これで引くときはバッチシなんよ
括った腹がある。
罪悪感と言い切れるほど大きな棘ではないが、恵まれているが故の小さな蟠りは常にあった。直接その現場に身を置いて学べる環境は、そもそも他の者とはスタートラインからして大きく違う。それを受け取るだけの自分がフラフラとしているだけで良いのかと、自己に問いかける程度は思うところはあった。
だから、腹を括るにはちょうど良い機会。踏ん切りとして子供だった自分との決別を試みるなら、本当にタイミングとしてはこれ以上ない。
覚悟を決めたとも言い換えられるその決意は、その身の全霊をもって挑戦することへの証。利己的かつ打算で選んだ職種でもあったが、存外自分はそれだけ本気で取り組めるのだと安堵したかった部分もあるのかもしれない。
「うおっと……」
物思いに耽るがまま走っていれば、突然重りに繋がれたような疲労感が下半身に圧し寄せた。
突如として重力が局所的に増加したような、自覚の遅れる厭な疲れ方。
「……あーあ」
朝一番よりも更に早いこの時間は、薄い暗がりと顔を出し始める陽が共に在って、空気の清涼感は午後との違いを色濃く演出してくれている。
何百と走ったこの道から覗ける景色は、ため息が出るほどに綺麗な世界だった。当時は全くもって気付こうとする余裕などなかったが、本当に以前までの自分はもったいないことをしていた。
懐古すら浮かんだ道を進めばしかし――――やはり、受け取れるのは予想に容易かった結果。
「やっぱりもう無理か」
こんな時間に起きて汗を流すなど久々だったが、それを再確認できただけでも悪くはない。
結んだ約束は守る。交わした誓いは遂げる。自己に大きな変化が訪れていても、その在り方は現役時代と変わりない。
親友と呼んで憚ることはない相手なら期待には応えられずとも、全力で応えることぐらいは出来なければ親友などと自称は出来ない。
「でも、精一杯頑張ろう」
きっと、これがエイヴィヒカイトの生き方。
大切な約束を紡いで、それを目標に据えて日々を過ごす。約束が果たされたなら成果を自らの糧として、新たに約束を紡いで日々を生きていく。
そのための腹は、もう括ってある。
「お兄様っ!!」
おはようと朝一番の声を掛けるまでも無く、開口一番はマイシスターからぶっ放された。
ズンズンと教室を肩で歩く姿は、よく観察するまでも無く怒っている。頬を膨らませてぷんぷんっ、と相当におこである。可愛い。
「何しに来たんだあいつ」
「……チームの話なんじゃ」
「ははっ、まさかそんな。テキトー言うなよマスク剝ぎ取るぞ」
「ケ!?」
腕を取っ組み合ってじゃれあっていれば、横合いから差し込むさっきよりも怒りの膨らんだマイシスターの声が届いた。
でもごめんよ、今はこのマスクに秘された姿を暴くのに忙しいんだ。
「お兄様っ!! 一体これはどういうことですかっ!!」
「そのツラ拝ませろよぉ~」
「やっ、やめっ……やめてぇー!?」
「聞いてますの!?」
てんで聞いてません。
「それで、今日はまたどうしたの?」
「どうしたもこうしたもっ! チームを組むならどうして私には一言も誘いが無かったんですか!?」
「だって急に決まったし……」
「それでも一声ほしかったんですっ!」
両腕をブンブン振り回して、かまってちゃんのようなことをらしからぬ大声で宣う。ゴルシが常日頃弄るのも分かるくらい可愛い。確かにこれは嗜虐の心がそそられるのも、全力で頷ける所存だった。
ところで公衆の面前ですが、割とな醜態晒しているのには気づいていないのか。やっぱりマックイーンはお嬢様然とした利発な印象でなく、もっと少女然としたいたいけさをアピールポイントとして推して行きたい。
「……選択肢に無かったから?」
「ッ!! ムッキィ~~~ッッッ!!??」
「インフェルノしてるね」
「マスク掴みながら喧嘩しないで?!」
――あー、面白い。
