり、この世界から消え始めた。
だから人間にはもう、私達の姿は見えこそすれ、興味も何も抱かないはずなのだ。
ただの普通な人として捉えられ、その辺に転がる石ころの様に何の興味も抱かれず、背景の一部として捨て置かれる。
存在感が無いと言い変えても良い、つまり今では私達を見てそれに意識的に疑問を抱けることが珍しい。
今の私は、人間にとって薄汚く枯れてしまった花のような存在感しか持たないのだから。
「はあ、本当に最近はため息がよく出るわね」
こんな私を昔の私が見たらあざ笑うだろう、軟弱者と罵り、歪んだ性根ごとその強い力で踏み壊してくれるだろう。
まあ、言ったところで詮無き事だ。 過去は過去であり、記憶は残っても失った事実が帰ってくることはないのだから。
そういえば、あの白黒が死んだ時、反魂術を使おうとした「人形遣い」に対して紅白が同じようなことを言っていた。
―「貴女がしようとしていることは、過去を繰り返させるだけ。彼女が生きていたという過去はもう戻せないわ」―
思えば、紅白が一番辛い立場だったのだろう。
だからこそ、それゆえにアイツはわざと突き放すような言葉を放ったのか。
自分に深い戒めを残すために、自らが過ちを犯してしまわないように。
ぽろぽろと、気を緩めたそばから懐かしくも悲しい思い出が、次々と脳裏に浮かびあがってくる。
止められない、壊れた水道の蛇口の様に、あふれ出るそれは…… 私の頬を少し湿らせたのだった……
「まったく、死んでも鬱陶しいわね貴方たちは……」
どうでしたでしょうか?
今回はあのフラワーマスターの視点になった作品になっております。
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