とりあえずiPhoneの壁紙を変えました
太陽を真上に見上げて、一言。
「うーむ、酒飲みたい」
羊さんの腸に豚さんのお肉を詰めて焼くこの料理、初めに考え出したのは何者だろうか。少なくとも優しさからは遠く離れた、相当なサイコパスパワーの持ち主だと予想する。よく知るマッド先輩の興味心を、食の関心へ向ければ自然と生まれるのかもしれない。
与太を思い描きながら、ピリリと舌を刺激するマスタードに目を細めつつ、パリッとジューシーな噛みごたえのある食感を口内全てで味わう。
何となしに、麦の泡々を飲みたいなと切に願わせる味だった。
「……味を知ってるんですか?」
「母さんにバカみたいな量飲まされた…………飲みたく無かったんだけどね?」
本心である。麦よりも米や麹の方が好みなのだ。嘘は言ってない。
金色の炭酸で痛い目を見た見た身ではあるが、しかし本場一番のシュワシュワはまだ未体験の未経験。これを機に是非とも味わってみたいものだ。入れ物は樽のジョッキでリクエストしたい。
「まだ陽は高いですよ」
「? …………そ、っうだね、飲むには早いね」
「そうです」
溜息と共に浮き出る仄かな不機嫌を見つけて、紡ぎかけた言葉が出てこなかったことに内心を誉める。「そんなの関係ある?」と言いかけた口を慌てて方針転換させたのは、本能による判断だがナイスファインプレーであった。
根に真面目が染み付いたカイトの交友関係は、大体がカイトの酌を善くは思ってくれないのが往々としている。説教は極々に免れるのが賢い暮らし方なのです。
「Römerbergは良いところだね」
「気に入ってくれたなら、本当によかった」
ベンチに二人で腰掛けて、焼き立てのソーセージを頬張りながら、広場の中心へ目を向けた。
中世の一ページへ足を踏み入れたかのような彩り。活気溢れる現代人のテクスチャー。現在と過去が入り混じる感慨深さは、過去の痕跡を現在に生きる者が保ち繋いでこそ生まれた、時代を股に掛ける絆の輝きだ。らしくない浪漫を唱えそうになる程度には、カイトはこの場所を好んだらしい。
しかし打ち明けるにはやはり柄じゃない。選ばれた発声は、柄に合った言葉へと自然に変換させる。
「特に屋台が美味いのが気に入った」
「ふふっ、二日目と同じことを言ってますよ」
「そうだっけ」
「ええ、少しだけ考えて、素直な感想とは別に捻り出した感想です」
「……バレてたのかい」
微笑ましく眺められれば、そっぽを向いて平静を装うのがカイトの常套手段。
言わずも知れる、察しが良すぎる親戚さんでした。優れた洞察力をカイトで浪費するほど勿体無い事はないのに、出し惜しむ様子など年単位で見かけない。暇なのか。
「去年も同じことを考えて、同じことを言ってましたよね」
「だっけか? よく覚えてるね」
「忘れませんよ。……カイトくんとの時間は、簡単には忘れられません」
「ふーん?」
中々どうして、さも嬉しいことを言ってくれる。照れさせてどうしたいのだ、この従姉分は。
「……おだてられても、俺が渡せるものなんざ大して無いからな」
「大してですか……なら、少しくらいは貰えるんですね」
「そりゃまぁ、俺があげられるのなら……心、とか?」
親愛を家族へ振り撒く程度はタダだ。減るものでは無い家族愛は、無限に湧き出る源泉であるからして、欲しけりゃいくらでもお渡ししましょう。
カイトの愛情なんてガラクタを率先して欲しがる輩が、アルダンと母親以外にいるかどうかは別として。
ベルちゃんは、この場合は、そうですね――――――――ノーコメントを貫く強さをカイトは手にしているのだ。
「……言いましたからね」
「言いましたとも」
瞬間刹那、顔を見合わせて睨み合う――と言うほどには険悪な空気でなく、訂正するなら見つめ合うとも称せる二人。
獲物が首を自ら差し出さんとする隙を見つけたような、嬉喜獰猛が過剰な視線に、エマージェンシー的な深めの身震いが芯へ伝わる。なんだってんだい。ぼかぁまた何か失言をぶっ放しましたってのかい。
