それもこれもアルダンがウチのトレセンに来ないから……!!
『辛かったらいつでも来てくださいね』とか、『もちろん辛くなくても遊びに来てもらって構いません!』、などといった元気な笑顔に見送られて、ありがたく頂戴した小さな勇気と共に帰路へと進む。
家を飛び出す前に震えて冷え切った体は、彼女の暖かさにほぐされ尽くしていたのか、一歩進むごと気力が充足感に満たされるように感じていられる。勇気を分けてもらったとは、正しくこのことに違いない。
「……でも、やっぱり」
溌剌として凛々と歩きだそうにも、一瞥の気怠さが必ず自分のどこかしらを支配し続ける。細かく言うなら足取りが妙に重い。大まかに疲れた部位を指定するなら、下半身が不可思議に疲れた。汗を流したようにべたつく肌も、訝しむ要素の一つとして役を買っている。
申し訳ないながらも借りたベッドの寝心地は悪くなかったはずで、だってのに間違っても仮眠してスッキリしましたと言えるような気分ではない。
思い当たる節は無いが、似たような疲労感に心当たりはある。女とも致した経験だって夫婦であるのなら、かなりの回数はある。この疲れはソレとあまりに酷似していた。
寝起きの頭らしく、フワフワとした頓珍漢な考えへと行き着きかける、が。
「……バカかよ俺は」
相手は年下等の問題以前に教え子だ。今の自分が教授する側として相応しいなどと思ったりはしないが、あの少女と再会してから湧き上がってきたのは、教える側の大人として最後に残された矜持。昔のように先生と呼んでくれるのなら、自分はただそう在りたいのだ。
可能性が有る無しの話にはすらならない。可能性を探ったり、一分でも考えること自体が間違いでしかない。実にくだらない思考を繰り広げたものだ。
「……っ」
目的の、見慣れ尽くした住所地へ、とうとう到着してしまった。
見慣れた階段を上った。踏み出すほどに、心臓が焦りの鼓動を鳴らす。
少しづつ、これまた見慣れた廊下が視界へと入ってきた。その奥の扉が、手招きしているような幻視を振り払った。
アパートの一室の前へと辿り着く。決意はまだ良い。しかし立ち向かうような姿勢なんかは捨てろ。
非は、どう視点を変えたところで男にしかない。帰る場所も、謝る相手も、とかく自分がすべき事柄の全ては、此処でしか成せないのだから。
――辛かったらいつでも来てくださいね。
「…………よしっ」
逃げ場は、此処じゃない。
もちろん頼るつもりなんて毛頭ない――ハズだ――から、その優しい提案は無駄なものと化してしまうのだろう――本当に?――。遊びに行くにしても少女の家で、なんてことも今後はないと言い切れる――のか?――から。励ましてくれたお礼として、ご飯くらいはご馳走してあげたいものだが。
「……」
安っぽい呼び鈴を一回。ゆっくりと、深呼吸とともに押し切った。薄めに作られた玄関は、急いだような足音を部屋の中から素通りして伝えてくれる。
此の場所は幸福と疑いのない未来で満ちていた――――今となっては、息苦しい一室。
自業が招いたのは、酷く捻じくれて曲がった倒錯と不安の未来。果てのない霞のような闇色。
――――でも、きっと大丈夫だ。
「――――っ……おかえりっ、なさい……っっ」
「……………………ああ、ただ――……もどったぞ」
どんな結果になろうと、どう果てが転んでも。
男の逃げ場は――――――――
場所は我らが生徒たちが一堂へ介せるだけの大きさを持った体育館。その入り口にて、形だけの受付をこなしていた。
席は先着順で、一方通行の注意事項だけを娯楽に飢えた愚獣共へ伝えるだけの簡単なお仕事。よくもまあ、こんな出来の映像を楽しめたものだクソッタレ。
現在は一度目の上映会が終わり、帰りの誘導をしている最中であった。
『うわああああああん!!』『お母さん、怖いよ、、なんっ、で、あんな……!?』『そんな……「どうあがいてもハッピーエンド」がキャッチコピーだったじゃないの!?!?』『うわぁ……これは酷い』
阿鼻叫喚。控えめに言えば煉獄。少しだけ大げさに称すれば地獄。
あるいは天の獄とは、これらと何ら変わりないのかもしれない。
「……ハハッ……」
「目が死んでるよー」
ふざけているだろうがこんなのは。カイトだって自分なりに、この催しをより良いものへ仕立てようと努力はしたのだ。したのだった。
