「やっぱ強いな、グラス」
バ群から抜き出る群青の影。あのメンツから抜きん出たのは、間違いなく彼女の実力だ。半バ身まで追い縋るブライトもいたが、今一つ届かなかったのは残念だったと思う半面、当然だとも思う半面。
それくらい最後の脚は、鋭く強い。
確かな実力を、確かな舞台で示して見せた彼女には、少しの嫉妬を覚える。
「アレに勝ってれば、さらに近づけたろうに……」
「一緒に走りたかった?」
「と言うよりは、ただ勝ちたかっただけですかね」
「へぇ〜? ふふっ……相思相愛なのね」
的外れにも程がある冗談を抜かす、ハルゲンムミー先輩。観客席の中で見つかってしまった失態は大きい。やはりこの伊達眼鏡には、ファッション以外の存在意義が無かった。売ってしまおうかしら。
中々にお茶目な先輩故、距離感がちょっと近いこのヒト。
その手の人柄は、今はちょっとキツい。
「そんなんじゃないですよ。俺はただ、有馬記念って称号が欲しかっただけなんで」
「……残念だったわね」
「ええ、本当に」
己の間の悪さに苛立ちが募る。どうしようもない事象に、腹が立ってくる。
でも、いま当たり散らしても意味は無い。無意味を行うほど、暇では在れない。
「あらあら、手を振ってるわよ?」
「俺じゃなくてファンでしょ」
「すっごくギラギラしているけれど、間違ってもファンに向ける目ではないわね」
確かに先輩の言う通り、穏やかとは程遠き怪物の視線。
あの視線を独占するのは、現時点ではカイトだけだと自惚れてもいいのだろうか。
今の自分には、答えることが出来ない現状だけど、ああも意識してくれているのは喜んでも良いのだろうか。
「……んじゃ、帰ります」
「ライブは見ていかないの?」
「興味無いので」
ウイニングライブを見るほど、グラスへの興味を沸かせる余裕は無い。自分が走ろうとしていたレースの結果を、今日はこの目で見たかっただけ。
それが終わればすぐに帰路へ付いた。
歩きながら思い返すのは三日前。やよいちゃんに呼び出されて、たづなさんからよく分からないことを言われて――――
――――男だからではなく、ウマ娘だからってことですか」
どちらかでも違えば、こんな事は起こらなかった。
「……まあ、俺は娘では無いですけどね」
「問題視されているのはそこなんです……。ウマ娘が走るレースは、言ってしまえばウマ娘の為にあります。そこでカイトさんのような、……曖昧な方が参加されるのには、その……」
「確かに、俺は扱いに困りそうだ」
男であり、ウマでもある。どちらの要素も含んでいるからこそ、そこが今回の問題点。
昔から頭を抱えた相違点が、此処でも道を塞ぐ。
「人間のレースにウマ娘が出るようなものとか?」
「無念ッ! ……少なくとも、運営側にはそう捉える者も多く、世論もそれを支持する形となってしまっている……!!」
「……なるほどなぁ」
最近は鳴りを潜めた気もしたが、カイトが関心を向けていなかっただけらしい。無関心は防衛手段でもあるが、自己へ無関心すぎると不味いと今更になって学べた。
レースに対する姿勢が、不適切との声は前から聞いていた。ウイニングライブに出たことすらないのだ、アイドル性も求められる存在としては、批判もむべなるかな。
それとは別の、言いたいだけな連中もいるとの話だがそれはそれ。
「カイトさんがここまで無敗で、あまりに圧倒的な戦績を残しているのも……皮肉な話ではありますが……」
別種なのだから勝って当然。そもそもが肉体の規格に差があるのではないのか。レギュレーション違いの競技に出ているのではないか。ウマ娘達の走る舞台は合っていないのではないか。それを本人も知っていて、隠したまま走っているのではないか。
――そのまま好き勝手に走らせれば、他の娘達を潰してしまうのではないか。
他はともかく、最後の懸念は合っている。実際、トリプルティアラを獲った過程で、泣かせた者も多くいる。
一生に一度の夢を、自らの意思で踏み潰した実績もある。
「そりゃ一緒に走らせたくはないよな」
納得させられる部分もある。意図してそうしていた部分もある。そんな存在は、夢を夢見る者たちへはあまりにも毒だ。