思案のついでに視線を傾げれば、美しい天井が心に栄養を届ける。開け放たれた開放的な広場からは、雲一つない晴れやかで爽やかな味の蒼色。関係あるのかは意味不明だが、何だかカキ氷が食べたくなってきた。そんな自分を思えば、花より団子の象徴として胸を張りたく思える自分で在りたいのだった。けれどもスペやグラスほどには食べられないのであしからず。
「今、女の子のこと考えましたね」
「や、食事関連が頭をよぎっただけ」
「……そういうことにしてあげましょう」
勘が鋭敏である。謎の焦りに急かされるよう、食べ物を矢継ぎ早に思い浮かべる。これで誤魔化せれば御の字。誤魔化せなくても美味なる記憶で嬉しくなる。
逃避したい時に脳裏を過ぎ去るのは、いつだって美味しい思い出なのかもしれない。
「しっかし良い天気だね」
「綺麗に晴れて良かったです」
お日様の香りは青空の下へと満遍なく届いて、本来なら寒空下で歩いていた事実を知らぬ間に遠ざける。誰かしらの大切と共に居れば、冬の寒さはドンドン遠ざかっていくが、無限の天蓋に描かれた色彩で、こうも心の持ちようが違うのだろうか。
母親の誕生日関連以外の日に、こうして二人並んで出掛けるなど稀と言い切ってもよい。偶の機会に並んで歩けば、言うまでもなくカイトはテンション高々とその日を過ごす。
「しばらく見納める前に、フラッシュさんと一緒に見れてよかった」
「っ、いつでも見れますっ! ……から」
飛び上がって、すぐにバツの悪そうな表情を晒してベンチへと座り込む。
「いつでも二人で見れるようにっ……」
「そうだよね……とても素敵なことだと、俺は思う」
「ごめんなさい、急かすようなことを……」
「……木漏れ陽みたいな人だ」
「……?」
「ついうたた寝しそうになるくらい、フラッシュさんは優しいって話」
差し出された手。壮絶から引き摺り出すような救いとは違い、より身近な団欒の手を伸ばしてくれたありがたみ。
共生の提案と表せば、堅苦しい印象を植え付けさせるだろう。
なんてことはない。一緒に住まないかと聞かれただけで、聞いてくれただけだ。
しかしつい先程問われたちょっとした提案を前に、カイトから線引きのハッキリとした答えはまだ返しかねる。
「謝ることじゃないでしょ。……むしろ、嬉しいくらいだし」
「……本当に? 迷惑ではないですか?」
「不快がるとでも思ったなら、そりゃ俺をみくびりすぎだって話」
「……」
歪めた顔から窺えるのは、一抹の後悔と百を超えた不安。カイトからの拒絶を怯えているように見える姿には実に不謹慎な話だが、怯えがより大きいほどに応じて、嬉を根とした感情も膨らんでくる。
カイトから拒まれることに怯えることは、翻せばその量に比例してカイトを想っていることと同義なのではないか。例えば思い上がりの自己過信だとして、だとしてもこの勘は違えているとはちっとも感じないでもいいのだろうか。
カイトへ少なからずの理解を持った彼女なら、自分へそんな提案をしてくれることの重さを知らない訳もなく、気付いていないほど鈍いとも思わない。
「ちょっとだけ……いや、やっぱり嘘、かなり悩みたい」
「……悩んでくれるんですね」
「こっちでの暮らしも悪くないと思う」
暖和な囲いの内へ入れてくれる家族。レースとは切り離された生活。砂糖とオーブンの香りがする日々は、きっと心が豊かで緩慢とした日々の予感がする。大でも小でも、ぽつぽつと生まれる幸せを数える日々を、親愛なる者達と過ごしてゆく。
いつぞや夢に見たかもしれなくて、形を変えて理想に適した日常の一つ。
憐れみでなく、単にそうしたいからの提案なのだと、彼女の優しさと好意を信じて疑わない。
しかし、受け取りたくとも、受け止めきれない事情を抱えている。
自らの自由に従って努めようと決した、志と誓がある。
「だからせめて……五年だ」
提案に乗るまでに五年じゃない。提案を判じきるまでに必要な日数を指して、五年は最低でも不可欠だ。
「随分と、長い間悩むんですね」
「自分で始めたことをやり残したくないから」
「女の子を待たせるんですか?」
「キッチリ五年後に答えを出す」
引け目はあります。率直に言ってサイテーな分類。一週間ないし、過剰に経過させても一ヶ月。
