未踏領域で果てる   作:真の柿の種(偽)

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「こ、これを、飲めばいいんですか? ネトネトで青く輝いたコレを……?」
「ああ、味の心配をすることはない。しっかりと君の好物に……ん?」
「まーたブルーハワイカラーのビーフシチューかよ……ちゃんと美味いのがムカつくPART2……。…………んぐびっ」
「ぁっ、ちょっと待っ――――」
「ふむふむ、なるほど喉が辛くて鼻がつんつんして目がビチャビチャになって――――あげべぷぶぶぇべべぼぉあ!?!?!?」
「……あちゃー、間違えたねぇ」

 寝つきの悪さ解消の治験を受けようとしていた矢先、悲劇は起こった。


普通に生きてたら:災薬編

 事の発端はその二日前。

 しかし、事態の露見は今日この時だ。

 

「カ、カイト……くん」

「……んだよ」

「歩き辛い……んだけど、さ」

 

 視線の筵に晒されて、消え入るような羞恥の声がすぐ横から聞こえる。

 言い辛そうな顔を極めながら言われてしまえば、カイトは一瞥の寂しさで、みるみるうちにテンションが萎れていく。

 

「ご、ごめ……っ、ごめん……」

「どうにもならなそう……?」

「難しいかも……スぺは、迷惑だよな」

 

 不甲斐なさと切なさがこみ上げる。元はと言えば無警戒でホイホイと怪しいだけの薬をガブ飲みしたカイトが悪いのだ。更に元凶を突き詰めるなら――押し付けてきてもはや返済不可能まで積み上がった恩を振り翳し、被検体として酷使するマッドサイエンティストが悪い。

 とかとか、などなど、後悔に苛まれたとしてだからどうした。スぺの優しい体温が、焦燥に逸る心を静めてくれる現状を自覚すれば申し開きなどありはすまい。

 

「今回は刷り込み? みたいな感じかな」

「というよりは寂しがり。……朝に来る連中は今日に限って来なかったし、最初に顔見たのは、お前だったから」

 

 人目も憚らず子供のように腕へ抱き着いて、みっともない――――とか思う前に、スぺのお日様のようにポカポカする体温が、カイトへ心の安堵感を与えてくれる。交際もしていない異性とこうも引っ付いてこの感想とは、誤魔化しようがないほど気持ち悪すぎるぞエイヴィヒカイト。

 

「通行人とかにはこうならなかったの?」

「……あっ、たしかに」

 

 人肌という意味なら、家から学園へ辿り着くまでの間に腐るほど存在していたが。

 

「知り合いだから?」

「……いや、ちょっと違う」

「へ?」

 

 スぺを見た途端、その背中には後光が差していた。心細く嘆きの登校時間と化した朝の一幕が、転じて救いになったのは彼女がいてこそだ。

 

「お前の傍に居ると、他の誰とも違う安心感があるんだ」

「……」

「ああ、そっか」

 

 当て嵌まる要素は、なるほど自分からすれば納得に足るものだった。

 

「スぺの事は大好きだから」

「…………」

「それが大きいのかも」

 

 身内に安心感を得るのは当然だ。長ったらしく語るまでも無い。

 

「…………へーーーーーーぇ…………」

「スぺ?」

「今はこっち向かないで」

 

 孤独感を増幅し、心の欠落を恣意的に作る。有史が証明する通り、世に名を残す者は往々にしてどこかしらが深い欠落を伴っている事も多い。そうした例に倣い、人工の天才を作り出すため、才の比率を偏らせる一工程として、承認欲求があーだこーだで、それがどうにかこうにかプランに繋がったり繋がらないならそれでも良しだったりとか。

 経緯はコレで、走力の上昇に繋がるのではないか。そんな人体実験だった。

 細々とした理屈は捨て置こう。

 

「……顔を見たら、おこるよ」

「!?」

 

 寂しがり屋が爆発して、抱き着き癖が染みついてしまった。そんな悲劇なのである。

 

 

「スぺ、ちゃん……? まさか……スぺちゃんまでもがそうなの……!?」

「私からじゃないって部分をよく見て!」

 

 腕へと抱き着いたまま、廊下を進み教室へ入ればグラスが普段の五倍は騒がしかった。

 