それがこのザマである。子供が泣き出すレベルとは思わんかったが、そういやあのラストシーンでは泣き出すのもやむなしだ。ちょっと落ち着いて考えればわかるのだ。あれは泣く。ガキンチョが泣くのが約束されたような結末に、なぜもっと早く自分は気づかなかったのだ。
「うるせぇ……テメェも主演やりゃ分かるさ」
「ぷふっ」
ぶちんときたぜ。かちんじゃないぜ。ぷちんでもないぜ。
「〇ね」
「据わった目で言わないでね。お客さん逃げちゃうからね」
「あーあ、想像するだけで隣の生き物が粉微塵にならないかなー」
「カイトってボクには毒強いよねー」
「成長期が行方知れずのガキは黙ってろ。大人しくはちみーでも啜ってな」
「それを言ったら戦争でしょ……!?」
怒涛の悪口に慄くテイオーを横目に、カイトの目の前で立ち止まる女生徒――学園の生徒へと意識を若干向ける。先輩で見た顔ではなく年上とも言える顔つきではない。同級生でもなく、そも同級生の大体と知り合いであるカイトが見たことのない顔。
つまりコレは後輩だ。それもダイヤの世代近くと見た。
用件は――差し出された手を見れば分からいでか。本日何十回目だこれは。
「ぁ、の……握手をお願いしてもいいですか……っ!」
「はいどうぞ」
「っっ、……ぅあ……っありがとうございます!!」
「……らしくないことしちゃってさ」
しかたないのだ。本当はガン無視を決め込みたい。おとといきやがれバーロー、と言い放って呆然と虚無感を処理していたい。けれど映画で演じただけのゴミカスヒモゲス野郎と同じ性格でした、などと思わせる訳にもいかないので、快くを装い、親が整わせてくれた良き美形の一番映える笑顔でしっかりとファンサしてみる。
面倒だからと拒否したりすれば、もっと面倒へと発展するのだ。それをカイトは
厄介にフザケタ流れを生み出した元凶を呪いながら、外向けのスマイルで、純朴染みた垢抜けない雰囲気の少女と握手を続ける。
「ぁ、ぁあぁっっ! すごい……あの魔王と……わ、わたし……!!」
「あはは」
――――――――ふふふ…………。
「は、あはははははー…………あ(、いたたたたた、胃がいたた)」
手を握って二秒ほどで、特大の視線が突き刺さること抉り込むこと、実に何十回目だったか。そちらの方角だけは何を犠牲にしてでも向けないが、きっと儚くも手折れんとする雰囲気を漂わせて、豊かに上品にほほ笑む御方なのだろう。今にも綺麗な笑い声が聞こえてきそうですな。
さて、特別指定席に座ってらっしゃるのが果たして誰なのか、次元を隔てたみんなも考えてみよう。
「ハイハイお嬢さん、一回十秒までだからねー」
「ああっ、もう少し……!」
「ハイハイハイハイ、他のお客さんもいるからねー」
「お前が手慣れてるのはなんなの」
剝がし屋バイトを経験済みなのかしら。でもたぶんこいつはきっと剥がされる側だと思うのである。会長から剥がされるか、自分が握手する際に剥がしてもらう側。
「かなりの人数いそうだし、握手用の列でも作っちゃおうか」
「ご冗談を……え? マジで言ってるんです?」
こんなことなら裏方に徹していればよかった。ゴールドシップが受付を強く押し付けてきたのも、なるほど客寄せウマとしての広告塔もやらせようとしていたのだ。
おのれゴールドシップ許さんのである。具体的には、この一件の責を左へ受け流してくれる。そうしてカイトの罪が禊がれることに期待しよう。
心をただ無にして、列を捌いていくカイトだった。
「ごめんなさい」
深々と、いっそ潔いくらいに誠意を込めれば、その姿勢は美しい形へ勝手になるのだ。
だから自分は、ただ心のままに謝ればいい。
勘違いしてはならない。許されるか許されないかの選択は、元々からして自分の手には委ねられていないと常に覚え続けろ。
「…………ねぇ、アナタ」
「……」
「謝ってくれて、ありがとう」
一瞬だけ?で埋め尽くされかけたが、すぐさま思考を止めるような怠惰は投げ捨てる。
女の話は全てを聞く。女の意図は全てを汲み取る。そう決意したばかりではないか。
「あの時に私が何を言いたかったのか、アナタには分からなかったのでしょう?」
「……」
「けど理解しようとはしてくれた……。だから悩んで、でも理解が及ばなくて、そして私から逃げっ、…………違う?」
「――ぇ、あ、やっ」
「ふふっ……昔から何も変わらず、分かりやすいのね」
何と言うべきか、言葉を失わされる衝撃だ。物の見事に当ててくるのは、自分以上に男を知っている証拠に他ならない。それだけ自分を見てくれていたという、何よりの証でもあったのだ。