乙女にここまで言わせて、開き直ることしかできない自分が情けない。
けどここが一線。想いに応じるか否かは別として、成し遂げると約束したなら果たすだけ。約束とは一人だけのものではないのだから、尚更にカイトは目的へ向けて邁進を続けたい。
だから胸を張ってこう言うのだ。
「貴女の想いに、ちゃんと応えたい。……待ってて、くれる?」
「……知りません」
おもむろにベンチから立ち上がって、二歩進む。
置いてかれてしまうのかと、焦りながら立ちあがろうとすれば、くるりと返る踵と笑顔。
光が満ちて、季節外れな花咲く午前。
「私の想いが変わっても知りませんからっ」
永劫から少し進んだ先で、閃光は告白の答えを待っている。
否でも是でも、明確な証を示したい。
「もちろんカイトくんと叔母様以外に余計なヒトは要りませんからね」
「えっ」
何はともあれ、結局滞在期間中に二人の仲は良くならなかったらしい。
ツッタカタッタッカー♪
『タキオン印の睡眠薬〜』(ダミ声)
『うっ、頭が……それはまさか……』
『はいそうなんです。アルダンは一度世話になってたよね』
『…………(苦い顔)』
『スーパー寝つきの良くなるコイツを使えば、瞬間で意識を失って、気付けば目的地へと着いてしまっているって寸法よ』
『車にどれだけ乗りたがってるの? もしかしてやっぱりバカなの? バカとはうちの子を指す概念だったの……?』
『はいもう飲みまもうた! 二分後に気絶するから現地着いたら起こしてね!』
『もう……一人で勝手に決めないのよ。…………とびっきりの目覚めをあげるから、任せてください』
薄く笑う刻、それは嫌な予感とセットで現れる。
しかし起床後の何一つとて、不穏が身へ降り注いだ気配を感じなかったのだ。あれれと首を傾げても、おっかなびっくりアルダンを観察し続けても、これといって穏便が掻き消される気配はとんとしない、ような気がしたってことにしておく。
そも寝ている間にナニカサレタのなら、カイトが気付ける余地など無い訳なのですが、その事実に思い当たらない辺りは、やはりそうなのか。
――――じゅぞ、じゅじゅぶじゅっっ、じゅりゅりゅっ、じゅくじゅく、じゅるるるるるるるるるるるるぞぞぞぞぞりゅっっっ
と貪るような音が、呑気に膝枕で爆睡かましたカイトを覚醒へと誘う。
――――ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ
ついでに五体の感覚を取り戻す寸前、先んじて目覚めかけた聴覚は、謎の嚥下音を最後に確かに聞いた。
『……ふわぁ…………ぁ……そうか…………寝てたのか……』
『んくっ、っふぅ……』
『…………ついたの?』
『ええ、おはようございますカイト。お義母様は先に外で待っていらしてますよ』
二人きりの車内に充満していたのは、紫と紅の混ざったオーラだった。パーソナルカラーはどこに消えた。
小さく健康的に赤い舌は、彼女の意志に任せてチロチロと柔らかそうな唇を這い回って、蠱惑に澱んだ水晶の瞳は意味ありげにカイトを見つめ続ける。ジトリと、懇願にも似る湿やかな誘惑の笑みは、これからどうしてくれるのかと期待の色を隠そうとしていない。
彼女がどんな心境に在るのか、委細不明だがアタリは付く、けど――――母親がすぐ近くにいるのに、ドギマギするのは不思議と嫌だ。これはアレか、母親の顔を思い浮かべれば冷静さが蘇る例の現象に違いない。今のよく分からないアルダンから、さりげなく目線を逸らした。
『……何してた』
『気になる?』
怪しい、むしろ奇しい、されど妖しく艶の根付いた笑顔。俗にスイッチが入った状態とも。
寝ぼけ眼ながらに、ナニゴトかされたのかと自らの全身を見渡すも、服の乱れ等も髪の乱れ等も見当たらない。強いて言えば口内が妙に潤っていたが、潤いの限りを尽くされていたが、夢の中にいる間によだれでも垂らしていたのだろう。うむ、汚い。
それにしても自分の唾液にしては不思議と甘いような、舌の上に転がる艶かしい残り香は果たして――――
「――――ってことがあってさ」
「うへぇ……あ、砂糖吐きそう」
