「という訳で、僕は…私はこの世界へと足を踏み入れたんだ」
「はぁ……そんなことがあったんですねぇ、直人さんはその頃に人間有効度『最悪』のフラワーマスターに出会ったんですか、よく生きていたというか……」
「いやあ、当時の僕は彼女がそんな、人間との関係が悪い妖怪だとは全く気が付かなかったんだが、まさかそういう噂が立っているなんてな。
僕はてっきり気の強いサドっ気があるお姉さんというような風に捉えていたよ」
いやでも、あの頃の彼女は今に比べて随分と丸くなっていた印象だったと直人は、深いため息をついて心の中であのころの光景を思い出していた。
暴力行為じみた地獄の方が実際何倍もましだった特訓、だがその特訓の合間に垣間見せる優しかったお姉さんのような太陽にも見えた明るい笑顔、そして……
何も告げずに自分の前から居なくなってしまった事まで。
またまた薄暗くなりはじめた阿求亭の部屋の中で、藍色の薄い着物に女物の桃色をした傘をさげて敷かれた紫色の座布団に座る男と、何やら何度も頷いて感慨深そうに筆を進めているおかっぱ頭の花柄の着物を着た少女。
そしてその隣に腰掛け、腕を組んで唸り続ける白い髪に青いものが混じったような長髪の、異国風の制服を着た知的な印象を感じさせる女性は、部屋で毎度の様に集まって男の、直人の話を聞いていたのだった。
「ですが、そうすると四季のフラワーマスター『風見幽香』に鍛えられたという事は、その特訓に耐えて今まで生き残っているという事は、直人さんの実力もそれだけあるという事ですよね」
阿求はミミズが這い回ったような上から下へと伸ばされた文字が、端から端まで綴られた巻物から筆を放して、墨汁の入った綴り石に立てかけた。
四季のフラワーマスターと言えば、俗に一部の人間からアルティメット・サディスティック・クリ―チャー『究極加虐生物』と呼ばれることもある妖怪。
その実力は最強クラスを誇り、同じ大妖怪でもまた、神であっても準備もなしに迂闊に手を出すことを避けるような相手である。
そんな相手に師事し、挙句の果てには伝え聞く限り「地獄の方が実際まし」と直人本人に言わしめるほどの特訓をクリアしたという事は、それはつまり彼の実力がそれだけのものに達しているという事なのだろう。
阿求の知る限り、風見幽香は弟子を取ったり他人を目にかけたりしたという事は、天狗も噂していないほど聞いたことのない話だったが、それでももし彼女が誰かを鍛えるというのなら恐らく手加減はしないことは予想できた。彼はお遊びではなく彼女に本気で鍛えこまれている、と。
だからこそ、阿求はほんの少しだけだがこの直人の正体不明な実力を理解できた気がしたのだった。
「ふむ、だがしかし風見幽香と直人さんはそんなに親交はなかったはずだが?
私の知る限り、人里で聞く限りの噂では、直人さんと彼女は殺し合いはしても仲良くするという関係には思えないのだが」
申し訳なさそうに右手を上げて、頬を掻きながら慧音はそんな疑問を直人に投げかけた。
風見幽香と直人、その性質は似ていないようで似ていると阿求は評価していたが、それが必ずしも彼ら二人の親交を意味するという事ではないのだ。
似た者同士だからこそ、同じ好戦的な性格を内包するからこそ、仲よくすることが出来ないという事もある。
同族嫌悪とも似た自分に似ている者を忌避してしまう心理ともいえる。
もっとも直人と幽香の人間関係は上記のものとはかなり種類が異なるのだが。
実際に直人と風見幽香には、それほどこれといった風の親交はなく、だから2人は二重の意味で驚いていたのだが、直人にはそれをこの場で明かす気はないようで、その質問を受けた後静かに頷いて、懐かしそうに頬を緩め笑みを作り「今はね」と呟いたのだった。
「それについては君の能力で探ってくれないかな、僕としてもあまり人の眼が多いところでは話したくないんだよ」
「直人さんも人が悪いな、私にそれが出来ないことを分かっていて言っているのだろう?