毒を薬にするのは知恵ある者だけ。薬だと断定できるのは気概ある者だけ。大抵の一般は、毒なんて危険物を遠のけさせたがる。これはある意味で必然だ。
「停止ってのは、いつまでとか決まってますか?」
「……ひとまずは有馬を。その先はまだ何も……ですが」
「直近のG1ならフェブラリーステークス……とかも?」
「……出られない可能性が高いです」
排斥の波。隔離とも言うべきか。
仕方ない話ではある。社会とは型に嵌った生き方を好む。新たな種に沿った新体制が無い限り、エイヴィヒカイトのような曖昧な存在は許容しきれない。今回は悪意がどうこうではなく、この世界はそういうモノなのだ。
ただ、それでは夢に届く事がないのも事実であり。
今のカイトには、なりふり構っていられないのもまた事実。
「どうすれば出れる。有馬は……この際しょうがないだろうけど、でも、この先のレースには、どうすれば…………やよいちゃん?」
「……URAとて頭が硬いだけではない! カイトがそれを望むのなら、差し当たっては定期検診を受けてもらうことになる! たづなよ!」
「はい。カイトさん、こちらをどうぞ」
そう言って渡された、見覚えがあるような紙。名前なんかはもちろん、血液型、血圧、脈拍、体脂肪率、その他もっとの情報を書き込めと言わんばかりの空欄が羅列している。
「通院ッ! 週四回、こちらが指定する病院で検診を受けてきてもらう! 無論、その分の謝礼も出よう。そうしてカイトの存在を解明する事ができれば、晴れてトゥウィンクルシリーズへの復帰が約束されるッ!!」
「俺、もう似たようなの受けてるけど」
「それよりも、より詳細に調べます。ですので、今後は食生活や運動量なども指示を受けるかと思われますが……」
「ガッチガチに管理されるわけですね」
レースに出られないなら過度な運動も意味が無い。都合は一致している。
まさか切り開かれて標本にされることもあるまい。そう信じる。
「これで確実に復帰の目処が立つかと言えば、決まったわけでは無い。しかし、確かな一助へとなるのも事実だ!! ……カイトには負担をかけてしまうが、我々も手助けを惜しみはしない!」
「ははっ……嬉しいことを言ってくれるねやよいちゃん。……うん、頑張るよ」
紙を受け取って、その場を後にする。早速今日から行かねばならぬらしい。面倒だが前向きな行動なら、やる気も湧いてくる気がする。
ふと、部屋を出る前に、たづなさんから声を掛けられた。
「カイトさん……」
「ん?」
「容体は、どうですか……?」
友への思いやりから、聞かずにはいられなかったのだろう。そう言えば最近はそう言った話もしなかった。もっと細かに話してやれば良かったが、そもそもカイト自身、会っていないのだから話の種も無いのだが。
たづなさんだけでなく、やよいちゃんも気になるようだ。心なしか、頭上のにゃんこもこちらを見つめている気がする。
嘘を吐いても仕方ない。だから、端的な真実を伝えた。
「死に掛けてましたよ」
「――――え?」
でも、それは夢を求める以外の事だから、夢を求めるカイトにとってはどうでもいい。命を保てるなら、それで良い。自分の中ではそういうことになっている。
絶句の表情に背を向けて、その足は指定の病院へ向かった。
同じ病院では無いのは、ちょっとだけ気が楽かもしれない。
そんな味気の無いクリスマスだった。
「……寒い」
白い息を吐いて、日の出を眺めながら道を歩く。
よく眠れず深夜に目が覚めて、じっとしていられなくて始めた買い物がてらの散歩。じんわりと身体へ染み渡る疲労は、肉体の細かな部分を壊して、不要なストレスを遠ざけてくれる。
他に没頭しながらの考え事は、余分な気障りを打ち消して、普段なら思い返すだけで機嫌が落ちていく事も、今なら落ち着いてリプレイさせられる。
『残念です……でもまた、次の機会が、きっとありますから……』
「次……か」
物分かりを良いフリをして、グラスはそう言ってくれた。気立ては良い癖して、意外と繕うのが苦手な娘だったらしい。