「誠に俺が悪いんです……スぺは悪くなくて、俺が抱き着いているだけなんです……」

 

 なんとも困った。離れる気が自分には無く、指摘されればされるほどにスぺに抱き着く勢いはむしろ増しているような。

 

「そんなっ、見せつけてっっっ……――――なる、ほど……スぺちゃんなら、相手にとって不足は無い……!」

「恨むよカイトくん」

 

 遠い目をして諦めの境地なスぺと、蒼の焔を瞳に揺らめかせるグラス。静動、相剋するとはこれか。

 

「それで? またどうしてそんなハチャメチャになっているのよ」

「サイコパス製のお薬が効きすぎて、抱き着き癖が……」

「それで目についた適当な人に抱き着いたら、たまたまスぺちゃんだったんだ~?」

 

 なるほどなるほど災難だったね~、と言いたげな口から言葉が出る前に、何もかもをも遮ってまで、自分はその宣言をしたかったらしい。

 少なくとも周りはそう取る。取ってもおかしくないし、誤解を生んでも仕方ないとは常識で分かる。ところで常識ってなんだ。常に識ると書いて常識か、そうか、じゃあバカには訳分からんね。

 

()()()()()抱き着いたけど」

「「「「「…………」」」」」

「スぺの顔を見たら体が勝手に動いてた。通行人相手には考えもしなかった」

 

 静かになってしまった。いつもの五人のみならず、教室内までもが静寂で覆われていく。スぺの腕を抱きながら。

 至極当然を述べるだけ、ただそれだけの一言にはさしたる意図など含まれはしない。爆弾を振り回しながら呑気な顔をして、いっそ無垢なまでに親愛を振り撒く。ある種のテロ行為ではあった。

 そこへ差し込む、学園内時間の区切りを告げるための鐘が鳴いた。

 

「……そろそろ授業が始まりますけど、このままのつもりデスか?」

「このままって、何がだよ」

「二人の席は前後に分かれてたでしょ〜?」

「……あっ、やべ」

 

 どうあっても、くっついたままでいるのは不可能な距離感だった。

 

「どうかなカイトくん、耐えられそうなら」

「むっ、無理無理! 無理です……!」

 

 誰かが傍に居ない、それを想像するだけで鳥肌が総毛立ち、冬の雨に打たれたように凍えてくる。こんなものは心細いだけで、少しだけ、ほんの少しだけ寂しいだけなのに、危険信号にも酷似した反応が全身の随所に出てくる。

 タキオンが語った仮定は――――エイヴィヒカイトが家族を失い、幼少期から十分な愛情を受けなかった場合はこうなるのではないか。社会から排斥される澱みと、心を芯から癒せる存在の欠如。その二つのファクターがもしも存在していたなら、「きっとエイヴィヒカイトという存在はこうなる」というシミレーションの結果だけを抽出したと、偉そうに語っていた。

 何を珍しくバカなことを言っているのだこの倫理観ヴォイド女郎はと、カイトは大層呆れたものだが中々どうして、その観察眼には翳りが無かった。

 

「カイトくん、大丈夫かしら……?」

「大丈夫、って言いたい、のにっ……! でっ、でもっ、ごっごめっん、……全然、ダメ、だぁ……!!」

 

 呼吸のリズムが不規則に跳ねて、鼻からも口からも空気を取り込めない。痙攣した顎の筋肉が引き攣って痛い。そんな一つ一つの自分の所作が、友達へ迷惑を掛けている事実が動揺を加速させる。

 厳しい視線だったグラスはおろか、観戦に徹していたクラスメイトさえ憂いを帯びた目を向けてくる。

 

「!? 分かった! 分かったから泣かないで、ね?」

「スペっ、何でっ、お前っそんな、優しいんだよぉ……!」

「カイトのこんな姿は見たくなかったデス……」

「俺もっ、訳が分からないんだよぉ! なんかっ、こうっっ、メンタルがアホみたいに、っ穴開きチーズ状態になってんだぁ!!」

 

 朝目覚めた瞬間の孤独が、精神を貫く痛みとなって襲いかかる恐ろしさはどうだ。体温の移った布団からは温度など感じられず、タイルを歩く足の裏は痛いくらい寒い。

 何だって今日に限って家に押し寄せる奴等は軒並みが不在なのだろう。示し合わせられたようなタイミングは、実に殺人的そのものであった。

 

