未踏領域で果てる   作:真の柿の種(偽)

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ジャパンカップ見に行けねぇ……デアリングタクトが世界の強豪を薙ぎ払う姿(予言)を見たかったよ…………


其ノ十一

 朝一番に目に入るのは、朝日なんかじゃなくて良い。

 いつだって安心と大好きが込み上げる淑やかな笑み。寝坊助な自覚のある自分を、仕方なさそうにされど嬉しそうにも肩を叩いて起床させてくれる。透き通った水晶の瞳は愛おしく煌めいて、宝石のような声が浮き上がり始めた意識を手繰り寄せてくれる。

 ああそうだ、ある意味では太陽と同じだ。

 心を照らして、己の世界に豊かな色彩を育ませてくれる。それを失くせば、世界は暗く冷たく染まって、凍える寒さが夜を引き寄せてくるだろう。本当に、真実の意味合いで、この男にはその存在が必要不可欠。

 断言しよう、失えば死ぬ。勝手に死へ向かう。生気が抜け出て、太陽を求めに天へと散歩に出かけるだろう。

 

「……」

 

 ならコイツはそういうこと。

 起き抜けの頭を覚醒させる特効薬は居ない。足取りはゾンビそのもの。足の爪が床を叩いて、朝にしては喧しい音を出すが不快感すら生まれやしない。

 右を見れば空っぽのリビング。左を向けば冷え切ったキッチン。前を向いても無機質だらけの壁しかない。

 無いものを探している。失われた掛け替えの無いただ一つを、未練がましく求めて。

 ただ一つ。たった一つ。ひとつだけの失くしものを、自然と五感は探してしまう。

 

「…………っ」

 

 ほら見たことか。急激に寒さが増してきた。冬なんてまだまだ遠いのに、肌にはさぶいぼが多発している。

 自分はこんなにも繊細で、臆病な存在だっただろうか。

 太陽の水晶は、この家にはもう居ない。いないものを数えて、一つ数えれば強烈な寒気に襲われる。足元が崩落していく。世界は四方八方へ砕けて割れて、この手に触れられるハズの温もりなんて、最初からなかったのかもしれない。

 失意の固まった絶望感だけが、最近出来た朝の友だった。

 つくづく思う。朝一番に目に入るのは、目に痛すぎる朝日なんかじゃなくて良い。うっとおしいだけの強すぎる光など、温もりさえ感じられないなら不要でしかない。

 

 ――――ヒカリノミチヲー

 

 着メロが鳴いた。

 

「………………………………もしも『おはようカイト』おはようアルダン」

 

 あらまあ、カラダがポカポカするわ。心もポカポカして言うなればポッカイロね。この部屋電球ついてないハズなのに光り輝いてね? ああそうか世界が彩りに溢れるってこういうことなのね。カイトくんナットクシタワ。

 

『ちゃんと起きれたのね』

「ガキじゃないんだ、一人で起きれなきゃ終わってる」

『その割には、毎朝起こしていた記憶がありましたね?』

「や、ほら、好きな人に起こしてもらうのって、かなり幸せだからさ」

『…………もうっ』

 

 うん、暑い。汗出そうなくらい熱い。なんだ熱帯朝かよ異常気象やめてねガイア仕事しろ。

 つい先ほどの前言は訂正して撤回。このバカは至極単純で図太かった。

 目覚めの朝日、サイコー。

 

 

 どうせだから勝負服でやろうと、言い出しっぺはエルだった気がする。

 

『いやっ、ははっ、っっごひゅっ……やっぱ、みんなっ、速かった、な』

 

 晴れ渡る蒼穹のような心持。

 全力の疾走をこなした体は、昂った熱を放散させようと躍起になるが、相反するように心は涼やかに晴れている。

 ふと、ここまで走って来た道の跡を振り返る。自分以外に五人の足跡は力強く、数年前とは比べ物にならないくらいに強く、各々の存在をしかと刻みつけている。荒々しくも誇れる努力の証が輝くそれらを、人は軌跡と呼ぶのだろう。

 以前とは逆。自分の足跡なんて、弱々しく埋もれるくらいにはなっていた。

 

『あー、くそ、、っ、悔っしい、なっ、。、ぁっ』

『……もしかして、コンディション悪かった?』

『――なにっ、が、、?』

 