笑顔を装ったその一見、眉を顰めて、唇は横一文字に結ばれて、握られた拳は力強く震えていた。言ってやろうかと思ったが、そうさせたのは自分であり、流石にそれはやめておいた。
『――本当は、もう二度と走ってほしくないです』
「よかったな…………そうなりそうだよ」
結局は、彼女の望んだ方向へ向かいつつある。意図したものではないだろうが、今頃それを知って喜んでいたりするのだろうか。
せせら嗤ったりは、きっとしない。そんな娘ではないと知っている。
でも多分、もう会わないだろうから、彼女の反応を知る事もきっと無い。
それに何を思うかなんて、考える資格すらカイトには無い。
「…………」
男に大声で怒鳴られて怖かっただろうに、分かってくれるだなんて希望は抱く余地も無い。
「あー、きっついなぁ……」
誰の元にも、明日とはやってくる。
それは平等に降り注ぐ、必然の権利とも言える。生者であるなら誰にだって受け取れる、保障のようなもの。
「ぜんぶぜんぶ、めんどくなってきた」
ただ、来てほしくない明日もある。
平等とは、残酷さと優しさを兼ね備えている。
時間の経過とは、それがより顕著だ。
「……明日なんて、来なきゃいいのに」
今日は十二月三十一日。
メジロ本家へ向かわねばならない、今日その日。
無期限のレース停止を宣告されてから、畳み掛けるような面倒事に身体が重くなる。
本当に本当に本当に、心底から憂鬱だった。
ジョギングを終えて、共犯者へ今後の相談文面を打っていれば、朝っぱらからの電子音。玄関の向こうに誰かが来た証左。
彼女ではない。彼女なら、鍵を勝手に開けて入ってくる。この家のインターホンを押したのは、初めて朝に来た日だけなのだから。そんな日々をしかと覚えているのだから、忘れるなんて――――それはともかく。
多少の期待感は知らないフリをして、玄関へ向かった。
「朝だぞ……?」
「お迎えに参りましたわ〜」
「はえーよ」
向かったらなんかいた。
時計を確認して首を傾げる。はて、まだまだ朝食も食べていないし、予定では昼過ぎに向かうハズだったのだが。ひょっとして時間を間違えちゃったのかもしれない。ぽわぽわ具合を極めた彼女なら、断然あり得る話だ。迎えも頼んでいないが、それも勘違いした可能性が大いに高し。
ブライトの後ろから聞こえてくる、車のアイドリング音。このままでは拉致される可能性が大いに高し。
来てくれたところ悪いが、お引き取り願おう。第一に車へ乗るだなんて、必要に迫られでもしない限りお断りだ。
「よし、ブライト」
「? なんでしょうか?」
「帰れ」
「そうですわね〜。それでは参りましょうか〜」
「ファッ!?」
やっぱり日本語が通じないどうして。
肩を押そうとした手首を掴まれ、玄関の外へ引き摺り出された。一瞬の手際だった。靴を確保できたのは辛うじての功績。瞬発力、鍛えておくべきですよ。
力強く手を引かれて、あっという間に車の前まで連れていかれる。家鍵も掛けさせてくれないのか。今日は妙に、強引さに拍車が掛かりすぎている。
やたらと機嫌が良さそうなのは、気のせいか。
「っ……おい!」
「はい?」
「……逃げないから手を離せ。あと、車じゃなくて電車で行くから」
チラリと横目で見れば、高級感のある艶やかな黒い車。ボロアパート前に止めるのは、外観的に不釣り合い過ぎる。
高級感のある座席は、確かに乗り心地良さそうではある。ただまあ、居心地は最高に悪そうでもある。出来ることなら全力の遠慮を致したい。
そんな気配を感じ取ったのか、ブライトは珍しく話を聞いてくれた。
「……そうですか。それでは参りましょう〜」
「いやお前は先に行けよ。俺は出掛ける準備してから向かうから」
「ほえ?(何を言っているのだろう的な目)」
諦めは肝心だし抵抗も肝心だ。
しかし通じてくれるかは、また別の話でありました。
「……せめて着替えくらいはさせてくれ」
ジャージで行かせるのは流石にどうかと思う。かといってドレスコードなんて要求されても、そんな服を持ち合わせているわけでもないが。カジュアルな私服万歳。着やすい服こそ最高。