……私の能力は歴史を知ることが出来る、確かに客観的になら個人の歩んで来た道のりも調べる事が可能だろう、だが貴方の過去は見えないんだ」
「やっぱり、アタイはさいきょーってわけね!」
お互いに腹の内を探り合うような重い空気が流れ始めた時、その空気を偶然か故意にかは、本人にさえも分からないだろうが、兎に角簡単に重い空気を引き裂いたものがいた。
何故か直人の膝の上には、血気盛んで馬鹿熱血思考なのにも関わらず、氷の妖精という矛盾した存在である、青い白い三角模様がプリントされた青いワンピースを着た少女が正座を崩して座っていたのだ。
流れる流水のような綺麗な水色の髪を肩の長さまでで切りそろえ、頭に大きな青いリボンを付けた少女は、何の脈略もなく突然そう言い放ち、空気を感覚的に凍らせる。
これが氷の妖精の実力なのかだろうか。 無言の静寂が訪れ、別の意味で再び空気が重くなる。
その非が全面的に少女に向けられるも、少女はそれを意に介した風もなく、いや完全に分かっておらず未だに不遜な態度を貫いていた。
直人が自分の過去の物語を放し始めている間に、いつの間にか直人の側にやってきて膝の上に乗っかっていたこの少女は、話に耳を傾けるでもなくただ自分の自慢ともいえない、他者から見れば、痛々しい虚言を語るだけ。 一体何がしたいのだろう。
だがそんな余りにも馬鹿過ぎた、空気を読まない発言をもさして構うことをせず、直人はそっと少女を抱きしめ、頭に手を置いて撫ではじめたのだ。
「…ちょっ、やめっ、あう……ふあああ」
「最強」をやたらに執着し連呼し、腕を振り回して叫ぶ少女は、直人が頭を撫でるのを始めは嫌がっていたが、やがて観念したのか、気持ちよさそうに猫のような声を出し、大人しくなってしまったのだ。
少女の騒音じみた行為に目をしかめていた、おかっぱの少女の阿求や、ひし形の帽子を脇に置き今にもお仕置きという名の頭突きを繰り出さんと不意に怪しく目を輝かせた長髪の女性、慧音は、その少女の姿に目を丸くして、未だに少女を自らの飼い猫のように撫で続ける直人へと視線を向けた。
「すごいな……直人さんは、チルノまで大人しくさせてしまうのか」
上白沢慧音、普段から子供と多くかかわる仕事をしているだけあって、この手の悪戯っ子の対応には長年の功、一夕の長があるわけだが、それを差し引いても直人が行ったことは驚くに値する出来事だった。
悪戯っ子は簡単に説明をすれば、「構ってちゃん」であり言わば誰かに叱ってもらうという手段であっても、コミュニケーションを欲しているという現れなのだ。
大人が持つような、他人を害そうとする悪意とは違い、子供のそれは無邪気と表現するように邪気が全くない、自分の身から出た純粋な願望という面が強い。
そういう悪戯っ子を諌めるには、ただ目の敵の様に叱りつけるより、その子供の手を取って優しく諌め、その後一緒になって遊んであげた方が良いのだ。
だが、言葉よりも身体が勝手に動いてしまう教師にあるまじき対応をしばしばとっていた慧音は、何度も何度も辛酸を飲まされて来ていたチルノをあっという間に無力化してしまった直人に対して、自分が出来ないことを簡単に出来た直人に驚くと同時に少し悔しくも感じていたのだった。
「ええ、悪戯好きな妖精の中でも、最も力があって厄介な相手だと言えるチルノさんを、ただ暴力を振るうのでもなく
……撫でるだけで静めてしまうなんて」
阿求も阿求で、このチルノという氷の妖精には、実害は無いにしても伝え聞く噂を聞く限りでは、他人に多大な迷惑を掛ける強さをもった子供として思っていたので、また直人の所業には開いた口がふさがらなかったようだった。
それに、と阿求は考え、チルノの側に行けば感じるという冷気を今感じていないことに気が付く。
氷の妖精と言うだけあって、氷の3枚が2つで対になった羽を持つ彼女の周りには、分かりやすい寒気、冷気が発生すると聞いていたのだ。
だが、直人に抱かれるチルノから阿求はそのような、身体に刺さるような寒さを感じることは出来なかった。
慧音もそれに気が付いたようで、阿求と顔を合わせて不思議そうにまたチルノ、直人を交互に見詰めた。
直人は、チルノの放つ妖精にしては強力過ぎる冷気でさえも、簡単に抑えてしまう何かを持っているのか、と二人は考えたのである。
そして、人外やごく一部の人間が持つ特殊な技能と言えば、言わずと知れた「~な程度の能力」である。
慧音は緊張からかゴクリと口の中に溜まった唾を飲み込んで、チルノを懐柔させてしまった直人の周りに何か能力を感じさせるものが無いか意識を集中させた。
少しでも直人という人外の抱える秘密に迫りたかったのだ。
こうして自分の過去を話すという場を設けていても、ミステリアスを今まで貫いてきた彼の正体への繋がりは全く見えてこない。
風見幽香に鍛えられた能力持ちの人間、という事は話の内容からなんとなくは理解できた慧音だったが、それだけでは すると、本当に僅かだったがチルノと直人を覆うように黄色にも金色にも見える光の粒が何粒も舞っていたのだ。
