未踏領域で果てる   作:真の柿の種(偽)

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 夢に見た、コレが全て。


普通に生きてたら:永劫と特別週間 前編

「――って、みる、とか」

 

 黄昏の空模様より、やや赤みの増したような色合いが窓から差し込んでいるのだ。

 壁に掛けられた時計を、刹那だけ見て、時間帯を再確認した。やはり、そうだ、そうに違いない。

 これは夕焼けの色だ。夏の夕焼けだから、火照るような熱さも夏らしい。

 そうに決まっている。

 

「……」

「……」

 

 じりじりと、紫外線が額を刺して、対外的要因で顔の温度はまだまだ上がっているのは自覚してやろう。歯の音がガチガチと小刻みに鳴るのも、熱中症による脱水症状が現れているのだと声高らかに叫びたい。

 決してそういう事ではない。

 決して、エイヴィヒカイトは()()()()()()で、こんなになっている訳ではないことだけは、断固として主張を重ねよう。

 

「……どうなんだよ」

「……え、えぇっ、と……?」

 

 口の中が満遍なく乾いていくから、喉が唾液を嚥下する。何度も何度も、喉を鳴らす動きが繰り返されている。これもやはり水分不足だ、そうなのだ。唇も乾いて仕方がない。

 固唾を飲み込んでいるように見えるなんてことは無いし、緊張しているなどという事も、そんな事は無い、無いのだ。

 

「……ごめん、カイトくん……」

「っ……だめ、か、そうか……」

「違っ、くて……ちゃんと、聞こえなくて、だから……!」

 

 スペシャルウィークの声が、どこか遠くから聞こえるような気がする。

 腕を伸ばせば届く距離なのに、たった一つのイエスかノーを問うだけで、彼女の存在が、何故か果てしなく遠くに感じてしまう。幻覚幻聴、これも立派な熱中症の症状だ。自然と握りこぶしも握られるし、汗腺も開きっぱなしで、心臓もカイトの制御を離れる速度の全開稼働で。

 机へと肘を突いて、普段通りの態度でなんとなしにスぺの言葉を待っている――――彼女の言葉の、一言全てと一句の悉くへと全神経を傾けても、いる。

 

「も、もう一回、聞いても……いいかな……?」

「……っ……その、な」

「う、うん……」

 

 否を突き付けられた訳ではないし、それを認識して安堵したとかは無い。そんなことない。だってほら、全然、一喜一憂するような話でもないだろうに。

 だから、だからだ、だから――――――――ああもう、何だってこんなに緊張してしまうのか。

 

「俺と」

 

 是か否かを聞くだけだ。可か不可かを問うだけだ。有りか無しか、些細な答えを出してもらうだけだ。

 こんな簡単な言葉の往復、いとも容易くこなしてしんぜよう。

 そう、意気込んでいたのに。

 

「っ……つ、付き合って、みる、か、って……聞いたんだけど」

 

 そういえば恋人がいる気分とはどんなものなのか、そんな些細で極々普遍的な疑問が発端だったか。

 こんな事なら、軽い気分で提案するべきじゃなかった。試しに一つ、なんて勢いで口は勝手に走り出すし、何でか撤回する勇気も度胸も、或いは諦観すらも抱く気にはなれず、なんというか、不様が此の男へ極まれりだ。

 とはいえ、モノを考えて、心で感じる生き物なんてのは、単純明快な思考へ帰結するのがデフォルトだ。

 勇気を腹の底から引きずり出して、けれど消耗し尽くす精神力の釣り合いは取れない、あまりに効率の悪い感情回路。努力を費やし、されど完成した際の達成したその先の果てに得るのは、一瞥の虚無だと相場は決まっている。あれやこれやと遠回りをしないように考えて、最終的には乱雑な理論を振り翳して、その道を振り返ってみれば結局は一番の回り道だった、なんて笑い話も絶えないだろう。そんな事ばかりが続いてしまって、頭だけで描いた完膚なきまでの最短距離なんて、この世界の誰しも経験したことが無いんじゃないのだろうか。

 でも、悪いもんじゃないのだと、自分はそう思った。

 効率を悪く数を重ねて、学習を重ねて、年数を重ねて――――数多の体験を経るまでの、過程の一つ一つが当人にとって綺羅星みたく大切な思い出になれるのなら、それでいいのではないか。

 一つの期に、一つので会い。これだって幾つも積み重ねてきた内の、たった一つの出逢いなのだろうけど。

 その瞬間、その場で、自分は生きていたいと、無意識から願えるのなら。

 