 目を細めた笑顔で答える。敏いスカイのことだからこそ、疑わずにはいられないのだろう。

 

『だって、そうでもないとさ……!』

『……』

『…………何とか、言ってよ』

 

 みんな、肩で息をしている。それだけ全霊を賭して、全身を燃え上がらせて、全力を尽くして、全開の本懐で臨んでくれたのだ。

 みんな、疲労感に身を包まれている。それだけこの機会へ、持ち得る全てを注ぎ込んでくれたのだ。

 膝を汚して、手のひらも地へと貼り付けになって、辛うじて倒れ込むのを防いでいる。立ち上がるだけの体力が無いのだ。だから無様に這い蹲って――――いるのは、ただ一人だけ。

 

『――こんなハズは無いわ!!』

『だからっ、……何が、さ』

『こんな……っ、この程度なハズが……! 私が見ていたのは、こんなっっっっ、』

 

 上昇思考が特に顕著だからこそ、キングの目に映っていた背中は、本来よりも拡大解釈されていたのだ。

 

『や、キングが、強くなった、、だけだよ……』

『こんな、情けなく首を垂れる姿なんて、こんなのは……っ!!!!』

『……いやはや、耳が痛い』

 

 遠巻きに見守ってくれていたトレーナーは、静観を保ってくれている。同じく見てくれていたたづなさんも、六人だけの空間を保ってくれている。このささやかなナイター競走を見物するのは、その二人だけ。

 観客は酷く少ないがそれもそのハズ。走る姿をこれ以上不特定多数の他人に見せることへの嫌悪感。親友達の魅せてくれる、一世一代と意気込んだ全てをなるべく見せたくなかったという独占欲。アルダンもいないのは、親友達へ明確な不義理を働く確信があったからこそ、そんな姿は見せたくなかった所以の自己保身。

 

『……立って、ください』

『無理だ』

『っ! 立って、もう一度アタシ達と走りなさい!!』

 

 彼女達も薄々は感づいていただろう。それでも納得出来れば良かったのだ。落としどころも無いくらいの醜態を晒したから、こうしてエルは怒っているのだ。

 

『ぁははっ』

『何を笑って……っ!! どうしてそんなに余裕でいられるんデスか!!!!』

『…………違うんだよ』

 

 嘲笑ったのは、期待に応えることのできない己自身。

 勘違いさせてしまっただろうか。けれど違うのだ。決して、自分と言う異物へ向き合ってくれた彼女達を嘲笑うなどと、そのような愚行は侵すものか。美しき黄金の闘争心を掲げる彼女らを穢すなど、そんな感情など生憎持ち合わせがない。

 ああ、けれどこの結果がそれを指すのだとしたら、謝意しか浮かばない。

 これは自惚れかもしれないが――――曇らせる切っ掛けにはなりたくないなぁ。

 

『えほっ、ごほっ……んぐっ……』

『……具合が良くないんですか?』

『――全然。だから仮にもう一度走っても、同じ結果になるよ』

 

 そう言って、目を細めて力なく笑った。

 

『嘘』

『本当だ』

『――嘘です』

『同じ結果になるのは本当だよ』

『――――……そんな、のは』

『完敗だ。負けたくなかったけど、完全敗北させられちまったな』

『……これで、勝ち?』

 

 群青の瞳は、深みへと沈んでいく。

 歓喜と違う情が浮き出ているのは明白だった。

 

『――――――――これが、終わりなの?』

『そうだ…………これが決着だ』

『……………………分かりました』

 

 目を伏せて、こちらを見ずに、それ以降その日は視線が重なることは無かった。

 呼吸が、整い始めた呼吸が、自責によって再び乱れていく。力なく象られた笑みは、卑屈で苦い味がした。

 なんて情けない。なんて惨めな。なんて嘆かわしい。なんて憫然であろうか。友の求めた一度の邂逅を、満足いく形で終わらせられないことの、なんて苦しみ。それも只の友達ではない。今生で得られるかどうかも分からないくらい出来た親友達だ。皆、この愚物へ期待してくれていたのに、その信頼をカイトは喜々として踏み躙ったも同然だ。

 平気な顔を維持しようとしてしまうのは、もはや習慣として根付いた悪癖だった。

 

『本気だったんだね』

『そうっ、だ』

『加減もしてなかったんだよね』

『そうだ』

『…………そっか』

 

