未踏領域で果てる   作:真の柿の種(偽)

25 / 85
地雷の断面図とか眺めてたら、いつの間にか色んな弾頭断面図を眺め始めていたそんなファンタジア


そのにじゅうさん

 チクチクと、生傷の絶えない日々だった。

 投げつけられるのは、野球ボールよりも二回り小さな石。砂利を使って礫を投げることも、よくあることではあった。登下校時はいかに避けるかが、その日一日の運勢を決める。ちなみに避ければ運が良い訳ではない。むしろ避けるほどに『生意気』だと言いがかって、濃密な日を過ごせるのも珍しくはない。

 下駄箱に置かれるのは、恋文などとは程遠く穢れた生ゴミ。わざわざ泥と混ぜてまで作ったカクテルの出来栄えは、嫌がらせのためだと考えれば高得点。

 死ねばいいと思う。

 周りもそうだけど、そんな境遇に身を置かざるを得ない自分が。

 

『いてっ』

 

 軽い腐臭が移った上履きを渋々履けば、皮を突き破る感触。

 画鋲なんて手垢のついた手法はもう古臭い。最新はガラス片がムーブメントらしい。細かく砕いて一見では見分からないようにして、それでいてしっかりと靴下を貫くように尖った欠片だけを選別していた。おまけに刺さる際に確実性を上げようと、土踏まずを避けて、踵とつま先の部分に集中して蒔かれている。

 いつもながら思うのだが、ここまでする労力と見合っていない気がする。よくもまあご苦労様である。その結果は、感染症の恐れを付与することに成功していた。

 最近では対象の反応も薄くなっているが、それでも飽きずによく続けることだ。

 

『また買い替え……は、無理だ縫おう』

 

 血汚れは洗えば消えるし、もう一足買うよりも縫って糸を消費する方が、圧倒的に安上がりとなる。

 

『あー…………腹減った』

 

 それよりも一番憂鬱なのは、嵩む出費の件。

 大食いでなくとも金を使う。贅沢なものなんて食べているわけではないが、それでもやはり食費はとめどない。

 小学生の頃から、給食なんて食べたことが数える程しか無かった。それも小学校へ入学してから、最初の二回のみ。それ以降は卒業するまで自炊の日々。なんだって給食費を払っているのに、食べさせてくれないのか。給食費を払わないでいようとすれば、泥棒だのなんだの、訳が分からないアンポンタンなことを喚き始める。

 しかし自炊に切り替えたところで、満足に喰えるかと言えばそんなことはない。

 食べようとしていたモノはまず捨てられる。なので予備の弁当が必須である。それで確実に余分な一食分が増す。

 服は縫えばまだ良しとする。でも食べ物は無理だろう。なんだって毎度毎度ドブの中へ捨てやがるのだ。せめてゴミ箱の中に投げてくれれば、漁って食べられるのに。金銭的圧迫が狙いなのだとすれば、その目論見は大当たりだと言ってやろう。今日のように飯抜きの日が割とあるのは、キミたちの功績だ。誇れよクソガキども。

 

『ま、そこまで考えてないよなぁ……』

 

 バカなガキの嫌がらせだ。ただ嫌がる顔が面白いから、だから趣向を凝らす。大人は止めることなく、これまた面白げに入れ知恵を働かせて、そんな螺旋は歯止めが利かない。待ったをかけるのも面倒臭い。

 単純な喜怒哀楽。誰もが持っている感情。新種であるカイトだって持っている、誰かを想い、何かへ向ける熱の総称をこの胸に宿している。

 この暗い諦観も、この寒いだけの苦痛も、どこにでもある普遍的感情。

 

『……あん?』

 

 腐臭を落とすついでに、上履き丸ごと水道で洗い流す。するとクスクスと囀る、嘲りの気配。

 振り返れば下手人と推測されるクラスメイト達。十中八九どころか十の割合で奴等の仕業と断定できる。それくらいにカイトから深い()()を、彼等は会得していた。日々の行いの賜物である。率直に言って死ねばいい。

 

『生き生きとしやがって……』

 

 心底から人生を楽しそうに噛み締める背中を見送って、吐き捨てるように呟いた。今日のところはこれで勘弁してくれないか。今月は特に厳しくて、昨日から何も口にできていないのだ。今日も朝昼晩抜かねば、シンプルに生きてけないのだ。なんて言ったところで、無駄な抗議に終わることを知っている。むしろ助長を促すだけだ。

