未踏領域で果てる   作:真の柿の種(偽)

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鳴らない言葉をもう一度描いて〜


其ノ八

 土台無理な発案を思いついたのは、伽藍堂な心が表に出てきていたから。

 空洞を埋める為の代替行動が、彼へと向くのは自然な流れ。

 でもその発端は、混じり気の無いふとした懸念から始まったのも確かだ。

 

『Heute……きょう? から、わたし、も、こっちに、すみます』

 

 まあ無理だ。

 初等部に上がったことを自分の中で密かに誇ろうと、自立できる年とは遠すぎるのがすぐに分かる。金銭面がどうかは不明だったが、モラルや常識の中で考えるのなら論外なのだと即座に結論が出ていたことだろう。

 実際その案は通ることなく、その後に彼と会う機会も年に一度だけだったのがその証拠。

 

『なんで?』

『かいと、くん、さんが、besorgt……しんぱい、だからです』フンスッ

『?』

 

 言い切れば達成感が湧いてくる。つぎはぎだらけの拙さ全開でろうとも、単語として意味が通じるのなら上出来だ。

 けれど胸を張った私を一瞥することもなく、彼はずっと窓の外を眺めている。興味がない。向かない。

 何も無い部屋から彼が覗くのは、何も無い空の虚だけ。

 

『……ふらっしゅさんって、よくわかんないひとなんだね』

 

 達者な母国の言葉と、拙い日本語が混ざった想いはあまりに耳へと運ばれ辛く、その本意がしっかりと伝わる訳がない。

 ――彼が幼くも一人暮らしを始めた頃。

 二人の従姉弟が出会って間もない頃でもあり、二人にとって掛け替えの無い人が失われた頃。

 幼子二人を鉢合わせたのは少女の両親。不慮の不幸によって弟の家族は崩壊してしまい、遺された甥を気にかけるのは当然のこと。彼と少女が二人きりで彼の住まいにいるのは、両親が病院へ赴いている間のお留守番。

 聞けば一週間はこのまま滞在するのだとか。

 

『…………たぶん、だめなんだ』

『? だ、め? ですか?』

 

 強くて硬い決意を鈍らせるほどには至らず、まだ私達は出会って間もなかった。

 

『ただきえても、なんにもいみがないんだ。…………とうさんとかあさんにも、いみがなくなっちゃう』

『えっと……ごめな、さい、まだまだ、Japanisch……ぁ、にほん、ご? むずかし、くて』

 

 内に生まれた膿が、独白と姿を変えて漏れ出している。

 子供の身には収まりきらない澱みが、滲み出てきている。

 けれどやっぱり、その時の私には気づかない。

 その時の彼も、口に出ていることに気づいていない。

 

『おれが……ぜんぶをかえなくちゃ』

 

 煮えて滾る決意の光が、より強く灯る。

 一つの喪失。一つの風前燈。誰よりも、何者以上に世界の中心を成していた核は零れ落ち、その対価としてその輝きは紅瞳へと高らかに灯る。

 転機は既に訪れていた。耳と尻尾に傷を刻んだその日が()()なのだ。

 故にこの日に彼の心中へ訪れたのは、指針の獲得と決意の再確認。

 朧げでも夢を図解さえできれば、彼は一歩ずつ進むだけ。

 

『ぜんぶ……なにもかもをかえて、ふたりにみてもらうんだ』

『ぜんぶ、は、どれくらい、?』

『ぜんぶはぜんぶ。このせかいのなにもかもを、おれはかえてみせる』

 

 スケールの大きな夢が、全貌を捉え辛くして少女を惑わせる。

 けれど煙に撒くつもりはない。彼はこの時、本気で世界中の全てを変えてみせると誓っていたのだった。

 

『…………これが、しょうらいのゆめってやつ、なのかな』

『ゆめ……? ゆめ……あっ、Traum? Traumは、ゆめのこと?』

『あってるとおもう』

 

 言っていることが半分も理解できていない。言語の壁も大きく、それ以上に理解を求める為の独白ではないから。

 だから、無邪気に喜んでしまった。

 

『! いいです! すごいです、ことですっ!』

 

