『一枠一番、異次元の逃亡者サイレンススズカ!!』
最期と定めた今日は、狂ったように良い天気だ。なのに死にたくなるような寒気に囲まれて、肌を刺す温度は極めて低い。この季節の午前中は、いつだってブルーな気分へ誘われるのが毎年の恒例だった。
『二枠二番、女帝エアグルーヴ!!』
父親がいなくなったあの日の記憶を喚起させる、冬の季節が大嫌いだった。日差しは熱く照らすくせして、それ以上の寒さが全身を支配する。だから冬が、ずっと疎ましかった。
感情を載せない無機質な風に触れるたび、世界が冷たく暗く淀んでいた。
『二枠三番、日本総大将スペシャルウィーク!!』
でも今日は違う。今日はこの寒さが、エイヴィヒカイトにとって喪失の象徴であるこの寒さが、こんなにも心強いだなんて。
『三枠四番、影を恐れぬ怪物ナリタブライアン!!』
冷たいそよ風が、エイヴィヒカイトを底へと誘っている。
もうすぐ着くと、もうすぐ行き尽くと、静かに囁いて果てさせようと誘惑する。
『三枠五番、芦毛の怪物オグリキャップ!!』
でもまだだ。まだ果てるには少しだけ早い。
待ち望んだゴールであれど、今すぐ終わるには一つだけやり残したことがある。
『四枠六番、皇帝シンボリルドルフ!!』
成し遂げたかった夢。妥協した形で在れど、叶う距離まで目と鼻の先。この先へ踏み出せば、エイヴィヒカイトの本懐は遂げられる。
果たしてみせると交わした約束。エイヴィヒカイトの望んだ景色とは違えど、見せてやると宣言した光景がある。
『四枠七番、不死鳥グラスワンダー!!』
色んな人から世話になった。色んな人たちに助けてもらっていた。色んな人たちの優しさで、この舞台に立てている。
お礼の一つとして成り立つかは不明だが、せめて退屈はさせない。鮮烈で熾烈で苛烈な背中を見せてやる。それが渡せる唯一無二。
『五枠八番、スーパーカーマルゼンスキー!!』
こんなにも豪華な名うてを揃えられたのも、彼女らの優しさあってのものだ。
それらを踏み倒す結末を望んでいるのは、裏切りでもあるのか。
まあ、今更どうでもいいが。
『五枠九番、怪鳥エルコンドルパサー!!』
欠伸が出そうなくらい、良すぎる天気。
吐き気が促す、青天井の好天候。
だが気分は爽快を極めている。そんな自分が怖くなりさえする。
『六枠十番、麗しの三冠ウマ娘フジキセキ!!』
怖いくらいに意識は明活と澄み渡る。戯言では済まされないほどに、エイヴィヒカイトの一挙手一投足には現実味が増している。そんな自覚が増してくる。
オカシクなんてならない。マトモな思考で、確かな自意識で、その末路を求めている。
『六枠十一番、女傑ヒシアマゾン!!』
共に走るメンツの中には、エイヴィヒカイトが初めて他者の夢を踏み潰した者もいる。
もはや懐かしき桜花賞にて、ゴミのように払いのけた走者もここに立っていた。
『七枠十二番、ファレノプシス!!』
苦手としていた親戚も、不明瞭な苦手意識はいつの間にか霧散していた。
小さく握った拳は、胸の前で決意を物語っている。いるのだが、やっぱり彼女が行えば、どこか気が抜ける。
『七枠十三番、メジロブライト!!』
「カイトくん、一緒に頑張りましょう~」
「うん、よろしくブライト」
歓声がうるさい。声援を通り越した怒号が、グラグラとパドックを揺らしている。始まる前でこれなら、レースが始まれば大地震でも引き起こすのではないのだろうか。
スぺやグラスたちが呼ばれる中で、自分も呼ばれたような気がした。でも気のせいだろう。伝説に語られるが如き彼女らのように、煌びやかな存在ではない。
『そして最後に八枠十四番、先のジャパンカップでも、海外へその実力を見せつけたばかりであります! 誰が呼んだかっ――――
『これほどまでに豪華なメンバーが揃ったのは、彼の声掛けが切っ掛けだと聞きました。それは翻って自信の裏付けとも取れそうですが、果たしてどうなるのか見ものですね』
