未踏領域で果てる   作:真の柿の種(偽)

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夢の範疇を通り越した、圧倒的地雷原


そのよん

 緑色から逃げ出した手前、ノコノコと姿を現すのは上手くない。故に本日は裏から回ってそそくさ登校。

 好奇の視線が昨日よりも突き刺さる朝。怖いもの見たさな感情を隠そうとしない娘達に、不躾に観察されながら、自分のクラスへ足を進める。

 廊下を歩くその途中で、赤いアイラインがキツそうな娘が、カイトの顔を見て立ち止まる。

 

「お前は……」

「……誰?」

 

 どこかで見た覚えも無くは無い、そんな程度のフワフワとした既視感。ただ十中八九知り合いではない。名前のうろ覚えならともかく、知り合いならちゃんと顔も覚えがあるはずだ。

 それにしてはごく最近見たような顔だが。

 

「……昨日は、それから大事ないか?」

「あ、うん大丈夫。ありがとう」

 

 余計な手間を取らせた相手に、まず安否の確認から入るとは。内面は知らないが、それなりに善良そうなヒトだ。

 リギルのメンバーに、こんな顔がちらほらといた気がする。几帳面そうな所作が、ほのかな緊張感を誘って、会長とは別ベクトルで肩に力が入る。会長は格式高く圧される感じだが、このウマ娘さんはお堅い教師のような感じだ。

 

「選抜レースめちゃくちゃにしちゃってごめんね」

「事故であるなら致し方あるまい。だが二度も同じことが起こらないよう、再発防止を心掛けろ」

「はいよー」

「……それと、私はお前の先輩だ」

「おっと……失礼しました」

 

 大人びた雰囲気とは思っていたが、まんま年上だった。

 やれやれ、みたいな頭を抱える動作は、よくたづなさんもしている動作だ。それと照らし合わせるのなら何と失礼なことか。昨日今日とで、カイトはすっかりと問題児扱いになっている可能性の示唆である。

 もしくはカイトの身を鑑みるなら、そうなる運命だったのか。

 

「ふんぞり返るつもりはないが、これでも生徒会に属している身だ。周りへの示しも付かないのはな」

「いえいえそんな……生徒会って、会長と同じなんですね」

 

 ってことはリギルメンバーに生徒会役員が少なくとも二人いる訳だ。普通の学校であればだからなんだって話だが、この学園は普通とは少し違う。生徒会という肩書も、また違った意味を持っていそうだ。

 ボケっとそんなことを考えていれば、華奢で細い手が差し出される。

 

「生徒会副会長を務めさせてもらっている。エアグルーヴだ」

「これはどうもご丁寧に。ペーペーの一般生徒なエイヴィヒカイトです」

 

 畏まりながら握手を返せば、肩書付けた自己紹介。ルドうんちゃら会長の右腕的な存在なのかもしれない。

 キリリとしたこの毅然な態度には、男女問わずファンがやたら多そうな娘だ。

 なので手を握り返すことに、多少の躊躇いが生まれる。大丈夫だろうか。そもそもがウマ娘とは半ばアイドル的な在り方だってのに、そんな存在に触れてしまうなんて。近いうちに背中を刺されてしまいそうな気がする。

 とはいえ、無視するのも失礼が過ぎるだろう。なのでそこで睨みを効かせる女生徒よ、どうか許してください。

 

「色々とご迷惑かけますでしょうが、よろしくお願いします」

「ああ、目指す夢があるのなら励め。努力を惜しまねば、この学園はお前を受け入れる」

「ええそりゃもう頑張りますとも」

 

 時間もそこまで豊富ではない朝。たまさか出会った二人は会話もそこそこに別れる。

 副会長が遠ざかる足音を聞き流し、淡々と教室へ向かう。

 遠回しな、けれど確かな『頑張れ』を受け取った。そんなことは言われるまでも無いことだけれど、純粋な激励はいくら貰っても悪い気分にはなれない。

 