本当に、何故そこまで想ってもらえるのだろうか。夢破れた半端者な男にとっての女は、適した等身大の相手ではない。身に余すぎている。それだけ自分が上等な存在だと勘違うには、愚者の様相も煮詰まっている。
何度考えても、結局はこの結論に行き着くのだ。
何故。如何して。こんなにも想いを寄せてくれる意味が、理解も納得もできない。
「だって、私のことを考えてくれていたってことでしょう?」
「……そう、なのかな」
そりゃ女との件で頭が一杯だったが、彼女が言うような幸せ色とは少し違う気もする。
その違いを埋めようとすらしない違和感を、男は敢えて無視した。
だって、その差異には意味がない。
尽くすと決めたのなら、滅私のままである必要がある。鈍感になって、盲目にでもならなければ、一度でも恐れを抱いた存在とは向き合えない。
「アナタの人生を、私のためだけに使ってくれたってこと」
「……」
「私は、アナタの心に置いて貰えるのが何よりも幸せなの」
度が過ぎた感情は重い。けど、そうさせたのは。
壊したのが誰かと考えれば、すぐにでも重みを忘れるような努力が内で始まった。
「私のことで思い悩んでくれたことがとっても嬉しいの……だからね」
人一人の謳歌を台無しにした報いとして、贖いきれない不始末の責を、どうやってでも拭ってみせる。必ずや、この女にとっての幸せへと導く。
そう誓った。
誓ったのに、目の前の女は不安を言って宣おうとして。
「私のことをいつまでも覚えていてくれるなら、アナタの望むようにしてあげたいの」
「――う」
自分の望みなんて持てるはずがない。そのような高尚な道標を、掲げられるほどに真っ当に生きるには、今更という枷で縛られて仕方ない。
女はあの時、自分から離れられないと叫んだ。なら、逆もまた然り――――嗚呼、そうか。
「本当は、離れたくはない……でも、それでも、アナタが望むように生きられないのは、私には、何よりも…………っ!」
「――違う」
――――少女は、コレを支配と言った。
あの時は咄嗟に否定したが、二の句を告げられなかったのは、つまり。
本当は、その事実を認め難かっただけなのかもしれない。
「だからっ!」
「違う」
男は、カイトは。
ずっと昔、幼い頃から。
「お前の幸せを、ずっと見てたかったんだ」
女に、アルダンに支配されていたのだ。
どんなに恐れても、近寄りがたい存在と認識しても、一時は離れようと努力をしても。
絶対に離れることはない。だって、そうなってしまっていた。
負の感情だらけの思考の中でも、いつだって女の幸せを思い浮かべて、実現させるための道を手繰って、逃げようとしても結局はこうしてここにいる。
「思い出せたんだ! だから俺は、そうしたいって……!!」
「……ええ、だからアナタの望むように……」
「望みなんていらない」
滑稽だと、どこかで嘲笑う自分を見なかったことにした。
「お前の幸せのためだけに生きる」
贖罪にすらなるかもわからない。それでも。
「もう一度っ、……もう一度だけ、お前の幸せのためだけに、一緒に居させてください」
命を賭して、人生を投げ打って、果たすべきこと。
「――――ほん、とうに……?」
これが演技なら、男は何もかもをも信じられなくなる。それほどまでに懸命で、期待に満ちた声と瞳。
「ほんとうに、一緒に、いてくれる、の……?」
「お前が望んでくれる限り、ずっと傍に居させてくれ」
「もう、わた、、私は、置いて行かれない……?」
「……もう二度としない。誓うよ」
未来はわからずとも、この誓いは絶対だ。
「私を、捨てない?」
「約束する」
元より捨てる気など――違う。非は百の割合を超えて自分にある。言い訳がましい思考こそ、真っ先に捨てよう。
「……私たちは、ちゃんとやり直せるかしら?」
「必ず」
「!! ……ならこれで仲直りね」
柔らかく笑った。
今よりも前に見慣れて、男が好きだったその表情。これだけでも、決意を実行した甲斐があったのだと信じられる。
「お前の方こそ、俺を許してくれるのか……?」
「許すも何も……飛び出て行っちゃった時は、その……少しだけ怖かった、けれど……っ、でもねっ、これっぽっちも怒ってはいなかったのよ」
向き合えてよかった。後悔なんてなかった。
でも覚悟なんて、できていなかった。
「ねぇ……だから、仲直りの印に教えて?」
――――何処の誰が、アナタを唆したの?