 疲れた顔を一面に出して、上履きから不十分に水を切る。本来の仕様よりも高い頻度で水洗いを繰り返されたそれは、生地が剥げて靴紐はほつれていない所が見当たらない。買い換える羽目になるのも時間の問題だ。

 

『なんか、ぜんぶつかれた』

 

 今後も多用する言葉を発声して、一つまみのストレスを発散する。しかし息をする限り積まれていく憂鬱は、決して排出しきれない。

 この重たくて、背負い疲れたモノ諸共、全部死ねばいいと願っていた。

 そんな、中学時代――――

 

 

 ――――何が言いたいか。そんな過去故に、縫った後の抜糸は得意な部類のエイヴィヒカイトであった。それだけを伝えたかったのでした。

 

「ん、っと……どうかしました?」

 

 関心半分、痛ましさ半分の視線を感じて、ばあや殿へ話しかける。

 手首から思いっきり引っ張れば、縫合糸はするりと肌から抜けていく。肌の引き攣るこの感覚は、未だに慣れずに不快感を安定して供給してくれる。すごいぞ我が身体、ぶっちゃけありがた迷惑の極みである。そんな感情不要なのですが、如何ともし難いからこそ不快感なのである。

 切開跡へ沿うように、点々とした跡が続く。傷跡は出来れば残らないのがベストだが、速度こそ重視される今は、そんな贅沢を宣ったりは出来ない。傷跡上等。切り傷なんて男の勲章である精神でいよう。

 

「手慣れているように見受けられます」

「自分で縫ったりする機会も多かったですから。外傷の応急処置とかも、それなりの自負がありますよ?」

「悪いことでは、ないのでしょうね」

 

 褒めてくれているのかは、微妙なライン。

 病棟関連施設特有の匂いに慣れてきた頃。現在は治癒を促す時間であり、腕の切開跡は塞がった頃。足にはその予定を示すように、切開予定部分の皮膚にマーカーで印をつけられている。

 腕の調査と採取は一旦終わり、今は切って開いてを繰り返した体を休める期間だ。当然ながら、オペの予定は向こう一週間存在しない。できて血液採取くらいか。

 しかし血液なんて今更が過ぎる代物では、究極の焼け石に水と言われた。なら針をぶっ刺す必要性を問いたくはあるが、それとこれとは話が別らしい。貰えるものは貰っておく主義には同意派だが、有無を言わさず毎日採血されるのは、まごうことなきモルモットだ。

 チューブから流れ出ていく自分の赤色を眺めながら、退屈を潰せる代物へ向き直る。

 退屈潰しと言えば、いつか買ったパズルを持ってきた。持ってきたのは良いのだが、一向に完成へと向かわせる気が起きない。ピースを広げた途端にやる気が消失したのには、我ながら笑ってしまった。

 結局霊長にとって一番の娯楽は、食事に帰結するのである。美味しいご飯サイコー。

 

「ほっ、よっ…………うん、美味しい」

 

 分かりやすく筋力の落ちた指で、震えながらも箸を扱う。四苦八苦しながら摘んだ鶏モモの照り焼きは、食べやすいように一口分にカットされていて、その心遣いをありがたく感じながらかぶりついた。

 病院食はメジロ家から運ばれているので、味に関しては当然最高である。不思議と食べ慣れた感じがするが、昔食べた味を覚えているのだろうか。

 

「……暇だったら、帰ってもらって構わないっす」

「これも仕事ですから」

「誰にも言いませんよ?」

「私がそうしたいのですよ」

「そっすか」

 

 身の回りの世話は自分でできる。と言うか出来ないとマズイだろう。高校生にもなって、寝床の管理くらいロクにままならないなら、一人暮らしなんてしようがないのだから。

 そんな意見を跳ね除けて、出張してきたのは()()の側付きであるばあやさん。この選出をした者は、中々どうして意地が悪い。もしくはカイトへの理解度が深いと思われる。せめてマックイーンのじいやさんにしておいてほしかった。

 

「当主って過保護なんですね」

「いいえ、当然の措置です」

「そうかなぁ」

 

 同意を得ようとしてもこれだ。ちょっぴり怒っている姿勢は、この施設内ではデフォルトであり続けるとか言っていた。じゃあなんですか、此処に居る限りは説教祭りですか。エイヴィヒカイトに怒られる要素があるんですかそうですか。

