少年改め、直人は隠されていた才能を開花させるように、私の言うことを全て実行していってくれただ。
本当は1日ずつトレーニングの回数を増やしていくというのは、彼には悪いと思ったが本当はちょっとした悪戯心から出た冗談だった。
いつもの癖で、直人を少しいじめてみたくなったのだ。
音を上げて床に突っ伏し、私の顔色を伺おうとする時の顔を見ると、忘れてしまっていた、熾烈な戦いで勝利した時にする敗者を見下す、何とも言えない愉悦が呼び起こされる。
ああ、時間が惜しい。
そして、私自身に時間が無いことが、とても悔しかった。
直人は初めの戦闘じみた特訓の一回を除いて、毎日筋肉を鍛えるトレーニングの鍛錬回数を増やしていっている。
元々、あの巫女並には才能があると分かってはいたが、まさか此処までとは思いも寄らなかった。
努力は白黒並ということか。 このペースで身体を鍛えていけば、私と戦う日もそう遠くない気がしている。
直人は言わば、鍛錬をサボりがちだった天才巫女がもし毎日のように身体を鍛えていたら、を実践したような、夢のような人間だった。
どんなことでもあっという間に知識として吸収していく彼の姿を見ていると、若かったころの自分と重ねて苦笑いしてしまう。
あのころの私は直人ほど人の話を聞く素直な者ではなかったし、むしろ実践によって腕を磨こうとする脳筋だったが、寝る間も惜しんで人一倍努力をしたからだ。
透明になって異世界にまで追いかけて行くという、ストーカーまがいの事をしたこともあった。
最近では、私は規模も小さくなってしまった畑で摘んで来たハーブを、お茶に混ぜ込んだ薬湯で彼の心身のケアをしている程度だ。
もう直人は毎日、死ぬほどのトレーニングを気絶するまでしようとも、筋肉痛に悩むことがほとんどなくなったらしい。
始めてそれを聴いたとき、私は直人の人間の部分にとうとう限界が来てしまったのかと落胆し、彼に才能があると思った自分の眼を疑ったものだが、すぐにその判断が早計だったと気付かされた。
「電気を操る程度の能力」 直人が今まで苦しめられていた力であり、暴走して死にかけた命をつなぎ止める最後の砦とも言える、固定されたネーミングでは考えられない程の応用性を持つ、曖昧で不安定極まりない力。
これが、無意識にだが直人の身体を治そうとしていると言うことに気がついたからだ。
電気をどう使って治すのか原理や理論は、あの「胡散臭い女」や「月の医者」では ないのでわからない。
でも、直人の能力が作用して筋肉痛を治癒させている事だけは確実なのだ……
ちなみに、直人は私の薬湯茶が筋肉痛を治したと誤解しているようだったが、わざわざ直人を調子に乗らせたくはなかったので黙っていた。
「あら、これは…」
今日も直人のこなすトレーニングの様子をなんとなく見ていると、 不意に何かの気配が畑の方からしたのだ。
理性がない畜生動物の弱弱しい気配ではない、と言うか動物なら私の気配の所為で、此処へ近付くことも出来ないはずだ。
それに、とても懐かしくそれでいて年増臭が漂う嫌な気配、そうか…彼奴はまだ生きていたのか。
この畑にやってきたという事は、私に会いに来たという事なのだろう。
そして、家を訪ねてこないのは、私だけに話したい事がある…
「さてと、じゃあ直人、私はちょっと畑の様子を見てくるから、トレーニングはさぼらないようにね」
さっと椅子から立ち上がり、こんな私でさえも求めてくる寂しがり屋な直人をからかってから、 私は小屋を後にした。
9月の風は寒いとは言わないまでも、どことなく儚さを感じさせる、気落ちする冷たさだった。
湿って腐葉土になりかけた、独特なにおいの漂う落ち葉を踏みしめて草原を歩いていくと、数分で私の育てる草花が咲く畑へと辿り着く。
薬草や季節の花がよりどりみどりで咲き乱れる花の中心に、薄紫色の人影が立っているのが見えた。
私が畑に入ると人影も私に気がついたようで、こちらに振り向いた。