「先生に事情を話して、今日は席を隣り合わせでいさせてもらおっか」

「スペぇ……!」

 

 なんだこの優しさはとんでもない。惚れてしまいそうだった。というか年齢イコールが彼女いない時期な自分しては、スペの包容力にコロっといく。

 年上お姉さん系に並び、道産子系のジャンルがカイトの中へと追加された瞬間だった。

 

「ほら、鼻かみなさい、チーンてしなさいチーンて」

「ずびびびびびぃ……キングは第二のオカンだった……」

「調子戻ってきたわね」

 

 仕方ないわねと言いたげな、ああいや、しっかりと口に出しつつ、ばっちいカイトの鼻水を高そうなハンカチで拭ってくれる。将来はエプロンをはためかせて忙しなく子供を送り届ける面倒見の良いお母さんになりそう、若干の幼児退行を引き起こしかけているカイトはそう思ったそうな。

 

「あざすキング。ハンカチは買って返す」

「いいわよこれくらい」

「うるせえこのまま返すのは俺が嫌だ」

 

 手触りの滑らかなハンカチをふんだくり、制服のポケットへと無造作に突っ込んだ。こんなばっちいものは後ほど隙を見てゴミ箱へポイーである。

 

「ところでカイトくん、スペちゃん」

「んだよ」

「二人の()()はいつまで続くのかしら」

「ああ、そういえば聞いてなかったや」

「……、だって」

 

 ビクリと、手の震えがスペへと伝わり、ぽえっとした顔で疑問を表に出す。

 

「……ごめんなさいカイトくん、よく聞こえなかったのだけど」

「ぃ……ご、かな」

「えっ、あの、カイトくん?」

 

 一気に顔が引き攣る道産子系美少女。疑問を投げるような口調ではあるが、言葉尻が徐々に戦慄へ侵食されていたのは見間違いではない。

 顔を向ければ鼻と鼻がぶつかる距離なのだ、どれだけ小さく囁こうが、呟きは無情にも耳へと入れられてしまう諸行無常。

 

「ぃ…………んご、です」

「か、カイトくん? 嘘だよね……?」

 

 嘘ではないのだ。ここまできたらもっと悲観して、一蓮托生の友であって欲しいのだ。

 

「いやはや…………一週間後、で、ございますので」

「大抵は次の日には治ってたよね!?」

「今回はやけに長引くわね。……ご愁傷様」

 

 スカイが口勝手に言い、キングが気の毒そうな感情を隠さない。

 まあ、つまりはそういうことだと、スペにも分かってもらえただろうか。

 

「……カイトくんは、来週までスペちゃんにくっついて過ごすと?」

「…………」

「うんともすんとも言わなくなっちゃった……! 無言の肯定はやめようカイトくん! それは誰も幸せにならない答えだと思う!」

「…………しばらくウチに泊まりに来いよ」

「絞り出した言葉がそれって絶望的だよ!?」

 

 ええい絶望がどうしたというのだ。そんなものは友情パワーで吹き飛ばせるだろうが。

 説得を試みようとすれば、カイトの肩を細い指が控えめに叩いた。

 

「ああん?」

「……本当に、スペちゃんでなくてはダメなのですか? ……例えば、私では……」

 

 何を言っているのだコイツは。そのような率直な意見もあったが、口には出さないように心掛ける。

 

「……もし、カイトくんが良ければ……」

「?」

「私が、カイトくんの寂しさを埋められませんか……?」

 

 なるほど、最初に出会った信頼できる人物が偶然スぺだっただけで、他の人にもこの負担を押し付けられる可能性は高い。候補としてはスぺを含めた目の前の五人と、たづなさんと、何人かの先輩方だろうか。

 とはいえ言い切るには不確定要素が多いのは確かだが、断言できることもあるのだ。

 

「スペなら迷惑掛けても実は気兼ねしないし、スペの方が楽」

「機微に疎すぎる、8点」

「キングってば甘すぎるでしょ。ニブニブなのを考慮しても、精々4点じゃない?」

「スペちゃん以外には迷惑をかけたくないという心を汲んで、13点デス」

「かなり複雑ではあるけれど! 私を巻き込むから20点!!」

 