 それ以降、彼は夢の具体性を語ることは無い。

 子供心ながらに悟ったのだ、露見するなら阻まれる。未だその輪郭はハッキリとしていないが、行き着く未来は決して喜ばれる結果には終わらない。善か悪か、どちからでしかない極論にするならば、明克とした悪。

 みだりに喋ることは、夢から遠ざかると察した。

 

『ぜったいに、はなびみたいに、おわるんだ』

『……ぁ……』

『さんにんでいった、おまつりのときみたいな、おおきくかがやくひかりみたいになる』

 

 立派だと思った。父親を亡くして、母親を失いかけて、それでもこうも気丈に夢を目指せる姿勢を、素直に尊敬していたのだ。

 自分ならどうなのかと考えて、すぐさまそんな事態になること自体が怖くなって、考えることはすぐに投げ捨ててしまう。

 傷ついても、辛くても、苦しくても、前に進もうとするその横顔。困難苦節障害へ挑み、降り掛かる全てを跳ね除ける強い()()

 自分じゃ出来ないことをやってのける彼が、眩しくてカッコよかった。

 

『きっと、とってもきれいだよ』

『……いつかきっと、みせて、くださいっ!』

『うん、みててね』

 

 嬉しさだらけだった。立ち直ってくれたのだと勘違いをしていた。前を向ける彼が喜ばしかった、けど、だけど。

 でも私は、その顔がどこか怖かったから――――こんな提案をしたのでした。

 

『ねえ……かいと、くん、? Tante……ぁ……おば、さん? の、たんじょう、び? はいつです、か?』

『……しがつだけど……それが?』

『そのひに、ふたりで――――』

 

 こうして始まった毎年の会は、十年以上も続いていく。

 その程度の些細が、彼の支えになれたなんて自惚れはしない。

 ずっと傍に寄り添えないのなら、彼の傷を癒すことは不可能と同意義だ。

 彼の夢を止められる存在になれなかったのが、何よりの証拠だった。

 

 

「年始は休み。好きなだけ遊びに行けなー」

「いつまで?」

「一月中にはお前らに体動かさせたくない」

 

 あんぐりとした面は記憶によく残る色味だ。

 

「ついでに俺は西欧行ってきますんで、ちゃんと身体を休めとけよ」

「そっか、もうそんな時期……」

「休みの期間は食事制限とかは掛けないけど、偏った食い方だけはよしてくれな」

 

 なんて言伝を五人へ直接伝えたのが一週間前。自主トレは勧めずに、ゆっくりと休息を取ってもらいたい期間だ。それでも根がドM――――ではなく、努力大好きな彼女らにじっとしていろなんて言っても逆効果である。そのための軽いトレーニングメニューは渡してある。

 他にやり残したことはなんだと思い返せばあらやだ不思議、ぽんぽん痛い痛い。

 マックイーンやベルちゃんとは最近口を聞いてもらえなくて胃が悲嘆の激痛を発しているが、多分カイトが悪いからやむなし。秘密の特訓とか言ってたり何とかは小耳に挟むが、例によってカイトには何にも聞かせてくれないらしい。こないだ廊下ですれ違ったらここぞとばかりに目を逸らされた。悲しみ。

 他のメジロ家にはいつもの遠出だと伝えてある。毎年の恒例と化している上に母親だって着いてくるのだ。だってのに念を押して、行先は本当にドイツなのかと問いてくるのはそろそろご勘弁願いたい。当主様はポッとカイトが消えるんじゃないかと危惧しているらしいが、それこそ無用な心配だ。しかしその手の信用は低い。

 何はともあれ、旅路の時である。

 

「パスポートは持ってる?」

「しっかりと此処に」

「楽しみね〜」

 

 白いピクチャーハットが、ウキウキと緩やかに揺れる。

 エアラインへの入り口手前で、必需品の再確認。年の瀬となるこの季節は人の波はそれなりに多く、寒気を誤魔化すためにフル稼働する暖房と相まって暑さだって感じる。ついでに注目を浴びているのは、多分アルダン。だってほら、こんな綺麗な美人は衆目を惹く。野郎の目玉を片端から突いて回りたいが、確実に怒られるのでやめておいた。

 

「うーん……今回はビーフな気分かしら」

「軽く飲んでもいいんじゃないの」

「あら、付き合ってくれるの?」

「……や、俺は遠慮しときまーす」

 