 別段、施設から出てくる食べ物を食べるでも良かったが、そこは断固としていつの間にか突っぱねられていた。カイトの権限は何処をほっつき歩いているのだ。休憩時間長すぎだろ。

 メジロ家からの直送品に、当たり前だが妙なモノは入っていない。しかしそこまでしなくても、貴重な検体を薬漬けにして壊すなんてマネしないと思う。今からでもメジロ家シェフの負担を減らすよう打診しようか。

 

「それを認めるとお思いですか?」

「つーか俺が申し訳なくなるんですよ」

 

 これじゃあまるで、メジロ家の一員みたいではないか。その枠組みは面倒な気配がするので、ごめんこうむりたくあります。エイヴィヒカイトは使えるものは使うだけで、囲いの内で守られたい訳では無い。

 

「ご心配なさらずとも。作られた方は、自分から進んで申し出たのですから」

「ほえー、物好きっすねー……いや待て、そのシェフ物好き過ぎない?」

 

 おせちの時にも似たようなシェフがいた気がする。

 大して面識のない相手だってのに、なんだってここまでするのか。逆に怖いまである。

 

「どんなひとなんです? そのシェフは」

「シェフ……そうですね、カイト坊っちゃん専属を目指していらっしゃいます」

「えぇ……? 酔狂すぎるなぁ……」

 

 勝手にオッサンだと思い込んでいるが、実際には若くて綺麗なお姉さんだったらどうしよう。もしや脈ありだったりするのかしら。彼女いない歴=今現在までなカイトにも、春の来訪とかあるのかしら。それならちょっぴり満更でもないエイヴィヒカイトであった。

 

「俺の数少ないファンとかですか?」

「カイト坊っちゃんのファン一号なのだと、誇らしげに語っておられましたよ」

「シェフでファン一号って誰……!?」

「さて、私の口からはなんとも」

 

 やけに勿体ぶる、ばあやさん。気にはなるが、彼女から伝える気が無いのなら、こちらから無理に聞くことも無いだろう。食料的な面で幼少期を支えてくれた彼女には、頭なんて上がる訳無いのだ。

 そんなばあやさんの主人へ割とやらかした自覚のあるカイトは、内心ビクビクなのである。姑の如くいびられても不思議じゃない。何も言ってこないのは、逆に恐ろしさが天元突破しかけている。

 いっそ責めてくれれば気が楽なのに。

 

「…………聞きたいこととか、無いんですか?」

「聞きたいのはカイト坊っちゃんの方でございましょう」

「いやー……どうでしょうか」

 

 知らないわけが無いのだ。例えばあやさんへ話していないのだとしても、何も聞いていないのは、返って何ががあったことを予想させる。それくらい彼女は、毎日のように寄り添ってきていた。寄り添ってくれていた。

 当主とも連絡をとって、頻繁に近況を伝えていたとも聞く。

 それが突然途切れたのなら、カイトだったら訝しむ。何かがあったのでは無いかと考えて、発端と思われる存在を問いただす。

 それとも――――普遍的な日々と変わることなく、一切揺れることなく、平穏に毎日を平和に過ごせているのなら。

 

「なるほど、そいつは納得だ」

「……?」

「独り言ですんでお気になさらず」

 

 自分の存在を思い上がって、他者へ影響させられるのだと思い込んでいたのだとすれば、それはなんて滑稽な小僧なのか。

 

「……バカみたいだな、オレ」

 

 上半身からジクジクと発する痛みを堪えて、もそもそと食事を続ける。

 この痛みには今のうちに慣れておかないと。なんと言ってもまだまだ序盤。足を開いた後には、また同じ部分を開くのだから。

 エイヴィヒカイトの()()には――――もとい、解明にはまだ遠い。

 入院してから、一週間目の出来事だった。

 

 

『君の本格期はいつだい?』

『えっと……中学生の頃とかじゃないですか? あの時に今ぐらいの背丈になったし』

『バカか? いいやバカだったな追試常習犯の落第後輩』

 

 喧嘩売ってるのかと思った。勘違いだと信じたいが、勘違いではないのかもしれない。

 