 どいつも勝手気ままに点数を付けやがる。

 後から聞けば100満点を基準とした採点らしいが、知らぬ間に散々な結果に終わっている。解せないのだ。

 

「……カイトくんなんて、ぜろてんです」

「人に点数を付けるのはやめよう! 良くないよ!」

 

 スペの腕へとコアラのようにしがみつきながら、心の限りを叫んでみた。

 

 

 見つかってしまった、スペはそんな顔をしていた。

 

「あら、スぺちゃんとカイト……く、ん…………――――え? ぇっえ? へ、ぅぇ……?」

「……」

 

 天然記念物の体現たる先輩は、その表情の推移がよく分かる。お手本のように顔色が変化していく。

 初めは血色良く肌色で、理解してからは青褪めたような色合いが走ったかと思えば、初々しくピンクに火照る頬の色味と、愛らしく思えるくらいには忙しない。

 

「! ……っカイトくん! ……いくら舞い上がっても、その……」

「「はい?」」

 

 二人揃って疑問がハモる。

 

「ば場所はっ、選んであげた方がいいと思うの……!」

 

 今度の態度は身に覚えがあるような。

 ああ、これはアレだ、歳上に言い嗜められた時と大きく被る雰囲気だ。見境の無いヤンチャを繰り返した幼少期には、アルダンなどからも既視感のある対応を何度かもらったものだ。

 

「カイトくんは一人暮らしなんだし、その方がっ、その、二人きりだろうから…………人前ではしづらい事も、できるだろうから……!」

「これは違うんです! 誤解なんですスズカさん!」

「やっぱり招くよなー、誤解」

 

 言いつつも、手を離す気はサラサラ無くて。

 

「腹減った」

「ちょっと待って、スズカさんの誤解を解かないと!」

「お前が飯より優先って珍しいな」

「食べるけど……! ……カイトくんも、もっと焦ってよ」

「や、なんか落ち着いてきちゃって」

「その心境に至るのはせめて三日くらい経ってからでしょ……!?」

 

 もしや前世での繋がりでもあるのかしら、あるいは別世界で双子だったりするのか。恋人でもいればこんな安心感があるのかと、彼女いない少年は彼女が欲しくなっていた。

 一周回ってリラックスし始めたカイトを放って、スぺは力の限りスズカへと説明をし始めた。

 

「スズカさん、これはですね……あっ」

「あれ、カイト…………え?」

「おーベルちゃんじゃん、チーッス」

 

 見知った顔へ軽い挨拶を投げかけた。

 不思議なことに、その端正な美少女フェイスをみるみるうちに絶望へと転じさせていったが。

 

「……カイト、それは……どういうこと……?」

 

 ベルちゃんの指す()()がどれの話なのか、分からないエイヴィヒカイトではなかった。

 

「これはねー、このたびねー、スぺと自分はめでたく……やだっ、ここから先は恥ずかしくて言えないっ」

「!?!? ――――う、そ……っっ」

「やっぱり……二人はそうなのね」

「カイトくんは黙っててね!? タキオンさんです! タキオンさんの薬でカイトくんはこんなになっているんです!!」

 

 混迷を深めないためにも必死なスぺ、種明かしは秒速だった。

 

「ほっ、本当に!? 二人は付き合って――」

「ないんです!!」

「…………そっかそっか、そうなんだ」

「まったくね、あの頭のおかしい女にも困っちゃいますよ」

「 カ イ ト く ん ! ! 」

 

 人の弱みに付け込んでこの結果ときたら、文句だって一つでは事足りない。

 

「無警戒で飲んじゃうカイトくんも悪いのよ?」

「最近寝つきが悪くて、つい」

 

 スズカとベルちゃんの誤解を無事に解いたスペは、周囲へ知らしめるように割と大きな声で経緯を説明しつつも、カイトに引っ付かれながらの状態で学食を取りに歩く。

 

「じゃあ、スペちゃんとカイトくんは来週までこのままなの?」

「うーん……どうしましょう」

「そんなに厳しいんだ」

「うん無理、スペに会うまで生きてる心地がしなかった」

 