 スぺは、言った。

 この日を特別な瞬間と、持ちどおしいと言ってくれた少女は、言った。

 

『残念だけど、しかたないよね』

『――――』

 

 瞳の中の感情を、察して取れるくらいの間柄だと自負していた。

 だからカイトが決して腑抜けた態度で臨んだ訳ではないのだと、彼女らが汲んでくれたことを信じて疑っていない。

 逆もまた然り、彼女らそれぞれに見えた感情がある。

 

『しかた、ないから』

 

 草臥れて、疲労とは違う理由でしぼんだ笑顔。普段の華が咲いたのとはどう足掻いても同一と見做すのは不可能な、しおれたその笑顔。

 隠しきれない()()が、流星となって突き刺さる。

 親友達の待望した一分と少しの刹那。

 彼女らが得たのは、美酒と表現できるほど上等な成果ではなかったようだ。

 焼き付いた感情が、ずっと胸に残り続ける。何時ぞやのある時に苛まれた、あの時の自傷衝動にも似た苦痛。

 アオハル杯に出ようと決心した切っ掛けは、いつまでも残り続ける五つの眼差しだ。

 

 

『行け行け行け行け行け行け行け行け行け行け行けェェェェェ!!!!!!!』

 ――僅差をそのままに、ゴール板を駆け抜けるッッ!!

『うおおおおおおおおおお!!!!! すごいぞふたりともおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!』

『げ、元気だなオイ』

 

 と、他の誰よりもけたたましいい大歓声をがなる新種がいたらしい。何と言っても二名の走者は、片やカイトの親戚であり姉と慕えるほどの関係性。片や終生と定めても異論は無いライバルだった親友。応援の声に熱が昂るのも自然だった。

 

『ベルちゃあああァァァァァァん!!!! グラアアアアアアアアアス!!!! サイコォォォォォォォォ!!!!!! ウワアアァァァァァァァァァァァンンンン!!!!!!!!!』

『流石にうるっせえよバカ!!』

 

 感極まって号泣まで秒読み状態のバカに、ポカリと一発鳴り響く。コレがトレーナーの愛の痛みか。

 ちなみに心象内でどちらをより応援したのかは、その、少し伏せたくあるので、両者を同じくらい応援したということで此処は一つ許してくれないだろうか。

 連れ込まれた控室にて、そんなこんなを問いただされている最中真っただ中でございます。

 

「……アタシは応援してくれなかったんだ」

「や、二人とも頑張れーって、ベルちゃん()()滅茶苦茶叫んだんだけども……」

()()。……アタシはついで?」

「おおっと?」

 

 隣へと椅子ごと移動してきたベルさん。

 かける言葉を検索中に、つむじがグイグイとこちらに向かって差し出されている。これはあれか、撫でろって話か。

 

「……ん。」

「んー、っと?」

「……んっ!」

 

 胸元へゴスゴスぶち当たる漆色。観念したように手のひらで受け止めればプチ暴走は止まり、指先で弄べばくすぐったそうに身をよじる。

 

「……ふにゅぅ…………むむっ……!」

「なんだってちょい不満気味?」

「くすぐるよりも撫でて欲しいのに……」

「あー、はいはい可愛い可愛い」

 

 実際可愛い。この姿を向けてくれるのは毎度毎度、毎度毎度、至極の冥利に尽きる。ベルちゃんの両親から頂いた御赦しも後押ししてか、隙を見つければここぞと詰めてくるようになってきている。こんな光景がとある御方に目撃されればシバかれるだろうが、ここにきて先日出された理事代理によるお触れが効いて、直接喋る機会が少なくなってしまっているのは不幸中の幸いだ。いや、会う機会が激減しているからマイナスか。

 グラスVSベルちゃんの勝敗は――チームの想定及び展望の通りに、グラスの勝利で四戦目は幕を下ろした。ここまで全レース全勝を飾り、最終五レース目が始まるにはまだ掛かりそうだ。だからこそ機嫌を取りにここまで来れている訳なのだ。

 ただしこの後はグラスを労いに行かねばならない。本来なら順序が逆だったが、今にも泣かんばかりの雰囲気で落ち込むベルちゃんには勝てなかったよ。

 

「ねっ、カイト」

「どしたの」

「は、……ハグ……して?」

「…………や、怒られるので」

 