金色の長い髪を風になびかせながら、ウエディングドレスを彷彿とさせる紫色の衣装を来た女は微笑みながら、そっと手招きをした。
頭に軽く被った白く丸い帽子には、所々汚れが着いた赤いリボンが巻かれている。
八雲紫、この消滅現象にいち早く気がつき、食い止めようと独自で世界までも作り上げてしまった「胡散臭い女」。
そして誰よりもその世界を愛し、守り抜いてきた彼女とは、しばらくぶりの再会だった。
あの大戦の後、別れてから一度も噂は聞けど彼女とは会ったことはなかった。
だがまあ「胡散臭い女」のことだから、どこか見えないところで、図々しい天狗のごとく盗撮行為に励んでいたのかもしれないが…
過去に誇った実力は何処へやら、今の紫には生気と言うものが全く感じられない。
辛うじて、いつもの胡散臭い笑みは健在だったが、それも彼女の姿 を見てしまうと無理をしているようにしか見えないのだ。
その時代々々に合った服装を着ている彼女にしてみれば、今の格好は少し時代錯誤なもので、普段の彼女の性格からは考えられないものだったからだ。
「あら、誰かと思えばスキマじゃない。アナタまだ死んでいなかったのね」
スキマ……彼女の事をそう呼ぶものは多い。
賢者とも呼ばれる実力を持っていた彼女も能力を持っている。
その能力が彼女のあだ名の由来にもなった、肉弾戦ではなく能力ありで戦っていたら、悔しいが私に勝ち目は無い。 その皮肉を込めて私は彼女をスキマと呼んでいる。
「ええ、久しぶりね風見幽香…私が此処に来た理由はもう分かっているわよね」
紫は肩にかけていた洋風の丸みを帯びたデザインの紫色の傘をそっと地面におろし、瞳に涙をためて私の方へと近づいて きた。
その足取りはおぼつかなく、とても過去に賢者と言われていた者には思えない。
「先日、幽々子が消滅したわ、私の大切な友人たちは、皆私の前からいなくなってしまった」
帽子に巻かれた赤いリボンに手を触れ、紫は辛そうに顔を潜めた。
友人か、私も彼女の友人に入っていたのか、それは嬉しいが、この状況でそれを言われても悲しいだけだ。
悔しいから口には出さないけれど。 かすれる声で、今にも壊れてしまいそうな儚い足取りで歩く紫を、 私はそっと抱きとめる。
軽い、紫の身体は普通なら考えられないほど軽かった。
しっかりと感触はあるのだが、まるっきり質量が感じられない、すかすかの軽石のようとも、まるで風船を触っているかのような虚しい感覚にも思えた。
認めなく無いがそろそろなのか、このスキマ妖怪が、この世界から消滅してしまうのは。
「私は力が強いから今まで生きていられただけ。一人一種族の私や貴女は人間に一度忘れられれば、もう二度と思い出しては貰えない。
禄に資料も残存していないマイナーな妖怪は、あっというまに消えて行ってしまう。一発芸人のようなものよ」
私の胸に顔を埋め、紫は身体を振るわせて泣き始めた。
「胡散臭いわね、そんな嘘泣きバレバレなのよ…だから…消えるなんて言わないで、そしてまた私と命を懸けて戦いなさい」
「うふふ、変わらないわね貴女は……いえ、変わったのよね。
昔のあなたは誰かのためにそんな虚勢を張るほど友人思いではなかったわ。
貴女の家に行ったときに子供がいて吃驚したわ、まさか貴女が人間の子供の特訓に付き合ってがているなんて、本当に意外だった」
「勘違いしないでよ、あれは私の次の好敵手になる男よ、そのためにああやって私好みの強さに仕上げているだけ。
人間に情が移ったとかそういうのじゃ無いんだから」
「幽香、貴女外の世界に出てきても何も知らないのね」
紫はクスクスと心底面白そうに肩を揺らして笑う、年がら年中胡散臭い仮面をつけ続けてきた彼女のこういう顔を私はいつぶりに見ただろうか。
「何よ」
「貴女のそういうの、世間ではツンデレというらしいわよ」
「はぁ?何それ意味がわからないわ、そのツンだとかいうのと私が如何関係があるのよ」
紫とは本当に色々あった、敵対したことも、一緒にお茶を飲み交わしたことも。
