後半がずっと先
そんな地雷
【疑惑その一:こってりとした仲】
ラーメンとは良いモノだ。
飢えを主張する腹へと運ばれる最初の一口は、熱々な醤油ベースの海。これが人の好みによっては塩や豚骨等の違いに分かれるが、丼と向き合うために端を発する一口目とは、大体が油の海辺のスープを掬うのか、底にて眠る麺を掬い上げるかの二択になるだろう。ちなみにカイトは断然前者。後者も勿論ながらアリであるからして。
口内へ押し寄せる、暴力的なカロリーの津波。殺人的とも目される熱量に、舌は火傷を余儀なく負う羽目になるも、豊潤弩級で濃厚な香りを受け取れるのなら、この代償はどこまでも安いものだ。
舌の上にて転がせば、ちょうど良い温度となり、喉を通れば、通り道にはその跡をギトギトと残していく。
そうして胃へと行きついたことを体感して、我々はようやく一息つけるのだ。
「……幸せだね」
「ええ……これ以上ない栄養素だぁ……」
「オアシスを見つけた旅人みたいな顔してるよ」
「そりゃあもう、やっぱりこの脂こそが一番体に良いのかもしれない……」
恍惚の感情が手放せない。数々の幸せを甘受する暮らしへとなっていたカイトだが、だがこのコッテリマシマシな、脂チックの幸せ色がどうしてもカイトの魂を掴んでは離さないのだ。数えるに十数年前か、大安売りの叩き売りな価格にもほどがある、ケミカル味満天なカップラーメンを喰らってしまった瞬間から、エイヴィヒカイトは魂を売ったも同然なのだ。
醤油、塩、豚骨、煮干し、店の数だけある特色の香りに魅了されているのだ。
「とんでもないくらいの笑顔だ。……キミのそんな顔は初めて見たなぁ」
「とあるモノ好きが住み着いて以来、この手の極限ジャンクはいい顔されなかったものですから」
「そっかそっか! 久しぶりに誘った甲斐があったよ~」
ゴテゴテのスープを吸ったキャベツを貪っては、至福の池に漬かりきったもやしとともに麺を咀嚼する。ああ、なんてことだ、これはうまい。実に旨すぎる。殺人的であり、犯罪的な美味。否、美味などと上品な言霊は相応ではないだろう。うまい、と、平仮名三文字で表せばいいのだこんな暴力は。
大きな声では言い辛いが、アルダンの作ってくれるご飯とどっこいどっこいの至福感――――ああでもアルダンが直接食べさせてくれるなら、圧倒的な結末へと勝敗は決する。
「必須栄養素が染み渡る…………諸々が満たされていくぅ……」
「ふふっ……カイトクン喜びすぎ」
「そりゃもう、先輩には入学してすぐにこの脂を啜る快楽を教えてもらえましたから」
「人聞きの悪い後輩だなぁ」
「いやいや、田舎から都会へ出てきたばかりの青少年にこの刺激は毒ですよ?」
三食これで済ませりゃいいやと思ってしまうのは、脳細胞がかなり毒されている証拠だ。心のどこかで圧倒的不健康だと確信はしていても、良薬が苦けりゃその逆は甘いのだから仕方ないねとカロリーの悪魔が唆してくるのだ。
中毒性高し。国を挙げての規制が必要でありますなこの罪の味。原罪とは、背負うことが愉悦そのものである咎なのだ。しかしなにいってんだこいつ。
「イケないことを教えた責任取ってくださいね…………うまっ、うめっ」
「また誤解を生みそうなこと言うね……チュルル……」
上流の品と厳かな圧を感じさせる雰囲気をぶち壊すのは、とんこつにまみれた湯気の香り。高貴で淡麗でどこかあどけない横顔も今だけは、ただ目の前の快楽を貪ることへ集中させて、食の欲望を滾らせた表情は、いっそ扇情的ですらあった。
「……ぷはぁ……はぁ……はっ……あぁ、美味しい……」
「……うっわ、すんごい顔」
「…………ぁ、へぇ?」
「…………や、なんでもないです。なんでもなくちゃならないんです」
恍惚な色気たっぷりな横顔に見惚れていたなんて、自覚しないように心掛けねば。そんな事実がひょんな形で巡り巡ってしまえば、嬉しくて恐ろしくて悍ましい折檻と、二月ほどの外出禁止の御触れが、我が家で出回りかねない。
でもやっぱこの先輩かわいいなぁと、理性がカロリーでぶっ壊されたバカは、綺麗で可愛い先輩の横顔を心のアルバムに焼き付けていたのである。
「今日はなんと~、先輩たる私からの奢りだよーっ!」