目を凝らさなければ気が付かないほどのほんの小さな光の粒は、朝日に照らされて浮かび上がる埃の様に彼らの周りを飛び回りながら、規則的に彼らの周りを衛星の様に旋回していたのだ。
「……っ!?」 慧音にはこの光の粒が何なのか、一体どういうタイプの能力から作られてどういう働きをしているのか理解できなかったが、彼女の奥底に眠っている獣の勘がこの能力にだけは逆らってはいけないと告げていた。
プレッシャーを感じたのだ。
別に直人が殺気や闘気を放ったからという訳ではない。
能力自体から並々ならぬほどの圧力を感じた。
慧音は人里の寺子屋を営んでいるが、もう一つ本業として「里の守護者」という里を文字通り外敵から守るという比較的重労働を強いられる任を背負っている。
その役柄上、彼女は守護する過程で巨大な力を持つ大妖怪に多々出会ってきているし、実際にその一角と拳を交えたこともあった。
その結果、力が強いもの、能力が優れている者、数々の妖怪について阿求の次に知識を持った慧音は、直人のその能力の片鱗だけでも気絶しそうになってしまったのだ。
慧音の頭の中で、過去に出会った「胡散臭い女」や「紅白の巫女」といった人外系最強クラスの面々が浮かび上がってくるが、彼女は首をふってその映像を振り払った。
違ったのだ、直人の抱える能力の質がほかの誰よりも精錬された高みにあることを慧音は、先ほど見た技によってうすうすだが気が付いてしまったのだった。
だが、直人は慧音の様子の変化に一切興味が無いとばかりに話を続けるのだ。
「いやいや、そんな大袈裟な、僕はこの子の親代わりでもあるというだけだよ。
忘れっぽい妖精が、自分と遊んでいた人間を、ほんの数日で忘れてしまうのは仕方がないが、寂しいものだ。
忘れられる人間よりも、忘れてしまったという事実を突きつけられる方が、受ける苦しみは大きくそして深い。
やがてその気持ちでさえも忘れてしまうとはいえ、こんな幼気な少女の姿で何度もそんな苦しみを体験して欲しくない。
幸い、僕はこの子と同じ時を生きることが出来る。
いつか別れが来るとはいえ、その時まで僕はこの子達の心の拠り所になっていたいんだ」
この本当の意味で精神の年齢や体の年齢が変わることのない少女の心。
その美しくガラスの様に脆い存在を守ってあげたいと彼は感じていた。
阿求や慧音が直人の心情に目を丸くしている中、直人に撫でられ続けていた所為で気持ちが安らいだのか、こっくりこっくりと目を擦り始めたチルノという氷の妖精は、やがて直人の膝の上で背中を預けて、幸せそうにすやすやと眠ってしまった。
「ふむ、もう夜だからな、子供はもう寝る時間か……」
規則的な呼吸を繰り返し寝入ってしまったチルノを起こすことはせず、そっと畳の床の上に横たえた直人は、立ち上がって立てかけてあった毛布をチルノにかけてあげた。
氷の妖精と言えども、寝ている時くらいは暖かくした方が良いのではないかという直人の配慮だったが、チルノは夢でも見ているのか薄く笑みを浮かべるだけで、足を器用に使って毛布をどけてしまう。
「存在としては氷という事だから、温まると逆に気分が悪くなってしまうのかもしれないな、矢張り人間と違って種類が多い妖精は難しい……
こんどアイスでも買ってあげようかな」 「直人さんが、どうしてあそこまで色々な人達に慕われていたのか、分かった気がします。
でも、そんな事をしていて疲れませんか?」
「そうだぞ、他人にばかり気を配っていたら、自分が死んでしまう」
直人の身体の心配をしてくれる二人に、直人は大丈夫とだけ返して、また阿求をお姫様抱っこで抱え上げ、いつもの寝室へと連れて行った。
チルノが寝てしまうほどの時間帯という事もあって、直人も阿求が夜更かししてしまっているのではないかと心配したのだ。
阿求も直人に話をはぐらかされたことには気が付いていたが、慧音がいる前で抱っこされてしまうという痴態をさらしてしまい、何も言えずに顔だけを羞恥と照れの入り混じったトマトのように真っ赤に染めてしまう。
慧音が隣で羨ましいなどと呟いていたが、生憎直人の耳には入ってはいないようで今回の過去の話を紡ぐ集まりはお開きとなったのだった。
阿求邸、阿求がその小さな身体を休め眠っている部屋の隣で、銀色の髪に青いメッシュの線が入った長髪の女性と、薄笑いを浮かべて佇む男の姿があった。
「いい加減、教えてくれないか、貴方の正体を……
貴方がチルノの冷気を遮断していた能力はなんなのだ?
あれは…話してくれた電気を操るなんてものなんかじゃないぞ、電気はどう操っても熱をあれほど用意に遮断できるものじゃない」
「あははは、やっぱり君にはばれてしまうか、慧音。
そうだよ僕の今の能力は、もう電気を操るものでは無くなっている。
それにね、正体に関しても同じことさ、僕は妖怪とも神とも言われたことはあるけど、カテゴリー的には始めから最後まで人間だよ」
はい、スマートです。
お陰様でUAが1700に到達しました、この調子で一万を目指して頑張っていきたいです。
やっと、第一章が終わりに向けて動き始めた気がします。
さて、次回はついにあの神社でのお話…