バカとてその一人であり、例外へと漏れる事もなく。
「カイト」
取り出したるはアルバムのような、というかアルバムだった。
表紙に書かれたタイトルには、何やら覚えの有るような無いような、そんな学校の名が記されて。
つーかもう、あれだ、エイヴィヒカイトの通っていた中学校の卒業アルバムだった。
「何だ、この……なに?」
「どの人?」
ニッコリ笑顔でアルバムを開きながら、そんなことを言ったのでした。
惚れ惚れとする高貴な笑みをたたえて、背後には修羅を背負っているような気が。
「ど……どの人?」
「ええ、どの人?」
「……どの人って、どれが、どういう……?」
「言わなきゃ、分からない?」
それはもう、昨日の今日だ。話題の内容を鑑みても、つまりどいつかを
問題は教えればどうなるのか、それが分からないカイトではあるが、ふんわりと分かりそうなカイトでもある。しかし一応は聞いてみよう。トライの精神は大切なものであるからして。
「教えて、どうするつもりなのさ」
「私だって怒ったりもしますから、ね?」
知ってる――――メチャクチャにされたり、メタクソにされたり、グチャグチャにされたり、ムシャムシャとされたり、ネチャネチャにされたり――――うん、知ってる知ってる、怖いよね。
というか『ね』って何だ『ね』って。その一言に全てを込めるんじゃない。推し量れる付き合いの長さを恨みたくはないが、アルダンの怒り心頭へは近づき難い。これがカイトの出した結論である。
「うん……や、まあ、気にしなくても」
「気にしない? 気にしない? 気にしないって? 何をどうすればそんな事ができるの? まさか本気で言っていないでしょう? 気にしないだなんて、そんな事は無理に決まって――――ええ、無理、そんなのは不可能です」
「こわいこわい、落ち着けって」
掲げたアルバムを机に置いて、詰め寄られる。
絶対零度の声色で、瞳には確かな激情の色が渦を巻いている。十年を超える年月の中で、こうまで本気の怒りのアルダンは初めて見たのではなかろうか。
「どうしてカイトが庇うの……?」
「いや、庇ってないけど」
「なら何でっ! ……カイトを……傷つけた、人達なんてっ――――許せる筈が……!」
「……お前のそんな恐い顔、見たくもないけど」
怒りによって、表情の険が深くなる。
普段の中の表情とは違う。笑い合う日々の中で穏やかに怒るのではない。
本気の怒りなど、彼女には抱かせたくないのに。
「教えて、カイト」
「……ぶっちゃけ、名前とか顔とかは、その……覚えてなくて」
「……いつも、そう言って」
個人に繋がる事はずっと明かさなかった、と思っているのだろう。
実際には、明かせなかっただけ、これが正しい。
「思い出せない」
「まだ言うの……? カイトをバカにしたりする人達を庇って、何になるの……!?」
「違うよアルダン。……本当に、その、昔の連中を思い出そうとすると……」
ざらついた音が、その名に被さっていく。
ざわついた黒が、その顔を塗り潰していく。
まるで、記憶から消し去ろうとしているような、そんな違和感が思い返そうとする自分を邪魔していく。口には出せるのに、耳にはノイズが絡まる。目で見ようとすれば、表情は隠されてしまう。
まさか、実際に再開しても同様の現象に陥ってしまうとは、思いもよらなかったという話。
「…………とにかく、思い出せない」
「……された事は覚えているのに?」
「嫌な思い出の殆どは……大体が、大切なものに関連してるから」
そんなもの、嫌でも覚えてしまうだろう。
「カイトはもう前を向いているのに、どうして邪魔されなくちゃならないの……!」
「……過去は、切り離せない」
シミになって、離れない。
己の一部を切り離す事など、方法が分からないから。
「責任は俺にある」
「そんな事ない! ……カイトは何も悪くなんか」
「前の夢を叶える為には、とにかく問題を起こさない事が不可欠だった。やりかえせば大事になっただろうし、何よりも俺が誰にも頼りたくなかった。……頼ったら、その後も止められてたし」