「…………は?」
「アナタが自分からこんなことをするとは思えないの。私を大切に想ってくれていたアナタなら、外からのキッカケが無いと考えもしなかったんじゃない?」
「――――何、――を」
切っ掛けは、そうだ。何が引き金になったのかと言えば、とある少女との再会以外に考えが及ばない。しかし。
けれどそれが唆されたなどと、まるで少女の優しさが打算だったかのような表現には頷けない。
確かな恩人、なのだから。
「だから教えて――私たちの間を引き裂こうとした、
「そ、れ――は」
引き裂こうとして出てきた言葉ではない。あの少女は、そんなことなど少し足りとて考えにはなかったはずだ。
単に男の一助になってくれようとしてくれただけで、他の意図などありはしない。
「いない」
「――――」
「そんな奴は、いない」
「――……そう、なの」
謀り事など何の意味がある。自分のような矮小を騙くらかして、メリットなどはどこにも存在しない。
「ええ、そうよね。アナタが言うならそうなのね―――――
―――――変な事を聞いてごめんなさい。……お腹はどう? そう、ならご飯にしましょうか』
「…………」
よほど密着していたのだろう。耳元で囁かれるような気色悪さが、イヤホンから感じ取れる。
『ねぇアナタ』
『……どうした』
『私たち二人で、幸せになりましょうね』
『……ああ』
「…………」ギリリッッ
腸が煮えくり返る思いだ。こんな思いをするならと考えを改めそうになるが、彼の私生活を知れるのは何よりのメリットだ。
せめて生活リズムを、家を出るような時間帯さえ知れれば、今まで見たく手探りで探し当てることもなくなる。
――本当に、以前付けたマイクの充電が切れるであろう頃合いに再び巡り合えたのなら、運命でさえ感じられる。
「私の存在に気づいてるけど、特定にはまだ早い……それも時間の問題…………でも」
彼の心には、間違いなく自分が在る。
「先生は――私の名前を出さなかった」
自分の妻へと明かさないよう隠すほどには、彼の中心位置に在れている。
「……っはぁ……先生…………優しい人」
だから慕っているのだ。誰よりも、何よりも、永久を誓えるくらい存在丸ごと大好きだ。
「好きです…………愛してます……ずっと、あの時からずっとずっと、好きです」
頭を撫でてくれたあの日を、いつの夜も思い出す。髪を乱暴にでも優しく触れてくれた大きな指が、思い返すほどにほどけた笑顔を抑えきれなくなる。
「……好き……好き好き好き好きっ! …………あぅぅ……愛おしいよぉ…………」
少女は恩師を欲している。
奪ってでも、底から欲しい。
そのためには、男を支配から解き放って――――憎しむ女を不幸にする。
「やあ、無事に盛況なようでなによりだ」
「カイチョ―!? 来てくれたんだ!!」
「……会長さん暇なの?」
「どうだろう。少なくとも君が考えるよりは、時間が空くこともあるさ」
なるほどなるほど。いささかの世間話をしてみれば、何でもエアグルーヴが会長どのの休息の時間を作ろうと、荒々しく奮闘してくれた結果なのだとか。余計なことしやがってあの優しすぎるウマ娘がよ。だから一見恐れられそうな雰囲気なのに、生徒たちからの人気がグングン上がって止まることを知らないんだぞ。良く出来た女性ですよね、ホントに。
「彼女も見たがっていたよ」
「ゴルシ監修だからでしょ?」
「……それもあるかな」
問題児の釘たらんとするのが女帝殿。在り方は小うるさい風紀委員長と変わらんのだ。なんならこの学園の風紀委員や学級委員長よりも、その立ち位置を我が物としている説もある。
「もっと前で観ていってよ!!」
「そうしたいのは山々だが、この祭りを運営する側だからね。顧客の反応も見える一番後ろがいい」
「えー!?」
「こっちの方が気兼ねなく楽しませてもらえるんだ。期待しているよ」
そう言われれば、不満そうに口を尖らせた表情から一転、次の放映の準備へ意気揚々と向かったテイオー。ああも張り切って大丈夫かしらと不安にもなるが、一番厄介かつ面倒で溢れる工程は、既に終わって我々の手を離れているのだ。後はプロジェクターで流すだけ。うん、大丈夫大丈夫、不特定大多数に見られるけど、きっと、たぶん、だいじょうぶなんじゃないかな。