 しかしキャッキャウフフと何も考えずに戯れるには、圧倒的な呵責がバカを襲う。既に手が遅れているとは思い当たらない確信的な阿の保だった。こうまで手の施しようが無いのは、いっそ考えなしと変わら無し。

 

「今はアルダンさんもいないから、大丈夫だから」

「何が大丈夫なのか分かりかねる」

「だって……邪魔されないのは今の内だもん……」

 

 その件であれば理事代理へ直談判すること、今週で三十を超えたところである。突っぱね返されて御終いなのが、更なる苛立ちを呼び込む。そして後々に冷めたような無常感も襲ってくる。

 大体アルダンもアルダンだ。カイトの立場など放っておけばいい。そうして気を遣ったつもりだろうが、その結果が毎朝虚無と共に朝食を食べる羽目になるのだ。あ、マズイ、泣けてくる。

 

「……」

「よしよし……泣かないでカイト」

「や、別に泣いてないよ?」

「誰も見てないから、甘えてもいいんだよ?」

「魅力的かもしれないがお断りしておきます」

 

 そうやって曝け出すのは特定的人物の前だけと決められていますのでね。

 

「むぅ……。……! 今日って泊まりに行っても」

「ダメだからね。理事代理がキレるからね」

「むむぅ!!」

 

 不貞腐れ方可愛いかよ。しかし、いくら口をアヒル型へ尖らせようと、ダメなもんはダメであるのだ。

 

「……カイトはアタシがきっ、嫌いなの……?」

「それはない」

「……!!」

 

 この即答は悪手じゃろと、流石のバカイトもこの後に気づけた様子。

 既に手が遅れているとは以下略。

 

「なら、好き?」

「……」

「教えてカイト」

「…………嫌いじゃない」

「ダメ」

「え、即否定?」

「答えになってないもん」

 

 頭に置いていた手を取って、ベルちゃんの頬に添えられた。小さな口から漏れ出る吐息が手首にかかって、なんとも言えないむず痒さを誘う。

 真っすぐに潤んだ瞳が、ますます答えづらくさせてくる。

 

「好きか嫌いか、どっちかで答えて」

「…………っ」

「ねぇ……お願い。カイトの口から聞きたいの」

「……何度も言ってるけど、俺にはアルダンが……」

「……なら引き剥がして」

 

 手を抑えつけられたまま、椅子の面積を押し退けて、ベルちゃんの重心は徐々にこちらへ傾いて来る。

 カイトは家族が大好きだ。そんな存在が、身を委ねてくれるほど信頼してくれているのは、言葉にしがたい喜びがある。欲しかった存在が隣に在る事実が、幸福を過剰なまでに供給させてくれる。

 

「カイトがそうして欲しいなら、アタシは金輪際近寄らないから」

「え、あ、やっ、無理っ、だ」

「……そっか」

 

 仄かに熱く濡れた顔色が、たった一言だけで曇り、表情を翳らす影が胸に突き刺さる。

 途轍もない勘違いを受け取らせてしまった。それだけの影響力があるなどと、思いもよらなかったなんて大した言い訳は今さら遅すぎる。

 

「ち、違う! ベルちゃんのこと好きだよ! 大好きだっ!」

「……ぁぅ」

「好きな人には、その……離れて、欲しくないから、さ」

「ぇっ…………ぅあっ……!」

 

 過去の蟠りも消えて、再び笑い合える間柄になれたのだ。失うなどと考えることすら苦痛が増さる。

 

「……も、もっと、もっと!!」

「え」

「いいからっはやくっ!!」

「……恥ずいし時間無いから、また今度っ!!」

 

 どうやって処理しようかこの羞恥。叫べば多少は晴れるだろうか晴れるだろうな。

 ちょうど頃合いも良く、キングによる異次元の逃亡者狩りのお時間がやってくる。発散としてはこれ以上ないくらい熱中できるに違いない。

 

「バイバイベルちゃんっっ!!」

「あっ……」

 

 走り出すのはちょっと無理だけど、全霊の早足でその場を立ち去るべく立ち上がる。

 最後に膨れっ面のベルちゃんが見れたのは、ここ最近で五指に上がる幸せ事態であった。

 

 

「……えへへぇ」

「ドーベル! ナイスファイトデシタ!!」

「好き、好きって、大好きだって……」

「……ドーベル~?」(訝しみながらスマホを取り出す)