 カレーライスの乗ったおぼんを片手に、スペはにんじんハンバーグ定食を片手に、腕が二人を繋げたまま器用に席へ着く。

 見知った顔を見つけた際の救われっぷりと言えば果てしなく、百年の恋かとすら勘違いしかねなかったが、長い付き合い故にそういった勘違いはギリギリ抑えられた。カイトは理性の塊だったことが証明されてしまった。

 

「だから一緒に暮らそう、スペ」

「情熱的なプロポーズをありがとう。少しくらい泊まりに行くのはいいけど、一週間は流石に微妙かな」

「……前から思ってたけど、友達って距離じゃないよね」

「これくらいならいつもよドーベル」

 

 普段と変わらない軽口に慣れきった様子のスペだが、この空気感が周りへと浸透しきるにはまだまだらしい。

 どうせスペが泊まりにくるなら他のメンツも大勢やってくるのだ、騒がしさに押されて孤独感などは軽く流せるだろう。海老で鯛を釣るような――いいや、言うなればスペでウマ達を釣るような。

 

「スペちゃん以外ではダメなの?」

「いやまあ恐らくは仲の良い人なら多分、大丈夫、だと思うような……?」

「な、なら……アタシにしてみる?」

 

 してみる? ではないのだ。

 一度くらいは体験してみる? みたいなニュアンスは実によろしくない。

 

「ダメじゃないと思う、けど」

「! っそれじゃあ……!」

「それじゃあじゃないのよ、授業とかどうするのよベルちゃん」

「あっ……そっか、そうだよね。……放課後から朝までなら……どう、かな……?」

「俺ね、あまりそういう発言はね、その、あれだと思います」

 

 夜に一人暮らしの男の家へと泊まる、これは歓迎される事ではない。ただでさえベルちゃんの両親(主に父親の方)からは身に覚えの無い釘を打たれているのだ。一週間も家に泊まられてしまえば、周りからは不純異性交遊を疑われてしまって非常に危ういではないか。

 それはつまり、何となくだが率直に言ってマズイ。堀のようなナニカが埋められてしまう気がしてならない。

 

「……学園外はともかく、放課後までは私達でローテーションを組もうよ」

「そりゃ助かるけど……グラスとエルとスカイとキング。俺が心を許せるのは他に誰だよ。あとは教室外にしかいないぞ」

 

 たづなさんを呼びつければ解決するが、あの蛍光色は相当に忙しい身には違いない。第一、彼女に妙な噂を立たせるのは忍びない。あんな美人の年上お姉さんへ、大々的に引っ付けるのは半端ではない役得ではあるが。

 

「グラスちゃんが一日分多めかな。もう一日は……その時考えよう」

「……二人とも大変ね」

「何でスズカ先輩は俺のクラスにいないんすか、頼らせてくださいよ先輩」

「えっ、ウソでしょ……?」

 

 あるいはこの先輩ならば、どっかのレースで走る約束を餌に釣れないだろうか。一週間泊まり込ませて、教室にも常在させる事も出来そうではあるが。

 

「アタシも頼っていいんだよ?」

「名家を頼りすぎると後が怖いからやめとけって」

「…………誰が言ってたの、そんな事」

「父さん」

 

 父親からの重大な陳言を誤って覚えていたバカは、その責任を無自覚に父親へと受け流していた。

 正しくは『名家に好かれ過ぎると雁字搦めにされる』だが、語る内容と自らの境遇との相似点が無いように思えて、覚える必要性の薄い雑談なのだと脳は判断し、結果としてうろ覚えの固着へと行き着く。

 

「放課後まではスペに頼もうかな」

「……その後をどうするかはカイトくんも考えといてね」

 

 

 放課後になり、クラスメイト達が我先にと机から立ち上がり始める。

 さて、普段ならカイトもこの流れに乗りつつ、のほほんとした顔で寄り道をして、晩飯を作るべく帰宅していただろうが、今日からはここからが問題になる。

 

『スぺはトレーニング出るのか』

『うん。カイトくんも今日は出たら?』

 

 グラスとエルもリギルで、キングとスカイも各々用事があるようで。

 その辺りが頼れないなら、自分もスぺと共にスピカへ行った方が良いのだろうが。

 

『マックイーンがいるだろ』

『そのうち噂も広まるだろうし、ずっと隠し通せないと思うよ』

『まあね』

 

