未踏領域で果てる   作:真の柿の種(偽)

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これはもう立派な地雷



そのじゅうに

「次に狙うは――」

「宝塚です」

 

 一人の記者が言い切る前に、食い気味で答える。

 その質問を待っていた。レースへの感想などどうでも良いのだ。どうせありきたりの無い感想を述べてお終い。連中が妙に大人しければ平坦なコメントは加速する

のだから。

 言ってしまえば、その質問に答えるためだけにこの場に出た。このまま聞かれず仕舞いだったら、一人でマイクを奪って勝手に宣言していたところだ。

 

「宝塚メッチャ出たいです」

「それは何故?」

「多分、サイレンススズカ先輩も出ますよね。俺、あの人を負かしたいんです」

 

 どよめく取材陣。これは実質形式問わず、紛れもない宣戦布告だ。

 

「勝って、俺が上だって教えてやりたいんです」

 

 始まってすらいない中で、些か過剰に捉えられるくらいの勝利宣言。

 他はともかくG1だ。同じチームで走らせるのは、互いの潰し合いにも繋がる。大抵は避けるのが定石であり、常識でもあった。

 それらを一切合切無視したカイトの発言は、元々の注目度もあってか、それはもう朝刊を揺るがすだろう。

 

「同じチーム同士での争いとなりますが、それはトレーナーの方針なのでしょうか?」

「いや、俺が頼み込みました」

「宝塚には誰もが出れる訳ではない事を知っての発言でしょうか!?」

「もちろん。なのでこの場を借りてお願いしたいなって」

 

 ここまで予定調和、なんて嘯けはしない。そこまで器用ではない。これまでのエイヴィヒカイトが見せてきた走りが、期せずして布石となっているだけだ。

 しかし布石は布石。先達へ届き得ると確信させるに相応しい結果を叩き出しているエイヴィヒカイトへ、より強者との迎合を望む声があると知っている。それ以上にエイヴィヒカイトを這いつくばらせて欲しいと望む声も、多分に聞こえる。

 カイトの異端性から表には出づらいその意見を、思いっきり焚き付ける。

 

「俺を宝塚に出させてくれるなら、エイヴィヒカイト対サイレンススズカなんてカードが、間近で見られるかも知れません」

 

 そんなにも価値のある対戦カードかはさておき、価値があると思わせられたのならそれでいい。

 だしにさせてもらったサイレンススズカには悪いが、使える物はなんだって使う主義な後輩を持った末路である。今度苺大福奢るから許して。

 もちろん使えるモノがサイレンススズカだけなハズもなく。

 

「俺が気に入らないそこのアナタ。俺を宝塚に出してくれれば、アナタの推しが俺を叩き潰すかもですよ? ……例えば副会長とか、メジロ家の先輩とか」

 

 先輩方へ向ける矛先はデタラメに、全方面へと喧嘩を売る。

 ヘイトを向ける者とは、向けた者を矢面に何かと立たせようとする。

 過去と似たような連中がエイヴィヒカイトのアンチなら、これである程度の票は獲得できる。いるかどうかも不明なファンも、入れてくれるなら助かる。

 

「よほどの自信をお持ちのようですが、もし出られなければどうされるつもりですか」

「いやーそれ悩んでるんですよねー……一応戦績的には出る実力はあるはずなんですけど」

「エイヴィヒカイトさんにまつわる例の件次第、という事でしょうか」

「両極端なら出れるんじゃないかと思ってます。目障りなのか、受け入れられているのか。どちらも満たなければ、俺はその程度の走りしかして来なかったってことですから」

 

 それが無理ならそこまで。土台無理な話なら、自分は尚も乗り越えなければならない。

 

「なので、試しに俺を出してみてください。損はしないかと」

 

 誰にとっての損得かは、明言しない。

 客は衝撃的な光景が見れて、カイトは夢へ近づく。ともすれば完璧なWIN=WINだ。

 あとはもう、三女神のみぞ知る。

 

