一世────一代。
「……」
「……」
異論無く、語弊無く、お蔵入りした死力も無く。
己が生に、二度として顕われないその機会に、自分は幸運ながら、全霊全力全開を尽くし切れた。疑わずに言い切れる、それだけの爽快感は、不快を伴いながらでも確かに在る。
それはそれとして、処理を持て余す悪感情。タールコールと色がよく似た粘り──いわゆる敗北感と呼ばれるモノ──だけが剥がせずに心へ張り付いてはいるが、それはそれとして、だ。
「…………」
「…………ぁ、あの」
出せるだけの自分は出せた。
吐けるだけの己は吐き出せた。
爆ぜるだけの想いは爆ぜてくれた。
あの時あの瞬間あの刹那に於いて、エイヴィヒカイトのコレまでを集約させ、エイヴィヒカイトの全てを叫び、エイヴィヒカイトの人生を轟かせ鳴動は、少なくとも届けたいひとたちには届いたんじゃないかなと思う。
……たぶん、その後は分からんけれど、きっと届いたんじゃないかな、届いていればいいな、届いてくれたなら嬉しくあるけどどうだろうなこの想い。
独白へどんどんと悲観的な願望が混ざっていくのは、いわゆる
『……けた──……、ま──た……────まけ──た…………ま、……け、た……』
『しっかりしろこのバカ!!』
──敗北を手に入れて、勝利を手放した、その後。
控室で独り失意に沈みこんでいれば────あら不思議、場面は急に屋外へとシフトしていましたとさ。
ついでに愛の拳は、頭頂部へと気つけをくれたのだった。
『ッッ、いったぁいっっ!? 何しやがる!』
『脚よりも痛い訳があるかっ! とっとと乗って病院に行け!!』
『…………んぁ? ……? ……あれ、なんで、俺、ひかえ、室…………あれ? ────待った嫌だっ車は絶対に嫌だよ!』
『お前のトラウマとか言ってる場合じゃ無いんだよ!!』
トレーナーの言はもっとも。脚首から先はもう、真っ赤を超えた真っ黒で、生きた脚の色ではなかった。それを見た彼の立場を考えれば焦るのも分かるし、拳骨を食らわすのもまあ確かにって感じである。額からの流血とて軽傷だと勝手に決めつけてはいるが、頭部の負傷など精密検査が必須な繊細部位な訳で。
この場でごねるカイトだけが、正真正銘、只のバカであったのは違いない。
『離っ、は、初めての敗北に静かに浸らせろよぉ!!』
『このバカが……! バカ専門お嬢様! このバカを早く何とかしてくれ!!』
『…………────カイト』
透いた声に呼ばれ、自分は蜜に誘われる羽虫のように、ホイホイとその方を向いた瞬間でした。
『アル、ッっ、んむぐっっ────!!??』
口内へ錠剤を突っ込まれたのでした。
ソレ事態に驚いた訳ではない。ソレに蹂躙される事など、実の所そうは珍しい事じゃない。なぶられ、貪られ、啄まれ、喰らわれるのはまあ、本望ですらある。嫌いじゃないどころか満更でもないその行為、なのだが。
流石に時と場所を選びたがる理性は、エイヴィヒカイトにだってある訳で。
人様のご眼前で行うには、あまりにも生々しさに満ち満ちている訳で。
個人的には、家でふたりきりで睦まじくありたい艶めかしさな訳で。
『ぷはっ────』
『あ、あ、ァ、アルダンお前ッ、お外でどこで何をして……!?』
『時間が惜しいの。おやすみなさい、カイト』
カイトの扱いを心得ているアルダンは、強制措置へ進むのを厭うことはない。
即効性に優れた、どこぞのマッドサイエンティスト謹製睡眠薬は、驚きの即効性をカイトへお届けする。
苦笑いを浮かべたトレーナーの姿を最後に、その日の記憶はブラックアウトの果てへと誘われて────その数日後へと至る。
「……最後の直線、何を考えていたの」
ジト目での詰問も慣れきったもの。うんうんと唸っていれば、やがて嵐は過ぎ去るもの。そっすねそっすねと頷いていれば、適当に流せるハズ。
──そんな甘々ちょろりんな認識は、とうの昔に捨ててしまったぜ。
自宅のソファーに座らせていただけるのは、怪我してるが故の慈悲。そうでなければ、フローリングの上に正座させられて、今頃は血の気が抜けているに違いない。
「なにってそりゃ、届けーとか、追い越してやるーとか、ぶち抜いてやるぜーとか、ころ────あー、えっと、その、と、とにかく色々と、必死だったかなー、あははー」
「そう。……────未来を捨てる覚悟をしてまで、随分と、お熱のようでした」
まるっと全部をお見通されていた、これには驚くまい。だってほら、捨ててでもと考えていたのは事実だし。むしろそれが喜ばしいまではあった。
ただ、うむ、アルダンが話したい内容がそういう話であるのなら、やはりそうか、エイヴィヒカイトには弁解の余地がそこまで用意できない話題だこれ。
「い、いやいや、待って、そりゃだってさ、レースなんてほら、命懸けが前提の戦場みたいなものだし、走る連中は例外なく、大なり小なり命を危ぶむ環境と隣り合わせな訳でして……」
「……」
「親友が命張ってるなら、一蓮托生の想いで走らないと失礼にも程があって……」
「…………」
「それで……えっと、ですね……」
困った、もう言える事がない。だってコレに尽きる。もう一つの理由もあるにはあるが、絶対に口には出さない。
あの瞬間に勝てるのなら、
「────血を、流した時点で、私がっ、どれほど……っっっ!!」
「ごめん」
ぎこちなく脚を動かしながらも、座っていたソファーの上で体制を整え────脚の不能は在れど、土下座への移行は速かった。