のけ者にされたことに対する激昂の情熱と、アイデンティティ剥奪への焦燥感に挟まれますは、穏やかな面持ちで牧歌の謳歌を実感しているカイト。両手に華って癒されるなぁ。
そんな話を聞いているのか聞いていない姿勢で、だらしない表情を浮かべてばかりのカイトに業を煮やしたのだろう。マックイーンの人相がちょっとシャレにならない領域へ踏み込まんとしている予感。般若とかその類へクラスチェンジするシスターは見たくない。そんなんはグラスとかでお腹いっぱいだ。
「――――カイトくん?」
「……ご、ごほんごほん」
今流行りではない鎌倉系女子の話はともかく、謝罪の意識へ切り替わるのは早かった。
「マックイーンをハブったりとかそんな意図は無かったよ。本当に急遽決まったからさ」
「……私も、お兄様の師事を受けてレースに出たかったのです…………一緒に、同じ目標を……」
拗ねたようにな呟きが、何とも言えないほど兄として冥利に尽きる言葉だった。
先の激昂からみるみるうちに落ち込んでいく様を見ていると、悪いことをしたなとは思う。
昔ならいざ知らずだがはてさて、今のカイトであれば埋め合わせの一つや二つは考えておかねばなるまい。
ちなみに――――『なんでもする権』の負債が溜まっていることを、カイトはこの時完全に忘れていたりする。
「うん、それはごめんね」
涙目になりかけているのを見てしまえば、エルのマスク事情などどうでも良い。取っ組み合っていた手を突然離せば、倒れ込みかけるエルが尻目に見えた。
萎れた耳へ沿うように、なだらかな手つきで絹のような芦毛を手櫛ですく。
「……ご、誤魔化されましぇん……っ」
「そんなんじゃないよ。……俺の考えが浅かった。せめて一言くらい言ってあげてればよかったな」
「…………んにゅ……ぅぅ」
「ごめんな。許してくれマックイーン」
「……ぅぁぅ……ゅ、許しま、……っ!」
陥落寸前の瞬間に、カッ! と目を見開いて大きくかぶりを振った。ウソでしょ。お兄ちゃん、マックイーンから許してもらわないと死するぞ。果つる命の滾るですぞ。
「許しません!」
「え゛゛っ゛゛、、ぁ゛あ゛っ」
あっ、急なストレスで死期が見えた気がする。眩暈がすんごい。すまんオトン、ぼかぁ今すぐそっち逝きそう。
「……宣戦布告ですわ! 私がお兄様のチームに勝ったのなら、一緒に私の実家へ来てもらいます!!」
「え」
「お兄様のチームなんてコテンパンに打ちのめしますから! 覚悟なさってください――――!!」
「……え?」
なんてこったい。とんでもないことを言い残して、ディア・マイ・シスターは走り去っていった。
だって遊びに行くくらいは予定さえ合えばいつでも行くのに。マックイーンのお願いを極力断りたくない人生だ、諸手を振ってダッシュで駆けつけるのに。
でもまあ面白そうなので放っておこう。わたわたとしているマックイーンを眺めるのも、それはまたオツなものなのです。
「嵐は去ったな……」
「以前から思ってましたが……」
「ん?」
「彼女と話す時のカイトくんは、大人のような振る舞いを心掛けていますよね」
「…………分かりやすい?」
「ええ、傍から見ていれば、それはもう」
隠す気も無いが、改めて指摘されれば羞恥も灯る。
しかしながら気後れすることはない。むしろ堂々と宣言してこそだ。
「あんな可愛い妹がいるなら、お兄ちゃんを務めるのに全力に決まってんだろうが」
「だからあんなにダダ甘なのね」
「キングもカワカミが居るんだし分かるだろ」
キラキラとして目で慕ってくれる相手は、アガペーで以て甘々に優しくするに限る。
「……んなことより、お前ら本当に良いんだな?」
「提案した本人がそれ聞いちゃう?」
「最終確認だ。
机から取り出す一枚の用紙。五名の選手登録。そして、彼女らを担当する者一名の記載。
コイツを無かったことにするなら今の内。誰かしら先約でもあってそちらを優先させたりなど、無しにするならここが最後の分岐点。なんてったって破り捨てるだけで白紙と化す。手続きを済ませてからでは面倒なのだ。