全部台無しにするためにここまで来た。積み上げた歴史へ泥を塗るためにここまで昇ってきた。
『彼のライバルでもある、スペシャルウィークとグラスワンダーとの対決にも注目していきたいですね』
夢を砕く。夢を潰す。夢を汚す。そのためにエイヴィヒカイトはこの舞台に立っている。
幼い頃に夢見た景色。希望を抱いた稚拙な憧憬。絶望に浸って求めた世界。
起こり得ないと断じて然るべき夢を、エイヴィヒカイトはとうとう叶えるのだ。
「なんて顔だ」
レースを不快と捉える彼にとって、その表情はあまり良くない兆候だ。
「……どこから見ても嬉しそうな顔でしょう」
だとしたら、殊更によろしくない。
「それが問題なのさ。あの不肖の後輩は、そうなっているのが何よりも良くないんだ」
「はぁ……?」
ピンと来ていないカフェは、これがどれだけ切羽詰まっているのか知らないらしい。
「はてさて、仕込みはいつ開かれるのやら」
「また何をしたんですか……」
「嫌がらせ」
死にたがりへ与える、救いの嫌がらせ。
「最期になんてさせる訳が無いだろう。やはりバカだね君は」
未知が詰まった素材を、みすみす腐らせてなるものか。
激しいノック音が鳴るも、控室の主は反応しない。
「ちょっ、やばっ」
声を荒げては何かしらがあったと察される。とにかく早く、脚に巻かれた包帯を隠さなければならない。
急いで外していた白衣を脚に掛ける。少し不格好ではあるが、露呈するよりは遥かにマシだ。
一向にうんともすんとも言わないのに焦れたのか、勝手に入り込む侵入者二人。
「おいカイト!?」
「カイトくん!!」
その声を聞いた途端に、その理由が瞬時に把握できる。
「……どうしたのそんな顔して」
バ場に何かしらの問題が見られたらしく、パドックを終えてから小一時間の待機を命じられたのには、みんなして出鼻をくじかれた気分。
何となく誰かと話す気分でもなかったエイヴィヒカイトは、暇を弄ぶために包帯を巻きなおしていれば、この形相が飛び込んできていた次第である。
「どうした、じゃないだろう……! さっきマックイーンを通して病院から連絡が来たぞ!!」
「ああ、それがどうかした?」
慌てるような事柄じゃないだろうに、そんな焦った顔をしても精神を擦り減らすだけだ。スぺに関してはここ一番の勝負が控えているのだから、こんな所で疲れたりしないか心配だ。
「お前のお袋さんが――」
「まぁ待てって」
眼前へ手を突き出して、無理矢理言葉を噤ませる。まずは落ち着いてほしい。
慌てる二人には悪いが、母親の容態が急変したところで、
「二人が気にすることじゃない。大したことじゃないよ」
連絡なんて数日前から来ていた。でも無視したって問題ない。母親の今後は、フラッシュへ全部任せている。
大方業を煮やした本家からの、当主からの気遣いの一環だろう。マックイーンを経由するなんて手段から、かなり焦っていることが伺える。それも当然で、その手の連絡がいの一番にいくであろうアルダンは、夢心地の只中に居るはずだ。そもエイヴィヒカイト本人が携帯電話を
けれども、それほどまでに慌てる事柄ではない。
「そんなことよりもさ、レースはまだなの?」
「そんなこと……? そんなことってっ、カイトくんのお母さんなんだよ!?」
「はぁ……まぁ、そうだけど……」
真に恐れる事柄は母親の状態に在るのではない。いなくなろうが、目覚めようが、一刻も早くいなくなりたい。最愛の生きるこの世界から、兎に角早く脱却したい。
そのために責任を果たし切りたい。それ以上に重要度の高い事柄は、一つとして存在しないのだから。
「今すぐいかなくちゃ! だってカイトくんのお母さんは――――」
それはそれとして、そろそろ、その声がちょっとだけ煩わしい。
「スぺ、うるさいぞ」
「誰よりも速く一番に行ってあげないと、」
「うるせぇって言ってんだろ」
低く、急降下した声を強く響かせる。
しつこく言われれば、誰だって気分を害する。