 

 日本ダービーとは、誰もが望む特別な称号。三冠の一つに数えられど、その中でも一際大きく輝く冠。

 スペシャルウィークを初めてとする、彼女達が目指すのがそれだ。ダービーだけを求める者もいるくらいだ、その輝きの強さも分かるものだろう。

 そんなダービーだが、一説には最も運の良い者が勝つらしい。これは運で全てが決まる、などと投げやりな論ではなく、運すらも味方にする気概が必要という論と見ている。

 このレースに挑むものは皆が例外なく強者。誰もが執拗なトレーニングを重ね、誰もが充分以上の自力を手にする。そうなれば能力値が並ぶのも納得で、その頭を一つ抜けるために、運という不確定要素が必要なのだ。小さな偶然を取り逃さない者だけが、横並びの先へ行ける。

 

「スペシャルウィークの仕上がりはどう?」

「やれることはやった……後はあいつが勝つだけだ」

「そ、なら大丈夫でしょ」

 

 調整はこれ以上ない。後押しの運は四葉で補う。本人の気合も十分。なるほど確かに、後は勝つだけだ。

 

「ダービー、か」

「出たかったか?」

「いや、俺はオークスでいいかな」

 

 皐月賞以上、オークスも超えた歓声を聞けば、最大の祭典と言われるのも納得である。

 スペシャルウィークも何気に本番に強いとはいえ、これほどの大舞台となるとどうなのだろう。と、そんな杞憂は即座に消え失せた。

 

『――奇跡を起こせ! スペシャルウィーク!!』

「いい顔してるね」

「ええ、きっと大丈夫……」

 

 人参先輩のお墨が付いた。スペシャルウィークの努力を間近で見ていた彼女が言うのだ、きっと大丈夫。

 なのだが、隣を見れば我らがトレーナーは慌てふためいているようで。

 

「スぺが小さい……?」

「トレーナー……逆ですけど……?」

 

 なんだって本人以上に緊張しているのだ。ちょっと笑ってしまうではないか。

 

()()()スペシャルウィークが勝つさ」

 

 そんな確信がある。

 彼女が日本一を目指すなら、日本ダービーなんて逃すはずもない。

 明るいだけじゃないのがスペシャルウィーク。夢への執着は、余人が考えるよりも、きっと重い。母親への誓いがそうさせるのなら、それがどこまでも力になると、カイトは経験則で知っている。

 だから大丈夫。今日の勝者はスペシャルウィークだ。

 

 

 同着なんて判定があることを、カイトはあの日初めて知った。座学で習った覚えは無いが、あんな事例はそもそもが少ないのだろう。

 今日は似たようなことが起こるのか、果たしてどうだろうか。

 

「まあ、無いか」

 

 バ場へ通じる道を進んで、独り言ちる。

 先で起こる結果は二択だ。当然のように勝利を手に入れ進む。呆気なく敗北を植え付けられて終わる。

 レースは勝ち負けの発生する競い合いだ。ただ独りの勝者、それ以下のその他。競争であるならその独り以外は皆一様に傷つく。みんなでゴールなんて陳腐なエンドは訪れない。何かを傷つける熾烈な世界。

 だからエイヴィヒカイトは、エイヴィヒカイト以外のすべてを傷つける。

 それは、同じチームの先輩とて例外ではない。

 

「……副会長?」

 

 壁にもたれかかる副会長。レアフルーツは、カイトの姿を確認すればこちらへ顔を向ける。 

 

「どうしたんです」

「よくも焚き付けてくれたものだと、お前に一言いたくてな」

「あー……はい、その節は――」

「謝らなくていい」

 

 平謝りしようと構えれば、手で制される。

 よくよく見れば、副会長はちっとも不機嫌そうではない。むしろ獰猛とも取れる口角で、愉しげに薄く笑っている。

 ああこれあれだ、宣戦布告の意趣返しだ。

 