「……聞き間違い、じゃ……なかったんだ」

「……ああ」

「私が、今考えているような……そういう意味、なの……?」

「……買い物に誘うくらいで、こんな重たい空気は、出せん」

 

 何? 回りくどい? 分かり辛い? 完結に答えろって? ――――OK、景気よく、短く、大きなサムズアップと共にお答えしましょう。

 難しい話じゃない。単純だ。とっても、とっても、とーっても簡単なのだ。

 

「……」

「……――――私で、良かったら」

 

 ヒントは、多感な時期の男子と女子、だ。

 お年頃だという事を考えろ、ほら、自然な話。

 切磋琢磨した日々を思い出せ、ほら、難しくない話。

 重ね合った心と感情はどれほどか、ほらみたことか、いっそのこと、当たり前のようにありふれた営み。

 夕餉れに染まった放課後の校舎。誰もいない伽藍とした教室は広々としていて、たった二人は前後の席で、手を伸ばせば届く距離で視線と心を繋げている。窓から流れてくる、他の生徒の走る音は遠くて、心地良く背景で流れていく。

 時計の針の音がうるさい。カチカチと、秒針と間違えるくらい分針が何度も耳を鳴らして、何故か夕日で真っ赤だった教室内は、暗がりの色を招き入れ始めて。

 時間の感覚など、少なくともカイトには無かった。スぺは、どうだろうか。

 この感覚を――甘く高鳴る臓の音色に委ねて、時間を忘れるような心地を――共有、できているのだろうか。

 

「よろ、しく……お、おね、がい……します……」

「……」

「……うぅ……な、なんで、何も……言わないの……?」

「…………――――」

 

 まあ、なんでもいいか。

 エイヴィヒカイトはこの瞬間から、返事を貰えた勝ち組に分類されるのだから。

 

「――――必ず、幸せにする」

「……ふぇっ!?」

 

 バカみたいな衝動が爆発して、目の前の小さな肩を思わず掴ませた。

 あり得んばかりの洪水が、脳の内で溢れて止まらない。幸せホルモンとやらかこれは、達成感によるエンドルフィンと同調して、意識が急速にくらくらと点滅を始めるがしかし、気絶など以ての外。この瞬間、この時、この刹那、味わうことなく倒れるなど、禁忌級のもったいないお化けが出現してしまう。

 まあ、グダグダと語彙を連ねたが、とどのつまり、そういうことで。

 

「俺はバカで、アホで、ロクデナシで、好きなヤツを虐めたくなる嫌な奴で、大切なモノほどぶっ壊した時の様子が見たくなる人格破綻者で……っ!」

「……知ってるよ」

 

 お幸せを一度でも掴んだのなら、敢えて離すような贅沢をカイトは知らないから。

 

「……後悔させない、これだけは約束する」

「うん」

「絶対に絶対だ、お前は俺が、絶対に幸せにしてみせる」

「……うん」

 

 恋人、という関係性は、初めてで。

 戸惑いも待つ事だろう。衝突もあるのかもしれない。困難だって待ち受けるかも。

 でも、スペシャルウィークと一緒なら、不思議と心から笑って進める気がする。

 

「……これから改めて――――よろしく、スぺ」

 

 気が付けば外は暗くて、月の明かりが差し込んでいた。

 頬はお互いに桜色に染まっている。教室から出ても、廊下を隣同士で歩いても、寮まで手を繋いで歩いても、困ったことに頬の色が元に戻らない。

 

「スぺのそういう照れ顔、新鮮だ」

「ちょ、ちょ…………みないで」

「かわいい」

「あぅ……ぃ、いじわる……」

 

 顔を隠そうとする手は、片方がカイトが独占状態にある。伏せて隠そうとするも、月明かりが無情にもその羞恥をつまびらかにしてしまい、その色は更に濃く彩られていく。

 もしかしたら一生のままかもしれない、なんて言ってからかって。それも良いのかも、それは困るよ、なんて、ささやかに笑い合って。

 門を超えて、別れ際に手を離す瞬間を、共に惜しみ合い、不慣れ同士で繋いだ手の抱擁はどちらともなく強まっていく。そんな互いに気が付けば、カイトもスぺも、顔の熱量は更なる飛躍を見せていく。

 でも、悪い気は、一切なかった。

 緩んだ頬を戻そうとする姿。恥ずかしがって顔を隠そうとする姿勢。つい生まれた意地の悪さで、それを無理やり露わにさせた際の、『ボッ』っと鳴っては高まるスぺの心の熱。

 いつもの調子のじゃれ合いも、関係性が一つ変わるだけで得られる幸せの質が大きく変化している。普段なら素っ気なく流してくれる軽口も、全部を受け止めては簡単に陥落してくれるのだ、どうしてくれようかこの可愛すぎる生き物はエイヴィヒカイトの情緒をどうしたいのだ。