浮かんでくる不機嫌を、躊躇いなくスぺへぶつける。
そんな自分への不快感が
「母さんに
「ならどうして……っ!?」
「……スぺはアルダンから色々と聞いたんだっけ」
だとすれば
「もういいんだ。彼女のこれからに俺が介在する必要は、もう、無くなるんだよ」
朗らかな笑みが漏れて、穏やかな目線がスぺの困惑とぶつかる。
口に出さば、これ以上ない幸福感が胸を包む。その自覚が、エイヴィヒカイトを最高の結末へ誘っていると、そんな確信に安心する。心持ちがこんなにも暖かい。
一切の憂いが消えた笑顔が、自然と零れる。これまでしてきた本心を覗かれないための仮面とは違う。正真正銘、心の底からエイヴィヒカイトは笑えているのだ。
陰りのない笑顔を出せたのは、それこそ十年前以来だ。
「何を言ってんだよお前……」
「トレーナーには教えられねーけどさ、それだけの意志があるって汲み取ってくれればいいよ」
おしまいが近くとも、それを知らせても良い相手と良くない相手くらいは見分けがつく。レース自体に出させなく出来るトレーナーは、間違いなく後者だ。大人に知られずにいる今は、『レースにさえ出られないなら、それこそ何をしでかすのか分からない』と、優しい心に漬け込んだからこそ維持できているのだ。口を滑らせるなんて悪手の極みだ。最終目的を成人たちが知らないのはそういうこと。
間際の今だとしても、伝えるのは良くない。隠し事をしていることに、ほんのりと良心が
「俺が行かなくても代わりがいる。もう全部その人に任せてある。だから、もういいんだ」
エイヴィヒカイトなんかよりも、フラッシュやアルダンの方が良い。彼女へ幸を齎せない厄病の塊では、彼女の家族に相応しくない。どちらの家とも元々仲が良かった記憶もあるし、彼女本人が良くできた人柄だ。どこでだって受け入れてくれる。失った十年の分、自分の人生をこれでもかと謳歌してほしい。
すごい。みるみる内にエイヴィヒカイトでないとならない理由が潰れていく。感情理論、どちらを鑑みてもやはりエイヴィヒカイトでは役不足だ。
彼女の家族に足る要素が一つ足りとて存在し得ない。自分にとっての大切の傍に居る理由が、どこを取っても不要でしかない。
「カイトくんの代わりなんて、居るはずがないっ!!」
「どうかな。俺に比べれば誰にでも務まりそうなもんだけど」
極大のお荷物と比べれば、他と比べるのはお門違いでさえある。
「…………本気で言ってるの……?」
「虚言かどうか、スぺなら分かりそうだけどな」
「――――ッ」
きつく唇を噛み締めるのがその証左。彼女は、スペシャルウィークは、深くエイヴィヒカイトに関わりすぎた。理解者となってくれる程度には、切磋琢磨を繰り返した。同じ釜の飯も食べた。心通わせるには、二年程度の期間では十二分だ。
本心なのだと理解してもらえれば、これ以上の問答に価値など非ず。
「そら、帰りな。特にスぺは俺を負かすんでしょ? こんなくだらない話題で調子を崩してもね、バカらしいだろ」
「……そう――――だね」
言いたいコトがあるなら勝ってから言えと、言外の示唆を理解してくれたようだ。
開き直りが全開となったエイヴィヒカイトには、何も届くことは無いだろう。聞く耳持たずを繰り返して、忠告なんてすり抜ける。心配するだけの声なんて、現在のエイヴィヒカイトにはあまりにも軽い。跳ねのけるにあまりに容易い。
言葉へ重みを付与したいなら、結果を出せと言外に語る。何様なのだと言われようが、結局はそこへ帰結する。スぺとの関係性はレースが繋いできた今までだ。ならターフの上でしか、その意志は伝わらないのも道理だろう。言葉だけで届くような者など、エイヴィヒカイトにとっては一人や二人程度だ。
「トレーナーも心配いらないからさ、帰りなよ」
「行きましょうトレーナーさん」
「……いいのか?」
その言葉に、スぺは返答を返さない。