「あーゆーヒトも、そりゃ居るさ……」

 

 エイヴィヒカイトはつまらなそうに呟く。

 世の中悪辣ばかりじゃない。それを再認識した朝だった。

 

 

「おっはよう――」

『ッッ! …………』

「――ございまーす……?」

 

 はて、場のノリを間違えただろうか。

 朝にしてはうるさすぎず、それでいて暗くないような塩梅を狙ったつもりだが。

 

「……あっ、ちょっと通らせ」

「ひぃっっ!! すみません退きますッ!!」

「……………………ありがとねー」

 

 横を通ろうとしただけなのに、その反応はあまりにも酷すぎる。悪意が無いのは分かるが、なんだかなぁと言った心境である。致し方無しで流すには、思春期少年の心をそれなりに抉る威力を持っていた。

 一体どんな噂が出回っているのやら。

 席について早々に頬杖を突けば、窓へすぐさま視線を移す。

 

「……まぁ、いっか」

「おはようございますエイヴィヒカイトさん。どうかしましたか?」

 

 問われた方を向けば前の席には、同じチームメイトのスペシャルウィーク。

 

「いや、どんな噂流れてるのかなって」

「あー……あははー……」

「その反応で大体分かった」

 

 どうせ大出血ルーキーやら、爆走回転小僧やら、バカバカしい二つ名でも付いたのだろう。当分は面倒な偏見も纏わりつくが、放置しておけばそのうち収束する。この手の対処法は触れないことなのだ。

 深堀りする気も無く、話は自然と二人の共通点へ、来週の話へと移る。

 

「しかしだ、学園にやってきて即デビュー戦とはね。お互いに忙しいな」

「そうですよね。私、ちょっと緊張してきました……」

「ありゃりゃ……頑張れ?」

 

 かく言うカイトとて、あのトレーナーが何を考えているのかよく分からない。一周回ったタイプの阿保なのではなかろうか。

 

「一週間で仕上げろって、相当難しいんじゃねーかなぁ」

「うーん……実は凄腕のトレーナーさんなのかもしれませんし……」

 

 現時点では評価なんてしようが無い。軽薄そうな雰囲気なのは、敢えて装っているのかさえも判断できない。

 

「ま、それもこれも来週には分かる訳だ」

 

 ただ一点だけ気になるのは、サイレンススズカのあの映像。

 十を超えるバ身差で、絶対的勝利を飾っていたアレは、なんでもトレーナーが指示した結果らしい。元々のトレーナーである人からの指示ではなく、スピカのトレーナーに従って叩き出されたあの光景。

 リギルを率いているトレーナーが未熟と言われれば、それにも謎が残る。七冠なんて記録を持っている会長が所属しているのだ、そんな彼女が指示を仰ぐ人物は、優秀の類でなければ嘘だろう。

 そんな人物を差し置いて、サイレンススズカの適正を見抜いたのだとしたら。

 

「……トレーニングに勉強。目の前のことに集中してれば、その内緊張も解れるかもよ?」

「そう、ですね。ありがとうございます、エイヴィヒカイトさん!」

 

 爪を隠していると推測するには、材料は十分なのではなかろうか。

 そんな思わせぶりなだけして、偶然噛み合った可能性も無きにしも非ずだが。

 

「……担任来たな」

「はい! 今日も一日頑張ります!」

「お〜、その意気だね」

 

 人生初の高等部。その最初のHRが始まる。

 中学の時と変わらない、退屈で眠気を誘う時間だった。

 

 

 今日の座学は全て終わり、放課後の憩いの時間。

 

「俺はいいんですか?」

「ああ、校内の案内も兼ねている。お前はもう済んでいるだろう」

 

 現在のクラス内で、唯一の話し相手と言えるスペシャルウィークは、生徒会長に呼び出されてしまった。座学の時間は終わって、スペシャルウィークと喋って暇でも潰そうとした矢先だった。

 大方飾られた額縁の意味を問われて、その後に施設案内って感じだろう。自分がそうだった。

 