 お陰で益々別れ難くなって、ついには閉門にやって来たたづなさんに注意されるまで、季節の暑さなど消え失せたかのように。

 熱の籠った対話を交わせる奇跡のような瞬間が、くすぐったくなるくらいに嬉しかった。

 

 

「お前、スぺと何かあっただろ」

 

 落ち着け、まあまあ落ち着け、自分。

 冷静を保つ、そしてruhigを保つ、つまりこれは、沈着なる精神状態へと己を持ってくるという事なのです。

 

「……………………何かって何さ(菜似可ッ手名荷差)

「キョドリ過ぎだ」

 

 急ぎ首を回し尽くして周辺を見渡した。明らかにあからさまな挙動だが、どうせトレーナーは『何かあった』まで確信しているのだろう。

 問題となるのはゴルシとゴルシとかサイコ帝王とかなのだが。

 幸い、声が耳に入る範囲には誰もいないようだった。

 

「その話、今じゃないとダメか」

「そりゃ今の方が……分かったよ。……でもこれだけ、この一つだけは教えてくれ」

「……言うだけ言ってみな」

 

 睨みを効かせた成果の譲歩だ、落とし所を此処としてこの話はここでおしまいにしてやろう。

 どうせまだ疑いの段階だ、まだまだここから巻き返しの可能性は、地平線のどこまででも広がっている。

 何より、カイトの物語はまだ始まったばかりだ。スタートを切ったばかりの大事な時期に、高みからの物見遊山気分で邪魔立てされるなど冗談ではないのだから。

 

「手ぐらいは繋いだんだろうな?」

「えっ」

 

 早っ。露呈する速度がクソみたいな爆速が過ぎる。

 しかし何故だ。エイヴィヒカイトとスペシャルウィークが、なんともアオハルチックな雰囲気の只中で結ばれてから一週間が過ぎていた。

 交際が確定してその日の夜の内に、暫くは周りへ報告せずに、なるだけ隠しながらでいようとスぺから電話を受けて、その日は夜更けまで話し尽くしたりしたり。スぺ曰く身の危険がどうのと言っていたような気はするが、スぺとそういう関係になるのは確かに危険が危なそうだ、主にファン関連。

 これまでと何かしらの絡み方が変わるかと言えば、精々視線が絡まる頻度が増えただけくらいか。

 例えば今、遠くの方で軽く流しながら走るスぺと、目が合っている自覚が出来てしまうような。

 とはいえ隠し立てている身だ、仮に目線が絡まる相手が恐ろしく愛らしくても、()()()()()()()()なんていとも簡単に保ててしまえる鉄面皮で――――あ、わらってる、むり、口角が天を穿ちそうになる。

 

「……」

「……」

「まさか、もう手を出したのか」

「――はっ、はぁっっ!?!?」

「ああ、そこまではまだなんだな」

 

 隠し事が隠し事じゃなくなっていく、己の腹が剥き出しにされていくこの恐怖感はどうだ。

 しかしだ、誰にも内緒だというのがスぺとの約束だ。

 事実を確認しよう。スペシャルウィークとの約束を、エイヴィヒカイトが違える訳にかいかないのが一つ。目の前には、おそらくはスぺとカイトとの関係性の変化へ、いの一番に気が付けそうな存在がいるという事実が一つ。そして、情報を漏らされる前に抹消できるという状況が一つ。

 導き出される結論は、非情を極めてスマートでシンプルだった。

 現役を凌駕し、未だに進化の一途をたどる脚が、土を無意識に掻いた。

 

「――――」

「まてまてまてまて、言い触らさないって!!」

「――――チッ」

「物騒なやつめ……」

 

 嘆息を終えて、ニタリと悪戯好きな笑みを浮かべたとトレーナーが、おもむろにカイトへと指を突き刺して言った。

 

「ちゅー未満と見た」

「オッサンがちゅーとか言うなキモイ、若者っぽく振舞いたい欲は弁えろボケカス中年」

「いつにも増して斬れ味がえぐっ。……スズカくらいになら言ってやっても良いんじゃないか? 他言するような奴じゃないってのは知ってるだろ」

「……スズカさんに限らず、俺とスぺの知り合いには、誰も無闇に言いふらす奴なんかいない」

 