「まだ何も食ってないだろ」
「聞いてるだけでお腹いっぱい。……その話はもういいから、一言も喋らないで?」
「スカイちゃんってばひでぇや」
大袈裟な身振りで口元を抑えて、ジャリジャリが一気にまろみ出んとしているとの強い示唆に、カイトはなんだかなと言った顔つき。
そんな不思議体験や諸々の手土産を持参したカイトに向けるには、かなり失礼が過ぎる反応がここに。土産代として惚気話くらいの一つや二つは聞いてくれたっていいだろうに。
「聞いてくれよスペ〜」
「私も遠慮したいかな」
「冷たいなぁ……で?」
「で、って……何が?」
「そっちは有意義な休みになった?」
休養を兼ねた此度の期は、全員にだらけた休日だけで終わってほしいのがカイトとしての願い。過ごし方をある程度ほっぽり投げたカイトが言える話でも無いが、それでも過度なトレーニングはしないよう言い含めていたと記憶している。
『文字通りにちゃんと体を休める期間だぞ』
『分かってるってば』
『…………本当にぃ……?』
しつこいくらいの怪訝な心は、出国前の足を引っ張りかねなかった。カイトの認識としては、それくらいにトレセン学園の知り合い連中は、右を見ても左を見ても、怠けなんかとは関わりがない者ばかりだ。
必ず軽いに留まらない強度の運動を行うだろうとの確信があるものだから、前もった対策は抜かりなかった筈だ。どうせ言っても裏で自分の体を苛めて聞かないのだから、予め指示すれば抑制は出来るだろうと。
――――でもちょっと待ってほしい。
「……キングとスペとエルは筋肉痛と友達になるくらいには有意義な時間を過ごしてたんだな」
「「「えっ」」」
「グラスとスカイはケアをしっかりとしてたようで。…………にしては揉み返しの症状が出てる辺り、詰めが甘々だけど」
「やは〜……バレてた」
「……やはり隠せなかったですね」
座ろうとした椅子に触れたとき、腿の裏に走った細かな震え。
教室に入ってくる際、足腰がキチンと鍛えられている彼女らにしては珍しく、扉の溝でつまづきかける姿。場所を変えても、少しの段差につま先をぶつけること数回。
何より歩いてる最中に見受けた膝のあがる角度、及び足首の可動域が些か弱い。
その他数点以上から察するに、概ねが疲労を貯蓄している証拠の数々であり、コヤツらがサボるのをサボっていたなによりの証拠でもあった。
安楽の期なのだと言い含めたにも関わらず、セーブするようなメニューを渡したのにも関わらず、微々たるトレーニング量では満足できなかった欲深娘達なのだ。
「お前がいてどうしてこうなったキング」
「……むしろ率先してたのはキングだったり〜」
「うっそん……どうしちゃったの優等生?」
「余計な事を!」
てっきり他のメンツを諌めてくれるかと期待してたが、そういや努力家筆頭でしたね貴女。頑張ることにも優等生だったな、こりゃ困った。
「ストレスを敢えて溜め込ませて、再開したトレーニングの際にこれでもかと会心の発散をさせる」
程よい負荷と回復の交互を繰り返すことが、良きテンポで肉体強度を成長させていくのだ。筋力トレーニングもそうだが、精神面でも同様の論が通じる。
故にあからさまにトレーニングを封じる事で、良質なストレスを得られればと。
「そうすれば出来の良い高効率でトレーニングメニューを熟せるって考えて、いざ実践しようと……実践、したかったのに……」
「あ、えと、カイトくん?」
「……俺なんか実績もクソも無いもんな。そもそもみんなには元々トレーナーが付いてるもんな。……俺なんかの指示よりも、信頼できる人の指示を聞いてた方が……そうだよな、効率的だよな」
泣いてなんかない。泣きながら机にのの字をなぞるような、それほどのショックは受けてないハズ。だがしかし、ショックはショックであり、メンタルに文鎮が重たくのしかかるのも確かである。それでも耐え抜けるメンタルを得ているのも、確かな事柄であった。
あ、でも泣きたい。大声を荒げて泣きじゃくりたいのは本当。みっともないからやらないだけで。
「ありゃりゃ、キングのせいでカイトが拗ねちゃった」