「……お前達は来週にデビューするそうだな」

「耳が早いですね」

 

 一人で適当に時間でも潰そうかと考えていれば、副会長殿が話題提供をしてくれる。

 

「自信の程はどうだ」

「さあ? そればっかりはどうも」

 

 不足して負ければそれまで。足りて勝てばその先へ。逡巡するなんて期間は、いつの間にか過ぎていた。書類上決まったのなら、やるっきゃ無いのだ。

 それに、ハイペースに事が進むのは、カイトにとっても願ったり叶ったりだ。

 

「いや……お前にそのような心配は不要か」

「あらら、随分と期待されてますね」

「当然だ。いくら色眼鏡を掛けようと、お前の走りは本物だったのだ。例え転倒し、失格となろうが、あの速さには期待をさせる熱が存在していた」

「それは……どうも」

 

 ベタ褒めってやつだろうか。煽てられても、カイトには何も出せるものなんて無い。精々が言葉だけの謝礼程度。

 目を細めて、笑顔で礼を告げる。

 

「スペシャルウィークさんはどうなんですか?」

「あれは……普遍的ではある」

 

 つまり()()()では大したことが無いと、この娘は判断したのだろう。

 

「そうなんですか」

「大きく遅れて二着だ。少なくともお前やエルコンドルパサーと比べれば、普通と言わざるを得まい」

「伸び代もないと?」

「それは本人次第だろう。伸び代なんてものは、決められた才能(限界)ではない」

 

 いい格言だ。隙を見て自分も使わしてもらおうと思う。

 何と言ってもカイトとて、特筆した才が無いと過去に言われた身だ。先達がそういったことを言ってくれるのなら、後ろを行く身として奮起もしやすくなる。

 根本が面倒見の良いヒトなのだろう。朝だって自分のような腫物へ積極的に話しかけてくれるし、後輩からの支持が凄そうだ。

 

「そのカッコイイ意見は、是非とも同意したいですね」

「ああ、そうしろ。……ところで」

「? なんです?」

 

 そう聞けば、足元を指さして訪ねてくる。

 指す方へ向けば、不自然に浮いたカイトの右足が。

 

「……痛むのか?」

「あー、これ筋肉痛ですね。レースの後ちょっと」

「あんなレースの後にトレーニングをしたのか……」

「へ? いや全然」

 

 なんか急に話が噛み合わなくなってきた。

 

「? では何故だ」

「いやだから、全力で走ったから筋肉痛なんですって」

「――走ったから、筋肉痛?」

 

 吊り上がる目尻に、なんだか叱られている気がしてきた。ぼかぁなにかやってしまったのかしら。

 信じられないといった表情で、オウム返しなエアグルー()先輩。

 単語が初耳な訳でもなかろう。むしろアスリートの枠組みにいる先輩なら、聞き馴染みすらあっても良い言葉だ。

 

「……」

「トレーニングルームって今の時間空いてますかね」

「……あ、ああ。授業中などでなければ使用は自由だ」

 

 図書室などにも寄ってみたいが、それはおいおい見ていけばいい。目下はデビュー戦へ向けて、僅かでも下積みを続けよう。

 

「それじゃあ俺はこれで。喋り相手になってくれてありがとうございます、エアグループ先輩」

「気にするな。……エアグルーヴだ」

 

 そんな訂正が聞こえたかどうか。

 スピカでのトレーニングまで、そこそこ時間を持て余している。痛んだ筋肉を労わるついでに、軽く鍛えよう。

 スタミナスタミナ、なにはともあれ体力である。

 傍目から見て長所と捉えられた速度を保つために、膨大なスタミナが必要だ。ペース配分のアレコレも教えて貰うが、それでも体力とはいくら有っても困る物ではない。有れば有るほど良いモノとされている。

 

「さーってと、はーしろっと」

 

 モーセの如くヒト波を掻き分けて、意気揚々と目的地へ進む。

 

