短いのは前フリも兼ねてね
『絶対に走らせないように働きかけられませんか!?』
『……承知しました』
頼みを聞いてくれるのはありがたい。
とにかくレースを止めてもらった。家からの圧力を行使するなど、あまり褒められた事では無いけど、一刻を争う私に常識で考える頭は不要だ。
カイトは区切りを徹底している。なら走らせなければ、その結末はやってこない。
こんな時間稼ぎでは、大した時間も持たないけれど。
「……もうっ!」
車の速度が焦ったい。正直自分が走った方が、確実に早く目的地へ着く。そう結論付ければ急いで扉を開け放つその前に、しかしその行動には待ったを掛けた。
「…………冷静に……冷、静に……」
自分の脚の脆さを忘れている。こんなところで故障でもすれば、それこそこの程度のロスでは効かなくなるのは明白だ。
私が動けなくなれば、とうとう他の人へ祈るくらいしか出来ることがなくなってしまう。
見てるだけはもういや。
他の人に託すだけじゃ満足できない。他の何物でなく、私が救いを齎す存在でありたい。
結局私では、彼の救いそのものにはなり切れなくて――――だからせめて、希望を差し出すくらいはしてあげれれば、それはなんて、私にとっての幸福なのだろう。
彼が捨てようとして、置いて行こうとした限りない『大切』。
捨て去ることなく、これ以上彼が喪うことなく、取り戻せる掛け替えのない存在は残っている。
「…………まだですか!?」
気持ちが逸って運転手を急かすなんて、些細なことだと思う。
遺されようとしていた白帽子を、知らず知らずのうちに膝の上で握りしめた。
悲劇の結末は要らない。彼の望んだ末路も要らない。
私が欲しい未来は――――
運営は慌てたように発表した。バ場の不具合はなおも継続しているらしい。
ターフを一見すれば問題が無いように見えるのだが、ただ荒れているのとは違う事情があるのだろう。専門家でもない自分にはチンプンカンプンな領域であるからして、別段咎めるつもりもない。多少の意図は感じないことも無いが、証拠の無い憶測を口に出してもどうしようもない。
「しかし……一時間も、ですか?」
「ああ……それまで自由にしていて欲しい、だそうだ」
「チッ。……削がれるな」
「各々思うところはあるだろうが、英気を養っていてくれ」
溜息は漏れるが、会長を責めても意味が無い。水を差された気分なのは、彼女とて変わりない。
「しゃーなし……俺はギリまで控室で寝てます」
「あらら? 寝起きでちゃんと走れるの?」
「だから寝るんですよ」
悪戯気な笑みを浮かべるマルゼンスキーに、大きなあくびで今の眠気をこれでもかとアピールする。
「時間になったら叩き起こしてもらえると幸いです」
「ええ、おやすみなさい」
「うっす」
他のみんなは昼食を摂ったり、談話に花咲かせたりと、思い思いに過ごすようだ。
団欒な輪から抜け出るように、独り離れていく。
そんな背中へ掛けられる声。
「カイトくん」
「なに」
「…………やっぱりなんでもない」
「そうか?」
結論は出ている。また言い含めようとしても、結果は見え透いている。
それはスぺも、重々承知している。
「スぺちゃん、出店でも回りませんか?」
「あ、うん」
「カイトくんは」
「寝る」
「――そう、ですか…………」
主に大きく突き刺さる視線二つを筆頭に、その場の注目を先からずっと集めてしまっている。
挑戦者なのか挑戦される側なのかは不明だが、メンバーを集めた主催者なのは違いない。一挙手一投足に注視されるのは居心地も悪いが、甘んじて受け止めよう。
どうせ一時間だろうが数分後だろうが、結末に陰りなく。
急な遅れだがたったの一時間。掛けてきた総時間と比べれば、気にすることはない。
「楽しみだなぁ……」
頭が痛い。受け入れる世界の音は全て痛む。身体を動かそうとすれば全身が軋んで痛かった。ズキズキとわたしの生理機能は、生の実感を無理矢理に受け取らせる。
息を吸えば痛い。息を吐けば痛い。まばたきや喋ろうと唇を動かすだけで、長らく使われることのなかった筋肉は悲鳴を上げている。この体たらくでは現役時代のわたしが泣いてしまう。鍛え上げた自慢の脚の筋肉は、衰え尽くして錆を纏っていることだろう。