着替えを許容してくださったブライトお嬢様は、タキシード姿の男性へと窓越しに話しかける。運転手に帰るよう言付けたのだろう。仕事を失ってちょっとの困り顔が、窓の隙間から覗けた。決してカイトを恨んでくれるな。
「外でちょっと待ってろ。すぐに着替えてくるから……」
「お邪魔しますわ〜」
「…………」
会話を成立させよう。霊長であるのなら、必要不可欠なコミュニケィションですよ。その放棄は社会性を疑われますよ。なんて言ってもどうせ聞く耳持たず。カイトの抗議の声には飾りと化してしまう鹿毛色のあの耳、弄くり回してやろうか。
適当に腹へ入れる暇もなく、着替えた側から連れていかれる。
小さなレース場なら凌駕する、その巨大な屋敷。子供の頃に見れば、底の分からぬ果てしなさを感じたが、それは今改めて見ても変わる事がない。
「やっぱデケェな……」
着いたのは結局昼過ぎ。のんびりと電車を乗り違える誰かを制御していれば、それくらいの時間は過ぎる。乗り慣れていないのは分かるが、車窓の景色なんざ齧り付くほど珍しいものじゃないのだ。
家族で過ごした思い出を覚えているのは、三から五までの歳。その半分以上を、この屋敷で過ごせていた。
たった一年半にしかならない期間であれど、掛け替えのない期間だった事は言うまでもない。今までの人生の中で、幸せと呼べるのはその間だけ。
「あの花壇で一緒に日向ぼっこをしてくれたことを、覚えていますか〜?」
「……そんなことも、あったっけ」
日差しの差し込む窓へ目線を向ければ、手入れの整った花々。ラインナップは変わったが、大まかな形は変わりない。
ゆったりと無理矢理に手を引かれて、春の陽気のど真ん中でずっと眺めさせられたような。ブライトに釣られて、カイトまでうとうとしてきて、それを見かねたアル――――
「――悪い、覚えてない」
目を細めて笑って、そう答えた。
往生際が悪くて、どこまで女々しい男だ。
関わってくるのも自由。関わりを遠ざけるのも自由。前からそういう関係であろうとしていたのは、一体どこのどいつだ。
方向性がどうであれ、そういう結果になったのだ。いい加減に認識を改めろ。
「案内役買って出たんだろ? 早く連れてってくれ」
「はいはい。慌てないでくださいな〜」
「……調子狂うな」
のんびりとした先導を受けながら、小さく見える屋敷内を歩く。
昔はあった出迎えもないのは当然か。ブライトだけならまだしもって話だろう。使用人一人も見えないのは、逆に気を利かせてくれたのかもしれない。
嬉しげに髪を揺らすブライトに、気が乗り切らないカイトも続く。
見覚えがある景色が続く。踏み心地を覚えていた絨毯。窓の年季は多少の劣化が見られるが、よく手入れされている。なんにせよ、一般暮らしが染み付いたカイトには、居心地は良くない。
「……こんなんだっけ」
花瓶の置かれた位置が、不思議と低い気もする。飾られた額縁も、もう少し大きかったような。
当主の部屋までの距離はほどほどに遠い。けど、記憶よりも短く感じるのは気の所為だろうか。目視での歩数が、過去よりも早めの到着を予測させる。
「改装でもしたのか?」
「いいえ? カイトくんが知っているままよ」
「ふーん……」
釈然としないながらも、このペースでは十分とかからず扉へ着く。昔なら走ってこれくらいだったろうに、明らかに短くなっている。
「カイトくんも、大きくなってる証拠なのね〜」
「……ああ、納得」
ノスタルジーを感じさせる愛着は、この場所に残っていた。
思い出せば苦しい幸せを呼び起こすけど、それでもこの場所には、エイヴィヒカイトの起源となる思い出が残っている。
「…………」
ふと、一つの扉の前で、勝手に身体が立ち止まる。
過ぎた扉の数からして、大体この位置。
「カイトくん?」
「……この部屋って、今は、」
「その部屋は、なんだったかしら〜」
「開けて見ていい?」
返答を待つ前に、ノックを忘れて勝手に開け放つ。
誰も居ない。何も無い。でも、強烈に記憶に残る、訣別をし損ねた気配。
椅子があるべき場所に無い。寝具があるべき場所から消えている。引っ越してきたばかりのように伽藍堂なその部屋からは、過剰なまでに清掃が成された気配がする。壁も床も、汚れ一つない。赤いシミなんて、何処にも見当たらない。