 

 多分、汗を拭きながら登場したのが不味かった。前もって拭いていれば、見咎められることも無かっただろうに。

 バランスボールの上で正座を組みながら、しかめっ面なトレーナーの苦言を受け取り続ける。

 トレーニング中の逃げられない状況を利用しているのなら、中々に策士である。

 

「なーんでトレーニング前に疲れてるかなぁ……」

「いやだって、体幹トレーニングって言ってたし」

 

 軽くのハズが、思いの外興が乗りすぎたランニングマシーン。とある一台は今日で相当に摩耗させた自覚はある。螺子を二か三本は緩ませた確信もある。

 

「ランキングとかあるなら上位には喰い込めると思う」

「褒めてねえ」

 

 そんな教え子の頑張りは、一言で封殺される。なんて非道だ。これが噂のパワハラって奴だろうか。

 

「トレーナーさん……次の、いろを……!」

「早くしてくれぇ!」

 

 スペシャルウィークの絞り出すような呻きを、ウオッカの叫びが塗りつぶす。

 室外で行うツイスターゲームが、こんなシュールな絵面を生み出すなんて知らなかった。バランスボールに座り込むカイトも、さもありなん。

 そう離れていない場では、リギルのメンバーさん方が走り込みを行っている。チラチラと見てくるのは、きっと良質なメンタルトレーニングにもなっているハズなのだ。あ、いまエアグループと目が合った。栗毛のクラスメイトもこっちを見ている。もしかしたらこれがモテ期なのかもしれぬ。

 

「おーい、せんぱー……ありゃ、目ぇ逸らされた」

 

 視線に応えて手を振れば、ササっと他人のフリをされる。モテ期なんてどこにも存在しなかった。

 

「……体幹強いんですね」

「お、マジですか? サイレンススズカ先輩にそう言われるとおぉっ!!?」

 

 サイレンススズカから話しかけられた事が珍しくて、調子に乗ればついバランスを崩す。頭から回転すれば、鼻には土の匂いが衝突した。

 赤くなった鼻を抑えつつ、タイマーをリセットさせる。

 目標の時間には到達していない。もう一度だ。

 

「いたい」

「だ、大丈夫ですか……?」

「ええまあ、折れてはないんで」

 

 鼻を摩りながら、再びのトライ。

 

「このままバランス鍛えて今日は終わりですかね」

「……最後に並走を数本して終わるそうです」

「そうですか」

 

 並走相手がサイレンススズカであれ、などとそんな贅沢は言わない。せめて、願わくばゴールドシップだけは避けろ。アレが居るとカイトの調子が狂い咲く。ヤツはどうやらエイヴィヒカイトの天敵らしい。

 なんにせよ朗報であるのは間違いない。サイレンススズカの走りから学べる物は、大いに多いハズだ。観察できる機会は、あればある程カイトは嬉しい。

 

「サイレンススズカ先輩と走れればなぁ……」

「……そ、そう、ですか」

 

 他人行儀は致し方無し。会って一日そこらで、臆面なく喋れる方が珍しい。スペシャルウィークやトレーナーのような存在が例外。十数年の内の、本当に希少な存在なのだ。あとゴールドシップも。

 それを思えば、自分から話しかけてくれるだけ、ありがたいくらいでもある。

 

「あんま気にしなくていいですよ」

「……え?」

「戸惑いや訝しみがデフォルトなので、話しかけてくれるだけ嬉しい物です」

 

 そう言って、目を見つめながら微笑む。

 エイヴィヒカイトに戸惑っているという事実を気に病む、大抵は善人の特徴だ。直近なら会長が一番分かりやすい態度を見せてくれた。悪辣な者へならまだしも善良な者へ、よりにもよって一種の自己嫌悪のような感情を抱かせてしまうのが、長いことの悩みでもある。

 だから軽く考えてもらった方がいい。重く捉えられて、気に病ませるくらいなら、もっとテキトーに対応してくれた方が、カイトにとっても楽だ。

 