そして自分にとっても、決意の先にある分水嶺。
「私は願ったり叶ったり、ですね」
「セイちゃんも面白そうだしいいかな~」
「一流を示す舞台として申し分無し……望むところよ」
「きっとこのチームなら、世界だって狙えます!」
理事代理から二択を強要された時点で、こうなるのは殆ど予定調和だったのかもしれない。
けれど大切なのは、誘導されていたとしても、自分自身がもう一度その道を選び直すこと。
「どうなっても知らんぞー」
「大丈夫だよ、私達ならきっと」
「……だなっ!」
腹はもう、括ってある。
「カイトさん! チームを担当するって――」
「ちょうどよかったダイヤ」
「――はい?」
プンプンと怒り顔で迫ってくる姿は、なるほど彼女が尊敬する先輩によく似ている。
彼女が申し立てたい要件にも察しは付いている。そして奇遇なことに、カイトもその件について話たいことがあったのだ。
「話があるんだ……お前に、その、聞いてもらいたいことがあって」
「は、はぁ」
「放課後に校舎裏に来れるか?」
「え? あ、はい」
改まるのは恥ずかしいが、しかしながら大切なことだ。人生にも関わるような重大な事柄である。
伝えるのなら誰もいない場所で、静かに想いを打ち明けたい。
「よし、それじゃまたな」
「あ、はい、また……?」
伝言は伝えた。メッセージで呼び出そうかとも悩んでいたが、こうしてバッタリ会えたのは何かの縁だ。
ああなるほど、ウマ娘は運命を重視する等は聞く話だが、自分もその例に漏れなかったらしい。
思い立った翌日に、彼女のことを考えていればすぐさま出会う。やや強引ではあるが、これも一つの運命なのかもしれない。
「……校舎裏……話……呼び出し…………へっ? ……?? …………ほぇ????」
ぶつくさと一人の世界へ入り込んでいるが、思春期なんてみんなそんなものだ。各々が各々の世界を内包して、他者との世界との摩擦によって自己を成長させていくのだから。
頑張れ青春少女。
――――!?!?!?!?
なんかすんごい叫び声が聞こえた気がするが、多分気のせい。
あの瞬間に括った腹は一つではない。
踏ん切りを付けた覚悟の数は、これに加えてもう一つ。
背中を、追いかけてくれたから。
『ほらっ! あれっ! きれいだよねっ!?』
『すっごーい! ほんとうにきれいだねっ!!』
一面の煌びやかな花畑を、一緒になって無邪気に走り回って、彩り豊かに地へ描かれた虹を眺めて回った。アタシが蝶を指差せば、彼の視線はキラキラと輝きを乗せてそちらへ向けてくれて、虹色の笑顔をより深めてくれたこと。
『ど、どう……?』
『ゔっ、ぉ……っ?! …………うん! おいしいっ、よっ?』
『わぁ……っ! ほんとうに!?』
『ほ、ほんとうほんとう……あはは……』
使用人の見様見真似の拙い手際で淹れた紅茶は、当然ながら失敗し尽くした。苦味と渋みが深いだけで旨味など皆無なそれらは、味など理解できていなかった当時でも分かるくらい失敗作だった。
けれど彼は、それらを淹れるたびに美味しいと言って、笑顔を絶やすことなく嬉しそうに飲んでくれた。……目を細めて引き攣った笑顔は、彼に無理を強いているなどと丸分かりだったが、それが気にならないほどにアタシは大層嬉しかったこと。
『まるでカイトにお姉ちゃんができたみたいだな』
『あたしが、おねえちゃん……ですか?』
『ええ、そうしていると本当の姉弟みたいね』
意識してそうしていたのは確かだ。ライアンに憧れて、アルダンさんが大人に見えて、そんな二人を目指して見たいと思うのは自然なのかもしれない。
そんな矢先に歳下の子が来たのなら、姉の様に振る舞いたくもなるのかもしれない。
『ほんとうに? あたしは、らいあんみたいにできてますか……?』
『ライアンちゃんとも違うわよ。ドーベルちゃんはドーベルちゃんだもの』
『……んぅっ、ありがとう、ございます』
叔母さんの慈しみの詰め込まれた手のひらが、心地よかったことを覚えている。叔父さんの眩しく幸せな光景を見る目が、こそばゆかったことも覚えている。