 周りに話すかどうかは、当然ながらカイトも考えてはいた。

 幼い頃から何かと目を掛けてくれたメジロアルダンを始めとして、幼馴染とも言えるエイシンフラッシュ、カイトの姉でいてくれたメジロドーベル――――他にも黄金世代と呼ばれる同期達、スピカの仲間達、小言の煩い先輩、よくドライブに連れて行ってくれる先輩、マッドでサイコな科学者先輩、等々。

 言ってもいいかと考えて、むしろ言って降らして回りたい欲も多少なりとも。

 でも今の状態も悪くない。

 

「それに、今のままも悪くないんだなこれが」

「と言うと?」

 

 隠れながらも、こうやってアイコンタクトを交わせる。

 食堂ではさり気なく隣同士に座って、誰にも気が付かれないように袖を引っ張られたり。

 授業中には誰の目からも隠れて、放課後にどこへ遊びに行こうかと相談し合って。

 ――カイトとスぺとは、友達だった。ライバルで、鎬を削り合い、魂をぶつけ合うような、心地の良い関係性だった。そんな関係性が突然に変わったのだ、二人共に、先日までそういった浮いた話とは無縁だったというのだから、やはり慣れるには時間が掛かるのだろう。

 大きな転機を切っ掛けとして、少しづつ変化している実感をカイトは現在進行形で感じる。スぺも同じく、友達として触れ合っていたこれまでの所作が、これからはガラリと変わった意味になっていく。

 誰にも言わず、誰にも気が付かれないように、二人だけの甘い秘密を共有し合う。

 

「……リア充ってやつだから、俺」

 

 彼女との未来を想えば、心を優しくくすぐられるような、柔らかい熱が心に広がっていく。

 ふわりとした笑みが、自然と浮き上がってきた。

 

「浮かれてやがる」

「否定はしないよ」

 

 笑って言葉を返せば、トレーナーは呆れ半分の様子で言った。

 

「まあでもその内、学園中に広まるか」

「……はぁ?」

「いやだってお前ら二人とも、傍から見てて明らかに空気が違うし……特にお前な」

「隠せてないのか?」

「仲良しな奴ならすぐ分かっちゃうくらいには隠せてるな」

 

 出鱈目を宣うのが好きなヤツだ。そんな訳が無かろう。

 自信たっぷりな根拠はもちろんある――何故なら、カイトのふわふわ具合が本当に露見しているのなら、仲が良いほどに喜んでくれる筈なのだ。

 考えてもみよう、親戚の年の近いヤツに、恋人が出来た。カイトなら祝福ムードだ。そいつの顔を見るたびに、微笑ましい気持ちでいっぱいになっている事だろう。近しい者の幸せだ、どうしたって心の底から喜ばざるを得まい。なんなら気ぶる。しつこいくらいに近況を聞きまくって、デートにだって付いて行くに違いない。

 それを思えば――――どうして。

 

「……そういえば、メジロアルダンの様子はどうだ?」

「!? やっぱトレーナーってすげぇ、なんでアルダンの事を考えてたって分かるんだ?」

「顔に箇条書きされてたから。そんなことより、どうなんだよ」

 

 急かされて思い浮かぶ顔はやる瀬なく、生気は失せ、活力を欠き、クリノクロアと称された輝きは褪せていた。

 具合でも悪いのかと問えば、そうではないと言って、カイトの言葉の一切を聞いてはくれないのだ。少し寂しかったりするのだ。過去に何度も世話になった感謝もあって、彼女の中に憂慮が存在しているのなら、可能な限り消し去ってあげたいのだが。

 

「先週から元気ないんだよな、めちゃくちゃ心配だ」

「ふむ……ところで、お前とスぺっていつからそんな感じに?」

「? えっと、ちょうど一週間前だけど」

「そうか。……繋がったな」

 

 突然に天へ掲げられた合掌は、果たして何処へ向けてのものなのか。

 トレーナーにそう問えば、自分で考えろとカイトに言い捨てて、部室へ戻っていった。

 

 

 手を振る、これは何一つとして違和感のない行動だ。

 アイコンタクト、これも私達の従来の間柄だったとしても、一つ足りとて違和感の薄い行動だ。

 笑顔を向ける、これだって私達は友達であったという前提があるからこそ、どこを見渡しても違和感の気配など見つからない行動だ。

 手を振り合って、視線を向け合って、笑顔を渡し合って。

 最後に、ふにゃりと表情が崩れるのは――――

 

「……えへへ……」

「スぺちゃん」

 

 ――――違和感マシマシで、今度は言い訳が見つからなかった。

 

「はっ、はいぃっっ!?」

「? ……カイトくん?」

「いっ、いえいえ、ただカイトくんが変顔しててっ、それでっっ……!」

 