「先輩……っ、神か?」
「しかも明日も奢っちゃうんです!」
「いや女神様ぁ!!」
「――――ねぇ」
「な、なにですか?」
「……不自然な敬語を使うときは、総じて疚しいことがある場合」
「ヴェへぇっ?」
胸元を顔近くまで引き寄せられて、逆の手で右手を握られて、逃げ場なんてどこにもない。捕縛完了、見事なまでの手際であった。逃げようとする動作を先んじて止められるのは、やはり付き合いが長いが故の功でありますね。
そのままの姿勢で、もぐりこむように鼻を襟へと押し付けてこられて、ちょっと悶々とした感情があっちらこっちら。もしかしてぼかぁ、このまま襲われてしまうのでしょうか。カイトが満腹になった次は、アルダンを満たす番だってことか。ラーメンの香りを植え付けたまま喰べられてしまうだなんて、ちょっとシチュエーション的に嫌なのだが。
「脂っぽい手の平。匂いは香水のような……これは消臭スプレーかしら、でもニンニクの匂いは隠せていないのね。襟元の汚れは……スープ、それもとびきり脂っこい」
「 え っぅ っ ん??」
「何か間違っているかしら」
「…………」
名探偵あらわる。真実を見通す存在が生まれて困るのは、いつだって心に一つの隠したがる思惑があるからなのだ。
「大方、私に黙ってラーメンでも食べてきたのでしょう?」
「ギクリ」
「それも、一番体に悪いタイプ」
「ギクギクリィッッ」
図星を穿たれて引き攣るほっぺたを、もにゅもにゅといじくりまわす細い指。
ひんやりとして暖かい温度を受けて、説教されているはずなのに悪い気は一切怒らない。
「いつも言ってるけれど……変に隠そうとしてるから怒るのよ」
「……許してくれるの?」
「たまに食べるくらいの頻度なら、私は何も言いませんって……何度も言ってるのに」
「……えぇ?」
そりゃ確かに言われた覚えはある。しかしだ、ソウルでジャンクなフードを食べるたびに拗ねたような顔で、少しだけ不機嫌になられては、実質的な禁止と何ら変わらないのだ。自分の魅力を知ってか知らずかは不明だが、そんな風にラーメンにすら嫉妬してくれるのは若干嬉しかったりもした。
ともあれ、だ。
「じゃ、じゃあ、今度はもう少しだけ頻度を増やしても……?」
「…………いいけれど、そんなに美味しいの?」
「そりゃもうっ!」
日本が誇るソウルフードだ、不味いなどとどの口で言えようか。
「……………………私のご飯よりも……?」
「ゴフッ」
泣けてくるくらいの胸キュン。それは尊き命を刹那の瞬間に絶命の手前まで追い立てる、死への誘いなのかもしれない。
潤んだ瞳で上目遣い。偶の機会に刮目するこの一匙の可憐さが寿命を削るのはもうしょうがない。これを見たいがために、たまーにスぺやグラスと夜まで(『今日は晩飯いらない』の連絡以外は一切伏せて)ご飯を食べに行ったりしているのだ。日を跨いで深夜に帰ってきた時に見れる、不安と喜びと寂しさがミキサーとなった表情を目に焼き付けるだけでご飯が進んでいく。
「アルダンの作ってくれた飯のほうが嬉しいよ」
「……どっちが美味しいの?」
「……正直同じくらいです、はい」
「…………やっぱりラーメン禁止だもん」
「――――」
人差し指で顎をくすぐりながら文句をこぼす、むくれた子供っぽい美人がいた。てかなんだよ「だもん」って。子供みたいな言葉遣いとは、なんて反則カードなのでしょう。
「……せめてトレーナーと食いに行くのは許してくれ。頻度もそんなだし」
「むぅ……」
「頼むよ、同性の友人は俺の中じゃ結構貴重なんだ」
「むぅーっ……! …………わかった」
ようやくの安全圏を確信する。
「でもでもっ! ……その分、私をもっとかまってね……?」
「うん、りょうかい、あたりまえだまかされた」
「っ! ……それじゃあ、お風呂行ってらっしゃい」
「あ、ハイ。そうですよね臭いますヨネー」
ではさらばと脱衣所へ向かおうとすれば、ウマ特有の筋力で動きを封殺されてしまった。
はよ臭いを落としてこいと言ったのはアルダン本人なのだが、手を放してくれる気配が薄まろうとはしない。むしろ眉を顰めたかと思いきや、顔を鎖骨へとより近づけて、鼻呼吸を更に深める意図とは一体。