血は遠く離れて、他人と称しても差異はないほどの血縁。でも二人はそれを知らないことのように、アタシを実の子に向けるのと何ら変わらない慈愛で見守ってくれていた。それがたったの二年足らずの期間でも、その深い優しさを覚え込むには易い時間だった。
すぐ後に失われるからこそ、深く記憶に遺されたのかもしれないけれど。
『べるちゃんは、おねえちゃん?』
『おねえちゃん……っうん! あたしは、かいとのおねえちゃん!!』
『えっと……じゃあ、あるだんは?』
この一言が突き刺さって、とことんまで当時のアタシに水を差した。何でも口に疑問を出すところ――――言わなくても良いことを滑らせるのは、今も昔も変わらない点だ。直して欲しいがそんなドジも愛おしいと感じるあたり、アタシはもうダメなのかもしれない。
とはいえ、古今東西いつの世も変わらない不文律は存在している。即ち、女の子と話している時は他の娘を話題に出してはならない、だ。
『かいとは、あるだんさんのほうがいいの?』
『いいとかわるいとかじゃなくて……あるだんがいちばんとしうえだし、みんなのおねえちゃんみたいだし……』
『……むぅっ!!』
『べっ、べるちゃん!?』
彼の両親がそう言ってくれたことがアタシはとても誇らしくて、彼の手を取って彼方此方へと振り回してはしゃぎまわった。
それを拒むことなく仕方なさそうで、でもむしろ嬉しそうに、楽しそうに――――
『――――べる
そう呼んでくれたことは、幼かったアタシを形作るのに十分な一言だった。
『!! うんっ! あたしはっ、かいとのおねえちゃんだからっ!!』
『うわっ、べるちゃんっ!?』
『おねえちゃんってよんで!』
『……――べるおねえちゃんっ!!』
呼んでくれた事実は、アタシの心をより強く高揚させる。高揚して、より乱暴に手を引いてしまっても、彼はやっぱり拒むことは無かった。引かれるままに身を委ねてくれたことは、アタシを『姉』としてより強く際立たせる。
姉とは、きっと弟を守る存在。でも小難しいことは分からないから、一緒に居るものなのだと漠然と考えていた。
嗚呼――――いつ思い返しても子供そのものだ。
自分の世界は自らの内にしか無くて、他者の意に介することなく、思うがままに周りを振り回して生きるその姿。彼に秘められた事情など知ることなく、初めてできた『弟』という存在に浮かれていた時期。自分との差異のある部分など微塵も気にすることなく、彼の手を引く日々が楽しくて仕方なかった頃。
たった一、二年の歳月でも自分勝手な自分を、ちっぽけな子供の背中を自ら追いかけてくれていた。
だからアタシはその手を、愁いの一つも無く引いて走れた。
――――彼の手を取ったのは、アタシ。
『かいとのおねえちゃんはあたしだけなんだからっ!』
『そうなの?』
『そうなの!』
『……べるおねえちゃん?』
『! うんっ!!』
静かに殻へ閉じこもっていた彼の心を、アタシが最初に動かしたのだ。他の誰よりもその自負がある。自慢でもある。
でも、だけど――――だからこそ。
『どこに、いっちゃうの?』
『……』
『なんで、なにもいってくれないの?』
『…………』
だからこそ、『その後』に寄り添えなかったことだけ。
『まっ、て……! いかないで……!!』
『…………』
それだけが、ただ一つの後悔。
それだけが、ただ一番の後悔。
『やだっ、おねがい! おいてかないでっ!!』
『…………――――』
『いやだっ! はなれないで!!』
『 』
『姉』なら一番傍に居なくちゃならなかったのに、それが出来なかったアタシ。
今も尚、心中に深く残り続ける傷だった。
――――何はともあれ。
どれだけ凄惨でも、無力でも、過去を経て時が過ぎ去れば成長の一つや二つはする。
大なり小なり苦汁を舐める人生を送ってきた彼はもちろん、背中を見送ることしかできない子供でしかなかったアタシも同様に、少しくらいは心身ともに成長しているのだ。