「あら……っ? ……あいたた…………いっつつ……」
でもこれが、これこそが生きること。痛くて苦しいこと引きずって行くのが半分。喜楽と共に幸福を求めるのがもう半分。それらをひっくるめて、わたしたちは生きているのだ。
なのに
ベッドから降りて立ち上がれば痛い。歩こうと試みるだけで痛い。一歩の距離で息を切らせて、下手をしなくても絶命しかねないわたしだけど、これ以上の苦痛を堪えて、耐えて歯を食いしばり続ける愛しい子がいる。その辛さを良しとして、受け入れようと続けるバカ息子。
それと比べればなんのその。
足が痛もうがなんなのだ。痛がることよりやらねばならないことが、わたしには有るはずだ。
「外出許可をお願いします!」
「ですがそんな体で……もう少し回復してからでも……!」
「今じゃなきゃダメなんです!」
少し見ない間に大きくなったアルダンさんが、珍しく声を荒げて先生へと掴み掛からんばかりに詰め寄っている。
嗜めでもすれば良かっただろうか。けれどわたしもアルダンさんに賛成派だ。
一刻も早く、不肖で愛おしい息子へ伝えなくてはならない事がある。
「移動は……車椅子、なのでしょう……?」
「!? 叔母さま無茶をしないでください!」
立ち上がっただけだ。無茶などと言わないで欲しい。あまりみくびって欲しくはない。
骨密度が低下しようと、身体を働かせる器官が不足しても、この程度が出来なくては母親など名乗れない。ましてやあの子の母などと、口が裂けても言えなくなる。
「でしたら、負担っ、も少ない、……でしょうし、わたしからも、お願い、したいわ」
「し、しかし……」
「お願いします……わたしの、わたし
植物状態だったが、それがなんだ。その程度の屈強は跳ね除けて見せる。
そして優しく叱ってやって、バカな我儘はそこでお終い。
「ほら、アルダンさん、、……あの子の元へ、案内して、くれる?」
「……はい!」
感謝は後で。謝罪も後で。
優先させたい事項は、わたしもアルダンさんも同じだった。
金切を上げる、急制動の叫び。アスファルトに削られて、黒いゴムが焼ける臭い。
刹那を置いて感じた、強く押し出される胸元への衝撃。切羽に詰まった、猶予に迫られた反射の押し出し。
バンッッッ――――と、衝突した音。
様々な不注意が結晶化した、いわゆる不慮の事故。
『へ――――?』
少年を咄嗟に抱き寄せていた女性ごと投げ出されて、腕の中の少年はすり抜けるように飛んでいく。でも怪我はない。擦り傷も打撲も無い。綺麗さっぱりとした無傷がそこに居た。
尻もちをついた途端、同時に叩きつけられるのは不可思議なカタチをした、多分、人間の男。自分の比較的近くで、頭から血を流すのは、多分、自分の母親。
びしゃりと、四方へ撒き散らされるすえた鉄の臭い。半顔を覆う熱の詰まった液体は、外気に触れてどんどん冷めていく。少し離れて横たわっているのは、一体ナニモノなのか理解できなかった。漏れ出る熱が冷めていく様を、触れることなく眺めていた。
現実味が溶けていくほど、脳内には空白が増してくる。顔の液体はもう冷たいから、其処に置かれて赤い液体を流出させているモノも、きっともう冷たいのだろうな、と。呑気にそんなことを考えていた。
冷えた液体が、冬の冷たさを助長させて痛い。
思考力も、判断力も、意識や意思と呼べる代物は、赤黒く流れ出る色を眺めているだけで、一緒に抜け落ちていく錯覚に陥る。
『……? …………ぇ、?』
何が起こっているのかなんて、認識しようと頑張ることは一旦放棄した。
ただいくら鈍感なフリをしても、惨状を見つめ続ければどうしたって受け止める。何が起こって、何が跳ね飛ばされて、何が撒き散らされて、何が寝転がって、何が発端となって。
そして、どうして自分は無傷のままでいれたのか。どうして無傷で生存しているのか。その成果は果たしてナニモノを、何名押し除けて奪い取った、取り返しのつかない席なのか。
幼くても、時間を掛ければ理解できる。
幼くても、自分のせいでこうなったと理解できる。
幼いから、直感的に自分のせいだと納得できる。