ただ確とした強い視線は、中に籠る決意をより強く引き締めている。それを感じられる。
「それじゃぁターフでな」
「うん、後でね」
踵を返す背中を見送る。
――――何時ぞやの時、エイヴィヒカイトが初めてターフを走った前。
未来への展望を語るその時。
自分にはただ、宣言した時に幻視した大きな背中が、ひたすらに目へ焼き付いている。
見えたのはゆめまぼろしか、はたまた未来の現実か。
「現実だったな」
その力強さは、未だに継続している。
夢叶えるまでその背中に陰りは無い。
本当に、厄介なライバルが出来たモノだ。
「カイトくんは
手に取るようにとは、きっと今の心情をあらわすのだと。
心通い合っている。それは本来ポジティブな意味で捉えられるのに、何故、どうしてこんなにも心が痛い。
帽子は置いてきたと言った。彼が肌身離さず、レースの時でさえも心からの信頼に足る人物へ預けるような、命よりも大切だと語っていた女性物の白帽子。
彼への理解度が増すほど、それが一体誰のモノなのか察するに容易くなる。誰から受け継いだのか、今となっては答えは簡単だ。
それを置いてきたと言ったのは、もう所持する今後が無いのだと。帽子に関与するであろう者に対して、くだらないと言い放つ事。手入れを欠かさず、愛おしそうに肌身離さなかったそれを置いてきた。それはつまり――――その先は不要なのだと、言動が物語っている。
「……理由は、教えてくれないのか?」
「ごめんなさい……トレーナーさんに話せば、それこそカイトくんがどうするのか……」
トレーナーさんの目の前でも、あんなにも態度には明け透けに出していたのは、核心となる彼の夢を知らなければ、絶対に真実へは着けないからこそ。
そして彼の思惑通りに、おいそれと話せるような事柄ではない。彼の危うさを知れば、誰だって言葉にするのは憚られる。ある種の脅しのようで、彼を知る者からすれば十全に機能している。
「勝たなきゃ……」
「……スぺ」
「私が勝たなくちゃ……――――違う」
初心を思い出して、初心なんて凌駕せよ。勝たなくちゃならない、なんて義務感に酷似させた感情では、彼の決意と意思には届かない。義務でなく、私自身の想いのままでなければ結果は同じだろう。
勝ちたい、なんて願望は通り過ぎた。勝たなくては、なんて義務と使命感では届かない。
掲げるのは身勝手な大言壮語。
「勝つんだ」
勝つ。ただ勝つ。
「情けない話だが……俺にはアイツの事情を全部知れている訳じゃない。だがアイツの意志がどれほどに重く、どれほど硬いのかは分かるつもりだ」
此度のレースでは、カイトくん自身の持つレースへのモチベーションがただ事ではない。苦痛と不快の中で走ってきた今までとは違って、後押しする感情がカイトくんの中で燃料となっている。
そんな彼に勝つのは、何よりも難しいのかもしれない。そして何よりも無情な事実として、私は、私だけでなく誰しもが、カイトくんに勝った現実が存在しない。
けれどそれがどうした。
「それでも、これまでスぺが走ってきた相手と違って……それこそ今までのカイトよりも、途轍もなく困難な相手だぞ」
「知っています。だからこそ、勝ちます」
未来だけを見据えろ。カイトくんにとってではなく、他の誰でもなく、私だけに都合の良い未来を見据え続けろ。
数多の怪物を追い越して、スズカさんを切り伏せて、グラスちゃんを追い抜いて、果てに待つ大きな背中の隣を、魔王を過ぎて駆け抜ける。
そうして勝つ。電光掲示板に乗せる名前は『エイヴィヒカイト』でなく、『スペシャルウィーク』へと書き換える。
そんな未来へ辿り着く。誰しもが実現できていない彼の眼前を、
「絶対に……絶対です」
この想像を、当然のように創造する。
この妄言を、必然のように未来にする。
この望みを、必ずや叶えてみせる。
「――――勝つんだ」
悲劇では終わらせないと、心に誓い通せ。
敗北なんて散々した。負けからは散々学んだ。