「やはり舐められた礼は、ターフの上で存分にしてやろう」

「そうですか。……うん、怒ってないならよかったです」

「……その余裕、崩すのは私だと心得ておけ」

 

 それでも少し苛立った様子で、足音を響かせながら一足先にターフへ向かう。

 失礼な態度をとってしまっただろうか。腰低く低姿勢でいたと思ったが、どうにも自分はその辺の機微に疎い。

 でも走りで語れというなら話は早い。存分に背中を見せつけることになるし、ついでに勝手に汲み取ってもらおう

 

「――カイト…………」

「? ――――べ、…………メジロドーベル先輩」

 

 ――やっべー

 

「……久しぶり。十年ぶり、だね」

「はい。会見じゃ引き合いに出してすみませんでした」

「……別に、アタシは大丈夫。ブライトも気にしてないよ」

「そうですか、よかった」

 

 可能性は十二分にあった訳だが、副会長との会話で予想外に時間を取られた。このまま話し込むのは不味い。大いに素敵に半端なく不味い。

 だって多分、このままじゃブライトもやって来る。今日ばかりはサイレンススズカなんて、強大で気を抜けない相手だってのに、これ以上メジロ家が増えればカイトのメンタリティーはクライシスの崖っぷち。

 ブライトの発するぽわぽわは、カイトにとって部が悪すぎる。なんとか会話を早いところ切り上げて、ベルから逃げなければ――――!!

 

「じゃあ俺はこれで」

「えっ、待っ」

 

 本当はサイレンススズカにも謝りたかったが、ゲート前で済ませるしかない。

 白フードはこのためにあったのだ。深くかぶれば、五割ちょっとの小走りでこの場を逃げていく。ごめんベルちゃん、その呼び止める声は、多分今後も聞く気がない。

 どうやらカイトが昔馴染みとの話が込み合うと、メッタメタに泣かせてしまうと最近気づいた。オークス翌日のマックイーンみたくガン泣きされるのは御免だ。恨むぞアルダン。

 そうしてカイトが決戦のターフへ踏み込めば、割れんばかりの歓声。

 

「うるさっ……あ、先輩」

 

 既にゲート付近で待機しているサイレンススズカ。これならすぐに出てきたほうが、ベルに捕まることもなかった。

 ちょびっと項垂れながら、エイヴィヒカイトもゲートへ向かう。

 すると観客の中に、不安げなオッサン一人。その周囲には見知った面々。不安げなのは、芦毛の一名を除いて全員らしい。

 

「ちーっす、スピカのみなさーん」

「カイトさん……」

「どうしたスペシャルウィーク? なにをそんな落ち込んでるんだ」

「スペ先輩、どっちを応援すればいいのか悩んでるのよね」

「いやサイレンススズカ先輩でいいでしょ」

 

 そんなのは迷う必要も無く、サイレンススズカ先輩一択だ。憧れの先輩の晴れ舞台だ、迷う方が失礼なまである。

 

「で、でもそれじゃカイトさんが……!」

「いいのいいの。どうせ――俺が勝つから」

 

 ヘラヘラと笑いながら、目を見てそう宣言する。

 サイレンススズカ贔屓の彼女には悪いが、結局はそうなる。だからどちらを応援しても、その結果は変えない。なら後悔しない方を応援した方がいいだろう。

 

「どっちも頑張るだろうからさ、両方応援するでいいんじゃねーの? てかそれでいいだろトレーナー」

「…………ああ、分かってるよ……」

 

 分かってはいても、そう言いたげだ。

 このトレーナーは考えすぎている。もっと気楽に考えればいいのだ。どちらかが負けたとて、互いにそれを恨むことはない。ましてや八つ当たりなどするような人柄でも無い。力を入れずに見守ってほしい。

 

「おにっ…………コホンッ……カイトさん、頑張ってくださいまし」

「うん、ありがとうメジロマックイーン」

「いえ……これぐらいは」

 