どうにでもなれと天を仰ぐ様子を隠すことはない。隠せるほどに余裕はない。これから始まる個人的惨劇リターンズを思えば心臓が痛くて辛い。この痛みをもう一回受けるとか、新手の拷問ショーなのである。
そんな心情を読み取れてしまう皇帝殿が、慮るように話しかけてきた。
「……平気なのか?」
「どっちがです」
「どっちが? ……もちろん君の話だが」
平気か? だってさ。実に笑える。だってそんな話には、即答で返せる自信だけがこの胸に木霊を続けて破裂しそう。
「兵器です」
「……そうか。昔ならいざ知らず、今の君が平気と言うならそうなのだろう」
「ええ、兵器ですから」
パァフェクトコミュニケィション。ガタガタの歯車でも嚙み合ったと確信できたなら、この警告だって伝わっているハズさ。
ゴルシ曰く――というか演じた本人であるカイト曰く、ベッドシーンは無い。
撮った覚えも演じた覚えもない。完成させられた暗黒映像を自分も確認したが、意味不明な技術力で偽りを流されてもいない。後押しの情報として、この作品は推奨年齢が十五となってしまっているが問題もないらしい。だって対象ではなく推奨だもの。あくまでお勧めしているだけだもの。
例えば教育に悪いだとか、我が家の愛娘とどんな映画を撮っているのだとか言われたとして、ンなものは見る人々の自己責任でもあるので、だから、きっと、たぶん、だいじょうぶなんじゃないかな。
「上映回数は三回だったかな」
「ええ、まあ、さっき一回目が終わったところなんで、そろそろ二回目ですけど」
「ではちょうどよかった」
「あー……あの人には来ないように言っといた方が……」
多分怒られる。主にゴールドシップが。
「無理だ」
「即答ぅ……」
「何分とても楽しみにしていてね。仕事中にも口を開けば今日のことばかりだ」
「……」
どうしよう、ますます見せたくなくなった。目を掛けてくれている自覚があるからこそ、尚更々にお披露目することへの忌避感は昂りを止められない。
この作品はいっそネガティブキャンペーンだ。見知らない有象無象はどうでもいいが、知り合いからすれば、あの男の役が誰をモデルにしているのかなんぞ、すぐさま分かってしまえるクオリティなのだ。
「嫌だぁ……見ないでくれぇ……」
「そう恥ずかしがることもないだろう。懸命に取り組んでいた事は風の噂で聞き及んでいる。笑顔ならともかく、嘲ることなどあり得ようも無いさ」
「だから嫌なんだ……」
「これも君の人脈という事だ」
優雅に笑いやがった会長は、これまた優雅な足取りで受付テーブルから離れていく。
誰一人として止める事はできない。知り合い全てに声を掛けても、返って面白げな様子全開で、観賞の意識をより高めてしまう逆効果付き。エイヴィヒカイトの友達って、なんでみんなああも非道いんです?
「ああ……今からでも会長の気を遣った顔が思い浮かんでしまうぅ……」
ああそうか、これが恋なのか。
至極どうでもいい与太を脳内で張り巡らせる。これぐらいでしか、苦悩を誤魔化す術が無い、無力なウマだった。
「出掛けるのか?」
「ええ、ちょっとだけ」
「買い物か? なら俺が」
「――虫が居ただけだから」
「む、虫……?」
「小さくて、目障りで、そのくせ何も成せない惨めな虫」
「…………あ、ああ、なんというか、それは厄介な虫だな」
「ええ、本当に――――邪魔な
「先生まだかなぁー……」
――――インターホンが鳴り響く。
「っ! 来たぁ!!」
――――カメラも見ずに、玄関で誰かも聞かずに、高揚のままに無警戒に扉を開ける。
「先せっ」
――――少しの衝撃が、少女の腹を叩く。
「初めまして、こんにちは」
――――赤く染まった手元に目が奪われて、女の笑顔は目に入らなかった。
「……ぇ、へ……ぇ?? ぁ、?」
「あの人がお世話になりました。貴女のお陰で元の性格に戻れてきています」
「あ、ぁああぁ……!? 赤、ぁか、ぃ、、ち?」
「――でもあの人に近づき過ぎた」
――――腹から伸びる異物を、強く捻られる。
「いい夢は見れた? あの人と一緒になれるなんて、夢物語を現実にできそうだった?」
「へぅあ、やっ、だぁ、、熱っ、。、いたい、いたいいたっ、いいたいいたい!!!???」
「でもね、やっぱり夢は眠ってから見ないとでしょう?」
「――――――――ぁ」