その学びの全てを使い尽くす時なのだ。
「……さない………………ない」
「グ、グラス~……?」
「――――はい?」
「な、んでもないデス!!」
ずっと待っていたのは、私一人だけだった。焦がれて望んでいたのは、私だけだった。共に駆けて言葉に出来ない喜びを、彼は微塵も感じていなかった。
許せない。
「ずっと……ずっとっ…………のに……っ!」
彼は期待してくれていた。もしかしたら共に走れば、自分も楽しめるのではないのかと、私やスぺちゃんに期待してくれていた。だから彼は悪くない。勝負事の世界では、無様に敗北して期待に応えられなかった私たちが悪いのだから――――などと納得できるものか。
許しがたい。許せない。
「あの瞬間を、どれほど待ち望んで……――――!」
「ケッ!!??」
苛立ちに任せて壁を
自分達が不甲斐ないだけならまだよかった。見返すことが出来る機会があるのなら、それはそれでより昂る。共に熱狂できないのは残念ではあるが、それこそその境地に居られない自分が悪い。けれど、しかし。
どうして――――何故他の者を呼び込んだ。
許さない。許しがたい。許さない。
「私達では……私では…………不足して――――ッッ!!」
彼の夢を聞いて、そうはさせないと意気込んだ半分、その夢の相手に
だからこそ、そんな私の出鼻を挫くような彼の招待者達。確かに頷けるような強者ばかりで、彼の夢を飾るには相応しいと納得
そんな自分も、私以外を選んだ彼も、ひょこひょこと水を差しに来た者達も、全てが許せない。
許してなるものか。この最大限の屈辱を、許容してなるものか。直接『弱い』と言われる以上の恥辱を、受け入れてたまるものか。
「這い蹲らせてあげます……!!」
その欲は膨れ上がり、全身を満たして薪となる。
欲するがままに、望んだ未来へ駆け抜けて見せる。他の誰でもなく、彼へ敗北を受け取らせるのは私だと、世界へ向けて見せつけてやる。
数多の強者を置き去りにして、皇帝だろうが怪物だろうが薙ぎ払って、スぺちゃんだって膝を折らせて、果てに存在する大いなる背中を、絶対なる魔王を討ち果たす。
そうして負かす。現実を告げる電光掲示板には、敗者の証である二着に、彼の名を植え付ける。その上から勝者として、『グラスワンダー』の名で『エイヴィヒカイト』の名を踏みつける。
そんな未来を奪い取る。誰しもが拝めていない敗北の瞬間を、
「貴方の『絶対』は……私が…………」
今語ったところでコレは妄言。
今叫んだところでコレは想像。
今猛ったこの感情は、必ずや成就させてみせる。
「――――私が踏み潰します」
勝ったまま逃げられてたまるものか。
勝ち逃げして、一生の敗北感を植え付けられてたまるものか。
貴方は私と競い続ける。逃がさない。目を付けさせた責任を取ってもらう。
「おはよ、アルダン」
「……? ……おは、よう?」
見覚えはあるキッチンで、これまた見覚えはあるリビングへ、寝ぼけまなこのまま入ってくるカイト。
私は気づけば卵を割って、フライパンを熱していた。
早く。
「……ええっと……、スクランブルエッグか目玉焼きは……」
「スクランブルに頼む」
「もうそうしてます」
「さっすがアルダン」
とりあえず今は朝で、朝食なのだと気づけば、そんな問いかけと共に手は淀みなく動く。
速く。
「はい、お弁当」
「これさー、みんなの前で食べるの恥ずかしいんだけど――」
「えっ、そんな……」
「――って思ったけどそんなこと無かったわ」
羞恥を切り捨て即座に受け取ってくれた彼に、嬉しさがこみ上げる。
早く。速く。
「おっし、行くか」
「そうね」
「車は呼んでるし、すぐに乗れるぞー」
「じゃあ行きましょう、
ああ、やはりあり得ない――――この時点で、もしくはもっと前から、これが夢なのだと気づいていた。
私が彼へしない誘い。それを疑うことなく、逡巡の暇なく了承する彼。あんなにも車を忌避していた彼が、そんな提案を呑むなど現実じゃない。