「ニンニク臭がエグいから嗅ぐな」
「……」スンスンッ
「おい」
「…………ねえ、カイト」
「――なんでしょうか」
声色はこう、深淵から静かに轟いていた。
瞬間にカイトは理解したのだ。あ、これ終わったと。
「
「……だっ、ダレッ、とは……??」
「……ごめんなさい、質問が悪かったのね――――どこの女と行ってきたのか、教えてくださいな」
「…………お、……オンナ……です、かぁ……?」
バカは気づいていない、というよりバカだから気づかない。ここぞの洞察力に欠けるが故に、バカの称号をここまでモノにしているのだ。バカ一等賞は此処に在りて。
「オンナ……っていうか、そんな関係じゃなくってですねぇ…………先輩と後輩ってだけの……はいぃ……」
「名前は?」
「あー、んー、やっ、そのさ、アルダンは知らないかもしれない御方かもしれないし……そ、そもっ、そもそもっ、別っにぃ……疚しさ、とかは――――(……例の横顔思い出し中……)――――そんなまさかたまさか……!!」
「―――― 浮 、。 、気 ?、 ?」
おおうやめてくだされ。首をこきりと傾けては、その細くて美しく白い首を痛めますわよ。
「ちがうちがうちがうちがう」
「じゃあどうして 女性向けの香水の匂いがするの?」
「ヴェっ?」
驚いた勢いのまま、首の可動域内の自臭を嗅ぐが、纏う空気はラーメンがおおむね占領していて全く分からん。あとは、アルダンの髪から漂うシャンプーの香り。もしかしなくてもアルダンは、自分の匂いと勘違いしているのだろうか。
そんな折に、あっ――――となる事実を思い出す。
ただ単に、海外の人はやたらとフレンドリーなんだなぁと感じていただけの、重大な事実を――――!!
『今日は最高の一日だったね』
『違いない。次の店は俺が案内しますから、期待しといてくださいね』
『うんっ! ……それじゃあ、ハイ』
『? なんすか、それ』
『? 何って、さようならのハグだよ?』
『? 誰に向けてのです?』
『? カイトクンに向けてだけど?』
『? ……?? …………???』
『? ……?? …………???』
――――みたいな。
断ろうとすれば泣き真似を持ち出してくる、実にいと恐ろしやな先輩でごじゃった。『えーんえーん、カイトクンは私が嫌いなんだー(チラチラッ)』なんて冗談でもやっちまったなら、周りから観察していたSPさん達からの睨みが、背筋を危険予知でフワフワにしてくるのだ。あの眼光、彼女らはほぼ確実に数人はヤッテル。
王族が恐喝まがいを行っったところで、不思議な王家の力は合意の意味合いへと昇華させて来るのだ。自覚ありでやってるのが底無しにタチ悪い。
「……ほら、タイキ先輩がハグ魔みたいな感じでさ、こっちもあっちもそんな気がない触れ合いと申しますか」
「へえ…………なら……――――抱き合ったのね」
「ややややっ、そんなそんな…………ハグだけですぅ」
「
「……くちべに??????」
あっと未来を予知した、このパターンはどっかで体験したやつ。
てっきりシャツかと考えたが、襟元にもそれらしき色が見当たらない。ではどこに? と、使い物にならない疑問をたっぷりと脳みそに詰め込まれたが、そんな愚者を見かねてか、カイトのシャツの下を皮膚ごと抓り上げる。
白い肌着の襟元を、血管がこれでもかと浮き出た指先で、力強く摘まみ上げて見せるアルダンさん。恐し。
「ほら」
「――うわっ」
「これは なぁに ?」
少し生地が伸びた肌着の裏側には、クッキリと蠱惑的な朱色な唇の跡が、濃厚な力加減で押し付けられたと分かるくらい、それはもう印象的にマーキングをされていた。えっ、なにこれ。
「知らない知らない知らない知らないマジで知らないんですお願いします許して……っっっ!!!!」
「…………ふふっ、かわいいことをいうのね」
「――――あっ(これ、許してくれないパターン)」
悟ったのだ。許される許されないの、その先の未来をカイトは見た。
ああ、これぐっっちゃぐちゃにされるやつ。めちゃくちゃに、肉食の限りを尽くされて、貪られてむしゃむしゃされてしまう。なるほどやはりあれか、アルダンの今日の晩御飯は、エイヴィヒカイトその人だったワケだ――――ッッ!!