そして。
「どうしてアタシには声を掛けてくれなかったの……?」
「? ……? …………?? ん? ……んん???」
「ふーん……――――そっか」
心底からの疑問の表情がラインをかち割ったのは間違いない。
廊下を歩きながら首を傾げる横顔を眺めていれば、父親譲りの黒髪が伸びてきていることに気付いた。襟足を伸ばしっぱなしにしてはいるが、結ったりはしないのだろうか。もし髪を弄るのならアタシがやってあげたいなとか、思ったり思わなかったり。
この
同級生――とりわけ同時期にターフで競っていた五人とは兄妹もしくは姉弟か、それほど仲が良いとは知ってはいた。よく彼も話題として口に出すし、互い互いの実家まで遊びに行っていたり(!?)なども聞いた話だ。
仲が良い友達がいるのは良いことだ。親友と気兼ねなく言える存在とは、いかに得難くすばらしいことだ。繰り返す。友達とは良いものだ。しつこいかもだがもう一度繰り返せば、友が存在していることはそれはもう、と~っても素晴らしいこと。
だからって納得できるか否かは、きっとアタシの表情に出てきている事だろう。
「アタシよりクラスメイトなんだ」
「べ、ベルちゃ~ん? 目、目が……淀んじまって……」
「やっぱりアタシは、選ばれないんだ……」
「光量設定間違えてんね?」
理事長代理によって中止を取り消されたアオハル杯。そのチーム登録まで残り一週間を切ったが、話題はとあるチームの話で賑わっている。
曰く、理事長代理による現政権を打倒する革命の光だとか。曰く、魔王復古の狼煙だとか。本人が聞けば身悶えそうな話題の数々。実際身悶えるから耳に入らないように心掛けているとはカイトの談。
今もほら、囃し立てる黄色い声がカイトに向かって――――それを目の当たりにすれば奥歯が軋む。
「人気……ッ……者だね」
「俺じゃなくてスぺ達だろ」
「……カイトはもうちょっと自覚した方がいいよ」
走ることを止めても尚、カイトの隠れファン(本人非認知の公式)は続々と数を増やしている。アルダンさんが言うほど眼鏡に効力があったのかは不明だが、知的な面を見せ始めてからその増え方は顕著になっているよう見受ける。
トレーナーへの道を着実に歩み始めているカイトだが、そんな彼に師事を受けたいなどとミーハーな声も多々聞く。
恐れて遠巻きに眺めるだけだったのに、彼の分かりやすい魅力しか知らない人たちが増えるのは困りものだ。
「みんな今更になって囃し立てて……」
「物事なんてそんなもんだよ。知らない人が知らないモノを好き勝手言うのがこの世界だ」
「…………カイトのこと、何も知らないくせに……!」
「……怒ってくれるのは嬉しいけれど、これは悪いことじゃないよベルちゃん」
分かってはいる。理解など重々承知していている。
彼を取り巻く環境が良好な方へ向かっているのは喜ばしいこと。けれど一人の女の子としては複雑な面もやはりある。
「カイトはもしかして、ちやほやされたいの?」
「なわけあるかい」
「だよね」
分かり切った冗談に、二人して笑い合う。
カイトは愛情を欲して、けれど有象無象と定義した者からは受け取ろうとしない。友愛親愛問わず、いつだって彼は近しい者からその手の情を欲し続けている。
でも最近ではその近しい者が増えて、目移りしてしまっているような印象を抱く。アルダンさんは天性の浮気性なのではと疑っている節があるが、もしそうならアタシにとっては都合が良くもある。
二人の繋がりは強く硬い。でも、奪える余地があるならアタシは彼が欲しい。
「あ、アタシはっ、前からカイトがカッコいいことは知ってたけどね……?」
「……そ、そっかー」
「う、うん……昔からずっと、大好きだったから……」
「……。…………言ってくれのは、嬉しいけど……俺には……」
でもやっぱり、彼の中心には変わらずアルダンがいる。
偶然アタシよりも歳が上だったから、カイトを追いかけられる幸運に恵まれた。