 まだ少しぎこちないが、じきにこの距離感も慣れがくる。それまでは周りも見て見ぬふりを続けてほしい。まったくもって気遣いのできるチームメイトだ。

 そろそろ行かないと不味いだろう。レース前にサイレンススズカにも挨拶しておきたい。

 白衣を大きく翻して、カイトはゲートへ向かった。

 

 

「すみませんでしたサイレンススズカ先輩」

「もう謝ってもらったもの、いいのよカイトくん」

 

 一番人気のサイレンススズカと、人気率圧倒的ドベのエイヴィヒカイト。このタッグは割と貴重な絵面なのではなかろうか。

 実際注目度が半端ではない。大逃げと大追い上げ二人の実力は、誰一人として無視ができない。

 

「でしたら遠慮なく追い抜きますので、よろしくです」

「……うん、よろしくね」

 

 期待、している。

 スペシャルウィークの走りを見てから、ずっと羨ましかった。楽しそうに走れているのが、ずっと妬ましかった。その喜色満点な走りに焦がれて、自分もそう走ってみたくなった。

 スーパーカーと走ったのも、それが理由。誰よりも楽しそうに走るその姿には、スペシャルウィークと似通う部分があって、でも彼女しか持っていなかった魅力が欲しくなった。

 今日ここまで、得られることはなかったけれども。

 それでも前兆は見た。楽しくなる予感のような蒼色と目が合った。それまでの繋ぎに、サイレンススズカはなってくれるだろうか。

 高望みしすぎていないことを願って、サイレンススズカだけを意識する。

 

「……」

 

 今日はどうしようか。いつもなら後ろからだが、並走気分で飛ばすのも悪くない。

 戦術も揃えて一緒に走れば、楽しいなんて感情も生まれるかもしれない。

 

「……いやでも、どうしようか」

 

 らしくない走りをして負けてしまえば、それこそ目も当てられない。

 やはりいつも通りに走ろう。優先順位としては楽しむよりも無敗だ。そこを失念しては本末転倒。

 

「ああ、後ろから全抜きだ」

 

 結局毎度のゴリ押し勝負。

 ゲートの中で息を整えて、その瞬間を待ちわびる。

 ベルやブライトから向けられていた視線も、もう感じない。各々がそれでころではない。

 して、扉は――――開かれる。

 

 

 エイヴィヒカイトのスタイルに、スタートダッシュの必要性は無い。出遅れ上等の、極限の追い込みこそがエイヴィヒカイトの確立した唯一無二。

 

「――――!」

 

 風を切り裂く一陣の逃亡者。

 レース開始から即座に飛ばすサイレンススズカ。二番目との差はどんどんと離れて、異次元の速度で先頭を駆ける。

 他であれば掛かりを恐れるだろう。ただし彼女は例外。

 

「飛ばすぞ――――!!」

 

 大気を轟かせる究極の踏み込み。

 レース開始から二百メートルの位置で、黒白の世界が広がるエイヴィヒカイト。最後尾手前との差はぐんぐんと縮まって、絶対の速度で先頭へ迫る。

 他であれば仕掛けを間違えたと懸念するだろう。ただし自分は例外。

 存在感を示す例外二名が、レースの流れを形作る。けれどそれは他者には介せない、二人だけの空間。全力で以って置いて行かれるのを、遅延させることしかできない。

 口火を切ったのはサイレンススズカ。本格的な始まりを呼んだのはエイヴィヒカイト。その瞬間から、二人だけの時間が始まった。

 残り二千メートル、それが今のエイヴィヒカイトが保てる黒白の期間。伸ばしに伸ばした絶対の刻。

 

「――邪魔、――だな――――」

 

 セオリー無視の大暴れ。レースを荒らして散らかし尽くす暴君。

 目の前の存在須くを貶める、退廃の化身。

 絶望に酷似したプレッシャーが、前方を走る者たちへ襲い掛かる。

 

「これほど、かっ!!?」

「――――」

 