「シャツだけならまだしも 、 肌着の それも裏側だなんて
「あっ、たしかにそりゃそーだ。あははー、なっとくなっとく」
「ふふっ ふふ、 ふ ぁ、ははっ う ふふふふふふふふふふふふふふふふ」
「…………い、いやだっ! 点滴繋がれて口元に飯を運ばれるだけの生活はもういやだ!!!!」
「いまも むかしも ずっと ずうううぅぅぅぅーーーーーーーーっっっっっっっと ……わたしを ふあんにさせてばっかり」
それは本当にごめんなさいの連続だがしかし、それはそれ、これはこれである。
人権の永久剝奪とは、一個人の裁量で決めて良いものではないのだ。横暴を極めてどうするのだこの女は。尻に敷かれて、その意味合いを究極まで濃厚にすればこうなるのか。ふざけんな。
「経口補水液はもう飲みたくないんです!!」
「だいじょうぶですからね
「ひいいいいいいいいいいいいいいいい――――――――さようなら、世俗的な世界」
「わたしのとなりで いきていれば それだけでいいの」
何だかんだで(身を犠牲にした)説得が効いたのか、学園を休んだ期間は二週間で収まりました。
『いやー、太陽が真っ黄色でサイコーだわ』
バカはそうやって、健全的な生の尊さまた一つ知るのであった。
【疑惑その二:甘い香りが漂う仲】
「お前見てるとティラミス食いたくなってくる」
「それって……」
勝負服を見ての発言である。黒と白に、少しの赤いアクセント。加えてファンを魅了するのは、甘ったるいフェイスから繰り出されるこれまた甘々なウインク。やっぱりケーキの類だこれ。
彼女との出会いは宝塚で折ってから、治りかけの状態でトレーニングを再開した頃。最初期はおっかなびっくりとした様子で、遠目から観察してきていたが、今では軽口を投げつけ合う仲だ。ひょんな出来心から始まった関係性だが、先輩と後輩としては、比較的普遍の形へ落ち着いたと見える。
「ティラミスみたいに甘そうで美味しそうだから」
「まあ、性格も喋り方も甘ったるいもんな」
「――――カレンを食べたいってコト!?」
「おいこのバカレンやめておけ」
でこを指で軽く弾いた。ここは開けたカフェテリアであり、通行人にも声が余裕で届く外気に触れているのだが。マジで恐ろしい娘だこいつ。
「影響力強いお前が滅多を抜かすな。このバカが」
「もーっ、ひっどーい!」
例えばこの瞬間に頬を膨らませて、肩を軽くぽかぽか叩いてくるのも最高峰の愛嬌でしかない。もしこれがテイオーだったら? んなもんは即座に関節をキメる選択肢一直線だ。ウオッカなら笑って流す。スカーレットも笑って流す。マックイーンなら尊くて死ねる。
基本的なスタンスは、他の後輩と何ら変わりない。
「でも影響力って、よりにもよって先輩が言います?」
「俺なんか全然だよ。民衆を味方にできるお前の足元も届かん」
「……メジロ家にサトノ家と懇意にして、理事長を通してURAにも声が届かせられるのなんて、先輩くらいでしょ?」
「だから無理だってば」
そりゃ土下座くらいすれば、メジロ家のばぁさんを動かすことも出来ないこともない気がする。しかし良識に沿ったお願いしか聞いてくれないのは前提であり、なにより土下座までして頼み込むであろう要件が、昔はともかく今は全くない。必然的に、おねだりするような可能性はないのだ。
「やよいちゃんもそこまで甘くはないよ。サトノ家は……俺を買い被りすぎなんだあそこの家は」
「えー? 本当に~?」
「……あのな」
カレンは訝しんだ様子で、半眼をカイトへ容赦なくぶつけてくる。そんな棘を含む仕草もカレンが行えば華が咲く。やはりビジュアルが強者だなと、なんとなしに美しい瞳を見つめ返した。
あくまでも観察である。だって後輩だし、劣情なんて抱かない。エイヴィヒカイトの好みはやっぱり年上らしかった。
「もちろん『俺がトレーナーだったから』なんて言って胸張りたいけどさ、実際俺は微量しか力になれてないぞ」