かれこれ、そうして出来上がったのは。
悪意に耐え切る強さと、未来を諦めない心。二つにして一つを兼ね備えた、一人の自殺志願者。
「誰にも助けを求めなかったのは、俺が選んだ道だ」
「……」
目的である夢を掴むため、その歩みを止めようとは思いもしなかった。その末路としての後日談が、今この瞬間なのだろう。
苦々しくとも、因果の報いが応えた結果だ。
自らの行いが、こうして過去から現在へとやってきた。
「それに、アルダンはそういう連中の事なんか考えないでいいよ」
「カイト……」
「それよりも、もっと……俺のこと、考えていて欲しい……かも」
寒さは、消えない。
生きる限り、春夏秋冬は巡りを止めずに進み続ける。時には時期を選ぶこと無く、記憶が冬を呼び起こすこともある。尖る冷たさを、髄は未だ残り香として憶えている。肌を刺す風が、胸中から身へ噴き出る事もあるだろう。
抱えて生きていく事を選んだのは自分だけど。
もう、耐えられる自分はいないから。
「お前の怒りすら、誰にも渡したくない。全部を俺に向けて欲しい」
「……カイト」
「やりかえして欲しくなんか……そんなアルダン見たくない。……俺の好きなアルダンを、俺から奪わないでくれ」
それだけは耐え難いのだ。それだけが許し難いのだ。何よりも看過できないのだ。
極端な話、自分でもどうかと思うが、大切な物くらいなら許せるのだ。帽子を汚されて、思い遣りを捨てられて、祝福を踏み躙られたところで、結局は耐え切れた。その実績もあるのだ。
でも、それだけは。
たった一人の全てを独占したいだけだから、その矛先が他者へと向くのは、◼️してでも許せない。
「……カイトは、許すの……?」
「許すよ」
「……どうして?」
「
名も顔も認識ができない。それは、つまり。
翻せば、自分が認識をしたがっていないという事ではないのか。
そんな連中とは、心底から関わり合いになりたくなどない。百の害こそあれど、一つとて利を感じられるものか。
「そりゃ嫌がらせなんてさせられれば、苛つく。バカにされて、差別されて、頭にくる。……でもそれだけだ」
誰かを蔑み、侮り、嘲り、悪意を向ける。
そんな行いは自らの価値を何処までも暴落させていくだろう。行く末には興味も湧かず、勝手に失墜するような螺旋へと自分から加わる訳にはいかない。
「それだけって……カイトを傷つけて、痛みを与えて……!
「そうだ」
怒ってくれて嬉しい、なんて手放しに喜ぶことはできない。
逆の立場ならどうするのか。カイトなら、我慢できない。そんなコトをしでかすような連中には、地獄という地獄を、惨劇という惨劇を、尽きることの無い永劫の後悔を味合わせて――――ああ、なるほど、これはかなりキツイ。行き場の無い怒りも生まれるというもの。
でも、それでもカイトは言って聞かせるのだ。
「こればっかりは、我慢してくれると助かる」
「……守ってあげられる、のに?」
「頼りたいのは山々だけど……守ってくれるより、傍に居てくれる方が、嬉しいから」
「それだけでなく、これからもカイトを襲う悪意も! 過去からも!! 守って……!」
「いらない」
抱き締める。
強く、優しく、愛を込めて。
きっとこれからも、何度でも、幾度でも、ずっとこの温もりを何度でも。
怒りすらほどけていく柔らかさを。
「傍に居てくれ」
「カイト……!」
「それだけが……、……その……」
でも、
「……」
「?」
「いや……それ
言えなかったのは、やはり、燻りを続ける胸の熱芯のせいなのか。
いつだって、アルダンからの優しさに甘えさせない要因は、夢にあった。
かつても、今も、何も変わらない。
そんなこんな、かれこれで。
絶不調とは、よく言ったもの。困ったことにうだつの上がらない日を過ごしながら、待望していた合宿すらもイマイチ楽しみ切れないのはどうしたものか。
「……テイオー、はやぇー…………」
帝王の持ち味、重力を物ともしないような軽やかさは、砂という地でも健在だ。故障から甦った報酬として堅強さも得たその脚は、相も変わらず