「なにかありました〜?」
「いや、何にも無かった」
豪勢な電球も無く、きっと日が落ちればこの部屋は暗く閉ざされる。カーテンも無いこの部屋には、月の光だけが滞在するのだろう。
誰も住まない。何も置かれない。その判断は確かなものだ。
自殺未遂なんてコトが起これば、使いたがらないのも納得である。この部屋は、どうしようもない陰気で満ちている。この家に住む者には、不吉を予感させる嫌な場所だ。
「……懐かしいな」
「この部屋のこと、何か知っているの?」
「ああ、ちょっとな」
知らされていないのなら、知るべきでは無いのだろう。少なくともカイトは伝える気がない。こればっかりは、カイトから伝えるのはナシだろう。
知っているのは、あの時の大人達。それと、アルダンとマックイーンだけ。片方は忘れたようだが、もう片方は未だに覚えて、在らぬ自責で身を縛っている。
子供のバカが、少女一人の人生を雁字搦めにしている。
忘れれば良いものを、彼女はどうしてかその傷をほったらかす。
「…………行くか」
「ええ……カイトくん」
「あん?」
先程ブライトは、カイトが大きくなったと言った。背丈的にはそれはもう。十年の月日は、生物を変化させるに十二分な期間を有する。出来ることも増えた。高いところに手が届くようになった。買い物で荷物を多く持てるようになった。俗っぽいが、昔との変化はそれぐらいだ。
では肉体ではなく、精神はどうだろう。
「なにか、嬉しいことでもあったのかしら?」
「――いや、無いよ」
ヒトに傷を付けて、心を縛り付けて、仄暗い喜悦を得ること。
発端となった部屋を見て、空っぽなあの部屋に、未だ希望を感じること。
そんな自分が、精神的成長を得たのか。そんな答えは決まりきっている。
自分は成長していない。していないからこそ、こうしてバカげた道をひた走る。
「……無い、ハズだ」
歪んだ口角は意思ではどうにもならなくて、手で強引に戻すしか出来ない。
あまり綺麗ではない表情を見せないように、無理矢理手で覆って隠した。
当主との謁見まで、戻れば良いのだが。
「……」
「……」
「〜〜♪」
空気が重くて軽い。驚異の二律背反を体現させるのは、ひとえにブライトの呑気さによる功績だ。居てくれるだけでグラビティな空気を、半分の領域分一気に軽くしてくれる。一家に一人欲しくなる。でもちょっと緊張感が不足している感じはある。
慎ましくも確かな迫力を含んだ部屋に負けず、荘厳な覇を漂わせる芦毛の女性。
その色はマックイーンと似ていて、きっと彼女が年を取れば、こんな風格を持ち合わせることになるのだと予想させる。
「…………」
「…………」
「〜〜♪♪」
にこにこで一歩引いて見守ってくれるのはありがたいが、何も言わずなのはなんでですか。呼びつけたご当主本人も無言だし、当主の側付きも場を静観したままだしで、どうすりゃいいのか全く分かりません。
これはもしや、エイヴィヒカイトの謝罪を待っている可能性多分にあります。
「……ブライト、ちょっとだけ席を外してくれないか」
「ほえ〜?」
今度ばかりはそのとぼけた顔に押されると思うな。流されるにしても、時と場合があるのだ。
「ブライトお嬢様、ここは……」
「……むぅ~……」
執事がそう諭すが、不服を満面で表現している。そんなことをすればおじいちゃんが困るだろう。やめてあげなさい。
「むくれるなよお嬢様……お茶を淹れてくれるって話だったろ。準備頼む」
長話をするつもりはない。イエスマンに徹していればすぐに終わるだろう。のんびり屋なブライトなら、話が終る方がまだ早いかもしれない。
「スコーン、忘れんなよ」
「はい。まかせてくださいな~」
ぽてぽてと部屋から立ち去るブライトに手を振って、本題へと振り返った。
窓からの後光を従えて、相変わらずの迫力を感じさせる。それとも勝手にカイトがそう感じているのかは定かではない。
「……仲がよろしいのですね」
「いや、まあ、その……」
――そりゃもう、キレてるんだろうな