「そうかなぁ……先輩が励ましてたからとか、そういったのは考えないんですか?」
「あれはアイツの……ダイヤの実力だよ。才能は当然のようにあった。けどそれ以上の努力をできる娘だった。だからこそ、俺はあの娘が頂点へ向けて昇り詰めるって信じただけ」
努力を積み重ねるのは、言葉にするよりも苦痛が勝る。それをひたむきに続けられる根性がある。それは翻せば、許容以上の負荷を己へ背負わせることすら、覚悟を決めたのなら厭うことはなかっただろう。彼女の持ち得ていた覚悟と責務は、それこそダイヤモンドが如き頑強を誇っていたのだから。
だから自分がしたのは、かつての魔王と同じ轍を踏ませないよう気を付けていただけだ。罅割れたまま突っ走らないよう、間違った背中を見せて、同じ道を歩ませないように誘導させるだけ。
「あの娘はすごい子だ。責任感を重荷じゃなく、原動力へと変えられるような強い子」
「……へー」
「世代では間違いなく最強だ。……贔屓目がたらふく入ってるかもしれないけど、でも、なんつーか、あの世代で誰かを選べと言われたら迷わず即答する」
「……先輩、すごく嬉しそうに語りますね」
「ん……まあ、そうかな」
思いのほか熱が入っていたのは確かだ。気恥ずかしさも感じないくらい堂々と語りつくせる自信もある。なんというか、心の底からべた惚れしていたのだろう。――――無論、恋愛的な意味は省く。
空気が少しだけ静けさへと足を踏み入れたが、居心地の悪さは少量だ。
目線の置き場を忘れたように、視線がくっついたまま離れない。逸らすのもありだが、睨めっこに負けたようでそれも癪である。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……えへへ……」
「……は?」
恥ずかしそうにはにかんで、それでも目をそらそうとはしない。ちょっと謎めいた反応だが、真っすぐな視線はやはり好印象。
ちゃんと目をまっすぐに見て喋れるのは、心にわだかまるしこりが無いことの証拠だ。言葉にはあまり出さないが、きっとカイトの周りにそういうことをできる人が多いのは、そういう人を好んでいるからなのだろうなと、目の前の実例を眺めながら考える。例えばスぺとか、スズカとか、マルゼンとか、副会長とかとか。
「……もう~、そこは一緒に笑い合うとこですっ」
「はぁ、そうなのか」
新常識に対して無知だったのは、時代に追い付けていない証拠なのかもしれない。オジサン化現象が進行している証拠でもあるかもしれない。トレーナーの思いをじきに知ることになるのだろう、いやだなぁ。
「しかもカレン以外の娘のこと考えてたー!」
「……え、だめなの?」
デフォルトで四六時中、とあるお嬢様が思考と心の、割と中心位置で居座っているのだが。
「今はカレンとデート中なんだから、カレンのことだけを考えてるのがマナーですよ!」
「…………ハッ」
「あ! 鼻で笑う先輩かわいい~!」
「……もう好きに楽しめよ」
諸々が面倒になってしまったカイトは、元々の予定通りにカレンを楽しませておくことにする。どうやらこの変わり者の(カワイイ)後輩は、カイトの一挙手一投足で肴として愉しんでいる節がある。現役のころに結んでいた元々の約束だ、こうしてお茶会を楽しむのも一興ではある。徐々にお茶会メンツの思想に染まっている事実からは目を背けることとする。そのうちコーヒー派から紅茶派へ鞍替えする時も来るのだろうか、悲しいなぁ。
「ケーキ美味いか?」
「もちろん! 連れてきてくれてありがとうございます先輩っ!」
「そっか、喜んでるならよかった」
なんにせよ、後輩がこうして喜んでくれるのは施している身として嬉しい。
「……ねぇ、先輩」
「どうした」
「他の娘にも同じ顔を見せてたり……してる?」
「は?」