まあ、キングに負けてたけど。
「カイトー! 今、失礼な事考えたでしょー!!」
「さかな……」
水面へ顔を向ければ、海面から顔を出して、飛び上がる影が遠目に見える。サイズはかなり大きく、食い応えがありそうだ。なんてこった、南国風味の島に来てまで食い気とは、色気も風流もへったくれもない男だった。
そういえば、昼餉の用意はアルダンがしてくれているそうだが。
「……やきてぇ……」
「カイト先輩、アルダンさんが呼んでるわよ」
「さんま……食べたい……」
「……カイト先輩?」
いつだったか、母親にねだったような、そんな記憶もあったような。
「……」
「せんぱーい?」
「…………ぁ」
「?」
水着を忘れてしまった、これでは泳げないじゃないか――いや待て、そもカイトは泳ぐ気が無かったのではないか。つーか水着なんざ買ってないだろうに。
じゃあもう、ヌボーっと風景を眺めながら、快い温暖の風を楽しもう。
「……」
「……」
「……」
「……」
「うみどり……だ」
「……先輩?」
翼を広げて、水平線を滑空する姿は自由そのものに見えた。煩わしさを向かい風で吹き飛ばすような、悠々とした存在が羨ましい。
たまには泳ぎたい。友達と海ではしゃぎたい。突き飛ばしてずぶ濡れにして、道ずれにされて頭から海水を被って、遠泳の順位を競ったりしたい。
とはいえ背中やら胸部やら、決して人様に見せられるような安心感のある素肌ではない。土台無理な夢物語へ思いを馳せるのはもうやめよう。自分が選択した結果だ、後悔したところで治せる見込みもない。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……何で、あと一つを掴めないんだかな……」
「えっ、な、何の話……?」
「……なんでかなぁ……」
「みんな! カイト先輩がぶっ壊れたわよー!」
さざ波が押し寄せて、足下を柔らかく濡らす。踏み場の砂が湿れば指の心地が一変してくすぐったくなってきて。夏の日差しは島の香りと混ざって、清涼感のある風を運んできた。海面を跳ねる潮の音は優しく浜へ響き、自然の慈しみがヒーリング効果を齎してくれる。
アルダンが丁寧に括ってくれた髪は、高い位置でポニーテールになって、うなじを風が撫でていく。
ハットから解放されたギザギザの耳は、太陽の光をたっぷりと浴びて。
口を開いて間の抜けた面を晒しながら、海をぼうっと眺めていた。
「……イルカ……」
後でのんびり釣りでもしようかと思いつつも、どうせ結局は実行せずに忘れて終わる。その程度の思い付きなら、無人島へやって来てからもずっとで。
過去を思い出した日から、ぽつぽつと、何かを手繰るように、無作為に続いていた。
「ちょっとカイト先輩!」
「……魚、だったら」
取り留めのない思考は其処へ帰結していく。
「カイト先輩! 呼ばれてますってば!」
「……鳥だった、なら……」
「ダメそうだこりゃ」
「行きましょうウオッカ、本人を呼んできた方が早いわよこれ」
もしも、だったら、していれば。『たられば』に『もしも』なんて、今の今までに一体何回ほど考えたのだろう。
一縷のように祈る自分に呆れて、与太な考えはこれで最後だと星に誓ったのはどれくらいだろう。
望めば望むだけ、求めれば求める程、この命を慈しんでくれた者への失礼でしかないというのに。知っても、それでも考えずにはいられなかった。
そんな、くだらない想像――あるいは、妄想。
「――カイト?」
「……アルダン? どうした」
「うわ、一発だ」
「どんだけ大好きなのよ……」
意味の無い思考。
脈絡の無い発想。
連繋の無い思案。
散り散りに途切れては、頼りなく繋がって、すぐさま断ち切れていく心の焦燥。
繰り返し、繰り返し。
無意味の空白を繰り返し、苦悩が隙間へ差し込まれる。
昔なら、寝て忘れようとして、朝に起きれば苦しみなど自分には一分たりとも効いていないと思い込んで、針の筵の上を凍りついた表情で歩けていたのだろう。
だからカイトは、夢の中だけが無防備な時間でもあって。