早く。
「じゃあ、いってきます
「行って参ります
「――いってらっしゃい」
「――二人とも気を付けてな」
決定的な存在に、夢の中でもこみ上げてくる。
現実にはもう存在しないツーショット。優しい夢でしかありえない光景。厳しすぎる現実では成立しない、甘い毒のような人影。
私の求めた現実を凌駕した、果てしない願望が夢に現れている。
きっとこの世界では、カイトの両親は存命している。自罰を背負わないカイトは実家暮らしを続けられて。カイトの元へ足蹴く通う私を、彼らは受け入れてくれて。朝の団欒を共に出来る幸福が、カイトを包み込んでいて。
その全てがまやかし。
速く。
「送り狼に気を付けろよ~、アルダンさん」
「んなことするかバカ親父。つか車だぞ。勝手に連れてってくれるんだぞ」
「分からんぞ? 俺と母さんが若かった頃は……」
「やめろ。マジでやめろ」
そんな軽快な会話は、この幻の中でしか許されていない。この光景が見られたのなら、そんな未来があったのなら、カイトはどれほど幸せでいられたのだろう。
少なくとも、自分を傷つけるのが楽しくなるような、そんな悲しい姿はどこにも存在しない。
早く。
「今日のお夕飯はアルダンさんと一緒に作るんだから、カイトも早めに帰ってきてね」
「おけまる」
「アルダンさんと一緒なら、朝帰りでも――」
「ほら行くぞすぐ行くぞアルダン」
「あっ、……ええ」
自然に手を引っ張ってくれる。そんなことを、本当のカイトは行わない。自己否定をひっきりなしに行うカイトは、近しい存在へ易々と触れたりできない。
『カイトには帰りを待つ家族がいる』。そんなどこにでもありふれた快楽が、この夢でしか得られない唯一。偽りでも、私の願望による蜃気楼でも、彼の幸福を願う私には、掛け替えなく切ない景色。
でも『カイトには帰りを待つ家族がいない』。それが真実。甘くない、苦みに溢れた現実。死人は生き返らず、植物状態は綺麗さっぱり消え去らず、不可逆を許されない世界。胸を痛め続ける、どうしようもない世界。
速く。
「……今日はあれだ、俺も放課後のトレーニングも無いから、その……」
「? どうしたの」
「坊ちゃんはお嬢様のために、ワザワザ休んだそうですよ」
「なんで知ってんすかばあやさん」
「ほらもう言ってしまいなさい。お嬢様の買い物に付き合いたいと、あわよくばそのまま放課後デートしたいと」
「なに言ってんすかばあやさん」
焦った様子だが、間違えではないらしい。それくらいは見抜ける。カイトがそんな感情を抱いてくれていることに、現実でなくとも胸が締め付けられて――――俗に言うなら、キュンキュンしている。
早く。
「……デート云々は老人の戯言としてだ……放課後の買い物に付き合おうかなって……いいか?」
「……デート、してくれないの?」
「は、ぇ、ゃっ、その? さ」
顔を真っ赤にして、視線が泳いで上下左右と忙しい。しかもまんざらでもない様子なのが、愛おしさを助長させる。抱き締めても良いのだろうか。
速く。
「私はカイトとしたいなぁ……」
「…………と、とりあえず買い物な! その後に時間あるなら、ゲーセンにでも……」
「奥方からは『朝に帰って来るならそれはそれでオッケー』だとお伺いしております」
「ですって」
「オッケーじゃねぇよ伺うなよファンキーだなぁ!?」
楽しい。嬉しい。前向きな感情で溢れる。感情の器が足りない。幸福で溢れて、周りへと零れていく。幸せが湧き出て止まらない。両手では収まらない幸せが、私の心を満たしていく。
こんな日々を送れるはずだったのに、どこで違ってしまったのだろう。
早く。速く。
「少しくらいは遊んでもよろしいのではないかと存じ上げますが」
「私も、カイトと遊びたいです」
「……そりゃ俺も……てかそのために休むわけだし」
「それはそれは……私達、相思ですね」
「ソウデスネー」
「相愛ですね」
「ソっ、、……ウデスネー」