 しこたま飲まされて前後不覚になればどうなるのか。一度過去に大きなコトが引き起こされたからこそ、カイトはその惨劇を教訓として胸に刻んだのだ。あのような状況は――ベルちゃんのような人身御供は周囲には確認できないが、どう転ぶのかカイト自身予測不能なのだ。警戒なんて当然だし、アルコールへの忌避感を抱くのも当たり前。

 そも学生の身分で飲めるのかなんて話題になれば、曖昧な笑みで無言を貫く強さが欲しい。

 

「俺は寝て時間潰すから」

「え〜? ならアルダンさんはどう?」

「私もお酒はちょっと……」

「息子と義娘が冷たい……これがジェネレーションのウォール……」

「む、義娘だなんて……そんなっ……まっ、まだ早いですから」

 

 カップルなどならともかく、その数段上を示唆するワードは未だに気恥ずかしいらしい。初々しくて愛い奴め。

 何はともあれ、酒は敵だ。敵である。アルコール類は皆々敵なのである。飲んで倒れた後々の惨状を思い返せ。もう絶対に、一滴たりとて飲まないと誓います。

 もしも、もし万が一この誓いが破れようものなら、エイヴィヒカイトが渾身懇意で全てを尽くしてなんでもしてやらぁ。

 

「さて、行きましょうか」

「ありゃ、サキさんとばあやさんは?」

「気を遣ってくれて、少し離れたところにいてくれるそうよ」

「いつものやつか」

 

 ばあやさんは割と顔を合わせるが、まともにサキさんの顔を見た覚えなど、実は幼少期の数回しかないくらいその姿には覚えが乏しい。

 昔はアホみたいに大きな木を登って、使用人共々ワタワタと慌てさせたものだ。あれはあれ、あんな大きな木を育ててたメジロ家が悪い。あんな登りやすくかつ登り甲斐のある木を男子の目の前に晒したのなら、そんなのは登れと言わんばかりではないか。三十メートルはあったけど些事些事。

 だがサキさん自らに加えて、アルダン自身も積極的には会わそうとはしてくれない。何故だと聞けば、曖昧を押し通した笑みでもってシラを切ろうとしてくるのみだ。自分はそんなに恥たる存在ですか? 泣こうかな。

 

「……久しぶりに顔見た」

「はい――――?」

「いと思ったけどその必要は無いかもですね。はい。ごめんなさい。許してください」

「あははっ。うーん、息子弱っ」

 

 愉しそうに言わないで。悲しくなってくる。

 自然にするりと謝罪が出てくるくらいには怖かった。そんな怒られる訳が分からん。昔世話になったお姉さんに会いたいなって、果たしてそれだけのことではないのか。もっと深くて大きな事情が絡んでいるのか。

 聞けばサキさんもカイト達に近いエリアにいるという。ならそれでよかった事にしておこう。除け者とか嫌だったし。

 無論語るまでもないことかも知れないが、自分達が座るのはファーストクラスである。エコノミーなんてとんでもない。誰が乗ると思ってるのだ。天下のメジロ家お嬢様がエコノミー症候群を発症するなど、下手しなくてもカイトがコロコロされかねないのだぞ。

 

「毎度毎度超絶快適だよな……バアさんには頭が上がらん」

「そろそろ呼称を固定してあげては? おばあさまも呼ばれるたびに違っては戸惑うでしょう」

「やー、それが楽しんでる節もあるんだわあの老人。だったらしっくりくるのが見つかるまで試行錯誤しようかなと」

「できるだけ親しみを込めてあげれば、あの人ならきっと喜んでくれるわね」

 

 バアちゃんでもバアさんでもバッちゃんでもババアでも、もちろん時と場合を探っては色々と呼んでいる訳だが、どんな呼び方をしても当主周辺の空気は和む。なんならぞんざいである程に和む。逆に御婆様や御当主様なんて呼ぼうものなら、返事すらしてくれない子供らしさも散見されるのだ。年寄りの子供っぽい一面ってなんか可愛いよね。