これも慣れという奴である。これまでの結実が目に見える形となりつつある、エイヴィヒカイトは涙が出るほど嬉しかった。次のステージは土下寝ってやつか、その境地には達したくないが、心構えは必須だろうと決意したカイトだった。
「……私には、そんな風にしてくれない」
言われてつい、すぐに顔を上げた。──むくれた頬、貞淑さを残してほんの少しだけ尖らせた唇。目線は、合うたびに恥ずかしいのか、逃げようとするけども、何度も何度も交錯してくれるのは胸が暖かくなって、むず痒いさも未だに現在。
これがそう、これだ、これこそが愛ゆえにか、つまり悪い気はしない。要するに心配の裏返しだ。心配させる前例に満ち溢れて、その辺の信頼がゼロ真っ盛りなのは悲しいけれど、そこはそれ。
「おっ、嫉妬か」
正直に申せば嬉しき話。
そんな浅慮は、すぐさま翻すことになるだろう。これまでのエイヴィヒカイトの思い出の中で、窮地の最中で思いついた楽観が成立することは結構ない。基本的にアンラッキーはエイヴィヒカイトとイコールなのだ。
「逆にしないと思うの? アレだけのモノを見せつけられて、羨ましいって、妬ましいって……ずるいって……思いたくもなる」
「ふーん? よく分からんけど」
走る自分には──走ろうとするからこそ、やはり、自己の評価はどん底へと落ちる。あの瞬間の自分を魅力的に思うような物好きなど、それこそ五本指いっぱいで充分だ。
「私は、あれだけの熱をぶつけられた事が無いのに……っ」
「!? ……嘘吐くな絶対にそんなことない。かなり囁いてるし、ぶつけてるし、なんならぶつけ過ぎてお前の方が先に音を上げることもあるじゃねぇか!!」
「…………そ、そうかしら?」
彼女の目線が泳ぐのは、中々に珍しい光景だった。
仔細は省くが、まあ、
受け取る本人曰く、どうやら「しつこい」らしいが、嫌よ嫌よも何とやら──決してやめて欲しい訳でも無いのは察している。最終的に干物のようになってしまうのは大体カイトである辺り、そういったやり取りが
何てことは無い。単にアルダンが先攻で、カイトが後攻、そうなる事が多いという話。
「……思い出せない。……だから…………ぉ、思い出させてくれても、いいん、です……ょ…………?」
「いや、今日はもう寝よう」
だが、済ませる雑務は終わらせておかねばならない。やるべきことはやりましょう、遊ぶのはその後で目いっぱい楽しみましょう、つまりはそういう事である。
「……」
「明日病院行かなきゃだし、朝早いんだ」
「…………」
「午後にはトレーナーのとこに行かないとだし、ちょうどいいかな。つーか、そうでなきゃめんどくさがって足を運ばねぇのが俺でしょ?」
「母さんと婆さんに、通院だけはサボるなって口酸っぱく言われてんだよ」
最低最悪の朴念仁モドキ、彼のトレーナーは後年にそう称する。
「成すべきことを成せる自分、コイツぁ超デキる大人っぽい、うーん俺ってば素敵ダンディってヤツかよ?」とか自分に酔って、その他を蔑ろにしようとしているだけなのだ。自分の都合を優先させている癖して、自分の肯定は難しいというよく分からん生態な謎生命体。オマケに、
何なんだろうコイツ、ダメでしょ、絶対にパートナーにしたらダメな男過ぎる、等々のお言葉は、結構な頻度で同級生から言われるが──直る道理がねぇのであった。
「……………………────────明日は、サボタージュ、しましょう、ね?」
「え?」
「私から、連絡しておきますから、ね?」
「……え?」
この一日は、どうしてかキラッキラな笑顔で、けれど瞳はドロドロに融解して、不安になるくらい頬を紅潮させたアルダンに詰め寄られて終わる。
後日、用事の遂行不可とその理由の連絡を受け取ったトレーナーは、鼻で笑ってやったらしい。
マイクを左手に、ワイングラス(中身は残念ながらニンジンジュース)を右手に。
不肖ワタクシエイヴィヒカイトは、壇の上から、眼下をぶっきらぼうに眺めていた。暇だから、何てアホの役にも立たない理由ではない。これはアレだ、れっきとした使命を受け取った次第ではあるのだ。
セリフはどうしようか、威厳のある方が良いとされるだろうが、果たしてその期待に自分は応えられるのかしら。真面目ぶった思考などはカイトからすれば縁遠く、木枯らしが眼前を吹き抜けるが如くな一過性のものでしかない。
「えー、みなさまお日柄よくー、……やめた、柄じゃねぇやくだらねぇ」
「今日くらいは真面目にしてみろよ」
「くたばれ四十肩」
「そのあんまりな呼び名はまだ早いだろう……!?」
トレーナーから飛んでくるヤジは無視。かしこまった礼節やら、改まってのご挨拶やら、そういった物事とは無縁で在りたい今日この頃。
見えるメンツは錚々たるといったもの。URAファイナルを走った先輩方や、そのお知り合いや、同級生の顔にチームの後輩、プライベートで交流のあるひとやら、知己ですらない人の顔すら散見される。
体育館を貸し切り、豪華な食事を集わせ、多くの人が集まってきたその名目は、いわゆる後夜祭と呼ばれる類。
緑の御方に睨まれ始めたあたりで、口火を切る頃合いだと判断した。決して、そう決して臆した訳ではない、ビビって背中を押された訳なんかじゃない。
「……じゃあ、『URAファイルが無事に終わって良かったよね宴会』かんぱーい」
「もっと捻れー! センス低いぞー!」
「レース中に怪我をしたお兄様が言える話ではありませんけれどー!」
「シャラップ芦毛芸人コンビ。おら黙りこくってるそこら辺の奴等共、とっとと俺の乾杯の音頭に続けよ、ほら、せーの、さん、はい、かんぱーい」