 隠そうと提案した言い出しっぺは他ならない私だから、言い繕うのに必死になるのは当然だ。

 しばらくの間は、二人の関係性を秘密にしておく。理由は幾つか存在していて。

 甘酸っぱい早熟な間柄は今だけかもしれないから。何事にも慣れというものはあるから、もしかしたら隣に居るだけで焦れるような感触も、当たり前のように感じていくのかもしれない。だからせめて、この新鮮さが日常に溶け込み切るまでの猶予として。

 みんなに知られる事への羞恥も、もちろん存在している。露見した日にはそれはもう揶揄われるだろうし、祝ってくれるだろう。騒がれるのは、二人の間に流れる甘い時間をひとしきり堪能してからでも遅くはない。

 そういった理由が半分で、もう半分は――――身の保身と、そう言えるだろう。

 

「そうなの? でも、そうね……最近のカイトくん、とっても機嫌が良いものね」

「あっ、それ分かります。幸せそうですよね、カイト先輩」

「俺もこの間、理由も言わずに無理やりタピオカを奢られましたよ」

 

 彼は、その――重たい。

 年下へは分け隔て優しく、同い年なら多くへは無関心、年上なら一応の敬いを。この三つの分類に加えて、もう一つの枠組みへ向ける想いは、大層なモノだ。

 彼が無意識にその枠と定義する条件は、ただ一つ。()()であること。一度でもその認識が出来上がれば、付き合いが短かろうと気にせず、まるで生来の友人のような距離感で接してくる。その距離の詰め方には戸惑う人も多いけれど、彼自身の悪意の薄い無邪気さを目の当たりにし続ければ、誰しもが『しょうがないなぁ』となって許してしまう。

 友の誰かが悩んでいるなら、率先して相談に乗らんと空回り。後輩が成長に行き詰っているのなら、親身になって力になり切れず。先輩が荷を背負うのなら、意気揚々と多少の重荷を受け持ってくれる。そんな人間性がふんだんに詰め込まれていながらも、些か抜けている面も多いのは、これも彼の魅力の一つで。友として、親友として、ライバルとして、先輩として、後輩として、同級生として、心からの信愛を渡し合っても後悔しないひと。

 かく言う私にとっても、その魅力に心動かされた友達で、心燃やされた強敵で、いつの間にか心を惹かれたひとで。

 彼との一番の思い出、一番思い入れのある光景は、いつしか青芝の地平線ではなく――――黄昏色で満ちた、赤焼けの教室へと――――こそばゆくも鮮烈な記憶へと塗り替えられてしまって。 

 

「最近のお兄様ったら、幸せのお裾分けとでも言いたげな様子で……まったく」

「へぇ、マックイーンは不満なの?」

「とんでもない! むしろ普段以上に優しくしてくれるので断然アリですわ!」

「だと思った。ボクにも珍しく優しいし、はちみーも毎日奢ってくれるし……一体何があったんだろうね」

 

 そんな彼を想う人は、私以外にもいるという話。

 彼へ懸想する人たちは、彼の重たさへ準じるように、相応に重たい節がある。想いの重たさで殴り合う用意をするかのように、惹かれた時間が長いほど、胸に秘めたるモノの威力はどんどんと増していくのだ。

 故に、だ。

 故にこそ、彼との関係性が何の用意もなく露見するのは、非常に危険な事なのではないのかと危惧するのは自然な事。

 

「とはいえども……はぁ……」

「? 何の溜め息だよそれ」

「いえ……お兄様に元気を吸われたように、最近ではアルダンさんが目に見えて憔悴していて……」

「ふーん? カイトが幸せそうなのに、メジロアルダンが元気を失くして……っ!? おいおい……ピンときちまったぜ!!」

 

 流石にそんな、命が危ぶまれるような事態には発展しないだろう。そんなくらいの常識は有しているような、個性豊かなトレセン学園の中でも、破天荒とは離れているお方だ。身の危険が極まるような事には、そうそうなりようがないだろう。ショックは受けるだろうが、復讐だの報復だの御礼参りだの、名実共にそんな物騒とは縁の遠いお嬢様のハズだ。お淑やかで、物腰が柔らかくて、優しい先輩だと聞いているから、私の抱く恐れは九割以上が杞憂なのだろう。

 ただ、一割未満の可能性に感じてならない、言葉にし難い恐怖を除けば。

 

「カイトに彼女でも出来たんじゃねーの!?」

「えっ、うぇっ!?!?!?」

「……スぺちゃん?」

 

 未だに思い出す。そう、あれはカイトくんに誘われて、彼の家へグラスちゃん達と共に遊びに行った時。

 