 ともあれ、それだけ好かれているカイトなのであり、よってカイトと母親もその恩恵を預かる幸運を受け取れているのであった。

 ちなみにエコノミーなんぞカイトは乗ったことが無い。安く済ませたい心はあるのだが、いかんせんそれを許してくれないおばあちゃんの気遣いのせいで、カイトにとっての飛行機=ファーストクラスの方程式が出来上がりつつあるのはどうかと。

 ありがたいけどちょっと過保護だよなぁとは常々思うが、突っぱねようものなら見るからに落ち込まれる。祖母的存在のそんな姿を見るくらいなら、多少の居心地の悪さは受け入れないとダメなのだ。

 

「キャビンアテンダント……字の並びからして美人な感じあるよな」

「浮気者」

「バカ息子」

「誤解だよ? 違うよ?」

 

 CAコスなんか着てみてくれないかなと。

 美人が見たい、ではなく。美人なアルダンの着飾った姿が見たい、である。

 実母の前で大っぴらに宣うこともできず、しかしその呟きを自制出来るような知能を持たない。結果的に不要な勘違いを意味無く与えて、三人は空へと向かった。

 

 

『題名 睡眠前に撮ってた一枚』

「……あ、空の写真だ」

「てことは今頃アッチの空港に着いたんデスかね」

『題名 さっき起きましてナウな一枚』

 

 その言葉を裏付けるように、空港の物産店でお土産と睨めっこしているカイトくんのお母さんの写真が送られてくる。でも待って欲しい。なんでドイツに木刀があるのだろうか。しかもそれを真剣な眼差しで見つめる理由とは一体?

 

「はしゃいだ様子がよく分かりますなぁ〜」

「……日本で見かけるような、龍と剣のキーホルダーまであるわよ」

「あれ、この写真ってドイツからだよね……? カイトくんはドイツに行ったんだよね……?」

「日本の文化は海外で熱を持っているから、それじゃないかしら」

 

 なるほどアメリカ生まれで日本かぶれなグラスちゃんが言うのなら、きっとそうなのだろう。

 

「つくづく思うけどこのキーホルダーって日本関係ないよね。どこで作られてるのかもイマイチ謎だし」

「……でもカイトくん、遠出する時はゴルシさんとお揃いで買ってたよ」

 

 うるさく笑い合いながら、指ほどの短い剣でチャンバラもしていた。不覚にも楽しそうだなと、混ざりたいなと一瞬でも考えてしまったのは今思えば恥ずかしい。

 結局その勝敗を分けたのは、水晶にレーザーで掘られた竜の置物である。水晶とはいえほぼプラスチック製だが、その反射した光に斃れたのはゴルシさんだった。

 

「いやー、カイトは買うでしょ」

「買わなきゃむしろ疑いますね」

「木刀もサイズ違いで二本買わなきゃ気が済まなそう」

 

 グラスちゃん大正解。「ニテンイチリュウ=ワガホコリ!」とか叫びながら変な構えで、改札を挟んだゴルシさんと向かい合っていた。ゴルシさんは本物の物干し竿(服干すやつ)を正眼に構えていた。これまた不覚にも楽しそうだなと思ったり。

 勝敗を分けたのは破魔矢だった。訳が分からなくて笑ってしまったのはいい思い出。

 

「少年の心を失う気配の見えない人だもの」

「行動原理が割と子供だよね」

「あんなのの首根っこを掴んでおかないといけない先輩には同情するわね……あ」

 

 一流とは何だったのか。口の滑らし方が一流か。芸人としては確かに二流には留まらないだろう。カイトくんの言を借りるのなら、『ザッケンナコラー‼︎』である。

 

「ふ、ふふふふふふっ………………いいのよ?」

「グ、グラスちゃん……?」

「どうせ奪うもの」

 

 あれれ、そのフレーズというか、その『どうせ』の使い方はどこぞの誰かで見た覚え。

 どっかのバカな男が、絶対的な自信と確信を抱いた時に溢す独り言によく似ている。スズカさんやマルゼンさんのレース前なんかによく聞いやつ。

 拝啓おっかさん。トレセン学園はやっぱり平和な地獄です。

 

「会った順番なぞ……どれほどのものでしょう」

「さーてとっ、セイちゃんは昼寝してきまーす」

「ムムッ! マンボがお腹を空かしている気がしますきっとそうデス!!」

「ッ!!」

 