 渋る理由など決まっているが、こんなものはただの見栄だ。

 慕ってくれる妹分へこんなみっともない姿を見せつけて、平気な顔をできるほど太い精神は持ち合わせていない。三十六の計略でさえ逃げるにしかずとはよく聞く話、お歴々の至言には従うのが賢いのである。

 

『……おっし、行って来いスぺ』

『と言うと?』

『恐れ過ぎてる部分もあるんだ、一人でも大丈夫だろ――』

 

 ――大丈夫だ――

 ――――大丈夫だろ――――

 ――――――大丈夫だろ――――――

 

「たすけてスぺぇ……!」

 

 撤回しよう、何一つ大丈夫なんかじゃなかった。

 情けなく友を呼ぶ声が廊下に木魂するが、受取先は顔も知らない学園生だけだ。同級生な気もするが後輩だったような気もする、どうだったかは正直自信がない。それよりもとにかく今は、避難先を見つけるのが先決だ。

 

「あら、カイト」

「――――お前、か」

 

 手を前に重ねて歩く所作が、意識もせずにこの上なく似合ってしまう先輩。一人暮らしなカイト宅へ、よく遊びに来てはご飯を作っていってくれる年上お姉さんな先輩。お陰で舌がどんどんと肥えさせられていく屈辱感と戦う日々だ。

 お節介焼きの好きな病弱令嬢メジロアルダン。親戚でもあるこのお嬢が、カイトはそこそこ苦手だった。

 

「今日のトレーニングは?」

「さ、サボり、で……す」

「またなのね……最近は一緒に走れてないってマックイーンが悲しんでましたよ」

 

 頭が上がらないと言うのだろうか。もう一人の姉の方も然り、目の前にしてしまえばどうにも調子が狂う。生意気に口答えをしようにも「私は分かっていますよ」、そんな顔をして、おまけに微笑ましそうな顔で頭を撫でてきたりするから、そんなところが気に食わない。

 見下ろされていた背は伸びてアルダンを越えたし、腕力だって一方的に抑え込めるくらいには成長している。精神面だってあの頃よりも成長して、ただの子供では知り得ない、思春期真っ盛りな事だって考えたりもするのだ。だから子ども扱いはやめて対等な視線でいてくれないと、そのうち痛い目を見ると口酸っぱく言っているのだが――――――――そんなこんなで。

 カイトは、アルダンを苦手としている。

 

「……顔色が悪いですよ?」

 

 流石の目敏さ、その慧眼には恐れ入る。今現在のカイトは精神の体調が悪く、身体にまで影響が出始めて寒気が先から止まらないのは確かだ。育成系のソーシャルゲームだったなら、上部に紫のアイコンに真下を示す矢印と、絶不調の三文字が浮き出ているだろう。耳までへにょりと倒れているならもはや役満だ。

 ところで彼女は、探していた知り合い――つまりは頼れるだけの間柄である。勘違い等でもなく、目を掛けられている自負もある。

 それじゃあ頼みましょう、自分のこの深海のような真っ暗闇の孤独感を癒してもらおう、とはなり辛い訳が実はあった。

 

「だいっ、だいじょう、ぶ、ですから」

「歯切れも悪いけれど」

「…………、ほっといて、くれ」

 

 ――どうしよう、耐えられそうにないのかも。

 衝動がこみ上げてくる。渇きにも似た悍ましさが、カイトの不安を加速させていく。

 誰かに存在を預けたい。欠落を己で埋められないもどかしさがある。だから他の誰かの温もりで埋めてもらって、そうすれば初めて自分は呼吸をマトモに出来る。

 

「っ……ぁ、っ…………アルダン、この後に用事とか……」

「ええ、チヨノオーさんと買い物に行くけれど……カイト……?」

「…………っ、な……なんでも、ない」

 

 あたまがまわっている。しこうはまわらない。けど、くびからうえがまわっているみたいだった。

 息がいきが荒く悴んで駆け巡る――――自分が、なにをかんがえて、何を求めているのか、いみがふめいにからまってきて。

 無性に、誰かへ縋りつきたい。

 自分が愛されている自覚が欲しい。誰かに愛されたくてたまらない。今すぐに示して欲しくてたまらない。証明を証左とした証拠が欲しかった。

 そんな、あり得ない懊悩の巡る自分が信じ難くも、心の何処かで新鮮さに面白さすら感じていたかもしれない。

 