だからこそ、友人としてこういう他愛のない会話がされていることが、恥ずかしくも嬉しかった。
こんなことを言えば彼女は絶対に私をからかおうとするので、言わないけど。
「か、勘違いしないでよね!アンタの事なんか好きなんかじゃないんだから!って…い、痛い、痛いわ髪の毛を引っ張らないで!?」
したり顔で何か、多分人間の嗜好品の所の漫画のモノマネをする紫の姿が妙に型にはまり過ぎていて、イラッとしたので私は彼女の髪の毛を強引に手で鷲掴んで、心の底から真っ黒い笑みを垂れ流してやった。
そうだ、そうだった。
紫はこういう奴だった。 何かというと場を引っ掻き回すような言動を良う、わざと無理難題を押し付けて周囲の反応を楽しんでいるような私とはまた違うタイプのからかいをする人物。
赤の他人への対応や、管理職的な立場として賢者面をしている時は本当に一切たりとも心身を明かさない彼女だが、こういう風に打ち解けた対応を一部の者にはしてくれたりもする、お茶目な面も僅かだがもっている。
紫がこんな風に誰かに心を開くのは、本当に限られていて一時期は友達がいないのではと、従者が心配になったほどだと聞く。
「大食い亡霊」「博麗の脇巫女」「鬼幼女」それくらいの親しき者たちにしか、紫は自分の意思というか、感情を捉えさせるような行動をしなかった。
それは立場上、なめられるわけにはいかないものからは仕方のない態度だったが、私としてもほんの少しの程度だが、寂しく感じてしまう。
犬猿の仲とまでは言わないが、何時も飄々とした態度を取り、掴みどころをわざと無くしている「胡散臭い」紫には、顔を合わせば対立してしまうというような者たちも、主に雑兵だが数多くいるのだ。
当時もその所為でか、いらない喧嘩を吹っかけられたりもしたという。私にしてみれば願ったり叶ったりだが、彼女にしてみれば仕事の邪魔をされるのはたまったものではないだろう。
私もそんなモノ達の一員だった時代は、彼女の事を本当に冷徹で人道無視のいけ好かない女だと決めてかかっていた。
紫とこうして言葉を心から交わせる仲になったのには、それは長い異変のような出来事があったのだが、この場で
それについては省くことにしよう。 今それについてと思い出すよりも、涙目になった紫を弄る方が楽しいからだ。
「痛いわよ……髪は女の命なのよ、痛んだらどうするの」
「はっ、そんな年増が今更髪を手入れしたところで何も変わらないわ。
無駄な努力はやめてしまいなさい、骨折り損よ」
「あら、それはお互い様じゃないかし……」
「うふふふ、可笑しなことをを言う口はどの口かしらっ!?」
私の事を年増だと言いかけた紫の口を素早く塞ぎ、握力のみで頬ごと口を押さえつけた。
もごもごと必死に何やら問いかけたげな表情だったが、私はそれほど甘くはない、特にこのスキマに対しては。
悪口や皮肉を言うのは構わない、でもだからと言って自分が言われるのは誰でも嫌だ。
だから私は暴力を行使して、その発言を強制的に止めるのだ、反論など許さない。
「むっ」 急に足元の土を踏む感覚が無くなったと感じた私は、とっさに身体を海老反りにそらし回転するようジャンプしてに紫の側から離れた。
離れた場所にはしっかりと地面の感触があり、私がさっきまで立っていたところには、まるで空間を引き裂いたかのような何処までも続いていそうな、黒い穴がぽっかりと開いていたのだ。
穴の中には黒一色だけでなく、多数の目玉がうようよと蠢き、ありとあらゆるところへその視線を向けている。
一言でいうなら不気味、でもそれは見慣れたもの、彼女と付き合っていくうえで絶対に折り合いをつけなければならないものだった。
「へぇ、スキマは健在なのね、八雲紫」 私の手が離れた口元を痛そうにさすっている紫は、やがて赤く腫れてしまった頬を隠すように紫色のセンスを口元に当てた。
「あたりまえよ、これは私の存在意義でもあり、私を定義している唯一のものでもあるのよ?