幼さ故の不注意がこの末路。無邪気な子供の引き寄せた事象が、この血溜まりとして答えを示す。
ころしたのは、
『……………………あっ――――は』
恐怖ではない。悲しみは受け止める容器が無い。怒りの矛先はまだ向ける方法を知らない。嘆き方をまだ知らない。
だから笑った。
『辛いなら、モノともせずに笑いとばせるくらいになろう』と、そんな父の言葉を思い出して、真の意味を理解する前に従ってみた。
――――わらうかどには、なんだっけ
『ははっ、ははははは。あはは』
少年にとっての世界。その殆どを占めるモノを喪って、吐き出せる感情は整理されたように綺麗なモノでは無い。でも、とにかく吐き出して、何かしらの形として排出しないと壊れると――既に遅くとも――無意識に悟っていた。
そうして出てきたのは、嘲るような笑い声。滑稽なピエロを見て嘲笑するような、冒涜の笑声。
見たくない世界から背けるように目は細めて、本心を隠すような仮面を手に入れた。笑い飛ばして開き直ったフリは、麻酔のように不快感を希釈する。無邪気だった心を汚く薄めて、心の感覚は鈍化へ一直線。
これから長いことお世話になる、亡き者から受け取ったと勘違いした遺産。
『はははは、くっはははははっ! ははっ、ひひっっ、! ははははっっ!!』
――――すごい! おとうさんのいうとおりだ! わらえばなんにも
『ひゃはははっ、くかっ、はっははははは!! ぷふっ! あははっ、ひゃははははははははははっははははは!!』
ペルソナは思いの外強く癒着して、涙だって流させてくれない。悲しみを自覚しても、行使する権利は気づけば剥奪されていた。
骨と灰だけの姿を見ても、眠り続ける姿を見ても、それらの情動煮え繰り返る坩堝にいても、どうしてもその雫が流れない。
そんなエイヴィヒカイトが、ある意味で生まれた日。
自分を忌み嫌うのは必然的で、あの日の決別もまた当然の出来事だった。
『おにい、さま……?』
『来ちゃダメマックイーン!』
白い肌を、耳から首へと赤がつたう。断面から滴り、水溜まりの中心へ跳ねる。
赤黒に汚れる少年を抱き締めるアルダン。顔を顰めて、嬉しそうに笑う少年。
『ぁ――はっ、く――ははっ』
あの日の笑顔は、エイヴィヒカイトの人生の中でも指で数えられるくらい珍しく、心底本心からのモノだった。両親と似たような構図で這いつくばって、小さくとも血溜まりを形成できてたのは、大好きな二人と同じになれた気がしてとても嬉しかった。
――――ショックを植え付けたのは悪く思う。ショックのあまり忘却を選ばせたのは、今でも申し訳なさで満ちる。幼く柔らかな心には、あの光景はとにかく刺さるだろう。そのせいで前後の記憶はおろか、その年齢の記憶だって吹き飛んだとか。
どうにもマックイーンへ甘いのは、そういった罪悪感の発露。
罪悪感を薄めるために利用している自分に、どうしても忌避感は浮かばない。自罰なんてどうでもよくなってきている。それよりも今が楽しくて仕方ない。
あの日から笑顔を形作るたびに、鉄の臭いが鼻をつく。
あの日から笑顔を装うたびに、視界は赤へと半分染まる。
そんな世界を抜け出そうとは思わない。逃げ出すのは有り得ない。
責任は果たす。エイヴィヒカイトが奪った命一つ分。己程度で釣り合うかは不明だが、差し出さなきゃ最低限でも釣り合わない。
そうして初めて、エイヴィヒカイトは自分を許せる可能性に出会える。
「最高の日だ……昔考えたことが全部叶う……」
世界への嫌がらせ。『大切』からの別離。贖いにだって繋がる。全部好き勝手やろうと思って、ここまで昇り詰めた。道を塞がれようとも、塞ぐものは押し退けて、この地点まで駆け上がってきた。
苦節十二年の時を経て、望んだ全部へ手が届く。
永劫の眠りにつけば、欲しかった全部に手が届く。
「あはっ……ははははっ! ……こんなに気持ちよく笑えるのは、久しぶりだな」
妥協以上の舞台も仕上がっている。包帯で固定を極めた脚も、一戦程度なら余裕で持つ。たった一回に全霊の悉くを込めるのだから、その一回だけを走れればその後なんて知らない。