当然といえば当然か、あまりにもやる気を見せない音頭に続かんとする者などいない。呆れ混じり、驚き混じり、ドン引き混じり、各々が感じた所感を混ぜ込んだ傍観の意思が大半らしい。何だよ会長、いつもみたく余裕そうに笑って見せろ。
それともあれか、ちょっとカイトの態度がアレ過ぎるのか、でも目を瞑ってはくださらないかな今日くらいは。
「不遜すぎて何だかなぁ……もしかしてカイトってば、機嫌悪い?」
「もしかしなくても、でしょ……でも、先輩にしては分かりやすく怒ってるわね」
「……負けたから、かしら?」
「あぁん!!??」
ギョロリと叫び、壇下の者共を見回すバカ一匹。
「おい誰だ俺のことを雑魚まっしぐらのゴミアホカスバカ丸出し大敗北者っつった奴は出てこいこのヤルォォォァァァァァァ!!!!」
「ウソでしょ……そこまで言ってない……!」
「シっ、静かに先輩っ、今のカイト先輩を刺激したら危険っす……!」
「ああそうですよどうせ俺なんか肝心の一戦は負けたり棄権したり出走取り消しになったりで無敗9冠しか為せない常時カルシウム不足のクソ雑魚負傷大好きバカですよーだバーカバーカチクショウクソッタレがァッッッッ!!!!」
「……無敗9冠って、かなりすごいような……」
「かなりどころじゃないよキタちゃん……それすら
「アァァァァァァァァッッッ、っは、はははっ、あーはっはっはァーーー!? ぎゃははははははははははっ、ぎゃーっっはっっっはっははははははははははっはは!!!!!!!!」
絶叫のあまり、一周回って笑い転げていたカイトに、一同の概ねはドン引きしていた。
「カイト」
「────あい」
声の主を思えば、その意は簡単に伝わる。「黙りなさい」ということか。冷水を浴びせられた気分。
ピシャリと、けれど、しかたなさそうに、名前を一言呼ばれただけで、バカの沸点はみるみるうちに平常へと真っ逆さまだった。
でも待ってほしい。乾杯の音頭を、ちびっ子理事長はカイトに任せたのだ。この学園で1番の権力者が、手づからその出番を譲ったのである。じゃあいいじゃない、叫んだっていいじゃない、ちょっとくらいは我慢をしなくたっていいじゃんかと思うのですが。
「敗色を濃くしても、もっとみっともないだけですよ?」
「ッッ……!!!! くっ……グッっっっっ、ゥゥゥゥぅぅうううううぅうううッゥッッ!!!!!」
一時の落ち着きを得たと思わせて、けれど即座に、ダイナマイトはグラスからぶん投げられてしまう。歯を食いしばり過ぎて、奥歯が無くなりそうだった。
「わぁ、ぐうの音しか出せてないデス」
「……カイトくん、本気で悔しかったんだね」
「っっったりめぇだろうがァァ!!!!」
「うるさいな~」
「うるせぇうるせぇテメェがうるっせぇんだよバカ共バーカ!!!!!!」
いっそ見事な逆切れにも程がある。こんなもの、気分を害するのも当然だろうが、よりにもよって約五名は、カイトのこの態度を見ても、どこか歓びにも似た嬉色を醸し出すのだ。
それが益々カイトの気を逆撫でるのだが、それを見てもやはり、嬉しそうな色合いは途切れることなく込み上げてくるらしい友人を見て、言語化容易な感情指数がどんどんと高まっていく。
獣が如き暴走へ陥るのも必然なのではなかろうか。
「敗者の声が聞こえるような」
「ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅォォォオオオオおぁぁァァァァァッッッッッッっ!!!!!!!!」
言い返したくとも、自分は敗者で、グラスが勝者で、モノ一つ申したところで、それは敗残の惜しみ吠えと同義であって────────結果、
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!!!!」
「……グラスさん、あまり虐めてあげないの」
「ごめんなさい……反応の一つ一つが、可愛らしくて、つい」
キングが止めて、そこでひとまずの収集はつく。どうせこんな風にやり込められる材料など、カイトには多すぎる、そんな半生だった訳で。であれば礼をなくした掛け付けくらい、多めに見てほしい。
そんなこんなで、アオハル杯の打ち上げが始まったのである。
たったか、つったか、ぴょいっと、かけちゃおう、だったか。────あの地獄を象徴するワードは、確かこれで合っていただろう。
よく憶えているものだな自分と、己の記憶力に自賛してみた。
「いいてんきぃー(笑)」
いかんいかん、虚無に満ちた笑い顔だった。これはよくない、お披露目するには少し相応しくない悲壮感に塗れた表情だった。こんなにも明るくパッパラパーでクルクルパーでユニヴァースな感じのライブなのだ、せめての満面くらいは保ってくれよエイヴィヒカイト。
何故か、トレセン学園の体育館に何故か、例のセットが用意されてるのを見た瞬間、カイトはもう訳が分からなかった。
「うーきうきだねぇー(笑)」
記憶通りなら、その後に待ち受ける尊厳破壊はとんだ破壊力だったハズ。スペはいい、スカイもエルも、まだイメージを損なっている程ではなかった。だがグラスとキングのその姿を見た瞬間、その場にいた誰よりも大きな声で、狂人乱舞な如く笑い転げたのはいい思い出だ。思いだすだけでも、中々どうして、いつまでも嘲笑の類が浮かび上がってくるスルメの記憶だった、のだが。
「なぁーらばかけぇっこだぁー(笑)」
「カイトっ、カイトっ、こっち向いてっ」
「(ꐦΦДΦ)ンダコラ」
「かっ、かわいい……!」
憎悪に近い感覚で睨みつけてやったというのに、カイトを呼んだ声の主はいっそ喜んでしまっていた。どうして?