「っ!? かっカイト!!?」

「……へいき、だ……へいき、だから…………――――あ?」

 

 おかしい、アルダンのかおがどこにもみえない。

 ガラス色の長髪が視界に映る。甘い紅茶の匂いが、どこか近くから香った。

 おどろいたような、かわいらしいこえがきこえる。

 焚き火の薪が割れるような、優しい音程で動揺を声に出す。すぐそばで感じる音の全てがカイトを安らいでいく。

 おびえていたこきゅうが、どんどんとおちついていく。

 絡まった呼吸を整える為に深呼吸をして、肩が上下に動けば連動するように、小さな肩が震えている。けれど突き離されないのは、驚きでそれどころではないのか。

 それとも受け入れてくれるから? ちょっとまて、うけいれるってなんのはなしだ。

 自分は、一体、さっきから、誰に、何を、しているのだろうか。

 

「あぅ、っ……そんな……いきなり……」

「……」

 

 背中へ回した手に、さらさらとした透明な髪が触れる。腰へ回されていた手は、欲する心を示したようにその存在を逃がそうとしない。肢体がびくりと波打ち、その跳ね一つすら逃すまいと拘束は強くなった。そして呼応するように、強まる囲いに細く滑らかな身体が再び腕の内で跳ねる。

 

「…………」

「……ぅ……うれしい、です……けど……」

 

 ちょっとだとか少しどころではない。要約や簡略化も必要ではない。そも狂科学者からは既に言われていただろうが。

 曰く、『抱き着き癖が発現する』と。

 事実だけがここには残る――――エイヴィヒカイトが、メジロアルダンに抱き着いている。

 客観視した要素を付け足すなら、『学園内』、『交際はしていない』、『人影も散見される時間帯』と、スキャンダラスなファクターが妙に多かった。

 更に、主観的な意見も足すのならば、スぺに抱き着いた時とは明確に心境が違っていた。

 

「………………」

「カイト……貴方、が……それを……望むなら、私も……」

 

 腹の奥から震えるこの艶めかしさはなんだ。胸の内から響くこのむず痒さはどうした。骨髄が騒ぎ立てるこの衝動などカイトは知らない。

 悍ましく恐ろしく、触れ難く嫌悪する、だというのに心地の好さを否定できない。昨日までの自分が持つに至る道理がない、滅茶苦茶に荒れ散らかった感情が、嵐となって心の中心を穿っていた。

 ()()()()ならともかく。

 

「……どうして、なにも……言っては……くれないの……ぁ」

 

 どうでも良くなってきていたのかもしれない。でもただのヤケクソとは少し違って、細かいことが目に入らないくらい、充足感を与えてくれる存在が愛おしくて切なくて恋しくて、もっと触れたい触れ合いたい触れさせたい触れてもらいたい、欠落をこの娘で埋めたい存在を共有したい。

 情欲が果てしなく掻き出される。これが欠落を埋めるがための本能なのか、元々持ち合わせていた澱みなのか、知りたいとは思わない。

 アルダンの背を抑えつけていた手が、髪を撫ぜながら首筋へと触れる。産毛を撫でつけて、そのたびに嬌声が楽器のようにテンポよく奏でられる。

 腰を捕まえていた手が、腹部をなぞるように腕へとつたい、落とせば割れてしまいそうな、華奢な指先を捕まえて、舌で嚥下するように嬲り尽くす。

 

「っ……ぃ、ぅあ……っ、か、、い……」

 

 吐息のような声が、等間隔で廊下を叩く。甘い紅茶の香りが濃くなって、その甘みがより強くなる。

 楽器――そう、楽器だ。この娘が楽器なのだとすれば、きっと価値の付けられないモノだ。

 水晶で作られた絶世の楽器に違いないのだから、触れれば壊れてしまいそうな水晶だからこそ、価値はその脆弱性にあるのだとすれば。

 この で  たいと、 った。

 

「っ…………――――かい、と…………」

 

 抱き着いた体制のまま、教室側の壁へと二人の身体を押し付ける。逃げ場を欲していたような力の入れ加減も感じたが、無理矢理に方向転換を促せば、観念したようにすぐ力は抜けていく。