カイトの心を最初に動かしたのはアタシだったのに。カイトの手を始めて引いたのはアタシだったのに。
「今はいいよ、それで」
「……ベルちゃん」
「でも絶対に諦めないから」
宣戦布告は前に叩きつけてある。修羅場に交わる
中心に位置するにはまだまだ掛かるだろう。でもカイトの心に居座れているのは確かだ。
小手先の投げ物など不要。陥落させるのに有効な手はど真ん中の好意をぶつけること。
目を真っすぐに捉えて、昔よりも大きな手を抱え込む。肌に触れて、視線で触れて、体温で触れて、アタシの全てに触れさせて、アタシの好意をぶつけ尽くすこと。
「…………なに、してんの」
「どうしよう……全然気にならない……」
「気にしてよベルちゃん……!?」
もう『べるおねえちゃん』とは呼んではもらえないのかもしれない。彼から貰えたアタシだけの記号は過去に置き去りとなって、今となってはもう深い意味を持たない。でも、それでよかった。
カイトの傍で『姉』の立場で在り続ければ、皮肉な苦痛に苛まれてしまう。姉弟ではなく、それ以上の関係性が欲しくなるなら『姉』では在りたくない。
もっと深い部分でカイトをどこまでも求めるのなら、『姉』でいれたことはどうしても障害になる。なら
「……アオハル杯、アタシも出るよ」
「おお、マジか」
「カイトのチームに勝ったときは、言うこと一つ聞いてねっ」
「いいよー。……は゛え゛っ゛??」
こんなにも自分が貪欲だなんて知りもしなかった。
新しい自分を教えてくれた彼が愛おしい。愛おしくて愛おしくてたまらない。
会えなかった期間がアタシの欲を育てて加速させた。
「――――……好き」
「……………………うごご」
「もう今度は、黙ったままじゃいさせないから」
なにより拒絶はされていない。
カイトが答えを出してくれるギリギリまで、アタシは攻めて攻めて攻めまくると決めたのだから。
サラリと貸し出された学園の一室。それがやよいちゃんからではなく、例の代理からの贈り物とくればあまり良い気分ではない。
しかしながらマンモス校でもあるこの学園に、未だ空き教室があったのは少しの驚き。
「――アオハル杯についての説明は……」
「みんな知ってるよ」
「だよな」
優秀な担当方で助かる。仕事させろよ。
「……ほんじゃあれだ、えー、今日から本格始動となる訳ですがぁー……えっと……その、あれだ…………総大将であるスぺさん、一言どうぞー」
「……それじゃあ私からは――トレーナーであるカイトくん、一言どうぞー」
「雑なオウム返し?!」
トレーニング内容等は追々だ。今はとにかく初っ端の挨拶である。アイサツはとても大事と古事記にも聖書にも書かれている。それほどに大事なことを投げられる大役だと見込んで任せたのに、裏切られるとはこれ如何に。
「ほら早くしなよー」
「みんな待ってるのよ」
「……ああ、恥ずかしいんですね」
「らしくないデス」
「お黙れなさいよ小娘共よぉ」
一発目からこれでは先が思いやられる。本当にテッペンを目指すとも思えない緊張感の無さは誰のせいだ。カイトが思うに、組織とは監督する者の気質が現れるのが持論だが、それを当て嵌めればこの場合は――――ちょっと都合悪そうなので考えるのを辞めた。
「――――さて、と」
正直カイトとしては、気なんてどれくらい抜けていても良いが、やはり始まりと終わりは引き締めたい。士気も上がるなら尚更。
それに――学生最後の、大きな思い出だ。こんな時くらい気取っても罰は当たらないだろう。
でも長々と話すのはこっ恥ずかしいので、短く簡潔に、カイトの覚悟を伝えるとしよう。
つーかここまで小バカにされて、反撃の一つも無いのなら魔王の名が泣いてしまう。黒歴史泣かせてやれよと思わなくもないが、それはそれ。
「俺さ、お前らが大好きだ」
『…………は?』
ああ、この目線はすっごく面白い。
「だからこの催しに出るなら、お前らしか考えられなかった。他の人はどうかと改めて考えて見ても……やっぱりダメだ。お前ら以外じゃ選択肢にも入らない」