振り付けもまあまあの出来栄えで踊れてしまえる自分が恨めしかった。歌詞も割と憶えている自分が憎かった。脚の不能も押してでも、歌って踊れてしまえる自分の辛抱強さがバカバカらしかった。アレだけは、絶対にあの空間にだけは、脚を踏み入れてなるものかと決意したものだが。──今はどうなの? とか、そういった疑問はやめてくれ、いや本当に呈するな。
「いっせのっせでいっとぉっしぉーめざしてぇー(笑)」
────いっとぉっしょぉーめざしてぇー、まあ、まけたんですけどねぼかぁー、あははー、いやあははじゃねぇんだが?────
ライトアップの強さに、カイトは視界を白ませる。朧い輪郭も、舞台の下に見渡せる限りの衆人共を俯瞰した。
スマホでカイトを爆連写する、透いた水晶のような娘。
映画もかくやなセット満載で、サングラスを掛けた監督の風情を醸し出し、カイトをいっそ睨みつける勢いで撮影するピクチャーハットの女性。
けたたましく笑い転げる大人の男に、真面目腐った目線で見つめてくるバリキャリ風の運動音痴女。目つきのキツいポニーテールの大人の女も、果ては緑の事務のおひとすら堪え切れず微笑む始末。
────運命の階段を登る────
よし────よし、知らない顔だらけだ、それでいい、知ってる顔だらけの方が困る。顔も見たくないとかではなくて、圧倒的諸事情が、個人判別顔面認識機能を一時的に止めているだけ。眼下に広がるひとたちは、きっとぼくのしらないひとたち、そう信じましょう、エイヴィヒカイトは信じられる子。
────何だろうかこれは、これは、本当に自分の望んだ地点なのだろうか────
「────────────なんだこれ────────────」
幼き日の思い出が蘇る。確か幼稚園でこんなかんじのふんいきのあったなと。この歳ではちょっと、いやかなり、いやいや絶望的にきちぃなと。
ふと、現実に戻ってしまった。
いや本当に、なんだこれ。何だってカイトは、このような尊厳破壊を強いられている? 降りろと? 下れと? 滑れと? 童心に戻ることを強制するとでも言うのか? 心の有りどころを縛り付ける悪魔の遊具ではないのか? それでも『やれ』と言うのか!? このっ、対象年齢がまず間違いなく一桁に留まる緑の遊具を!? 拷問かな──拷問だろ──拷問だよね──精神への死刑も同然だな──これは平和を呑気に謳う現代版にリファインされた魔女狩りの処刑風景なのかな!!
──この間、階段を登り上がるまでの、僅か二秒。
やめよう。中止です中止、即効お終い。こんな大勢の前で茶番で醜態の上塗りは御免である。実はエイヴィヒカイトってば、けっこうプライド高い感じがあるのよと────あ、蒼の瞳と目が合った。
「────」(無言意訳:屈辱を飲み込みなさい、敗北者)
「(嬉しそうですね勝者様がよちっっっっっくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!)────ははっ☆」
ヤケクソが並々と満ちた心の器を抱えて、彼は、とうとう滑った────────覚悟と決意と屈辱と共に。
立派だったと、堂々だったと、やり遂げたのだと、せめてそう語り継いでほしい。
──負けたのはカイト、それも六名の中でもドベ。
──勝ったのはグラス、それも六名の中でも一番。
敗者に選択権など無いのだ。これはそういう
緑の台座を、緩やかに、これ以上ないほど、ウマ生史上最高傑作の、瞼が潰れんとするほど目を細め尽くした満面が過ぎる笑顔で、滑り切った感想を、一つだけ。
文句などではありません。怨嗟を叫びたいのはそれはそうですが、そうではありません。憎悪でこの場の全員を呪っちゃいたい訳ですが、それも違って。ただただ、一つ、たった一つ、純粋とも言える混じりけ無しの心が在ったのです────或いは思いが生まれたのです。
────けっこうたのしいやあぁー、これぇー────
「なんどもなんどもしっぱぁーいしちゃってぇー────」
久しぶりの滑り台は、案外面白かったということ。
尊厳は無事に死亡しましたが、だとしても、失ったモノには見合わずとも、得たモノはあった。
エイヴィヒカイトは、そう願いたかったのですいやまってリアル体感式の地獄なんだが? しかもシンガーとダンサーもソロでやらせるとかふざけるな??? つーか、何だって怪我してるのに踊らせる身とか外道行為の結構を?????