終わった後にひっそりといなくなろうとしていた訳だが、此処の舞台は世界中が注目している。当然だが、日本中も注目を外せていない。未来を担うであろう若い原石たちも、見逃すことなく、夢を抱いて噛り付いているのだろう。もしくはこれから夢を抱くハズだった、か。
だったら大々的に、子供にも理解しやすく色味を付けて散るのも悪くない。輝かしいレースの世界を、エイヴィヒカイトが願う規模にまで穢すことも、断然視野に入るだろう。
何よりも、父親と同じようなカタチで終わるのは、それは何とも幸福なのだろう。尊敬が止まらない人物と同じような血溜まりを、幼い頃の未遂に留まることなく遂げられる。
褒めてはくれないだろう。叱ってもくれないだろう。でもいいのだ。
「どうせ同じところには行けないから、だから我儘に生きるからね」
扉を叩かれる音。時計を確認すれば、いつの間にか一時間は経過しようとしていた。
それは物語が一つ、終わりを告げようとしていること。
誰も見たことの無い景色を、訣別の舞台とするために此処に居る。
さあ、未踏領域で果てる時だ。
バカ:自分にとって唯一無二のヒーローと同じ(当社比)になれそうでウッキウキ。活き活きとして(死ぬための)気合十分。(死ぬための)気合しかない。(自殺への)やる気に満ちている。さあみんなレースガンバロー! 踏み台の役割よろしくー! 先頭で赤色撒き散らします! テレビの前のみんなにも(主に若者)会場に来ているみんなにも(主に子供)トラウマ受け付けるために頑張るぞい!!
従妹:私にはこれしかできませんでした。だからいってらっしゃい。
――――ああ、それと『私の』カイトくんをお願いしますね。
気が逸ってるお嬢様:大きな名家の生まれで良かったと両親への感謝が止まらない。病院行ってから時間掛かりそうだと思っていたら、なんか大体の手続きが終わっていた。後は医者を圧して向かうだけ。え!? 貴女はあの時のカイトにやたら気安いウマ娘さん!?!?
――――言われずとも、『私の』カイトは任せてください
総大将:総大将らしく、もうジタバタしない。どっしりと構える姿はヒュ〇ケルやア〇ン先生もかくやである。
不死鳥:吹っ切れた。ブッ千切れたとも言う。正体バレそうになってキレたミス●バーンの如き威圧感。
トレーナー:無力感に蝕まれてます。なんなら一番心労負ってんのは、スぺよりも事情を知らず、メジロ家よりは察せれているトレーナーかもしれない。中途半端が一番苦しむからね。事が済んだら温泉でも行って(優しさ)、オリ主の傷跡を目撃して曇れ(優しさ笑)
当主のばっちゃん:アルダン動いてるし安心だわー、と紅茶を啜る。果てしなく大きな事情あるっぽいけど、大きな障害を乗り越えれば絆はより深まるからね。この機にもっと深まるがよい。尚、事情を知れば卒倒する。脳内の血管から十本単位でプチプチと音がするかもしれない。
バカの父親:もういないひと。少年にとって永劫のヒーロー。ずっと少年の幸を祈り続けた人。そんな彼が身を挺した行動は、皮肉にも不幸へと誘ってしまう。もういないから、彼が少年に出来ることは何もない。見守るべき期間を見守れなかったから、父親としては落第者なのかもしれない。けれど確かに少年のヒーローなのだ。
バカの母親:立ち上がるだけで筋肉痛が半端じゃない。生体からギシギシ鳴るってどうなの。やせ細ってはいるが、これでも現役時代は誰しもを沸かせた伝説的存在。無敗でトリプルティアラはマジですごいぞ。あら? どうしてわたしのトロフィーがここに? でもよく見れば年代が違う? アルダンさんもいつの間にそんな大きくなったの? え? 十二年? そう――ところであの子は?
――――叱るのは初めてかもしれない。これじゃ母親失格かもしれないけれど、わたしはまだ生きているのだから、まだ出来ることがきっとある。
次回、最終回
バッドエンドIFいるかいらんか
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いらん
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いる