「なのでもっと気を抜いてもらって構いません」

「……難しいかもしれません」

「でしょうね」

 

 以前にもそう伝えた数名は、同じようなことを言っていた。ただこれを伝えるか否かで、関係性の構築速度も変わってくる。後々には、もっと気安い関係性を作りやすくなる。

 この瞬間からの意識改革など、ハナから狙っていない。大事なのはそれを伝えたことだ。

 

「なのでね、まずは敬語抜いてみてくださいよ」

「……敬語、ですか」

「目上のヒトから敬語使われたら、後輩はそれはもう、やり辛いってなもんです」

「…………」

 

 繰り返すようになるが、サイレンススズカの非凡な走りは、参考にすべき部分がいくつも存在する。彼女と今後仲良くなるのは損ではない。己が目的を成す為に、彼女との交友関係は極めて有用だ。先輩であるのなら、サイレンススズカの同級生への繋がりも、カイトにとっての先達との関係性も持てるだろう。非凡の周りには、非凡が集まるのだから。

 であれば積極的に距離は詰めたいところ。別段男女の関係性など欲していない。必要なのは彼女の才能と、その繋がり。

 シンプルな『友達は多ければ嬉しい』理論も存在するが、それはそれ。

 

「そんな感じでお願いしたいです」

「……そうね、うん。……よろしくね、カイトくん」

「おお……」

 

 引っ込み思案な印象のヒトが、自分から握手を求めてきた。やってやったぜ。カイトはちょっとの達成感を得た。

 その手を握り返そうと、カイトは手を伸ばす。バランスボールの上で。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします先ぱっぁあ!?」

「キャッ!? ……大丈夫?」

 

 もう土の匂いは飽きてきた。タイマーもまた最初からやり直しだ。

 

「すごく、いたいです」

「真っ赤で、痛そうね……ふふっ」

 

 そうしてサイレンススズカとの距離は、少し縮まった。『どう接すれば良いか不明な後輩』から、『ただの後輩』くらいにはランクアップしたと願いたい。

 鼻が痛むくらいでこの成果なら、十二分に上々と言える。

 そんな放課後だった。

 

 

 昨日はスペシャルウィークが、見事なデビュー戦勝利を飾った。

 そして次は、カイトの番。

 

「緊張はどうだ?」

「全然無いよ」

 

 ゼッケンの番号は13番。

 アウトコースから始まることを強制されるその番号は、本来な苦手とする者も多いだろう。今回に限って言えば、正直どうでも良い話だが。

 どうせ他の走者も、練度なんてさして変わらないのだ。枠順の有利不利の戦術など、今から活かせるとも思えない。

 

「呑気なもんだな」

「そうかな?」

 

 故にモノを言うのは、シンプルな自力。戦術に目をくれず、本能に任せた疾走こそが此度の最適解。少なくともエイヴィヒカイトにとっては自力を示す場所でもある。

 同時に、自らの存在を知ら示す絶好の舞台。

 注目なんて何があっても集まる。歴史上の唯一無二が表へ出てくるのだ。ゴシップが好物なハイエナ共が、そんな機会を嗅ぎつけないハズが無い。愚鈍な民衆が、集らないハズも無い。

 そんな眉を顰めるような状況も、エイヴィヒカイトにとっては好都合でしかない。

 

「本当に……負けたら()()()()()()つもりなのか?」

「一度の敗北で俺の夢は閉じる。妥協も譲歩もあり得ない。俺には勝ち上がる事でしか(未来)が無い」

「……考えは変わらないのか?」

「ムリ。負けた瞬間から、少なくともレースで叶えるのは不可能になる」

 

 長話を出来る時間はもう無い。カイトの考えを否定できるほど、カイトの事情を知らない。

 自ら選び、決断した道の方へ、エイヴィヒカイトは歩いて行く。

 

「もう行く。パパッと終わらせて帰るぞ」

「…………おう! そこまで言うならパパパーっと勝って来い!!」

 