寒さを忘却する眠りの中で、何度も考えていた。
「バーベキューの用意を手伝ってほしくて」
「分かった」
たった一つの問いが現実に現れていたのなら、どうなっていたのか。
何も変わらないのか、何もかもが変わっていたのか。一つだけ言えるのは、大切なモノを取り上げられるような境遇に関してなら、確実に変わっていたであろう
「…………もしも、俺が…………」
「? ……何か言った?」
「何も」
そんな事は、口に出してはならない。
「……なあ、アルダン」
「なあに?」
でも、寸前まで込み上げるのは、言い訳も出来ない話で――あの日から、心はしょっちゅう過去へ引きずられているという、至極情けない話だ。
こんな想像をしたのは、確かに昔ぶりだった。
――――もしも俺が、ウマ
「やっぱり何でもない」
「……そう?」
「ああ、なんともない」
今は、心を定めてくれる
その間だけは、自分をしっかりと保てる。
だから、自分は、大丈夫。
「…………うそつき」
席の向かいから、ジロジロと不躾に眺めてくるのへ意に介さない。
欲を満たすのに今は忙しいのである、喋らせるんじゃない。
「しかしカイト、その髪型も似合ってるね~」
「
汁の滴る肉を口いっぱいに頬張りながら、スカイへと礼を言った。
もごもごと口が篭ろうと、食べながらの対話を止めないし、伝わっていることを疑いはしない。実際、伝わる相手であるため万事が問題無しである。
「普段はかなり雑に纏めてたけど……自分でやったの?」
キングが髪先をつまみ上げながら問うてきた瞬間、ほんの一瞬だけ、お嬢様っぽい気配の方角から突き刺さるような視線が有ったような、無かったような。いやいや、すぐに消えたので気のせいでしょう、はい。恐らくは相手を見て、問題無しと判断したのだろう。
大所帯で席を囲むが故のジレンマであり、睨みつけてきた犯人はちょうど対角線の位置に座っている。いやしかし睨みつけるくらいなら隣に来ればよかったのに。
「
「そう、道理で。綺麗にしてもらえて良かったわね」
「
「どうして通じてるんですか?」
「
「……うん! 全然分かりません!!」
長い付き合いでなら勝手に自然とこうなる。現にキタサトコンビだって、似たようなツーカーは可能な筈だ。
「流石にお肉ばかり食べ過ぎじゃないの~?」
「
「ダメよ、野菜もバランスよく食べなさい。貴方も一応はトレーナーでしょう?」
「
「誰がオカンよ!」
「カイトくんはどんな言語をモノしているの……?」
スズカがドン引きの疑問も、肉の焼ける香りで掻き消されるのだ。
皿へとドサドサ盛られていく緑黄色の彩りで、ストックしていた肉が埋もれてしまう。ああ、何という健康的でかつ目に優しい色合いの雪崩なのでしょうか。しかしそこに存在しているのはビタミンやら食物繊維やらで、欲にまみれた脂肪分が圧倒的に足りていなかった。無情かよこの王者は、肉をもっと寄越せ。
とはいえ目の前へ積まれたものは食べきる主義である。お残しの選択肢は許されないのがエイヴィヒカイトの学んだ過去である。
先にシャキシャキとした野菜群を片付けてしまうのだ。あらら、瑞々しくて意外と美味しかった。
「むぐむぐむぐむぐむぐ……んくっ……ぷはぁっ」
「どうぞ、お茶です!」
「うわぁナイスタイミング、さんきゅダイヤ」
「いえいえ、たくさん食べてくださいねっ!」
隣から差し出される麦茶を快く受け取り、一息にサッパリと飲み干した。
肉。霜の輝きが降り立つ肉。鮮やかさが灯った赤身肉。骨の付いた漫画肉。豪快なボリュームを追求したステーキ肉。柔らかくも程よい食感を楽しめるタン肉。肉という肉が目の前には並べられて、此処は一つの楽園と相成っている。ただでさえ『食える時には食わねばならない』が過去の教訓だ、ましてや
野菜と思しき色は未だ尽きぬが、そんな雑草共など知った事かと無視したい。今、この瞬間、一番に価値があるのは何かなどと問われるような愚者になりたくない。問答不要の美味しいを満足いくまで喰らい尽くせる勝者でありたいのだが。