「おやすみなさい――――貴女はもう、いらないの」
――――引き抜かれた異物が、胸を鋭く打った。
「ハハッ、こりゃ酷い」
起承転結の転に当たる部分。ここからクライマックスまで転げ落ちていくのだが、それを見やる者たちの空気が死にきっている。あ、また子供が泣いている。かわいそうにね。
これでR指定が入らないのは何なの。テロップで『※この赤色は絵の具です※』とか『※たまたま少女の持っていた絵の具がたまたまぶちまけられただけです※』とか流れてるのがこれまたシュール。つーかその程度で誤魔化せると思ってんなよ。頭いいハズなのにどこか抜けてるゴールドシップだ。もしくは敢えてその方が面白そうだから、わざと抜けているように振る舞っている可能性。
「あーあ、ダイヤ(役の名前)がアルダン(役の名前)ヤラレてら。ハハッ。ウケる」
ウケない。全然笑えない。モデルが身近過ぎて、カイトが謎に責任を感じる。何でですかふざけんな。
魚のように生気を失った目で、スクリーンを睨みつける。
とりあえずスピカのメンツ全員に、寿司とステーキと焼肉を奢らせよう。それですら溜飲は下がらないと確信できるのは、本当に悲しいね。
「裏切ったから」
ドズッ。
これで、五回目の音。
「裏切ったから」
ドズュッ。
六回目の音。
「裏切って裏切って、裏切ってっっ」
ドズッ。ドズッ。ドヂュッ。
七回目の音。八回目の音。九回目の音。
「裏切って、裏切って、裏切って、裏切ってっ、裏切ってっっ裏切って裏切って、裏切ってッッッ!!!!!!」
ドヂュッ。ジュグッ。グチッ。グチャッ。ベチャッ。バチャッ。バシャッ。ピチャッ。
十回目の音を超えて、刃先が床を傷つけ始めた。
赤い空洞は酷い出来栄えで、幼子の癇癪に任せて掘った穴のように、でこぼこで滅多に空けられた赤い穴。
それでもまだ、振り下ろす動作は止まらない。
「裏切ってっ、裏切ってっっ! 私をっ、裏切った!!!!」
鈍くて柔らかな感触はもう感じない。脈打っていた鼓動へ突き立てる感触は、二度と感じ取れない。硬くて張りのある中心はズタズタに引き裂かれ、四方へと散らされて、衝動のままに振るわれるモノは、白くてかたい棒と、赤くて温い水たまりの床を叩いて終わる。
けれども構わずに叩き続ける。彼の生活をよりよくするために使われていた包丁は、見事に彼をその真逆へと導いた。
「私は全部を許してきたのにっ! アナタだけを想って、生きてきたのに!!!!」
物言わぬ彼の体が噴水のように飾られていたのはつい先ほどまでの話。
今はもう、言い訳も謝罪も、愛を囁かせることも、絶対にできない。
路傍に吐いて捨てれる程度の価値も失せた、腐るのを待つだけの死肉。
「ずっと好きだったの! ずっと愛しているのよ!! 今も、昔からも、これからも、いつまでも愛しているの!!! それなのに私をっ、また……!!!!」
その肉体が――生きていようが、死していようが、女にはもはや関係ない。
誰にも手の届かない場所へと追い立てた。逃げようとしていた逃げ場所は、その部屋の主ごと物言えぬ駄肉にしてやった。それなのに、彼を癒せるのも繋いでおけるのも依存の先で在れるのも帰る場所なのも、全部が女の手元であればこそ。なのに。なのに。なのになのに、なのに。
「 う ら ぎ っ た か ら ! ! 」
自分のものなのだと証明するため、更なる傷を喉と
反応はない。生き物が持ちうる痛みに対する反射なんてある訳ない。女の起こした行動一つ一つに瞠目することなんて、起こりえる訳がない。
死者が、生者へ語りかけはしない。
「…………私を、忘れようとしたから」
男の赤色の塗りたくられた刃を、己の首元へと食い込ませて、とうとう男の色彩を女の内側へと溶かした。溶かして、すぐに噴き出る。
咽返る鉄臭のど真ん中にいようと、それを男が遺したと思えば居心地良いだけ。
冷たい体にさえ、熱が灯ったかと勘違いする。
「私を忘れて、他の女へ逃げようとするから」
でも、これからはそんな悲劇は起こらない。
ずっと一緒だと約束してくれた。二度と離れないと誓ってくれた。
ああそうだ、彼がその場限りの嘘など吐くわけがない。吐けば今度こそ女はどうにかなって、男の心臓を引きずり出してしまうかもしれない。だから――――――――?