初の勝利。
それ以上に、甘く、愛おしく、狂おしく、潤いが満たされる一つの称号。この世の誰しもが、この先の未来のいずれでも、永劫に手に入れることが出来ない、ただ一つの成果。
成果、結果、戦果────押し付けた結論。
永劫の魔王を押し退けて、その玉座を蒼で焼き尽くす。
九つの冠が示す絶対の意味を、私の蒼き熱情で満たして染める。
『勝っ……た────』
それを成し、遂げた。
勝利────それ以上に欲したのは、『敗北を受け取らせる』という一つの意味。
その夢を、私はついに叶えることができた。
『勝った、勝った……! カイトくんに、勝てた……────!!!!!!』
余韻が止まらない。
ずっと、ずっと、熱く、熱く、灼熱が、底の奥から。
お腹のその奥を、臓腑の中心を、疼かせて、焦がして、じんわりと全身へ甘い痺れが回っていく。指先まで、つま先まで、末端神経は愚か尻尾の先まで。
存在の全てを……どうにか、してしまったのだ。
私の端から端まで……どうにか、されてしまったのだ。
思い出が、兆を超える細胞の中で、幾度も何度も繰り返し再生される。
「ギャーーッッハッハーーハハッ、アハハハハハハハハ!!!!」
「このアホ芦毛……! ……あ、やばい、芦毛の存在が嫌いになりそう」
「!? ちょっ、ちょっと、今すぐにお黙りなさいゴールドシップ!」
憎らしげな顔も、簡単に周りへと披露してくれるのは、今でこそだ。
過去に見せてくれた情熱と呼べる片鱗は、殆どが偽りに押し隠されたモノ。奥から辛うじて滲み出していた情の欠片。顔色を変えたように見えても、それは表の仮面を付け替えただけ。
裏で煮えていた闇色の輝き、その全貌も私は知らないけれど。
「……しかし、初めてお兄様のライブを拝見しましたが……ええ、決して悪くないものでした」
「その件にこれ以上言及するのはおやめませぃ」
「怪我を押してる割にはキレのあるダンスだったっすよ」
「その件にこれ以上言及するのはおやめませぃ」
「カイトくん、滑り台は楽しかったかしら?」
「その件にこれ以上言及するのはおやめませぃつってんだろォ!?」
今知れるのは、今分かるのは。
今、彼の心の内を本当の意味で、少しでも理解できているのだとすれば。
「……真面目な話、脚はどうだ?」
「心配するなら初めっっっから踊らすな歌わすな滑らせんな!! 死ぬ気で止めろよ大人ァ!!!!」
「止めても強行したのはお前じゃん……」
「ああそうですよこの日の為に負担にならないダンスのしかたを網羅しちゃったからなぁ! いやぁ敗者って惨めで忙しなくてしかたねぇですねぇ! 勝者の要望を全部叶えないといけませんからねぇ!!」
彼から贈られる一番の悔恨は、私だけが独占できている。よりにもよって、彼が
それが感じられる今の私は、きっと、誰よりも幸せ者。
────でも、けれども、ね?
私は、欲が深い生き物なのです。
欲する程、熱が冷め止まず。
毎晩、毎朝、毎昼、彼を見るたび、彼の存在を感じるたび、私の髄はジリジリと焦がされる。痒く、くすぐり、焦れる熱がお腹の奥を燻ってしかたない。
元より、魔王討伐の報酬だ。
「────法外なくらいが、ちょうど良いのかしら」
「? グラスちゃん何か言った?」
「はい。もう少し、欲しいなと」
「あー、やっぱりそうだよねっ。私も、もう少し食べたいんだー」
満足度の高い馳走の一つ。
一日くらいは摘んで喰らってしまうのも、或いは赦されよう。
「ええ、ええ、はい、ええ、ええ、ええ私も、もう少し、少しだけ、だけ────────お
「……えっと?」
「スペちゃんダメ、見ないフリ、それが賢さなのデス」
「ギャハハハハハハハ!!!! しっ、しぬっ、わらいじぬっぅっっ!!!!」
「こいつっ、いつまで…………いい加減に黙らすか」
「先輩、命まではダメよ」
最後のラインさえ守ればいいとスカーレットは言うが、感情に押された生き物が果たして線引きなんてモノを守れるだろうか? ちなみにカイトは積極的に踏み越えに行く側である。
男女平等パンチ、今この瞬間からのエイヴィヒカイトの代名詞をそれにしたい気持ちでいっぱいだ。友の醜態を愉快と嘲笑うこの芦毛を、思いっきり助走をつけて、星の彼方へと吹き飛ばしてやりたいのですが。
脚力はともかく、両手の膂力は未だにウマ基準。そんな両腕はやはり強い、痛みを与えるのも容易い武器である。
アホ芦毛のこめかみへ、悲鳴を上げさせたあたりで解放してから。
「……はぁ〜〜〜〜〜……疲れた」
「……」
賑やかな空気から離れて、壁際へと移動する。
怒るのも疲れるのだ。感情を奮うのはとにかく体力を使う。心身共に深き底までが疲労困憊で浸っている今、もうこれ以上は心を騒ぎ立てたく無い。酷い傷心の途中でもあるエイヴィヒカイトだ、優しさを持ち合わせているならそっとしておいてほしい。
幸い、誰しもが狂喜乱舞後のカイトを気遣ってか、遠巻きに見守ってくれている。アルダンですら遠くにいるあたり、カイトの受けた心の傷がいかに深いのか分かるだろう。
──爆連写していたエイヴィヒカイトの醜態フォルダの整理に忙しいとか、そんなんじゃない。そうだ、彼女は優しさから遠くにいるのだ、そのハズなのだ。でなければ泣くしかないのだが?