 説教でよく聞いたような声を、黒白の自意識が跳ね除ける。今は彩りは要らないと、モノクロ以外の全てを拒絶していく。

 針が刺さるような痛みも、即座に消える。

 生きる上で感じる脚の重みは、触覚と共に剥がされ軽くなった。

 日々感じてた空気の味は、無味無臭のガソリン味。

 走る機能以外の生体は、この数千メートルの間だけ破却された。

 黒白に見える縞模様を、一人追い抜けば二人目もすぐさま追い抜く。驚愕の声も、食らいつかんとした表情も、今のエイヴィヒカイトには必要ない。

 捨てれば軽くなる。重荷を捨てれば軽くなる。軽くなれば早くなるかも。背負うモノが無ければ速くなる。

 所持品は捨てろ。必要なのは、傷の如く刻まれた誓いのみ。

 傷の鼓動を燃料に、全身は奮起を続ける。

 

「――――」

 

 そうすれば見えてきた。

 孤独に走るその背中。楽しそうに駆ける灰色の背中。

 その背中に追い縋るのは、当然の予定調和。

 宣戦布告、実践の時。

 

「――――!?」

 

 焦っているのを感じれない。カイトの足音はよく響くらしい。だから今に影を踏まんとしている事を、彼女はきっと気づいているのだ。

 一歩、二歩、三歩、四歩、五歩目で影を踏み抜いた。その足跡は、ターフを深く削る。

 射程範囲内。先頭致死圏内。もうカイトは、その首を見据えた。

 

「――――」

 

 ああ、並んだ。

 横並びで最終コーナーを回る。

 此処だ。此処がこのレースの、本当の始まり。この瞬間に比べれば、規定されたスタートがどれだけ意味のないモノなのだろう。

 横への意識は無い。視界に入らないくらい走り切れば、必然的に勝ちなのだから。だからエイヴィヒカイトとサイレンススズカが見据えるのは、目前のみ。

 二人が望む景色は、求める未来は、どんな時でも前にしか無い。

 

「――――っ!!」

「――――ッ!!」

 

 ただ、困った事が一つだけある。

 ――これ以上、伸びねぇ

 ――これ以上、伸びない

 そんな確信を両者共に抱いていると、互いに確信している。

 サイレンススズカの速度と粘りが、想定よりも強すぎた。正直追い抜けると自信満々だったが、彼女の最後のスパートは、カイトのスパート速度と遜色が無い。

 互いに全力で、競ってその全力は引き伸ばされて、それでもまだ並んだまま。

 冗談半分で同着あるかもなんて思ったが、このままでは案外あり得るかもしれない。同じチームで仲良く同時にゴールなんて、なんとも仲良しで、チームメイトも喜びそうで、そんな光景がカイトにとって――――――知ったことではなかった。

 

「――ァ――――!」

 

 仲良しこよしでもなんだっていい。エイヴィヒカイトが欲しいのは成果だ。それが手に入るなら、同時ゴールなんて結末も悪くない。

 でもそれは、今じゃ無い。今それだけは、絶対にできない。

 ギリギリまで競って、その果てに同着など。そんな姿が最強などとは片腹痛い。

 エイヴィヒカイトが目指す高みは、その程度では座せない。

 エイヴィヒカイトが求め欲する夢は、それっぽっちでは叶わない。

 完膚なきまでに勝たなければ、普遍的最強に収まってしまう。

 だから踏み抜いたのは、触れてはならぬ限界点。

 以前からちょくちょく触れてはいたデッドラインを、これでもかと力を込めて踏み砕く。

 

「――――ッッッラァァァ!!!!!」

「――――!?」

 

 生物を縛り付ける戒め。恣意的にぶち壊せば、引きちぎれる音が()()()

 鎖を解かれたエイヴィヒカイト。思い描いた未来通りに身体を動かせば、以前からの罅が広がった音に()()()()()