「離れて欲しくないって……~~~~っっっ!!!!」

「! …………」(連射機能、オン)

 

 

「トントン拍子で行くぞオラ」

「異論は無いけれど……」

「けどが何だってんだコラ」

「なんでそんなに顔が赤いのよ」

「……ほっとけ」

 

 本当に聞きたいのかは謎だ。どうせ聞けば聞くほど顔色が渋くなるのは目に見えているのだから。

 

「まずグラス、さっきのはいい走りだったぞ」

「本当にそう感じてくれましたか?」

「何を疑うんだよ」

「ドーベル先輩の元へ、いの一番に駆け付けたと聞きましたが……」

「……あやしてただけだし」

 

 乙女の涙を零すのは何をどうしても阻止すべきである。仲が良いならなおさらで、それが家族なら必要性が倍プッシュだ。なんだこれは、完膚なきまでに言い訳を繕えていないではないか。言葉を紡ぐのがヘタクソすぎである。

 

「……私よりもドーベル先輩を選んだのは、一旦置いておきましょう」

「おう。………? ……い、一旦?」

「最初の正念場を超えんとするキングちゃんへ、何か一言言ってあげてください」

「必要無いわよ。……私の全部を底まで使えば勝てる――貴方はそう見立てたのでしょう?」

「もちろん」

 

 隔絶した垣根など非ず。異次元へ逃げ込もうと、キングヘイローにはその背を捉えられるだけの才覚があり、追い抜けるだけの実力がある。見る者達どころかスズカでさえも、おそらくはこの一戦がどちらへ軍配が上がるのかを決め打ちしているのが多数と見た。実際の話としてキングの持つ実力には、確かな色合いとなる裏付けの勝利が少ない。同期と比べても数だけでなく、話題性にも欠けている。ジュニア、クラシック、シニア期の活躍が芳しくなかった際の印象が染みついているのだろう。

 少し反魂しただけで、この娘のそういったところが好きなのだと痛感する。こびりついた印象()にめげず、視界を塞ぐ最低限以外をほったらかして走り続ける背中は、溢れんばかりの努力で輝いていた。頑張る姿は割と好きだが、特にカイトが好きなのは――キングの頑張る背中。

 だからこそ。

 

「願望と憶測だけでしかないけど、俺は勝てると思う」

「肝心なところが曖昧ね」

「いやだから願望だってば」

 

 二人の戦績は零戦零勝。判断材料は前評判に限られている。ここ最近のスズカの調子も知らず、キングの好調ぶりしか分からない。

 スズカの強さは身に染みているが、数年前のそれだけ。次元と乖離した常識外れの走りが、海外から帰ってからも上向きのままだということしか分からない。身の丈に収まり切らない才覚を扱える強靭さを手にして、世界有数のウマ娘へと昇り詰める確信ならある。

 だとしても。未知の可能性の域を出ていなくとも。例えばその天秤が、キングへ傾いていなかったとしても。

 

「キングだから勝って欲しいし、キングだから勝つって信じてんだよ」

「……そうよ! このキングなら当ぜ」

「本気の努力は輝くモノ。泥臭い努力が美しく魅れるほどに心血を注げるキングなら、勝てる可能性は必ずある」

「n……ありがと、あの……」

「それも小さい可能性じゃない。多分、キングが隠してる不安よりも、よっぽど大きな可能性だ。キングはそれだけ走れる娘なんだから」

「……そ、その辺り、で……」

「相手が相手だ、怖くもなるよな。けど大丈夫だ。ターフに立って、努力の結晶を出し切ってみよう。そうすれば悪くない結果になっている――――キングなら、勝てるよ」

「…………もぅ、やめてぇ……」

 

 まだまだ出そうと思わなくてもポイポイ出てくるが、キングストップが出たからここまでにしておこうか。

 

「相変わらず恥ずかしいセリフを堂々と」

「セイちゃんセイちゃん、これが所帯持ちの余裕ってやつデスよ」

「…………………」(自分もベタ褒めして欲しい目線)

「言わせてんのは半分お前らだろうが。キングからも歯の浮くハッタリの二つは欲しいけどな」

 

 あとまだ所帯持ちじゃないよ。その予定はあって欲しいよ。

 

「……フッ」

「おっ?」

 