『――あん? いたのか、つか早くね? まあいいか、たでーま』

『おかえり、カイト。……お客様?』

『ん。俺が誘った』

 

 合鍵をお持ちなのか。かなり最短の経路でこの家へ来た筈だが。すれ違ったりも追い抜かれたりもしていない筈なのだが。どうして既にエプロンを装備しているのか。どれだけ手際が良ければ既に鍋の中でビーフシチューが出来上がっているのか。繰り返すが私達は最短でこの家へやって来た筈なのだ。とかとか。

 そんな疑問を焼却するのは、鋭く尖り砥がれた視線だった。

 

『――――そう、ですか――――』

『ひっ……お、お邪魔しましたァ……!!』

『エルちゃん!?』

『え? 帰んの早くね?』

『……間違えました、お邪魔しますデス』

 

 エルちゃんは決して言い間違えたのではないという共通見解を、その睨みを受けた私達は分かち合っている。

 牽制や排斥、そんな圧力をこれでもかと感じた私達だった。

 

『同じく、お邪魔しま~す……あはは~…………こりゃ噂以上の…………』

『…………お邪魔しますね、カイトくん』

『……な、何か買ってこようかしら。ほら、飲み物とかひ、必要じゃない?』

『ジュースとかもある程度はあるぞ。アルダンがよく買って来てくれるんだけどさ、俺だけじゃ飲み切れないんだ、手伝えよ』

『――――ええ、どうぞ――――ごゆっくり、ね――――?』

 

 キョトンとした顔をして、逃げ場を潰してくれたカイトくんを私達は一生忘れない。

 そうして始まった同期によるにこやかな親睦会。

 その会は終始、()()()()()()()に晒されていた記憶。真っ向から挑むように視線を返していたのは、張り合う意志を以前から持ち合わせているグラスちゃんくらいなものか。それ以外の私達は、引き攣った笑顔のまま、胃が痛くなるような日だったと記憶している。

 二人の関係が明らかになる、そんな日を想像するだけで、あの目がどこからともなく、私の心を抉り込むように咎めてくる気がした。

 

「そっ、そそそそそそそそ、んっっ、なこと、ないんじゃないいいいいいかなな」

「「「「「「……え、本当に?」」」」」」

「――――!? ……………………あうぅ……」

 

 なので、せめてこの内輪だけに留まって欲しいと願わくば、なのでした。

 

「しかもスぺかよ!!」

「ウソでしょ……!?」

「謎が……解けてしまいましたわね」

「へぇー、まさかスぺちゃんとカイトがねぇ……それでそれでっ? どっちから告白したの!?」

「テイオー、切り替え早すぎじゃない?」

「でも気になるのは分かる。ってことで質問タイムっすね、スぺ先輩!!」

 

 意気揚々と囲まれて、走り出して逃げようにも、隙間なくスクラムを組まれて何も抵抗を許されなかった。

 

「……カイトくん、からで……」

「「「「「「おぉ……」」」」」」

「放課後の、夕暮れの、教室で……っ……」

「「「「「「おぉ……!」」」」」」

「それから、そのっ……手っ、てを、繋いで……り、寮まで、校舎を遠回りしながら……歩い、て……」

「「「「「「おぉぉ……!!」」」」」」

「その日は、夜に、日が回るまで……電話、してぇ……っ」

「あっ、そういえば……夜更かししていたのは成程、そういう……」

 

 熱い。身体がポカポカしてくる。彼と重ねた逢瀬は短くとも、それでも一つ一つに籠った情熱は本物で。

 それを語ることで、一抹の嬉しさというか、喜びというか、幸せというか、そういった感情も付随するのも確かだった。

 いわゆるこれが幸せボケというものか、いけない、思い出し恥ずかしさで表情がゆるゆるになっていく。

 

「この事は誰にも言わないでくださいお願いします……! せめて、私達がもう少し落ち着くまで……!!」

「だってさ、ゴールドシップ」

「アタシだけ? ……まあ、他言無用にしたい気持ちも分からなく無いけどよぉ……」

「……無いけど?」

 

 ゴールドシップさんには珍しく言い淀んだ様子。

 それはどうやら、厭な予感を感じずにはいられない予兆だったようで。

 

「もう既に、手遅れかもしれませんわね……」

「……――――え?」

 

 厭な予感も予兆も、最悪の予測すら、全てが現実のモノへと近づいていたことを、私は知った。

 

 

「ひぃっっっ!?」

「っ!? ごごごめんなさいごめんなさいぃぃぃぃぃぃ」

 

 持ち得る走力を全開にする音が、聞こえる? ような、聞こえていないようなようなようううなななな。

 

「アルダンさん、しっかり……!」

 

 幽鬼が、揺らめく?