「――――アナタ?」
――――――――。
「……ふふっ、ええ、そうね」
力ない様子のまま寝転んで、警戒心もなく女を受け入れる男。まるで死んだように眠る姿が、なんだか女は愛らしくて、
ぷつりと音がしてから、女には直近までの記憶が曖昧と混濁していく。自分がなぜ包丁なんかを持っていたのか、男の胸元には何故黒い絵の具をぶちまけられたのか。鼻は利かず、男の匂いを感じない。口内は急激に乾いてきて、のどが無性に乾いてくる。色も何も見えなくなってきて、もはや赤色も黒色も見分けなど。
じゃあ、もう眠ろう。
「ずっ…………、と、いっ……し……ょ」
――――――――。
「……おやすみ、なさい、アナ……た」
数分前から風が当たるように涼しげな首元を摩れば、自分も何だか眠気に襲われてきた。深い眠りの予感がする。一度堕ちていけば、決して戻ってこられないと確信できる底の予感。
でも不安はない。恐怖もない。絶望なんてもっとない。
他ならぬ男と共に眠れるのなら、逝けるのなら、何をおそれることがある。
冷たく暗い海の底。
「優柔不断で甲斐性なし。おまけに教え子と不倫まで」
「も、元教え子だし」
「それが、なにか、?」
「いえいえいえいえ」
感想なのだと信じたい。
帰り道での雑談のようなものだ。茜色の空は一日を締めさせる気分へ切り替えさせようと促して、帰路の歩みを後押しする。
仏頂面は現在進行形で見当たらない。徹頭徹尾、苦かろうが威嚇の意を含んでいようが、二人共に笑顔だけがそこにはある。
上書きを繰り返すように、カイトの手を握っては開いてを繰り返す様子が辛うじて微笑ましい部分。塗りつけるように、手相と手相を擦り合わせてきて、手の皺が消えるかと思うくらいに執拗だ。
「……」
「自己肯定も低くて、独りでは生活能力にも乏しい。救いようがないくらいダメな人」
「……」
微笑みに混ざる暗めの気配が、一瞥の不安を煽って仕方ない。家に帰れば鎖で繋がれるだなんて、ワンチャンスあるかもどころの話ではないのだ。
ちなみにアルダンが申しているのは、間違ってもカイトのことではない。決して、遠回しにエイヴィヒカイトへ不満をぶつけている訳とは違う。そう信じたい。信じる生こそメッセージ。
ところで自分自身の胸へ問いて、身に覚えがあるかどうか考えろ、などともしも言われたなら、うん。発言を控えることをいの一番に思いつくだろう。
「そのくせ色んな人を誑かして、引き寄せておいて……釣った魚にご飯をあげないよな非情を実行できてしまう」
「……」
「自覚も無しに周りを振り回して、挙句の果てに悲惨な末路になる行動すらも無自覚で引き起こす。考え無しのヒモ男」
「その辺にしてください……」
「もちろん今回はカイトを指して言っているわけじゃありませんよ? ……ああ、まさか思い当たる節があるなんて、ね?」
「…………」
笑顔だけがそこにある。だからこそカイトは内心でのたうつ冷え切った怯えに襲われているのだ。
何も言えずに言わせてももらえず。この国での発言権は、いつぞやからやたらと値が張るようになっちまったんだ。狂おしいくらいの笑顔がとっても苦しくて、苦笑いが保てないくらいの重圧が背骨を軋ませているような。
「でもあのラストは、悪くなかった」
「……ちっちな、ちなみっに、どの辺がでしたでしょうかかか」
ゴールドシップ観のハッピーエンド(邪悪)を謳っただけの事はある。衝撃的な赤色してたけど。みんなくたばっておしまいとは、確かに綺麗に締まったような気がしなくもない。ドロッドロに赤かったけど。欠片が水分になるくらいに入念なラストだったけど。
妙に他人事ではない気がするのは、演じたからだ。それだけなのだと信じたい未来です。
「邪魔モノをこの手で消せたこと」
「……」
『この手』だってさ。多分言い間違いとか言葉の綾だ。そんな経験がない事は知っているし、そんな予定もない、ハズです。
「それと、愛する人を誰の手も届かない場所へ、この手で連れて行けたこと」
「…………」
「ああいった形で自分だけのモノに出来たのなら、それも一つの幸福なのでしょうね」
「………………」
寒いなぁ。寒くて汗が止まらないよ。汗が止まらなくて冷えて寒いよ。
発言の悉くがカイトの内心を脅かすナイフで溢れている。そんな気はないと信じるが、信じたいが、信じてもいいんですか?