言ってる意味が徹尾まで分からないのだが、これはカイトが悪い奴か。生来から悪者扱いが板についているカイトだが、ここ最近の総スカンっぷりには未だ納得がいかないパターンも多い。謂れがないような気がする女性関係が主で、毎度毎度折檻を受ける羽目になるのだが、まさか今回もそれではあるまいな。
「そんな顔するの禁止ですから」
「……どんな顔?」
「さっきみたいな……慈愛に満ちた顔?」
「言葉にし辛いなら言わなくていいぞ」
「とにかくっ、カレン以外には禁止なんだもんっ!」
「そうか」
言っている意味がやはり分からない。基本的に訳分からん話はガン無視したい人生だが、それを言ったのが可愛い――――訂正、カワイイ後輩であるカレンなら、まあ、気を付けるくらいの努力をしてあげよう。
「いいよ」
「そんなこと言わず…………いま、なんて」
「お前の前でしか、えっと……慈愛? に満ちてるっぽい顔しないよう気を付けるわ」
「…………偽物だ」
あ、ちょっとカチンときた。
「いっ、いいの……?」
「不満か」
「っ……全然!!」
「他にはないのか。後二か三個くらいなら、やってほしいこと聞いてやるぞ」
首を急いで右へ左へ忙しなく動かしたかと思えば、カイトの言に合わせて今度は首を縦へと振りまくる。少し乱れた髪を手直すことも忘れて、意外そうな目でカイトの表情を伺ってくる。
普段はそんなことないだろうが、髪が乱れたことへ対応する暇も惜しいくらい、今の発言は冷静さから離される回答だったらしい。
「……え? 本当にカイト先輩なの……!?」
「何に驚いてんだよお前」
「バカで鈍感でバカで面倒くさがりなカイト先輩らしくない……!」
「喧嘩売ってるな、お前な」
後輩からどう見られているかが垣間見えたが、素知らぬ顔で流した。
表情の一つや二つ、カレン専用にするのに困ることはない。強いて言えばこの件を知られれば嫉妬してくれるお嬢様もいるかもだが、それはそれでそうなったらこっちとしても儲かりもんである。ゆらりと静かにブ千切れるのは恐ろしくて悍ましいが、可愛らしい嫉妬に収まる範囲で怒られるのであればむしろ助長させたいくらいだ。
「お前には恩もあるから、こんくらいな」
「恩……なんのことですか?」
「黙っててくれたろ」
「………………そ、それだけのことで!?」
何を言っているのだこの娘は。
――死ぬ気で走る方法を教えてやる。だからこの件は黙ってろ。
――どうして、そんな怪我で……走ろうと思えるんですか。
――別に…………夢のためだから、苦じゃないってだけだ。
初対面は偶然だった。折れた脚が医者から言われたラインまで治りかけた頃に、偶然にも夕暮れの土手で初顔合わせをしたのだ。
カイトは脚の違和感に蹲り、カレンはそんな存在を見かねて声をかけてくる。
肩を貸そうかと気遣いを見せてくれば――いいや要らないとバカは突っぱねた。痛々しい脚を見て救急車を呼ぼうと強硬策に出ようとすれば――絶対にやめてくれとバカは無理やり押し倒して、優しさを封じ込める。何でそんなにも鬼気迫っているのかと聞かれて――隠せば晒すと脅されて、バカは渋々確信をぼかして語った。
それを、ずっと誰にも言わずに黙っていたこと。バカはカレンの励んでいた泥中の努力を見なかったことにして、自分の限界の超える手法を可能な限り教えた。カレンは泥と汗に汚れた姿を黙っているように願って、バカと互いに見なかったことにしようと契約を交わしたのだ。
結果的にバカは煮詰まった夢を捨てる羽目に陥ったが、律儀に誰にも他言せずいてくれたことを、カイトはずっと感謝し続けている。
「当たり前だろ。つーか普段小賢しいキャラのくせして今更カマトトぶってんじゃねえ」
「……カイト先輩って、恩の感じ方が、その……特殊ですよね」
「そうか?」
「ちょっと心配になっちゃうくらい特殊ですよ! ……やっぱりちょろそう」
「聞こえてんぞ」