「もぅ、や、だ、にどと、おどらん」
「…………」
疲れが睡魔を、静かに、ゆったりと、とっくりと運んでくるのを心地よく感じていた。
力無くくたびれながら、パイプ椅子へと深めに腰掛ける。あまりのストレスで禿げそうな気分だった、もしくは急激に白髪になっている気がした。それすら眠気に拐われてしまいそうで。
「へ、──あれ?」
隣から、こう、熱を感じた方角へ向けばだ。それも鼻と鼻がぶつかる距離に、
音も無し。いや本当に、息遣いすら聞こえない。或いはコレは、息を止めざるを得ない興奮か。
淡く赤らんだ頬を見るに、どういう訳やら居ても立っても居られない状態にあるのは押し測れる。しかし肝心の訳が、カイトには思い当たらない。打ち上げの最中だからはしゃぐのも然り、という話でもなさそうで。
男なら、問答無用で見惚れる熱を宿した色の表情。何となしに、そう感じた。
「グラス……?」
「…………」
彼女が今抱える情は、遊びの高揚とは、多分かなり色味が違う。
どっかでこんな種別の顔を見たことがあるような、忘れたい記憶なような、思い出すのを遠慮したがる自分がいるような、結局は幸せ色の記憶として定着しているような。
あれは何時ぞやか──最後の有馬を棄権した後に、メジロ本家で最愛のひとに襲われた時と、なんだか妙にダブる。
「────いやいやまさか」
まさか、そんなバカな、だってグラスだぞ、と心の中で何度も一笑に付してみる。不思議なことに、エイヴィヒカイトの表情はみるみるうちに引き攣る一方だったが。
友である、一切合切の否定をしない。
掛け替えのない存在である、肯定したい。
親友だ、そんなの当然で。
ライバル、コレも適している。
姉だか妹だかのきょうだいみたい、それすら是。
家族に限りなく近しい親愛を抱くのも、間違いなく。
では────異性としては、どうなのか?
「まあ? そんなことないもんな」
「………………」
答えは無論ながら一つだけ、『意識したことが全くない』だ。
「……お前って、そんな無口だった、け?」
「……………………」
群青の瞳が、鋭いながらも甘くギラつく。それに真っ向から晒されて、オマケにその粘ったるい情の波打つ視線を間近で目にして、カイトの脳内信号は、異常な速度で赤に点滅していく──と思いきや、アブナイ感じはそこまで感じ取れなかった。だって眠いもの。睡眠欲って強いのよ。
真っ直ぐとこちらから視線を外さないグラスは、緊張からか(何へ対して緊張しているのかは目下のところ不明であります)、上唇に薄赤の舌を滑らせる。チロリと蠢くその色が、甘い気配を更に掻き立てる。
この時点でエイヴィヒカイトは、獲物或いは豪勢なご飯を目の前にして、ケダモノが舌舐めずりをする幻視をしました。ああそういえば、貴女ってば怪物と呼ばれていましたよね、納得納得。
蒼の内に秘められた桃色の艶が、迫りつつあるのを認めたくないカイトだが。
──まあ、眠いし、見間違いか。
「ふわぁ……キャラ変? 新鮮味があって、いい、ね?」
「…………………………が」
グラスの放つ空気の味が、刻々とより深い色香へと変質していくのを目の前で感じ切れなかった。
甘さのあまり、いっそ苦しみすら与える過剰な熱量。
憶えがある。与えた事もある、与えられた事もある。でもそれは、グラスではない。ただひとりとだけ、相互で与え合い、分かち合った特別な色なのだが。
「おはなしが、あって」
「はなし? はいはいいいよー、聞くよ聞きますよー、何でも……ん?」
華奢な細指が、シャツ越しに脇腹へと差し込まれる。
淑やかで野蛮という二律背反をモノにしたのがグラスワンダー、少なくともバカはそういった認識を抱いて日々を過ごして来たのだ。『唐突に貫手で臓腑を抉りに来たぁっ!?』と、勝手にパニクリ始めるバカを責めないでやってはくれまいか。
あ、これ幻覚の類か? 眠たくて船を漕ぎまくって変な幻を見ているのか? などなど勝手な想像など序の口であると、バカは少し後で知る。
「 ねぇ カイト くん 」
甘くて茹だって息苦しい提案が、耳腔へとゼロ距離で届けられた。
受け止めた感覚器官は耳だ。ボロついても機能は十全、問題なく使える両の耳。
だというのに、蜂蜜など笑える甘い香りが全身を支配した。
眩暈を起こしかけたカイトへ、追撃と呼ばれる所作が────勘違いもできない、求愛の行動が。
「……え、いや? あの、えっと、何を……?」
「ふたりっきり。……誰もいないところに、行きませんか?」
肋骨を、肌越しに、服越しに、一本一本を愛でる手つきでなぞる白磁の指先。直接触れたと言うには隔たりは多い。だというのに、伝わる熱情はあり得ないほど熱く、驚くほどに甘ったるい。
指先はゆったりと上昇を続け、胸板で
くすぐったさに身を捩るよりも早く、カイトの経験則は珍しく主人の役に立たんと、結論を脳内で火花を散らして弾き出す。『これ、
酒乱に巻かれた儚く遠い記憶も、警告をしっかりと飛ばしてくれた。『これ、
「え? 何だって?」
「誰の邪魔も入らない場所で、静かなところで、お話、したくて」