『それは本格期ではなく、成長期と呼ばれるものだ。第二次性徴と言う言葉を聞いたことがないのか。これだから無学情弱は……』

『いやまあ、聞いたことぐらいは……言い過ぎだろ』

『現にその時期のデータを見る限り、身体能力の飛躍的上昇は見受けられない。では君の本格期はいつ来ていたのか。知っているかい?』

『知りませんよ。気づいたら走れる身体になってて、今に至るだけですから』

 

 本格期に入れば、急激な体格の変化や、耐久性の上昇などの変化が見られると言う。

 しかしながら、世間一般でいうそれを、エイヴィヒカイトはとんと感じた覚えが無かった。成長痛などの、人間的な成長期くらいだ。

 

『ふむ……もしかすると、君には本格期とされる期間が存在しないのかもしれないね』

『ほえー、まじっすか』

『走れる身体へ急速に組み上げられるのが本格期だ。君の場合、いつの間にか、自然と走れる身体になっていた、と考えられる』

『はへー、そっすか』

 

 小中時代の体力テストのデータ表を眺めながら、先輩はそんなことを言っている。

 生返事をしても咎められないのは、この先輩の良いところ。携帯片手に聞き流しても何も言ってこない。後輩的にポイント高めだ。

 

『それかまだ本格期が来ていない、とかね』

『ほーん、そっすか』

『もしもそうだとすれば、君が無才であったことにも説明が付く』

 

 無才凡庸であったのでなく、才がその芽を出していなかっただけなのではないかと、アグネスタキオンは語っていた。もっとも、肝心のカイトは聞く耳持たずでいたが。語りたがりには、好きに語らせるのが機嫌を保つコツ。

 

『現時点で世代最強と題される君が、この先伸び代を手にしたのなら、それは一体どれほどの…………』

 

 あのノリに乗っていたサイレンススズカに、その時点で大差を付けて勝利を奪い取ったエイヴィヒカイトが、尚も成長の先があるのだとすれば。それはなんて、夢のある話だ。

 実際にはそんなことないだろうが、想像するだけなら無料だ。モラルに欠けた大昔ならともかく、現代では思想も言論も表現も自由だ。起こり得ない事象を妄想するのも、一つの自由。

 結局そんな都合の良い事が起こるほど、世界とは楽に生きられない。都合良く夢想すればするほどに、厳しい現実に打ちのめされる。だからそういった理想は、いつしか考えるのをやめた。

 

『あり得ないですよ。じゃなけりゃ、今こうして貴女と話していることも無かったですからね』

 

 持たざる者でなければ、悪魔の手なんて取らない。振るえる才があるのなら、この道はもっと孤独だった。

 プランとやらの代償は、染み渡るようにカイトへ自覚させてくる。まだ表に出るほど露骨ではないが、日に日に呼吸がし辛くなっていけば嫌でも自覚する。

 走った後には必ず引き起こされる酸欠によって、意識が白濁と揺れるのだ。アグネスタキオンの指示に従えば、これ以上の症状へ顕著に進行していくだろう。

 まだ息苦しい程度で済んではいるが、これが行き着いた先にはどうなってしまうのか。

 そんなカイトの様子を嬉々としてデータ化する彼女は、いつぞや自称したように、確かに悪魔と相違ない。

 

『だろうね。それについては私も同意見だが……なに、その方がロマンがあるだろう?』

『……ロマン、ねぇ?』

『ああ、ロマンだ。こうあれば面白い。こうなれば楽しい。それを思い描くのは、我々霊長に与えられた権利なのだから』

 

 ともすればそれこそが、探求者として、いの一番に必要な心なのだとか。

 

『君にも思い描く光景があるだろう? それと同じさ』

『ふーん……そゆことですか』

 

 そんな記憶を、夢の中で見た。

 娯楽の少ない環境では、過去を思い返すことすら貴重な娯楽と化す。

 眠って睡眠欲を満たして、過去のリフレインで時間を浪費する。

 そうしてエイヴィヒカイトは、身体の切開と縫合を繰り返す。

 そうしてエイヴィヒカイトは、身体を開いた証明を刻み付ける。

 そうしてエイヴィヒカイトは、身体の切開と縫合を繰り返す。

 切開して、縫合する。傷は塞がり、跡が残る。切開して、縫合する。傷は塞がり、跡が残る。切開して縫合、傷は塞ぎ跡が残る。切開して縫合、傷は塞ぎ跡が残る。切開縫合、傷塞跡残。切開縫合、傷塞跡残。

