獄炎爺がシバいてくる 作:矢マン元
それは、夜眠る時に行われる、とある事。
「ぬゎぁあああああああああっ!?!?!止めろ、ジジイ!!殺す気か!?!?」
必死の形相で全力疾走しながら、寛治は叫ぶ。
彼の今の格好は、黒の上下。着物と袴に素足と言った格好で、その左腰には一振りの刀が差されていた。
その格好で寛治が駆けるのは、整えられた木目の床。だが、その周囲はまるで先も見通せず白い靄のように朧気だ。
何より、寛治がここまで必死に逃げているのは、その背後に追うものが居るからで。
「死にたくなければ、構えよ小童」
必死に逃げる彼の背に掛けられるしわがれた声。
それは、言ってしまえば小柄な老人だ。
年齢をそのままに感じさせる深く刻まれた皺に真っ白の纏められた長い髭と眉毛。その一方で頭は剃り上げたようにツルリとしており、何よりその額には皺と同時に大きなバツ印の傷痕。
寛治と同じような黒の上下の着物袴に身を包みながら、上半身だけをあらわにしたその格好で右手に握るのは一振りの刀。
「何度も言うておろう。貴様が稚児の折より、その刀を手にした時から戦いの運命からは逃れられぬとな」
「だからって、その爆炎ぶちかましながら迫って来るな!!!」
寛治が叫ぶ。
というのも、老人の刀。その刀身からは猛って余りあるほどの業火が吹き上がっていた。
この老人の刀と、寛治の腰にある刀は同じものだ。だがしかし、同じものであるからと言って
「とろ火であろうと、火を灯せ。何時まで逃げ回っても、埒が明かんぞ」
「~~~~ッ!くっそがっ!!!」
何度目かの髪を掠めた業火に顔を歪めて、寛治は抜刀、無理矢理にでも向き直った。
構えた刀は、その一点の曇りもない白刃に炎を反射させて怪しく輝く。
霞の構えをとりながら、寛治は息を一つ吐き出した。
「万象一切 灰燼と為せ――――『流刃若火』ッ!!」
解号が響き、彼の刀、その刀身から一気に火炎が吹き上がる。
だが、見た目は似ていてもその熱、規模、破壊力。あらゆる面で対峙した老人には、劣る現状で、しかし寛治は逃げる訳にはいかなかった。
逃げても、焼かれるし、斬られるだろう。それも相当無惨に。であるのなら、立ち向かうしかない。
――――――――山本寛治の戦いは、これからだ!
*
「いや死んでねぇわ」
誰に突っ込んだのか、しかしその言葉はむなしく虚空に溶けて消えていく。
うんざりとしたため息を吐きながら、寝た気のしない重い体を無理矢理起こして、山本寛治は右手で目元を押さえて項垂れる。
物心つくかつかないかの年齢の頃から、山本寛治は夢を見た。
それが、あの老人との鍛錬だ。
最初は、素手だった。それも、護身術や合気道のような、極力打撃を用いないもの。
それから暫く経って打撃、更に刀を用いた剣術やら、特殊な術やら。
とにもかくにも只管に、老人は寛治をしばいて、扱いて、苛め抜いてくる。
眠れば、何処だろうと鍛錬の始まり。夜もそうだが、昼寝や居眠りであろうとも、眠るだけで理不尽が襲い掛かってくる。
特筆すべきは、彼の精神面の強さだろう。心臓に毛が生えているどころか、そのメンタルは特殊超合金のように折れず、曲がらず。夢の中でも、只管に愚痴ろうとも、最終的には挑んでいける。
何より、十五年生きてきて
もう一つだけため息を吐いて、寛治は布団から立ち上がる。
手際よく敷布団や掛け布団を畳んで押し入れの中に放り込み、ついでに寝間着であるジャージから用意していた制服へと着替えておく。
立ち上がって大きく伸びを一つ挟んで寛治は自室を後にする。
広い家だった。平屋であるが、和式の建築。歩く廊下は黒檀のように黒く艶がある板材で出来ており、壁は漆喰。
この家の住人は、寛治ただ一人。だが、別段暗い過去があるとかそんな事ではない。彼の両親は海外で今頃ラブラブ()している事だろうから。
リフォームしたキッチンでパンを焼き、付け合わせのヨーグルトなんかを用意した味気ない朝食。
適当に腹の中にものを溜めて、洗面台で歯磨きをした上で身嗜みを整える。使った食器も洗って水切り籠の中へ。
いつも通りの朝。向かうのは、今年から通う事になった高校だ。進路として選んだ理由は、近かったから。幸いな事に、金銭面では困窮していないお陰で彼は選択肢を広く持つ事が出来た。
未だに着慣れない制服の首元を若干緩めながら、寛治は通学路を行く。余談ではあるが、彼は夢で精神的に疲れる事はあっても肉体的には疲労が抜けているという不思議体験を昔からずっとしてきた。
まあ、それでも眠いものは、眠い。
「くあぁぁぁ……」
大きな欠伸がこぼれて、眦に涙がにじむ。精神的な疲労というのは、自然と肉体にも影響を齎す最たる例だ。
肩を回して、道中で眠気覚ましのハッカ飴かミントガムでも買おうかと考えていれば、不意に背後に気配を感じ取った。
「――――おはようございます、山本さん」
「よお、おはよう、塔城」
小さいともとれる声に振り返れば、そこに居たのは白い髪の小柄な少女。
塔城小猫。今年度から同じクラスになった少女。
男子の平均身長である寛治であるが、それよりも更に小さな小猫は小さい。それこそ、横に並べば頭一つは確実に。
そんな二人であるのだが、出会いは教室の席だ。適当に腰掛けた場所が、偶々隣同士でそこから交流が出来た、そんな関係。
「寝不足ですか。あまり、褒められた事じゃありませんけど」
「まあ、な……いや、寝てるんだぞ?ただ、まあ……ちっと疲れているだけさ」
「それは、寝た事になるんでしょうか?」
おっしゃる通りで、と内心で寛治は同意する。だが、この疲れも慣れてしまえば順応できる。欠伸が零れても実際その場に倒れるようなヘマもしない為、特段問題なし。
和やかに会話を挟みながら道を行く二人。
だがしかし、その実二人の間柄は偶々同じクラスとなった級友――――というだけには収まらなかったりする。
山本寛治は知っている。傍らの少女が、
塔城小猫は気付いている。傍らの少年が、溢れんばかりの霊力を備え、戦える人間であるという事を。
和やかさの裏側にある、互いを観察する目。互いが互いに、己を探っている事に気付きながらも、しかし何もしない。
そんな歪さの中で、学園生活は始まった。