そんな世界に、ずっと居たかった。カイトにとって痛いだけの世界よりも、こっちの世界の方が優しい。この世界はカイトを肯定する。優しく、生きていていいのだと、諭してくれる。
――――そんな、私の望んだ自己満足の箱庭。私が満足する為だけに存在する、観賞用のまぼろし。
こんな笑顔を見せてくれないと、知っている。こんなに自分に素直でないと、知っている。こんなに自分を肯定しないと、知っている。コレが全部あり得ないと、他でもない私は知っている。
早く。速く。早く。速く。
『逃げている暇は、無い』
夢だと自覚したなら、脳は起床を促している。
眠りに付く間際を思い出せば、今までで一番嬉しくて、今までで一番悲しかった告白。
――――大好き
起きれば全部終わっていると、安心させるような声色には、これまでかと詰め込まれた不穏だらけだった。
もう、時間は無い。引っ越しの準備なんて嘘だ。実家へ戻るなんて嘘だ。もう走らないのは、本当だ。
早く。速く。早く。速く。早く。速く。
『私を眠らせたのは、何のために?』
カイトにとって、邪魔だから。
なら出来ることがあるはずだ。私の存在が、彼の決心を鈍らせられるなら、こんな悠長はできない。惰眠を貪って
だから、早く。だから、速く。
起きなければならない。私には、彼のために何もできない。自棄を望む彼のために、私が手伝うことは出来ない。それだけ望んでも、その邪魔しか私には出来ない。
だから私は私のために、私の我欲のために出来ることを行う。
『はやく、起きなくちゃ――――!!』
ずっと、待っている。
私では無理だ。スペシャルウィークさんも、グラスワンダーさんも無理だろう。可能性は存在しても、限りなく低い。
『母さんのこと、あとは頼む』
向こう五十年は暮らしていけるような大金の入った口座。それの名義は彼女へ移されて、管理を任された私。彼でなく、私が任されてしまった。そうした矢先にこのメッセージ。その意味は――
「……」
前々から予感していた、厭な結果が引き起こされる。切りの良い年の瀬なのも、追加材料としてますます厭になる。
ただ、見守っていただけの私には、彼を止められないのが現状だ。
私の声では届かない。止めようとしても、指の隙間をすり抜けるようにして、まるで霞のように消え去ってしまうだろう。
「……っ」
では何もできないのか。それはきっと違う。
真に無力なのだとすれば、この場に居ない。彼女の横顔を、見守ってはいない。
――――一度目覚めた彼女から目を離さずいるのは、まだ出来ることがあるからだ。
殆ど出来ることは終えたのが現状。あとは彼女を連れだせる者が居れば、あるいは――――
「…………まだですか」
待つだけの時間が焦れったい。けれども目は離さない。
彼を言って聞かせられるのは、彼女以外に居ない。
彼から来ないのなら、彼女から行ってもらう他にないのだから。
日本総大将:ああどうしよう時間が無いし肝心の彼はあんなに決意固めちゃってるしでどうしよう。『こうなったら意地でも勝つしか、勝って思いとどまらせれば私の声が届くかもしれない。絶対に――――勝つ』、そう確信して、決意を金剛へと昇華させたスペシャルウィークは光の闘気を身に纏った。アバンなストラッシュとかを使いこなす日は近い。
不死鳥:自分と一緒に走ったのに、楽しくないとか苦痛だとか言われた。『私はあんなにも、焦がれて――――許しません』、そう決意した彼女は徹底的に這い蹲らそうと闘志に燃ゆる。『敗者は勝者に従うものだし、そうすれば彼のバカな考えも改められますよね?』と、ついには暗黒闘気を身に纏う境地へ至る。ミストバーンはおろか、真・大魔王をも凌ぐ膨大な闘気。カラミティなエンドとか使えそう。
先頭民族:後輩二人が覚悟したり翳ったりしてる……どうしちゃったの……。え? 彼のせい? ウソでしょ。
エル:グラスのコレは絶対カイトのせいデス! 責任取れあのバカぁ!