大丈夫、経験は生きる、証拠はこの返答。経験を活かす為に数多の修羅場を潜り抜けて来たのだ。学習能力壊無、バカ、クズ、カス、アホ、間抜け、歳上スキー、黄金のマゾヒスト、様々な悪評がこびりついた我が存在なれど、今度こそだ。だってほら、自分を変えられる出来事を一つ終えたばかりだ。人格的な成長だって見込まれる。我が対応力なら鰻登りに違いないってば。
地雷原を走り回り、他者の逆鱗を叩いて回り、大事なひとから何度も受けた折檻の日々が脳裏によぎる。アレはもう嫌だなぁ、太陽は光り輝き、白く眩しいモノであるべきだ。もう黄色く萎れた太陽とかいう感想は抱きたくないのだ、通算で十を超えかねない軟禁生活はそろそろ飽きるのだ。────閑話休題。
それらの結実は今日、この日、この瞬間、この刹那であると知れ。
「……んー、いいよ」
「ええ、ではそうですね、保健室とか、どうでしょうか?」
「? ……まあいいか、眠いしちょうどいい」
結実など無かった。
成長など微々たるものだった。
経験など活かせる土台が無いのだ。
バカは所詮、バカだったのだった。
「たしかに、丁度良いですね」
こうしてバカは、のしのしと担ぎ上げられ、誘拐されてしまう。
放心状態のバカを慮り、皆々してバカを放っておいたからか、その誘拐事件を現行犯で見つけた者はいなかった。
「ね、ねえねえ、アレっていつものとはちょっと違うような……」
「うん? なに〜? 誰かなんか言った?」
「何を言っているのスカイさん? 私には何も……何も、見えないわ」
「うーん! ゴハンが美味しいデース! アタシにゃ何も分かりませーん!!」
──目撃者は、いなかったのだ。
バカのその後は、翌日の朝に発見される。
干涸びた様子で、うわごとのように「もうむり、のこってないんです、むりです」と繰り返すバカを、たづなさんは保健室で見つけるのであった。
灼けた明かりが、二つの背を叩く。
学舎から踵を返し、肩を並べて、気安い空気を互いに感じながら。
「勝ちたかったよ」
心地悪さとは縁の遠い沈黙の中、ぽつりと、彼女はそう切り出した。
「俺も同じ」
同意の示しは、自分で思うよりも、心よりも早く、口が急くように動いていた。
きっと、彼女の呟きが数秒遅ければ、自分も同じように告げていただろうから。
口に出さずとも理解できる情の唸りを、分かりやすく共有する為に。
「あと一歩だけ、前に出てれば……」
「それも、俺と同じ」
「……その割にはサッパリしてる」
「
エイヴィヒカイトがウマとして走るための生命は、あの日、あのターフの上で、全てを擦り落とされている。
元々が走りたがらない自分だ、むしろ此処までをよくもまあ走り抜けたと褒めたいくらいで、だから閉幕にはちょうど良い。
途中での脱落じゃない、理想の形とは違えど一つのゴールだ、一定の満足を得ても許されると思うが────それはそれとして、抱かざるを得ない悪性情報があるのは否定しない。
「……酷い負け方したなー」
幾度の大口を叩き、勿体の限りを振って、堂々と返り咲いた果てがアレだ。
蛍光板にすら載せる価値もない、番外という、恥晒しすらも許されない末路。
「ううん、カッコよかったよ」
それを彼女は、格好が付く結果であると、墨をつけてくれた。
「うるさい3着」
「……6着のひとには、嫌味に聞こえちゃうかな?」
「うるさいうるさい」
今の彼女は、霞んで擦れた、笑顔すら模らない冷たい顔ではない。
じゃあ、もういいか、とか。
「満足はしてないんだろうけどさ」
「分かっちゃう?」
「顔に出てる」
そりゃそうだ、と、カイトは同意する。
勝ちたいを望み、勝ちたいから臨んだ最後の刹那。
頂点とは誰しもが求めてこそ価値があり、故に辿り着く甲斐が生まれるモノ。ならば、彼女の渇きは、妥協の栄光などで満たされる渇きではない。グラスを除いた他全員に共通する、ある種の頭にして呪いも同然だ。
敗北感という名をした棘の呪いが、喉に突き刺さったまま、嚥下して諦める選択を許してはくれない。
スペも、カイトも。
エルも、スカイも、キングも。
グラス以外が植え付けられた、傷の跡。
「────でも、あの夜より、マシだった」
「……うん」
「そっか」
その一言にも満たない相槌が、心底では不安に囲まれていたカイトを救い出す。
『一緒に走って良かった』と思ってくれるのなら。
『一緒に走るべきじゃなかった』と思われていなかったなら。
自分は、『もう一度』を目指して良かったと思えるのだ。
「お前からそう言ってもらえれば、最低限の慰めは貰えたな」
「……みんなも、きっと、同じだよ」
知っている、だが、発端となったのは彼女だ。
「責任は取れたようでよかったよ。……サンキュー、バカスペシャル」
「えぇ……? ……スペシャルなおバカはカイトくんでしょ。グラスちゃんとだって「この話はやめよう」
アーパーでコミカルでコメディチックな話題は置いておこう。シリアス、イズ、ザ、シリアスにこつこつと話したい気分で沢山なのです。
「とにかくだ! ……スペから及第点を貰えたなら、それで良い」
「…………わっ、私達の中で最下位な事実に誰よりも悔しがってるくせにっ」
「照れ隠しで傷を更に抉られるとかどうなってやがる」
遠慮が消えているのは結構な話だが、それでも気遣って欲しい部分はお互いにある筈だ。そこを容赦無く弄り散らかすなぞ、出会ったばかりの頃と比べれば考えられない言動だ。