まあ、昔に比べれば、腹一杯食える今は幸福だ。
野菜には不足しない、カロリーも必要量摂れる、実に良い、恵まれた毎日だ。
「……」
「カイトくん?」
「……」
スライスされたニンジンを箸でつまみながら、少し、耽る。ピーマンを齧って、苦みをありがたく思う。シイタケを噛んで、味を楽しむ。
こんな切れ端一つを食べようと望んでも口に出来なかったのに、食べるか否かの選択肢が、今じゃ自分の意志で選べるのだ。
「……」
「カイトさん?」
「……」
「……ちょっと、カイト」
過去があって、過去に産まれて、過去のお陰で今の自分は存在して、過去とは違う自分へ成長していく。今の自分とは異なる異物に成り代わった過去の自分は、決して切り離せるものじゃない。癒着して剥がれない、未熟で、醜くて、火傷みたく爛れて見える過去の自分と、それを形作った状況。
過去とはそういうもの。
だから触れたくない。しまい込んでいたい。思い出したくない。
決意に踏み出した今を邪魔なんてしてほしくない。
「……」
「カイト、食事中にぼーっとしないの」
「……」
「……カイト!」
「――あだっ」
デコピンがこめかみを軽く打ち、朧の意識をカイトに取り戻させる。
「痛い」
「じゃなきゃ話聞かないでしょ」
「なるほどDVか、とんでもない教育方針だなおい」
「オカンじゃない」
「言ってない言ってない」
「言ってるも同然じゃないの」
軽口を叩くだけの元気は残っている。
普段通りだ、問題など何処にも。
「合宿に来てからずっとその調子だけど……カイトくん、具合悪いの?」
「……具合は悪くないけど、調子はイマイチ、ですかね」
「!? だ、大丈夫なんですか!?」
立ち位置が揺らぐような衝撃が、地に埋まった過去から腹の底へと響いて。
思考領域を蝕み、ジクジクと、小さな疼痛を生み出し。
過去の残滓に呑み込まれていき。
「だいじょうぶだいじょうぶ」
だが今し方口にしたように、きっと大丈夫。
傷跡は消えず、カサブタの中が再び膿む可能性は否定しきれない。克服しきれず、不調の波に飲まれているのも肯定しよう。脆弱な己を守り通す方法など、痩せ我慢の一つ覚えしか知らず、それすらも行えなくなってしまったのも、また事実。
けれどエイヴィヒカイトは、もう孤独ではない。
遠ざける必要性を有した夢はどこにもない。むしろ現在の目標を思えば、自然と自分は孤独から遠ざかる道を辿ることになるだろうし、実際に辿っていた。
だから自分は言うのだ。
「お兄さんね、かなりウキウキではあるのよ」
憂いは要らず、心は充足している。大好きな人達と過ごせるひとときがある限り、この寂しがり屋は芯からの微笑みを浮かべられる。
だってほら、今はこんなにも、暖かい。すんごいポカポカする。てかポカポカしすぎでは? 具体的には、こう、さすられる摩擦であったかくなってきたような。その部分が随分と局所的なような。
その方を向けば、懸命な様子でカイトの二の腕をさすっているダイヤがいた。
「何してんの……?」
「風邪気味の時はあったかくしないとダメですよ!」
「お、おう、ありがとう? 風邪じゃないんだけど……」
ありがたい心遣い、後輩からの思い遣りにとても感謝はしよう。
しかしだ、なんだかこう、指の動きが絡まるというか、だんだんと羽先でくすぐるような動きへシフトしていくような。周りからの視線も「またか……」みたいな、釈然としない色味を帯びているような。
「もういいよ」
「遠慮は無用です!」
「遠慮とかじゃないんだけど……」
へそ下あたりがムズムズする触り方に、神経がゾワゾワと震えそうになる。オノマトペは『さわさわ……』って感じになっていた。人目につく時にこの手つきは、否、人目につかなくてもよろしくないボディタッチ間違いなしであった。
「もう充分に元気を貰ったってば」
「まだまだです!」
「嬉しい気持ちで胸いっぱいだから」
「もっともっと受け取ってくださいっ!」
「たいへんお腹いっぱいなのじゃが?」
そんなやりとりを三往復した頃――――あ、やべ、アカン。
このッ、殺気はッッ!!