「カイトは、あんなことにはしないでしょう?」
「もちろん」
「ふふっ、そうよね」
「そうですそうです。そうだともそうだと」
「――――グラスワンダー」
「も」
アルダンさんの目線がギュルリとドリフトして、血走り掛けた眼球も綺麗だなとか、呑気な感想が浮かびました(逃避)。
「や、あの、その、ですね」
「ドーベル」
「…………えっと……ね」
「エイシンフラッシュ」
「……ん……? ……フラッシュさんがどうし……「――――うふふ」……コヒュッ」
アカン。呼吸ってこんなにも困難だったか。難解かつ繊細な機能を、生き物は本能で行えるのだからすっごいなぁ。
全く心当たりの無い名前も、彼女からすれば許されざるらしい。悲しいね。
「、機嫌、悪い?」
「良好に見えますか?」
「全然」
流石にそこまでクソボケではない。これでも日々改善の余地ありとして、女心を学ぼうとダイヤからの指南を受ける日々なのだ。女の子が何をしてくれたら嬉しいのか、どんなサインで何を望むのかを、徐々に学んでいるはずなのだ。
今のところ目に見える成果は、ダイヤとの意思疎通が容易になったくらいしか数えられない。一体どうして。
「私を……このまま放っておくの?」
「何をすればいいのか分からん」
「……この鈍感。おバカ。おたんこなす」
「言い過ぎだぞ」
さて、どうしたものか。
スペなら食い物、スズカなら全力の並走(代理人可)などなど、この手の事態の収め方としては、代償行為が鉄板だろう。
ただアルダン相手となれば、果たして何で満足させようかと悩む。
彼女の嗜好なんざ知っている。が、それが故に、好物程度で程々に満足させるのは、カイト自身がイヤなのだ。心の底からお腹いっぱいと言えるくらい、満たさなければ。
「……なにすりゃいい」
「今後外に出ないで家にずっと居てくれたら許せるかしら」
「?? ……!?」
danger‼︎ 鎖と錠の気配が漂ってきました!
点滴だけで暮らす毎日はイヤだ。ベッドに繋がれて終わる半生なんてイヤだ。肉体の行動権を永久に剥奪されるのは絶対イヤだ。その懇願と愕然をぶつければあら不思議、マジの目でした。嗚呼、終わった。エイヴィヒカイト、完ッッッッ。
「と言うのは一割冗談ですよ」
「そっっっっ……か、一割冗談ね。あー、よかったよかった……」
「――ふふ」
「……ん? ……んん?????」
だとすれば九割――――――――やめよう、この話だけはやめておけと天から親父が叫んでた気がする。サンキューオトン。
「…………一つ、やってみたいことがあるの」
「それで機嫌治るなら」
「……カイトは、私と同じ血液型でしたよね?」
「? だったと思うけど」
ここまで。ここまでの時点で妖しく、謎に恥ずかしそうに言い淀んでいた。
「なら、少しくらい、なら…………入れ替えて――――」
理解する前に、反射でここから先を記憶しないように防衛本能は働いたらしい。覚えない方がいいってよっぽど事だと思うが、未来のカイトには知れるわけもない。
気が付けば次の日の昼で、左腕の手首には、謎のガーゼが貼ってあった。小さな注射痕に違和感も抱くが、ご機嫌マックスなアルダンを見れば、それもやがてどうでも良くなる単純バカである。
かくしてファン感謝祭はいつの間にか終わりを告げていた。
平和な日は、今日も今日とて続いていく。
――……なに、それ。
――これ? これはね……ふふっ、うふふふっ♪
それからたまの機会に、医療用の注射器を手入れする姿を見つけたり、もしくは見なかったことにしたり。
なんてこった。すごく平和な日々であった。
バカ:主演俳優。これでトップスタァだぜ、とはならん。変な趣味を持ち始めた伴侶(予定)に、やっぱり恐れを抱く。何故かバカだけが怒られまくった。
ダイヤ:女優。脚本が知らない惨劇へすり替えられていたことに憤慨するが、それはそれとして楽しかったのでヨシ! 人生のエンジョイの仕方レベルがダンチ。
エアグル:三度目の放映中、後半あたりで中止させた。主犯陣営には逃げ仰せられて、仕方なくバカを大説教した。
ゴルシ:主犯。こうなったら面白いよなーと考えながら作った脚本。でも所々に(目白っぽい)名家のお嬢様からの圧を受けて、逐一の変更点は多い。これで拗れたらオモロいかもなーと考えてもいた。自分への被害は回避できる厄介系なトリックスター。
アルダン:マックイーンを言い包めて、スズカに快く譲ってもらって、急遽主演女優へキャスティング。映画とは思えない熱々な様子に、見てるだけで恥ずかしくなる者多発。演じているとは思えない感情の吐露の仕方に、感情移入しかける者多数。まるで本気でヤル気があるかのようなラストに、ドン引きする者いっぱい。
最近では、ちょっとだけ人には言えない前衛的な趣味が増えた。