 不敵な笑みが一つ。

 

「ハッタリなんて必要無いわ」

「おおっ?」

「キングの実力の示しどころよ! 私の走りがスズカ先輩を凌駕する瞬間を、とくとご覧なさい!!」

『おお~!!』

 

 コンディションは平均値。最高潮とはいかずだが、良好であるなら問題などない。平常時でも十分だと、カイトはキングを信じ抜いていたから。

 キングヘイロー(王者の後光)は、きっと異次元の果てまで届く。

 

 

 ――――見知った背中が、知らない背中へ成り代わる瞬間を見た――――

 

「今日はよろしくおねがいね」

「すぅ――――――――ふぅ」

「えっと……キングさん?」

「――――ええ。胸を借ります、スズカ先輩」

 

 軽やかに。空へと走り去ってしまうのではないかと思えるくらいに疾い/前を行く。緑白の軌跡は逃亡してゆき、深緑の王金はその影を追う。

 重々しく、急速に最高速へ到達する脚は依然とした重圧を与えて振舞う/ペースを崩さないよう心がけても、彼我の差が恐ろしいほどに広がっていき、覆せるか否かの惧れも比例していく。

 通り過ぎた空間へ差し込む風圧が、常軌を逸した瞬発性を物語った/けれども、全く不思議なことに、最終的な勝者が誰なのか。

 気取り過ぎだと恥ずかしがっていた真っ白な外套を、真後ろから目撃してしまった瞬間/拡大していた差が膨張を止めて、追い抜くにはどれほどの速度を、どのタイミングで出し切るしかないかを理解した瞬間。

 自分の敗北を信じた/親友の見立てを信じた。

 

『――――、』

『くっ――――!!』

 

 彼にとって。

 敗北の可能性は無視。勝ち以外の未来予測は投げ捨て、必然的な勝利以外には価値など皆無と語る走り。自己にとっては当然の勝利へ、敵など目もくれずに走りゆく。浸るのは対決の熱狂ではなく、己の内へと没頭した先。

 自信とは違い、成すべき事柄だ。誇ることなどなく、(求めた景色)に届かせるためだけに磨かれたその脚には鈍りなく、以前よりも確かに速くなった自分との差も未だ据え置きだった。

 困難を乗り越えた達成感を得るための結果でなく、望みで果てるまでの過程。それこそが彼の鈍りなき脚。まだまだ追い縋ることも許してはくれない容赦の無さは、懐かしさと悔しさがブレンドされて、複雑怪奇な感情を象っていたのだ。

 

『――、――――』

『置いて――――行かせない!!!!』

『譲らない――――!!!!』

『――――ハッ』

 

 ギアが上がったのだろう。ガチリと、走り方の質には変化が訪れて、呼応した二人も同じ速度帯へと乗り上げるべく、底よりも底から脚を引き出して。

 己の全霊を用いて、己の前例を越えていく。彼と走り、潰されなかった者に顕れる成長の余地を、コンマの合間にも引き出し糧へと受け入れていく。この瞬間刹那のためだけに磨いてきた全力すらも、この土壇場で更なる総力を引き出すための要因でしかない。この二人はそうなる事を、他の三人以上に知っていた。

 だからこそ、彼を最初に打ち負かすなら、二人のどちらかだったのだ。

 

『勝つんだぁぁぁぁ!!!!!!!!!』

『貴方は――――私が、ッッ!!!!!!!!』

『――――ッ――!』

 

 公式にあるどのレコードをも揺るがす、前代未聞のラップ。場の条件こそ違えど、叩き出された数字は噓をつかない。

 その中には自分も居た。居た、けれど。

 

『――――ッハ、――遠い――――!』

 

 世界よりも近い場所。なのに、すぐ目の前に居た筈なのに。

 こんな近い場所に、この脚ではまだ届かない。

 スタートから始まる序盤、全体としてのペースは異常なほど掛かっていると捉えられてもおかしくないハイペースで、なのに誰一人として呼吸を乱すことなく平常だった。

 中盤を読み合う瞬間も、既に全員でフルスロットルなのではないかと疑われる速度で、誰もが維持どころかむしろ速度を上げていく一方で。

 最終コーナーを回るこの瞬間だって、学園中どころか世界有数の一人として数えられてもいいほどのタイムを打ち出している。

 これが公式の催しであったなら、教科書の十ページくらいなら独占するだろう。それだけの価値ある時間の中に自分は居た。

 なのに。

 