 イエスともノーとも言わず、カイトは後ろ手を振るだけ。

 勝負は時の運とも言うらしい。だから今回は、今回だけは負けるかもしれない。絶対勝つなんて、口が裂けても言葉に出来ない。最初の今日だけは、『レースに絶対は無い』という『絶対』の法則が働く。

 でも勝ったのなら。もし次が見えたのなら。

 その瞬間からターフの上にあり続けた、『絶対』の法則は歪む。エイヴィヒカイトだけを例外として、歪み続ける。

 歪ませてみせる。

 

「……お前の夢ってやつを、その内聞かせて貰いたいもんだ」

 

 此処が未来への分岐点。夢が叶うか途絶えるか、大きく分かれた桶狭間。

 その選択は、少年の望んだ方角へ舵を取って――――

 

 

 最後の一歩が、青芝を深く土ごと抉る。

 カイトの未来は、その一歩で決定づけられた。

 

『十バ身以上の差を見せつけてッッ! 勝ったのはエイヴィヒカイト!! 異端のルーキーが、その存在をこれでもかと見せつけました!!』

「……ふぅ…………『異端のルーキー』っての、やめてくれないかなぁ……」

 

 痒くてチクチクするような、そんな二つ名の誕生の気配に怯えながら、ターフを後にする。

 実況席だけは大熱狂な勢いで、カイトの勝利を知らしてくれる。けど周りはどうだ。

 電光掲示板はチカチカと眩しい。太陽は燦然とギラつく。

 でも拍手の一つも聞こえやしないのが、カイトの背負った現実。

 

『――あれって男の――――』

『レースに出て――』

『そもそも――――有効なのか?』

 

 囁いてるつもりだろうが、千人規模で囁けば、それは最早雄叫びと対して変わりはしない。

 聞こえるわ聞こえるわ、疑問怪訝懐疑不審。

 そして何よりも、嫌悪。

 

『ウマ娘じゃないのに――――』

『男なのに――――耳と尻尾』

『――気持ち悪い――――』

『まるで――――化け物だ』

「ま、そうなるよねー」

 

 そんな穢れの吹き溜まりのような感情を、ターフの上で一身に受け止めるカイト。しかしこんなのは慣れっこな訳で、涼しい顔で受け流すだけだ。

 今頃は男のウマ娘を担当するその意味を、トレーナーがようやく実感し始めた頃だろう。

 これからはコレが続く。むしろ重賞へも積極的に挑んでいく以上は、粘着度は更に高まるだろう。それを知っても尚、カイトを担当し続けるのだろうか。

 感情の矛先とは、酷く不安定に揺れる。カイト以外でも、カイトに近い人物にだって向けられもする。例えば家族やトレーナーや、チームメイトだって例外では無い。

 それを考えれば、次のトレーナー候補を見繕う必要があるかも知れない。最悪独学で挑むなんて事も、まずあり得ない話では無いだろう。

 そうなったら面倒だと考えて、今後を考えながらターフを去る。

 

「あ、……踊るやつ辞退するか」

 

 カイトのような野郎が歌って踊った所で、何処にも需要など無いだろう。そもそも振り付けも歌詞も知らなかった。

 覚える気があったかどうかについては、ちょっと惚けさせて欲しい。

 

 

『この後用事あるから先に帰ります。見に来てくれてありがとう、気持ち悪いモノ見せてごめんね。ってみんなに伝えといて』

 

 会場で届いた言付けをゴルシ達へ伝えて、主役の出てこないライブ会場を、一人欠けた『みんな』で後にした。多感な時期の彼女らに偶発的でもあんな光景を見せてしまったのは、あまり良く無いだろう。