唖然は続き、ある種カイトの告白も続く。
「そんなお前らだから、一緒に頂点へ昇り詰めたい。……一人じゃみられない景色がある。その景色に……誰も手の届かない――――未踏領域へ、お前らと一緒に辿り着きたい」
『――――』
イマイチ楽しめそうになかった
それもきっと、大好きな彼女らとなら楽しい思い出になる。カイトはそう信じている。
「理事長代理の鼻を明かすついでだ、俺らの世代が最強だと日本中に教えてやろう」
どんな
彼女らには一等星では物足りないだろう。どこまでも勝利へ貪欲になれる彼女らには、より強い煌めきを称させるのが一番だと考えた。
チーム名はソル――――太陽のように限りない輝きで、最上の明かりを照らし出す。
「ま、ほどほどに頑張ろうぜ」
今回の主役はカイトではない。黄金の陽光を際立たせるための、色濃い影となる。
頂点に立つのは自分でなくていい。
本格的にチーム単位でのトレーニングが始まって、一週間が経った頃。
「これが契機だって直感したんだ」
「……」
「なあ……そろそろ一人で喋るのは寂しいよ」
「…………」
アオハル杯、なんと恐ろしきお祭りなのだろう。カイトがこの祭りに参加するだけで、何故だか怒らせてしまった人は数多い。マックイーンを始めとして、ベルちゃんもそうだし、スピカのメンツにもちょっぴり怒られた。そのせいで
そして、静かな背中をこちらに向けるアルダンも、例の如く怒らせてしまったその一人。
ギャグパートのような微笑ましいものでなく、この静けさは本気で怒っている。嘆いたり泣いた姿などは見たことあるが、こうして怒る姿は中々に見たことが無い。
朝からずっと、声一つも目線一つも交わせていない。最後に声を聞いたのはいつだったか。
無視されているのには慣れていた。もっと大勢から存在を見て見ぬフリなんてザラだった。もっと直接傷つけられるような悪意も、よく慣れた日常でしかなかった。
「……痛い」
胸に奔る幻痛へと、爪を立てて誤魔化せば皮膚は赤く滲む。
多数の悪意よりも、たった一人の静かな怒りが突き刺さらんと痛む。
「どうして怒ってるのかを教えてくれ」
「……」
「……じゃなきゃ、お前に謝ることもできない」
彼女が何かを話すことは無く、黙々とキッチンに向かい合うまま。
辛い。苦しい。キツい。言葉を交わせる距離に居るのに、何一つ共有できないのは痛くて悲しくて、芯から震えが生まれてくる。
関係性が壊れたとも思いたくないが、喪うのではないかと一度よぎればどうしても恐怖が張り付いて来る。
遠退いたと思い込んでいたあの寒さが、この春真っただ中の陽気を凍えさせようとする幻。
「アルダン」
「……」
「……駄目、かな」
「…………」
どうしても会話をしてくれないらしい。何が理由で怒らせたのかも分からないカイトに振るうなら、これ以上なく適した罰だ。
寂しがりが根に染み付いたカイトには、胸を搔き毟りたくなるほど苦しい。
今日はもうやめておこう。これ以上同じ空間に居ても不快にさせるだけだ。
「……ごめん……先に寝る」
「……」
「ご飯食べれなくて、ごめん、ごめんなさい…………おやすみ」
何も――――なにも、言ってはくれない。
その日も一言とて意志を交わすことなく、愛しい人との一日はあっけなく終わった。
本当は色々と話したいことが沢山あった。二つ三つの決意をするまでの葛藤を、彼女にも共有してほしかった。
明日には仲直りできればいいなと、叶うかどうかも分からない願いを未来へ託して、暗く明かりの消えた寝所に沈む。
「…………今日は、冷え込むな」
凍えた心身が幻覚の類でも、熱い雫は頬に染み渡る。
頭が痛くなるくらい感情が湧き出るのは、久しぶりの体感だった。
――――意地悪してごめんなさい。
夢の中で声が聞こえた気がした。
夢うつつの最中なのに、耳元から声が聞こえる。
――――嫌だったの。カイトが取られたような気がして、不安で、離れていくような……。