「カイトくんが節操無しなこと言うからでしょ。……そうやってグラスちゃんも口説いたんだろうね」
「俺がいつそんな事をしたんですか!!」
「いつもそんな感じだよ」
ああダメだ、楽しいから。
友達とバカ話をしないがら、夕暮れを歩くこの一瞬が、涙が出そうになるくらい楽しくて、どうしても話題はその方角を目指そうとする。
もうこれ以上は無理だろう、誰よりもカイト自身が、この後はスペと腹でも抱えて笑い合いながら、道草を共に食っていたい。
「あんがと、スペ」
だから、せめての、最後。
「…………え?」
「……いや、間違えた」
きっと、これ以降は無い。
これを伝える機会も、そう言った雰囲気も、伝えられるような運命も、エイヴィヒカイトの今後には含まれない。
だから、物語が終わる前に、これだけは伝えないと。、
「ありがとう、スペシャルウィーク」
──最後の残穢は、完膚なきまでに消え去った。
悔いは残る。そりゃ残る。
恨みも刻まれた。それはもう、特大のがズタズタなまでに。
憎しみと同義の敗北感なら、カイトの魂の髄までを犯して、今も尚、のたうちまわり、実現しない再戦を待ち望む。もう無理だと知っても、この灯火は尽きる事なく煌々と熱を放ち続けるだろう。
勝ちたかった、ただ勝ちたかったのに、と。
そう何度、心は叫びを発したのか、この先も何度叫ぶのか。
そうした負の感情を残しながらも、けれど、過去から永劫と思える季節、永いことエイヴィヒカイトへ張り付いていた闇はもう無い。
「お前と出逢えてよかった」
甘いモノは一つも手に残らない────結局、勝利は得られませんでした。
敗北だけが、胸に刻まれた唯一でした。
けれど。
「友達になってくれて、ありがとう」
言葉は、返ってくることすらなかった。慈しみと誇らしさが混ざる色味が、カイトの眼前には映し出されている。
満面で、言葉は不要だと、唇は逆
「……しっかし、色々と段落着いた気分」
「むしろ、これから色々とあるんじゃないの?」
ここまで歩いて、ここまで走って、よかった。
努力の全てが無駄でも、意義が無くとも、価値を灯せずとも、空虚に見える胸の内の無駄を愛おしく思えるのだ。
永劫の果ての終末を求める路は、もう終わっている。
永劫の果てにある勝利を欲して、魂をぶつけ合った刹那も、ちょうど終わり。
エイヴィヒカイトの名の意味を証明できたのかは、定かではない。
エイヴィヒカイトが産まれた意味が存在するのかも、定かには出来ていない。
エイヴィヒカイトという異端は、依然として異端であり、異形の存在であるという事実を覆すことは出来ない。
『男のウマであるエイヴィヒカイト』からは、「どうして?」の数々を取り払えない。世間でも身内でも浮かび続ける疑問を、綺麗さっぱり解きほぐすことはとうとうできずに、エイヴィヒカイトの挑戦は終わった。
ああ、そうか、そうなのだ、終わったのだ。
「……さてと、今から暇か? 暇だよな暇であれ?」
「予定は無いけど……なんか嫌な予感が……」
「いいや、友の助けになれるんだ、社会貢献の機会をくれてやろうって話だ。優しいスペちゃんなら喜んでくれるよな、つーか喜べ」
意味なんか無くても。
意義なんか無くても。
歩んできた道が残骸だらけでも。叩き出した成果が曇に穢されても。
ここまで生きてきた意味が実は何一つとして無意味だったとしても。
自覚出来るだけの幸福に気が抜けたのなら。
残悔を一つ残も残さず焼き尽くす熱を持っているのなら。
間違えて、苦しんで、悩んだその先で、
「実はお婆ちゃんに呼ばれてまして」
「ふむふむ」
「アルダンも控えてまして」
「……ふむふむ?」
「ベルちゃんもそのご両親も揃っているそうで、グラスとそのご両親も来訪するそうで、ダイヤとそのご両親も何故かいらっしゃるそうで」
「うわぁオールスター。いい機会だしちゃんと裁かれよう」
心を許せる友と、こうして放課後を歩けるだけの。
文句の付け難いほどに春色の中心で。
笑顔で過ごせる今があるから。
「そんなこんなで明日に使える言い訳を一緒に考えて欲しい次第でございましてね!」
「え、嫌だよ……?」
「何なら着いてきてくれ、お前がいなくちゃ始まらねぇ」
「絶対に私を巻き込まないで!!」
「美味しめのご飯もあるよっ、嬉しいだろ、だろ!?」
「隠しきれない圧倒的マイナス要素がねっ!!」
いつぞやのように、逃げ出す予兆を感じたカイトは、スペの腕を全身で押さえ込んでみせる。
ウマ娘の膂力は、体重の目減りしたカイトを風船のように振り回すが、お互いに力配分を分かっているのか、怪我をする気配はとんとなかった。
少々よりも過剰にうるさいふたりを、けれど周りにも散見される下校生達は悪くない暖かさで見守る。
それがこそばゆく、楽しくて、嬉しい。
これが、エイヴィヒカイトの目指した果てにある、日常。
これからも、これが、エイヴィヒカイトの過ごす、普通の毎日。
「俺たちってば決死を交えた親友だろ?」
「もうお腹がキリキリするのだけはッッ!!」
だから、エイヴィヒカイトの物語は、これでおしまい。
この地雷にお付き合いいただきありがたく思います。
てな訳で、おしまい。