いくら力が落ちてきているからと言って、そうやすやすと使えなくなるようなものではないわ、貴女も勘は鈍ってはいないみたいね」
「境界を操る程度の能力」つくづく彼女の能力の論外さ加減には辟易する。
だが流石にその力をもってしても、自身の弱体化は抑えられなったらしく、黒い穴……スキマを作り出すまでにかなりのタイムラグが生じていた。
私が気配を感じ取れたのもその時差があったからであり、昔の彼女のような瞬時にスキマを作られていては私は何の抵抗もなく、暗闇に落とされていただろう。
もっともそれは能力対決という意味だけであり、私が彼女と同じように能力も力も万全だったならば、勝敗は完全に私のものなのだが。
「それは有りえないわよ、勝つのは私ですわ?」 顔に出ていたのだろうか、頭に出ていた考えをわずかだが読み取った紫は、八雲紫の代名詞でもある「胡散臭い笑み」を浮かべ、口調を正す。
ここでまた勝負ができるのではと期待して、手に持っていた桃色の傘を握り締めるも、すぐに紫の顔から殺気が消えてしまい、拍子抜けしてしまう。
「どうしたのよ、殺らないの?」
「ごめんなさい、今日は幽香と遊びに来たわけではないの。ちょっと紅茶でも飲んで楽しくお喋りをしようと思ってね」
……若干昔と比べ俗っぽくなったのは、お笑いに系統してしまったからなのだろうか。
私も審査員として何度か参加した身としては、彼女の事を深くは否定は出来ないのだけれど、それでもこの高いテンションに付き合わされる身にもなってほしい。
生意気な「泥棒さん」ならともかく、良い歳いった女がキャーキャー黄色い声を出すのは本当に止めてほしいと切に願う。
見苦しいことこの上ない。
「それにしても」 と紫はいったん言葉を区切り、さっきまで浮かべていた歯も浮くような楽しそうな笑みを消し、眉を顰めた。
ここからは真面目な話なのだろう、私も茶化すようなことはせず、静かにうなずいて続きを促した。
「貴女が特訓をしているというあの子なんだけれど、気のせいかしら私にはひどく懐かしい雰囲気を纏っているように見えるわ」
「うん?それはあの子が能力持ちだからという理由じゃぁないの?」
膨大な霊力を持ち、類まれな能力、それに加えて1を聞いて10を知るというような柔軟な思考は、己の勘を頼り事件を解決していた巫女と似た部分があると思っていた。
それに私に臆面もなく接せる人間という面では、あの頃の力ある人間たちと似ているといってもいい。
だが、私のその考えを紫は即座に否定する。
「違うわね、確かにあの子は天才よ、それこそ博麗の巫女に匹敵するほどにね。
でも…私が感じたのは既視感ではなくて、懐かしさよ。
その姿を博麗の巫女に重ねて感じたものではないわ、どこかであった事があるような雰囲気を感じたの」
「それは…」
どういう意味なのだろう。否、意味はわかる、でもそれでは直人と紫が随分昔に出会っていたという事になってしまうではないか。
私の当然の疑問に気が付いたのか、紫はそうよねと苦笑いを返し、ため息をついた。
「有りえない、わよね。
あの子は人間、そして私たちは人外。でもね……私の感じた懐かしさはとても人間の寿命で考えられるくらいの長さから来るものではなかった。
それこそ何百年と経った人外がお互いに再会を喜び会うというような、そんな気分にさせられたのだからね」
なら、違うのか。あの子…直人はそれこそ10年ほどしか生きていない。
しかもだ、話を聞く限りではあの子は、その10年あまりを家に引きこもる形で過ごしており、とても紫の目に留まるような、興味を引かれる子だとは思えない。
あの子には悪いが、ただ力が強いだけの能力を持っている人間など、希少なれど何百年単位で生きていれば、それこそ嫌というほど出会えるものなのだ。
「変…と思うかしらかしら、それとも何も感じない?」
紫自身も自信がないのだろう、どこかで出会った気がするというだけで、それは他人の空似や、近くてもあの子の先祖という可能性でしかないはずだ。
それがまさか、過去に年齢の可笑しい同一人物に出会っているな……んて?
「あれ……?」
違和感。 何かが心の底に引っかかっているような奇妙な感覚があったのだ。
まるで私が何かを忘れているとでもいうような、存在しない部分があるという、空白と言える感覚。 思い出せないが、欠けている……
何か重大な事を私は忘れている?