 娘達を送り届けた後の行きつけの店、大人の特権(アルコール)を喉へ流し込んで自問する。

 自らの見積もりが甘かったと、そう認める訳には――――いかない。認めてしまえば、エイヴィヒカイトを罵った連中と、同じ穴の狢になる。

 それになにより、本心から後悔などしていないのだ。

 契約の際に問われた言葉を、軽く受け取ったのは事実だ。しかしそんな事よりも、エイヴィヒカイトの走りに可能性を感じたのは、なによりも大きな事実なのだ。

 

「……俺は、アイツの夢を叶えてやりたい」

 

 どんな夢かは知らない。何を求めているのは知らない。

 けれど、夢を追い求める限り、エイヴィヒカイトは走り続けるのだ。

 

「アイツの走りに可能性を見た。だから、その先を俺は見てみたい」

 

 確かな原石だった。未来への新芽だ。若き可能性だ。

 そんな活力が、あんなありふれた悪意に潰されるのは、嫌だった。

 誰も彼もが、納得のいく反応をしていた。

 驚き、疑い、そして忌む。違うモノを輪から弾き出そうと、本能的に忌避していた。

 きっと正しい。動物的なら、種族的なら正解だ。尖ったモノを排斥して、平均を保つ。野生に生きるのなら、東大クラスの大正解。

 でも自分達は霊長だ。豊かな心と、深い知性を持ったハズのヒトなのだ。ヒトとは分かち合い、優しさを分け合ってこそ善良となりえるのに。

 

「だから俺はアイツの担当を降りないよ、おハナさん」

「……そう」

 

 それきり勘定するまで、ライバルでもある彼女は喋らない。いつもみたいに『バカね』、なんて事も言わない。

 ただ黙って、共にグラスを煽り続けてくれた。

 

 

「たっだいまー……なんてね」

 

 誰もいないボロアパートに、独り言が寂しく響く。

 防音性能はあんまりで、部屋中の戸の立て付けが悪い。雨漏りはないが、大きな台風でも来れば即座にその恐怖に怯えるだろう。そんな1LDKな我が住まい。風呂の大きさや、隙間風などの問題も加味すれば、学園の寮よりも程度は低い。

 県を二つや三つ跨いだ実家から学園へ通うのは、流石に億劫の極みだ。カイトの稼ぐ臨時収入と立地を見比べれば、築五十は経過してそうな此処ぐらいしか選択肢は無かった。

 

「さって、メシメシ〜」

 

 確か冷凍庫には、作り置きしておいたハンバーグがあるハズだ。チンして解凍のち、焼き直す。サイドを作るのは面倒なので、今日はメインのハンバーグのみ。

 そんな計画を実行に移す前に、部屋へ着替えに行く。

 そうしてリビングへの戸の前に立って、なんか良い匂いがしていることに気づく。

 てっきり近隣からの夕餉の香りかと思っていたが、出所はこの先にあるらしい。ついでに言えば玄関先に、カイトの物では無い小さな靴を見つけた。

 こーりゃ来てます。丁寧な侵入者です。不法では無いと思うので警察はノーサンキューです。

 こーゆーのは先手必勝です。ビビらせれば勝ち確なのです。そしてカイトは勢いよく戸を開け放った。

 

「誰じゃぁ!!」

「おかえりなさいカイト」

「やっぱアルダンかよ」

 

 保健室の件と言い、この親戚はもしかしてだが、暇でも持て余していらっしゃるのだろうか。

 合鍵はカイトの持つ一つしか無いハズだが、どうやって侵入したのかなんて、そんな下らない質問はしない主義。どうせ聞いた所で帰ってくるのは、静かに笑って首を傾けるだけの仕草のみ。この場合の対処法など心得ている。

 

「……手ぇ洗ってくる」

「ついでに着替えてらっしゃいな」

「あい」

 

 大人しく状況に乗っかるのだ。拒んだ所で延々と世話を焼き続けるこの親戚。連鎖を打ち切らねば、四六時中付き纏われる。てか実際幼少期には纏わり付かれた。

 歳を経るごとに頻度は減っていったが。

 

「なにこれ、カレー?」

「ビーフシチューです。好きでしょう?」

「いや、好きだけどさ……なんか、豪華?」

 

 シチューだけを指しての言葉では無い。

 まず皿からして違う。此処へ越してきた際に用意したのは、百均で購入したプラスチックの代物だ。まかり間違っても『ぼくちん老舗百年ブランドです(キリリッ)』みたいな模様が自己主張する皿なんて、カイトはこれっぽっちも知らない。フォークやナイフとスプーンは、そもそもこの家には無かったハズ。てかウチの包丁よりも切れ味ありそうなナイフって、食卓に置かれていいのかい?