関わらないという契約を無視して、この一年は大いに関係を持っていた。ドーベルはまだ薄く、ブライトは多分きっとまだ間に合う。アルダンも、もう関わり合うことはない。一番の問題はマックイーンな訳で。
同じ学園、はまだ許容。同じチーム、この時点で契約は破綻。学園内チーム内に留まらず、プライベートでも関わりが強くなり始めている。
これでは話と違う。関わらないことを条件に、
母親の命を優先させるか、過去の縁を優先させるか。此処を出た時は迷いなく母親を優先させていたが、今はどうなのだろう。死へ向かう者と、今も健在である生者、そのどちらを自分は優先させるのだろう――――取り返しのつかない選択をしそうな自分は、それを、考えたくない。
「この度は、申し訳ありませんでした」
「……」
帽子を落ちないように手に抱えて、九十の角度を意識して、深々と頭を下げる。
「『メジロ家とは関わりを薄く在り続ける』。その誓いを破る結果になってしまったこと。それもメジロ家さいっ――」
歯を食い縛って、自分を全力で誤魔化す。
「――最高、傑作たるマックイーンと、再びの関係性を構築してしまった事実」
「……」
「誠に申し訳ありませんでした」
提示できる利は新種たるこの身体しか無い。使い潰してくれていいと言っても、興味が無いと突っぱねられたのが昔だ。レースの栄光も、現在では手にすることが出来ない。そんな自分には平謝りしか出来ないのが、正直なところ。
出来ることなら何でもするが、果たして名家の要求を満たせるかどうか。
頭を下げて、ただ言葉を待つ。
「顔を上げなさい」
「……」
言われたとおりに、伏せた上身を持ち上げる。
「まずは――」
「……っ!?」
とうとう来た。心の準備は不十分だが、やり過ごさねばどうしようもない。
まずはなんだ。まずは打ち首か。それとも地下労働か。まずは、なんて気軽さで飛び出していい罰ではないが、出てきても不思議ではない凄味がある。この婆さんの怖さは相も変わらずなようで、いっそのこと安心すらする。
「――無敗のトリプルティアラ、よく頑張りましたね」
「…………? ……っ? ……? ??????」
予想外の言葉を投げられたから聞き間違いだ。だってそんな、よりもよって一番在り得ない可能性を引き当てるなんて、一体どんな確立だ。
百歩否、億歩譲ったとしよう。それでも色々言われてから、最後の一言ならまだ分からない訳でもない。それが第一声で、それも声色が何故か穏やかだ。向けられる視線も暖かいのは気のせいか。
「?? え? あ、っと……????」
「貴方が目指すには辛い道のりだったでしょう。それだけでなくグランプリまでもを手にして、そんな困難を見事に遂げて見せた貴方を、私は誇りに思います」
「へっ……と? あり、がとう? ござ? います?????」
「本当に……母君と同じ道を、これ以上無い形で成し遂げましたね」
ベタ褒めってやつでしょうか。素っ頓狂な顔を目の当たりにして、笑みまでも追加されるのはちょいと恥ずかしい。
混乱の極みへと嵌り込む、エイヴィヒカイト。ビクついていた意味は何処へ向かった。
「マックイーンとは、今も昔のように仲良くやれているのですか?」
「へ?? っ! あ、いえっ、ちょっとギクシャクはしてますが、まあ、マックイーンは兄として慕ってくれてる……っっ!? も、申し訳ございません!!」
再び頭を思い切り下げて、自らの失言に唇を嚙み千切る。
今の一言は、絶対に言うべきではなかった。近づくことを見咎められているのなら、今の言は悪手以外の何物でもない。
ハズだった。
「責めてなどいません。むしろ貴方達の仲が良いことは、私からすれば良い報告なのですよ」
「? ……?????????」
何か、宇宙の法則が乱れに乱れた恐れがある。これはあれだ、僕らの与り知らぬところで起こってしまったのだ――――銀河ぶっ飛び宇宙最終大戦争が。それくらいの事象が起こらねば、こんな現実は認めがたい。
「で、でも! 俺はっ、自分は! 契約を破って……!?」
「その契約とやらも、貴方が勝手に押し付けてきたものでしょう?」
――そうだっけ?