 いの一番に不安を嗅ぎ取ったセイちゃんは速やかに避難して、次いでこの中で一番グラスちゃんと付き合いの長いエルちゃんが走り出した。

 乗り遅れてはならないこのビッグウェーブ。これまでなら貧乏くじは私に押し付けられていただろう。最後にカイトくんを呪って幕は閉じられるのが今までだった。しかし違う。今年のスペシャルウィークってば、実はスペシャルにすごいんです。

 具体的にはこのような危機を、受け流して受け渡せるくらいにはすごいんです。

 

「結局のところ――最後の勝者とは、手中へ収めて閉じ込め切った者のことを指すのよ?」

「それじゃあキングちゃん私はスズカさんと出掛けてくるからあとよろしくね頑張って生きてね――――!!」

「あっ」

 

 さらばキングちゃん。骨は拾わない。だって自分で撒いた地雷源だし、助ける義理はあるかも知れないがそれ以上に怖いのでどうしようもありませんね。

 けれどきっと大丈夫。彼女なら、キングちゃんならきっと、あの一流ならば希望に辿り着ける。私は信じてる(遮二無二疾走)。

 

「助け――――」

「最後に笑えるのは、私とカイトくんだけなんですよ」

 

 悲鳴は聞こえない。声も出せないくらい恐怖に包まれているのだろう。私も似たような体験があるし分かる。おっそろしいよねアレ。

 

「私もああなるのかなぁ……」

 

 ふとした想像よりも殺伐とした現実を見て、アレが私の未来の姿なのかも知れないと悟れば末恐ろしい。

 全く同じにはならないのかも知れないが、比較的常識人なドーベル先輩なんかも狂わすのがその手の感情らしい。最近ではスピカに入ってきた後輩もなんか怪しい。キタちゃんは心配そうにしていたが、ちょっと私では力になれない分野だろう。

 ああも脇目を気にさせない感情。

 少しくらいは触れてみたいと、いつかあるかも知れない未来へ想いを馳せた。

 

「……う、うわぁ……」

 

 ピポンと軽快な音を携えて、LANEへ一枚の燃料投下。

 たった一枚の写真なれども、その一枚はとんでもない大火災を引き起こすだろう。なんせタイミングが悪すぎた。彼、毎度間が悪すぎやしないだろうか。

 チーム・ソルのグループに送られてきたのは、躓いて転んだのか青年へしがみつく先輩と、優しくしかしガッシリと先輩の体を抱き寄せる青年。咄嗟の瞬間が必死だったのだろうその様子が、その写真の仲睦まじさを助長させている。限りある刹那を逃さない、見事な一枚であった。撮影者は誰だ。

 前言撤回。骨は拾っておこう。

 そう思い直させるには十分なベストショットであった。

 

 

「眠い……」

「機内で眠れていないの?」

「やー……妙に逸っちゃって」

「……大丈夫?」

「具合悪いとかじゃない。平気平気」

 

 目的地へ着いてから、そんなことを言い出したカイト。けれど大事にするほど深刻ではないので、目の前の扉をどうしてやるかを優先して考えた。

 鍵穴を回してもいいが、どうせだしインターホンで呼び出してやれば、トタトタと屋内から歩く音。

 

「こんちわー」

 

 ちなむがここは西欧の地。ドイツのど真ん中なのに、大直球ジャパニーズ炸裂。

 通じる相手にはドイツ語で会話する気があまり無いのであった。

 

「おかえりなさいカイトくん」

「ただいまフラッシュさん」

 

 開口一番でおかえりなさい。これはファミリーを求める心が強めなカイトには割と突き刺さる。心がこう、ほわほわぽわりとしてくる。あったかくもなる。一言で言うならエモい、だ。

 

「カイト……………………っっ」

「ふっ……(若者の嫉妬心で若返る〜)」

 

 翳りなくそう言い切れるのは、幸せなことだと感じる。それは翻って、そんな暇も無いくらいの幸せには、まだまだなれていない証拠でもある。

 幸福が義務などとは言わないが、もう少し幸せで満たされるように努めるべきかも。

 