脳裏に舞い込んでくる情景を一つ一つ思い出して行っても記憶は記憶、いつかは忘れてしまうものだし、ぼやけてしまったものもあるだろう。
だが、だが……
この抜け落ちたと思われる空白の穴は、とても普段暮らしている悠久の時の中で、自然に忘れてしまったとは考えられないものだった。
何故ならば、普通に正規の手段を踏んで脳から零れ落ちていった記憶というものは、きっかっけさえあれば、それが印象深い事であるほどすぐに思い出せるからだ。
それなのに、だというのにも関わらず、思い出せない。 記憶の端に浮かんだ映像、私の育てた花を嬉しそうに抱きしめる人間の顔が、まるで霧にでも包まれたように隠されていた。
同じようにこの人物に関する情報のみが、意図的に消されたように不自然に記憶からかけている。
誰だったのか、私とどういう立場だったのか、私が如何してこの人間に自分の命ともいえる大切な花を持たせているのかさえ、全くわからない……
「嘘…でしょう、こんなことに今まで気が付かなかったなんて」
驚愕した、紫に指摘されなければ、私は自身に起こっていた現象にも気づくことなく最後を迎えていたのだろう。
「落ち込むことは無いわ、私も境界を操るという能力があったから気が付けただけよ、能力なしでは自力での発見は無理だったでしょうね。
忘れている事まで忘れさせて、その記憶まで辿りつけないように精神の一部にまでプロテクトをかけている、一種の催眠術にも近いけれど、これは別の何か。
これは記憶ではなく、その流れ……つまり概念に働きかけていると私はかんがえているわ 」
「がい…ねん?」
焦燥感でうまく舌が回らない、こんな気分になったのは久しぶりだった。
あれは、あの記憶の映像は何だ、あんなもの知らない…知らないが私は何故だかそれを忘れてしまったという自分自身に底知れない怒りを覚えていた。
脳は覚えていないが、身体で……心で覚えているという事なのだろうか。 紫はそんな私を労わるように、震える腕にそっと手を重ねて耳元で呟いた。
「事は頭の中だけの話だけではなくて、アカシックレコードそのものが変えられた可能性が高いという事よ、それも偶然ではなく、作為的にね」
「誰かが、能力を使って……? でも、どうしてそんなことを」
もしもこの記憶の空白を作り出した、いや消した者、犯人が存在したとして、それで何をしたかったという疑問が残る。動機がわからないのだ。
快楽的な犯行と言う可能性も無きにしも非ずだが、私自身ではなく紫にまで及んでいるところを見るに、私たちとルーツを同じくしている者達全員に波及していると考えていいので、規模的な面から見ても誰かの意図を感じざるを得ず、よってその可能性は消える。
「わからないわ……もう私は時間が残されて無いもの…調べたくても調べられないのよ」
紫の話す口調に、人の声とは思えないほどの明らかにおかしい音程のノイズが入った。
「え、どういういみよ」
聞き取りづらかったとはいえ、こうも至近距離にいては言葉は頭に入ってくる。
だが私はわざと紫に聞き返した。 もう嫌だった、訳の分からない情報を唐突に伝えられ、頭が混乱した状態で更にまた最悪な報を聞くのは、もう堪えられない。できる事ならば耳を閉じてしまいたかった。
恐る恐る彼女の顔を見れば、紫は……紫の顔が薄らと透明になり始め、背後の畑の情景が現れ始めていたのだ。 消滅、という二文字が浮かんだ。
私たちは、人に認知されてこそ、恐れられてこそその存在を維持することが出来る。
ならば、人に認知されなくなった私たちの末路は、死よりも恐ろしい。
誰からもその存在を認識されなくなり、その場所、時間にいたという事実さえ人の記憶から忘れ去られ、肉体を消滅させ魂が壊れる。
死体さえも残らない……
「貴女にこの情報を……伝えたくて…多分、私より長生き…しそうな貴女に……貴女ならこの記憶を有効につかってくれるはずだから」
彼女、紫を私は……良き好敵手とも、信頼できる友人だとも思っている。
色々あった仲だ、いくら嫌おうともいくら避けようとも、紫が友だという事実には変わりがない。
だからこそ、そんな彼女が消えてしまうのは、半身をもがれたように辛く胸が痛く締め付けられた。 紫の手が離れると、自然と顔がうつむきがちになる。
頬から暖かい滴がこぼれ落ち、服をぽつぽつと斑に濡らす。 お前は、消える間際にまで私に謎を残していくのか。
自分の知らない問題を他人に押し付けてそれで満足なのか。
湧き上がる感情のままに紫にぶつけようとした言葉が、喉元でつっかえて出てこない。
そんなはずがないのだ、紫こそが一番無念だったはずだ。
いつも自分の作った世界のためにあれやこれやと動き回り、粉骨砕身を尽くしていた彼女が今回の件を、異変を自分で調べたくなかったはずがないのだ。
「ねえ幽香」
ふと涙に顔をぬらした紫が顔を上げ、私の手を握って、精一杯の笑みを浮かべたのだ。
紫がこの次になにを言おうとしているのかが、嫌と言うほど分か る。 だからこそ、私はその言葉を聞きたくはなかった。
口に出してしまえば、それが事実になってしまうような、何の脈略もない恐怖がせり上がってくる。
「言うな…」 嫌だ聞きたくない、だから寂しそうな顔で私を見ないで…
「私の最期…見送ってね」
「言うなああああああああああああああああああああああ!!」