()()、勝てないかッッっ!!!!』

 

 届かないこと。勝てるビジョンが薄いこと。敗北を確信させられたこと。

 全部が悔しさへ直結して、同じくらい懐かしかった。

 まだ挑めるのだと、次回の際はどのようにしてターフへ引きずり出そうかとすら、早くも考え始めていた。きっとまた拒否するだろうから、無理矢理にでも約束を取り付けるにはどうするか。命がけと隣り合わせな速度の只中で、瀬戸際にも関わらずそんな呑気なことを考えてすらいた。

 必ず勝ちをもぎ取ってやるのだと、奮起の炎を燃やす予定を入れていた。

 この()()

 

『――――――――。』

 

 その()()、今日だった。

 

「――――ッッ!!!!!!」

「なッ――――!?」

 ――キングヘイローッッ!? キングヘイローです!! 言葉にし難き差し脚!!!! 逃亡者を捕え切り、勝利への道をこじ開けたぁぁぁ!!!!!

 ――うぎゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! Ach komm, es ist herrlichィィィィィィィ!!!!!!!!!!! 勝ったあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ、痛いッッッ!?!?!?! 何すんだ!!!!!

 ――うるせぇ! 耳が割れるだろうがバカイト!!

 

 自分はその日。

 

『――――――――――――――――え?』

 

 大きな目標を達成した。

 でも、知らない背中だった。

 自分が知っているのは、不敵に勝利を並べていく無機質で超越的な背中。世界の強豪すらも一蹴し、目的だけを見据えて進み続ける絶対的で堂々とした白色。

 地に伏せて、息を絶やしかけんと震える姿など。敗者となって、弱者のように首を差し出す姿など。

 くたびれて、白色の外套をぐしゃぐしゃにする背など、キングヘイローは知らない。

 いつの間にか現れた知らない背中を、ゴール板手前で過ぎ去っていた。

 追っていた背中は、何処にもいない。

 

 

 それは、ドイツにてそれはそれは嬉しい告白をされた――その一週間後。

 麦のシュワシュワを手土産に、カイトは恩師を訪ねていた。

 

「予後不良らしいよ、俺」

 

 なんてインパクト抜群なカミングアウト! ほらみろトレーナーの顔はしかめっ面二百をぶっちぎっている!

 と、おふざけはともかく。

 

「……症状は」

「繋靭帯炎に蹄葉炎に屈腱炎とか、脚以外にも軽めの喘鳴症やら。あ、心房細動なんかも日常で発症してるらしい」

「――――」

 

 予想はしていたのだろう。その辺の周囲には隠せているが、怪我に覚えがあるものや、トレーナーなどの目敏さを生業とする者には一目瞭然らしい。アルダンには、当然ながら全部知られている。マックイーンやテイオーからも詰められて、大人しく(繋靭帯炎だけ)ゲロったのは苦めの記憶。

 それでも予想外と言った顔をしているのは、そんなに多くを患っているとは考えもしていなかったからか。もしくは、半信半疑が当たっていたからこその衝撃か。

 

「走ればほぼ確で転んで、軽い怪我なんかじゃすまないってさ。メジロの主治医から脅されちったよ」

「当たり前だろうが……っ!!」

 

「走る気が全然無かったこっちとしちゃ好都合だった」と、冗談めかしても、トレーナーからのジト目は止まらない。疲れ目か。蒸したタオルを目元に置くことを勧める。

 

「いつからだ!」

「んーと、現役中に患って、三年くらい前に纏めて発覚? でも競走能力を完全には喪ってないから安心してくれ」

「このバカッっ、……お前の我慢強さを基準にするな」

「ん、まあ、それも存じております」

 

 つっても単純な話だ。とってもかんたんな、おはなしなのである。

 これから一切先の生で、まともな歩行が出来なくなる覚悟さえあればいい。

 あとは、一歩踏むたびに()()()()だけ響く痛みを耐えればいいだけ。

 

「――――でも頼むよ、トレーナー」

 

 走りたくないという我儘と、たった一度だけを欲したがる我儘。

 この二つは相容れない。走りたくないから走ることが不可能に近い状態を維持したくて。けれどこれからの人生でほんの一度だけ全盛まで戻ってくれるように行動するのは、幾分なりとも脚の耐久値を戻す作業も範疇にある。それは、これからも走れる余地が生まれるかもしれない事と同義で。