「っ、よ、よっしゃ元気百倍だぞー! もう大丈夫だからね! つーか飲み物足りてないよね取ってくるね!!」
「あっ……もう、いけずなひとですね……」
「この娘、色々とスゴイわね」
「その、一直線になると周りが見えなくなると言いますか……」
戦慄と呆れ、そんなハーフ&ハーフの感想を述べたキング達は置いて、コテージの冷蔵庫へと急ぎ走った。この場に身を置くのは危険が危なそうだ。逃げより追い込みの気質だが、今だけ気分は異次元へ駆け抜ける逃亡者。
コテージへ足を踏み入れても、追われるような気配はない。安堵と、それとこの後に若干の憂いを感じながら、冷蔵庫の中を漁った。
口実通り、適当に見つけたお茶のペットボトルを手に取り、冷蔵庫の扉を閉めれば。
「元気が……百倍って?」
「ヒッ……!?」
立っていたのは、アルダンでした。
音もなく気配もなく、突然に姿は現れて、喉がひっくり返りそうな衝撃に見舞われた。
「えっ、やっ、あのあのっ……」
「あんなに可愛らしい娘が真っ直ぐに慕ってくれているんだもの、男の子なら元気も出ますよね」
「……お前だったなら百倍どころじゃない億倍だ! 誇れ!!」
「フォローしてるつもりなら……はぁ……」
何だどうした、あからさまにため息などつきやがってからに。仮にカイトが悪かったとして、非が120割カイトに有るという可能性を信じたとして、だとしてもあまりに失礼ではないか。
なんて言えません。言える勇気なんか持ち合わせておりません。イニチアシブを尻に敷かれる末路がこれか、普段の行いを咎められている立場でもある。自分の発言権よ、そろそろ帰ってこい。
「あの娘……サトノダイヤモンドさん、距離が近すぎないかしら」
「あー……や、まあ、それは俺も思うけど……意図したモノではないと思うよ?」
素でそういう感性をお持ちなのだ。あるいは、パーソナルスペースが広いタイプ。決して何かしらの不健全を狙ったり目論んだりするような、健全ではない賢しさは持ち合わせていない、善良な娘であるのだ。聡い娘であるのは確かでも、粘着質な心とは縁が遠いとカイトは信じている。
元気もあって良いじゃないか、と、当事者でなければ手放しに誉めていただろう。気に入っているのはもちろん、普段の言動を見ていれば文句無しの人格者だ。善良な存在は、カイトが好みやすい種類なのも確かで。
「色んなことに興味津々なお嬢様でもあるし、俺の希少性が物珍しいってのもあるんだろうな」
「名家の……噂に聞いた、サトノ家の至宝……?」
「そ。面識自体は前々から合ったけど」
「……………………初耳だけど」
「え」
言ってなかったっけ、言ってなかったかも、言ってないじゃん俺ってばホントバカ。
いやでも待って欲しい、ワザワザ報告する程度の大きさじゃないとカイトは判断していたし、そも「初等部の女の娘二人と休日に出掛けるくらいには仲良くなった」なんて、ある程度の常識を有している現代社会生命体が言えるだろうか。ほらしてくる、事案の匂い、してきたんじゃないか?
個人的にはオマケで付いてきた野郎二匹の友達の方が重要なのだ。しなしながら、悲しいかな、女好きの浮気性と思われているカイト(全くもって心外な話である)がそんな事を声高らかに叫ぼうとも、いかんせん疑いの目で見られるのが関の山なのだろう、無念。
「……光源氏?」
「ふぁっ!?」
そんなこんなの弁明を、とんでもない一言で切って捨てていく無情さはどうだ。バカの扱いを十二分に熟知している証拠に違いない。
「おま、お前っ、言うに事欠いて何を……!」
「……だって、走らなくなってから知り合ったんでしょう? だったら他人にも多少は関心を向けやすくなった時期だろうし……」
「だからイコールで染め上げたってことにはならないと思います!」
確立性に乏しい根拠を後押しするのは、非常に誤った認識が一つや二つや三つや四つやらやらと、加えて言い逃れの出来ない経験則がたくさん。
「本当に?」
「その頃の俺にはもう既に大好きな人がいただろ!」
「……誰の事かしら……」
「他人事ぉ!?」
ひとの心を奪っておいてこの娘は、本当にもう。