 まるでそう言いたげな様子で、誰しもがそそくさと通り過ぎていく。

 どうしたのだろうか、何か、どこか、何者かが、この世のものとは思えない形相で歩いていたりなどしているのだろうか。

 それは、いけない、よくないだろう、だとすれば、そんな人はすぐにでも、保健室へ行かなければ、心のみだれは、肉体へのみだれにもつながる、から――――だか、ら――――。

 

「どう、し……て……ぇ?」

「アルダンさんんんん!!??」

 

 脚元が崩れ落ちた。痛みは無い。自分の脆弱性が主張し始めた訳ではない。

 ただ、力が抜けていく。

 根本を奪われた。特別な日々の中に、自分の傍に在り続けると無根拠に信じていた永劫が、囚われて、誘われて、奪われてしまった。

 

「わた、、し……ずっ、っっっっ、、と……あの、子を……見ま、もって……」

「……昔からの仲だって言ってましたもんね」

「それ……の、に……」

 

 ()()を確信した瞬間から、大切なナニカがあった分、ぽっかりと胸の中に穴が開いている。

 埋められるのは、埋めてくれる人は。

 

「ぅ、ば……れ……て」

 

 あの娘――――あの女――――あのおんな――――アノオンナ。

 

「うばわれ……た……!」

 

 膝を抱え込んで、悲しみを隠すために使われていた、幼くも無邪気な手を握ったのは私。

 両親とぶつかり合った彼を見つけて、手を繋いで一緒に寄り添いながら帰ったのは私。

 屈託の無い、警戒心を丸っきりゼロにして、彼が甘えてくれるのは私。

 趣味も、嗜好も、好みという好みは私を基準にしていて。

 彼の中心には私が居て、私の中心には彼がいるような、そんな、お互いを繋いで離さずに傍に居続けるような補い合う相手は私だけだったと、安心しきってしまって。

 

「……って、くれた、のに……」

「……?」

「――っこん、して、、くれるって……」

「へ?」

 

 脳裏に、色とりどりの美しい思い出がよみがえる――――

 

 ――幼少期――

『けっ、こん……なにそれ? ふんふん、ふむふむふむ……うん、よくわかんないけどおっけー! いってることはぜんぜんわかんないけど……アルダンがよろこんでくれるんでしょ? なら、おれ、アルダンとけっこんする! やくそくするよー!』

 ――少年期――

『は? 昔の話? ……えーっと…………うん、おぼえてるおぼえてる、ほんとほんと。……そ、そりゃもう! やくそくはばっちしおぼえてるんだぜ! …………や、約束??? 何の?????』

 ――青年期――

『あん? 約束だ? なんだそりゃ……いや、そりゃ当たり前だろ、ガキの頃の些細な約束だろ? 細かいところまで覚えてられないっての。…………ひぃっ…………ぅうそですおぼえてます! せんめいに! いちじいっく! だから頼むから泣くかないでアルダァン!! …………お、俺、一体どんな約束を…………』

 

 ――――やはり、どう思い返してみても、完全無欠に、二人は幸せで結ばれる約束をしていた。

 証拠も残っているのだ。大元はメジロ家本家の奥に、データ化した複製はメジロ家のセキュリティに守られて、今も音声データとしてスマホの中に肌身離さず持ち歩いている。舌ったらずな宣誓も、幼さの抜けきらないぶっきらぼうな声も、大人へと足を踏み入れ始めた声も、寝る前や寝起きに聞けば色々と捗る――――ああ、とにかく、約束は約束ですので。

 

「……けっこん、してくれるって、いってくれたのぃ……!」

「……えぇっ!?」

「ずっと、まえか ら……やくそく、してた、のに……うばわれ、ちゃったぁ……!」

「婚約者だったんですか!?」

 

 一度の決壊を機として、淀んでいたモノが雫となってまろみ出ていく。

 止めどころも分からず、ただ自覚なくチヨノオーさんへ迷惑を掛けて。

 

「――アルダン?」

「! この声は――なんてタイミング!?」

「ぇ……ぁ…………カイ、と…………カイトぉ……!」

 

 救いの声がする方へ、脇目も降らずに抱き着いた。

 

 

 自分は大丈夫、冷静だ。

 覚束ない足取りで近づいてきたアルダンが、ぐしゃぐしゃになっているその顔を、カイトへと強く押し付けくる。それを拒むことなく、安堵を与える仕草で、その華奢な背を柔く叩いた。