 生物としての設計図から漏れた出力が溢れ出す。沸き立つ全身の筋肉がスパークして、臨界知らずに走り出してしまう。

 危険信号は破損済み。思い留まる思考はロック済み。遮る本能と常識を投げ捨てて、エイヴィヒカイトは向かってはならぬ領域へ踏み込んでいく。

 黒は遂に中心を塗り潰して、黒で埋まった世界を白が薄める。

 エイヴィヒカイトはただ独り、灰色の世界に存在している。

 鍛錬と才を掛け合わせた、領域(ゾーン)と呼ばれるモノとは違う。エイヴィヒカイトのそれは、根幹を削った場凌ぎの才覚。使い潰されていく消耗品。先の限界を摩り下ろして、現在へ持ってきている。

 だからこそ、薪としては適しているのだろう。

 

「――――ぁ、ぇ――――?」

 

 ――なん、ここ、どこ、?

 なんで自分は此処に居るのか、一瞬だけ訳が分からなかった。

 摩耗された自意識が隙を見つけて、辛うじての停止命令を出そうとする。

 止まれ。進むな。帰ってこい。辞めろ。行くな。戻れ。戻れ。戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ、戻れ戻れ――――ない。

 もう、どこにも、もどれない。

 境界を更に踏み越えれば、自らを保とうとする自己が、ようやく観念する。

 この瞬間、エイヴィヒカイトに存在する全ての意見が、ようやく一つに重なった。

 

「――――勝つ――――!!!!」

「――――っ! ――ぁっ――――」

 

 それだけが、エイヴィヒカイトがレースへ求める全て。

 勝手に押し付けていた期待は外れて、結局心境はいつもと変わらない。

 そして、エイヴィヒカイトはズレる音を聞いた。

 

 

 そして、カイトくんが横をすり抜けていく。

 私が抜け出せなかった領域を、彼は容易く飛び抜けていく。私が欲しかった景色を、私の見たかったモノを、彼が独り占めしようとしている。

 失速を捨てて、息を捨てて、身軽が極まったカイトくんは緩やかに駆け抜けていく。

 

「ぁあ――――っっ!!」

 

 その背中に私が届かない。

 影だって、踏ませてはくれない。

 私がこんな事を考えている余裕があるのは、私がもう追いつけない事を確信しているから。

 それを自覚すれば気は逸って、それでも距離は遠のくばかり。

 

『――――エイヴィヒカイト!! 一着でゴールイン!』

 

 向かい風を受け止める純白の外套が、ゴール板の横で大きくたなびいた。

 私が本当の意味で走れるようになって、初めて負けた日だった。

 

 

 レースは終わり、次はウイニングライブだが当然出ない。

 理由はいつもの仮病、でも無い。今回は本気で足が痛む。でも多分、トレーナーには伝えられない。伝えたら付いてくるから、今回同行されると、多分カイトは困る。

 ぎこちない歩き方を誤魔化そうとして、逆にぎこちなくなっている。もう面倒だから、庇うのはやめよう。そう決意して、いつも通りの歩きでタクシーを呼びに行く。

 程なくしてやってきたタクシー。今さっきまでカイトの走りを見ていた観客にジロジロ見られながら、独り車へ乗り込んだ。

 病院の住所を教えて、熱を持った足を確認しようと、制服の裾を少し上げれば――

 

「うっわぁ……真っ黒」

 

 宝塚記念一着。それもサイレンススズカという強敵相手に大差をつけての一着。

 たった一勝のためにその代償は、あまりにも重い。

 結果的に夢から遠ざかったのかもしれない。と、医者は言うだろう。トレーナーもそう言うだろう。

 でも違う。これでいい。これが一番順調な道のり。

 カイトが目指す夢へと、確かに進んでいる。今まで以上の進行度に、分かりやすく笑みが浮かぶ。

 幼少期に夢見た希望に導かれて、カイトは確かに未来に進んでいた。




マックイーンとのあれこれはまた今度
アルダンお嬢はコッショリコソコソとレース見てます
従姉も見てます
アニメにゃいないメンツは史実から引っ張った
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