皇帝:不穏を感じ取るも、自分が介入してよいものかお悩み中。
スーパーカー:約三名滅茶苦茶心配だけど、それはそれとして後輩の本気に期待中。
女帝:リベンジなのに当の本人は心此処に在らずで、尚且つ能天気に陽気なバカにご立腹。相当にお冠。
シャドーロール:メンツがメンツなので犬歯ギラギラ。頭からボリボリ食っちまうぞ。
灰色の怪物:色んな強者と走れて嬉しいし、この後段ボール単位で届く最高級ニンジンに未来は明るい。ありがとう、私は良い後輩を持った。
麗しい人:とある後輩とあまり関わりは無いが、そうそうたるメンツに惹かれてホイホイ乗ってきた。挑発的な懇願に、彼への期待はそれなりに高し。
女傑:『ア~マ~ゾ~ン!!』とか変身しないし、『ア”マ”ソ”ン”ッッ!!』とかシャウトも効かせない面倒見の良いお姉さん。外泊常習犯な、とあるお嬢をそうさせる彼に面白半分で興味津々。年上属性好きな柿の種としてはわりかし好みだが、如何せんうちのトレセンには不在です。はよ来てくれ。
ファレノプシス:史実での黄金世代にて、桜花賞と秋華賞の二冠を達成してたが、今二次創作では、とあるバカによってあえなく阻止されてしまった御方。おっそろしくオリ主をライバル視している。『他のメンツみたいになんで私も勧誘しないのだ』『眼中にすら入ってないとは何事か』とか、プッツンしているまである。オリキャラ要素として出すかは誰も知らん。
メジロブライト:二つ名はあまりにシリアスブレイカーなので、添削も致し方なし。いつもより彼が嬉しそうで、わたくしも嬉しいですわ~、とはなっていない。むしろ普段との変わりように、不安マックスである。なお、携帯は充電切れ。
メジロマックイーン:なにが起こってますの!? そもそも彼のお母様が入院中とか知らなかったですわ!? てかなんでお兄様はレース出てますこと!?!?
メジロドーベル:病院から連絡が来ていて、先週はなんであんなに飄々としていたのか。答えに辿り着きそうで辿り着いてない。それを知るには彼の夢を知らないと核心には至れない。
メジロライアン:ドーベルと共に困惑の渦の中。なんなら一昨日にも筋トレルームで見かけたけど!?
メジロパーマー:わちゃわちゃと焦っているところを、パリピ仲間に窘められる。持つべきものは友達。
メジロ家当主:(病院からの連絡に)ファァァ!? おっしゃキタァァァァ!!→え、ちょっとまってなんで彼は反応無しなの?→なんで連絡繋がんないの!?→気は進まないけどこうなったらアルダンに……→なんで連絡繋がんないの!?→と、とにかく他の娘を通して伝えなければ……!!(ブライトはそもそも気づいてない)→だってのに彼はなんでレースに出ようとしてるんだァ!?!?(イマココ)
本家大混乱の渦、極まれり。
従姉:病院からの連絡と、彼からのメールで大体察した。でも自分の声では届かないので、自分が今できることをこなす。そのために病室にて静かに待機中。
待つだけの立場とは、それなりに辛いものです。
バカ:肩の荷降りる! ストレスフリー最っ高! さようなら、全ての恩人達。さようなら、愛する者の生きるゴミみたいな世界。俺は永劫の旅路へ逝って参りますっ! 愛する者の真実の幸福のため、俺は此処からいなくなりますっ!!!!(本心100%の満天笑顔)
――――ありがとうございました、みんな。
ガラス色のお嬢様:まだ間に合う。きっと間に合わせる。
バッドエンドIFいるかいらんか
-
いらん
-
いる