「おっすっす、世話になりまーす」

「世話だなんて……自分の家と思っ――」

「へいへい、いつもの台詞ありがとさん」

「――……荷物を置いたら手を洗って来るんですよ」

  ―― Ich weiß〜。

 

 その声は既に二階から聞こえてくる。自宅かよと突っ込みたくなる馴染み様だが、それだけ受け入れてくれている証左でもあるので下手に遠慮はしないカイトなのだ。

 まるで他の家とは思えない勝手を知っている手際の良さで、ズカズカと上がり込んでいく野郎が一匹。本来であれば娘大好き寡黙でこわーい叔父さんが飛んで来れば、ケーキ包丁で鱠斬りにされるのだが、残念ながらカイトはその警戒網を素通りできるのだ。合鍵だって持っているくらいには信頼と信用を得ていた。

 そんなカイトからワンテンポ遅れて、時差の魔法で眠たげな母親が玄関から上がり込んでいく。

 

「ふわぁ〜……久しぶりフラッシュさん、しばらくよろしくね」

「はい、ご無沙汰していました叔母様」

「荷物はいつもの部屋でいい?」

「はい、叔母様の部屋ですもの、気兼ねなく使ってくださいね」

「ええありがと……それと……」

 ――フラッシュさーん、叔母さん叔父さんはー?

 

 片手でキッチンから漁ってきた茶菓子を齧りながら、リビングの扉からカイトの顔が覗ける。ワッフルを実に美味しそうに頬張る幸せスタイルだ。

 左手には冷蔵庫から拝借したミネラルウォーター。美麗なまでの有言実行は、分も待たせることなくカイトを寛がせていた。いっそ逆に失礼ですらないくらい、フラッシュ宅を満喫しきっている。

 

「二人は買い出しへ。じきに帰ってきますよ」

 ――おーけー。

 

 テレビジョンの音が聞こえてきた、数秒と経たずにカイトの笑い声がリビングへこだまする。普通に住んでいるのかと勘違いしそうな馴染み具合だ。譜面通りに受け取るにしても、親しき中にも礼儀が無い様子でバラエティ番組を楽しんでいた。鷲と闘う人間とは、昼の時間帯にしては中々面白い内容だった。

 

「まったく……図々しいくらい遠慮無しですね」

「笑ってるわよ? 嬉しいくせに〜」

「叔母様、荷物を運びますよ」

「あらあらら〜? 照れ隠し〜?」

「こっ、困りますから…………それで」

「…………此度はお世話になります、エイシンフラッシュさん」

 

 視線と視線はかち合い、拮抗した火花は大気を剥がす。

 そのあまりに強烈な熱量は、外から見れば空間が軋むが如き衝撃を伝えることだろう。

 

()()来たんですね」

「ええ、()()来させていただきました」

「わざわざカイトくんについて来てまで……そんなにも不安でしたか?」

「いいえ? ただ、カイトの隣にいるのがあまりに自然だったから、つい」

「つい、ですか……。メジロ家はこの季節になると何かと忙しいと聞きますが、先輩にはよほどの時間的余裕があるのですね」

「そんな忙しい時期にしか狙えない、憐れなほどに弱い泥棒ポニーもいますから」

「ヒュォ〜〜ッ、やっぱり笑顔って威嚇なのね〜……!」

 

 にこやかな笑顔は殺人光線。強すぎたルクス量は度し難し。

 形成は関係性による優位性から、明らかなお嬢様有利。しかしホームは文字通りフラッシュの手にあり、フィールド的にアルダンには分が少ない。

 ワクワクしている恋愛愉悦脳の目の前で、静かそうで実は苛烈熾烈な舌戦が繰り広げられていた。バカは鷲のアクロバット飛行に目を奪われていた。

 

「ッ……たった一週間の滞在でも不安になってしまうなんて、きっと彼を信じきれていないのでしょうね……!」

「凡百の言葉では推し量れない関係ですので、なんとでも」

「うむうむ、最初のラウンドは流石にアルダンさんかしら〜?」

 

 一日を通して1ラウンドで、今日の勝敗を決めるにはここからフラッシュが見せる巻き返しにも注目したい。

 この勝負、まだまだ決するには早い。

 

 