「は? 全然? これっぽっちしか拗ねてないんだが????」
「長引くパターンデース」
「面倒ね」
「あんですと? 言うに事欠いてっ面倒っ? 誰がだっ?? たまさか俺なワケっ!??」
「……グラスちゃん任せていい?」
「はい、任せられました」
呼ばれるや否や、「けっ!」と口を尖らせ目線を合わそうとしない駄々っ子(むさい男)の背後へ這い寄る蒼の影。
そっと、ささやかに、黒ハット越しの耳元へ語りかけてくる。
「みんな悪気は無かったんですよ」
「知ってる。けどお前らなんかもう知らん。……放課後まで話しかけるな」
「今って放課後じゃなかったんデスか?」
「なんだかんだとグチグチ言うけどさ、結局はそーゆーことなんだよね〜」
「あー、あー、うっさいうっさい」
スカイとエルからのにやけた面構えを視界内に入れないように努める。そりゃ無視だなんて薄情非情を続けられるほど、カイトのメンタルは強くできてないのだから。でも揚げ足を掬われて、機嫌の矛先は底辺へと更に向く。
窓の外を眺めながら、the・不機嫌マックスであるとの主張を高らかに隠す意思は投げて野にさらす。子供じゃあるまい等の常識的御意見は受け付けていない。仮に数千と謝られても、今度ばかりのエイヴィヒカイトは頑と体現を成しているのだ。
そんな頑固を解きほぐすように、肩へと貞淑な手つきで指が置かれた。
パソコンと向き合うのがほぼ毎日となってから、酷く固まった凝りを癒すような優しい手つき。白い細指が鎖骨の窪みを数度摩擦して、同時に湿の感じる声色を投げかけられる。
「髪、また伸びましたね」
「……」
「カイトくんが良ければ、私が結ってもいいかしら?」
慈しみを察する色が、黒帽子の奥へと染み入る。
やりたきゃ勝手にしろと背中で語ろうとして、ふと思い出した。
「や、待った」
「……ダメだった?」
残念そうな顔やめて。しょぼくれた顔はいくら可愛くても罪悪に刺されるからやめよう。
ダメではなく、タイミングが悪くて、先着があるってだけなのだが。
「なんか、初めにやりたいって物好きが居る」
「……メジロアルダン先輩?」
「ダイヤ」
散髪の七面倒臭さも込み込みで伸ばしていることを知れば、誰よりもいの一番に綺麗な挙手を決めてきたのは、半年くらい前だっただろうか。男の髪なんざテキトーに括ればいいだろうに、興味津々に目を輝かせられれば断るような不粋はしづらい。
纏まった長さが出来上がれば任せる約束をしていたが、グラスがこう言い出したってことは頃合なのだろうか。明日にでも頼んでみよう。
「……………………スペちゃん、どうなの?」
「……いや、そんな素振りは無いような……単なる憧れなような……」
「好奇心旺盛で箱入りだからな、新種を珍しがってるだけって線もあるぞ」
邪推されるのは一度や二度ではない。が、その度にこうやって返すだけ。
感覚としては妹だ。マックイーンのような妹よりも、更にちっこい妹のような認識だ。よこしまなど僅かでも抱くことはないだろう。
「……カイトくんが決めたのなら、残念ですけど」
「えっと、なんかすまん。その後ならいくらでも弄ってもらって構わない」
「……なら、今度の休みに散髪もしましょうか?」
「切るのはいらんけど」
「前髪なんかも整えないと」
「結ぶだけでいいんだけど」
「し ま し ょ う か ?」
「お願いします」
なんだかんだでカイトも日々成長している。経験を積み上げて、体験に則した行動の方向性を獲得できている。それらは説明不要で言語化無為な直勘へと直結するのだ。
未来を予め知る超絶能力にも見まごう直勘は申す。ここまでの会話内容で、来月あたりにはアルダンに謝る羽目になる。けれども根本となる理由がバカには無色透明で、どんなに頑張ろうと見当たらないので、回避できる確率はどう足掻いても二割を上回らないのでした。
「先に部室にいるから、お前ら早く着替えてこいよ」
「あ、機嫌治った」
「……部室デスか、外じゃなくて?」
「そ。脚の炎症をほったらかす方針ではいられないからな、ちょっとの間はケアに費やすぞ」