「母さんと同じくらい――よりも、超えて、多分今はもう……ああそうだよ! 誰よりも大好きだよ!」
「本当に……?」
「本当に! 誰よりも! 何度も言わせんな!」
「……他の言い回しでも聞きたいなぁ……」
周囲に人の気配は無い。しかし戻るのが遅ければ様子を観にくる可能性も大である。というか何だこれ、カイトは自宅でもないキッチンで一体何をさせられているのか。
「あ……ぁ、ぃ……」
「……」
「愛して、る」
「はい、知ってます」
たおやかに佇んだ、淡い水色の微笑み。
この笑顔には、きっと自分は一生敵わないのだと信じたくなる。そんな幸せの色をしていた。
「……やめだやめだ。戻ろう、要らん心配でもされかねない」
何度囁いても、何度語らっても、慣れるモノと慣れたくないモノはあって、コレは後者だ。お互いの顔色など確認するまでもない、どうせ紅と肌の混ざった色味に決まってる。
血液の温度が熱く変わっていくのは止められず、誤魔化すように足は早くなる。
キッチンから出ていくすれ違い様、重心の引っ掛かりを服の袖に感じた。
「それだけしか言ってくれないの……?」
透き通る色の眼が、不安を湛えて問いかけてくる。
応えたい心はあるのだが、しかし時と場所を考えてほしい。外のやつらとは、直線距離で50メートルも離れていないというのに。
「これ以上をここで? 正気じゃなくない? 外聞だってなきにしもあらずなのですが?」
「……心の重たさも、幾分か晴らせるでしょう……?」
何が言いたいのか、何を言っているのか、聡明さに欠けたカイトにはその意味が分かりかねる。
過去に糸を引かれているのは、認めよう、確かだ。だが心に重たさを自覚した覚えもなく、曇ったような実感もない。故に、心を軽やかにする必要も、心を晴らす必要も、どこにもない。
「もう昔とは違うんだ、お前ちょっと過保護だぞ」
「だって……」
「落ちた調子もそのうち戻るさ」
合宿中は無理だ、それは正直に断言しよう。
しかしだ、不安定な精神はいずれ快方へと向かうだろう。己の心を底根から預けられる娘がいてくれるのなら、合宿終わりには普段の調子を取り戻すとカイトは予想している。
「……震えて縋り付いてきたくせに」
「んなっ、お前こらっ! それ今言う!?」
「今以外ならむしろいつ言うの……?」
願わくば永遠に言わないでいて欲しかったのである。
「……あ、あんな醜態はもう晒さねぇし」
「本当に?」
「本当に」
「前に話した提案も……」
「うわっ、それが一番要らないまである」
「……ほんとう?」
「物騒な話ならノーセンキューデース」
エルを真似た口調には苦言すら呈さず、彼女は真面目に言ってくれる。
彼女がエイヴィヒカイトへ向けた言葉は、きっといつでも、どんな時でも、真っ直ぐにただ一人を想う言葉で。
それが、何よりも。
「カイトが私に恐い顔をしてほしくないように、私もカイトの痛そうな顔をしてほしくないってこと……それを、しっかり覚えていて」
自分が弱っている時でもなければ、素直にそういった想いを受け取りづらい。これはもはやサガである。
「うぃ〜っすぅ〜、肝に銘じやすぅ〜」
「……自分に関する深刻な事は茶化す癖、この機に治すのもちょうど良いかしら」
「あ、はい」
お陰様でお嬢のコメカミは引き千切れんばかりの引き攣り案件発生。
流石におふざけが過ぎた返事なのかもしれない。しばらくはシリアスに生きていよう、エイヴィヒカイトはそう猛省したそうな。
「理事代理、いや、理子さんだっけ?」
「……名前、覚えたのね」
「そりゃ流石に、世話になったし」
「ふーん……ふーん……ふーん」
「何か礼しなきゃいかんなぁ……菓子折りでいいのかな」
「……むぅ」
・人知れず見知らぬ誰かの明日を守ってる(物は言いよう系)オリ主
理子ちゃんへの信頼度が爆上がり。気を抜けば「おーい、りっちゃーん」とかほざきかねない。
・もういっそ全員まとめて標的にしようかしらと悩み始めたお嬢様
地獄へ流す算段は立てられていた。後は特定するだけなのだが、いかんせん当の本人が記憶からスッパリと人物像を抜き落としているため、地獄送りの断罪はまた今度。尚、煉獄という赦しは施されない。地の獄以外の選択肢はあり得ないのだった。