 飛び出す成果に大はしゃぎと伝えられても、解明が現実味を帯びてきたと聞かされても、確かな進展があると言われても、生憎これといった反応は返せない。

 身体を混ぜ返すような激痛が全身を覆って、知性体としては落第点な声しか出なかった。仮にこのまま何にも進展せずしまいで、それがずっと続くなら、もう自分で首を掻き切って終わろうと迷いなく実行していただろう。

 そんなサイクルが終わりを告げたのは、天皇賞春まで残り一ヶ月を切った頃だった。

 

 

 トレーニング後のミーティングを終えれば、頃合いを見計らったようなタイミングで、トレーナーさんの懐から音が鳴る。着信の知らせだ。

 トレーナーさんが画面を確認すれば、すぐさま取った。その速度たるや、私にも目で追えないくらい早かった。他のみんなもその勢いに、驚いた表情を見せていく。

 

「おう、どうしたカイト」

 

 通話相手を察すれば、みんな納得の表情を見せた。

 新年会を最後に、ここ数ヶ月間姿を見せることのなかった彼だ。マックイーンさんは親戚での集まりで会っていたようだが、それも数日ですぐに居なくなってしまったらしい。

 なんでも長めの検査入院だとか。

 その理由は大ぴっらにされてはいないが、噂では有記念以来貼り付けられた、出走停止の措置を撤回させるための解明なのだとか。そのために彼の身体を調べているのだとか。

 長めの()()()()だと、もっぱらの噂だ。

 

『――、――――、――――』

「ーーは?」

『――――』

「おい待ていっぺんに」

『――――、――、――!』

「あっ? ちょちょっ、おい!?」

 

 一方的に言われて切られたのだろう。同性故の気負いの無さか、彼がトレーナーさんに対して遠慮した場面を、私は見たことがない。あの関係性は、いわゆる男の友情って呼ばれるものだろうか。

 通話が打ち切られて、残るのはトレーナーさんの唖然とした表情。それを見る私達の表情。チームの仲間が気になるのは、トレーナーさんだけじゃないのだ。

 

「カイトがどうしたんだ?」

「あいつ……出走登録だけ頼んで切りやがった」

「……ってことは、先輩がレースに出れるようになったのね!?」

 

 有記念に出られることなく、その後を過ごしていた彼は、やはり幾ばくかの落ち込み様を周囲へ見せていた。G1レースへの執着の裏返しと言うべきか、普段通りを装おうとする彼だったが、見る者なら分かりやすく気落ちしていた。

 ジャパンカップの頃にはもう既に、やけに焦っていた気もしたが、あれは気のせいだったのだろうか。

 ともあれ彼の目標である『歴史に残されるほどの最強』、その難易度を思えば、有記念という大舞台を逃したのは、相当な遠回りだったのだろう。

 その後に中々連絡が取れなかったのもあって、もう走らないのではないかとちょっぴり危惧もしていた。それは私だけではなかったようで。

 

「あいつはこんなところで終わるタマじゃないって知ってたさ。ったくビビらせやがって……ヘヘッ」

「ゴールドシップは誰目線なの……?」

「良かったね〜、マックイーン?」

「それでそれでっ!! いつお兄様は戻られますの!?」

 

 捲し立てるように、マックイーンさんがトレーナーさんに詰め寄った。家に帰らず、経過報告もごく僅か。そんな今までを過ごしていたマックイーンさんは、それはもう落ち着かない様子だったことは想像に易い。トレーニングへ身が入らずに、何度か怒られる姿も確認済みだ。

 だからか、その喜び様も一際大きい。

 

「……入院が長引いて、レース直前まで病院から出られないそうだ」

「そうですか…………どうして、真っ先にトレーナーへ連絡が行ったのでしょうか」

「トレーナーだからだろ?」

「…………ずるい」

「いや……言われてもな」

 

 頬を掻きながら、気まずげに視線を散らす。ここは助け舟を出してみよう。

 

「トレーナーさんに電話できるってことは、今ならマックイーンさんから掛けても、きっと取ってくれるんじゃないでしょうか?」

「! それですわ!!」

 

 言うが早いか、指が残像を残すが如き高速。着信が繋がったと思しき反応を見せれば、すぐさま部室の外へ走り出してしまった。目の前で通話しないくらいの体裁を取り繕おうとしているようだが、ダダ漏れどころか大っぴらなのだと本人は気付いていないようだ。