加減を捨て気味に消耗した脚は、そのまま使えば耐久上限の値が底から削れていく。怪我をした時ほど、いかに小さな綻びだろうが無理はよろしくない結果を導きやすくなってしまう。
つまるところマッサージorストレッチタイムだ。
「覚悟しとけよ」
『?』
なんのこっちゃとの顔だが、すっとぼけたツラも今の内だ。
なんでもカイトのマッサージテクは、お嫁に行けなくなるような声を出させることで有名になっているらしい。まだまだ発展途上の身ではあるが、トレーナーの腕前を数段超えた時点で、スズカは過呼吸一歩手前まで悶えていた。テイオーに至っては見たことがないくらいに、しばらくはしおらしい態度だった。
強請るネタは有れば有るほどよい。仕返しのつもりも、多分に在る。
思う存分に鳴いて、心ゆくまで喘いで、嬌かしく震えてほしいものだ。
走る。走れずとも走る。
無理など押し通し、道理など蹴っ飛ばさんと勢いよく、埒の扉は引き裂きこじ開けて見せんと鬼の如き裂帛を瞳に宿す。
宿して、頭上に広がる藍色の天井を見上げた。
「っずっっ、。、、ぶ、っぇれ」
無理をした報酬は、一歩踏み出す度に突き刺さる極太の針であり、その幻痛に侵されること。
無意識に庇う歩法で進めば、ふくらはぎは傷まっていく。
下とそこから上の稼働を繋ぐ脚首は、ザラリザラリとヤスリで擦られる音がしているよう。
胸一杯に空気を取り込めば、酸素達に紛れる細かで尖った針の破片が、肺の内部を所かまわず剣山へとすげ替えていく。
苦痛の筵に包まれて、全身を覆われていく。これは脚を進める限り永劫に延々続いていくだろう。
そんなまぼろしを抱き続ける。
「ぐっ、ごっっヒゅっ」
空気の吐き出し方を間違えたらしく、厭な気泡が喉奥で詰まる。
鼻呼吸に切り替えるなんて冷静さよりも、一刻も早くこの嫌悪を取り除こうと、右の指先を躊躇わず突っ込んだ。
舌の根を叩き、無理矢理にでも気道を開け放てば、粘ついた唾液が口から汚らしく吐き出される。
「っっえっぇぼっっ、、っ、っぁっく、」
肺の機能は確かに見窄らしくなった。盛りえたのなら、必ずや衰えへの路を辿る。全盛が激しいほど、全盛がどこまでも煮え滾るほど、反作用のように直下へと真っ逆さまに衰退していく。
走った距離は高々千にも届かない、はした短さ。五百を超えるその前から息も絶え掛ける己への失笑と、愚かしい目的を掲げんとする惨めさ。
こんなのが代償だなんて、カッコつける気にはならなかった。
こんなのが勲章だなんて、不敵に強がる気にもならなかった。
飾り繕う暇もなくソレを襲うのは、剥き出しの苦痛。
「ゼッっっ、ふっ、はっぁ……、……流す、程、ど、、、これ、か……ぁ、……」
失われたのだ。喪ったのだ。捨て去り、棄てたのだ。
今更になって取り戻そうなどと虫が良すぎる話。悉くを掴み残しなく取り戻すなど、土台無理難題を発展させている。
だが、再現ならどうだ。
恒久的な灯でなく、火の華のような一瞬の煌めきでも良いのならどうだろう。
一切合切の今後を焼き尽くして、一切合切の余地を薪として、一切合切の未来を焚べるのなら、最盛の鮮烈絢爛を一度だけでも生み出すことはできるのかもしれない。
未来を考えないその後ろ姿は、どうあってもその人であり、変えようのない生き方その者である。けれども自暴自棄でなく前を見据えられるのは、たった一人の拠り所が在るからだ。
彼女が傍に在る限り、消えることはない魂の灯火。
生きている証拠を胸に抱いて、苦痛の一歩を再開させた。
――――六月の、半ば頃。
アオハル杯二回戦目。
「チームランクってのは考えなくていい。つーかいらねぇ称号だ」
尚、現時点でのチームランクはAである。二回戦すら行っていない時点では破格の評価。
しかし邪魔である。
「えっ」
「こんなもんは勝手なラベリングだ。全戦全勝を目指す俺らからすりゃ、ラスト一戦後以外は与太の域を出ないからな」
評価点なんぞ走っていれば勝手に思って得られる。経過に伴うチームの順位も、把握はしているが興味がない。立ち塞がるなら過ぎ去って勝つ。脳筋のような方針こそが、燦然たる王道であると示せばそれでいいのだ。