「フラッシュさん、携帯の充電器って…………二人とも玄関で見つめ合って何してんの?」

「静かにっ! 口を挟んじゃダメよっ! ……アナタの将来にも関わることなのよっ!」

「……そう言うオカンは何をしてんの」

 

 将来云々はスルーすべきとの未来を見た。

 

「言うなれば椅子取りゲームの観戦ね」

「へぇ、椅子取りゲーム。……椅子?」

 

 二人の周囲を見回せど、椅子らしき物は見当たらない。加えて玄関で行う意味も謎だが。

 

「……哲学かなにか?」

「確かに……愛とは、恋愛とは、人が追い求める一つの哲学的命題なのかもしれない……」

 

 相当にふざけた回答を得て、ようやっとカイトは理解した。あ、これってもしかしなくても母親のオヤツ(お楽しみ)だ。ニタニタと傍観の線外から一方的に愉しむ、上級国民の堕落必至な遊戯だ。

 カイトが絡む事象でしかこのいかにもな愉悦顔を見たことは無かったが、他の騒動にもこんな顔をするのだなと新しい発見。

 下手につついて矛先がカイトに刺さっても良くない。知らぬ存ぜぬは自衛を行使する為の術であり、薮から上手いこと遠ざかる為の智慧なのだ。触らぬなんちゃらにあーだこーだは我が国の至言である。

 

「……なんでもいいか。二人の荷物、先に運んどこうか?」

「ええ、お願いするわ。わたしはこの場から目を離さず見極めないといけないから……!!」

「がんばらないでねー」

 

 歴史の見届け人をその場に残して、キャリーケース二つを持って二階へと上がっていく。澄んだ声色は落ち着いていて、だのに白熱した幻影を見た気がした瞬間から、物理的な距離を空けておけと本能がうるさかったので従うのでした。

 願わくばとか、祈るとか、今までのカイトならそんな無意義な幻想を欲していただろう。しかし、しかし、だ。

 今回は、今は――この地なら話は別。

 飛行機では結局眠れなかった。ここに来るまでの西欧の景色は記憶に残らない。先ほど口に入れたワッフルも心なしか味が薄くて、テレビだってろくに頭には入らない。

 敢えて明るく図々しく振る舞おうとしても、ふとした時に電池が切れてどうでも良くなってしまう。

 

「……置いときゃいいか」

 

 二人の部屋それぞれの中心に、分かりやすいよう置いておけば、この家の自分の部屋へと足は向いた。下に戻って騒ぐのも良いかもしれないが、まだその気分にはなりきれなかったらしい。

 Ewigkeitの札が垂らされた扉を躊躇なく開けば、一年前と変わらない構成の部屋。

 ベッドを眼下に収めれば、前のめりに墜落していく自分の五体。

 ふわふわとした手触りと、微かに残る柔軟剤の香り。きっと昨日あたりにでも洗濯しなおしてくれたのだろう。空の旅で無意識にくたびれていた部分が、質の良いマットレスに沈んでいく。

 けれども眠る気にもなれない。

 

「また、きちゃった」

 

 ――――もはや、押し潰さんとする悲劇の期間は終わったのだ。もっともっと前向きに、事実と現実に向き合っていける時期に当たるのが今。

 でも、心が重たいのは確かだ。

 呑気な思考で、のうのうと観光がてら。そんな空気で乗り切れればそれで幸せ。楽しい空気に影は差さず、団欒として過ぎ去る日々の一つは積み重なっていく。そうなれば良かった。

 アオハル杯によって、例年よりも多少ズレたのも原因の一つか。

 

「……とうさん」

 

 渦巻くわだかまりを、吐き出したほうがいいのか悩む。溌剌と、陽気で在ればいいのかも悩む。自分はどう在れば正しいのか、そろそろ慣れても良い頃合いにも関わらず、未だに揺れて悩んでいる。

 けれど思考を停めていない分、自分は前に進めているのだ。思い、考え、自らの中で折り合いを付けようと努力をしている自覚がある。自己満足には留まらない答えを見つけようと足掻けている。

 

「……気が滅入る……」

 

 大丈夫。以前とは全く違う。今度こそ、自分は正しく前を進んでいる。アルダンに頼れているのが証拠。

 ひょんな部分で、自己の成長を感じていた。




次回は閃光のターン
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