誰にも取られない。何処にも離れていかない。カイトの帰る場所は彼女の傍。
でも、それを行動と言葉の全てを尽くして示せていただろうか。不安にさせるような言動を取っていたのは、他ならぬカイトだったのではないか。
――――私の恋しくて愛しい人。泣かせてしまってごめんなさい。
背から回される華奢な手が、優しい熱を伝えて凍えを取り除いてくれる。
頬に涙の跡でも残っていたか。気取らせてしまったのはカイトの落ち度だ。
――――競者としての私は、きっとカイトの目には入らない。知ってはいたけれど、それでも私を選んでくれなかったことが怖かった。
なんだそりゃ、結局カイトが悪いだけではないか。
きっと事前の相談があれば、安心させてやることもできたのだ。
――――またカイトに痛みを与えて、本当にごめんなさい。
「謝るのは俺だ」
「っ?! 起きて……いたの?」
「綺麗な声で起こされた」
その声を聞いた途端に、幸福感が胸の内に広がっていた。いっそもはや救いそのものだ。
朝から不足していたその声は、カイトを癒して潤してくれた。
たまらない気分だ。さっきまでうつらと船を漕いでいたのに、今ではその場で飛び跳ねたくなる。
クルリと寝返りを打てば――泣き腫らしたように赤い目元が、暗がりで微かに見える。
「また泣かせて、ごめん」
迷うことなく、抱くようにその身体を抱え込む。
「……痛かったのは、同じだから」
「俺なんか……自業自得だよ」
「なら……お互い様、ね?」
許してくれたと、そう解釈しても良いのか。
「忙しいのは知っているけど……でもっ、カイトが離れていくかもしれないって考えたら、やっぱり寂しくて……胸が、苦しいんです」
「……」
消え入りそうな声色で、言葉尻に近づくほど声は細く、切なく萎んでいく。
「だから……もっと、かまって……くだっ、さい……っ」
もう感極まって、声なんか欠片も出てこなかった。
常に在り続ける自己の願望に従えば、両の腕は緩やかな速度で、それでいて確かな強度で、手折れそうな細い全身を抱きしめてしまう。
「…………」
「ぁ……嬉しい…………!」
心底からの声が、胸の疼痛を激化させる。
静かな幸せを共有して、その声は朗らかに弾んでいることを確認すれば、やっと一番伝えたかったことを伝えられる。
外に出す前に一度それを整理して、意を決して切り出した。
「アルダン……」
「うん、なんですか?」
「伝えたい事が、あるんだ」
覚悟なんてとっくに決まっていた。
あと少しの踏ん切りを詰める要素は、単にタイミングだけ。
本当に丁度良い頃合いだ。
「俺、アオハル杯が終わったら学園辞めるよ」
「……え」
「学園を辞めて、学生の立場を卒業する」
だからそれまでの間が、アルダンと学園生活を楽しめるモラトリアム期間となるのだ。
そこから先の未来に、学生気分は一切合切必要無い。
「そうしたら、聞いて欲しい事がある」
「聞いて欲しい事?」
「ああ。……とても、俺にとって大切なことを、アルダンに伝えたい」
「……? ……――――もし、かして……………………ほ、ほんとうに……っ?」
何を伝えるかは当然だが秘密。それまでこの関係がどうなっているのかは不明瞭だが、不幸を見積もって未来を見据えるなどと、そんなバカな事はしたくない。
彼女とは、いつまでも幸せなままでいたい。
退屈なくらい幸せな日々を過ごしていたい。
「今じゃないけど……その時が来たら、聞いてくれますか?」
「――――はい。ずっと、楽しみに待ってます」
括った腹は、一つじゃない。
もう、決めたことだから。
見据えたのなら其処へ向けて走り出す。それがエイヴィヒカイトなのだから。
バカがただ一人へぶつける感情値≧バカが母親と父親へ向ける感情値>バカが家族へ向ける感情値>バカが黄金世代へ向ける感情値>>>>>>バカが友人関係へ向ける感情値≧一般ピーポーが自分の命すら惜しくないほど愛する者へ向ける感情値
家族の枠はメジロ家の娘とかドイツっ娘とかとか