 感情の滂沱によって崩されていた、アルダンの身体のリズムは、カイトが背を叩く回数に合わせて、ゆっくりと落ち着きを取り戻し始めてくれた。

 

「なんすか、この状況」

 

 ぶっきらぼうな、言い捨てるような、吐き捨てるような、語意があった。

 

「えっと、アルダンさんを保健室に連れていく途中で、泣き出してしまって……」

「そうじゃなくて」

 

 自分は、大丈夫、冷静だ。

 ほろほろと流れる涙。物腰の柔らかい普段らしからず、周りの目を厭わず、透き通った美貌を痙攣させて泣きじゃくる。寒そうに震えて、凍えるように肩が大きく振れて。子供のように、迷子のように、置いて行かれた者として相応しい姿を廊下で晒している。

 鈍感クソボケと揶揄されるカイトですら見受けられるモノはある。隠し、取り繕う余裕がなくなれば、カイトにすら心情を手に取るように理解できる。

 怯えと恐れ、喪失と虚無、そして悲痛。

 己の中だけでここまでの絶望を産みだせはしない。そんな被害妄想が得意な娘ではないことは、きっと学園中で二番目に、カイトは良く知っている。であれば、その絶望は、他者から齎されたモノであると予想するのは簡単で。

 

「原因を、聞いてんすけど」

「カ、カイトくん……?」

 

 自分、は、大丈夫、冷静だ。

 サクラチヨノオーは、アルダンの良き友だ。話はよく聞くし、本人とも面識は多々ある。

 そんな彼女は心優しくて、悪意とは無縁の性格だ。カイトとしても尊敬に値する先輩の一人で、実際に彼女の事はかなり気に入っている部類であると自負している。昔の経験故か、善良へとホイホイ惹かれやすく、善良へと懐きやすいのがエイヴィヒカイト。

 普段なら、純粋な彼女を揶揄って遊びながら、笑顔でその場を別れることもできるだろう。

 普段なら。

 

「誰が、こうさせた」

「え」

 

 自分は。

 廊下に座り込む姿はまだ大丈夫だった。遠目だったし、混乱と不安が勝っていたからだ。

 でも、光を反射させた雫を、一粒でも見た瞬間からだった。

 (たが)の吹き飛ぶ音が、己の中では聞こえていた。

 

「アルダンを泣かせたのは、誰だ?」

 

 冷静ではいられない。

 

「その顔は知ってる顔ですか?」

「し、知ってると言うか……」

「どこの誰がですか?」

「誰って、えっと……えっと…………ひぅっ」

「ソイツはどこに行きましたか? まさかノチヨ先輩じゃありませんよね? ……? 何を黙りこくっているんですか? 質問に答えてくれませんか? おーい? 聞こえますか? 答えられないんですか? 答えるのは何か不都合があるんですか? せめてイエスかノーくらいは聞かせてはくれませんか? 聞こえますか? 先輩、聞こえますか? 聞こえますか? 聞こえますか? 聞こえますか? 聞こえますか? 先輩? 先輩? 先輩? 先輩聞こえてますか? 先輩は聞く気がありますか? 聞いてますか? 聞こえてませんか? ねえ、先輩、なんで――――――――なんで、何も言わない」

「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ」

 

 平静ではない。荒れ狂い、のたうち回った己を感じ取っている。

 そんな中でも、せめて表面上へ出力されるものくらいは荒げないように心掛けて、それでも表情と声色は、最低値を記録しかねない無機の平坦さが目立ってしまったかもしれない。

 ――未だすこしだけぐずっているメジロアルダン。淡々とサクラチヨノオーを問い詰めるエイヴィヒカイト。涙目で恐怖に震えるだけのサクラチヨノオー。

 遠目からの奇異の視線を欲しいままにする三人は、騒ぎを聞きつけたエアグルーヴが来るまで、そのままだった。

 

「落ち着けカイト! 目が据わり過ぎだ!!」

「落ち着け? 無理でしょ? 何でそんな難しいことを言うんですか? 何で犯人を探しに行ったらダメなんですか? 不都合でもあるんですか? 邪魔するんですか? どいてくれないんですか? ツケは払わないとダメですよね? 人に嫌な思いをさせるのはダメですよね? アルダンを泣かせるのは許しちゃダメですよね? 許せませんよね? 許せないでしょ? それ邪魔するんですか? 先輩は俺の邪魔をしたいんですか? 邪魔をするんですか? 邪魔をするんですか?」

「分かった! 分かったからその顔はやめろ!」

「うぅ……カイトくんが恐いよぉ……」




次回:ドキドキデート大作戦
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