「ほんじゃ、掲げた目標の五分のニを達成するためのミーティングを始めまーす」
ドドンと叩いたホワイトボードには『打倒逃亡者!!』の文字。
その横には、人参のような色合いをした美少女が、頭の上で三角形を取っている奇な写真。下端に小さくスズカダイフクと書いてあるが、果たしてこれにはどんな意味があるのだろう。撮った本人が衝動で書き入れたのだから、誰にも訳が分からないのだ。
「これいつ撮ったの」
「忘れた。けど可愛くない?」
「かわいい……カイトくん後で、その……」
「あい、送っとく」
その下にズラリと並ぶ四枚の写真。どれも無許可でなく、わざわざカイトがこのために撮ってきたベストショットだ。
左から太陽みたく笑顔のタイキ。招き猫を主張するフクキタル。あらぬ方向の蝶を見上げるブライト。そして、きこちなく、されど溢れた笑顔で――――僅かな羞恥に頬を染めるベルちゃん。
「避けられてたって話はどこに行ったのよ」
「や、俺もそのつもりだったんだけど……こないだ、ね?」
「?」
「……あっちの実家で仲直りしてきたってだけさ」
「――――実家、ですか」
あっ、寒い。夏も目前なのに寒い。話題変えよ。
「ちょっ長距離にブライト。マイルにベルちゃん。ここまでは探れた」
「アリなの?」
「あっちから勝手に言ってきただけだし。俺、悪くないし」
ズルっこな行為はミリも致していない。言い換えるなら人脈と言いたまえ。
「んで、フクキタル先輩がクジで負けて短距離走るってのは聞いたんよ」
「クジで……?」
「クジで」
先輩には悪いが笑える話である。あんだけ開運アーマーを纏って、なんだってお約束みたく貧乏くじを引けるのだ。才能か。
「となると他がどうなるのかは瞭然かなーって」
ダートにタイキ。中距離に、スズカ。
最大と目される戦力のスズカを、ベストパフォーマンスの場以外で走らせるとは思えない。確実な一勝を求めるのなら、やはり適正距離でこそ走ってもらいたいのではないかと予想する。
スズカが独断場とするのは、中距離かマイル距離である。マイルをベルちゃんが担当するのなら、おのずと残りは決まったも同然だ。
して、こちらはそれに合わせるだけ。
「キングは中距離に決定で」
「そうなるわよね……」
「なんだ、怖いか?」
「――――笑わせないで」
激り、滾る闘志。大いに結構なことだ。厭に堅い緊張もしていない。武者震いを己にとって良好な変化と受け止め、薪として糧にできる精神状態の最中に居れている。好戦的な姿勢は、度が過ぎれば盲目を呼び込む切っ掛けにもなり得るが、コントロールが可能ならとっておきの奮起材だ。
不安混じりの塩梅加減も、程良く自意識を制御させて悪くない。強敵へと臨む直前としては理想的と言っても良い。
「意気や好し哉。そのままの鋭さを保ってくれりゃ言う事も無し」
「トレーナーらしいアドバイスは無いのかしら?」
「ねーよんなもん」
あ、痛い痛いです。視線が物理を帯びて痛い。やめてください、呆れの隋を尽くして虫を見下すような冷え冷えな目はやめてください。分かりました仕事しますから。
「……ススズさんのペースを乱す方法は、実はとても単純でな」
「スズカさんの前を走り続ける、だよね」
「流石はスぺ、あの人の事を良く見てる」
過激と捉えられるほどの前傾姿勢で、常に先頭を走りたがるスタイルは他への模倣を許さない唯一無二。軽い肢体とは見合わないバリキも、軽やかと鋭迅さを両立させる類を見ない才であり、スズカの欲する走り方を可能の範疇へと手繰り寄せているのだ。
それほどまでに先頭を求める理由の一つは――偏にストレスからの脱却と、カイトは睨んでいる。
「ごちゃごちゃと込み合ったレース内容を嫌ってんだよ。あの人は誰にも邪魔されない位置で走りたがる……これが大逃げ大好き娘の所以として、大きな理由の一つ」
邪魔の手を入れる手段など、明快なことである。たった一つ、目の前に張り付いて走り続ければ、スズカのペースにメスを入れることは出来るだろう、が。
「あの人のペースに乗って走り続けるのは、そりゃもう自殺行為だ。キング自身、状況を引っ張っていくレースが得意な訳じゃないだろ」