 彼もそっとしておいてくれと言っていたからそうしているが、遠目に見守っているのだと、当の本人はいつ気付くのだろう。でも幼さを前面に出すマックイーンさんは可愛いので、やっぱりみんなで見守るのでした。

 

「カイトくんは、どのレースに出るのかしら」

 

 スズカさんがトレーナーにそう聞いた。

 怪我をした訳では無いと聞いたが、それでも復帰戦だ。ブランクを取り戻すために、それ相応のトレーニングの期間は必要だろう。

 時期的に彼が見据えているのは、おそらくは宝塚辺りだろう。直近では天皇賞春があるが、その日は二日後だ。デビュー戦の時とはいざ知らず、G1でそんな急場の出走などあり得ない。

 

「……春天……」

「ってことは私と一緒に走るんですね! ……? あれ?」

 

 おかしい。何か今、自分の独白と相反するようなことを言った気がする。

 

「退院の日はレース当日だから、それまでに急ピッチで出走届を出してくれと……」

「なあ、先輩ってバカなのか?」

「そうなんじゃない?」

 

 マックイーンさんから伝え聞く話では、運動量を制限されて、ベットに半ば拘束されているような状態だったとか。

 走るための体力は、鍛えなければ衰える。走るための筋肉量も同じく、使わなければ減少する。数ヶ月動かずにいれば、アスリートとして同じ段階まで戻すのに、三倍の時間が掛かるとも言われる事だってある。

 ふと、私の携帯が振るえる。振動の長さからして、着信ではなくメッセージの類。

 差出人は、今話題の渦中にいる人。

 

「……カイトさん?」

『春天よろしくね』

 

 短いにも程があるそれ。後から聞いた話によると、セイちゃんにも同じ文面が送られていたらしい。同期のよしみということで一言挨拶を、だそうだ。

 

「……スペちゃん?」

「…………」

 

 天皇賞は、G1レースとは大舞台だ。一つ勝つだけで周りへ誇り続けられるほど、誰にだって勝ち取れる舞台ではない。ましてやシニア期へ突入した今、先輩達入り乱れる中で走るのだ。ジュニア期クラシック期とは比べものにならないほど、熾烈を極めることは有名な話。だからみんな努力する。勝つための努力を惜しむことは無い。

 かく言う私もそんな渦中を勝ち抜くために、負けじと努力を続けている。セイちゃんだってそうだろう。他の人達だってそうだ。そうした積み上げた結晶が武器となって、私たちはターフの上で闘うのだ。

 そんな積み重ねを一時的に失っても、彼には勝つ気しか無い。負ける未来を見据えていないから、そんな常識破りを行える。

 そして彼には、これまで常識を破り続けた実績がある。

 

「……私……」

 

 種火が着いたのはオークスでの走り。

 憧れだった人に、同じスタートだった人は追いついて、追い越して、自分はいつの間にか置いていかれたような、そんな感覚を覚えた日。

 勝って当然だという姿勢を崩すことなく、毅然とその道を進み続ける姿が虚勢にはさせず、間違えような無い勝利を積み重ねてきた。

 そんなカイトさんだからこそ、グラスちゃんは勝ちたがっているんだ。そんなカイトさんだからこそ、スズカさんを追い抜いたのだ。

 その理由が、最近では私にも理解できてきた気がする。

 

「負けたく、ない」

 

 この闘志が臨界へ達するのは、もう少し先。

 今はまだ、燻るに留まるだけ。

 

 

 出られるのならどんな状態でも出ると、既に己の中では決めていた。誰に打ち明けた訳でも無いが、言ったところで止められてしまうのは分かりきった未来である。

 

「今すぐに撤回してください! まだ走れるような身体じゃ無いのですよ!?」

「いやー、ばあやさんにそう言われてもねー、もう決めたことなんで」

「まだ手術跡は閉じていないのですよ……!? レースなんて出れば、傷がすぐに開いて……!!」

 