尻尾やらを切ってから、ハイスピードでこの家を出たからか、あまりその時のことを覚えていない。
「い、ぁ、だって、そうでもないと母さんが……」
「……あの頃の貴方には、落ち着いて話を聞く余裕もありませんでしたからね。貴方に言われずとも我が家の総意を以て、全力の支援を行っていましたよ」
じゃあ何か。エイヴィヒカイトの勝手な思い込みで、勝手に距離を離して、勝手に契約なんて取り決めた気になって――――うわ恥っず。
的を外れた独り相撲って、こんなにもいたたまれない気分になるんだなって。
「――いやいや、だってですよ、あの頃は周囲から良い感情で見られていなかったじゃないですか?」
「……嘆かわしきことではありますが、それは事実でした」
「でしょ? だから俺はここから出ようって――」
「ですからその少数の者達は、既に解雇させています」
頭が痛くなってきた気がする。既にっていつからだ。出て行く寸前にはそんな声ちらほらと聞こえていた記憶があるが、そのあとすぐではなかろうな。
客観的に見ればそれじゃあまるで、カイトが勝手にこの家を嫌って出たような印象を与えているような――――
「……だから学園内で目が合う大体のメジロが、あんなキツそうな顔を」
「あの日からお嬢様方は、それはもう悩んでいらっしゃいまして……」
「言わないでくださいお願いします……」
厳格に見えていた白髪の老執事が、今じゃ穏やかにお爺ちゃんに見えてくる。てかもう孫を心配するような眼をしているだけの、ただのお爺ちゃんにしか見えない。そう言えば昔はよくお菓子を恵んでもらっていた。
エイヴィヒカイトが悪いのは間違いなかったが、その理由が違い過ぎる。一般以上に優しい彼女らは、原因が何なのか大いに悩んだだろう。仲良く遊んでいた記憶があれば、その疑問や悩みもそれなりに在ったはずで。
そりゃパーマーなんかは話しかけてこないハズだ。そりゃライアンなんかは気遣いマックスな目で見て来るハズだ。ベルちゃんだっておっかなびっくり話しかけてくるはずだ――――!?
「じゃあ、今日呼び出したのは、何の用なんですか……?」
「ご当主様は、年の瀬くらいは顔を見たいとお望みでございました」
「は?」
「最近ではアルダンお嬢様からのご報告をお耳にして、今年は可能ではないかと思われたのです」
聞けば聞くほど要らぬ誤解は解ければ、比例するように目の前の老婆が、孫が気になるおばあちゃんに見えてくる。これもしかして昔みたいに『おばあちゃん』とか呼んだ方がいいのかしら。
「そう言えばアルダンはどうしたのですか? ブライトと共に来たようですが……」
「――ある、ダン……で、すか」
「……?」
頬が引き攣るのを自覚する。キョトンとした様子からして、喧嘩してそれっきりなことは知り得ていないらしい。
汗が加速して、シャツが張り付くのを自覚する。手汗をズボンで拭けど、焦りは発汗を加速させる。
「いや、その、ですね」
「……何か、ありましたか?」
「何かって言うか、色々と、喧嘩? 的なことしまして~」
あ、眉がぴくっとした。
「……若ければそう言ったこともあるでしょう。年寄りからは聞かずにおきます」
「あ、はい。助かります」
そっと胸をなでおろした表情を見られたが、突いては来ない模様。あの迫力で詰められでもすれば、カイトはホイホイ白状する。コロニーでも落としそうなプレッシャーに、俗物たるカイトは抗えないだろうから実に助かった。
ブライトが迎えに来たのは、アルダンから頼まれたからだと言っていた。事情はブライトも聞いていないとも。それはつまり、誰にも言わずに抱え込んでしまっている可能性もある。
エイヴィヒカイトがそれを心配するのは、お門違いかもしれないが。
「本題に入りましょう。貴方の母君の話です」
「そっ、りゃ――――知ってますよね」
緩んだ顔がこわばる気配を感じる。
あの病院はメジロ家お抱えの内の一つ。母親の維持も一任しているのだから、知らない方が不自然だ。
当主の言う通り、今日はその件が本番。
頭で床を磨いてでも、維持の継続をさせてもらいたかったのだから。
マザコンで面倒なシスコンも兼ねてるって手が負えねーな