自覚しているのだから、言ってくれるのはやめてくれ。
「たっだいま~」
「おかえりなさい」
美味しいケーキを引っ提げての帰宅。服からは何やら甘い匂いがするのは、気のせいではないのだろう。
「いやはや、後輩ってやっぱ可愛いよな」
「……あら、随分と上機嫌ですね」
「年下って無条件で可愛いし、うん、色々してあげたくなる」
足長おじさんを目指したがる年頃になってしまたのだと、少し悲しみの感情に浸る。
「カレンも小生意気な奴だけどさ、自分を曲げようとしないあたりがカッコ良いんだ。応援したくなる」
「――カレン――さん」
「ケーキ食べる前に写真撮ったりでやたらと時間かけるんだけどさ、いざ食べようってなったらめちゃくちゃ幸せそうに食べるんだ」
「それは――――このお店かしら?」
ズイっと眼前に翳されるスマホ。
「『♯最高の一日』『♯一番カワイイ自分でありたくて』『♯このまま時間が止まればいいのに』『♯幸せのひととき』『♯食べてもいいのかな』」
「お、おおう、そうだな」
「投稿は見た?」
わざわざ♯をご丁寧にシャープと言ってしまう真面目さ。知らないのか敢えてなのかは分かりまそん。
言われて急ぎ、カレンのウマッターを確認する。しかし映っていたのは、今しがたアルダンの朗読したハッシュタグの数々。投稿された写真には、カレンが食べる前に納得いくまでシャッターを切りまくっていたケーキが一つ。うんうんと唸っていた甲斐はあったのか、なるほど確かにその一枚は素人目に見ても、ケーキの魅力を引き出していると感じる。
むしろこんな投稿は、女性ほどワーキャーと騒ぎ立てるかと思ったのだが、不思議とアルダンさんはお気に召さなかったらしい。何故。
「……え、アイツってなんかやらかしてんの?」
「向かい合って座っていたのね」
「何で知ってるんだよ」
「だってほら」
指で示されて、ケーキのその背景へと視線は移る。
ああなるほど、確かに向かいで座っているのはカイトに他ならない。カレンに指示されて端で見切れるように置いた黒ハット。シャツの上から光を反射するリングのチェーン。机へ無造作に置かれているのは、アイスコーヒーを飲もうとする腕。見るものが見れば確かに分かる、こりゃエイヴィヒカイトがカレンとお茶をしていたのだ。エイヴィヒカイトを知らないやつからすれば、まあ、友達か親戚か兄弟かと考えるのが関の山だろう。
だからこそ疑問は加速する。今までみたくすっとぼけているなどではない。マジのマジのマジで、アルガンが不機嫌になる理由がわからないのだ。こんなセリフにデジャヴュを覚えた自分は、相当を超越した屑野郎なのでしょうか?
「……事の重大さを理解してない」
「? ケーキ食って写真撮っただけだろ」
「――――本気で言ってるの?」
「……………………すまん、マジで分からん」
たまにアルダンはマジで訳の分からない難しいことを言い出す。今回のようにたとえ女性がらみでも、ガチでカイトが己の非に覚えがなければアルダンは強く出てこない。つまるところ今回はボーナスゲーム。真の安全地帯から、嫉妬心を丸出しにしてくれるアルダンを眺めていられるのだ。
「…………~~~~~~っっっ、もうっ! 貴方がいつもそうだからっ、私はいつでも不安になるんですっ!!」
「え、あ、うん、ご、ごめん?」
「っ~~~~~~~~~~~!!!!! どうしてカイトはいつになっても
「うむ、分からん」
自覚していない悪を裁きたくない心優しきアルダンには、ぽこぽこと胸を優しく叩くことしかできなかった。
この手の騒動には珍しく、カイトは終始笑って終われたのだった。
「じゃあ、この店に二人で行く?」
「…………ううぅぅぅ……籍を入れてからも、どうしてこんな……」
「……やめとく「行きましょう」……そっか」
尚、地獄に追われるのは数日後。
やっべぇ、NIKEがすげー楽しい