「そうね、流石に最初から最後までついて行こうとは思わないわ」
ましてやアオハル杯は普段とは違い参加人数が少ない。至ってはサシでのタイマンだ。
正直なところ中の距離だろうが、今のキングにハナからの全力疾走で勝てる相手など、数えるような怪物くらいなもの。なのだが生憎のことに、その件の怪物が今回の相手だったのだから。
「お前のやり方で真っ向勝負、これがススズに勝つための策」
「分かりやすくて悪くないわね、ええ、キングの実力を知らしめるにはうってつけの……!」
あちあちに熱された意思はあちちのち。いいですね。その闘志を、本番までの間にどう砥ぐかはカイトの手腕なのだろうな。
「一応盤外戦術が通じない相手じゃないけど、どうするよ」
「参考までに教えてよ」
「……そうだな」
スカイに問われて、思考を改める。
パッと思いついたのがある。こうかはばつぐんであろう発想だが、真っ先にコレに思い至るのはどうなのだろう。カイトは己を訝しんだ。
「口説く……とか?」
「誰が……誰をデスか?」
「俺が……ススズを?」
おっとどうしたみんな静かになって――――――――うむ、静かで落ち着かない空間ですこと。
空気とは騒がしくなってこそであり、冷え切らずとも静寂へと導くに容易な手腕は不要な技術。意味不明な技術持ちしカイトくんである。
「もー、カイトくんってば何言ってるのー?」
「その手のハナシには疎そうな人だし、揺さぶりにはなると思う」
「……え、本気?」
「半分冗談」
きっとこの時点で失言しなければ、厳かな雰囲気は継続することなく平和な空気となったであろう。
言っちゃたことに気づくまで二秒要する。
「……そうだよねっ! 冗談だよねっっ!?」
スぺからのゼンリョク目配せを受け取ってもいとおかしく、後の祭りの時すでに遅し。
気の不味いだけの空気感から、心胆寒々から占める静寂へと移行する。引き金を弾いたのはカイト。外気よりも寒いオーラを解き放つのは、岩穿つ群青グラスワンダーその人であった。
「ぇ、ぁっ……あたりめーだろうが! 恋人もいるのにそんなっ、そんなんする訳ないだろうがぁっっ!??」
「だっだよねっ! よかったよかった……!!」
「……そうですよね~――――半分?」
「ヒェッ」
喉奥が痙攣しかける迫。舌の根は動きを硬直させて、言の葉を編む動作を徹底して停めてくる。
さて、暖房も回りきったこの部屋が、未だに冬季でヒエッヒエなのは誰の責任なのじゃろうこりゃ。
てかなんで? どうして? スペが怒るなら百歩譲って分かる。先輩口説くとか、軽薄な事しでかそうものなら止める娘だ。でもでもこれがグラスになるなら話は別。そんなに仲良しだったかねキミ達は。
――――はい落ち着こう。深呼吸よし。ストレッチよし。ああスッキリとした気分が戻ってきた気がする。心も体もリラックスした気がする。自然体で話題を移せる気しかしないや。
「
「最初からそのつもりよ」
「
「スズカさんと本気の勝負かぁ……キングちゃんが羨ましいや」
「
パーフェクトコミュニティー。ツーでもカーでもラーでも通じる関係性であるなら、至極まともに喋れば殊更に意味合いは一から百まで伝わるってなものだ。万事一切の欠落在らず。ワタシ、バイリンガルネ。ニホンゴ、キチントシャベレテルアルヨ。
好成績を残せば、アオハルの後のURAファイナルには強者が揃う。個々の実力を観ての上位名簿に、スズカの名が入らないとも思えない。スペにはその時まで我慢していてもらおう。
「
『おー!!』
いけすかない理事代理とぶつかるのはきっと最後だ。勝ち進んだ果ての間際に立ち塞がるであろう直感がある。
ギッタギタのメッタメタにしてやろうと、その決意はどこまでも募るであった。
「ん…………………………うわぁ」
「なにその顔」
「や、理事代理から業務連絡」
理事代理との勝負に勝ち、あわよくばこの部室もこのまま頂戴できないかなと、淡い期待もしているのだった。
「来週まーた集会だってよ」
「……内容は?」
「知らね」
うまさんぽ……アルダンと散歩したかった……アルダンドコ……ココ……⁇⁇⁇