 どっちつかずなんてもんじゃない。五十の中間択は取れない。二十五や七十五の偏った混合択も取れない。

 黒か白か、零か百か、否か是か。選ぶ瞬間は必ず来る。

 そしてこのバカは訳の分からないことに、両方を欲していた。

 

「喪った分はもがくっきゃないでしょ?」

「戻せる保証は無い。……お前自身が理解してるだろ」

「やれるとこまででいい。そうすりゃ俺は後悔せずに済む」

 

 後悔を残して生きていくなら、死んでも生きても変わりないのだから。

 ケアに費やす時間はじきにおしまい。久しくも辛く懐かしい研鑽を、再び積み重ねる日が始まる。

 試行を繰り広げた後は、錯誤でもって出たとこ勝負。

 潰えるか引き伸ばせるかの結論。リミットに追いつかれるまでに残りの二年弱を過ごせたなら勝ち。これはそういった競争だ。

 そして競争なら、これほど得意な分野もそうあるまい。

 

「……お前の走法は脚への負担どころか、全身を鞭打ち続けて走るのと同じだ。ただでさえ弱った体でそんなことをすれば…………二度と歩ける身体じゃなくなるぞ」

「ふむ……別に構わないかな。車椅子も慣れりゃそれなりに楽よ?」

「――――そこまでする理由は?」

 

 内の思惑など割れている。余すところなく理解してくれているのは、カイトが抱えるコレが、他の娘達の持ち得る情熱と何ら変わらない質であるが故。

 それでも一度だけ。改めて言葉にさせて、決意を新たに羽化させようと促してくれる。やはりカイトのトレーナーとは、この人以外に考えられないのだ。

 まさかリベンジマッチなどとは、自分が使う語句だなんて考えもしなかった。

 

「……一回だけでいいんだ」

 

 空の疑惑を晴らす。懐疑など二度とさせない。

 王の困惑を破る。己の記憶を疑わせるなど二度とならない。

 鷹の怒りを払う。そんなものかと二度と言わせない。

 蒼を失意から引き上げる。絶望は二度と味合わせない。

 

「あの日のあいつらの顔、見ただろ? ……右見ても左見ても、どいつもひっでぇ顔してた」

「…………」

「一回だけだ。最高の全盛を魅せられたなら、おしまいでもいい」

 

 流星の失望を思い直させて――――あの目だけは、二度と許すことはない。

 勝ち逃げして終わってやる。それを最後に、永劫の敗北感だけを刻んでやる。

 お前達の走り続ける目の前へ、永劫の背中を宿せたのなら、なんて――――幸福。

 

「その()が叶うのなら、俺は――――」

 

 冗談では口にしなかった。何があっても、口にすれば悲しむ人がいると分かったから。

 それを口に出すのは、つまり。

 

「死んでも構わない」

 

 周りを顧みないその欲は、底なしに独善的。

 ああ、確かに()()は――――夢と称するべきなのだ。

 

 

 

 

 

 

「ああクソっ……メジロアルダンにまた恨まれちまう……」

「今更かよ~。終わった後で一緒に怒られようぜ~」

「ぶん殴るぞ」




接触禁止令出されたバカ:(献立は納豆と豆腐)「モグモグ……。おっ、このドレッシングいつもと味違うな? そりゃお前の料理はほぼ毎日食ってるし。……へぇ~、トマトサラダに合うよう作ったんだな……うん、これも好きだ。……モグモグ……うん? や、卵焼きは甘くても好きだよ。いつもありがとうな、アルダン」(一人の食卓での風景)

走ると、とある日の光景が重なるエナドリ服のお嬢様:バカの期待通りに勝ってやったぞ見たかコラしかしうるさいわねあのバカ

勝った瞬間の歓声の熱量が自分と違くておこなアメリカンワビサビ:もうっ、ぷんぷんがおー(隠語)しますよっ

接触禁止令出されたお嬢様:「ハァ……」→何処か遠くを見つめる→「……ハァ」→スマホの電話帳を開く→「……………………」→スマホを閉じて胸のリングを握り絞める→うっ血するまで握ってる→「ハァ……」以下エンドレス

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