 脇に置かれたビンはシャンメリーだろうか。ラベルに書かれている文字は、英語とも違う表記で全く読めません。おフランス製かしら。

 グラスに関しては、なんか妙に細長い。デコピンで砕けそう。

 

「何この肉」

「ローストビーフです」

「これ何」

「ビーフストロガノフです」

「ビーフ&ビーフ打線だと……?」

 

 グラビティなラインナップだ。

 綾黄色のサラダも視界端に存在するが、説明する気は無いらしい。

 あくまでも主役はビーフ船長とのこと。

 

「好きでしょう?」

「いや、好きだけどさ……なんでこんな?」

 

 世話を焼くのは百歩譲って分かる。いや分からないが、納得はする。十年近くそんな調子だったのだから、納得せざるを得ない。

 しかし今回ばかりは若干過剰に思える。

 一報の許可無く部屋へ入ったりなんて、常識を持ち合わせたアルダンなら行わなかった行動だ。少なくとも、カイトはアルダンのそんな姿を、一度とて見たことが無い。

 なにかあったのだろうか。らしく無い行動をさせるような、ナニカが。

 

「そう……ですね。白状します」

「……」

「――カイト――」

「お、おう」

 

 意を決した顔つきで、しかとカイトを見据える。

 なんて迫力だ。これほどの気迫をアルダンから感じるのは、人生で五か六回目だ。あれ、意外と多い?

 ゴクリ、生唾を飲み込む音を実感する。

 何か、とてつもなくとんでもないことを言い出しかねない雰囲気が、リビングを支配して――――!!

 

「――デビュー戦勝利、おめでとうございます!」

 

 パカンッと、クラッカー楽しげに鳴らすアルダン女史。

 きっと初めて鳴らすのだろう。紐を引っ張る瞬間、やたらと目を輝かせていた。お嬢様が楽しそうでなによりです。

 

「…………はぁ、そうですか」

「おめでたいことですよ?」

「そうか、おめでたいな」

「もっと喜んでも良いと思います」

 

 喜び切れないというか、そもそも喜ぶような事柄でも無いというか。個人的にはこんな事の前フリで、『ゴゴゴゴゴゴ……!!』みたいなオノマトペを発して欲しくはなかった。

 

「なるほど、お祝いって訳だ」

「ええ、折角の機会ですもの。カイトの好物をと」

「…………ありがとう」

「どういたしまして」

 

 らしくない気恥ずかしさを誤魔化すように、視線はやや下がろうとするが、なんだかそれでは負けた気になって、負けじとアルダンの双眸を見つめる。

 微笑み返されるのが、何となくムカつく。

 

「さあ、冷めないうちに召し上がって」

「……あい。いただきます」

 

 まず手を付けたのは、シチューから。

 お嬢様の食卓に並ぶのだ、素材も一級品に違いない。そんな、予想を遥かに通り越した味に目を見開いて、二人きりの食事会は始まった。

 この後にケーキを出されて、また驚愕するのは別の話。

 

「……え、まさかこれ全部手作りなんて」

「勿論」

「…………ケーキもかぁ……いつの間にこんな女子力身に付けてたんだ……」

「カイトが喜んでくれたなら、良かったです」

 

 お抱えのシェフの手も借りず、自分一人で全て作り上げたと知って、驚愕よりもはや感心した。

 そんな夜だった。

 

「今日は泊っても――」

「バカじゃねーの?」




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