 ブランクを考えれば、常識的に難しいとの意見はもっともだ。難しいではなく、そもそもそんな選択肢があり得ない、だろうか。

 ただ一つだけ申すのなら。今更常識を説かれて止まれるのなら、そもそも身体を開いたりはしない。

 カイトだって痛いのは嫌だし、中身を探られる最中はずっと生理的な嫌悪と共にある。ザクザクと刻まれて、麻酔で遠のいていた痛みは後日に降り注いで、炎症の痒みと発熱にうなされて、治れば次の部位で同じこと。そんな繰り返しの数ヶ月間だった。

 それでもと、そう言い続けてきた訳では無い。堪えるようにここまで耐えてきたのでは無い。なんの報酬も無く、歯を食いしばって苦痛を許容し続けられるほど、エイヴィヒカイトは強くなど無い。

 

「開いたら開いたで、それはそれで、まあ、アリっちゃアリですね」

「何をおっしゃっているのか、まったくわかりません……!!」

「――ここから、なんですよ」

 

 生きたまま解体される、その一歩手前を達成させられたのは、ただ快感だったから。

 今回立ち塞がった必然の理不尽は、これまでの中で最も夢から遠ざかる隔たりだったと確信している。これから先、これほどの困難は訪れないと言い切れるくらい、それくらいどうしようもない行き止まりに見えた。

 実際問題、こんなのは賭けでしかない。それが偶然上手くハマっただけに過ぎず、もちろんながら成果が出ない可能性の方が高いのは、なんとなくながらも理解していた。

 それでもこの困難を踏破することは、大きな意味を持つとも理解していた。

 

「ここからやっと、ノンストップだ」

 

 だからこそ感じていた苦痛が、まるで未来への希望にしか感じられない。

 不快感嫌悪感を覚える希望なぞ、矛盾しているだろうか。しかしカイトは、同じ感覚を過去に数回味わっている。一番感慨深かったのは、幼少期の痛みだろうか。

 自らの忌むべき部分を切り取る快感と、身体の欠損による苦痛がせめぎ合った瞬間。紅に染まった銀鋏に、確かな光を見つけた瞬間。

 自分が苦しむほどに、前へ進んでいる感覚が支配する。吐き気を堪えるごとに、世界は明るく色づいて見える。だってほら、成し遂げた今となっては、世界がこんなにもカラフルじゃないか。

 自分は積み重ねていると実感するほどに、えもいえぬ快感が背中を押すのだ。もっと前へ。もっと先へ。そのために使い尽くせと他ならぬ自分自身が囁くのだ。

 

「もう邪魔するのは誰も何も無い。URAほどに大きな組織が一度容認した事柄を覆すなんて短期間では起こり得ない。少なくとも一年以内は確実に無い」

「それが一体何の……っ」

「夢がもうすぐそこなんです。手を伸ばせば届く距離まで俺は近づけたんです。時間を掛けなければ十中八九叶うんです」

 

 だから、ノンストップ。

 この期間が実利のある時間だったとしても、ロスであることは間違いない。そしてロスを覆すには、不要な部分もしくは無駄な部分を削る必要がある。

 今一番無駄なのは、休息に使う時間。今一番要らないのは、休息という安寧。

 

「休む暇なんて俺には有ってならないんです。時間が足りない今はとにかく成果を叩き出し続ける必要があるんです」

 

 力説すれば、この思いの丈が伝わるだろうか。伝わったところで善人であるばあやさんは、止めてくるだけなのだろう。

 理解者になってくれなかった彼女のように――――

 

「この未練も、今度こそ要らない」

 

 揺れている暇なんて無い。そんな時間も無駄でしかない。断ち切るには良いタイミングだ。

 手が触れてむず痒かった感情も、沈黙が心地よい記憶も、透きたった優しさも。彼女に関する事柄全てを、カイトはエイヴィヒカイト(他人)に押し付ける。

 押し付ければカイト(自分)には何にも関係ない。他人事ならカイト(自分)には影響が無い。エイヴィヒカイト(自分じゃないモノ)に押し付けて、飲み込ませれば万事解決。

 ずっとそうしてきたことを、そうあるようにおこなうだけ。

 その時が来るのを、子供の頃から待ち侘びている。

 

「俺は、誰もいない頂上へ行くんですから」

 

 誰も居なくなったその先で、ようやくカイトは楽になれる。

 それだけをただ、待ち望んでいる。




ヒロインは……? ぼかぁアルダンを書きたいだけなのに……?

誤字脱字職人マジサンキューでございまする

バッドエンドIFいるかいらんか

  • いらん
  • いる
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。