 首筋を撫でていた手に、二人分の体重が掛かって痛みを感じる。

 水滴がつたうように手が首から移動して、肌をさする感覚に『宝石の楽器』がくぐもった声を上げて、カイトの心臓を灼熱で満たす。

 均整な形をした顎へ手を沿わせてその顔を見れば、白磁の素肌透き通って桃色の紅潮が表に出ていた。

 美術館で無感動に絵を見るような、漠然とした美しい瞳。その中には若干の恐怖と驚愕と衝撃と疑問と――――隠しきれない期待感を、目の前の捕食者へ見せてしまって。

 それを見て「ああ、なんだ、いいのか」とか言って、獰猛な笑顔を見せつけてしまって。

 強奪の意志の籠った野獣の瞳を、真っすぐに潤んだ宝石の瞳は積極的に絡まろうと捉えて。

 

「――――…………は………………ぃ……」

 

 コクリと、取るに足らない首肯一つが、決壊の始まりだった。

 ああ、止まらない。

 くそ、止めて欲しくない。

 無理だ、止まることなど考えたくない。

 どうしようもない、このままだ、このままでいい、場所など関係あるものか、時間など気にしてやるものか、恥じらいも戸惑いも嫌がっても悦んでも蔑んでも忌避しても受け入れても拒絶しても認めても差し出されても何でもいい何だっていい。

 だって、全部、 せばいい。

 だから、こ せば価値は落ちる。

 だから、このクリノクロアをこの場で疾く速く人の目があるこの場所で、敢えて。

 この手で壊したいと、思った。

 

「ん……――――」

 

 穢す方は何も言わない。穢される方は――目を瞑り、穢れの全てを受け止める姿勢を見せつけた。人前であることを忘れたのではない。意識には無く、ただ、興味の外に行くまで、互いの情事へ夢中になりたがっているだけだ。

 花も宝石も水晶もガラスも、この情動には相応しくない価値在るモノを、この存在に含まれた悉くを穢して喰らって貪ってしゃぶって骨すら飲み込んで魂だって咀嚼の限りを尽くして――――

 

「風紀の乱れを見つけたっス!!」

「神聖なる学び舎で何をしている大たわけがァ!!!!」

「んなっ、ウォギャーーーー!!??!!??」

「……ふぇ?」

 

 ――――間一髪ではあった。

 横合いからの一撃が、バカを正気へ戻したのだ!




・バカ
 正史のSAN値状態に陥らされる。異聞側であるコッチのバカは孤独耐性がクソザコであり、その耐性を得るに至るだけの経験が無く、出来上がるのは男の極限メンヘラであった。
 両親の喪失、幼少期からの孤独、中学期までの迫害、この三つがあれば正史。
 ちなむと、命を削って追い込んでいるためか、全盛期でなら正史側の方が遥かに速い。しかしそんじょそこらでは話にならないポテンシャルならある為か、異聞も上澄みの一人になってしまった。
 黄金世代、スピカ、会長、マルゼン、エアグルーヴ、メジロ家、たづなさん、フラッシュ、その他数名なら、メンヘラ状態でも友人のノリで抱き着ける。しかし後輩(年下)やウララのような庇護対象は例外で、目の前にしてしまえば「しっかりしろよ俺ェ!!」という再起のエンジンがかかるので、適当な後輩を同行させておけば比較的平和だった。
 お嬢に押せ押せになったのは、虚無の孤独感を補完するために積極的になり、理性の箍が外れやすくなっていた。そんなところへ偶然目の前に全ての愛情――エロス、フィリア、ルダス、アガペー、プラグマ、フィラウティア、ストルゲー、マニア――を抱ける相手が現れたという話。実はスぺやグラスあたりもほんのり危うかったりしなくもなかった。

・スぺ
 面を喰らわせられる発言には、たまに頬の温度を上げさせられるが、そういった意識は全然してない。

・名家のおばあちゃん
 ガッツポーズをしかねて行き場を失った腕は電話を掛けていた。場所を選びさえすれば行き着く果てまで行き着いたものを! おばあちゃんのお節介な説教は、少年を寝不足へ追い込んでいた。





 隙を見つけて続け星よ
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